悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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027 迷い込んだ哀れな子羊たちへ送る鎮魂歌 1

 

 ――――タイの港街。巨悪と混沌渦巻く悪の都、ロアナプラ。その街の一角に建てられた安宿の一室。空はまだ暗く、夜明けは遠い。

 内の感情を表すように荒々しい複数の足音が室内へと雪崩込むように入り込んでくる。派手なスーツやシャツを着込んだ、いかにもな男たちだった。

 室内に居たのは褐色肌のインド人の女と、頭にタオルを巻いた青年の二人。その二人が逃げられないよう入口を塞ぎ、小さく溜息を吐いたのは煙草を咥えた男だった。

 

「……今日こそはブツを渡してもらおうか」

 

 口調は穏やかだが、その表情には苛立ちがはっきりと見て取れた。その静かな苛立ちを背後に控える部下らしき男たちは敏感に感じ取っているようで、何人かは視線を泳がせている。

 そんな部下の様子に反して、室内のデスクに座っていた女は一枚の紙幣を取り出して。

 

「ダメね、こんなんじゃ半端すぎる」

 

 ピクリと、男のこめかみがヒクつく。

 

「こんなものを表に出すなんて冗談じゃないわ、もう少し時間をちょうだい」

「……あまり俺を困らせるなよお嬢ちゃん。別に本物を作れなんて言っちゃいないんだ、それなりのものでいいんだよ」

「馬鹿言わないで。やるからには仕事は完璧にこなしてみせるわ」

 

 その言葉に、男は再度溜息を煙と共に吐き出した。室内に備え付けの木製チェアに腰を下ろし、女を睨み付ける。

 

「確かに出来がいいに越したことはない。だがな、どんなものにも期限はある。株取引にもファックにもだ」

 

 三分の一程の長さになった煙草を床に落とし、男は続けた。

 

「今日はいったい何月何日だ? 俺たちが仕事を依頼してからもう四ヶ月、期限は二ヶ月前に過ぎ、予定の予算を二十万ドルもオーバー。そろそろうちの幹部連中も我慢の限界だ」

 

 沈黙が流れる。女もそれは痛いほど理解していた。

 元々二人が受けた仕事は偽札のデザイン。精度はそこそこ、一般市場に出回るだけのクオリティがありさえすれば良かったのだ。だがこの女はそのクオリティに異様にこだわった。その結果が度重なる予算の上積みと期限超過。反論のしようもなかった。

 

「っ、でも私は……」

「お嬢ちゃん。口で言って分からないようだから目で見て分からせてやろう」

 

 言って、男は背後の部下一人に眼で合図する。それを受けた部下は懐から銃を取り出し、それを女ではなくパソコンに向かう青年へと向けた。突然の出来事に呆然とする青年へ向かって、無慈悲な弾丸が発射される。一瞬で、凄惨な殺戮現場が出来上がる。

 

「レオ! なんてことを、これじゃ……ッ」

「喚くな。こうなりたくなきゃ、四十八時間以内にいい仕事をしてくれよ」

 

 恐怖と焦燥に顔を引き攣らせる女に、男は平坦な声音でそう告げた。

 

 

 

 1

 

 

 

 カラン、とグラス内の氷が溶けて音を立てる。気温の高さから結露の滲んだそのグラスを片手に、女ガンマンは鬱屈とした溜息を吐き出した。

 

「暑ッぢい……」

「んなこた言われなくても分かってんだよこのエテ公」

 

 礼拝堂の中央にこさえられた木製のテーブルに両足を投げ出し、グラスとうちわを手にエダが答える。テーブルの上にはウォッカの瓶と溶けて殆ど水になってしまった氷が詰め込まれていただろうボックス。無造作に散らばったカードは、先程まで二人がポーカーに興じていた故である。

 今日のロアナプラはいつにも増して日差しが強く、それに比例して気温も高かった。常であればレヴィも好き好んでこの教会に足を運ぶこともないが、生憎とラグーン商会に備え付けのエアコンは故障中。ならばとこの暴力教会に涼みにやって来たものの、礼拝堂のエアコンも数日前に天寿を全うしたらしい。

 最悪だ、温くなったウォッカを口に含んで、レヴィはもう一度溜息を吐き出した。

 

「そういやさ、どうだった。日本は」

 

 ぱたぱたとうちわを扇ぎながら、エダがレヴィへ問い掛けた。

 

「どうもこうもねえよ。姉御とボスの間で板挟み、下手すりゃ路地裏でくたばってた」

「どんな状況だよそりゃあ」

「もう二度と行きたくねえよあんな国」

 

 数週間前の日本での出来事を思い出しているのか、レヴィの眉間には皺が寄せられていた。

 バラライカとウェイバーに板挟みにあうことなど想像したくもないエダは深く踏み込むつもりも無いようで、適当に相槌を打って話を早々に切り上げた。

 しばらくの間互いに口を開くこともなく、静かにグラスを呷り続けていた。

 そんな静寂を破ったのは、礼拝堂の扉を唐突に叩く音。基本的に暴力教会の礼拝堂は扉が開いている。それが閉じているということは即ち今日は祈りを捧げることは出来ないということであり、世間一般でいうなら休館日のようなものである。普通の教会に休館日なんか存在するか、と言いたくなるがそこは悪徳の街に建てられた教会。風習や伝統なんぞ糞くらえのスタンスだ。

 そんな訳で本日は見事に扉が閉まっているのだが、そんな事知るかとばかりに扉を叩く音は途絶えることなく響いている。

 

「ハロー! ハロー! 誰かいませんかッ!?」

 

 最初のうちはそんな声を無視していたレヴィとエダの二人だったが、数分経ってもなお止まない扉を叩き続ける音に流石に嫌気が差したのか。

 

「……呼んでんぞ」

 

 礼拝堂の扉の方を指差し、鬱陶しげにレヴィが呟く。

 

「営業時間外だよクソッタレ」

 

 にべもない一言。エダは簡潔にそう言ってグラスの残りを一息に飲み干した。完全に居留守の構えである。

 

「追われてるのよ! 開けて! ねえ誰かいるんでしょう!?」

「……追われてんだとよ」

「どうせそこらの野良犬だ、取り合うだけ時間の無駄だよ」

「それでもシスターかお前」

 

 扉を叩く音はその大きさを増していく。

 しかし二人は動かない。この街に於いて他人に助けを求めるような人間など碌な輩でないことを経験則で知っているからだ。付け加えて言えば、その人間が抱えているトラブルに巻き込まれるのも御免なのである。

 聞こえないフリを通す二人を他所に、どうやら扉の向こうではその追手とやらがやって来たらしい。車のエンジン音が聞こえる。音からして一台や二台ではない。それなりの人数に声の主は追われているようだ。

 他人事のようにそんなことを考えるレヴィとエダだったが、次の瞬間二人の表情が一変する。 

 

 聞こえたのは、一発の銃声だった。

 

 発射された弾丸は閉じられていた礼拝堂の扉を貫通し、テーブルに置かれていたウォッカの瓶を粉砕した。ガラスの砕ける音とともに中身が机の上に広がっていく。

 

「…………」

 

 最初に立ち上がったのは、果たしてどちらだったか。

 無言のままそれぞれのエモノを抜いた二人は、全速力で扉の方へと走り出した。

 

 

 

 2

 

 

 

「……なんか礼拝堂の方騒がしくないか?」

「そうかい? 最近耳が遠くてねぇ。リコ、ちょっと見てきな」

「了解ッス」

 

 ヨランダの言葉を受けた褐色肌の青年が、そそくさと部屋を出て行った。その際部屋の片隅に置いてあったM60機関銃を持っていったことについては、おそらく言及しない方がいいんだろう。

 

「さて、話の続きといこうかね」

 

 言いながらティーカップに口を付けるのは暴力教会の大シスター、ヨランダ。今日も有名どころの紅茶を淹れ、俺と彼女の二つ分を用意してくれている。そんな彼女の対面に座っているわけだが、どうにも先程から礼拝堂の方が騒がしい。この部屋と礼拝堂は隣り合わせで建っている故に多少の音は漏れてくるが、幾ら何でも銃声が聞こえるのはおかしいと思う。

 しかしそんな程度では全く動じないのがヨランダであり、また俺だったりもするわけだ。ヨランダに至っては面倒事は御免とばかりに気付かないフリをするスタンスである。

 

 さて、俺がこうして暴力教会にやって来ているのはただお茶をしに来たわけではない。日本に行っている間のこの街の状況を聞きに来たのだ。この手の話を聞くならヨランダかリロイが手っ取り早いが、リロイの場合は代金を請求されるので無償の上に美味い紅茶まで出てくるヨランダの方が良いだろう。

 

「あらましはそんなとこだよ。特に何か大きな揉め事があったわけじゃない。張の坊やが上手いことやったんだろうね」

「ホテル・モスクワがいないってだけでここの治安は最悪を通り越すからな」

「あんたが居なかったってのもあるんだけどね」

 

 そんな馬鹿な、とは返さない。魑魅魍魎が跋扈するこの亡者たちの吹き溜まりで、俺がそれなりの地位に居ることは周知の事実だ。それが行き過ぎた評価から来たものであっても、持っておいて損にはならない。バラライカ擁するホテル・モスクワとは比べるまでもないが、俺もまたそこそこの抑止力としては機能している。ということらしい。実感はこれっぽちも無いが。

 

「……にしても騒がしいね」

 

 ばっちり聞こえてるじゃねえか、と内心で呟く。

 礼拝堂の方へと視線を向けるヨランダに合わせて、俺もそちらへ顔を向ける。どうやらリコが持ち去った機関銃が派手に暴れ回っているようで、激しい連射音が耳に届く。

 

「全く、これじゃゆっくり話も出来やしない。坊や、ちょっと席を外すよ」

 

 言いながら立ち上がるヨランダに軽く手を振って、フィルタ付近まで短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

 暴力教会に喧嘩売るなんてどこの田舎者なんだか。少なくともこの街の人間ではないだろう。少しでもこの街に関わりのある人間なら、この教会と敵対しようなどと思わない筈だ。

 他人事のようにそう考えながら高級そうな紅茶の注がれたティーカップに手を伸ばす。

 直後、礼拝堂の方向から特大の爆発音が轟いた。

 

 

 

 3

 

 

 

「連中はヌエヴォ・ラレド・カルテル。フロリダが本拠地のジェローラモ・ファミリアの下部組織よ。私はそいつらに旧ドルの偽造を依頼されてたの」

 

 無数の弾痕が刻まれ、数分前よりも幾分風通しのよくなった礼拝堂。等間隔で設置されている木製の会衆席の隅に腰を下ろす俺からは多少離れた中央通路に椅子を並べて、褐色肌の女はそう切り出した。女の正面には同じくどこからか引っ張ってきた椅子に跨るレヴィとエダ。そしてその横の会衆席にヨランダとリコが座っている。

 耳に飛び込んできた爆発音を受け、様子を見に来てみれば高級セダンが爆発炎上していたのが今から数分前のこと。その時は四人が礼拝堂の入口に並んで余所者らしき人間たちを蜂の巣にしている所だった。そんな中、銃弾の嵐に巻き込まれぬようにと頭を抱えて縮こまっていたのが今話をしているあのインド人だ。話を聞くに、どうも雇用主との契約を破ってここまで逃げてきたらしい。

 因みに俺がレヴィやヨランダたちと若干の距離を開けているのは、こんなアホくさい問題には関与しないという無言のアピールである。

 

「要するにだ、お嬢ちゃんは契約違反を犯した。粛清が怖くて逃げ出した。こういうことだろう?」

 

 どこからか取り出した煙草に火を点け、ヨランダは簡潔にそう言った。

 しかし女は首を横に振る。

 

「違うわ、連中に堪え性が無かっただけよ」

「テメエが時間にルーズってだけの話だろ」

 

 くだらないとでも言いたそうな表情で、レヴィが女の発言に被せるように吐き捨てる。

 

「同感だ、そりゃお前さんが悪い」

 

 椅子の背もたれに腕を引っ掛け、エダもレヴィの意見に同意した。これに関しては俺も全くの同感だ。相手は端くれとはいえアメリカン・マフィア。命の危険があることくらい小学生でも分かる。

 先程俺がアホくさいと言ったのはこれが原因だ。子供が行き過ぎた火遊びをするとこうなるという正にその典型例を目の当たりにしているかのようである。

 

「……っ、ええ、どうせ誰も理解なんてしてくれないでしょうね!」

「まぁ待ちなお嬢ちゃん。神のお導きだ、実に運が良い」

 

 ヒステリック気味に声を荒げる女に対して、ヨランダの声音はひどく穏やかだった。オイタをした子供を諭す母親のような口調で、ヨランダは言葉を重なる。

 

「今お嬢ちゃんの目の前に居る娘は逃がし屋だ。そしてあの隅っこで腕組んでる坊やはこの街でも有数の何でも屋。この二人ならお嬢ちゃんを無事に逃がしてやることくらい容易いだろうね」

「おい」

「どうする? お嬢ちゃんが今手に持ってるその原版で手を打ってもいいんだけどねぇ」

 

 無視してんじゃねーぞババア。俺の無言のアピールにはしっかり気が付いた上でぶち壊すようなことしてくれてんじゃねえ。

 が、そんな俺の言葉はさらりと聞き流してヨランダは女に問い掛ける。というか完全に原版が目当てだ。

 

「不完全なものを渡したくはないけど……、三万ドルでどう?」

「別の神様を探すんだね」

 

 そんな言葉を聞いてアンタ神に仕える身だろうが、と突っ込むのは野暮なんだろう。そして今更だ。本当に神を崇拝しているなら教会を隠れ蓑にして武器の販売なんてするわけが無い。

 

「……分かったわよ。でも本当に助けてくれるんでしょうね」

「そいつはこの娘っ子とあそこの坊やに聞いてみな」

 

 なんということでしょう。

 関与する気が全くなかったこの案件にいつの間にか放り込まれている。何だ、巻き込まれ体質とかそんなわけの分からないものを備えているわけじゃあるまいな。そしてレヴィ、こっちをそんな眼で見るんじゃない。

 

「……はぁ、」

 

 ヨランダの意向となると無碍にすることもできない。四方を完全に囲まれ逃げ場の無いこの状況に、盛大に溜息を吐き出した。

 

 

 

 4

 

 

 

 ヌエヴォ・ラレド・カルテルの幹部、エルヴィスは病院の安っぽいベッドの上で拳を震わせていた。

 ジェーンを追って教会へ追い込んだまでは良かった。想定外だったのは、その教会の修道女たちが当然のように銃をぶっ放してきたことか。乗ってきたセダンは爆発炎上。右腕と脇腹を撃たれ、あわや失血死のところだった。そんな身体の至るところに包帯が巻かれ、怒りに顔を歪めるエルヴィスの横には、サングラスをかけハットを被ったカウボーイのような男が毅然と立っていた。

 

「お呼びですかボス」

「ラッセル。ジェーンの居場所が割れた。ロボスの代わりにお前が行け」

 

 ロボス、というのはロアナプラの地元マフィアであり、エルヴィスと同郷の人間だ。ロアナプラの情勢についても詳しく、逃げたジェーンを追い暴力教会にまで案内したのがこのロボスという男だった。ロボスは暴力教会に銃口を向けることを酷く拒んでいたが、ロアナプラの流儀を全く知らないエルヴィスにしてみれば単なるチキン野郎としか思えない男だ。ジェーンの居場所が判明するまではロボスの助けを借りていたが、彼女の所在が割れた今、そんな男の言葉に従う必要もない。

 そうした意思の元招集されたのが、今エルヴィスの前に立つラッセルという男だった。

 

「いいか、ラッセル。ここらの連中はとんだ野蛮人だ。ブランド品を身につけたチンパンジーだ。信じられるか? 教会の尼まで銃をブッ放してくるんだぞ!」

 

 話しているうちに熱が入ってきたのか、上体を起こし、拳を握りしめてエルヴィスは怒鳴り散らす。

 

「どうなってんだこの街は!? どいつもこいつもイカレてやがる! 文明的なフロリダに今すぐにでも帰りてえ!」

「イエス、ボス。その望みすぐにでも叶えて差し上げますよ。このトラブル・バスター、ラッセルにお任せ下さい」

 

 

 

 5

 

 

 

 世界中の悪党犇めく最下層の都、ロアナプラに於いて、絶対安全圏と呼ばれる場所が存在していることを知っているだろうか。

 そう呼ばれる場所は何も一つだけではない。例えば暴力教会、例えばホテル・モスクワの事務所。襲撃することが憚られる場所というのが、ロアナプラには少ないながらも存在しているのだ。

 その中の一つに、地獄一番地(ピーサ・ヌン・ティユ)と呼ばれる通りがある。通りそのものが恐れられているわけではない。多くの人間がこの通りを地獄一番地と呼ぶのは、白い壁の二階建て事務所が聳えているからだ。

 黄金夜会。その一角を担う大悪党、本名不詳、通称ウェイバー。そんな男が居を構える事務所である。

 この街に於いて絶対に怒らせてはいけないとされる男。そんな人間が住む場所を、誰が好き好んで訪れるというのだろう。

 故にこの通りは他と比べて極端に人通りが少なく、追手を振り切る為に逃げ込む場所としてはこの上なく適した場所だと言える。ただし、そこに住まう化物に見つからなければの話である。

 

「そんなわけであのエテ公はウェイバーの旦那ンとこに転がりこんでんのさ。アタシらの金ヅルと一緒にね」

「そりゃ確かにあそこならこの街の連中は絶対に近寄らないだろうけど、相手は余所者なんだろう? ここの流儀を知らない輩じゃないか」

「だァからこそだよロックゥ」

 

 渋い顔をするロックに対して、エダは陽気に答える。

 イエローフラッグのカウンター席に並びで座る二人は、周囲の喧騒の中会話を続ける。

 

「ここいらの連中じゃあウェイバーの旦那を怖がって敵対なんてしねぇだろう? だからリロイにもレヴィが付いてるって情報しか売らなかったんだ。あとはあのジェーンって女が逃げた大まかな方角だけ」

 

 リロイというのはこの街の隅々にまで情報網を持つ凄腕の情報屋だ。得意客であるウェイバー曰く、その気になれば米国大統領が今日履いているパンツの銘柄まで調べることが出来るらしい。真相は定かではないが。

 エダの発言に、ロックは小さな溜息と共に酒を呷る。その態度が気になったのか、エダがずいっと詰め寄って。

 

「なんだいロック。こォんな美女と酒が飲めるってのにそんな浮かないツラして」

「……分の悪い賭けは嫌いなんだよ」

 

 その言葉にエダを無言で眼を丸くした。少し前までの彼からなら、まず出てこなかっただろう言葉だ。

 ロックという男は良くも悪くもこの街で浮いていた。表の世界の名残を残していたからだろうが、彼の胸の内には必ずと言っていいほどに善と悪の境目が存在していたのだ。

 それが、無くなっている。直感でエダはそう思った。

 

(……こりゃレヴィにもっと詳しく日本での話を聞いとくべきだったかね)

 

 だがエダはそんな想いを表にはおくびにも出さず、ロックに反論する。

 

「そりゃ勘違いだよロック。むしろこれは100パーセント勝てる出来レースさ」

「どういう意味だ?」

「カジノのスロットと同じさ。ちょいとゾロ目を揃えてやりゃあ、ドバドバ銭をバラ撒くって寸法よ」

 

 ニヤリと笑うエダに、ロックは苦笑を返すしかなかった。

 要するにエダはウェイバーとレヴィを利用して金を巻き上げようとしているのだ。ウェイバーを利用する、なんて考えは正気じゃないとも思うが、エダが言うにこちらの思惑は既に看過されているとのこと。

 

「昼間にウェイバーの旦那もあたしらの話を礼拝堂で聞いてたのさ。隅っこで腕組んで黙りこくってたけど、あの格好は無言の肯定なんだよ」

 

 言いながら自分のグラスを取り、中身に口を付ける。

 

「ホントなら近くのホテルに泊まらせてラグーン商会の魚雷艇まで走らせるつもりだったんだけどね、結果オーライってやつさ」

「ダッチが聞いたら怒るよきっと」

 

 エダの当初の計画では、リロイに流した情報を元にやってきた追手がジェーンの泊まるホテルを襲撃。その逃げる手助けを自分たちが請負い、最後はラグーンの船に乗せる予定だった。

 しかしそこにウェイバーというジョーカーが現れた。これを利用しない手はない。更に言えばラグーン商会の魚雷艇は現在別の仕事でこの街を離れているためドックにはなく、渡りに船とは正にこのこと。神を味方につけたような気分だった。

 

「そうさね、取り敢えずロックには車を出してもらいたい。大丈夫、ちゃんとあんたにも取り分はやるからさ」

「ウェイバーさんが絡むと碌なことにならない気がするんだよな……」

 

 ロックの呟きは幸いにも店内の騒がしさに呑まれて消えていった。もしも誰かが今の発言を耳にしていたなら、店内はすぐさま静まり返るに違いない。

 この街にやって来て間もない頃のロックだったなら、あるいは店内の客たちと同じような反応をしていたかもしれない。だが何度かの死線をくぐったロックは、昔と比べて胆が据わっていた。

 意気揚々と席を立ち店の外へと出て行くエダの後に続き、二人してイエローフラッグを出る。

 

 そんな中、イエローフラッグの角に並べられた丸テーブルを三つ程合わせて、会議じみた事が行われていた。

 

 集まっているのは大小様々なこの街の住人。皆一様に真ん中のテーブルに座るカウボーイのような男に視線を向けていた。

 そうした視線に晒されている男、ラッセルは集まった十人程のメンバーに向かって一枚の写真を見せる。

 

「いいか、コイツがお前らが生かしてとっ捕まえる女だ。今はここから北東へ進んだ通りに身を潜めてるらしい。一人頭1000ドル、そこらのガキでも出来るような仕事だ」

 

 ともすれば挑発とも取られかねないラッセルの言葉に反論したのは、長い黒髪の糸目の女だった。

 

「ばかちんが、こんなはした金、暇じゃなかったら誰が付き合うか」

 

 ぴきり、とラッセルの額に青筋が浮かぶ。

 

「シェンホアの言うとおりだぜカウボーイ。昨日今日ここに来た野郎が偉そうに指図するんじゃねえ」

「これだからここの流儀をわかってねえ奴は」

「ロボスの野郎を呼んでこいよ、てめえじゃ話にならねえ」

 

 次々と浴びせられる罵声に思わず拳を握るラッセルだったが、一つ息を吐き冷静に話を進める。こういう点は上司であるエルヴィスよりもマシであった。

 

「いいかてめえら。これはビジネスだ、てめえらもプロだってんなら私情は捨てろ。分かったらさっさと行動開始だ」

 

 パンパンと手を叩き席を立とうとするラッセルだったが、ここで思わぬ水を差される。

 口を開いたのは、この街ではそう見ないパンクなファッションをした女だった。女は喉に何か機械を当て、そのスイッチを入れる。その声はひどく機械的なものだった。

 

「……あっチの彼、見たコトないワ……」

「いや、俺もあんた見たことないんだが」

 

 女の横に座っていたオールバックの男が怪訝そうに眉を顰める。が、どうやら彼女は普段マスクにゴーグルという格好で仕事をしている掃除屋らしく、単に素顔が知られていなかっただけのようだ。

 

「とりあえずアンタら名前は? まさかソーヤーみたいに普段は顔隠してるとかじゃねーよな」

「クロード・トーチ・ウィーバー。この街に来たのは今回が初めてだよ」

「……ロットン・ザ・ウィザード。同じく」

 

 そう答えたのは中肉中背の眼鏡を掛けた男と、サングラスを掛けたホスト風の優男。彼らはこの街の住人ではなく、エルヴィスに雇われた殺し屋らしい。

 ようやく顔見せが済んだことでラッセルは苛立ちながらも席を立つ。それに続き集められた殺し屋たちもイエローフラッグを出て行くが、そのうちの一人がふと疑問に思ったことを口に出した。

 

「あン? こっから北東の通り……? 地獄一番地がある方向じゃねーか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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