悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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034 跳梁跋扈の別天地

 

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 ゴールデン・スイギン・ナイトクラブの店内へ一歩足を踏み入れると、タバコや葉巻から漂う独特の臭いが鼻をついた。換気扇は回っているはずだが、殆どの人間が口に咥えているからだろう。薄暗い廊下であっても目視できるほどの大量の煙が充満している。

 廊下に立っていた男たちの皆が皆、俺を視界に捉えるやいなや姿勢を正して手元の煙草の火を消した。別にそこまで畏まる必要もないのだが、自分たちのボスと同列の人間への対応なんてきっとこういうものなのだろう。

 頭まで下げようとする輩を手で制して、案内人の後を続く。俺の後ろを歩く雪緒とグレイはこの煙草の臭いが苦手なのか、顔を顰めたり鼻を摘んだりしている。そんな二人に苦笑を浮かべていると、前を歩く男がその歩みを止め、身体を横へと移して道を開けた。

 

「ではお入りくださいミスター。皆様既にお揃いでございます」

 

 うげ、全員揃ってるのかよ。バラライカや張はともかく、ロニーなんかは絶対に小言を吐かしてくるぞ。無駄なおしゃべりが嫌いな俺としては一番嫌いなタイプだ。

 心の内では鬱屈とした溜息を吐き出しながら、しかし表面上はそれを噯(おくび)にも出さず、装飾が施された煌びやかな扉の取手に手をかけて室内へ踏み込む。

 案内人の男が言っていたように、中央の丸テーブルには既に主要メンバーが勢揃いしていた。それぞれが俺たちを視界に収め、値踏みするような視線を向けてくる。

 

「おいおいウェイバー、ここは妾を連れ込んでいいような場所じゃねえぜ。隣のモーテルにでも行ったらどうだ?」

「俺ンとこの部下だよロニー。どうした、随分と二人に反応するじゃねえか。溜まってんなら娼館に行ってこいよ」

 

 ジャブ程度の皮肉を適当にあしらって、空いていた席へと着く。雪緒とグレイは他の部下たちのように、ソファの背後に直立した状態で動きを止めた。取り敢えず一服、と煙草を取り出す俺の背後で、雪緒がじっとバラライカを見つめていることに気が付いた。

 一瞬、バラライカと雪緒の視線が交錯する。一触即発のような空気ではないものの、やはり雪緒にとってホテル・モスクワは組の仇以外には成りえないのだ。外見上の反応を見せなかっただけ、雪緒も成長したということだろう。

 

「そこのちっこいのに痛い目に合ってるから警戒してるのよ。イタ公ってのは小心者だから」

「ンだとこのアマ。ウォッカ漬けで頭がイカレちまってんじゃねえのか?」

「よせよトマーゾ。姉さんはロシアの田舎もんだ。社交ってもんを理解してねえのさ」

「イタ公の漫談を聞かされるのが今日の趣旨なのかしら? 寒さに耐えられそうにないわ。帰っていいかしら」

 

 おおう。議題が発表される前から既にこの有様である。互いが互いを毛嫌いしているもんだから、必然口汚くなっていく。

 このままではいつまで経っても話が進みそうに無かったので、少々強引にでも話を進ませよう。そう思い立って、テーブルの上に置かれていた灰皿へと咥えていた煙草を吐き捨てる。吐き捨てられた煙草は、綺麗な放物線を描いてガラス製の灰皿へと着地した。テーブルに着くメンバーたちの視線が一気に俺に集まる。うおう、目力すげえなこいつら。

 

「……こんな戯言を交わすために、ここに集まったわけじゃないだろう」

「なんだよウェイバー。らしくねえなぁ、何時もは黙りこくってるかばっくれるってのに、今日はやけに饒舌じゃねえか」

「お前程じゃねえよロニー。まさか本当にグレイ見てビビっちまってんのか?」

「安い挑発にゃ乗らねえよ。それに俺はちびっ子から直接被害を受けちゃいないからな。こんな辺鄙な所に飛ばされたことに関しちゃ確かにムカツクが、それだけだ」

 

 矯正器具が取り付けられた歯をかちかちと鳴らして、ロニーはいやらしい笑みを浮かべた。こいつが内心で何を考え、企んでいるのかまでは分からない。どうせ碌でもないことなのだろうけれど。

 

「ヘイ、アミーゴ。俺たちも暇じゃねえ。さっさと本題に入るってのには賛成だ」

 

 これまで口を閉ざしていたマニサレラ・カルテルのタイ支部ボス、アブレーゴがそう述べる。

 

「ああ、これは可及的速やかに処理すべき問題だ。話に入ろう」

 

 指を絡めて一際低い声音で張が呟く。 

 ここでようやく、俺たち黄金夜会が傘下を含めて召集された理由が明かされることになる。

 

「集まってもらったのは他でもない。以前この街で騒ぎを起こした女中についての続報だ」

 

 既に話を耳にしていた俺の他に、顔色を変えなかったのはバラライカとアブレーゴの二人。前者については恐らく独自の情報網を通して、後者については本国絡みで既に情報を手にしていたのだろう。唯一ロニーだけが前回の事件を知らないため、訝しげに眉を顰めている。

 

「端的に言おう。その女中の目的は爆殺された当主の仇討ちだ。そして、その敵はこの街に居る」

 

 張の言葉に対しての反応は様々だった。

 口を閉ざし、張の次の言葉を待つ者。部下と母国語で何事かを交わしている者。余裕を崩すことなく、口角を歪めている者。

 そんな中、俺はと言えば。

 

「ええと、すみませんウェイバーさん。ちょっと聞き取れなかったんですけど……」

「ああ、殺人メイドがこの街に潜伏してるって話さ」

 

 流暢に話される英語の通訳を雪緒相手に行っていた。俺と雪緒が話す際は基本的に日本語である。雪緒も日常会話程度の英語を話すことは出来るが、ネイティブな話し言葉となるとまだ完全に理解することは出来ないのである。

 因みに、俺と雪緒が事務所で日本語を使用している影響からか最近グレイも少しずつ日本語を話すようになった。こちらについては雪緒が先生役となって暇を見つけては教えている。

 

「おじさん」

 

 ぽつりと、俺の座るソファの後ろから声が掛けられる。それも日本語でだ。視線だけをそちらへ向ければ、グレイが艶やかに微笑んでいた。

 何事かと思っていると、彼女は小さな声音で。

 

「私、そのメイドさんに会ったわ」

 

 オイ。一体何時だ。

 思わず頭を抱えたくなる衝動を何とか堪え、僅かに眉を顰めるのみに留める。グレイとロベルタが遭遇とか、色々な意味でカオスな空間が出来上がってしまう未来しか見えないんだが。幸か不幸か辺り一面がグロテスクな現場が発見された、という情報は入っていないので戦闘には発展していないのだろうが、それでもかなり危険な邂逅である。

 

「どうしたウェイバー」

「いや、話を続けてくれ」

 

 唐突なグレイの告白を一旦頭からもみ消して、何食わぬ表情で張に先を促した。この娘っ子に聞きたいことは色々とあるが、この場でそれをするわけにもいかない。

 雪緒の方も「メイド」という単語に思い当たる節はあるだろう。何せ俺にその情報を最初に齎したのが彼女なのだから。その正体がとんだ殺戮人形ということは知らなくとも、テーブルの雰囲気から物騒な類であることは簡単に想像することができるはずだ。

 

「奴はこの街で爆殺された主人の仇討ちをしようとしてる。つまりはそういうことだ」

「成程な、そいつを解決すりゃあいいんだろうミスター張。簡単な話さ」

 

 場にそぐわない程陽気な声と共に、ロニーがパンと手を叩いた。

 

「ここにいる面子主催でそのメイドと奴さんの仲直りパーティーを開いてやろう。クリームたっぷりのケーキにどでかいチキン、高級シャンパンを用意して盛大にな」

 

 危機意識など全く感じないロニーの口から飛び出したのは、そんな絵空事だった。

 当然、他の連中がそんな戯言に付き合う筈もなく。俺の斜め前に座るバラライカから、呆れと侮蔑を大いに含んだ溜息が吐き出される。

 

幹部会(クーポラ)はコメディーの興行も始めたのかしら。薄ら寒いイタリアン・コントに付き合う気はないのだけれど」

「ハッ、イワンのおのぼりさんにゃあ余興の一つも出してやる余裕が無ェと見える。寒空の下裸でウォッカを浴びるだけが芸じゃねえぜ」

 

 ロニーの言葉に、バラライカの瞳が不快そうに細められる。

 一触即発の空気が徐々に場を埋め尽くしていく。おい止めてくれ、ちっとも話が進まない。そんな俺の内心など露知らず、飛び交う言葉には刺々しさが増していく。

 

「成程、確かに人を不快にさせるという点ではヴェロッキオよりは格上のようだ」

「俺をそこのお嬢ちゃんに喰われた惨めな同胞と一緒にしてくれるなよ」

 

 肩を竦めながらそう宣うロニーの視線は、俺の後ろに佇むグレイへと向けられていた。挑発でもしているつもりなのか、愉快そうに口元を歪めている。

 そんなロニーの視線に晒されているグレイは、クスリと小さく嗤って。

 

「おじさんじゃあ、口直しのロゼッタにもなりはしないわ」

「……なんだとこのガキ」

 

 グレイの挑発に、ロニーの部下であるトマーゾが一歩前へ出ようとする。

 が、それをロニーは手で制した。口元は弧を描いたまま、声のトーンは一切変わらない。

 

「よせトマーゾ。お前が挑発に乗ってどうする、下らねえ真似するなよ」

「っ……。すみません」

 

 黒髪をオールバックにした白人の大男が、顔を下げて元の立ち位置へと戻る。

 嫌な雰囲気だ。剣呑な空気が漂っている。これじゃおちおち口を開くことも出来やしない。

 もういっそのこと、知らん顔して寝たフリでもしてしまおうか。緊急招集による拡大集会なんて場では間違ってもするような真似ではないが、いい加減罵り合いには飽きてきた。いつまで経っても本題が進まない連絡会に意味など無いに等しい。見たくもないツラを拝みに来た訳ではないのだ。

 

「娘子供に言い負けるなんて、組の程度が知れるわね」

「そう言うなよ火傷顔(フライフェイス)。テメエの兵隊だって頭と胴体がお別れしたんだろ? 程度は変わらねえさ」

「……随分とよく喋る。口と拳が釣り合っていれば、長生きできるかもしれんぞ」

 

 尚も止まない罵り合いに若干の苛立ちを感じつつ、俺はゆっくりと瞼を下ろした。

 ……ううむ。どうもポジショニングが悪い。簡潔に言えば座り難い。ケツの収まりが悪いというか、ソファの丁度窪みの部分から外れてしまっている。寝落ちした体で行こうというのに、じりじり動くのも格好が悪い。ここは一旦脚を組替えて、そのタイミングで微調整することにしよう。

 瞳を閉じたまま、出来るだけスタイリッシュに右脚を振り上げ、左脚へと引っ掛けようとイメージする。

 

 イメージは完璧、いざ実行である。

 脳内に再生される己の姿を再現するため、敵の顎を蹴り上げるような勢いで右脚を振り上げる。

 その瞬間右脚に感じた違和感。何かを蹴り上げたような感触が、革靴越しに伝わってくる。

 

 数秒後、鈍い衝突音とガラスの破砕音が室内に響き渡った。

 

 

 

 

 27

 

 

 

 

 黄金夜会のメンバーが一堂に会する拡大集会が行われている夜のロアナプラ。心なしか街の喧騒も普段より小さく感じるのは、傘下の連中までをも巻き込んだ拡大集会のせいだろうか。

 そんな悪徳の都の一角。街の外れに聳える教会の礼拝堂に、二人の姿はあった。

 最前列の開けた場所に木製のテーブルが置かれ、その上には使い古されたカードが散らばっている。その横には無造作に置かれた紙幣が数枚。対面する二人の表情は対照的だった。

 

「……ツーペア」

「フルハウス。いやー相変わらず賭け事にゃあ向かねえなぁレヴィ」

「っだぁくそ! もう一回だクソアマ!」

 

 叩きつけられた紙幣をいそいそと回収して、エダは全身から不機嫌オーラを吹き出しまくっている女ガンマンを見やる。彼女の機嫌が悪いのはいつものことであるが、今日はそれに拍車がかかっているように見えた。

 

「どうしたよ、いつにも増して突っかかるじゃねえの」

 

 ぶすっとした表情のまま、レヴィは配られたカードを拾う。

 張からの依頼については既にエダも聞かされていた。メイドを探すのを手伝う、なんのことはない仕事の筈だ。一時は没落したとはいえ、南米十三家族に名を連ねるラブレス家直々の依頼である。報酬は勿論のこと、名を挙げるには絶好の機会だろう。

 だからこそ、エダはここまでレヴィが不機嫌になる理由が分からなかった。

 

「ミスター張の依頼絡みか? いいじゃねえの、断るのも難しいし、名も挙がるってもんだ」

「馬鹿野郎。そういう問題じゃあねえんだよ」

「だったら何だってんだ。まさかウェイバーの旦那絡みじゃねえだろうな」

「そっちのほうが遥かにマシだ。下手に突っつきゃ仲良く火の粉を被る羽目になる」

 

 レヴィの言い回しに引っ掛かるものを感じて、エダは眉を顰めた。

 

「……お前さんの銃は、一体ドコ(・・)を向いてんだ?」

「アタシのじゃねえよ。クソ眼鏡が向けてんのさ」

「その奴さんは何したのさ」

「メイドの主人を月の裏まで吹っ飛ばした。やったのはサムおじさんと愉快な仲間たちだ」

 

 ぴたりと、カードを切ろうとしたエダの動きが止まる。そのまま視線だけをレヴィへと向け、確かめるように問い掛ける。

 

「……合衆国の、軍隊が?」

 

 先程までのおちゃらけた様子はナリを潜め、声のトーンが明らかに変化する。

 他人事のように同意してみせるレヴィに、静かに「そうか」とだけ返したエダだったが、その内心は穏やかではなかった。

 

 知らない(・・・・)

 アメリカ合衆国が所持する軍隊が動いているのであれば、それはエダの耳に届いていなければならない。

 何故ならば彼女の本業は修道女などではなく、CIAの工作員なのだから。

 彼女の任務はロアナプラを始めとする東南アジアに情勢が不安定となるような種を持ち込み、アメリカ本国の利益となるよう誘導することである。その為にわざわざ暴力教会を隠れ蓑にし、影からこの街の動向を監視してきたのである。

 本国が関わる案件はこれまで必ず彼女に伝達されていた。そうでなければエダがこの街に留まる意味がない。短期的にアジア地域に不安定を持ち込めるわけもなく、長期的に情勢を把握しなければ工作活動は始まらないのである。

 故に、エダがアメリカ絡みの一件を耳にしていないという事実は見過ごすことのできないものだった。

 必然、エダの視線は鋭くなっていく。

 

「そういうこった。メイドは真っ赤、ご当主様の仇討ちをこの街でやろうとしてんのさ」

「……この件にウェイバーの旦那は何て言ってんだ?」

「大々的にゃ動けねえとよ。尤も、ボスがその気になりゃあ肥溜めのシガラミなんてあってないようなモンだけどな」

 

 言いながら酒が並々と注がれたグラスを呷る。

 手持ちのカードに視線を落として、レヴィは苛立たしげに舌を打った。

 エダの視線は、そんなレヴィへと固定されたまま動かない。

 

「それで? 合衆国の軍隊がこんな街に何の用だ」

「アタシが知るかよ。張の旦那は何か勘づいてる風だったが、素直に教えてくれるたあ思えねえ。一つ言えるのは、政府が横槍入れてきていいことなんざあるわけがねェ」

「そりゃご尤もだ」

 

 世界最強を謳うアメリカ合衆国だが、当然一枚岩という訳ではなかった。

 エダの所属するCIAの縄張りを踏み荒らすような真似をする連中など、本国に幾らでものさばっている。そんな無数にある組織のうちの一つが、今回無断で作戦を指揮している。そうエダは推測していた。

 面白くない。実に面白くない。

 敵は外側だけに留まらないという当たり前の事実が、エダには不愉快でしか無かった。

 

「レヴィ」

「ああ?」

「本当に星条旗の連中(スターズ・アンド・ストライプス)が相手だってんなら、こいつは笑い話じゃ済まねえぜ」

 

 カードを無造作に切る彼女の瞳に、普段のおちゃらけた雰囲気は無い。

 

「黄金夜会が動いてんのは知ってンだろ。今回の件は深くてデカイ(・・・・・・)。張の旦那に火傷顔、おまけにウェイバー(アンチェイン)。そこにメイドと合衆国の軍隊なんぞ混ぜ込んでみろ、ポップコーンみたいにこの街は弾け飛ぶ」

 

 最悪の場合、タイの港街が地図から消えるなんてことも考えられる。それほどまでに事態は切迫しているとエダは見ていた。

 張やウェイバーが考えなしに行動を起こすとは考え難い。それぞれが何らかの思惑のもと動いていることはなんとなく予想がつく。いや、ウェイバーに関して言えばそれ以上のことはてんで分からないが。

 今頃行われているであろう連絡会で、街の方針くらいは決定されるだろうか。罵詈雑言の飛び交うあの場所で、順調に話が進むとは思えないが。

 一先ず今は街の動向を監視することが先決だと断じて、手持ちのカードを一枚捨てる。

 山から引いてきたカードを見て、エダはカードをテーブルに広げた。

 

「ストレートフラッシュ。五十ドル寄越しな」

 

 

 

 28

 

 

 

 それは、一瞬の出来事だった。

 黄金夜会に名を連ねる組織の代表と部下、そして傘下の組織までも招集した拡大集会の場において、男の取った行動は自殺行為と言われても仕方のないものだ。夜会筆頭の四組織の代表が着くテーブルを無言で蹴り飛ばすなど、一体誰が出来ようか。仮に出来たとして、数秒後に命が刈り取られることなど容易に想像がつく。そんな命知らずな真似、普通の人間であれば絶対にしない。

 テーブルの上にあったグラスや灰皿、酒瓶は見事に宙を舞い、重力に従って床へと落下。幾つもの破砕音が室内に響き渡る。

 もう一度言うが、この場においてその行動は自殺行為に他ならない。

 しかし、この男にだけはそれは当て嵌らなかった。

 

 ウェイバー。黄金夜会にただ一人単身で名を連ねる大悪党。

 彼は振り抜いた右脚をゆっくりと左脚に乗せて、閉じていた瞼を持ち上げる。

 瞬間、何人かの息を呑む音が聞こえた。研がれた刃のように鋭く、それでいて光すらも吸収してしまいそうな程暗く黒い瞳に見据えられては、それも無理のないことだった。

 だがその程度の睨みで動じるほど、黄金夜会とは安い組織ではない。多少の動揺はあったものの、大多数の人間はそれを表に出すことはせずウェイバーへと視線を向けた。

 

「オイオイなんのつもりだウェイバー。俺はアンタと円舞曲(ワルツ)を踊る気はねェぞ」

「……本当におしゃべりだな、ロニー。いつからお前はサメからウッドペッカーになったんだ?」

 

 口を開いたロニーへ、鬱陶しそうにウェイバーが返す。

 不愉快そうに眉を顰めるロニーだったが、それ以上の口出しをすることは無かった。ヴェロッキオの後任ということもあり、ロニーはこの街に来て日が浅い。にも関わらず組織をある程度制御出来ているのは、ひとえに彼の能力の高さ故である。

 ロニーはウェイバーに関する噂の類を実際に目の当たりにしたことはない。が、本能的に察している。

 ホテル・モスクワよりも、三合会よりも。敵対してはいけないのは目の前にいるたった一人の男だと。

 

 件の男、ウェイバーは一度息を吐いて、周囲をぐるりと見回した。

 

「なぁ、俺がどうしてこの二人を連れてきたか分かるか」

 

 二人、とは言うまでもなく銀髪の殺人鬼と日本から連れてきた女のことだろう。

 普段であれば一人で来るかばっくれるウェイバーが、わざわざ二人をこの場に連れてきた理由。周囲を囲む男たちが、一斉に思考を巡らせる。 

 突発的な行動には定評のあるウェイバーである。後先考えず連れてきたという可能性も、無いわけではない。だが、こうして敢えて口に出す程だ。何か裏があってのことだと勘繰るのは必然。そしてそれは、ソファに腰を下ろす各支部長たちも同じだった。

 

「ヘイセニョール、そいつは俺のグラスをおしゃかにした理由になるのか」

 

 アブレーゴのドスの効いた声にも、ウェイバーは一切表情を変えることなく言い放つ。

 

「おしゃかになったのがグラスで良かったなアブレーゴ」

「なんだとっ」

「……やめろグスターボ。俺の顔に泥塗るつもりか」

 

 部下の頭を押さえつけるようにしながらも、アブレーゴはウェイバーから視線を外さない。

 その視線の意図を知ってか知らずか、ウェイバーは底冷えしそうな平坦な声で告げた。

 

「下らねえ罵り合いを聞かせにきたわけじゃない。無関係じゃいられないからだ」

 

 背後に立つグレイと雪緒を見やり、ウェイバーは続ける。

 

「グレイは既に女中と接触してる。噂を嗅ぎ付けたのは雪緒だ。分かるか? 俺の知らない(・・・・)所で、縄張が踏み荒らされてる。俺はそれが我慢ならない」

 

 切れ長の瞳で値踏みするように睨めつけられては、グスターボも口を閉ざすしかなかった。

 

「これは既に夜会の上層で食い止められるような話じゃない。下手を打てばこの街全てが戦場になる、そういう話だ。分かったら円滑に話を進めてくれよ、血を見るのは趣味じゃない」

 

 そう言ってウェイバーはソファに座り直し、再び瞼を下ろした。

 室内に居る人間たちは、ウェイバーの語った内容そのものよりも、ここまで長々と語ったことそのものに危機感を抱いた。

 普段のウェイバーであれば、話を振られない限り殆ど口を開くことはない。沈黙は金なんて言葉を体現しているかのようである。そんな男が、ここまで饒舌に話したのだ。この一件は既に他人事ではないと示しているようなものだった。

 二人を連れてきたのも、巻き込まれる可能性が高いから。そう傘下の人間たちは思い至る。敵には一切の容赦をしないウェイバーだが、味方には甘い一面もあると聞く。渦中に放り込まれる可能性がある二人にも、事のあらましを伝えておきたかったのだろう。

 

 そう考えているのは、あくまでも室内に居るだけの人間たちだった。

 ホテル・モスクワ。三合会。コーサ・ノストラ。マニサレラ・カルテル。これらの組織の人間は、ウェイバーが裏で何か企んでいることを行動と言葉の流れから察していた。テーブルを蹴り上げてまでして話したかったことが、あんな極々当然の事である筈がない。 

 そもそも、今回の件の概要を説明するだけならウェイバー一人で事足りる。ガルシアと張、ラグーン商会が集まったサンカン・パレス・ホテルにはウェイバーも居たのだから。

 つまり、ウェイバーの狙いは二人に話を聞かせることではなく、この場に立たせることそのものにあった。

 その狙いなど聞くまでもない。黄金夜会に対する牽制だ。

 根っこの部分を掘り返していけばマニサレラ・カルテルが発端となった一件を話し合う場に、ホテル・モスクワとコーサ・ノストラの構成員を喰い漁った死神。そして三合会からの依頼をこなす中で拾うこととなった裏世界の少女を連れてきた。

 牽制というよりは、警告という方が正しいのかもしれない。

 

 マフィア同士睨み合うなら好きにしろ。その間に咬み殺されるのは一体誰か。

 

 そんな言葉が聞こえた気がした。実際に口にはしていなくとも、ウェイバーの表情がそう語っていた。

 

「……爆破事件と俺たちは無関係だ。米国(グリンゴ)の兵隊についてもな」

 

 重苦しい空気の中で切り出したのはアブレーゴだった。新しいグラスに酒を注ぎ、それを一息に飲み干す。

 

「あの女中は未だにFARCの中じゃ一等のお尋ね者でな。ボスからは見つけ次第殺せと命令を受けてた。米国の特殊部隊についちゃ関わる気はねえが、女中については狩らせてもらう」

「……フフ、いいじゃないか。意外に骨はあるようだな」

 

 バラライカは葉巻を咥えたまま口角を歪め、愉快そうに目を細めた。

 

「女中をどう料理しようが我々は一向に構わん。ウェイバーもそのつもりだったんだろう?」

「…………」

「オイオイ勝手に話を進めんじゃねェよ野蛮人ども。俺たち文明人は金にならない殺しはしねェんだ」

 

 不満げに声を上げたロニーへ、バラライカは冷ややかな視線を向けて。

 

「イタ公、戦争が嫌ならコメディーの練習でもしていろ。我々の相手は女中などではなく、その相手の方だ」

「特殊部隊相手にするってのか? 正気じゃねえウォッカの飲み過ぎでおかしくなったんじゃねえのか」

「ヘイ、よしな。さっきも言ったが俺たちはアメリカと事を構えるつもりはねえ」

 

 ウェイバーの警告もあって、内輪揉めの様相は縮小していた。

 次いで問題となるのは対外的にどこを相手とするかだ。

 マニサレラ・カルテルはFARCと協力関係にあるため、連携を円滑にするためにも女中の首を持ち帰りたい。

 ホテル・モスクワは麻薬撲滅作戦、もしくはこの街に潜むシンジケートの誰かを始末するためにやって来た合衆国の軍隊を撃滅し街の安定化を図る。

 コーサ・ノストラは利益とならない殺しには手を出さないとして、静観を決め込む腹積もりでいる。

 三者三様、腹に抱えた目的のため、標的となるものが違っていた。

 

 ちらりと、張は横目でウェイバーを捉える。

 依然として口を噤んだまま、会話に入ってくる素振りはない。恐らくは先程で必要な仕込みは終えているのだろう。何を考えているのかは全く予想できないが、彼に限っては街に不利益となるような行動を起こすことは無いはずだ。

 となれば残された問題は。

 

「……この悪徳の都が表沙汰にならないのは、集う全ての人間たちの思惑が一致していたからだ」

 

 持っていた煙草を床に捨てて踏み潰し、張は続ける。

 

「相互利益のため、刺激的な仕事を世間の目から背けるため。俺たちが禍根を乗り越え協力してきたからこそ、今のこの街がある」

 

 騙し合い、奪い合いながら。しかしそれでもロアナプラが世間でニュースとならないのは、悪党どもの認識が一致していたからだ。

 たった一度でも表側の人間の介入を許してしまえば、それだけでこの街は朽ち果てていく。それほどまでに危険なバランスで、辛うじて体裁を保っているのがこの街、「現代の海賊共和国(リベルタリア)」と呼ばれるロアナプラだ。

 

「三合会としての見解を述べよう。女中、並びに合衆国軍隊との直接対決は最後の瞬間まで避けるべきだ。俺たちは街の存続を第一に行動する」

「腑抜けたことを言うじゃないか張。鉛弾を食らって随分と小さくなったな」

「俺は戦闘狂じゃないんだミス・バラライカ。……いいか、己の利益を優先して動くのは結構。だがこれだけは言わせてもらう」

 

 サングラスの奥の瞳が、鈍く光る。

 

「そうなったが最後、ここには誰もいなくなる。誰も(・・)だ」

 

 

 

 29

 

 

 

「は? なんだって」

『この戦闘狂が』

「そこじゃねえよその前だ」

 

 大通りから中へ一本入った路地を歩きながら、ヨアンはそう言い放った。彼の手には携帯電話が握られており、通話口からは僅かに向こうの声が漏れている。

 

『今日の昼過ぎ、ああタイ時間のね。コロンビアからバンコクまで旅客機ナンバーの航空機が二台飛んでる。正規ルートを通ってないし、多分ナンバーも偽装されてるよ。ちょっと調べればわかると思うけど』

「コロンビアっていやあ」

『FARC。ロザリタ・チスネロスが所属していた組織ね、私には無関係とは思えないけど?』

「……だな」

 

 クラリスからの報告は、ヨアンの警戒度を更に高めるものだった。

 合衆国。コロンビア革命軍。ロザリタ・チスネロス。そしてこの街に巣食う、極大な悪党たち。

 それら全てが今、この街に集結せんとしているのだ。

 

「まあ第一目標はウェイバー。それに変更はねーけど」

『そのウェイバーは見つかったの?』

「いんやサッパリ。誰に聞いても話そうとしねえんだ。酒場の店主も無言を貫きやがる」

 

 しかし逆を言えば、誰も知らないと口にしていないのだ。

 あの男について気安く口にできないような何かがあることは、これまでの経験で十分把握している。 

 居る。確実にこの街にウェイバーは潜んでいる。自然、ヨアンの口元は歪んでいた。

 通話を終えた携帯電話をしまい、大通りへと向かう。

 

(……どこぞのVIPでも来てんのかね)

 

 やたらと目に付く黒服の男たちが周囲を囲む建物を横目に、そんなことを考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・連絡会後

「すごかったわねおじさん。テーブルを蹴り上げた後の睨みなんて私鳥肌立っちゃった」
(爪先痛くて涙ぐむの堪えてたなんて言えねえ……)

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