悪徳の都に浸かる   作:晃甫

28 / 55
028 迷い込んだ哀れな子羊たちへ送る鎮魂歌 2

 6

 

 

 

 ロアナプラ北東。メインストリートを抜け、緩やかな坂道を進むとやがて小さな市場が姿を表す。路肩に簡素な露店が幾つか並んでいるだけのそれらを抜けしばらく進むと、パタリと人足が無くなる場所がある。まるで見えない結界でも張ってあるかのように、本当に人気が一切無くなるのだ。

 不気味な程に人の気配が消えるその通りには、曲がり角の殆どにカーブミラーのようなものが設置されている。とは言っても日本のような凸面鏡ではなく、どこか安っぽいくすんだ平面鏡が殆どだが。突然現れるそのミラーが、地獄一番地と呼ばれる通りにだけ無数に佇んでいる。何故か。

 その理由を、街に住む人間は例外無く知っている。その通りに聳える、一見何の変哲もない白い建造物。そこに住まう男がやって来るのをいち早く察知するためだ。誰もが彼の存在を畏れ、その敷居どころか近くにさえ寄り付こうとはしない。周囲の壁には弾痕や血痕がこれでもかとこびり付いているというのに、男の住む建物にだけはそうした汚れが一切付着していなかった。風化に伴う多少の汚れや崩れはあるが、それだけだ。人為的に付けられたものは無い。銃口を向けることすら憚られるのだ。 

 

「エルヴィス、分かるだろう? ここはお前さんの知ってるような街じゃないんだ」

 

 夜の帳が下りたロアナプラ。街の外れに建てられた病院の一室で、ロボスは言い聞かせるように告げた。彼の視線の先にはベッドに腰掛けるエルヴィスの姿があり、苛立ちを隠そうともせずロボスを睨み付けている。

 馬鹿にされている、そうエルヴィスが思うのも無理からぬことだった。たった一人で軍隊と渡り合う、視認すら許さぬ早撃ちをしてみせる。どちらも荒唐無稽、とても信じられる話ではない。ロボスは至って真面目な表情で話してはいるが、その実負傷した己を小馬鹿にしているのだろう。そう思うと咥えた煙草を噛みちぎりそうになる。

 

「なぁロボス。てめえは俺にケツまくって逃げろ、そう言いたいのか?」

「そういうわけじゃない。ただこの街にはこの街の――――」

「さっきから何遍も同じこと言うんじゃねえよ腰抜けが。てめえの言う黄金夜会がどんだけ幅利かせてんのか知らねぇけどな、ウチの組織相手取って勝てると思ってんのか?」

 

 フンッ、と鼻を鳴らすエルヴィスを前に、ロボスは内心で諦めの篭った溜息を吐いた。

 この男はロアナプラのことを微塵も理解しちゃいない。何が文明的なフロリダだ、これまでは同郷の好で面倒を見てきてやったがそれももう限界である。これ以上関われば自分までもが黄金夜会に目を付けられかねない。そうなればもうこの街で生きていくことなど不可能だ。翌日には海の藻屑となっているだろう。

 同郷の人間との友好関係と己の命。わざわざ天秤に掛けるまでもない。

 

「……エルヴィス」

「あん? なんだ――――」

 

 苛立ったままのエルヴィスが視線をロボスへ向け、途端絶句する。 

 そこにはマシンピストルの銃口をこちらに向けた旧友の姿があった。

 

「……ロボス、てめえ……」

「悪いなエルヴィス。これ以上は付き合ってられないよ、俺も自分の命は惜しい」

「俺を殺せばフロリダの連中が黙ってねえぞ!」

 

 その叫びに、しかしロボスは首を横に振る。

 

「流儀を守らない奴は流儀に守られない。なあエルヴィス、お前は今まで自分(テメエ)だけの流儀で一体何人殺してきたんだ?」

「ッ……!」

 

 どこか諭すような口調で、ロボスは静かに告げた。

 

「あばよ、親友」

 

 一発の銃声が轟き、やがて完全な静寂がその場を支配した。

 

 

 

 7

 

 

 

「最っ悪だわ」

「俺も全く同意見だよクソッタレ」

 

 仏頂面で詰め寄ってくるインド人を一蹴する。

 事務所のデスクに腰を下ろす俺に、尚も何か言いたげなジェーンは眉間に皺を寄せたまま無言で背後を指差した。

 

「あの子! なんとかしてよ! 私のパソコン蜂の巣にされたんだけど!?」

 

 ジェーンが指差す先には楽しげに笑うグレイの姿。彼女の足元には無残にも破壊されたパソコンの残骸が散らばり、雪緒がそれをせっせと片付けている。何でもジェーンが大事そうに抱えていたところをグレイがスリも真っ青な早業で奪い去ったのだそうだ。中身がどんなものかも知らず、ただの暇潰しで的当てに興じたらしい。グレイは暇を潰せて満足げだが、持ち主のジェーンにすれば堪ったものではないらしく、こうして俺に詰め寄ってきているというわけだ(なんとかバックアップメモリだけは死守したらしい)。

 が、俺だって好きでこの女を事務所に避難させているわけではない。ヨランダの口添えが無ければ誰がこんな禍の種を抱え込むものか。

 

「はぁ……、何だってこうも……」

 

 礼拝堂の時から俺は関わらないぞアピールしていたのに、どうしてヨランダやエダに嬉々として時限爆弾みたいなこの小娘を押し付けられているのか。

 彼女たちの言い分は尤もらしいが、その実体の良い避難場所にされただけである。しかもその言い分はこの街の人間にのみ該当するものであり、余所者には当て嵌らない。今俺の居るこの事務所周辺の通りが何て呼ばれているのかも、きっと追手の連中は知らないのだろう。

 もう一度、小さく息を吐く。

 

「ボス、『何で俺がこんな事に付き合わされてんだ糞が』って溜息が漏れてるぜ」

「すげェなお前」

 

 俺の溜息の原因までもレヴィは分かるらしい。まぁ原因を辿ればレヴィも一枚噛んでいるが、俺の事を気にかけてくれるだけ他の連中に比べればマシだ。そういうことにしておこう。

 

「昼間お前も言ってたけどな、あのインド人の自業自得だろう。俺が匿う意味が分からない」

「そりゃご尤もだけどよ、あのクソ尼が何か企んでんだ。乗ってみるのもアリなんじゃねえの」

「エダが考えてることなんか碌な事じゃないだろうが」

 

 懐から取り出した煙草を咥え、レヴィから差し出されたライターで火を点ける。

 天井に向かって煙を吐き出し、未だ部屋の隅でグレイと口論(一方的)をしているジェーンに視線を移す。

 まるで身の危険を感じていない、間の抜けたツラをしていた。

 

「……オイ、女」

 

 それが自分のことを呼んでいるのだと理解したジェーンは、ムッとした顔でこちらに近付いてくる。

 

「なによ、これからの算段でもついたのかしら」

「それは後回しだ。今のお前には全く危機感が感じられないから、忠告だけはしておいてやる」

 

 一瞬の間をおいて。

 

ロアナプラ(ココ)じゃお前みたいな奴から死んでいく。それが嫌ならもう少し周りを見ろ」

 

 主に俺が迷惑をしているということに気付け。確かに前金は幾らか貰っているが、人間一人の命の値段にしては少なすぎる。まぁ、原版が手に入ればきっちり払ってくれるそうだが。

 とにかく、俺にしてみればいい迷惑なわけで。それが少しでも伝わってくれればと、そう言ってはみたのだが。

 

「……流石だぜ、ボス。アタシも今気付いたとこだ」

「なに? 一体どういうこと?」

 

 どういう訳かレヴィが口元を吊り上げ、ジェーンは首を傾げていた。備え付けのソファへと視線を移してみれば、先程まではしゃいでいたグレイも静かに窓の外を見つめている。雪緒はそんなグレイの変貌っぷりに目を丸くしているが、内心俺も全く同じ思いだった。

 なんとなくレヴィとグレイの二人が外の様子を気にしているということは分かったので、そこから俺なりの推測を立てていく。

 今までの会話の流れと、俺の内心。そしてレヴィたちの様子から鑑みる。

 

 ああ、成程。そういうことか。

 合点がいき、内心でポンと手を打つ。

 

 二人が何を考えているのか大体のアタりが付いたため、ニヤリと口元を歪ませる。

 要するに、二人はジェーンにもっと危機意識を持つようにと言いたいのだろう。先の俺の周りを見ろという言葉を受け、この街の危険性を説こうとしてくれているのだ。ロアナプラには悪党が掃いて捨てる程のさばっている。そんな中に放り込まれたのだから、少しはこの街の危険性を感じろ、と。

 何だ、意外と親切なところもあるんだな。

 そんな事を考えながら、革張りの椅子からゆっくりと腰を持ち上げる。

 事の言い出しっぺは俺なのだから、二人にだけ押し付ける訳にもいくまい。レヴィたちが尚も視線を向け続ける窓の前に立ち、先日防弾仕様となった窓を音もなく開ける。既に夜の帳は下り、酒場なんかが密集する中央通り意外は真っ暗な闇が一面に広がっている。当然この事務所の周囲も碌に街灯なんて設置されちゃいないから、室内の蛍光灯くらいしか光源になるようなものは存在しない。

 

「何を言ってんのか理解出来てないみたいだから、俺が教えてやるよジェーン」

 

 悪党らしい笑みを浮かべ、懐から愛銃を引き抜く。

 

「ロアナプラって街はな、お前が思ってるような肥溜めじゃない」

 

 肥溜めが天国に思える程酷い街だ。窓の外、眼下に広がる悪路へ銃口を向ける。元々の視界が悪いのと、最近視力が低下してきたこともあって碌に周囲が見渡せないが、ここらの通りは人通りなんて皆無だから心配ないだろう。万が一通行人なんかいたら面倒だから、少しだけ照準を上にしておく。

 理解が追いついていないジェーンにも分かりやすく、かつ明確に、それらしい雰囲気を演出しつつ口を開く。

 

「イカレた亡霊どもがそこら中を彷徨う穢れた別天地(エルスウェア)だ」

 

 装填されていた六発全ての弾丸を、適当な場所へと撃ち込んでいく。早撃ちではなく、ジェーンにも見えるようにゆっくりと。

 全てを撃ち終わったところでジャケットのポケットに乱雑に仕舞い込んであった弾を取り出し、リボルバーに一発ずつ装填していく。

 半分程の長さになった煙草をそのまま窓の外に吐き捨て、できる限りジェーンの恐怖心を煽るような声音で。

 

「――――気を抜けば一瞬で呑み込まれるぞ」

 

 

 

 8

 

 

 

「本当にそんなに上手くいくのか?」

「まーそう心配なさんな色男。アタシの計画に失敗の二文字は存在しないのさ」

「不安だ。酷く不安だ……」

 

 室内の明りが僅かに漏れてくるだけの路地裏。そこに停めた車の中で、ロックはハンドルに額を当てて俯いた。

 そんな彼を隣りに座るエダは何でもないように笑い飛ばすが、ロックの聞く限り彼女の計画は些か穴が多すぎるように感じる。

 まず大前提として、ウェイバーがエダの予想通りに動くという保障がない。

 そのことを指摘してみれば、

 

「ああ、んなこた百も承知だよロック。アタシだってこの街は長いんだ、あの男がどれだけバケモンで規格外なのかはよォく知ってる」

「だったら……」

「だからあのインド女を放り込んだのさ。ウェイバーは請け負った仕事は絶対にこなす。無理やりにでも押し付けちまえば、一先ずあの女の身の安全は保証される」

 

 死なれちゃ原版も手に入らないしねと、エダは頬杖をついて続けた。

 

「ま、確かにロックの言い分も一理ある。旦那の手綱握るなんざどんな人間にも不可能だ」

「…………」

「だからこそ最高のギャンブルになる。そう思わないかいロック」

 

 ロックを正面から見据えて、エダは意地の悪い笑みを浮かべる。

 これまでの彼なら、僅かでも分の悪い賭けには絶対に乗らなかっただろう。エダはロックという男の性分をかなり正確に把握していた。故に先の発言は発破をかけるという意味ではなかったのだ。

 

 だからこそ、ロックが不敵に微笑んだのを見てエダは目一瞬言葉を失った。

 

「……そうかもな」

 

 本当に、日本で一体何があったのか。

 次レヴィに会ったら必ず吐かせようとエダは内心で誓う。

 

「それで? 俺たちはこんな路地裏に車を回してどうするんだ?」

 

 周囲に人影は一切ない路地裏のど真ん中に留められた車は、傍から見ればかなり浮いて見える。夜であることが幸いした形だ。

 

「アタシの読みが正しけりゃ今夜あたりウェイバーの旦那ンとこに襲撃がある。もしそうなったらここに来いってレヴィに伝えてあんのさ。その後は追手をブチのめして優雅に船旅と洒落込む寸法よ」

 

 エダが言うには既に一隻の船を港に停泊させているらしい。ラグーン号が出払っていることも想定しての行動だそうだ。どうやら荒事の殆どをウェイバーにぶん投げる腹積もりらしい。

 ロックとエダが動くのは襲撃が実際に行われてからである。ウェイバーやジェーンを含めた何人かとここで落合い港まで一気に走り抜ける。ジェーンを追ってきたというマフィアをまとめて片付けるにも分かり易い餌を見せておく必要がある。それがジェーンというわけだった。

 その傍には劇物に等しい男が付いているわけだが、そんな事情を追手連中が知るはずもない。

 

(何だかエダが頭を抱える未来しか見えないなぁ……)

 

 そもそも本当に起こるかも怪しい襲撃を待ちながら、ロックはぼんやりと考える。

 雲の切れ間から僅かに顔を覗かせる月を見上げ、やがて始まるであろう開戦の合図を、ただじっと待ち続ける。

 

 

 

 9

 

 

 

 最初にその違和感に気が付いたのは、やはりロアナプラに住む人間だった。

 ラッセルという男の話を聞いた時点でおかしいとは思っていた。イエローフラッグから北東へ進む通りはそれほど多くない。その内の一つを進んでいけばやがてたどり着くだろう場所は、この街の人間なら誰もが知っている。

 まさかな、とその男は思った。幾ら何でも、流石にあの通りが目的地ではないだろうと。

 しかしその予想に反して、先導するラッセルはまっすぐに地獄一番地と呼ばれる通りへと向かっていくではないか。そして小さな露店が並ぶ道を抜けた時点で車を停めたラッセルを見て、嫌な予感が的中したことを男は悟った。まずい、これは非常にまずい。ほぼ無意識のうちに、男はラッセルの肩を掴んでいた。

 

「おいカウボーイ。なんでこんな所で車を降りやがった。まさかとは思うが、この先の通りに用があるってわけじゃねえよな?」

「あん? 用が無きゃ降りるわけねぇだろ。この先の通りに女が居るって情報だ。何してる、さっさと行くぞ」

 

 肩に置かれた手を振り払い、ラッセルはさも当然と歩き始める。

 それに異を唱えたのは、長い黒髪を靡かせた糸目の本省人だった。

 

「本気でソレ言ってるか? だとしたら私たちここで降りるよ」

 

 切れ長の瞳に何処か緊張感を滲ませながら、シェンホアはラッセルにそう言い放った。そんな彼女の意見に全面的に賛成なのか、ロアナプラの殺し屋たちは口を開かない。唯一新顔と称されたトーチとロットンだけが、理解が及ばずに首を傾げていた。

 そんな彼らの様子に、ラッセルは眉間に皺を寄せる。

 

「オイオイお前らここまで来て何を言ってやがる。酒場での威勢はどこいっちまったんだ、あ? とんだ腰抜け野郎じゃねえかよ」

「何とでも言うよいな。私たち鬼に得物向ける程死にたがりじゃない言うことよ」

「鬼? てめえら一体何の話してやがる!?」

 

この付近に近づいた途端に及び腰となったロアナプラの殺し屋どもを見て、ラッセルは語気を荒げた。何だ、何にこいつらはここまで恐怖しているのだと、同時に疑問も浮上する。

 

「よいかカウボーイ。この先の通りには魔物住んでるます、この街でも一等の怪物よ。そんなの相手にしてたら命幾つあっても足りないね」

「てめえはこの街が初めてだから知らねぇだろうがな、絶対に怒らせちゃいけねえ人が住んでんだよ。その敷地にすら入ることを躊躇っちまうほどのな」

 

 そんな話を聞いて、尚ラッセルはそれを鼻で笑い飛ばした。

 

「要はビビってるだけなんだろ? だったら一人頭5000ドルにしてや――――」

 

 ラッセルの言葉は、最後まで続かなかった。

 懐から得物を抜いたシェンホアが、ラッセルの真横へソレを投げつけたからだ。紐付きのククリ刀が、車の側面に突き刺さる。

 

「カウボーイ、ここはノーフロリダね、ロアナプラよ。あの人相手にするなら100万ドルでもまだ足りない」

 

 にわかにざわつく殺し屋たちは、皆一様に焦燥の色を浮かべていた。

 

「冗談じゃねえぞオイ、鹿狩りが鬼狩りに変わっちまった」

「いやこのままだと狩られるのは俺たちだ。早いとこ離れたほうがいい」

 

 最早女を生け捕りにすることなど頭に無いらしい。そんな状態を見て、雇い主たるラッセルの怒りはいよいよ限界に達しようとしていた。

 が、そんなラッセルが何かを言い出すよりも早く、行動を起こした人間がいた。

 その男はゆっくりと、しかし確実に先の通りへと進んでいく。地獄一番地と呼ばれる、ウェイバーが住まう事務所の聳える通りへ。

 

「オイ正気かあの優男」

 

 他の殺し屋たちが立ち止まっている中、美丈夫はサングラスを小さく持ち上げて。

 

「鬼狩りね……、僕にぴったりの仕事じゃないか」

 

 魔術師。ロットン・ザ・ウィザードは、小さく口元を歪ませた。

 ジャケットの内側に忍ばせていた二挺のモーゼルM712を引き抜き、通りのど真ん中を進んでいく。

 

「おいトーチ! てめえも行かねえか!」

「了解」

 

 ラッセルの怒声に、小太りの男も歩き出す。背中に背負ったタンクからノズルを引き、ロットンの後を追う。

 二人に続いてラッセルも地獄一番地へと足を踏み入れる。最早腰抜けの現地人などに用はない。女を一人捕まえるだけの仕事である。自身を含めて三人も居れば問題ないだろうと判断しての行動だ。仮に本当にそんな化物が居るのだとしても、数の利はこちらにある。

 

 そう考えていたラッセルの考えがあっさりと覆されるのは、それから数秒後のことだった。

 

 突如として銃声が轟いた。

 一発、また一発と。一定の間隔で銃声が響き渡る。

 合計で六発。その音をラッセルが耳にしたのと、激痛が身体を襲ったのはほぼ同時だった。

 

「――――ッ!!?」

 

 激しい痛みを伴う自身の右肩を見てみれば、真っ白なシャツの内側から鉄臭い液体が溢れ出している。

 撃たれたのだ、と理解した時には、眼前を歩いていたトーチは既に崩れ落ちていた。撃たれた右肩を押さえながら駆け寄ると、眉間と火炎放射器のノズルを握っていた右手に弾痕が刻まれていた。恐らくトーチは何が起こったのか理解も出来ぬままこの世を去っただろう。

 一体何処から。そんな疑問がラッセルの脳裏を過ぎる。

 

「……あのミラーだ」

 

 先頭を歩いていたロットンが、消え入りそうな声で呟く。

 

「あのミラーを使って、跳弾させている……。どこから撃っているのか分からないように、しているんだ……」

「お前、まさか今のが見えてたのか!?」

 

 驚愕するラッセルに、しかしロットンは首を横に振る。

 

「そんな気が、しただけだ……」

 

 やけに渋い声でそう告げ、ロットンも路面に崩れ落ちる。どうやら彼も銃弾をその身に受けていたらしい。それはそうだ。一番前を歩いていたのである。被弾の確率は彼が最も高い。

 

 たった数秒で二人が崩れ落ちたことに驚愕しているのは、何もラッセルだけではなかった。

 その後方で踵を返そうとしていた殺し屋も、またその光景に唖然としていた。ミラーを使用しての跳弾に、ではない。

 既にこちらの存在に気付かれているという事実にだ。

 ウェイバーという男に、容赦の二文字は存在しない。己の縄張りに敵意を持って足を踏み入れる輩に、くれてやる慈悲など持ち合わせてはいないのだ。

 故に、ウェイバーが戦闘の意思を見せていることは大きな問題だった。このままでは巻き添えを喰らう。そう判断し、慌ててこの場を離れようとする。

 が、既に手遅れだった。

 

 ロットンとトーチの転がる通りの向こうから、確かな足音が二つ。

 この暗闇のせいでその姿をはっきりと捉えたのは、彼女たちの射線に入ってしまってからだった。

 肩に刺青を走らせ、鈍い光を放つカトラスを握る女ガンマンと、闇夜に同化する衣服を纏った銀髪の少女。

 

「珍しいわね。ここにこんなにたくさん人がいるなんて」

「ボスに歯向かうたァ、その度胸だけは認めてやるよド阿呆共」

 

 一切の容赦ない弾丸の嵐が、殺し屋たちへと降り注いだ。

 

 

 

 10

 

 

 

「あーあー、先走りやがってアイツら……」

 

 二階の窓から飛び出していったレヴィとグレイの後ろ姿を眺めながら、やれやれと溜息を吐く。

 そこまでしてくれなくても良かったというのに。先程の俺たちの演技でジェーンは十分この街の恐ろしさを理解してくれたようだし、後は適当に流せばいいと思っていた矢先のことだ。それぞれの獲物を抜いたレヴィとグレイは、俺が弾丸を放った方角へと向かって飛び出してしまった。

 万が一にでもこの瞬間に襲撃されたらどうするんだ。俺ひとりでインド女と雪緒を庇いながら戦うのは勘弁だぞ。

 

「ウェイバーさん。二人は……」

 

 二人が消えていった方角を見ながら尋ねる雪緒。ここでジェーンに警戒させるための演技だと明かすのは意味がないので、もうしばらくこの状態を維持しておこう。

 リボルバーをくるくると回して、俺も窓の外を眺めながら。

 

「始まったんだよ」

「始まったって、まさか奴らが!?」

 

 俺の言葉に、ジェーンが声を荒げる。狙った通りの反応をどうもありがとう。これで少しでも周囲に気を配れるようになってくれるなら、俺としても非常に助かるんだけれど。

 

「雪緒、この女と一緒に奥の部屋に行ってな」

「ウェイバーさんは?」

「二人にだけ任せるわけにもいかんだろう。不本意だが、仕事はきっちりこなしてみせるさ」

 

 どこまで行ってしまったのかは知らんが、通りを抜けた辺りで銃声が聞こえてくるのですぐに居場所は把握できるだろう。実弾撃つまでしてくれなくても良かったんだけどな。まぁその方が危険地帯感みたいなものは増すが。

 事務所の階段を降りて、半分程顔を出した月が照らす夜道を歩き出す。

 一応襲撃にも警戒はしておこう。来ないに越したことはないが、そうとも言い切れないのが現状だ。となると通りの目立った所はあまり歩くべきではないな。いくら夜で視界が悪いとは言え、暗視ゴーグルを使われれば関係無くなる。そう思い、建物と建物の間の脇道へと入っていく。

 

 やけに銃声の数が多い気がするが、また何処かの馬鹿が酔った勢いで乱射でもしているのだろうか。

 

 

 

 11

 

 

 

 間断無く放たれる弾丸の雨を掻い潜り、ラッセルは路地裏へと逃げ込んでいた。最初に撃たれた右肩の他に、左足からも出血が見られる。

 尚もあの通りでは銃撃戦が繰り広げられている。通りに着いた時点では逃げ腰だったロアナプラの殺し屋達も腹を括ったらしく、二人の女へ向かって銃撃を行っている。先程の話を聞くに立ち向かうことすら憚られる人間が居るとのことだったが、銃撃戦を行っているところを見るにやって来た女たちはその鬼とやらとは別人なのかもしれなかった。

 しかしその応戦も虚しく、次々とこちらが雇った人間たちは蜂の巣にされてしまっている。たった二人に、いいように殺されてしまっている。

 

「クソッタレ、冗談じゃねえぞ……! なんだってんだあの(アマ)ども……!」

 

 人を殺すことになど慣れていたつもりだった。フロリダでくぐり抜けてきた死線の数がそのまま自信となって、ラッセルという男を形作っていたはずだった。

 しかし、そんな自信には何の価値も無いと言うように、二人の女は全てを破壊し尽くさんとしている。

 銃声の間で僅かに聞き取れる会話が、ラッセルの耳に飛び込んでくる。

 

「シェンホアてめえいい度胸してんじゃねえか! ボスに盾突くとはよォ!!」

「誤解ですだよアバズレ! 私ウェイバーの旦那がこの件に一枚噛んでる知らなかったね!」

「言い訳は殺した後に聞いてやるよシェンホアぁ!!」

 

 あの戦いの中に割って入っていくことなど、ラッセルにできるはずも無かった。

 ともかく、これは非常にまずいことになった。たった一人の女を捕まえるだけの仕事だったはずが、いつの間にかとんでもない輩を引っ張り出してしまった。

 ボスであるエルヴィスに連絡をとも思ったが、この事態を知られれば自分も粛清の対象にされるかもしれない。それだけは避けたかったラッセルは、奥歯を噛み締めて携帯電話を地面に叩きつけた。

 

(こうなったら俺だけでも女を探し出して……)

 

 通りの様子を窺いながら、なんとかこの場を脱することが出来れば。

 

「あはは、どうしたの? おじさんたち、もっと私と踊りましょう?」

「ま、待て……」

「ギャッ!」

 

 …………。

 満面の笑みでBARをぶっ放す少女を視界に捉えて、ラッセルは踏み出しかけていた右脚をそっと戻した。

 

「何してんだお前」

「うおゥ!?」

 

 突然背後から声を掛けられたことで、ラッセルの肩が大きく揺れる。

 慌てて振り返ってみれば、そこには煙草を咥えたジャケットの男が立っていた。こちらの様子を見て怪訝そうに首を傾げているあたり、ただの一般人だろうと推測する。

 

「お前血出てるぞ、大丈夫かそれ」

 

 ラッセルの右肩と左足を順に見て、男はそんなことを言った。

 この街でまさか心配されると思っていなかったラッセルは僅かに口元を綻ばせて。

 

「……ヘッ、このくらいどうってことねえよ。それよりも兄ちゃん、ここは危ねぇぞ。とっとと消えな」

 

 精一杯の強がりで、ラッセルは目の前の男に諭すように告げた。

 

「と、その前に。なぁ兄ちゃん、こんな女を知らねえか? 俺はコイツを探してるんだが」

 

 ここに姿を現したということは、少なくともこの辺りには詳しいはずだ。そう予想して、ラッセルは胸ポケットから一枚の写真を取り出した。そこにはインド人の女が写っていたが、その女を見た途端、目の前の男の表情が一変した。

 

「……この女を探してんのかい?」

「ああ、そうだ」

「アンタこの辺じゃ見ない顔だが」

「仕事でな、フロリダから来たんだよ」

「……そうかい」

 

 瞬間。

 ラッセルの額に、白銀のリボルバーが突き付けられた。

 

「――――!?」

 

 いきなりの事態に声を出すことも出来ず目を白黒させるラッセルを尻目に男、ウェイバーは引鉄に手をかけて。

 

「運が無かったな」

 

 ウェイバーの瞳を正面から見て、ラッセルは思い至る。

 こんな、こんなドス黒い眼を出来る人間が居るのか。まさか、この男が。

 

「てめえ、まさか鬼――――」

 

 その声を遮るように、一発の銃声が轟いた。

 眉間部分に穴の開いたハットが、力なく宙を舞った。

 

 

 

 12

 

 

 

「いやはやまさか只のタクシー扱いになっちまうとはねえ」

「エダてめえボスをパシろうとしてたんだってな。ロックから聞いたぜ、覚悟は出来てンだろうな」

 

 早朝。ロックの運転する車には俺とレヴィ、エダが乗り合わせていた。

 既にジェーンは俺たちの手を離れ、予め用意されていた小型船舶に乗って故郷へと帰っていった。これでようやく俺の元に安寧が戻ってきたわけである。

 

「だから言ったじゃないかエダ。ロクなことにならないって」

「そう言うなよロックゥ。アタシだって色々考えてたんだぜぇ? なのに旦那が全部片付けちまうんだもんよお」

 

 エダの予定であれば、襲撃後にジェーンを連れたウェイバーたちが合流、そのまま追手たちを引き付けながら港へと向かう予定だった。

 それが蓋を開けてみればその場で制圧完了。明け方になってウェイバーとレヴィがジェーンを連れ揚々と歩いてきたのである。因みにグレイは就寝中とのこと。

 

「ま、原版も手に入ったし結果オーライだな」

「エダ。君ギャンブルは向いてないんじゃないかな」

 

 ロックの言葉も原版を手に入れご機嫌なエダには聞こえない。

 そのことに一つ溜息をついて、ロックはちらりと後部座席に座るウェイバーをミラー越しに覗き見る。

 腕を組んで瞼を閉じた彼が何を考えているのか、ロックには想像することも出来ない。レヴィの話によればいち早く敵の存在に気付き銃を抜いたとのこと。しかもミラーで弾丸の軌道を変えて相手の眉間を撃ち抜いたそうだ。相変わらずの規格外さに苦笑しか出てこない。

 

「折角だ、このままのんびり朝酒と行こうぜレヴィ」

「当然奢りなんだろうな」

「ったりめーよ。久々に旦那と飲み比べだぜ」

 

 東から昇る朝陽を背に、四人を乗せたセダンはイエローフラッグへと進路をとった。

 

 

 

 13

 

 

 

「…………」

 

 むくりと、仰向けに倒れていた美丈夫が起き上がる。

 サングラスをしていても朝陽は眩しいのか、わずかに眼を細めて周囲を見渡した。

 

「おう、生きてたか。悪運強いね」

 

 声がした方をロットンが見やれば、壁に寄りかかるようにして脇腹を押さえるシェンホアの姿があった。ロットンはゆっくりと立ち上がり、彼女のほうへ近付いていく。

 

「大丈夫か?」

「それこっちの台詞よ、一番最初に殺られた思ったけど」

コレ(・・)のおかげだ」

 

 言いながらジャケットを脱ぐ。柄シャツの内側には防弾チョッキが見え隠れしていた。

 

「君も着けておくことを勧めるよ」

「武器が武器よ、かさばるもの着るしてる方が危険ですだよ」

 

 そう言うシェンホアの腹部からは赤黒い血が溢れていた。レヴィのカトラスに風穴を開けられた結果である。

 このままでは失血死の危険が伴う。そう判断したロットンは、右手をシェンホアへと差し出した。

 

「医者の所へ連れて行こう」

 

 その手をしばし見つめていたシェンホアだったが、やがて苦笑いを浮かべて。

 

「この街で人助けしても得ないよ」

「目の前で女の子を死なすのは僕の主義に反する」

「……お宅、人殺しには向かないね」

 

 差し出された手を取って、シェンホアは重たい身体を持ち上げる。ロットンの肩に腕を回した状態で歩きだそうとして、彼がどこかを見ていることに気が付いた。

 

「何見てるますか」

「……彼女も生きているだろうか」

 

 ロットンの視線の先には、膝を抱えて横たわるゴスパンクの衣服を着た女。

 掃除屋ソーヤーと呼ばれるイギリス人だった。

 

「あんな格好で死ぬの焼死体だけよ。あれも運がいいね」

 

 ソーヤーを抱え、両肩に女性二人を担いで歩くロットンを横目に見ながら、シェンホアは冗談のように言うのだった。

 

「運がいいのが三人も揃ったね。そのうち組んで仕事でもするか?」

 

 そんな言葉に、ロットンは一つ頷いて。

 

「……悪くない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回よりロベルタReturnsです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。