11
「――――張大哥、コロンビアの連中が動いたようです」
「仔細を」
「
「……何か嗅ぎ付けたか」
腹心、
三合会の所有するオフィスの一室。白を基調とした部屋の中心に置かれた長椅子に背を預け、張は天井を仰ぎ見る。今彼の頭を悩ませている案件は、下手をすればこの街全体を巻き込みうる程に凶悪なものだった。
一言で述べてしまえば、メイド絡み。無知な人間が聞けば一体何をと思うだろうが、黄金夜会の一角たる三合会支部長の頭痛の種となる程度には、それは厄介なものだった。
テーブルに置いてあった煙草を取ってそれを咥える。すかさず彪が差し出した火に煙草を近づけ、ゆっくりと煙を吐き出した。
「女中の裏付けはとれたか?」
「こちらに」
静かに置かれた紙の束を手にとって、張は一枚ずつ捲っていく。数分かけて最後の一枚にまで目を通すと、紙束を無造作にテーブルに放った。
「面倒な事になっちまった」
「全くです」
「
だが、と張はそこで言葉を一旦切ってから。
「今回に限っちゃあ話は別だ」
三分の一程の長さになった煙草を乱雑に灰皿に擦り付け、指を絡めて思考を巡らせる。
「彪、お前はどう思う」
「と言いますと?」
「女中の事だ。俺にはあの女が
「あの人に関しちゃこっちの物差を向けるだけ無駄だと思いますがね」
自身の判断基準に収まるような人間ではないのだと笑う彪の意見に、張は小さく首を振った。
「お前の言う通りだ。そして今回、それは女中にも当て嵌る」
「……どういうことです」
彪の疑問に、張はテーブル上の散らばった紙に視線を落として。
「彪、奴の仇討ちは当主様が爆弾テロで木っ端微塵に吹き飛ばされたのが原因だったな」
「ええ、その資料に書いてある通りです」
「そこまではいい。こんな情報は少し潜ればそこらの情報屋でも容易に手に入れられる」
険しい表情を崩さないまま、張は続ける。
「見えてこないんだよ。一番肝心な、敵の姿ってやつが」
ここまで言って、ようやく彪も張の思考に追い付く。
南米大陸で発生した爆弾テロ事件。それに巻き込まれ、女中が仕える当主は死亡した。そしてその女中は海を越えて、現在このロアナプラに潜伏している。
それは一体何故か。
この街に敵が居るからだ。
ラブレス家のメイド、ロベルタは非常に鼻が利く。ならばこそ、彼女は獲物の臭いを嗅ぎつけてこの港街に足を踏み入れたのだろう。張はそう予想していた。
そしてこの予想が正しいのだとすると、その敵という存在が今、確かにこの街に居るはずなのだ。
しかしその姿が一向に見えてこない。その影すらもだ。
それが堪らなくもどかしく、張の苛立ちを加速させる。
「俺はな彪、あの元ゲリラの女中がこの街で誰を探して殺そうが構わんよ。こちらに害の無い限りはな」
だがこちらに累が及ぶような事態に発展する可能性があるのであれば話は別だ。どんな手段を使ってでも止めねばなるまい。張はそこまで考えていた。
「俺でも把握することができない誰かがこの街に潜んでいやがる。しかもどこの馬の骨とも分からないソイツは、テロ現場にいた何百人かのうち壇上に居る奴らのケツのみを正確に蹴り上げてる。
暗にそこらのゴロツキとは次元が違うと言う張の言葉に、彪も眉根を寄せた。
「しかし大哥、そんな腕を持ってる奴ならいやでも耳に入る。新参者だろうが古参だろうがお構いなしに」
「……名を売る必要が無いとしたらどうだ」
絡めていた指を解き、張は窓の外に見える港街に視線を向けて。
「この悪の都にソイツは息を潜めてる。欲もなく、金も必要とせず、ただ力と技術を持った連中だ。その連中は一体何を求めてこの街へやって来た?」
「…………」
「推測の域を出ない話だが、今後は街の利益に関与しない人間も含めて洗った方がいい」
そう言うと張はソファから腰を上げ、引っ掛けてあったジャケットを手に取った。
「どちらへ」
「紙束に書いてある事が確かなら、まずは関わってる人間に聞きに行くのが手っ取り早い」
僅かに口角を吊り上げて、彪の肩に手を置いた。
「ちょっと付き合え。挨拶は先に済ませておいた方がいい」
12
ロアナプラはクソッタレな悪党どもを掻き混ぜて出来上がった穢れた別天地だと、以前誰かが言っていたことをぼんやりと思い出す。
拳銃を見せびらかして通りを歩けばその手の輩が大量に釣れることからも分かるように、この街はそこかしこが爆心地になりうる可能性を秘めているのである。いつどこで血腥い殺し合いが起こるか分からない。夜中の港でも、真昼間の大通りでも、条件さえ満たしてしまえばたちまち戦争が始まってしまう。
まあ、何が言いたいのかといえばだ。
その条件さえ満たしてしまえば、このイエローフラッグだって十分戦場と化す可能性を秘めているということなのである。
というか現在進行形で俺の後ろで面倒ごとが発生している気がしてならない。
頭は殆ど動かさないまま、ちらりと背後に視線を向ける。
立っていたのは真黒な衣服に白のエプロンを着けた黒髪の少女。グレイよりは年上だろうが、しかし雪緒よりは年下に見える。ロックが口を開いたところを見るに、どうやらラグーン商会に用があってこの酒場を訪れたようである。
となれば好都合。何か厄介事の臭いが漂い始めたここで無闇に首を突っ込むべきではない。触らぬ神に祟りなし、火の粉が降りかからないのであればそれに越したことはない。
無言でグラスを傾ける俺に、形容し難い表情をしたバオがずいっと顔を寄せてきた。
「おいウェイバー、てめえまたこの店ぶっ壊す気じゃねえだろうな」
「よく見ろバオ。俺はあのお嬢ちゃんに面識はねえし会話してんのはロックだ。ぶっ壊すならレヴィたちだろ」
「そういうことじゃねえんだよアンポンタン。オメエが居るだけで店が何度吹き飛んだと思ってんだ」
小声で怒鳴るという器用な真似をしながら顔を顰めるバオ。
心外だ、俺のせいでイエローフラッグが消し飛んだことなど片手の指で済んでしまう程度である。レヴィに比べれば大したことはない。
止みそうにないバオの愚痴を一先ず黙らせ、何事かを話し込んでいるロックたちに意識を向ける。
「初めまして、セニョールロック。お会いしとうございました」
「俺の事を知ってるのかい?」
「若様よりお話は伺っております。詳しいことはホテルにてご説明申し上げますので、移動をお願いできますか?」
当主、とは言うまでもなくガルシアの事を言っているのだろう。先程あの少女は自分のことをラブレス家の女中だと言ったのだ。というかあの佇まいからして只者ではなさそうである。何だ、ラブレス家のメイドってのはみんながみんな戦闘人形か何かなのか。
「…………」
特に口を挟む必要もないので、無言で酒を呷る。
出来ることなら呼び出された用件をさっさと聞いてお暇させてほしいものである。この場に留まっていると厄介事が転がり込んできそうな気がしてならない。
視界の端でレヴィがロックへと何か耳打ちしているようだが、小声なこともあって内容までは聞き取れなかった。
と、そんな折。
店の向こうから乗用車では決して出せないような重低音とエンジン音が近づいて来ている事に気が付いた。
今度は何だ、と思いつつも、視線は目の前の酒から離さない。
しばらくしてそのエンジン音も停止し、無数の足音が店内へと雪崩込んできた。
「おお居た居た。へェ、ほんとにあのクソアマとおんなじ格好をしてやがる」
部下らしい男たち数十人を連れて店内に入ってきたのは、どうやらマニサレラ・カルテルの連中らしかった。
「よォグスターボ、ぞろぞろと部下引き連れてどうしたのさ」
酒瓶を片手にレヴィが先頭の男へと問い掛ける。
ああ、何だかどんどんこの場から離れ難い状況が出来上がりつつある気がする。
グラスに酒を注ぎながら、レヴィたちの会話に耳を傾ける。
「なに、ちょいとこのお嬢ちゃんに用があってな。国から送られてきたFAXの格好と一緒だ、関係者に違いねえ」
「なんだよセニョール、アンタもあのクソアマを追ってんのか?」
「ま、そんなトコだ」
レヴィにそう返して、グスターボは少女を上から下まで値踏みするように睨めつける。この間も俺は無言でグラスを呷り続けている。連れられた部下たちの殆どが俺から数メートル程距離を取っているが、ただ酒を呑んでいるだけの俺に対して些か行き過ぎた警戒だろう。別に無差別に人間を撃つような真似はしないというのに。
ちらりと背後を見る。あ、グスターボと眼が合った。
途端、グスターボが両手を身体の前で大きく振った。
「待て待てウェイバー! 俺たちゃアンタとやり合うつもりはねェぞ!」
「…………」
答えるのも面倒だったので、持っていた酒を呑むことで肯定の意を示す。俺だって銃撃戦なんてまっぴら御免だ。
なにやら更にグスターボの顔色が悪くなったような気がするが、無視して視線をカウンターに戻す。
「……ウェイバー?」
消え入りそうな程に小さな声で、少女が俺の名を呟いた。
「あの、すみません、そこの……」
「兄貴、コイツが例のメイドで?」
何事かを言いかけた少女の言葉を遮って、野太い声が発せられた。背を向けたままの状態なので俺の後ろで何が起こっているのかは定かではない。いちいち振り向くのも何だか格好悪いので、もうこのまま酒と不機嫌そうなバオの顔だけ見ていよう。
氷だけになったグラスになみなみと酒を注ぎ、ぼんやりと後ろでのやり取りに意識を向ける。
「いや、コイツじゃねえが……。どうやら俺たちはツイてる、このおちびちゃんと一緒にいりゃあのメイドに辿り着けるかもしれねえ」
メイドって。なんだ、カルテルの連中もロベルタを追っているのか。アブレーゴまで動いてるとなると、いよいよもってこの話の信憑性が確実になってきたわけか。あのコロンビア野郎はいけ好かないが、裏付けの取れていない案件に首を突っ込んだりすることはない。リスクとリターンの勘定が出来る人間だ。そのアブレーゴがこうして部下を動かしているということは、つまりはそういうことなのだろう。
昼間に雪緒から聞いた話が気になってリロイに連絡を取ってみたが、どうやらロベルタはベネズエラを離れここロアナプラへとやって来ているらしい。
どこに潜伏しているのかまでは掴めていないようだったが、グスターボの発言を聞くにそれはコロンビアの連中も同じなようだ。
そんな状況にあって現れた少女である。逃したくないと考えるのは当然のことだろう。
「あ、ちょっと返してください!」
「悪いなおちびちゃん。ちょいとばかし中身を確認させてもらうぜ」
会話を聞くに手持ちのトランクでも開けているのだろう。その直後にカルテルの連中から笑い声が巻き起こるが、中身を見ていない俺には何が何だかさっぱりである。
「なんだありゃ」
「棒付きキャンディとランチボックスにしか見えないけど」
レヴィとロックの会話でようやく中身の詳細を知ることが出来た。
というかそこそこの大きさがあったトランクの中身がそれだけってどうなんだ。衣類とか入っていないのだろうか。
「お分かりいただけましたか? そろそろ離してもらえると有難いのですが」
「まァ待てよ。俺たちはお宅の婦長様の大ファンでよ、是非ともお会いしてェんだが」
「婦長様の居場所は存じ上げません」
「じゃあ一緒に探そうぜ、見たところレヴィたちに用があるんだろう? 俺たちもついていくさ」
少女とは言えあの年頃である。下着なんかは見られたくないと思うんだが。
ああ、だからトランクには入っていなかったのか。きっと先んじてホテルにでも置いてきたのだろう。
「……はぁ」
「どうしたよおちびちゃん」
「いえ、自分の迂闊さを嘆いていただけです。ええ、本当に。若様にあれだけ言われていたにも関わらず」
「あ? 一体なに言ってやがる」
衣類と言えば、そろそろグレイもブラジャーとか必要になってくるのだろうか。その辺り男の俺は門外漢だし、今度こっそり雪緒にでも聞いてみようか。出来ることなら彼女に一任したいな、流石に男がランジェリーショップに入るのは気が引ける。
「もし私が助力を拒んだ場合、どうされるおつもりですか?」
「そうだな、お花畑にでも連れてってやるぜ」
「……成程、よく分かりました」
ああ、でももしグレイが衣類なんかに興味を持ち出して大量に買い込んできたりしたら置き場所に困ってしまうな。雪緒にしたって数枚のシャツしか用意が無いようだし、そろそろ新しいモノが欲しいだろう。
となると。
「……衣類がスッキリ収まるクローゼットとか必要だな」
ぼそっと呟く。
その直後のことだ。
やけにイイ笑顔を浮かべたレヴィが、空になった俺のボトルを払い除ける。そのボトルが落下し、床に当たって粉々に砕けたのとほぼ同時。
甲高い衝突音と共に、謎の煙が店内で炸裂した。
13
「むう」
白い頬を小さく膨らませて、グレイは僅かに眼を細めた。いわゆるジト目と呼ばれるやつである。
「待っててって言ったのに」
両手に持った二つの包みに視線を落として、先程までそこに居たはずのメイドが居なくなっている事を残念がった。
ほんの少し目を離した隙に(実際にはグレイが露店に駆け込んでいった為である)、黒髪のメイドは忽然と姿を消してしまった。二人でイエローフラッグへと赴き、何やら用事があるらしい店の名前を聞き、いざ向かおうとしていた道すがらだ。
包みの一つを開けて中身を頬張る。厚めの皮の中からあふれる肉汁に自然と顔も綻んだ。
本来なら二人で一緒に食べようとしていたものだったが、こうなってしまっては仕方がない。一つ目の包みの中身を素早く完食し、もう一つの包みを開ける。
「それにしてもあのお姉さん、なんだか様子が変だったわ」
14
ファビオラがイエローフラッグへと足を運んだのは、ガルシアの言葉を受けての事だった。
少年は以前誘拐されたことがあり、その時に助けてくれた人がこの酒場をよく利用しているというのだ。その当時のことを彼はあまり話してはくれないが、その一件以降ガルシアとロベルタの仲が縮まっていることはファビオラのみならず他の女中の眼から見ても明らかだった。
年の差はあれど、二人は相思相愛のようだった。少なくとも、ファビオラにはそう見えていた。
しかし、ある日ロベルタは姿を消した。誰に何を言うでもなく。
ガルシアの父がテロ活動に巻き込まれてから一週間程経った日のことだった。
そんな彼女を追ってやって来たのがこのタイの港街だ。ガルシアはここに来る前、この街のことを亡者の街だと言った。その意味をファビオラは今まさに全身で理解する。どいつもこいつも、皆腐りきった眼をしている。
ただ唯一、目の前の男以外は。
彼は以前ガルシアを助けるために協力してくれた人間の一人だ。今回もまた助力を得るためにファビオラはこの酒場にまで足を伸ばしたのである。
「初めましてセニョールロック。お会いしとうございました」
「俺の事を知ってるのかい?」
「若様よりお話は伺っております。詳しいことはホテルにてご説明申し上げますので、移動をお願いできますか?」
小さく頭を下げる目の前の少女を見つめて、ロックはしばし思考を巡らせる。
ガルシアに呼び出される案件など一つしか思い浮かばない。今自分たちも直面しているメイド絡み、つまりはロベルタの事だ。現状これといった情報を持ち合わせていないロックたちからすれば、少女の提案を断る理由など無かった。
一先ずはファビオラという少女に同行することにしよう。そう結論を出したロックが返事をしようとしたところで、隣に座っていたレヴィに横腹を肘で小突かれた。
何事かと視線をレヴィへと合わせれば、やけに顔を近付けてロックの向こう、もっと言うなれば奥のウェイバーを見ている。
「どうしたんだレヴィ?」
「……嵐が来るぜ、ロック」
「え?」
小声で告げられた突然の言葉に、素っ頓狂な声が漏れる。
「ボスを見ろ。ああやって無言でハイペースで酒を呑んでる時はな、大抵その後に碌でもねェことが起こる。預言者もビックリの的中率でだ」
レヴィ曰く、ウェイバーがああもハイペースで酒を呷るのは途中で酒飲みを邪魔されたくないからだと言う。
というか碌でもないこととは何だ。ウェイバーの第六感がどうなっているのか非常に気になるところである。
そして至って真面目な口調でそう言うレヴィの言葉を裏付けるかのように、ソレはやって来た。
戦車のように分厚い装甲を施された大型車両、それが三台。イエローフラッグの目の前まで来て停車した。ぞろぞろと中から這い出るようにして現れたのは、ロックも見覚えのある連中だった。
「よォグスターボ。ぞろぞろと部下引き連れてどうしたのさ」
先んじて声を掛けたレヴィに、グスターボは真っ白な歯を見せて笑う。
「なに、ちょいとそこのお嬢ちゃんに用があってな」
ああ、成程とロックは納得した。
グスターボ率いるマニサレラ・カルテルの連中がメイド絡みで動いているということに、ではない。
ウェイバーの行動の後に起こるという碌でもない事態がこのことだと悟ったのだ。
グスターボはウェイバーの存在には気が付いているようだが、声を掛けるような真似はしなかった。背中からでもはっきりと分かる威圧感に呑まれてしまっているのだろう。視線を小柄な少女に向けて、頭から爪先までじっとりと見つめた。周りを囲む部下たちも決してウェイバーの半径三メートルには近づこうとしない。そこだけぽっかりと空間が出来てしまっていた。
手出しすることなど出来ないが、マフィアのプライドは持ち合わせていたのだろう。無言でウェイバーの背中を睨み続ける部下一同。
そんな彼らの視線に気付いていたのか、ウェイバーは無言でグスターボを睨み付けた。
それだけでウェイバーの視線の意図を理解したのだろう。慌ててグスターボは部下を下がらせて。
「待て待てウェイバー! 俺たちゃアンタとやり合うつもりはねえ!」
「…………」
言葉を返さず、ウェイバーはグスターボから視線を外して背中を向けた。
まるでお前たちなど背中を向けたままで十分だ、とでも言わんばかりの態度に、しかしマニサレラ・カルテルの構成員たちは動けなかった。ここで無闇矢鱈に銃撃戦を仕掛ければどうなるか、その結末は目に見えていた。ウェイバーが静観してくれているのであればカルテルとしても好都合である。
背中を伝う嫌な汗を感じながらも、グスターボは必死に口角を吊り上げた。
そんな男の言葉に反応したのは、渦中の少女だった。
背中を向けたままの男に視線を固定し、無意識のうちに口から言葉が溢れる。
「……ウェイバー?」
それは、その名前は。
思わず背中を向けたままの男に手を伸ばしそうになって、慌ててファビオラはその手を押し留める。
そんな筈はない。
あの人と出会ったのはもう何年も前、しかもこの地から遠く離れたベネズエラだ。それが偶然に再会することなど、どれほどの確率だろうか。
落ち着いて考えてみればウェイバーなどという名前はそこまで珍しいものでもない。同名の人物と出会ったとしても、何らおかしくはない。
でも、だけれど。
あの背中に、どこか見覚えを感じるのはどうしてだろうか。
あの時に見た背中と同じに見えてしまうのは、ファビオラ自身がそうであったらと望んでいるからなのだろうか。
「あの、すみません、そこの……」
確かめたいと、純粋に少女は思った。
今目の前で背を向ける男があの人である可能性は低いのだろう。だとしても、確認せずにはいられなかった。
だが、そんな少女の行動を制限するかのように口髭を生やした大男に襟首を掴まれてしまった。
「兄貴、こいつが例のメイドで?」
「いや、コイツじゃねえ。だが俺たちはついてる。このおちびちゃんといればあのメイドに辿り着けるかもしれねえ」
襟首を掴まれたまま、少女は周囲の男たちを眼球の動きだけで見渡した。
これは穏やかではない。それぞれの手には黒光りする拳銃が握られていた。
「俺たちゃお宅ンとこの婦長様の大ファンでよ、是非ともお会いしてェんだが」
褐色肌の香水臭い男たちに囲まれて、ファビオラは眉を潜めて息を吐いた。
ガルシアにあれほど言われていたというのに、あの人のことを思い出して周囲の警戒を怠ってしまった。背後を取られるなど、普通であれば有り得ないことである。
「……はぁ」
「どうしたよおちびちゃん」
「いえ」
己の迂闊さが恨めしい。
ファビオラは再度小さく溜息を吐いて、男達に気付かれないようメイド服の内側に仕込んであるモノを確認する。
傍から見ればそれはほんの僅かな身体の動きだったが、カウンター席に座っていたレヴィには少女が何をしようとしているのかが理解できたようだった。その口元を大きく歪め、面白いものでも見つけたような表情を浮かべている。
(さて、抜くのは銃かはたまた剣か)
いずれにしても、ロックはカウンターの中に押し込んでおいた方が良さそうだとレヴィは隣のロックを見ながら思った。
そんなロックの奥で無言で酒を呷り続けているウェイバーをちらりと見る。
そして、ウェイバーとレヴィの視線が交錯した。
これまで無言を貫いていた男は、視線を正面に戻して。
「……いるいがす……」
その言葉を受けて、レヴィの表情が変化する。
なんということだ。ウェイバーは僅かに聞こえる衣擦れの音だけで、ファビオラが取り出そうとしているモノの正体を見抜いたのである。それはレヴィの予想には含まれていなかったもの。
(催涙ガスか!)
となればこのまま傍観を決め込むのは得策とは言えない。こちらまで被害を受けることになりかねないからだ。
空になった酒瓶を床にわざと落として、レヴィはロックをカウンターの中に放り投げた。次いで自身もカウンターへ飛び込み身を屈め、目当てのブツを漁る。
直後、ウェイバーの言ったように白煙がイエローフラッグ内部を覆い尽くした。
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「……歓迎ムードじゃあなさそうだな」
扉を開けた途端突き付けられた二本の槍を交互に見ながら、張は額を掻いた。
既に銃を抜き応戦状態の背後に立つ彪を手で制して、部屋のソファに腰掛けていた少年へと一歩近付く。
更にもう一歩踏み出そうとして、しかしその行く手は二本の槍によって阻まれてしまった。
「こいつは驚きだ。ラブレスの家の女中ってのはみんな戦闘狂なのかい」
「……貴方は?」
疑問の声をぶつける少年、ガルシアに対して、張はどこまでも平坦な声で。
「張維新。この街に探し物があるんだろう? その件で話がしたいんだ。ラブレス家十二代目当主、ガルシア・フェルナンド・ラブレス」
以下要点。
・張行動開始。
・グレイ早速はぐれる。
・ウェイバー勘違い節(久々)
・ファビオラ戦闘開始。
今更Twitter始めました(小声)
@kohsuke11136