悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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038 オールイン

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 『グレイフォックス襲撃群(コマンドグループ)』は、シェーン・J・キャクストン少佐をチームリーダーとするアメリカ合衆国の不正規戦部隊である。ベトナム、イラク、パナマといった各地の戦場を渡り歩き、国益の為にその命を賭して戦う正真正銘の兵士たちの集まりだ。

 部隊員の其々が相応のプロ意識を有し、時には己の身すらも差し出して任務を遂行する彼らの精神力は常人とはかけ離れていた。目の前に銃口を突きつけられようが、表情に一切の変化はなく。目の前で親しい友が無残に殺されようが、心に一切の波紋を呼ばず。

 そんな鋼鉄の魂を持つ部隊員たちのことを、キャクストンは誇りに思っていた。

 

 だからこそ、そんな隊員の一人である狙撃手が人目も憚らず全速力で部屋へと駆け込んで来たときは、一体何のジョークかと思ってしまった。

 留め具が外れかけた木製の扉を乱暴に開けた狙撃手は、キャクストンの顔を見るなりその目の前にまで近づいて。

 

「っ、少佐。問題が発生しました」

 

 本来であればあるべき前置きなど一切なく、狙撃手はそう述べた。

 キャクストンの片眉が、怪訝そうに顰められる。

 

「どうしたサンチェス軍曹。いつもの君らしからぬ行動だ、まさか隊の規律を忘れたわけではあるまい」

 

 隊律を重んじるサンチェスらしからぬ行動と物言いに、キャクストンは反射的にそう声を発していた。

狙撃手サンチェスは一度呼吸を整え姿勢を正すも、顔に浮かばせた焦燥は消えない。全速力でこの場所まで走ってきたことで僅かに上下していた肩も落ち着きを取り戻したところで、サンチェスはそのことを口にした。

 彼が目にした、信じ難い事実を。

 

「……それは、事実なんだな?」

 

 話の内容を耳にしたキャクストンは、事実に相違ないことを確認する。狙撃手は黙って首肯した。

 只でさえ芳しくないこの状況下である。そうでなくとも上官に対して嘘を吐くような人間でないことは重々承知しているが、現状に加え新たな火種の追加にキャクストンは口を真一文字に引き結んだ。

 

「千メートル以上離れた狙撃手の存在に気付くか……。パナマを彷彿とさせるな」

「『空白の四秒(デッドフォー)』ですか、少佐」

 

 呟かれた言葉に髭を生やした男、レイが表情を変えずに述べた。

 思い出すことすら憚られるのか、キャクストンは二度頭を振る。

 

「もしあの時の男と同等の人間なら、我々も相応のリスクを覚悟せねばなるまい。尤も、この部隊にいる者は皆覚悟などとうの昔に出来ているとは思うが」

 

 そう言って、キャクストンは僅かに口角を持ち上げた。室内に立つ部下をぐるりと見回して、その表情に一片の曇りもないことを確認した上でこう切り出す。

 

「諸君。聞いたとおり悪い報せだ。軍曹の証言が事実であった場合、パナマで伝説となった男と同等の人間が立ち塞がる可能性が高い。我が国の精鋭たちを軒並み壊滅させた男と同等だ。しかもどうやら敵はそれだけではない」

 

 視線だけで部下の一人に合図を送ると、視線を受けた部下が一歩前に出た。

 

「街区外れの200ヤード圏内に監視者と尾行者合わせて十六。電話には盗聴と思われる雑音。何者かは分かりませんが、作戦を妨害しようとしている連中がいることは確実です」

「聞いた通りだ諸君。不明勢力(アンノウン)と報告にあった男が通じているかは不明だが、早々にここを立ち去ったほうが賢明だな」

 

 キャクストンはそこで一旦言葉を切って、隣に立つレイへと顔を向けた。部隊長に顔を向けられたレイはそれだけで言わんとすることを察し、床に置いていた無線機へと手を伸ばした。

 

「セーフハウス『マリブ』と『モンタナ』へ。コードは10-34(緊急合流)で?」

「いや、CTS(街路掃討戦)の可能性有。チャンネル・オープンで準備待機せよ。主力分隊が――――」

 

 キャクストンの指示は、最後まで口にされることは無かった。

 彼の背後、部屋に設置された窓の向こう。その往来のど真ん中で、耳を劈く轟音と赤黒い爆炎が立ち上ったからだ。

 一瞬の出来事だった。

 にも関わらず、グレイフォックスの全員が身体を硬直させることなく、両手に携えた銃を構えて臨戦態勢へと移行していた。

 そんな部隊員の中心で、隊長たるキャクストンは至って平静に告げる。

 

「行こうか紳士諸君。仕事の時間だ」

 

 

 

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「おいおい、おいおいおい。聞いてないぞこんなの! なんでウェイバーが最前線に出てくるんだよ!」

 

 グレイフォックスが姿を隠していたホテルの丁度向かい側。その二棟程奥の雑居ビル屋上に座り込む小太りの金髪が、脂汗を滲ませながら戦慄いた。手にしている双眼鏡も心なしか震え、まるで幽霊でも目の当たりにしたような反応を見せている。

 そんな彼がレンズ越しの視界に捉えているのは、グレーのジャケットを着用した黒髪の男。モグリでなければ、その風貌から一瞬で男の名前に辿り着くことが出来る程の知名度を持つ東洋人である。

 

 悪徳の街を牛耳る黄金夜会の一翼を担う超大物、ウェイバーが隣に銀髪の少女を連れて現れた。

 この事実は金髪の男、フィラーノに多大な衝撃と動揺を与えた。

 そして動揺を覚えたのは、フィラーノの隣に立つ黒づくめの男とて例外では無い。

 

 ブレン・ザ"ブラック・デス"。そう黒づくめの男は呼ばれている。ロアナプラの闇を住処とする殺人代行組合の元締めだ。

 今回組合に持ち込まれた仕事は依頼人の()を用意すること。普段の仕事と別段変わらない、片手間で片付く程度のものだった。槍ではなく盾を所望していることに多少の違和感を覚えないでもなかったが、他人の手にかけたくない理由でもあるのだろうと断じ、ブレンはそれ以上深くは考えなかった。

 他人の便器を覗き込むような真似はしない。ロアナプラに於いて遵守すべき不文律である。

 しかし今回に限っては、それが仇となった。

 

 ブレンを長とする殺人代行組合は、この一件に関してだけは徹底して依頼主の素性を洗うべきだった。

 昨年噂になったウェイバーとも関係があるかもしれないメイド。そんな程度の認識で、行動を起こすべきではなかったのだ。依頼主たるロベルタの素性を仔細に洗い出せば、彼女が元FARCのゲリラだったことに辿り着いただろう。リロイやRR並の情報屋が身内にいれば、ウェイバーと密林で相対していたことまで判明したかもしれない。

 そうなれば二人の過去から推測できた筈なのだ。

 浅からぬ因縁を持つ両者が、戦場で見える可能性が決して低くはないと。

 

 焦燥をふんだんに含んだ言葉を吐き出し続けるフィラーノとは違い、ブレンは無言のままウェイバーを見つめ続ける。

 と、ここでウェイバーらの歩みが唐突に止まる。

 怪訝そうに片眉を顰めたブレンが次の瞬間に目撃したのは、二つの手榴弾が綺麗な放物線を描いてホテルの一角に吸い込まれていく様だった。

 

「ッ、おいおいマジかよ! 本当に最前線にまで出張ってきたっていうのか!?」

 

 ホテル街の一角から立ち上る黒煙を目の当たりにしてフィラーノが叫ぶ。

 ウェイバーが戦線に立つ。その事の大きさを、ほぼ正確に理解しているがこその叫びだった。

 

 悪徳の都ロアナプラを縄張りとする黄金夜会は幾つかの組織で構成されるが、それぞれの長たる人間が鉄火場へと直接出向くことは多くない。最後に大々的に夜会陣営が動いたのは双子の殺し屋が暴れ回った一件だ。その当時はマニサレラ・カルテルを除いた三組織、加えてウェイバーが戦線へ出る異常事態となり、街全体を巻き込む程の規模となった。

 ホテル・モスクワのバラライカはまだしも、三合会の張は基本的に表には出てこない。ウェイバーなど双子の件を除けば数年銃を抜いていないと言われていたのだ。

 

 そんな男が、自ら宣戦布告じみた真似をした。

 手榴弾など普段であれば使用しないであろう兵器を持ち出して、自らの意思で最前線に立っている。

 

 割に合わない。

 ブレンは直ぐ様その結論に至った。

 依頼された仕事に対する報酬と被るリスクが全く釣り合っていないのである。誰が好き好んで怪物に立ち向かうというのだ。頭のイカレた猟奇殺人者でもなければあの男に盾突こうとは思わない。

 そういう男であることを、ブレンは過去の経験(・・・・・)から良く知っていた。

 組合として一度引き受けた仕事を放り投げるような真似はしたくなかったが、相手があのウェイバーであるならそれも仕方が無い。必要な人員は確保したのだし、最低限の面目は保てるはずだ。

 

「……退くぞフィラーノ。ウェイバーが噛んでるとなると状況は絶望的だ。依頼主には悪いがここは自分の命を最優先させてもらう」

「大々的に賛成だよブレン。あんなのと戦ってたら身体が幾つあっても足りやしない」

 

 言いながら小型の電話機を操作しようとするフィラーノの動きを、ブレンは無言で制した。

 

「とは言え、何の餌も無しに逃げ切れるほど甘い男じゃない。人員は有効に活用しよう」

「……ああ、そういうこと」

 

 ブレンの言わんとするところを正確に理解したフィラーノは、持っていた電話機をフーディーのポケットへと滑り込ませた。

 フィラーノの持っていたものと同じタイプの電話機を、この街で掻き集めたチンピラの一人が持っている。依頼主が求めた盾としての機能を期待されていた、命知らずな若者たちだ。当然ながら、彼らはこの一件にロベルタやウェイバー、ましてや合衆国軍が絡んでいることを知らない。

 そしてブレンは、その事実を教えるつもりなど毛頭なかった。

 

 突然の爆発によって、不測の事態が発生したということは理解しているだろう。

 しかしそれ以上の情報を若者たちは持ち得ない。ロベルタとの仲介役を担っているブレンからの連絡が無ければ、事前に決められた予定で行動を起こすしかないのだ。例え進む先が猛獣が跋扈する檻であろうと、後退することは許されない。

 くるりと身を翻してウェイバーに背を向けたブレンに続いて、フィラーノも慌てて立ち上がる。

 背後で響き出した銃声を耳にしながら、二人はその場を後にした。

 

 

 

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 狙った所へ寸分違わず飛んでいった手榴弾は、俺の目論見通りにホテル前の通りと一階部分を爆破した。

 

 ……などと都合のいい解釈をしているが、実の所はそんなわけもなく。

 二個も手榴弾を詰めていればそれだけでポケットはパンパンに膨れてしまう。一つずつ取り出して投げるのならばいいが、それだとピンを抜くタイミングがずれて爆発に時差が生まれてしまう。

 それだと格好が付かない。どうせ投げるのならば二個同時に、ピンを抜くアクションですらスタイリッシュにやってみせたい。それが男という生き物なのである。

 故に無理やりにでも二個を同時にポケットから取り出し、右手の指三本を使って二本の安全ピンを器用に外した。ここまでは良かったのだ。

 だが悲しいかな。手榴弾なんて滅多に使わないものだから、どう投げればいいのかサッパリ分からない。そうこうしている間に時間が来てしまったため、闇雲に前方に向かってオーバースローをかました結果がコレである。

 

 こういうのを正しく結果オーライと言うのだろう。

 見当違いな方向に飛んでいったらと内心冷や汗ものだったが、なんとか体裁は保てたようだ。隣でグレイが満足そうに微笑んでいるのを横目で確認して、小さく安堵の息を吐いた。

 

「正面入口に面した通りと一階部分の爆破。差し詰め屋上か裏口への誘導が狙いなのかしら。いいえ、見取り図だと裏口は一階の一箇所だけだったから、上へ追い詰めようとしているのね」

 

 全然そんなことは考えていなかったなどと言える訳も無く、苦し紛れだと思いつつも無言で建物へと歩き出す。

 やけに嬉しそうなグレイを伴い、建物の前でその歩みを止めた。下から上へ、ホテルの壁面をゆっくりと見上げる。建物の一階内部は大きく損壊しており、上階も爆発の影響を少なからず受けているようである。中から悲鳴のようなものは聞こえないので、一般人(・・・)はこのホテル内部にはいないのだろう。そういうことにしておく。爆発があった後のホテルに残っている輩なんてのは大概訳アリだ。銃口を突き付けてから一々確認などしていられない。

 

 よって、これから俺が銃口を向ける相手は全て敵対勢力だ。

 ここから先は、悪党だけの戦場だと認識する。

 

「行きましょうおじさん。早くしないと逃げられてしまうわ」

 

 そう言いながら先を急ごうとするグレイの肩を掴む。どうどう。

 まだこの建物がアタリだと決まったわけではない。そう逸っても余計な危険を招くだけだ。いや、グレイなら普通に撃退してしまいそうだけれど。

 

「そう急くなよ」

 

 言いつつ俺の一歩先に立っていたグレイの更に一歩前に立ち、懐からリボルバーを抜く。

 

「おじさん?」

 

 俺の意図が分からないグレイが小首を傾げるが、それを敢えて無視して引鉄を引く。正面、上下、左右。装弾していた弾丸が切れるともう一挺も取り出して、残弾が無くなるまで撃ち続けた。

 そうして数秒後、発砲音の消えた一階に静寂が舞い戻る。

 

「見通しの……」

 

 ――――悪い場所ではまず敵が潜伏していないか確認することが必要だ。例えそれが自分の居場所を敵に知らせるような真似であったとしても。

 そう言おうとしていたのだが、俺の言葉は二階へと続く階段の影から転げ落ちてくる男によって遮られてしまった。ゴロゴロと無抵抗に転がり落ちてきた男へと近づいて行く。ふむ、合衆国軍でもロベルタの関係者でもない。ただのチンピラのようだ。

 

「となると殺人代行組合が雇った捨駒ってところか」

 

 俺が無闇矢鱈に撃ったうちの一発に運悪く当たってしまったのだろう。眉間に弾痕が刻まれている。跳弾でもしたんだろうか。

 

「もう、おじさん。やるならやるって先に言ってよ」

「いや、まぁ、うん。悪い」

 

 小さく頬を膨らませるグレイに謝って、階段へと視線を向ける。

 このチンピラが上から落ちてきた時点で、雪緒の予想は的中していると確信した。となると俺の今の発砲は間違いなく上の連中に聞こえているだろう。何処かに潜伏しているロベルタには、先の手榴弾とも合わせて気付いてもらいたいものだが。あの猟犬のことだ、間違いなく勘付いてここへやって来るだろう。

 その前に、余計な輩は排除しておく必要がある。

 耳を澄ませば上階から複数の足音が聞こえる。段々と大きくなるその音を聞くに、どうやら一階へと降りてくるようだ。

 

 リボルバーへの装填を素早く済ませ、くるりと回す。

 

「おじさん、オーダーは?」

 

 つい十分程前の車内では彼女にやりすぎるなと言ったが、こうなってはもう仕方がない。

 

「アメリカ人だけは殺すなよ」

「うふふ」

 

 口角を持ち上げたグレイがBARを構える。

 やがて姿を見せた複数人のチンピラたちに向かって、無慈悲な弾丸が発射された。

 

 

 

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「クソッ、どうなってやがる!? 下から銃撃なんて聞いてねえぞ、標的は三階の部屋じゃなかったのかよ!!」

「俺が知るかよ! チクショウもう五人も殺られてる!」

 

 ブレンが元締めである殺人代行組合に、盾としての機能を期待されて雇われた男たちは総勢二十人。その四分の一が、一階からの銃撃によって瞬く間に死体へと変貌した。一階と二階を繋ぐ階段の踊り場に身を潜めていた五人である。その報告を受けたリーダーらしき男は持っていた電話機を何度も使おうとするも、どういうわけか一向に相手に繋がらない。男たちの大多数が集まっているのは三階廊下へと続く階段の終わりで、通路の影に身を潜めている状態だ。

 尚も下からの銃声は止まず、少しずつ上へと近づいてきているのが男の耳にもはっきりと分かった。分かってしまったからこそ、焦燥は加速する。

 

「オイ、どうするよ!?」

「ここで引き下がるわけにはいかねえだろうが! ちゃっちゃとやっちまうぞ!」

 

 電話機を投げ捨てた男は周囲にいた数人の男たちに指示を出し、三階廊下にまで一気に躍り出た。そのまま目的の部屋の前にまで辿り着くと、扉横の壁に張り付いて拳銃を構える。十五名がそれぞれの武器を構えて、室内の様子を窺うよう耳を澄ませる。

 リーダーの男が突撃前のカウントを始めようと口が開いた、その瞬間。

 

 静かな銃撃が、壁の向こうから押し寄せてきた。

 

「っ!?」

「ギャアッ!」

 

 リーダーの男を含めた全員が銃撃に合い蜂の巣にされ、赤い血溜まりの中に沈む。

 消えかけた意識の中、チンピラたちが最期に見たのは、憮然とした表情を崩さない軍人たちの姿だった。

 

 

 

 

 

「状況、クリア」

 

 サイレンサーを取り付けていた部隊員の言葉を受け、部屋の中央にいたキャクストンは僅かに頷く。

 

「上出来だ、最上階までのルートを最短で駆け上がる」

「了解」

 

 指示を受けた隊員たちの行動は迅速かつ的確だった。先頭の二人が銃を構えたまま廊下へと出て敵対勢力の確認を行い、安全と判断されると直ぐ様階段の確保へ向かう。それに残りの隊員たちも続いた。

 屋上へ向かう階段を駆け上がりながら、キャクストンは今しがたの銃撃を思い返す。

 明らかに誰かを狙っている、そう思わせるような銃撃だった。

 

(その場合の誰か、とは我々のことなのだろうな)

 

 最初の爆発で、ホテル正面の通りと一階が爆破された。これによって下から逃げるというルートは潰された。さらには追って発生した銃声。明らかにこちらを上へと誘導している。

 現状敵の掌の上で踊っているような気がしてならないが、取れる手立ては他に残されていなかった。勢力の大きさが不明な敵と正面から衝突するなど愚の骨頂である。

 一先ずは屋上へ辿り着くことだ。そうすれば近くの建物へと移動することも出来る。

 幸いにして、このホテルは四階建てで階段は東西に一つずつ設置されている。東側の階段が使用不能になってしまったとしても、西側はまだ生きている可能性が高い。階段にさえ到達できれば、屋上までの距離はそう長くはないのだ。

 

 先に行かせた部下から階段を押さえたとの無線を受け、キャクストンも周囲を最大限警戒しながら階段へと続く廊下を走る。視線の先にある突き当たりを右へ曲がれば、すぐに上へと続く階段を視界に収めることができるはずだ。

 キャクストンの後ろには殿を務める部下が二人。彼らも背後の敵を警戒しつつ、先を行く隊員たちに続こうと階段を目指している。二人の殿とキャクストンとの差は五メートル程。

 

 その五メートルが、命運を分けた。

 

 階段を昇り始めたキャクストンの背後から、自軍が使用しているライフルの銃声が轟いた。その銃声の中に、聞き慣れない音も混ざっている。

 殿を務めていた隊員の一人から、即座に無線が入る。

 

『少佐! 敵対勢力と遭遇! 数は一、交戦します!』

「深追いはするな、状況を見て追いついてこい!」

『了解!』

 

 無数の銃声を聞きながら、キャクストンは屋上へと向かう。

 通話状態が保たれたままの無線機から、微かに声が聞こえた。

 

『……残念だわぁ、本当に、残念……』

 

 

 

 

 

 マニサレラ・カルテルとFARCの相互利益のために送り込まれたスマサス旅団。その目的は、ロザリタ・チスネロスの首をベネズエラへと持って帰ることであった。

 「フローレンシアの猟犬」、「第二のカルロス・ザ・ジャッカル」と呼ばれ、革命の朝日を夢見て消えた元同胞。

 そんな獣を討伐するために招集された旅団を纏め上げる男の名を、アルベルト・カラマサと言った。彼はキューバの特殊海兵団員で、ロベルタの過去を知る人間の一人である。

 

 カラマサを始めとした旅団員は現在、部隊を三つに分けてチャルクワン・ストリートの周囲を完全に包囲していた。

 何処にロベルタが潜伏しているかは不明だが、匿名の情報屋によればこの辺りで姿を目撃しているとのこと。完全にその情報を信用することはできないが、周囲の立地や人の気配からあの猟犬が潜んでいる可能性は高いとカラマサは踏んでいた。

 

 そして、その予想は的中する。

 ザザ、と無線から音が漏れ、次いで団員の声がカラマサの耳へと届く。

 

『猟犬だ! 猟犬を目視で確認! トカイーナ・ホテル向かいのビルです!』

 

 一報を受け、カラマサの口角が僅かに上がる。

 

「第二分隊、仕事だ。移動を開始しろ。第一分隊は継続して奴を監視、決して見失うなよ」

『了解』

 

 静かに、そして速やかに。 

 中米の兵士たちが包囲網を狭めていく。

 

 

 

 

 

「少佐、対岸に何者かが!」

 

 屋上へ飛び出したキャクストンが最初に目撃したのは、大声を張り上げる副官レイの姿だった。

 次いで視界に飛び込んだのは、上空に輝く太陽を背に立つ何者か。何かを手にしているように見えるが、逆光のせいかその特定にまでは至らない。

 

「何だ……、何を持って……」

 

 その疑問は、対岸に立つ者の動作で解消される。

 ジャカッ、とボルトアクション。そしてその大きさを目の当たりにして、キャクストンを始めとした部隊の面々は即座に理解した。

 奴が手にしているのは、対物ライフルだ。

  

 轟砲が、火を吹いた。

 

 即座に身を屈めて地面にうつ伏せになる。コンクリートすら容易に破壊する対物ライフルだ。一発の威力は恐ろしく、屋上の地面が次々と抉られ、転落防止のためかやや高く作られていた四方の壁が吹き飛ばされていく。

 

「ライト! ホーナー! 制圧射撃! 分隊は迅速に貯水槽側へ移動しろ!!」

「少佐、奴は!」

「頭を出すなレイ。撃ち抜かれるぞ」

 

 言いながらキャクストンは匍匐前進で出来るだけ敵から距離を取る。

 正体不明の敵対勢力がまた一つ増えてしまった。思わず頭を抱えそうになる。

 

「屋上伝いに集結地点へと脱出するつもりだったが、このままだとフォークランドの二の舞になるぞ」

「……超遠距離狙撃(オーバーロングレンジ)……!」

「ああ、問題はあの破壊力じゃない。奴の銃なら合流地点の50ヤード先すら射程圏内だ」

 

 尚も止まない弾丸の雨の中、レイ以下数名の部下にキャクストンは直ぐ様指示を飛ばした。

 

「ここに釘付けはまずい。遮蔽物を利用しながら移動しよう。スモークとロープの用意を」

 

 

 

 

 

 ベニー所有のセダンを急停止させて、運転席以外の扉が乱暴に開かれる。

 

「クソッ、完全に出遅れたな。ヴィンテージ物の鉄火場が出来上がってやがる」

 

 数百メートル先で黒煙と銃声を撒き散らすトカイーナ・ホテルを目の当たりにして、レヴィは大きく舌を打った。その隣に立って同じ方向を向くファビオラは、胸の前で両の指を絡めて。

 

「戦っているということは、まだ婦長様は生きておられます!」

「……良い風が吹いている。戦場に相応しい、荒涼とした風だ」

「埃っぽいだけだろうがよ」

 

 ロットンの後頭部を叩いて、レヴィは車内へと視線を戻す。

 運転席でハンドルに両肘をつくロックは、どこかここではない遠くを見つめているようだった。

 

「ロック」

「……あぁ、ここが分水嶺だ」

 

 咥えた煙草が灰になっていくのも構わず、淡々と告げる。

 

「ここで引いても状況は変わらない。悪化はしても、好転することはない。ガルシア君」

 

 くるりと首を回して、後部座席で俯いたままの少年へと問い掛ける。

 

「決めるのは君だ。君はどうしたい」

「……僕は逃げません。あの場所にロベルタがいるというのなら、僕が迎えにいかなければ」

「決まりだな」

 

 ホルスタからカトラスを抜き、レヴィは目的地を今一度見やる。

 

「ヘッ、見ろよ。昼間っから大盛況だ。ぐつぐつ煮立って地獄の釜みてェになってやがる」

「時間はそれほど無さそうだ、早急に片を付けよう」

「簡単に言うけどよロットン、問題はそのクソメイドがランボーも真っ青の殺人機械ってこった」

「婦長様は殺人機械などではありません!」

「そんだけ吠える元気がありゃ上等だ、せいぜいお坊っちゃまが流れ弾で死なねえように頑張れや」

 

 レヴィを先頭に、四人はホテルへ向かって歩き出す。

 頂点を過ぎた太陽が、不気味な程に輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
以下要点。
・盾役のチンピラ退場。
・ロベルタ→米軍←グレイ、ウェイバー
・地獄だよ、全員集合。

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