悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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030 紙一重の交錯は更なる混沌を運ぶ

 7

 

 

 

 ファビオラ・イグレシアスという少女は、南米十三家族にも数えられる大家、ラブレス家に仕える雑役女中である。ガルシアの父、つまりは先代当主が存命だった頃は、身の回りの世話から屋敷の雑事全般まで幅広く仕事をこなしていた。そんなファビオラを先代当主、ディエゴはとても好ましく思っていたし、その息子であるガルシアも頑張り屋な彼女に厚い信頼を寄せていた。

 ラブレスの家に仕える女中はロベルタを筆頭に十名程居るが、そのロベルタからも彼女はよくしてもらっていた。女中の基本たる礼儀作法に始まり果ては戦闘術まで。いつでもその身を盾と、刃と出来るよう、少女はロベルタに仕込まれた。

 そのおかげもあり、今では戦闘面に於いて少女の右に出るものは居ないとまで言われるようになった。当然、ロベルタはその対象には含まれないが。

 しかしその事実を、ガルシアは知らない。知る必要はないとファビオラは思っていたし、ロベルタもその考えには同意していた。こんな血腥い世界、知らないに越したことはない。

 ともかく、女中としてファビオラ・イグレシアスは満たされた生活を送っていた。敬愛する当主の元で、少女は何一つ不自由のない人生を歩んでいた。

 

 だが、何も最初から全てが上手く行っていたわけではない。

 元々ファビオラは貧困街の出身である。普通であれば、ラブレス家との接点など持てるはずもない。

 それがどのような経緯を経て、今に至ったのか。

 

 ファビオラは今でも決して忘れる事はない。

 全ての始まりにして、それまでの生活に終わりを齎した、あの東洋人のことを。

 

 その男との出会いは、お世辞にも良いものとは言えなかった。それも当然で、何せスリを働こうとした相手なのだ。当時のファビオラにとってその男は数あるカモのうちの一人でしかなかったし、まさか自身の未来をあっさりと変えてしまう人間だなどとは思ってもみなかったのである。

 ファビオラはその日もいつものように貧困街を出て、多くの観光客で賑わうカラカスの中心部へと繰り出していた。無論、金銭をかっ攫うためだ。生き長らえる為に、手段など選んではいられない。

 彼女が狙うのは現地の人間ではなく、警戒心の薄い観光客。現地の人間は貧困街の存在を知っているが故に警戒心が強く、間違っても財布をポケットや手に持ったまま移動しない。

 対して、異国からやって来た人間はどこまでも無防備で無警戒だった。金目のものを盗ってくださいと言わんばかりにぶら下げている。

 あの男もそうだった。財布を無造作にポケットに突っ込み、他の観光客と同じように周りを見渡しながらゆっくりと歩いていたのだ。

 

 今にして思えば、それらの動作全てが偽りであったのだと気付くことが出来たかもしれない。

 只の観光客がスペイン語を流暢に話し、貧困街なんて単語を口にするだろうか。

 周囲を見回してゆっくり歩いていたのは、一般の観光客に違和感なく溶け込みながら警戒を続けていたからではないのか。

 

 あの時はそこまで冷静な分析が出来るような精神状態ではなかった、と言い訳の一つもしたくなる。何せいつものように擦れ違いざまに財布を抜き取ろうとして、その瞬間に腕を掴まれたのだから。異国の人間でそんなことをされたのは初めてだった。警戒の強い現地の人間であれば貧困街の人間を見るだけで猜疑の目を向けてくるが、財布を抜き取ろうとする瞬間までその男からは一切警戒の色が見えなかった。

 

 そんなこと、有り得るだろうか。

 

「腕、離してよ」

 

 悪いのは明らかにこちらだったが、それにしても随分な言い草だったと今更ながら思う。その言葉に反応して腕を放す男も大概だったが。

 彼は、自身をウェイバーと名乗った。それが本名なのか偽名なのかは問題ではない。 

 

 ファビオラにとってウェイバーは腐りきった己の人生に一筋の光明を齎してくれた、恩人(・・)なのだから――――。

 

 

 

 8

 

 

 

「ただいま」

「お帰りロック。頼んでたものは手に入ったかい?」

 

 ラグーン商会のオフィスへと戻ったロックとレヴィを、ソファに寝そべって雑誌を読み耽っていたベニーが出迎えた。奥のデスクには煙草を咥えたダッチの姿もある。

 ロックはベニーに頼まれていたパーツの入った小袋を手渡すと、徐にダッチの方へと近付いていった。

 

「どうかしたのか? 顔色が悪そうだ」

「そうかロック。今の俺の顔は何色だ?」

「ブラックコーヒーよりも真黒だ」

「そいつぁ重畳。通常運転だ」

 

 僅かに口元を緩ませるダッチだったが、しかしすぐに彼は眉間に皺を寄せて黙り込んでしまう。

 その様子に違和感を覚えたロックは、ベニーへと視線を向ける。その視線の意味するところを正確に理解したベニーは、壁に設置されている固定電話に親指を立てて。

 

「二人が出かけてから今までに六件。キナ臭い電話が掛かってきてる」

「キナ臭い?」

「『変わった客を扱ってないか』、そう切り出してくるんだ。変わった客なんて五万といるから、普通ならなんて答えるべきか悩むところだけどね」

「普通なら……?」

 

 そう尋ねたロックに、ベニーは一つ頷いて。

 

「『メイド服を着た女』――――。連中は皆揃ってそう言うのさ」

「メイド……」

 

 ベニーが口にした言葉を舌の上で転がすように反芻する。

 ロックに、いや、ロアナプラに住む人間たちにとってのメイドとは、昨年この地を訪れたラブレス家の女中に他ならない。ダッチをして未来から来たサイボーグとまで言わしめた戦闘能力は凄まじく、ラグーン商会のエース足るレヴィをも凌ぐ実力者。バラライカ率いる遊撃隊、果てはウェイバーまでもが戦線へ現れる事態へと発展したことは未だ脳裏に焼き付いて離れない。

 そんなメイドを客として扱ってはいないか。

 電話を寄越した連中は、口々にそう言うのだ。

 

「ロック、君は何か聞いてないかい?」

「……心当たりが無いわけじゃない」

 

 ベニーの問いかけに、ロックは眉尻を下げた。

 そこにようやく酔いが覚めたレヴィが加わる。

 

「さっき市場で妙な噂話を聞いた。サータナム・ストリートのサンカン・パレス・ホテルの廊下で見たっつうんだ」

「見た? 何を」

「メイドさ」

 

 ダッチとベニーの二人が無言で顔を見合わせる。そんな、まさかとでも言いたげな表情だ。

 

「そういう噂が出回ってるって段階だ。俺だって何も一から百まで信じてるわけじゃない」

「大体あのクソアマがここに来る理由が無ェ。本当に来てるってんなら是非もう一度お会い申し上げてェもんだ」

「ま、確かにその通りだ。しかし火が無ぇのに煙は立たねぇ」

 

 笑い飛ばすレヴィを横目にダッチの表情は険しいままだ。立て続けにメイド関連の電話が入り、そんな噂まで出回っているとなれば、それは既に看過できるようなレベルを超えている。

 

「ブラックユーモアにしちゃセンスが無ぇ、与太話だと笑い飛ばすにゃ些か度が過ぎてる」

「おいおいダッチ、こんな話信じてんのかよ?」

「本当に只の与太話だってんなら歯牙にもかけねえ。俺が気にしてんのはなレヴィ、ヨタを選別する脳味噌を持った連中までもがこの話気にかけてるってとこなのさ」

 

 サングラスを掛け直して、ダッチはそう述べた。

 ベニーもそれに同調するように口を開く。

 

「イザック、キャスティバ、RR。三人ともリロイ程じゃないが名の知れた情報屋だ。三人ともから同じ質問を受けてる。つまりはそういう確度の情報なんだ」

 

 これには流石にレヴィも閉口した。リロイには及ばないにしろ、ベニーの言った三人はロアナプラでは名の通った情報屋だ。ラグーン商会としても何度も世話になっている。レヴィの知る限り、この三人はそこいらのおつむの薬が必要な連中とは違う。そういう人種だ。そんな人間たちもがこの情報に関して頭を突っ込んでいる。それをダッチは気にしているのだ。

 

「……本当にあの女中がこの街にやって来ているとして、その目的は何だと思う」

「結論なんか出ねえよロック。俺たちにあの殺戮機械(キリング・マシーン)の思考が読める筈が無ぇ」

「ご子息殿がまた攫われたって線はどうだい?」

「あのクソアマが同じミスを二度もするたァ思えねェな」

 

 レヴィの言う通り、彼女が二度も主人が攫われるような失態を犯すとは考え難い。

 この街にはあの戦闘能力を以てしても一筋縄ではいかない人間たちが居ることも知っている筈だ。

 では、何故。

 一体なにが彼女をこの地まで突き動かしているのか。

 

 ロックは女中、ロベルタの過去の経歴を知らない。知らないが故に、ラブレス家絡みではないかと思考が傾いていくのは極自然のことだった。

 ベネズエラの屋敷を離れ、仕える当主の元すらも離れ、この悪の肥溜めのような場所を訪れる理由。

 

「……当主……、ベニー、ちょっと調べて欲しいことがある」

「何か思い当たったのかい?」

「確証はない。だから確かめるんだ、もしも俺の予想が当たっていたらと思うと、冷や汗が止まらないけど」

 

 

 

 9

 

 

 

 ウェイバー家に居候中の少女、グレイはロアナプラではちょっとした有名人である。

 その容姿が目を引くということも理由の一つとして挙げられるだろう。襟足までしかなかったプラチナブロンドの髪は今は腰辺りまで伸び、黒のワンピースとカーディガンによく映える。無邪気に笑う姿を何も知らない一般人が見れば、天使のようだと言うかもしれない。

 しかし、少女の名を轟かせている最大の理由はウェイバーに銃を向けて未だ生きているということにあった。

 ロアナプラに住む人間たちはウェイバーのこれまでの所業を知っている。ジャケットのボタンが外れていたら近付くな、リボルバーを見たら即座に逃げろ、銃口が向いたら来世を願え。ウェイバーと真っ向から撃ち合って生き残っている人間など、この街ではバラライカと張くらいのものだ。この三竦みの過去の戦争を聞いた、見た者が大勢居るために、現在のウェイバーに関する噂が広まったのである。本人曰くかなりの誇張が入っているそうだが、大勢の意見ばかりが真実扱いされるのはどこでも同じなのだ。

 

 黄金夜会のメンバーしかこれまでウェイバーとまともにやり合える人間は居なかった。バラライカにしても張にしても、正真正銘の怪物たちである。そんな枠組みの中に、グレイはすっぽりと収まっているのだ。周囲から注目を浴びるのも無理からぬことだった。

 加えて、グレイはバラライカの私兵を手にかけている。正確に言えば彼女ではなく双子の兄の仕業であるが、身内の死に対して苛烈なまでに憤るバラライカがグレイを殺していないという事実も少女の知名度を高めていた。

 簡潔にまとめてしまえば。

 ウェイバーとバラライカの双方に影響を及ぼしうる人物、それがグレイに対する周囲の認識だった。

 

 故に、間違っても手を出そうなどと考える輩は現れない。手を出したが最後、想像しうる最悪な死に方を二回り以上上回る凄惨な死に方をするのは目に見えている。

 一度イカレたロリコン野郎がグレイに手を出そうとしたことがあったが、その時はドス黒い肉塊が三つほど出来上がった。勿論グレイの所業だ。

 ウェイバーとバラライカとの繋がりを持ち、本人の戦闘能力も高いとなれば、誰が喧嘩なぞ吹っ掛けるのか。そんなわけで、この街でグレイはすくすくと(?)成長していたのだった。

 

「帰ったらお姉さんにお料理を教えてもらいましょう。そうね、毒の匂いが分からなくなるように匂いの強い料理がいいわ」

 

 因みに、少女は未だウェイバーの抹殺を諦めていなかったりする。

 ともすれば忘れそうになるが、少女は元々ウェイバーとバラライカの抹殺の為にロアナプラへとやって来た殺人鬼である。依頼主だったイタリアン・マフィアは殺害したものの、件の二人の息の根を止めることは一年経った今でも出来ていない。バラライカに関しては現在少女の標的ではないため、余程の事が無い限り銃口を向けることはない。向けたところで火傷顔(フライフェイス)率いる遊撃隊に制圧されるのは目に見えている。

 ではウェイバーに対してはどうか。

 同じ屋根の下で生活しているのだ、命を狙う機会など幾らでもあるだろう。

 ウェイバーの命を狙う事に関しては先駆者とも言える女ガンマン、レヴィは以前グレイの行動に対して簡潔にこう語っていた。

 

「まるで昔のアタシを見てるみたいだ」

 

 シャワールームへの突撃も。

 料理中の背後からの銃撃も。

 真夜中に寝込みを襲うことも。

 

 その結果がどうであったかは、ウェイバーが今現在生存していることで理解出来るだろう。

 ここ最近はそれが本気の命のやり取りというよりも過剰なスキンシップのようになってきてしまい、ウェイバーが頭を悩ませているというのは雪緒の言である。

 

 特に行く宛も無く街を歩き回ったグレイは、通りかかった市場の露店で幾つか果物をサービスでもらい、上機嫌で事務所への帰り道を歩いていた。

 

「……あら?」

 

 何かに気が付いたグレイは、小首を傾げてそう零した。

 ロアナプラではまず見掛けない、真黒な衣服に身を包んだ女が前方をゆっくりと歩いていたからだ。右手には古そうな革張りのトランクを持ち、人通りの少ない路地へと進んでいく。

 この街では見ない顔だ。グレイは最初にそう思った。ロアナプラでの生活も約一年。どこにどんな人間が住んでいるのか大雑把に把握してきたグレイだが、今目先を歩く女をロアナプラで見かけたことは無かった。

 度々視線を周囲に彷徨わせていることから、旅の人なのだろうと適当にアタリを付ける。グレイは特に何の警戒もすることなく、その女の元へと駆け寄っていった。

 

「お姉さん、探し物?」

 

 背後から掛けられたその声に、女は立ち止まって無言で振り返る。そこに立っていたのが子供であることに多少驚いたのか、僅かに目が見開かれた。

 

「……酒場を探しておりますの」

「酒場? どんな?」

「イエローフラッグという名の。一度来たことはありますが、どうにも記憶が曖昧で」

「ああ。その酒場なら私知っているわ、案内してあげましょう」

 

 言うやいなやグレイは女の手を取って踵を返す。これは只の親切である。打算の無い、少女の無垢な思いやりからの行動だった。それは互いにとって幸いだった。

 もしもこの時グレイが殺気を含んで近付いていたら。もしもグレイが女の様子がオカシイことに気付いていたら。

 ギリギリのラインで辛うじて踏み止まっていることに互いは気づかぬまま、イエローフラッグへの道を歩いていく。そんな二人を道行く人間たちは信じられないような表情を浮かべて見ていた。何がどうなればそのコンビが誕生するんだと、声を大にして叫び出す輩まで現れる始末である。

 そんな周囲の雑踏と奇異の視線に紛れて、二人を流し見する男が一人。

 

「……メイドと、子供……?」

 

 訝しげにヨアンは呟いた。

 

『何か言った?』

「いや、何でもない」

 

 受話器越しのクラリスの声に、視線を二人の後ろ姿から正面へと戻す。

 

『それで? 無事悪党の巣窟に足を踏み入れた感想は?』

「言われるだけのことはあるな」

 

 携帯電話を耳に当てながら、ヨアンはぐるりと周囲を見渡した。一見して何か揉め事が発生しているわけではない。ただ、そこら中にその痕跡は残されていた。外壁に刻まれた銃痕、血痕。その数が尋常ではないのだ。

 

「手配書の上位層が巣食ってるのも納得だな。こんな街、奴らにしてみりゃ格好の隠れ蓑だろう」

『多国籍企業を騙ったマフィアなんかも多いって聞くけど』

「十中八九アタリだろうな。どんな大物が釣れるかは知らんが、あの男に繋がってさえいりゃそれでいい」

 

 ヨアンの目的はウェイバーの逮捕。他の悪党など二の次である。周囲に蔓延る有象無象になど構っている暇はないのだ。

 

「よォ兄ちゃん。見ねえ顔だな」

 

 と、唐突に真正面から声を掛けられる。分厚い筋肉に覆われた大男と、その後ろに続く五人ほどのチンピラ。

 眉を潜めつつも、一先ずヨアンは無視を決め込むことにして男たちの間を通過しようとする。当然それを許してくれるはずもなく、大男の腕によって行く手を遮られてしまった。

 

「無視とはいけねえなあ。アンタこの街がロアナプラだって分かってんのか?」

『なになに? もしかして絡まれちゃったりしてる?』

「あー、どうやらそうらしい」

『ちょっとそれ大丈夫なわけ? だって――――』

「後で掛け直す」

 

 それだけ言って、ヨアンはクラリスとの通話を強制的に終了した。携帯電話をズボンのポケットに突っ込み、正面の男たちを見据える。

 

「で、なんの用だ?」

「……いい度胸してんじゃねえか兄ちゃん。この人数前にしてその態度かよ」

 

 いい加減無視を続けられて大男も限界が近かったのだろう。額に浮かぶ青筋が、男の怒りを如実に表していた。

 金目のものでも盗られるんだろうか。はたまた血達磨にでもされるのか。そんなことを考えながら、ヨアンは男たちに囲まれ薄暗い路地裏へと連れ込まれる。既にヨアン以外の全員が拳銃かナイフを手に持ち、威嚇じみた視線を投げ付けてくる。

 そんな彼らを前に、しかしヨアンの態度は一切変わらなかった。

 

 そして。

 

「――――――――ああ、もしもし。クラリスか、悪いな切っちまって」

『それはいいけど、大丈夫なの?』

「問題ない」

『いやアンタじゃなくて、絡んできた方よ』

 

 ヨアンの足元に広まっていたのは、赤い血溜まりと動かなくなった六人の男たちだった。最初に声を掛けてきた大男の上に腰を下ろし、ヨアンは事も無げに告げる。

 

「殺しちゃいないよ。いや失血死って可能性はあるのか」

 

 携帯を持っていない方の手で愛銃をくるくると回しながら、下で倒れ臥している男を眺める。

 

「こんなのがゴロゴロ居るんだ。上層部だって正当防衛ってことで片付けてくれるでしょ」

『ヨアンの場合過剰防衛だからね』

「命を守るためだ、止むに止まれぬってやつだよ」

『どうだか』

 

 呆れを多分に含ませたクラリスの言葉を耳にしながら、ヨアンは緩やかな動作で腰を持ち上げる。手馴れた動作で拳銃をショルダーホルスタへと戻し、何事も無かったように通りへと戻っていく。

 

「一先ず人が多い場所を回ることにするよ。もしかするといきなり当たりを引けるかもしれない」

 

 それなりに人間が集まる場所など、この街でなくても大体は同じである。宛は幾つかあるが、ヨアンはその全てを回っていくつもりだった。

 

 ロアナプラに紛れ込んだ異物たち。

 それらはこの街を内側から静かに、しかし確実に侵食していく。

 

 

 

10

 

 

 

 バオが俺の事務所に怒りの電話を入れてきたのは、陽が傾き始めた頃だった。

 雪緒の話を受け、何だか嫌な胸騒ぎを覚えていた正にその時である。

 まさかバオからの電話だなどと夢にも思わない俺はなんとはなしに受話器を取り、次いで飛び出した怒声に思い切り顔を顰めた。

 

『てんめえウェイバーこれは一体どういうことだァッ!?』

 

 受話器越しのバオが一体今どんな表情(カオ)をしているのか一発で理解できてしまえるほどの怒声だった。

 が、俺は今日に限って言えば彼を怒らせるような真似をした覚えはない。

 

「何の話だバオ、いきなりがなられても意味が分からん」

『お前ンとこのチビッ子だよクソッタレ!! あのガキよりにもよってとんでもねえモン連れて来やがったッ!!』

「落ち着けよバオ、最初から全部話してくれ」

『落ち着けだ!? てめえ俺の金玉がチタンで出来てると思ってんのか!?』

 

 ダメだ、どういう経緯(いきさつ)があったのかは知らないが、受話器越しで会話をしていても埒が明かない。グレイがどうとか言っていたし、今ここに帰ってきていないことも含めて何か関係があるんだろう。静かに息を吐いて、宥めるようにバオに言う。

 

「分かった、今からそっちへ向かう。詳細はそこで聞かせてくれ」

『ああ聞かせてやるさクソッタレな事の顛末をよ!』

 

 それだけ言ってバオは一方的に受話器を叩き付けたのだろう。ブツンと回線が切れ、無言の電話だけがそこに残った。

 

「何か揉めてたようですけど、大丈夫ですか?」

 

 キッチンの方から顔を覗かせる雪緒に問題ないとだけ告げて、椅子に引っ掛けてあったジャケットに袖を通す。

 何を言われるんだろうか。グレイのことだから、店内のテーブルやら椅子なんかを撃ちまくったのかもしれない。そうなるとまたバオに弁償しないといけなくなるな。いや、金額で言えば俺やレヴィの方が圧倒的なんだけれども。

 直接話を聞かなければ始まらない、とイエローフラッグを目指して歩き出す。大分影も伸び始め、あと一時間もすれば夜の帳が下りるだろう。

 俺の事務所からイエローフラッグまではそこまで距離があるわけでもないので、基本的には徒歩で移動している。メリーの働くカリビアン・バーには専ら車を使用しているが、大通りに建つカリビアン・バーとは違いイエローフラッグは大通りからは一本外れた場所に建っているため、車を使うよりも徒歩で移動した方が都合がいいのだ。主に車を擦らないという点で。俺の運転技術はお世辞にも良いとは言えないのだ。

 

 取り留めのない事ばかりを考えていると、イエローフラッグが見えてきた。

 既に開店はしているのか、内側からは電灯の明りが漏れている。

 扉を押して、店内に入ってみれば。

 

「あン? レヴィとロックか」

 

 時間が早いため人の数はまばらだが、カウンターに見知った二人を見つけた。ラグーン商会の二人だ。カウンターの奥には顰めっ面のバオの姿もあり、射殺さんばかりの眼付きで俺を睨んでいる。

 取り敢えずロックの隣りに座り、適当に酒を注文する。

 

「どうしたんだよボス、飲むにしちゃあ早いじゃねェか」

「バオに呼び出されてな、嫌々出てきたんだよ」

「バオに?」

 

 そりゃまたどうして、とレヴィが尋ねるよりも早く、バカルディを乱暴に置いたバオがカウンター越しに詰め寄ってきた。

 

「やいウェイバー、てめえ今度は一体どんな爆弾引っさげて来やがった」

 

 先程の電話の時よりは幾分か落ち着きを取り戻したみたいだが、それでも語気がかなり荒い。

 取り敢えずバカルディをグラスに注ぎ一息に呷る。空になったグラスを置いて、二杯目を注ぎながら。

 

「だからよバオ。俺には何を言ってるのかてんで見当がつかない。一から説明してくれ」

「おう耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ。今日の俺は機嫌が良かった、久しぶりに賭けでデカイ当たりを引いたからな。だから鼻歌歌いながらここの開店準備に精を出してた。一時間ぐれえ前のことだ」

 

 俺だけでなく、ロックやレヴィもバオの話を興味深げに聞いている。

 まだ話の全体像が見えてこないので、無言でバオに続きを促した。

 

「そんな時だ、準備中だってのに扉が開いた。俺はどんな先走り野郎がやってきたのかと思って振り返ったんだ。そしたらどうだ、そこにゃ――――」

 

 不自然に途切れたバオの言葉を不思議に思ってグラスに向けていた視線をバオに向けると、目を見開いて固まってしまっていた。

 

「おいバオ?」

「……オイ、こいつは一体何の冗談だ?」

 

 僅かに震えた声音でそう呟いたバオの視線の先を追って、身体は正面を向けたまま首を僅かに回して背後を見やる。レヴィ、ロックも俺の動きに続くように身を捻って入口の方へ顔を向けた。

 そして、二人の動きもぴたりと止まる。

 

「……事務所の方へ連絡を入れたのですが、ご不在のようでしたので」

 

 その声は、未だ幼さを残す少女のものだった。

 黒を基調とした給仕服を身に付ける少女は、一度目礼してから。

 

「皆様がこちらをよくご利用されることは若様から聞いておりましたので、こうして出向かせていただいた次第にございます」

「……君は、ラブレスの関係者かい?」

「ああ、これは失礼しました。わたくし、ラブレス荘園にて雑役女中を勤めさせていただいております。ファビオラ・イグレシアスと申します」

 

 ロックの問い掛けに少女、ファビオラは丁寧にそう答えたのだった。

 

 

 

 

 

 




 以下要点。

・ファビオラ勘違いの伏線。
・グレイ、核弾頭と接触。
・ヨアンニアミス。
・ウェイバー事情を知らぬまま核心へ。

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