悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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040 死の舞踏、一章

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 グレイは抱きかかえるようにして持つBARで、久方ぶりの的当てに興じていた。ウェイバーからの許可も得ているため、公認の殺戮である。少女は己の口角が吊り上っているのを自覚していた。

 階段を駆け上がる最中に遭遇した男どもを自慢の愛銃で吹き飛ばしていく。複数人の男たちがこちらの存在に気付いて応戦しようと銃を構えたが、それよりもグレイの射撃は早かった。敵のひとりひとりに照準を定めて引鉄を引くのではなく、銃口で敵をなぞりながら、重なり合った瞬間に引鉄を引く。以前ウェイバーに教わった射撃技術だ。

 どこぞの国へ出向いた折に相手兵士から目で見て盗んだらしいが、グレイがその背景までを詮索することは無かった。興味が無かった訳ではないが、ウェイバーは過去のことを余り話したがらない。それを無視して詳細を聞くほど、グレイは無神経ではないのである。

 頭部を吹き飛ばした男の血が頬に付着するのも厭わず、グレイは軽い足取りで三階の廊下へと踏み込んだ。

 

「あら?」

 

 踏み込んだ先は、血の海だった。

 壁面には無数の弾痕が刻まれ、床には血塗れの男たちが臥している。当然、これはグレイの仕業ではない。彼女が三階へ到達するよりも前、誰か(・・)がこの男たちを始末したのだ。銃声は聞こえなかった。否、BARの銃声の中に紛れてしまっていたのかもしれない。血の凝固具合を見るに撃たれてから間もない。となれば、まだこの惨状を作り上げた人間、あるいは人間たちは近くに居る可能性が高い。

 

「……アハッ」

 

 BARの銃身を白い指先でなぞり、グレイは嗤う。

 耳を澄ますと、曲がり角の向こうに複数の足音が聞こえた。一般人ではない。極力足音を消すことに慣れた人間たちの脚運びである。

 その足音を追うように、グレイは駆け出した。

 この建物の構造は「J」の字型になっており、二度突き当たりを曲がるともう一つの階段が姿を現すようになっている。

 直線の廊下を駆け抜けて、一つ目の突き当たりを曲がる。

 

 そこに、少女の獲物たちの姿があった。

 

 脇にライフルを携えた、屈強な男が二人。背後を警戒していたところを見るに、殿を任されていた人間たちだろう。その二人は曲がり角から突如現れたグレイに一瞬驚きの表情を浮べるも、即座に眼を細めて警戒心を剥き出しにした。銃口を突き付け、油断無くグレイを見据える。

 

「……君は何者だ。どうしてこんな所に居る」

 

 普段であれば即座に射殺してしまうような場面にあって尚、男がそう口にしたのは(ひとえ)にその容姿があどけない少女のものだったからだ。たとえその細い腕に無骨な銃を抱えていようと、衣服の至る所に黒ずんだ血を付着させていたとしても。十二、三歳ほどの少女に対して、無条件で発砲することは男には出来なかった。

 二人の男は口を真一文字に引き結び、少女の返答を待つ。

 

「……ウフフ」

 

 返ってきたのは、小さな嗤いだった。

 そして。

 

 少女の持つ銃から、無数の弾丸が発射された。

 

「ッ! 応戦!」

「少佐! 敵対勢力と遭遇、数は一。交戦しますッ!」

 

 少女が行動に出てからの二人の判断は迅速だった。瞬間的に飛び退き、二つ目の曲がり角へと転がり込む。数十センチ先を飛んでいく弾丸を横目に、兵士たちもその引鉄をようやく引いた。

 銀の髪を靡かせる少女は、まるでワルツでも踊るかのように弾丸を回避する。その動きはどう見ても一般人のそれでは無かった。兵士二人の警戒度が、また一段高くなる。

 

「あ、そうだわ」

 

 買い忘れた商品を思い出したかのような口調で、発砲を続ける少女は口を開いた。

 

「おじさんたち、アメリカの軍人さんかしら」

 

 少女が浮べるには余りにも艶やかなその表情に、二人の背筋を悪寒が駆け抜ける。その質問の答えが自身の命運を分ける。そう感じさせる程の狂気的な笑みだった。

 銃を構え最大警戒で少女の前に立つ兵士たちは、数秒の時間を置いて、ゆっくりと口を開く。

 

「……そうだ」

 

 途端、銀髪の少女はガックリと肩を落とした。抱えていたBARも下げ、見るからに落胆した様子で眉尻を下げる。その表情に、先程までの猟奇的な色は無い。年相応に幼げな少女が立っているだけだった。

 

「残念だわ……、本当に残念」

 

 頬に付着していた血を指でなぞり、舐めるように舌を這わせる。

 

「言い付けは守らなくちゃ。おじさんたちがジョン・ブルー(英人)マリアンヌ(仏人)だったなら、楽しいダンスパーティが開けたのに」

 

 少女の言う所のダンスパーティが何を意味しているのか、聞くまでも無く二人は本能の部分で理解していた。

 銀の少女からどうやら戦意が霧散したと見て、男の一人が小さく息を吐いた。張り詰めた緊張感からの解放。それにより生じたほんの僅かな隙。それを、目の前の少女は見逃さなかった。

 

 コンマ数秒で、男の喉元に黒光りする銃口が突き付けられる。

 

「だめよおじさん。油断なんて」

 

 愕然とする兵士に向かって、愉快そうにそう呟く。

 白く細い指先が冷たい引鉄を引くことはなく、そっと銃口は男から離され床へ向いた。

 

「見つけたのが私で良かったわねおじさん。これ以上追い掛け回したりしないもの」

 

 言外にこれ以上の交戦の意思は無いと伝えて、少女は弾痕と血で埋め尽くされた壁に背を預ける。そのままずるずると腰を下ろして床に座り込むと、抱えていたBARを置いて小さく欠伸を漏らした。

 その姿に毒気を抜かれる、ということはなく。つい数秒前に喉元へと突き付けられた銃の感触を、兵士が忘れる筈も無い。一見すればただの子供にしか見えない少女が、その実人を殺す行為に何の躊躇もないサイコキラーであることを直感で理解していた。

 少女から視線を外さないまま、二人の兵士は摺足で少しずつ廊下の突き当たりへと後退する。

 その場から少女が動かないことを確認し、突き当たりへと到達した瞬間に二人は階段へと全速力で駆け出した。

 

 

 

 53

 

 

 

 双子の少女がその屋敷で働くこととなったのは、言ってしまえばただの偶然であった。

 物心付いた時から親は居らず、住むべき家もない。双子はファビオラとは別の貧民街の出身だった。

 カラカス程治安は悪くはなかったものの、それでも息を吸うように身の回りで犯罪が発生するような肥溜めだ。生きるためには致し方なしと、窃盗や暴行が至る所で繰り返された。犯罪の温床のような場所だった。

 そんな場所で食い物にされるのは力のない老人や子供たちで、当時の双子らはそんな犯罪者たちの格好の標的となった。

 金目のモノは全て奪われた。身体のありとあらゆる部分を蹂躙された。

 

 この世界に救いなど無いと絶望し、このまま薄汚い街の片隅で死んでいく。

 

 ――――そんな諦観と悲嘆に暮れる双子に、救いの手を差し伸べたのがラブレス家先代当主、ディエゴだった。

 

「…………」

 

 手にした長槍をぎゅっと握り締めて、マナは遠い過去に思いを馳せる。

 あの日、あの時。ディエゴがあの場所から連れ出してくれなければ、今頃はどうなっていただろう。悪漢たちの食い物にされた挙句、きっとゴミのように捨てられ野垂死んでいた筈だ。それほどまでに劣悪な環境だった。

 住む家をくれた。綺麗な衣服をくれた。帰るべき場所を、守るべき家族を。先代当主は、マナたちに幸福と呼べる全てのものを与えてくれた。

 親の顔すら覚えていないマナとルナにしてみれば、ディエゴが実の父のような存在だったのだ。雇用主に対して抱く感情にしては些か私情が含まれているかもしれないが、ディエゴもその感情を無碍にするようなことはしなかった。公私の区別がつけられるようになったのは、屋敷で働き始めて一年程経ってからだった。

 マナとルナの二人にとって、ディエゴはそれほどまでに大きな存在だったのだ。

 

 そんなディエゴが、遺体すら残らぬ殺され方をした。

 許せる筈が無かった。そう簡単に受け入れられるはずがなかった。

 

 自然、奥歯を強く噛み締める。握り締めた槍が、小さく軋んだ。

 

「そう怖い顔するな。何も戦場から尻尾巻いて逃げ出してるってわけじゃない」

 

 無意識のうちに眉間に皺を寄せていたマナに声を掛けたのは、僅かに先を走る黒髪の東洋人。

 ウェイバー。男はこの街でそう呼ばれている。過去にあのロベルタをも退けたことがあるという、ロアナプラ随一の腕を持つガンマン。その実力の片鱗は数日前のサンカン・パレス・ホテル、そして先程の路地で垣間見ている。成程確かに、この街にのさばるだけの悪党とは違う。眼前で見せたあの動きと察知能力は、一朝一夕でモノに出来るような代物ではないだろう。

 

 だが、それだけだ。

 ウェイバーという男からは、それ以上の何かは感じられない。

 あるいはロベルタが纏うような有無を言わせぬ威圧感があったなら、マナも素直にウェイバーのことを認めていたかもしれないが。

 当然ながらそんな威圧感など微塵も纏わない東洋人は、周囲を警戒しながら街を南下していく。

 

「……どこへ向かっているのですか」

「港だ」

 

 簡潔にそう述べたウェイバーの表情に、焦燥の色は微塵もない。この行動も想定の内、ということなのだろう。

 向かう先であるその港に何を用意しているのかは定かではない。というか、ウェイバーが一体何を目論んでいるのかすらマナには分からなかった。

 サンカン・パレス・ホテルの一室でガルシアと顔を合わせた際、張維新は言った。夜会のメンバーたちは皆、大々的には動けないと。ウェイバーもそのメンバーだった筈である。張の言った言葉をそのまま信じるのであれば、今この場にこの男が立っていること自体が抑もおかしい。組織の長たる人間に付き纏う余計な柵などないのだろうか。こんな状況にも関わらず、ついそんなことを考えてしまう。

 

「……婦長様からは、離れているようですが」

「言ったろ。一旦距離を取るのは仕方ない。こっちにも色々と事情があるんだよ」

 

 どのような事情があるのかマナには理解出来ない。興味もない。只彼女が望むのは、ラブレス家にとっての幸福だけ。

 そのためであれば。

 

 長槍を握り直して前を見据えるポニーテールの少女に、ウェイバーは横目を向けて。

 

「良くない目をしてるな」

 

 そんな事を言い放った。

 

「そういう目をした奴をこれまで何人も見てきた。大体が復讐目的だったがな。そんな輩の大半は浮かばれねェ」

「何が言いたいのですか」

 

 ギロリと睨み付けるマナに対し、ウェイバーは肩を竦めるだけだった。

 

「思うところがあるような表情(カオ)をしていますが」

「思ってるだけだ。別に講釈垂れようってわけじゃねェよ。不快に思ったなら謝る」

「いえ……、先を急ぎましょう」

 

 マナの言葉に僅かに頷いて、ウェイバーは走る速度を上げた。

 ついさっきまで頂点付近にあった太陽はいつの間にか傾き、水平線の彼方へ沈みつつある。

 

 夜が、近付いてきていた。

 

 

 

 54

 

 

 

 助手席へと放り投げてそのままにしてあった携帯電話が、着信音を鳴らしている。ロックは煙草を咥えたまま数秒携帯を見つめていたが、やがて観念したかのようにそれを手にとった。

 通話口から聞こえる声は、ロックが予想していた人物である。

 

『よォロック。景気はどうだ』

 

 三合会タイ支部長、張維新は現状にそぐわない陽気な声音でそう切り出した。

 

『状況は把握してる。ここからでも狼煙が上がってるのが見えてるからな』

「……何のつもりですか」

『言わせるつもりかロック。賭けは終了、店仕舞いだ。近くで見てる分、お前の方が分かってると思うが?』

 

 抑揚の無い平坦な声でそう告げられて尚、ロックは引下がろうとはしなかった。否、引下がる必要など無いと判断していた。

 

「張さん、まだ幕は引いちゃいない」

『分水嶺ならとうに過ぎた。合衆国軍と猟犬の邂逅を防げなかった時点で、お前の役目はもう終わっている』

「分水嶺が一つだと、誰が決めたんです」

 

 にべもなく切り捨てようとする張の言葉に、ロックは静かに切り返す。携帯電話を持つ手に、力がこもる。

 

「役者は皆まだ舞台に残ってる。なら、俺が勝手に舞台を降りるわけにはいかない」

『一つ、お前の考えを正そうか。ロック』

「正す……?」

『確かに役者は舞台に立ったままだろう。だが俺たちは役者じゃない、イイとこ演出家だ。始めから舞台に立っちゃいねェのさ』

 

 意見の相違、と言うにはそれは余りにも大きな食い違いだった。

 張は組織の大きさ、行動に伴う二次的被害の規模などからしておおっぴらに行動することが出来ないでいる。そこで白羽の矢を立てられたのがロックだ。彼は役者たちと同じ舞台にまで上がり、己の危険すらも省みず最前線へと躍り出た。

 張に言わせれば、その時点で間違っている。

 

『俺やお前にとって、ラブレスの若当主や猟犬はただの(ポーン)にすぎない。お前は王手(チェックメイト)が打てるといい、俺はそれにオッズを張った。俺たちの役割は前線で鉛玉をブチ込むことではなく、場をセッティングすることだ』

 

 しかしだ、と張は言葉を続ける。

 

『今の状況を見ろ。猟犬と合衆国軍の遭遇は防げず、燻ってた火種は大きく燃え上がった。こうなっちまったらもう、お前にはどうにも出来んだろう。なァ、ロック』

「張さん」

 

 張の言葉を遮るようにして、ロックは正面を見据えたまま静かに呟く。その瞳には、一切の諦めの色は無い。

 

「俺にはどうすることも出来ないってのはそうでしょうね。銃もナイフも使えない俺じゃ、戦場へ出たところでくたばる未来しか見えない。ああ、そうだ。俺は間に合わなかったよ張さん」

『そこまで分かっていながら』

「ウェイバーさんは間に合った」

 

 その名が出た途端、通話口の向こうで息を飲む音が聞こえた。

 

「ホテルじゃあんなこと言ってたが、俺はあの人なら戦場へ出てくると確信していた。背負う柵なんか無視して、街の存続の為に動くと」

『ロック。奴を駒として扱うにゃ、些か経験値が足りないな。ウェイバーはお前が掌で転がせるような人間じゃない』

 

 身に余る愚行だ、と言外に告げられたような気がした。

 しかし、ロックはそれを意に介さない。

 

「身の程は弁えているつもりですよ、ミスター張。だから俺はあの人を思い通りに動かそうなんて思っちゃいない。俺が賭けたのは、この戦場に現れるかどうかだ」

『その賭けに、一体何の意味がある?』

「簡単なことですよ」

 

 張の問い掛けに、ロックは当然のように答える。まるでそれが、最初から分かりきっていたことのように。

 

「ウェイバーさんが現れた。街の存続を望むあの人が、わざわざ(・・・・)戦線に出張ってきた。その意味を、アンタはよく知ってる筈だ」

『…………』

「あの人が出てきた以上、一つ目の分水嶺に余り意味はない。重要なのはこの先、二つ目の分水嶺だ」

 

 その分水嶺こそが重要なのだと、ロックは半ば確信していた。

 ラブレス家の女中、合衆国の軍隊、ロアナプラの住人。その他いくつかの不明勢力がいるようだが、それら全ては未だ舞台に立ったまま。

 ならば、まだこの賭けは終わっていない。終わる筈もない。

 

「そう簡単に、終わらせやしない」

『…………日本人てのは、こんな奴らばっかりなのかね』

 

 数秒の沈黙の後に、張は苦笑混じりに呟く。

 

『全く、どいつもこいつも』

 

 街の存続を掲げながらもどこか楽しげなその声の主が誰のことを言っているのかなど、聞くまでもないことだった。

 

 

 

 55

 

 

 

「あら」

「ああ?」

 

 トカイーナ・ホテルの三階へと続く階段を上がろうとしたところで、レヴィは踏み出しかけた右脚をピタリと停止させた。黒い双眸が射抜く先には、黒の衣服を纏った銀髪の少女が立っている。

 BARを両手で抱えるように持つグレイの頬には、赤黒い液体が付着していた。上の階で何があったのか、聞かずともレヴィは理解する。道理で上階からも銃声が聞こえていたわけである。ということは、二階にまで降りてきていた敵はグレイが逃した敵ということになる。やるならきちんとやれと、声を大にして叫びたい気分だった。

 そんな苛立ちを舌打ちに込めて霧散させ、レヴィはグレイへ一歩詰め寄る。

 

「どうしてテメエがここにいやがる」

「それはこっちの台詞だわ。どうしてお姉さんたちがここに居るのかしら」

 

 レヴィの後に続いてやって来たロットン、ファビオラ、ガルシアを順に見て、グレイは不思議そうに小首を傾げた。

 周囲に他の人間の気配は感じない。この近くにウェイバーがいる、ということは無さそうだ。無意識のうちに肩を落とすレヴィだったが、その所作はグレイにばっちりと見抜かれていたらしく。

 

「おじさんならここには居ないわ。残念だったわね」

「んなこと言ってねェだろうが!」

「顔に出てたもの。垂れた犬耳まで見えたわ」

「よし先ずこのクソガキからぶっ殺すか」

 

 両の手にそれぞれ持っていたカトラスを持ち上げ、額に青筋を浮かべたレヴィを諌める人間はこの場にはいない。通常それはロックの役目だが、生憎と彼はこの場におらず、また怒気を撒き散らすレヴィを止めることの出来る人間も居なかった。

 怒髪天を衝く勢いのレヴィに対して、あくまでもグレイは通常運転のようで、非力な少女が持つには過ぎた代物に違いない鈍く光るBARの残弾を確認し始めた。

 

「……チッ、テメエが上から来たってことは、もう上には敵はいねェってことか」

「そういうことになるわ。深緑の軍服で顔を隠した人たちが大勢屋上から押し掛けてきたけど、半分は私が撃っちゃったから」

「その残り半分がこの階まで降りてきてんだよクソガキ。テメエのケツくらいテメエで拭け」

「あの、ということは婦長様は……」

 

 また睨み合いを始める二人に、ファビオラが割って入る。グレイの言葉を信じるのであれば、この先の屋上に目的の人物は居ない。合衆国軍も既に現場を離れた後ということになる。

 

「そう慌てんなロリータ。こういうこともあろうかと、何人かは生かしてある」

「絶対に偶然だろう。明らかに額を狙っていたぞ」

「うるせェぞロットン」

 

 くるりと踵を返して、二階廊下の血溜まりに沈む男たちを見やる。幸いというべきか、その中の一人はまだかろうじて息があるようだった。腹部から大量の出血があるその男の襟首を掴み、無理やり壁に背を預けさせる。レヴィはその男の前にしゃがみこんで。

 

「おいロリータ、通訳しろ」

「ちょっと、乱暴にしないでっ」

「こいつがどうなろうがお前にゃ関係ねェだろうが。時間がねェ、早くしろ。お前たちがロザ……ロベルタを追ってることは知ってる。奴はどこだ」

 

 立ち上がり煙草を咥えながらそう話すレヴィの言葉を、ファビオラは手負いの兵士に伝えていく。

 数分して、ファビオラは兵士からそっと離れる。

 

「婦長様は米軍部隊を追って西の交差点へ。建物に沿って向かっていると」

「西だな、オーライ」

「あの、この人を病院まで運びたいんですが」

「あはっ」

 

 ファビオラの提案に、何を思ったのかグレイが嗤った。同姓すら魅了しそうな妖艶な笑みを浮かべながら、銀髪の少女はゆっくりと負傷兵の元へと近付いていく。

 

「――――こうすれば、その必要もないでしょう?」

 

 一瞬、ファビオラは目の前の少女が何を言っているのか分からなかった。

 グレイの言葉に何か反応を示すよりも早く、白く細い指が、凶器の引鉄を引いた。

 

 銃声が轟く。

 

「――――ッ!!?」

 

 眼前の凶行に、ファビオラは絶句する。

 虫の息ではあったが、確かに数秒前まで生きていた兵士は、頭部を蜂の巣にされ赤黒い脳漿を壁一面にぶち撒けていた。

 

「急ぎましょう。おじさんとはぐれちゃうわ」

「もうはぐれてんだろお前」

 

 そんな軽口を叩き合う二人に、ファビオラは言い様のない憤りを感じていた。

 英語ではなかったためその言葉はファビオラと、そしてガルシアにしか届いていなかったが、兵士は助けを求めていた。救いを求めていた。

 それなのに。どうして。これが彼を救うということなのだろうか。そんな筈はない。こんな追い打ちをかけるような真似、許される筈がない。

 

「ランサップとナンクワイの交差点だ。取り敢えずそこを目指そう。ボスのことだ、先回りしてロベルタとやり合ってるかもしれねェ」

「……に、してんだよ」

「おいロリータ何してる、さっさと行くぞ」

 

 ぶちん、と。

 ファビオラの頭の中で何かが爆ぜた。

 

 懐に仕舞い込んでいた拳銃に手を伸ばし、即座にその銃口を向けようと――――

 

「やめたほうがいい」

 

 したところで、銃を持った腕をサングラスの美丈夫に掴まれた。

 

「君の怒りは、この街では何の意味も持たない」

「ッ、なんで、どうして!」

 

 少女の突然の大声に、前を歩いていたレヴィとグレイが視線だけを背後へ向けてくる。しかしロットンが腕を掴んでいるのを確認すると、興味なさげに視線を前方へと戻してしまった。

 

「銃を放してくれるか。僕はフェミニストだ、女性相手に手荒な真似はしたくない」

「彼は救いを求めてた! 本気で、それなのに……ッ」

「殺しとは究極の理不尽だ、少女よ。それは相手もこちらも同じこと。敵対している以上、息の根を止める以外に解決策は無い」

「そんな、そんなこと……っ」

 

 ロットンの言葉に、ファビオラはきつく歯噛みする。

 悪徳の街において、人を殺すという行為の軽さを改めて痛感することとなった。街中で擦れ違いざまに肩がぶつかっただけで、たまたま視線が合っただけで。それだけでこの街の住人は気安く銃の引鉄を引けるのだ。

 世間一般的にはどう考えてもこの街の常識の方が間違っている筈なのに。あたかもこちらが間違っているかのように錯覚させられる。

 ロットンもそれ以上何かを言うことはなく、ずれたサングラスをかけ直してレヴィの後に続いた。

 

「……ファビオラ」

 

 俯く少女の肩に、ガルシアの手が添えられる。

 

「僕たちは僕たちが信じる道を進もう。家族皆で一緒に帰るために。それだけが、僕たちの願いだろう」

「若様……」

「この街の異様さは前に来た時から分かってる。それでも、僕たちはその闇に呑まれちゃいけない」

 

 その真っ直ぐな瞳を間近で見て、ファビオラも顔を上げる。

 自分たちの目的を果たすために、利用できるものはなんでも利用する。それがプロのトラブルバスターであっても。

 少しずつ、しかし確実にロベルタへと近づいていることを感じながら、二人は前を行くレヴィたちを追いかけた。

 

 

 

 56

 

 

 

『そろそろ掛けてくる頃じゃないかと思っていたわ』

「なにお前、予知能力者か何かなの」

『貴方が戦線に出ていることは部下の報告から分かっていたことだから』

「何だよ、遊撃隊(ヴィソトニキ)まで配置してんのか」

『当然でしょう。米軍特殊部隊、またとない好敵手だもの。そう簡単に逃すとでも?』

「……手っ取り早く本題に入ろう。用意して欲しいものがある」

『それは我々に利益があることかしら』

「安心しろ、お互いにメリットしかねェよ」

 

 

 

 57

 

 

 

「総員、懸垂降下(ラベリング)完了。損耗、障害ともに無し」

「上出来だ。これよりポイント・ダガーまで雑居ビル、並びに裏路地を脱出経路とする。法則性を作るな、奴の対物ライフルを無用の長物にしてやれ」

 

 向かい側の建造物からの襲撃を交わしたグレイ・フォックスの面々は、現在ストリートの裏路地を集団で移動していた。

 上下前後左右の全てが警戒の対象となる現状、散らばって行動するよりも頭数を揃えて行動した方が対処し易い。

 ライフルを構え、最大限の警戒のもと移動を続ける。

 

 そんな彼らの数百メートル後方に、一つの影。

 既に沈み始めた太陽を背に、女は建物の屋上から単身で飛び降りた。

 獣のような眼が、獲物を逃すことはない。

 

 

 

「答えろアブレーゴ。ロザリタは、一体誰を追っている?」

『…………』

「事前情報が全く役に立っていないぞ。何もかもが食い違っている。これは一体どういうことだ?」

 

 カラマサの詰問に、通話口の向こうに居るアブレーゴは眉間に皺を寄せ苦々しく答えた。

 

『お前たちには関係ねェ。そいつらに手を出すなカラマサ。取り返しのつかないことになる』

「我々はロザリタに通ずる全ての障害を排除する。例えそれが米帝主義者でもだ。我々の作戦にマフィアごときが口を出すな」

 

 それだけ告げて、カラマサは一方的に通話を終了させた。電話機をポケットへと滑り込ませ、現状の把握を再度行う。

 

「ロザリタの居場所の特定を最優先だ。全ての情報を洗い出せ」

 

 

 

「止まれ」

 

 先頭を歩いていたレヴィが、建物の壁に背を当てて立ち止まる。

 ゆっくりと視線を建物の向こう側へと向ければ、先程相対した兵士たちと同じ軍服を纏った男たちが集団になって歩いている。薄暗い路地だ、まだ向こうはこちらの存在には気付いていないようだった。

 

「どうする」

「どうもこうもねェ。スペイン語しか分からねえ連中にどうしろってんだ」

「君は相変わらず血の気が多いな」

「見敵必殺。ボスから教わった常識だ」

「ウェイバーの……成程確かにその通りだ」

「次に呼び捨てで呼んだらテメエからブチ抜くぞ」

 

 言いながらレヴィにグレイ、そしてロットンはそれぞれの得物を構える。それに数秒遅れて、ファビオラも顔の高さにまで銃を持ち上げた。

 ガルシアを除く全員が臨戦態勢へ移行したのを確認して、レヴィは手近にあったペール缶を思い切り蹴り飛ばす。

 ひしゃげた音が周囲に響き、兵士たちの視線がレヴィたち五人へと注がれる。

 

「新手か! どこの連中だ!?」

「全員敵だ、撃っちまえ!」

 

 瞬く間に路地裏が戦場へと切り替わる。射線から外れるためにガルシアだけは建物の影に身を潜めているが、それ以外の四人は真正面から兵士たちへと向かっていった。

 

 戦場とは刻一刻と変化するものだ。

 戦うのが人間である以上、固定化された戦場など存在しない。人の移動に合わせて戦場は移動し、数の比重で戦況は変化する。戦争とは水物であり、場と状況は一瞬で変貌するものである。

 レヴィやグレイたちの鉄火場も、彼女たちの行動に合わせて僅かに場所を移動していた。

 銃声と悲鳴、そして鮮血が散らばる戦場は、ガルシアから少しばかり遠ざかっていたのだ。とは言えそれによってガルシアが安全かと言えばそうではなく、流れ弾は先程から何十発と飛来している。屋外に居る限り、その危険は消えないだろう。

 だからガルシアは今この一時の危険をやり過ごすため、一番近くにあった雑居ビルへと足を踏み入れた。

 

 そして少年は後悔することとなる。

 

「――――あン、なんだってこんなトコに子供がいるんだ」

 

 そこは二匹の猛獣が巣食う場所。

 望まぬ形の再会が、すぐそこにまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





以下要点
・グレイVS米軍(不戦勝)
・おっさん、双子を引き連れ港へ。
・ロックの舌戦。
・レヴィグレイ合流、第二ラウンドへ。

おっさん、姉御からすると今回は完全に溜回。


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