悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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035 我々の戦

 

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「馬鹿じゃないの?」

「……随分な言われようだな」

 

 少女の刺々しい物言いに、男は眉尻を下げて苦笑を漏らした。

 ベネズエラの首都カラカス。大通りから一本内に入った薄暗い路地の壁に背を預ける二人の手には、近くの自販機で購入した炭酸飲料が握られている。グレーのジャケットを肩に掛けた男、ウェイバーが購入したものだ。

 当初は警戒心を剥き出しにしていたファビオラであったが、男の方に敵意が無いことを理解すると渋々といった面持ちで差し出される缶を受け取った。

 カラカスではあまり見ることのない、スペイン語を流暢に話す東洋人だった。そのウェイバーが只者ではないということは、盗みを未然に防いだことから理解できる。出来るだけ自然体と偶然を装って近づいたというのに、目当ての財布に触れることすら出来なかったのは、横で呑気に缶を傾けているこの男が初めてだった。

 

 そんな事があったからか、ファビオラは内心で彼に興味を抱いていた。断っておくが、決して男女のあれこれではない。素性の知れない男の正体を知りたいという、単純な好奇心だった。

 故に少女は問い掛けたのだ。どうしてこんな街に居るのか。

 そして返って来た言葉を受けて、ファビオラは冒頭の言葉を浴びせたのである。もう一度言っておこう。

 

「馬鹿じゃないの?」

「流石に何度も言われると傷付くんだけど」

「FARCって言えば南米でも特一級の革命組織じゃない。私でもそれくらい知ってるわよ。それを排除? たった一人で? 自殺願望でも持ってるわけ?」

 

 ウェイバーが口にした事の経緯は、FARCの鎮圧から始まるというとんでもないものだった。

 FARC、コロンビア革命軍は中南米最大の反政府武装組織である。その規模は実に五千人。最近麻薬密売組織とも繋がりを持つようになったことで、その勢力が急速に拡大しているという話を大人たちがしているのを聞いたことがあった。自らの掲げる思想のためならば人の命をゴミ同然に踏み躙る、過激派組織の筆頭だ。

 そんな組織の鎮圧をしに来たのだと、この男は宣うのだ。

 しかも驚くべきことに、その仕事を粗方終えた後だと言う。

 これはもしかして話しかけてはいけないような危ない人間なのではないか。そう危惧したファビオラから向けられる疑念の視線に居た堪れなくなったのか、ウェイバーは一旦咳払いして。

 

「あのな、そんな可哀想な人間を見る目で俺を見るなよ」

「いやクスリで頭の中がおかしくなってるのかと思って」

「生憎と頭がおかしいのは俺の周りの輩だけでね」

 

 酷く疲れた様子で溜息を吐き出すウェイバー。

 彼が何を思ったのかは定かでないが、その様子は完全に憔悴しきった中年のサラリーマンだった。

 

「それで?」

 

 空になった缶を片手で握り潰して、ファビオラへ視線を向ける。

 

「いつまでこんな事続けるつもりなんだ?」

「……いつまでもよ」

 

 中身が半分程残った缶を両手で握り締めて、ファビオラは続ける。

 

「この街で生きていくにはこうするしかないのよ」

「犯罪だって、分かってるのにか?」

「今更この街で法を守る人間なんていないわよ。アンタだって不法入国してるじゃない」

「いや、俺は正規の手順踏んでるけど」

 

 ほら、と取り出されたパスポートを見て、ファビオラは無言で男の足を踏み付けた。

 そこはかとない理不尽を感じつつ、ウェイバーは暴れる少女を諌めにかかる。

 

「言い方が悪かったな。……このままで、いいのか?」

「っ……」

「今みたいな生き方をしていれば、いつか必ずしっぺ返しを喰らう。単なる暴力なんかじゃ済まないような」

 

 そんな事、男に言われるまでもなく分かっている。

 治安が最悪なこの街の警官は、薄汚い連中から流される賄賂で汚れきっている。ここは権力と暴力に身を任せた屑どもが跋扈する悪の肥溜めだ。そんな街に、いつまでも子供だけで生き延びることなど出来はしない。

 ……そんな事、自分が一番分かっているのだ。

 ギリッ、と奥歯を噛み締める。ふらりと現れた何も知らない男に、まるで全てを知っているかのように諭される。

 それが何より気に食わない。どこまでもファビオラの神経を逆撫でした。

 

「……だから何? 上から目線で説教でも垂れようっていうの?」

「まさか。俺にそんな資格はねェし、する気もねェよ」

 

 飄々とした態度のままそう答えるウェイバーに、ファビオラの苛立ちは加速する。

 

「だったら、今日会ったばかりの人間が私の生き方にケチつけないで」

 

 何も知らない癖に、と吐き捨てて、ファビオラは憤りそのままに歩き出そうと壁から背を離した。

 今日会ったばかりの男に知った風な口をきかれたそのこと自体が腹立たしいのではない。少女に苛立ちを感じさせたのは、その自然なまでの上から目線の会話だった。話を聞く限り、男は決して陽の当たる世界の人間ではない。謂わば同じ穴の狢である。そんな同列の人間に、同情にも似た感情を乗せて言葉を投げられる。

 ちっぽけな少女のプライドを傷付けるには、それだけで十分だった。

 かと言って、ここでその苛立ちを表に出して喚き立てる程ファビオラは子供ではなかった。そのくらいの分別を弁えられる程度には大人だったのである。

 ある程度の感情制御が出来るからこそ、少女はこの場を離れようとした。これ以上ウェイバーと会話をしていたら、いつ罵詈雑言を浴びせてしまうかわからなかったから。

 

 しかし。

 

「まぁ待てよお嬢ちゃん」

 

 足早に立ち去ろうとしたファビオラの腕を、ウェイバーはがっちりと掴んでいた。

 

「……離してよ」

「そう邪険にするなよ。別に取って食おうってわけじゃないんだ」

「アンタみたいなのと話してるとバカが感染(うつ)る」

 

 腕を掴んだままのウェイバーはファビオラの要求には応えずに、ズボンのポケットから四つ折りにされた一枚の紙を取り出した。

 雨に濡れでもしたのか全体は皺が走り、所々には土や砂が付着した形跡もある。要するに汚らしい紙だった。

 折られたその紙を片手で器用に開いていき、ファビオラへと差し出す。

 

「……なによコレ」

「ここに書いてある屋敷へ行ってみろ」

 

 差し出された紙に視線を向けると、そこには写真付きの屋敷の説明が書かれていた。その内容が南米十三家族のうちの一つであることにファビオラは気が付いた。

 どうしてこの男が、ここまで詳細な家族構成や生活習慣を把握しているのか。没落していった背景や小さな諍いの事まで事細かに書かれているそれとウェイバーを交互に見て、少女は怪訝な声を上げた。

 

「この情報、どうやって調べたの?」

「さあ、俺にも分からん」

 

 返って来たのは肩を竦める仕草だけだった。

 いつの間にか、男の腕は少女から離れていた。

 

「そこにも書いてあるが、現在その屋敷には使用人は双子の姉妹たった二人しかいない。屋敷の見取り図を見れば分かると思うが、どう考えたって人手が足りてないんだ」

「だから?」

「お前、そこで女中として働いたらどうだ」

「は?」

 

 さらりと告げたウェイバーの言葉の意味を理解するのに、たっぷり三秒ほど時間を使う。

 使って、それでもファビオラはウェイバーの言っている事が理解出来なかった。

 

「アンタ何言ってんの?」

「だから、その屋敷でお前が働――――」

「そういうことを言ってるんじゃない。私が、この屋敷で? 何の接点も持たない私が、働けるはずないじゃない」 

 

 キッ、と鋭い視線でウェイバーを睨み付ける。

 ウェイバーはと言えば、ジャケットの内側から煙草を取り出して火を点けている最中だった。肺にまで取り込んだ煙をゆっくりと吐き出し、少女と向き合う。

 

「そこに書いてあるラブレス家ってのは、今じゃ十三家族の中で一番衰退した家だ。最近地質調査で希土類(レアアース)が出ると判って地元マフィアと揉めてる。マフィアなんかと関わる家に、誰が近付きたがる?」

 

 顔の周りで煙を燻らせるウェイバーは、そこで口を閉ざした。

 まるでここから先の事は、口にせずとも分かっているだろうと言いたげな表情を浮かべている。

 そしてファビオラは、ウェイバーの言わんとしている事を八割方把握していた。

 

「……猫の手も借りたい今の状況なら、この屋敷で働けるってこと?」

「確証はない。事実だけを言えばお前は立派な犯罪者だ。前科持ちをわざわざ手元に置きたがる酔狂な人間でもない限り、望み薄なことに違いはない」

 

 でもな、とウェイバーは一旦言葉を切って。

 

「こんな糞とゴミを掻き混ぜたような街でいつまでも燻ってんのが、お前の望むものなのか?」

 

 思わず、ファビオラは目を見開いた。

 こちらの事情など殆ど分かっていないような男の言葉なのに。

 今日会ったばかりのどこの馬の骨とも分からない男の言葉なのに。

 

「暴力だけでのし上がるってのは難しい。それは俺が身をもって知ってる。だからお前みたいなちっこいのは、まずは自分の足元を固めるこった」

 

 どういうわけか、その言葉は少女の心の奥底に染み込んでいく。

 

「……どうして、ここまでするの?」

「言ったろ。確証はない、善意なんて高尚なもんじゃねえんだ。結局は俺の自己満足だよ」

 

 フィルタ付近まで短くなった煙草をコンクリートの壁に押し付けて、ウェイバーは大通りの方へと歩き始める。

 ファビオラの真横を通り過ぎる際、ぽんと肩に手を置いた男は、なんとはなしにこう言った。

 

「縁があればまた会おうぜ、そん時はもう少しマシな身なりでな」

 

 

 

 31

 

 

 

「――――ラ、ファビオラ」

「っ!」

 

 横からのガルシアの声によって、ファビオラは思考の渦から引き戻される。

 このような状況だというのに他事に気を取られていたことを内心で恥じて、少女は取り繕うように苦笑を浮かべた。

 

「申し訳ございません若様、少し考え事をしていました」

「大丈夫かい? 昨日から少し調子が悪いみたいだけど」

「お気遣いありがとうございます。でも平気です、こんな事で立ち止まっているわけにはいきません」

 

 一つ息を吐いて、ファビオラは目の前で申し訳なさそうにしている優男を睨み付けた。

 ラグーン商会のロックである。その隣には原色そのままのジュースを飲むベニーの姿もある。

 ファビオラは頭を掻くロックに一歩近付くと、見上げるようにして問い掛けた。

 

「それで? これは一体全体どういうことなのでしょうか」

 

 事の発端は、朝にまで遡る。

 そもそもの話、ラグーン商会としてガルシアのメイド探しに付き合う気など更々なかったのだ。ロベルタの戦闘能力は昨年、嫌というほど目にしている。レヴィに至っては辛酸を舐めさせられた相手である。明らかに地雷だと分かるものを、自ら踏み抜きに行く馬鹿などいない。

 故にダッチはサンカン・パレス・ホテルから帰る道中、車内でロックに釘を刺した。

 ラグーン商会としてでなく、ロック個人に向けられた依頼である以上、ダッチ個人がその依頼を突っぱねることは出来ない。だからそれはラグーン商会のボスとして、同じくクルーの一人である仲間に向けての言葉だった。

 

 あの女中に追い付くのが向こうの方が早ければ、その時点で絶対に手を引け。

 

 有無を言わせぬダッチの物言いに、ロックは無言で首を縦に振るだけだった。

 

 その翌日。朝一番で再びホテルを訪れたロックとベニーは、女中を目撃したという街の人間を順に尋ねていくことをガルシアたちに提案した。因みにベニーは運転手としての同行だ。ガルシアと共にこの地へ足を踏み入れている双子のメイドは、荷物番の名目の元ホテルに待機してもらっていた。

 ここで話は先程のファビオラとのやり取りに戻るわけである。太陽は既に傾き始め、あと二時間もすれば夜の帳が下りてくるだろう。

 

「情報を持っているというお店八軒。その全てに居留守を使われました。これはどういうことでしょう?」

 

 ずずいっ、と更にもう一歩ファビオラはロックへと詰め寄った。

 困り顔を浮かべるロックに助け舟を出したのは、ジュースを飲み干したベニーだ。

 

「無理もないよ。この街じゃ『メイド』は最早タブー扱いだ。昨日行われた連絡会じゃ、ウェイバーまで戦線に出るっていう話が上がってるらしい。あの(・・)ウェイバーがだ。夜会の連中が囲ってる件に首を突っ込もうとする人間なんていないよ」

「ちょっと待ってくれベニー、俺はそんな話聞いてないぞ。あの人は大々的に動かないって話だったろ?」

「君までそんな事を言うのかいロック。ウェイバーがその気になれば行方を晦まして暗躍するなんて造作もないことじゃないか」

「ああ……」

 

 思い当たる節があったのか、ロックは眉尻を下げて溜息を吐き出した。

 そんな二人のやり取りを目の前で見せられて、ファビオラは先程までの思考が蘇る。ウェイバーとの出会いは最初こそ最悪と言っていいものではあったが、今となっては恩人であるとはっきり言える。自らをどん底から救い出してくれた彼がこんな街の上層にいることは、未だにファビオラには認められない事実だった。

 

「あの、そのウェイバーという方のことなのですが……」

 

 その言葉は、ほぼ無意識のうちに口をついて紡がれていた。

 

「あの方は一体、どんな方なのでしょうか」

「大悪党かな」

「地球上で怒らせちゃいけない人間ナンバーワンさ」

 

 ロックとベニー。二人の言葉に、ファビオラは二の句が継げなかった。二人の言葉からは、あの時のウェイバーの無骨な優しさは微塵も感じられない。

 内心の動揺を必死に押し留める少女に対して、ベニーはその詳細を口にする。

 

「余所者の君たちが知らないのは当然だけどね、たった一人で夜会の連中と肩を並べているってだけでもう異常事態なのさ」

「……そうですね。以前彼の腕前を目の当たりにしましたが、人間業じゃない」

 

 昨年ロアナプラへやって来た時のことを思い出して、少年は神妙な顔付きでそう呟いた。ガルシアが最も強いと信じて疑わないあのロベルタですら警戒する相手である。コンテナが立ち並ぶ港で跳弾を利用し、ロベルタの手の甲を撃ち抜いたあの絶技を忘れることなど出来はしない。

 

「彼の実績について語りだすとキリがない。それこそ戦場のど真ん中を横断してきたって話もあるくらいだからね」

 

 真偽のほどは定かではない。だがあの男ならばあるいは。

 そう思わせること自体が、もしかするとウェイバーの作戦なのかもしれない。

 要するに、あの男については深く考えるだけ無駄なのだ。

 

「君たち二人にこの街でやっていくための魔法の言葉を教えてあげよう。『ウェイバーなら仕方ない』、どんな理不尽も受け入れてしまえる合言葉さ」

「いやベニー。俺はそんな言葉聞いたことないぞ」

「そうかい? ダッチはいつも言ってるけどね。レヴィ風に言い換えると『流石だぜボス』かな」

「ああ……。言ってるな、確かに」

 

 げんなりとした様子のロックを横目で眺めて笑うベニー。

 質問を投げ掛けた立場ではあるが、ファビオラはそんな二人の緩い空気に嫌気がさしていた。今回の件はこちら側が依頼したものだ。当然、ガルシアやファビオラは彼ら二人にお願いする立場にある。それは分かっているが、ガルシアたちにも時間的な猶予はそれほど残されてはいないのだ。本当なら今この瞬間もロベルタ捜索に駆け回りたい気持ちである。しかしアテのない人探しなど無意味。現状頼れるのがラグーン商会の彼らしかいない以上、その二人に縋るしかない。

 

「そのウェイバーという方のことは、わかりました。それで、これからどうするおつもりですか?」

 

 少女の問い掛けに、ロックは腕を組んで考え込む。

 

「……今日のところは引き上げよう。明日の朝一番に、今度はレヴィを連れてもう一度情報にあった店を回る」

「おいおい大丈夫かい? レヴィがこの件に協力してくれるとは思えない」

「拝み倒してみるさ。俺も、今更後へは退けないしね」

 

 そう答えるロックの瞳は、何処かここではない遠くを見ているかのようだった。

 

 

 

 32

 

 

 

 多大な存在感を放っていた太陽は既に水平線の彼方へと沈み、見上げれば深い藍色の空が広がっている。荒くれ共が集う酒場やクラブからは喧騒のような会話が飛び交い、そこかしこで小さな諍いが発生していた。

 そんなロアナプラの一角、この街唯一の教会である暴力教会の一室に、修道服に身を包んだ女たちの姿はあった。

 正面に座る若い女から告げられた事実を吟味するように、咥えていた煙草をゆっくりと吸いこむ。

 やがて吐き出された煙と共に、アイパッチを着けた大シスターは言葉を投げた。

 

「……そりゃ確かな情報かい」

 

 ヨランダに見据えられ、緩やかなウェーブを描く金髪の女はこくりと頷く。

 

「ラブレス関係者からの情報です。経緯は確かかと」

「成程ね、それで? お前のとこのボスは何て言ってるんだい」

 

 無造作に煙草の灰を振り落として、ヨランダがエダへと問い掛ける。

 彼女はサングラスを外し、普段の粗暴な言動を控えて格式張った英語で続きを口にする。それは今の彼女が暴力教会のシスターとしてではなく、合衆国の工作員としてこの場に居ることを意味していた。

 

国防総省(DOD)の独断先行。情報機関共同体(AIC)の承認が下りているなら、我々の耳を通らない筈はありませんから」

「世知辛いねェ。内部でショバ争いってわけかい、大所帯になるとどこも(・・・)大変だ」

 

 実際のところ、ヨランダにとって合衆国内での組織対立になど微塵も興味はない。彼女にとって重要なのはこちら側に利益を持ち込めるのかどうか。エダの所属するCIAが動くことで教会が儲かるのであればそれでいい。逆に不利益を被るようであれば、どんな手を使ってでもそれを回避する必要があった。

 

「今回の火種となったベネズエラでの破壊工作も我々の預かり知らぬところで立案、実行されました。CIAの専門分野に手を出し、あまつさえ取って代わろうとしている」

 

 言葉尻に感じる怒気を察して、ヨランダは無言で煙草を灰皿に押し付けた。

 

「それだけじゃないだろう。NSAも確かにアンタにとっちゃ邪魔な存在だろうが、もっと厄介なのが潜り込んでる」

「ICPO。外交特権を持つヘルベチアのハイエナどものことですね」

「アイツらは鼻が利く。放っておくと横から持ってかれちまうよ」

 

 合衆国が所有する軍隊とは違い、ICPOの人間は組織的な連携を嫌う傾向にある。それは(ひとえ)に単体での戦力が大きいという理由からであった。中でも突出した戦闘能力を持つ人間には外交特権を与え、世界各国を回る権利をも与えている。

 そんな外交特権を持つ人間の一人が今、この悪徳の街に足を踏み入れている。目撃情報やこれまでの形跡を辿って確認しているため、まず間違いない。

 

「狙いはおたくらか、はたまた街の重鎮か」

「現状不明です。何日か前に猟犬と思わしき女と銃撃戦を繰り広げる姿が目撃されていますが、その後消息を絶っています」

「エダの追跡網を振り切ったのかい。やるじゃないか、そのハイエナとやらは」

「確かにICPOの動きも無視できるものではありませんが、最優先で対処すべきはNSAです。奴らにこちらの分野に土足で踏み込まれるのは不愉快極まりない」

 

 同じ合衆国の内部組織が最優先で処理すべき相手であると明言して、エダは背筋を正したままソファから立ち上がった。

 

「用心しなよエダ。相手は勝手知ったる同郷の士、ウェイバーみたいに突然現れると思いな」

 

 視線は正面に固定したままそう告げるヨランダに対して、エダもまた振り返ることなく扉に手を掛けた。そのまま扉を押し開き。

 

「ヤー、シスター」

 

 そう短く返して、エダは廊下へと姿を消した。

 

 

 

 33

 

 

 

 目の前に置かれたバカルディを一息に飲み干して、空になったグラスを無言でテーブルに置いた。対面に座る雪緒は、そんな俺の様子をやはり無言で見つめている。俺が先に口火を切るのを待っているのだ。

 所有する事務所の一室、部屋の中央に置かれたガラス製のテーブルを挟む形で置かれたソファに座る俺と雪緒の間には、ここ数分間会話が無い。予め用意しておいた酒と二つのグラスをテーブルに置き、俺が酒を呷る音だけが室内に響いていた。

 

「……飲まないのか」

 

 沈黙を破ったのは、そんな俺の言葉。多少の気を利かせたつもりではあったが、少女は困ったように眉尻を下げて。

 

「私、まだ未成年ですよ」

「ここじゃ年齢なんて大した問題じゃない」

 

 捉えようによってはとんでもないことを口走ってしまったことに、この時の俺は全く気付いていなかったりする。

 数秒の間逡巡していた雪緒だったが、やがておずおずとグラスに手を伸ばし、それを手にとった。ボトルを傾け、透明度の高い液体を半分程注ぐ。自分のグラスにも波々と注いで、小さくグラスをぶつけ合う。

 ぐいっと一息で飲み干す。喉を通った後に感じる熱さが心地良い。

 雪緒はグラスの中身を一飲みしてしまった俺と自身が持つグラスを何度か交互に見て、意を決したように一気にグラスを傾けた。

 

「っ!! ……ッ!!」

「ははっ、これそういう飲み方するものじゃねえぞ」

 

 水なんて気の利いたものは置いていないから、自分でなんとかするしかない。口の中に溜め込むからそんなことになるんだ。

 ハムスターみたいに頬を膨らませたまま顔を真っ赤にする雪緒に、そのまま喉へと流し込むようジェスチャーする。

 

「……っ、はぁ。な、なんてもの飲ませるんですかっ」

「いやまさか雪緒がそんな飲み方するとは思わなくてよ」

「お酒の飲み方なんて知りませんよ!」

 

 そんな飲み方、とか言っておきながらアイスも水も用意していない俺である。

 仕方ないだろう。俺は酒は何でもストレートが基本なのだ。本来の味を楽しむには何も混ぜずに飲むのが一番である。とはいえ、流石に初心者が四十度のバカルディをストレートで飲むのは厳しかったか。グレイに飲ませるときは何か割れるものを用意しておいてやろう。

 

「……ウェイバーさん、そろそろ私だけを呼んだ理由を教えて貰えますか」

「たまには一緒に飲みたくなった、じゃダメか?」

「騙されませんよ。ウェイバーさんは悪党ですから」

 

 にっこりと笑う雪緒を見て、無意識のうちに口角が緩んでいた。強かになったものだ。ロアナプラに来たばかりの頃とは比べ物にならない。

 だからこそ、こうして夜更けに呼んだのだ。強くなったと判断したからこそ、あの極悪人が集う連絡会にも帯同させたのである。

 今の彼女であれば、俺の力になってくれる、なれると判断した。グレイについてはどうせ俺が言わなくとも今回の件に首を突っ込んでくるだろう。というか既に首どころか半身を突っ込んでいるようなものだ。あの娘っ子については今は置いておくとして、雪緒の考えを今は聞くことにしよう。

 

「……本当ならもう少し早く今回の件について話しておくべきだった」

「それは、昨日話にあったメイドの件ですか」

「そうだ。連絡会でも言っていたが、この件に関しちゃコロンビアマフィアと合衆国の軍隊も絡んでる。下手を打てばこの街全てが戦場になる可能性も少なくない。そういうレベルの話だ」

 

 視線を俺へと固定したまま話を聞く彼女に分かるよう、出来るだけ噛み砕いて説明を続ける。

 

「メイドが仕える当主はロックへ捜索の依頼を出した。俺や張なんかは身分や地位が邪魔をしてろくすっぽ動けないからな」

「そのメイドというのは、街全体が危機感を抱く程の危険人物なんですか?」

「奴の狙いは先代当主の仇討ちだ。爆破テロに見せかけて殺された現当主の父親。その仇を取ろうとしてるのさ」

 

 そこで一度言葉を切り、テーブルに置いてあった煙草を手に取る。

 口に咥えて火を点け、天井に向かって煙を吐き出す。煙草の葉独特の臭いが、室内に漂う。

 

「メイドの正体は元革命軍の幹部。戦闘能力だけで言えば遊撃隊(ヴィソトニキ)にも劣らねえバケモンだ」

 

 一個人と軍隊を比べるというのはおかしいような気もするが、もしもロベルタが複数人いたらと思うとゾッとする。あんなサイボーグは一人だけで十分だ。

 バラライカの私兵どもとも渡り合える実力を持つと聞いて、普通なら顔を青くするところだ。

 しかしどういうわけか、雪緒はどこかほっとしたような表情を浮かべた。そして一言。

 

「なんだ、なら大丈夫じゃないですか」

 

 要領を得ない俺に向けて、雪緒はにこやかに微笑んで。

 

「だって、それならウェイバーさんの方が強いんですから」

「……そりゃ買い被りってもんだ」

「そうですか? 少なくとも私はそう思ってますよ」

 

 邪気のない笑顔でそう言われてしまっては、返す言葉が見つからない。咥えた煙草から灰が落ちるのも構わず、小さく後頭部を掻いた。

 

「本題だ。俺としちゃあ面倒な仕事なんて丸めて投げ捨てたいところなんだが、生憎とそういうわけにもいかん。住処が無くなるのは困るんでな」

「私に何をさせたいんですか?」

「お前は頭が良い。俺やここの住人たちより余程考え方もスマートだ。だからこれから与える情報全てを加味して、ロベルタの居場所を突き止めて欲しい」

「難しいことを平然と言いますね」

「無理か?」

 

 挑発を多分に含んだ俺の言葉を受けて、少女の口角は弧を描く。

 

「任せてください」

 

 力強く、雪緒はそう宣言した。

 

 

 

 34

 

 

 

 翌日。午後二時。

 最初にその異変に気が付いたのは、街中を歩いていたキャクストンの部下だった。彼は街中に漂う違和感の正体を探りながら、しかし決して目立つような動作をすることなく、部隊が隠れ家としているボロアパートの一室へと急ぐ。

 部下が感じた違和感。それは辺り一面に張り巡らされた異様な緊張感だった。そう言えば、昨日までとは人通りの数が違う気がする。今日部屋を出てからこれまで、一体何人の住人を見かけた? 

 何かよくないことが水面下で起こっている。確信にも似た予感を胸に抱き急ぐ部下の隣を、赤いシャツを着た白人の男が通り過ぎた。

 

 その男は周囲の様子がいつもと違うことに気付きながら、その場所から離れることなく観察を続けている。

 

(昨日までより明らかに人の数が少ない。露店は全部閉まってるし、工事をしているわけでもねえのに通行止めの場所がちょっと見ただけで四ヶ所)

 

 これまでとは明らかに異なる状況に、ヨアンは目付きが鋭くなっていく。

 

「匂うなァ……。ひょっとすると、ようやくアタリを引けるかもしれねェ」

 

 

 

「どうするあの赤いの? 殺しちゃっていいかな」

「放っておけ。それは仕事の範囲外だ」

 

 安宿の屋上に双眼鏡越しに赤シャツの男を眺める青年と、全身黒づくめの髭面の男が立っていた。

 片手で双眼鏡を持ったままの青年は、残った手で懐からビスケットを取り出して徐に口にする。

 

「にしても変な依頼だねミスター・ブレン。槍よりも盾をご所望とは」

「槍は自前なんだとよ。他人にやらせたくねェ理由があんだろ」

「ま、それならそれで構わないさ。僕ら組合の利益にさえなればね」

 

 

 

『分かってるだろうなアブレーゴ。この件に関して失敗は絶対に許されない』

「勿論です、首領」

『いいか、アメリカ人には絶対に手を出すな。猟犬の首だけを、きっちり落として俺の目の前へ持ってこい』

「ええ、無論です。……しかし、奴らが信用できるので?」

『FARCが寄越した精鋭部隊のリーダーはキューバの特殊海兵だ。腕は確かだよ』

 

 受話器の向こうから伝わる焦燥が、アブレーゴに伝播する。

 

『いいかアブレーゴ、今回アメリカ人どもの事は一切連中には知らせていない』

「なっ……」

『もしもの事があれば、後腐れのないようお前の手で始末をつけろ。それがお前の本当の仕事だ』

 

 

 

「定時報告。南東D4より勢力らしき集団近接しつつあり」

「同発準備完了。状況はブルー」

 

 無線機を飛び交う部下たちの報告を耳にして、キャクストンはその腰を持ち上げた。

 彼を含む部隊員全員が既に手筈を整えており、その手には拳銃やライフルが握られている。部下たちの顔をぐるりと見回して、キャクストンは一つ頷く。

 

「――――仕事だ。さあ始めよう、紳士諸君」

 

 誰が敵で誰が味方か。

 それすらも判別が付かない混戦へ、身を投じるのだ。

 

 




 更新遅れまして申し訳ないです。
 ネット環境が整っていないので、しばらく更新は不定期になりそうです。

以下要点。

・おっさんと少女の出会い。
・ロック空振り。
・エダ暗躍開始。
・雪緒、参・戦ッ。
・大混戦三秒前。

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