悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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032 騒乱の中心部へ

 

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 突如として炸裂した白い粉塵は、瞬く間にイエローフラッグを飲み込んだ。床に叩きつけた音からして閃光弾や煙幕の類かと思ったが、どうやらそれは俺の思い違いであったらしい。

 何故そんなことが分かるのかと言われれば。

 

「眼が、眼がァッ!?」

「なんだこりゃ痛ェ! とんでもなく眼が痛ェ!!」

「涙が止まらねえしなんも見えねえぞオイ!」

 

 イエローフラッグの至るところから、野太い男どもの泣き叫ぶような声が聞こえてくるからである。

 あのメイド少女が使用したのは催涙ガスだったようだ。マニサレラ・カルテルの連中はそれをモロに食らってしまったようで、まともに身動きが取れなくなってしまっているのだろう。

 

「いやホント、おっかねえことするなァあのチビッ子」

「呑気に宣ってんじゃねえよこの野郎」

 

 カウンター内部に身を滑り込ませて一息付けば、隣で身を屈めていたバオにそんなことを言われてしまう。

 バオの向こうにはレヴィとロックの姿もあった。咄嗟に避難を完了(ロックに関しては投げ込まれた)させる辺り、かなりイエローフラッグでの厄介事への対処がスムーズになってきている。

 

「というか何なんだあのチビッ子、ロックの知り合いなのか?」

「い、いえ。俺も初対面ですよ。ただあの子、ガルシア君の家のメイドみたいで」

「あのクソアマの同類ってこったよボス」

 

 因みに今現在、俺を含めた四人は皆一様に防毒マスクを着用している。カウンターの裏に用意されているものを使用しているのだ。

 何故こんな物が酒場に用意されているのかといえば、何年か前にイエローフラッグ内で毒ガスをぶち撒かれたことがあったからである。そこには偶然俺も居合わせていたが酷い有様で、何人かはその毒にやられて三途の川を渡ってしまった。それ以降緊急時の対応として複数の防毒マスクが置かれるようになったのだ。店内の装甲板しかり防毒マスクしかり、年々イエローフラッグが要塞のようになってきているのはきっと俺の気のせいではないだろう。この酒場は一体どこに向かっているのだろうか。

 というわけで催涙ガスの被害を受けることは免れたのだが、どうもカウンターの向こうでは銃撃戦が始まったようだ。無数の銃声と怒声が耳に届く。

 

「そうだレヴィ! テメエ仕掛けやがったな!?」

「面白くなっただろ? それにボスが目で「やれ」って言うもんだからよ」

 

 いや言ってねえ。断じて言ってないぞそんな事は。

 

「……彼女を助けたのか?」

「あのジャリがくたばっちまえば用向きも聞けなくなる。それじゃつまんねェだろ?」

 

 ロックの問い掛けにもレヴィは飄々とそう答える。

 基本的に好戦的なレヴィである。目の前でドンパチを起こされて参戦しないことなど少ないのだが、どうやら今回は見に徹するスタンスらしい。催涙ガスがようやく晴れて視界が確保された店内で、酒瓶とグラスを手に口元を歪ませている。

 俺もレヴィに続いて防毒マスクを外そうかと思ったが、完全にガスが流れるまではやめておこう。少しでも目を痛めるリスクは排除しておきたい。隣のバオやロックなんかはやれやれといった面持ちでマスクを外していたが。

 

 尚もカウンターの向こうでは銃声が止まない。

 どころかより一層その激しさを増しているようである。

 あ? なんだこりゃマシンガンか? 50口径くらいありそうだぞ。

 スコールのような弾丸の嵐が真横から降り注ぐ。恐らくは店外に停めてあった戦闘車両に装備されていた機関銃だろう。イエローフラッグが蜂の巣にされていく光景を他人事のようにぼんやりと眺める。

 

「おいテメエこのイカレメキシコ野郎(スピック)!! 何考えてやがるッ!!」

 

 自分の城を現在進行形で無残に破壊されているバオにしてみれば堪ったものではなく、カウンターから身を乗り出してカルテルの連中に怒声を浴びせていた。

 

「うっせえぞバオ! それよりもあのガキは粉微塵に吹っ飛んだかッ!?」

「それよりもだぁ!? テメエ俺の店をオープンカフェにでもしようってのかクソッタレ!!」

 

 そんな二人の口論を、レヴィはケラケラと笑いながら眺めていた。その横ではロックが頭を抱えている。出来ることなら俺も同じように頭を抱えて蹲りたいものだ。が、そんなことをして視界を塞げばどこから弾が飛んでくるか分からない。そんな自殺行為をするわけにはいかなかった。

 バオとの口論に嫌気が差したのか、懐から拳銃を抜いてグスターボも少女に向かって飛び出していく。

 開戦当初と比べ、カウンターの向こうから聞こえる銃声の数は徐々に減ってきているようだった。あの小さなメイドがカルテルの連中を確実に殲滅しているということだ。仮に少女がくたばっているようなら、今もこうして銃声が轟いているはずがない。

 防毒マスクを装着したままの状態で、ゆっくりとカウンターから顔を出す。

 銃声が断続的に響くのは変わらずだが、その数が明らかに減ってきていることで事態が沈静化しつつあることを確信した。

 果たして俺の予想の通りに、視界の先には倒れ臥したカルテルの連中と肩で息をする少女の姿があった。グスターボも足を撃たれたのか、膝の辺りを押さえて蹲っている。店の外に待機していた戦闘車両の銃口も破壊されており、操縦者も血濡れで微動だにしない。この様子だと少女以外は戦闘不能になったと見ていいだろう。

 カウンター内部に身を潜めているレヴィとロックに視線を送り、銃撃戦が終了したことを伝える。

 

「はぁ……。本当に最低なところ」

 

 溜息と共に少女はそう零す。

 

「セニョールロック! まだこの世におられますか!?」

 

 店の内部に向かって声を張る少女の問い掛けに応じて、ロックはよろよろとカウンターから立ち上がった。

 

「不思議なことに生きてるよ」

「ああ、それは良うございました。貴方方に死なれてしまうとその分お屋敷が遠のきますので」

 

 安堵した様子でそう呟く少女の元へとロックとレヴィは歩いていく。

 そんな二人を他所に、俺とバオは薬莢が散蒔かれた床に腰を下ろし、ぼんやりと天井を見上げていた。

 

「…………オイ」

「分かってるよ。バーツか? ドルか?」

「50口径でも貫通しねえ壁に造り変える。あと窓も防弾だ」

 

 憔悴しきった表情を浮かべるバオの肩を無言で優しく叩いて、俺もカウンターの向こうへと踏み出した。

 

「……そちらの方は?」

 

 途端、少女から訝しげな視線を向けられる。いやまぁ、マスクを付けたままの男を見たら大抵はこういう反応をされるのだろうが。しかし完全にガスが霧散するまでは外すわけにはいかない。最近視力が落ちてきているのだ。これ以上眼にダメージを与えるわけにはいかない。せめて店外に出るまではこの格好を通させてもらう。

 俺の出で立ちに関して、レヴィやロックは何も言わない。俺がこの頃眼を大切にしていると知っていたのだろうか。誰かに話した記憶はないが、大した問題でもないので蒸し返す必要もない。

 見れば少女も早々に話を進めたいようだったので、会話の先を促して俺は聞き役に徹することにしよう。

 

「ファビオラちゃん、今ダッチ……うちのボスと連絡がついた。直ぐに車を寄越してくれるみたいだから、それを待っての移動でいいかな」

「ええ、私もご一緒させていただきます」

「それとボスもな」

 

 くいっと親指を俺の方へ向けて口角を吊り上げるレヴィ。

 マスクの下で俺は「ん?」と小さく零した。どうしてそんな流れになるのか。

 

「そのマスクの方は部外者では?」

「オイオイちびっ子、この街について何もお勉強してこなかったのか?」

 

 懐疑的なファビオラを嘲るように、レヴィは俺を指差したまま。

 

「最強の矛が舞い込んだのさ。有り難く頂戴しなロリータ」

 

 

 

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「バオにゃあ同情するぜ。ありゃこれまで見た中でも一等ひでぇ壊れ方だった」

「僕はそれよりも後ろの彼女に驚かされたけどね」

 

 ミラー越しに映る小さな少女を視界に収めて、そうベニーが呟いた。

 店の七割が損壊したイエローフラッグにダッチとベニーが駆け付けたのが今から十分程前のこと。六人を乗せた車は現在ガルシアが待つというサンカン・パレス・ホテルへ向かって走行中だった。助手席にダッチ、その後ろにウェイバー(マスク着用)、真ん中にロック、その隣りにレヴィ、その膝上にファビオラという車内図である。

 

「全くだベニーボーイ。お前は何だ、あいつの娘かなにかか?」

「私も婦長様もそんな年齢ではありません。……それよりも、その」

 

 僅かに言い淀むファビオラはエプロンの裾を握りしめて。

 

「こ、この座席位置はどうにかならなかったんですか?」

「この車は五人乗りだよお嬢さん。嫌ならトランクが空いてる」

「ヘイロリータ。背中から擲弾筒(グレネード)が飛び出してるぜ」

「やめなよレヴィ」

「…………」

 

 後部座席の喧騒に頭を抱えるダッチだったが、その中で無言を貫くウェイバーが気にかかった。

 

「なぁウェイバー。アンタいつまでそのマスク着けてるつもりだ?」

「…………」

「よせよダッチ、ボスにゃあ考えがあるんだろうさ。聞くだけ野暮ってもんだぜ」

 

 そう言われてしまうと反論は出来なかった。これまでウェイバーの一見無意味にしか見えない行いは、後々必ずどこかで役に立ってきた。今回もそうなのだと言われると、ダッチとしても二の句を次ぐことは出来なかった。

 ダッチを黙らせたレヴィの言葉。それに反応したのはダッチでもロックでもなく、膝上に乗っかる小柄な少女だった。

 

「……ウェイバー?」

 

 先程も酒場で同じ名前を聞いた。カルテルの男たちが口にしていた名だ。

 無意識のうちにエプロンを握る手に力が込もる。それは、その名は。少女にとってかけがえのない人物の名だ。それをこんな野蛮で粗暴な人間たちに、平然と口にして欲しくはなかった。自然、ファビオラの視線は尚もマスクを着用したままの男へと向けられる。

 

(……こんな男が、あの人と同じ名前だなんて)

 

 怒りにも似た感情を抱きながらも、ファビオラはそれを必死に押しとどめた。

 先程酒場でその名を耳にした時は咄嗟に本人かどうかを確かめてみたいとも思ったが、よく考えてみればあの人がこんな肥溜めのような街にいるはずがない。

 そも、同じ名前の人間が居たとしても何ら不思議ではないのだ。それこそウェイバーという名だ、特に珍しい名前でもない。

 故に現在ファビオラが気になっているのは、先程レヴィがマスクの男について『最強の矛』と評した点である。

 どう見てもただの変人にしか見えないのだ。先程の酒場での騒動を無傷で切り抜けているところを見るにそこそこ場馴れしていそうではあるが、今自身を膝に乗せているレヴィや助手席に座る黒人の大男と比較するとどうしたって見劣りしてしまう。

 

 一体何をどうすれば今も肘を着いて窓の外を眺めている男が最強の矛とまで言われるようになるのだろうか。

 おちょくられているのでは、とファビオラが勘繰るのも無理からぬことだった。

 

「あの、本当にこのマスクを着けた方が婦長様を探す手がかりになるのですか?」

「なんだよちびっ子。アタシの言うことが信じられねェか?」

「どう見ても頼りになるとは思えません」

「その点に関しては問題ないよ」

 

 ファビオラの言葉に、レヴィに代わりロックが返答する。

 

「この人はこの街でも指折りの実力者だ。ロシアン・マフィアだっておいそれと手出しは出来ないし、君の所の婦長とも過去にやり合ってる」

「そんな、婦長様と……!?」

 

 途端にファビオラの目が驚愕で大きく見開かれる。ロベルタの強さを知っているが故の反応だった。

 信じられないと目を丸くするファビオラに、ロックは続ける。

 

「ウェイバーさんなら間違いなく君たちの助けになってくれると思うよ」

「……この方が、ですか」

 

 ロベルタとやり合ったという話を聞いても半信半疑のファビオラに、頭の上からレヴィが問いを投げた。

 

「なぁ、ラブレスのメイドってのはイランの大使館に乗り込んで人質取り返してくるような奴だらけなのか?」

「……ラブレス家には現在私を含め六人の女中が在籍しておりますが、以前より武器の扱いが出来たのは婦長様と私だけです」

「以前ってことは、今は」

「そうですセニョールロック。現在は全員が何かしらの武器、武術の心得があります」

 

 ヒュー、とベニーの口から口笛が漏れた。

 メイド全員が武装兵士という事実に、ロックも口元が引き攣った。レヴィだけは面白そうに少女を見下ろしていたが。

 

「ま、なんにせよサンカン・パレスはそこの交差点を曲がれば直ぐだ。詳しい話は着いてからにしよう」

 

 ダッチの言葉に、ロックもレヴィも開いていた口を閉じた。

 ロアナプラという港街で比較的小奇麗な建物が並ぶ地区。その中でも一際豪奢な建造物が、交差点を曲がってすぐに姿を現した。

 

 

 

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「あら、お帰りグレイちゃん」

「ただいまお姉さん」

 

 事務所の扉を開いて戻ってきたグレイを、部屋の掃除をしていた雪緒が笑顔で出迎えた。が、そんな笑顔も一瞬のこと。グレイの口元に付着した小麦粉の皮を発見した瞬間、雪緒の表情が氷点下にまで低下した。

 

「グレイちゃん?」

「なぁにお姉さん」

「何を買ったのかしら」

「な、何も食べてなんかいないわ」 

「へえ、食べ物を買ったのね?」

「はッ!?」

 

 墓穴を掘ったグレイに、逃げる術は残されていなかった。

 約十分間のお説教が終わり、涙目で痺れた足を擦るグレイがここでようやく家の主が居ないということに気付く。

 

「お姉さん、おじさんは?」

「さぁ、なんだか電話で呼び出されていたみたいだったけど」

「ふぅん……」

 

 適当に相槌を打って、革張りのソファへとダイブ。くるりと身体を反転させ天井を見上げ、少女は思考を巡らせる。ついさっきまで一緒に行動していた、真黒なメイドのことだ。忽然と姿を消してしまったがためにその後を追うことは不可能であったが、何もグレイは思いつきで行動を共にしていた訳ではなかった。

 いつだったか、ウェイバーに言われていたのだ。

 

 ――――いいかグレイ。この街で知らない顔を見たらまず疑ってかかれ。

 

 どうして?

 

 ――――基本的にロアナプラってのは閉じた街だ。余所者が入る余地がないほどに狭く深い場所で辛うじて成り立ってる不安定な街。そんなところに知らない顔があれば誰だって警戒する。お前が来た時だってそうだっただろう?

 

 確かにそうだったわ。

 

 ――――だからさ。知らない人間がこの街を堂々と歩いていたらそいつは何かを企んでいる可能性が高い。もしもそんな奴を見かけたら、用心しろよ。

 

 ウェイバーが話していた事をしっかりと覚えていた結果、グレイは行動を共にすることを選んだわけである。正体不明の女が何を企んでいるのか興味もあったが、それ以上にあのメイドからは底知れぬ怨嗟の念を感じたのだ。

 グレイが撒かれてしまったのは単純に相手の技量によるものだったが、少女はさして気にしていなかった。

 あのメイドではいずれまたどこかで再会することになる。そんな確信にも似た予感がする。小さく、グレイは口元を歪ませて。

 

「……楽しみだわぁ」

 

 

 

 19

 

 

 

 復讐の連鎖は、怨嗟は、どこまで行けば終わりを迎えるのだろうか。

 復讐にのみ生きる己は、一体どこまでその身を堕とせば報われるのだろうか。

 

「……フフ」

 

 狂喜じみた笑いが無意識のうちに溢れる。

 その答えは、とうの昔に出ている。

 復讐の連鎖に終わりなど存在しない。例え全身を鮮血に染め、敵対する全てを殲滅したとしても、己が報われることは永遠にない。

 

 踏み込んだのは、再び舞い戻ったのは。出口などないドス黒い感情が渦巻く死霊蔓延る世界なのだから。

 自らに救いなどない。報われることもない。

 ただ、それでも。命を賭してでも、必ずや。

 

 外壁が所々剥がれ落ち、安物のペンキで塗られた看板も錆び付いた小さなホテルの一室で、ロベルタは己の顔と向き合っていた。洗面台の周囲には様々な薬品が散乱し、空き瓶が転がっている。明らかに常軌を逸した量だと分かるそれらをまとめて口に放り込んでは噛み砕き、嚥下していく。薬物中毒者も真っ青なその量を、ロベルタは無表情のまま飲み込んでいった。

 震える指先を静めるように、胸元のロザリオを握り締める。

 

「……ロザリタ(・・・・)

 

 それは聞き覚えのあるような声だった。

 

「君の行おうとしているそれは、本当に復讐か?」

 

 ロベルタは洗面台の鏡を凝視したまま動かない。

 

「復讐とは単なる動機でしかない。今の君は、何か別のものを見ているのではないか」

「…………」

「今の君の瞳は、あの頃と同じ色をしているよ」

 

 声の主はベッドに腰を下ろして、ロベルタの後ろ姿を見つめていた。

 

「……私の罪は、私だけが背負うもの。だから……」

「贖罪のつもりか。だがそれは叶わない、自分が一番よく分かっているだろう」

 

 男の顔は、過去にその手で殺めた男そっくりだった。あるいは男本人なのかもしれない。

 

「なぁロザリタ、君は戻りつつある。密林であの男と銃撃戦を演じたあの日、革命を夢見ていたあの頃の君に」

「黙れ」

 

 言葉と同時に拳銃が引き抜かれた。発砲音と共に、ベッドの男の眉間に風穴が開く。

 一度瞼を閉じて再び持ち上げると、既にそこには男の姿は無くなっていた。

 幻覚を見ている、という自覚はある。あの量の薬物を毎日摂取しているのだ、人体のどこかに支障をきたすのも当然と言えば当然だ。しかしそうでもしなければ、ロベルタは自身の怒りを鎮めることは出来なかった。今にも飛び出してしまいそうなこの怒りと欲望を抑え込むためには、こうする他なかったのである。

 

 情緒が不安定になりつつある。そう自覚したロベルタは、最低限の武器だけを持って部屋を出た。気分転換というつもりはなかったが、少しでも先程の男の幻影を振り払いたかったのだ。

 だからこそ、これは本当に偶然だった。様々な要因と偶然が重なり合い、その邂逅を許してしまった。

 ホテルを出て裏路地へと入ったロベルタの視線の先に、異質な雰囲気を纏う男が立っていた。ロアナプラにしては珍しい、一目で上質だと分かるシャツを着た茶髪の男。

 

「あん? アンタどっかで見たことある(ツラ)してるな」

 

 会話すらも億劫に感じたロベルタは、無言のまま高速で銃を引き抜いた。幻覚で現れた男と同様に、眉間を撃ち抜いてやるつもりだった。

 

「……いきなり発砲か。ホントこの街の連中は血の気が多くていけねえ」

 

 しかし、ロベルタが放った銃弾は男を捉えることは無かった。

 男が放った銃弾が、ロベルタの弾丸を撃ち落としたのだ。

 銃弾撃ち(ビリヤード)。曲芸じみた技術を実際に行える人物など、ロベルタはウェイバーしか知らない。つまり今目の前にいるこの男は、少なくともウェイバーに近い実力を有しているということである。即座にロベルタの視線が鋭くなる。

 そんなロベルタの瞳を見て、ようやく男も合点がいったらしい。右手で拳銃をくるくると回しながら。

 

「ああ、お前、ICPOのリストで見たな。確かそうだ……Aランクの猟犬」

 

 男、ヨアンは犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う。

 

「メインディッシュ前の運動にゃあ丁度良い。首輪嵌めて刑務所に放り込んでやるよ」

「……行く手を阻むというのであれば、容赦はしない」

 

 最早二人に言葉は意味を成さなかった。

 仄暗い路地裏で、二匹の狂犬が牙を剥く。

 

 

 

 20

 

 

 

 サンカン・パレス・ホテルへと足を踏み入れ、通されたのは最上階のスイートルームだった。ロアナプラという土地柄利用客は殆どおらず、俺もこうして足を踏み入れるのは初めてのことである。

 ダッチを先頭にラグーン商会の面々にちっこいメイド、そして俺と続く。廊下に真っ赤な絨毯が敷き詰められていることから察しはついていたが、やはり室内もインテリアを始め中々高級な品が使用されているようだった。マスクをしているせいであまり良くは見えないが。

 部屋の奥にはこれまた高そうなテーブルとソファが幾つか並んでおり、そこには見知った顔が二つ(・・)並んでいる。

 一人はラブレス家の現当主、ガルシア。そしてもうひとりは黄金夜会の一角、三合会のタイ支部長、張維新だ。どうしてこの男がここに居るのかは知らないが、基本的に張が行動を起こすのはロアナプラ全体に被害が出る恐れがある場合なので、事態は案外切羽詰っているのかもしれない。

 

 いつまでも扉の前に突っ立っているのもあれなので室内へ足を踏み入れようと一歩を踏み出……そうとしたところでピタリと足の動きを止める。アクション映画やスパイ映画でよくあるパターンだ。入口付近に罠なんかが仕掛けてあって、警戒もなしに足を踏み入れると瞬く間にあの世逝きという。いや、前を歩いていくレヴィたちが普通に中へ入っていくから何も問題は無いのだろうが、一応こういう時は気をつけたほうがいいのである。

 というわけでここで一旦立ち止まり、今まで着用していた防毒マスクを外す。イエローフラッグを出る時点で本当は外したかったのだが、外すタイミングを失いここまで来てしまったのだ。移動の車内でその話題が出たときに外そうとも考えたが、レヴィにああ言われてしまってはなんだか外してはいけないような気にさせられてしまう。

 外したマスクと部屋を交互に見て、なんの気なしに室内に放り込んでみる。

 

 途端、防毒マスクに二本の槍が突き刺さった。

 

「ハハッ、やっぱりウェイバーには通じないよな。これでさっき俺が言ったことは信じてもらえるかい? 女中さん方」

 

 愉快そうに笑う張の言葉を受けて、室内の壁に張り付くようにして身を潜めていた二人の女が俺の前にゆっくりと姿を現した。そっくりな顔をした女たちだ。ロベルタや小さな子と同じ格好をしているところを見るに恐らくは二人もラブレス家の女中なのだろう。どうしてこんな罠を仕掛けていたのかは知らないが、取り敢えず助かったことは確かなようだ。

 

「……確かに」

「婦長様を圧倒したというのは、あながち嘘でもなさそうです」

「マナ、ルナ。先ずは話を進めよう。戻ってきてくれるかい」

 

 ガルシアにそう促され、二人は槍を下げて当主の背後へと付いた。直立不動、人形のように動かなくなる。

 

「張、これは一体何の真似だ?」

「なに、お前の実力に疑いを持ってるようだったからな。ちょいとばかし試してもらったのさ」

「命が幾つあっても足りないぞ」

「そいつぁお前のじゃなくて奴さんのだろう?」

 

 いや俺のだよ、というツッコミは心の内に留めておく。こういう時、自分の面の皮の厚さに感謝する。普通なら槍が目の前に飛び出した時点で声を上げているに違いない。実際ロックは驚きで声も出ないようだった。ダッチやレヴィ、ベニーは何故か全く動揺していなかったが。

 室内へ入りソファの前までやってきた所で、酒場で一騒動起こした少女が口をパクパクさせていることに気が付いた。

 うん? 俺の顔に何か付いているのか?

 頬や口元を触ってみても何かが付着している様子はない。

 首を捻る俺に対して、少女はわなわなと声を震わせて。

 

「ウェ、ウェイバーさん……っ!?」

「何だウェイバー、知り合いか?」

「いや、初対面の筈だが」

 

 メイドの知り合いなんて俺には居ない。ロベルタは知り合い以前の問題だ。

 何やら俯いてしまった少女は一先ず置いておくとして、張に促されるままに俺もソファに腰を下ろした。

 

「マナ、ルナ。彼らにお茶を」

「かしこまりました」

 

 即座にテーブルにティーカップが用意される。先程まで酒を飲んでいたこともあって実は喉が干上がりそうなほどに乾いていた。出来ればすぐにでも飲み干したい。

 が、それを手に取ることはせず、張へと視線を向けた。

 まさかこれ、毒入りじゃないよな、という意味を込めて。先程の奇襲のこともある。慎重になるのも仕方ないだろう。

 

「分かってる、そう急くなよ」

 

 一つ頷いて張が口を開く。

 なんだ、わざわざ聞いてくれるのか。それとも自ら毒見役を買って出てくれるのか。

 

「さて、早速だが本題に入ろう。この街で今、何が起ころうとしているのか」

 

 いや、違うそうじゃない。

 

 

 

 




以下要点
・おっさんマスク装備→偶然にもそのおかげで奇襲回避。
・ファビオラウェイバー本人を認識。
・猟犬VS警察犬(凶暴)

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