悪徳の都に浸かる   作:晃甫

16 / 55
016 蠢く悪意と良心の狭間で

 13

 

 

 

「銀公。景気はどないや」

「……若頭(カシラ)。何しに来たんで」

 

 冷え込んだ空気も一時的に和らぐ昼下がり。境内の一角、立ち並ぶ出店の一つの前に坂東の姿があった。

 昔ながらの、という表現が正しいだろうキャラクターのお面が並べられているが、購入するような客は滅多にいないだろうと簡単に予想がつく。実際、今日の売上は僅かに二つだけだ。

 そんな出店の前に座る銀次の隣に、坂東も腰を下ろした。

 

「そう邪険にすな、我の面ぁ見に来たんや」

 

 懐から取り出した煙草を咥え、肺に流した煙をゆっくりと吐き出す。

 

「……今日びのジャリぁよこんなモン()うたりせんよなぁ、ピコピコのほうがええんやろ」

「……そういう時代なんでしょうよ」

「のぉ銀公。何時までこないな商売(シノギ)続けるつもりや」

 

 視線の先を通っていく参拝客を眺めながら、坂東は問い掛ける。

 

「テキ屋はこいつが仕事でしょう」

「組ン中じゃ我のシノギは尻から勘定したほうが早いんやぞ。そこンとこわかっとんのかい」

 

 銀次は坂東と顔を合わせないまま、静かに口を開いた。

 

「……シャブ売ったり女売ったりするよりは、なんぼかマシじゃぁねェですかい」

 

 一瞬、坂東の動きが止まる。半分程の長さになった煙草を、地面に落として靴裏で火を消した。

 

「銀公。儂が好きでこんな商売をやっとる、そう吐かすんかい」

「…………」

組長(オヤジ)が死んでからよ、左前はずっと左前や。上納金(アガリ)も碌に収められんこんな組を残してたんは、組長が香砂んとこの先代と兄弟盃交わしてたからや。それがのうなった今、香砂会にウチの面倒見る義理はあらへん」

 

 空になった煙草の箱を、くしゃりと握り潰して。

 

「潰しとォて堪らんのよ。組長不在のまま三年も経っとるちゅうのによ、誰の就任も許さへん。代行人を抑えとるんも、もう限界や」

 

 銀次は口を挟まない。ただ坂東の話を、微動だにせず聞いている。

 

「組長に恩義があるンは儂かておんなじや。だからよ、何があっても看板だけは守らなあかん、何があっても(・・・・・・)や」

「何があっても、ですかい」

「そうや。その為にゃなんだってせなアカンやろがィ。売れるモンは何だって売る。そうして初めて立つ瀬があるってもんや」

「……組長は、そうは言ってねえ」

 

 サングラスの奥で、男の瞳が微かに揺れる。

 

「銀公、外道に手ェ出すんは極道の恥や言うてたな。けどよ、それも看板あっての話やないか? それがのうなりゃ外道も糞も関係あらへん」

「踏み込んじゃいけねえ一線ってのがある。若頭なら分かってる筈だ」

「……なぁ銀公。儂ぁ今デカイ仕事を打ってるンや。ロシア人と組んで親を刺す。そういう話よ」

「……若頭、己の言ってること、分かってるんですかい」

 

 子分が親に反逆する。それは極道の世界ではあってはならない大罪だ。

 しかしそれは坂東とて十分に理解している。そうせざるを得ないという状況に陥っている。それほどまでに逼迫しているのだ。

 

「子分潰す言うンはあっちが先や。何を遠慮することがある。ただな、ロシア人はどこまでいってもロシア人や。義侠なんて考え、連中欠片も持ってへん。だからこっちも手練使てな、締めるとこは締めなあかん」

 

 数秒の沈黙。

 冬特有の突き刺すような寒さの風が二人のコートを撫でていく。

 

「……一体、何が言いたいンで」

「己に、もういっぺん白鞘を持って欲しいんや。『人斬り銀次』をよ、見せちゃあくれねえか」

 

 数年前、ここらの界隈では人斬り銀次と言えば震え上がらない極道者はいないとされるほどだった。

 その存在故に当時の鷲峰組にはおいそれと手は出せず、組は安泰だったのだ。だが組長が死に人斬り銀次の居なくなった鷲峰組など恐るるに足らず、こうして香砂会からの圧力を受け続けるほどに弱体化した。

 それをなんとかするためにロシア人を頼ったが、やはり最後にものを言うのは同じ組の人間同士の繋がりである。

 坂東はそのために銀次を必要としていた。

 が、銀次の返答は拒絶だった。

 

「若頭、お嬢の教育費やらなんやら面倒見てくれてるのは感謝してます。言ってることも分かりやす。でもね」

 

 ここで初めて銀次は坂東へと視線を向ける。

 

「アンタの言ってることにゃ一ッ欠片も仁義が無え。あっしが組長んとこで白鞘握ってたのは、それがあったからですよ」

 

 その答えを聞いて、坂東はゆっくりと息を吐いた。

 この答え自体は予想されたものだ。松崎銀次がどういう男なのかは、坂東はよく知っている。

 

「……ほォか。しゃあない、また来るわ」

 

 言って立ち上がる坂東に、銀次が声を掛ける。

 

「若頭、そのロシア人。通訳は自前ですかい」

「ああ、そうやが。なんどいや?」

「どんな野郎で」

「ああ? 普通のあんちゃんやで。嬢ちゃん連れたな」

 

 

 

 14

 

 

 

「ねェねェもっさん。昨日の二人組何モンなんすか?」

「ん、ありゃ組長が雇った殺し屋みたいなもんだ。ほら聞いたことねえか、ロアナプラっつう街」

「へぇ、ってことはあっちの可愛い子も出来るんすねー」

 

 香砂会の屋敷。

 その厨房に立つ男たちは、昨日屋敷を訪れた二人組の話をしながら昼食の準備を進めていた。

 一人はパンチパーマにガタイの良い四十程の男、もう一人は金髪を背中まで垂らしたホスト風の青年だ。

 

「……オイ千尋。分かってるとは思うが手ぇ出すんじゃねえぞ。うちの大事なお客さんだかんな」

「わかってますよォもっさん」

「どうだかな、おめえのロリ好きは筋金入りだ。間違っても問題なんか起こすんじゃねえぞ」

 

 その言葉に、千尋は笑いを返すだけだった。

 

「でもいいっすよねぇ。俺まだ外人のガキとはヤったことないんすよ、向こうから寄ってきてくんねえかなぁ」

「ほんとおめえ顔はいいくせに性根が腐ってやがるな」

「よく言われるっすー」

 

 ほら早く味噌汁にネギ入れろ、と男に急かされ、千尋は切ったネギを鍋の中に入れていく。

 食事の準備を進める中で、しかし彼の胸中に渦巻いていたのは件の少女をキズモノにしたいという欲求だった。

 彼は世間で言うところのペドフィリアである。これまで何十人もの年端も行かぬ少女たちを壊してきた。しかしながら日本人ばかりでは流石に飽きてくる。そんな折現れたのが整った顔立ちをした銀髪の少女。しかも殺しを知っているときた。これまでの純真無垢な少女たちもいいが、そうした裏側を知っている少女を力づくで屈服させることにも強い関心を持っていた。

 香砂会の客だとは言うが、上手く誤魔化せばいいだけだろうと考える。もともと香砂会にもそうした少女たちを調達しやすいからと入ったのだ。他の連中のような恩義など千尋は持ち合わせていない。

 今日は六本木で会合だと言っていたからこの屋敷には来ないだろうが、次に出会った時は唾をつけておいてもいいかもしれない。

 

「しっかし鷲峰組も随分なことしやがる。親の香砂会に盾突くたぁな」

「鷲峰ってうちの子分なんすよね。なんでこんなことしてんすか」

「俺が知るかよ。でもま、向こうの組長が死んで面倒見る必要もなくなったからよ、潰されるとでも思ったんじゃねえの」

「潰しちゃうんすか?」

「上納金もここんとこずっと無いみたいだし、そこらへんがしっかりしてなきゃ潰されても文句は言えねえだろうな」

 

 ふーん、と千尋は聞いているのかいないのか分かりづらい返事を投げる。

 そういえば鷲峰の娘はまだ高校生ではなかっただろうか。高校生、十六、七歳あたりだろうか。

 

「無いな。年食い過ぎてるわ」

 

 

 

 15

 

 

 

 仄かな照明しか点けられていない薄暗い部屋に、鷲峰組とホテル・モスクワが顔を合わせていた。定例報告会である。

 彼らの近くでは露出の激しい服を着た女たちがポールを使用して艶かしく踊ってみせているが、そちらには誰も眼を向けない。

 

「すまねえな姐さんこんな場所で。女のあんたにゃ面白くもねえ場所だろう」

「場所も女の裸も大した問題ではありません。大事なのは仕事です。話を進めましょう。我々は順調に当初の攻略目標をクリアしています」

 

 しかし、とバラライカは言葉を続けた。

 

「祝杯を上げるにはまだ足りない。第二次段階へ移行するため、攻撃目標の転換を始めます」

「転換?」

「そう。我々は迅速な解決を求めています。前段階として資金源となる店舗、風俗店、産廃屋に対し合法的な封じ込めを」

 

 彼女の言葉に、坂東は一つ咳払いをしてから。

 

「……連中も素人じゃない。ある程度やり込めたら流石に気付く」

「勿論、これは揺さぶりにすぎません。本目標は別にあります」

「……話が見えへんな。どういうことや」

「誘拐ですよ坂東さん。目標は香砂会会長、香砂政巳の家族です。我々は既に所在も掴んでいる。実行に移すのは実に容易い」

 

 平然とそう言ってのけるバラライカ。だが坂東をはじめとした鷲峰組の表情は険しい。

 

「バラライカさん。水を差すようやが、それだけはあかん」

 

 季節外れな額に滲む汗を拭うこともせず、坂東は続ける。

 

「おたくらに求めとるんは香砂会からの圧力を緩めるようにする、そういう喧嘩や。適当に暴れてくれりゃあ後は口八丁でどうにでもなる。余計なことせんでくれ」

 

 そう言った坂東の言葉をロックが通訳し、バラライカへと伝えた。

 すると彼女は口元を歪め、堪えきれないとばかりに笑いを漏らした。一頻り笑った後、背後に控えているボリスへと顔を向け、口角を歪めたまま彼女は言う。

 

「聞いたか軍曹。こいつらまるでわかってないぞ」

「どうやら認識の齟齬があるようですな」

「いいロック、しっかり訳してね」

 

 一拍置いて、バラライカは坂東を見据える。射抜くようなその視線に、思わず坂東がたじろいだ。

 

「バンドウさん。最初に申した筈です。我々は立ち塞がる全てを殲滅する、と」

「…………っ!」

「我々は無条件の力を行使し利潤を追求する。それがマフィアというものだ。その上で我々はリスクの多くを負担している」

 

 つまり、とバラライカは述べて。

 

「全ての決定権は貴方がたではなく、我々にある」

「……しかしやな、」

 

 言い淀む坂東の言葉を遮るように、唐突に室内に携帯電話の着信音が鳴り響く。

 緊迫した場にそぐわない、酷く軽薄なその着信音の出処らしい携帯電話を取り出した男は、何の躊躇いもなく通話ボタンを押した。

 

「あ、もしもしチッピー? んだよこの時間帯はかけてくんなっつったじゃぁん。 あ? わぁってるって直ぐにガキ用意してやっから。そんかしこっちの面倒も頼むぜ」

「チャカ坊! てめえ何やってやがんだこの野郎!」

 

 金髪にピアスという出で立ちの青年に、パンチパーマの男吉田が声を荒げる。

 

「え? あー悪いっすー。だからかけてくんなっつったのによォ」

「あっち行っとけアホ!」

「吉田! ええわい」

 

 尚も怒りの収まらない吉田を手で制し、坂東はバラライカの方へと向き直る。

 

「お騒がせして申し訳ない。話の続きやが、今の件は直ぐには決断できん。少し時間をくれへんか」

「勿論。作戦計画に支障のない範囲でならお待ちします。祝杯は互いのためにあげられるよう」

 

 妖艶に微笑むバラライカと、険しい表情を浮かべたままの坂東。

 そんな二人を、室内の壁に寄りかかる形で金髪の男は眺めていた。しかし実際に彼が視界に捉えているのは兄貴分たちである鷲峰組ではなく、その向こう。顔に火傷の痕を残す女とその後ろに立つ煙草を咥えた女の二人である。

 

「ねえタカさん。あの女、なんなんすか?」

「あん? 馬鹿野郎チャカおめえ懲りてねえのか。誰のせいで藤島がムショ食らったと思ってんだ」

「いやそーゆんじゃなくって」

 

 チャカ坊、と鷲峰組の幹部連中から呼ばれているその男は、煙草の煙を立ち上らせながらバラライカとレヴィの両名に視線を固定していた。

 

「何だお前、今まで話聞いてたのか?」

「聞いてましたよー。でも坂東さん(・・・・)がロシア人にコネあるなんて知らなかったっす」

「若頭がコネ持ってたわけじゃねえよ。ラプチェフとかいうここらを占めたがってるロシア人に話を持ちかけただけだ。したら向こうで勝手にあのロシア人を呼び寄せたのよ」

「その後ろの女は?」

「ありゃロシア人の横に座ってるトッポイ通訳の用心棒だ。ロシア人やらと一緒にロアナプラから来たっつってたなぁ」

「へえ……! ロアナプラねえ」

 

 ロアナプラ。タイの南に位置する港湾都市。世界中から凶悪な犯罪組織が集結し、武力と暴力によって不安定な均衡が保たれている悪徳の都。

 噂には聞いたことがあるが、実際にその街の住人だという人間を目にするのは初めてだった。

 女の身でありながら命の取り合いが出来る。その事実がチャカを昂ぶらせる。

 彼は世間一般で言うところの女という生き物が好きではない。当然仕事の上では相手もするし、必要があれば寝たりもする。だがあの媚びるような仕草や他人を蹴落とし己を良く見せようとする思考、甘ったるい香水の匂いを受け入れられなかった。男とは違う生き物なのだと思わされてしまう。

 男とは違う生き物。つまりチャカは女をこれまで人間と捉えていなかった。家畜と同じレベルだ。脆弱な女は、人としてすら扱ってもらえないのだ。

 

 しかし今チャカの前に居る二人は違う。 

 ロアナプラという犯罪都市に身を置き、他の男と対等にやり合える実力を持っている。

 その手並みを是非拝見したい。そうチャカが考えるのは必然だった。これまで女との性交を渇望したことのない彼が、あの二人となら寝てみたいと思う程に芽生えた感情は膨れ上がっていく。

 そんな感情が自然と表情に出ていたのか、横に立つ男は目を細めてチャカへと躙り寄る。

 

「マジで余計なことすんじゃねえぞチャカ。問題起こされっとたまんねえんだからよ」

「……分かってますよタカさん」

 

 でもやれるんなら見たいじゃないっすか。その言葉を心の内で呟いて、チャカはにへらと笑って見せた。

 

 

 

 16

 

 

 

「で、おじさん。具体的にはこれからどうするつもりなの?」

 

 香砂会との会合を終えて昼間の東京を宛もなくぶらぶらと歩いていると、横からグレイがそう問いかけてきた。

 俺もクラブを出てからずっとそのことを考えていた。鷲峰組組長の娘、鷲峰雪緒。高市で遭遇したあのときの少女を、どうやって攫うか。

 誘拐、と一口に言ってもその手段は多岐にわたる。ホテル・モスクワのように多くの人手があればそれに物を言わせて力づくで実行できるだろうが、俺は単独。グレイを含めてもたった二人しか居ない。街中を歩く彼女を強引に誘拐する、という方法はあまり現実的ではないだろう。そもそも今言った手段は誘拐と言うよりは拉致だ。

 

「グレイはどう考えてる」

「何も、誘拐なんて顔に麻袋被せて手足縛って簀巻きにすれば終わりでしょう?」

「こえーよ」

 

 何でこの子の知識はこうまで偏っているのか。テロ組織じゃないんだから。

 

「どうしたもんかね」

 

 余り派手に動き回るのはよろしくない。誘拐事件なんかのエキスパートである警察特殊班なんかに出張られると面倒だ。まぁそんな状況になるってことはこの誘拐が何処かで破綻して周りに漏れるってことと同義だから、そうなれば直ぐ様トンズラするが。流石に香砂会の依頼よりも自分の身の安全が優先だ。

 

「やっぱりここは穏便に話し合いで済ませるのが手だろうな」

「誘拐するのに話し合いなの?」

 

 意味が分からない、とでも言いたげにグレイは首を傾げる。

 

「グレイ、誘拐の定義って知ってるか?」

「さあ」

「日本じゃ詐欺や誘惑を手段として他人の身柄を自己の実力的支配内に移すことを言うんだが、これは誘拐する側の主観だ」

「……?」

 

 内容が出来ていないらしく、眉を寄せて口を尖らせるグレイに苦笑しつつ、噛み砕いて説明をすることに。

 

「要はアレだ、俺があの子と話し合いするだろ。その時にあることないこと言って傍に置いとけば、それはもう誘拐ってカテゴリに入るんだよ」

 

 かなり歪曲な捉え方のような気がしなくもないが、俺が誘拐だと捉えればそれはもう誘拐なのだ。

 そこに、誘拐される側の人間の捉え方は関与しない。

 

「つまりどういうことなの?」

「あの子に自分が誘拐されてると思わせなきゃいいんだよ、自覚させなければいい。そこらへんの話術に関しちゃ少しばかり自信がある、思考の逸らし方や論点のすり替えなんかはロアナプラじゃ必要なスキルだからな」

 

 鷲峰雪緒を誘拐する。

 しかし何も向こうにこれが誘拐であると教えてやる必要は何処にもない。

 世間が想像するような誘拐を行う必要など無いのだ。誘拐目的であるその少女にすらこれが誘拐であると気づかせないまま、俺は目的を達成しよう。仕事はスマートかつ正確に、何事も順調に進むのが一番だ。

 

「私は何をすればいいの?」

「グレイは俺の横に居てくれるだけでいい。見知らぬ男だけなら警戒もされるだろうが、横に子供が一人居るだけで不思議と警戒心は薄くなる」

 

 人間ってのは自分より弱い者には警戒心を抱かない、そう言って少しだけ口角を緩める。

 だからこそ子供を利用した犯罪ってのが無くならないわけだが、俺はどうも好きになれない。

 

「さて、となると問題なのは決行する時間と隣に張り付いてたサングラスの男だな」

 

 鷲峰組の人間であろうあの男は、ロアナプラに充満している嗅ぎ慣れた臭いをその身に纏っていた。用心棒、と考えるのが妥当なところだが、組で一番大切な人間を守護する役目を負っているということはそれだけでかなりの手練であると想像出来る。

 学校の中までは流石に同行しないだろうが、こんなおっさんが校内で彷徨いていれば通報されるのは目に見えている。かと言ってそれ以外ではあの男が離れず付いているだろう。

 いや、待てよ。

 

「そういや香砂会の情報で予備校に通ってるとか書いてあったな……」

「予備校?」

「頭の良い子供が大勢いるところさ」

 

 グレイの質問に答えながら思考を巡らせる。予備校に通っているのであれば、高校が終わって予備校へ向かうまでのルートが使えるかもしれない。どの程度距離があるかは詳しく調べなければ分からないが、少しの距離であるなら男は帯同していない可能性がある。友達なんかと一緒に通っているのであれば男も割って入るような真似はしないだろうし。

 

「その友達が一緒だったらどうするの?」

「それは問題ない。上手いこと言いくるめてその友達だけ帰すから」

 

 それよりも問題なのはバラライカだ。殲滅対象である香砂会が鷲峰組の娘を誘拐したと知れば、これ幸いとばかりに一斉砲火を仕掛けてくる可能性が高い。日本に来てまでドンパチはゴメンだ、東京都心に血腥い硝煙の臭いは必要ない。

 バラライカに勘付かれてはいけない。いや最悪気付かれても、その頃には全てを終わらせておかなければならない。

 割と難易度が高かったことに軽く絶望しそうになるが、これで大まかな計画は立てられた。後はホテルに戻って穴の無いように煮詰めていこう。

 そう決めて、宿泊しているホテルへ戻るために東京の街中を歩いていく。

 

「そういえば昼飯まだだったな、何か食べたいものあるか?」

「綿菓子がいいわ」

 

 腹膨れねえよ。

 

 

 

 17

 

 

 

「ロック、姉御はまだいるのか?」

「ああ、これから先は社交の時間だってさ」

 

 定例報告会を終え、クラブの廊下の壁にレヴィは背を預けていた。彼女に一言告げて、ロックは目先のトイレへ用を足しに向かう。レヴィは火を点けただけの煙草を口元で揺らしながら、天井の蛍光灯をぼんやりと眺める。

 

「くだらねえ、社交なんざ時間の無駄だ」

 

 と、蛍光灯へと向けられていたレヴィの視線が、一瞬だけ廊下へと向けられる。カツカツと革靴が鳴らす足音が、彼女へと近づいてくる。

 

「いたいた」

 

 やって来たのは金髪に耳、鼻にピアスを付けた青年だった。高級そうなスーツを着たその男、チャカはレヴィの前まで来ると顔を近づけてヤニで黄色くなった歯を見せる。

 

「あのさぁ、聞いたんだけど君ロアナプラから来たんだって? ガンマンなんでしょ?」

「…………」

 

 レヴィは男を睨みつけたまま、何も喋らない。

 

「刑務所よりもワルが多い街だって噂だけど、実際んトコどうなの? 噂はやっぱり噂? あ、人撃ったことあんの? 俺もあるよ、十人とか」

 

 ここで目の前の男を殺すことは容易い。緩みきった顔に鉛玉をぶち込んだところで、レヴィはなんとも思わない。

 だが今この男はバラライカと協力体制にある組織の人間だ。無闇矢鱈に死体を並べても事態がややこしくなるだけである。

 尚も何かを喋り続ける男の言葉をシャットアウトして無視を決め込んでいると、トイレから戻ってきたロックがこの状況に気がついたらしい。早足でこちらにまでやって来た。

 

「レヴィ、行こう。バラライカさんが待ってる」

 

 そう言ってレヴィの手を取ろうとしたロックを、男の脚が遮った。

 

「通訳さん、見てわかんねっすか? 今話し中、割り込まんでくださいや」

 

 睨みを利かせる男にしかし、ロックは動揺を見せなかった。この程度の怒気なら、向こうで散々浴びている。

 

「すみません、僕らはこれから用事があるので失礼します」

 

 そう言い回り込もうとするロックを見て、チャカは額に青筋を浮かべた。

 プチッ、と何かの切れる音がして拳を握り締める。

 

「何様だてめえそん態度……!」

 

 突き出されようとした拳はしかし、レヴィが咥えていた煙草をチャカへと吐き捨てたことで緩められる。

 

「うわっち!?」

「……さっきからピーピーうるせえんだよ、ホントにボスと同じ日本人か?」

「……へえ、そういう眼するんだ。いいね、いいよ」

 

 引こうとしないチャカにレヴィは冷めた視線をぶつけるが、啀み合いもここまでとなる。

 

「チャカ! 何やっとんじゃ!!」

 

 吉田を先頭に事態に気づいた鷲峰組の連中がやって来る。

 チャカを取り押さえたことで、レヴィはロックへと歩み寄った。

 

「えらく強気だったじゃねえかロック」

「あの程度の睨み、ウェイバーさんやバラライカさんに比べれば屁でもないさ」

「へっ、ダイヤの魂が入ってきたな」

 

 ロックの発言に、レヴィはニヤリと笑う。

 

「兄ちゃん、えらいすまんな。厳しく言っておくさかいに」

 

 チャカの脇を抜けて、坂東がロックに謝罪の言葉を口にした。

 直接危害を加えられたわけでもないので、ロックもそれを受け入れる。

 そんな様子を、後からやってきたバラライカは眺めていた。斜め後ろに控えているボリスと、ロシア語で言葉を交わす。

 

「命令無視の兵隊に御しきれない無能な上官。たまらんな、軍曹」

「戦場でないのが残念ですな。直ぐに厄介払いできたものを」

「今後の方針を固める。ホテルへ戻ったら準備をしておけ」

「了解」

 

 そんなホテル・モスクワの会話に気がつかないロックとレヴィは、こちらもこちらで大きな火種となるような会話を行っていた。

 

「なあレヴィ、やっぱりバラライカさんにウェイバーさんが日本に来てることを言ったほうがいいんじゃないかな」

「言ったからってどうにかなるわけでもねえだろロック」

「そうだけど、バラライカさんはウェイバーさんがロアナプラに居るから向こうを離れたんだ。報告だけでもしておくべきじゃないか?」

「あたしは反対だ。ボスも姉御も仕事で来てんだ、互いの存在を確認し合う必要がどこにある?」

 

 そう言われ、ロックは言葉を詰まらせる。

 

「例えばの話だ。もしもボスが姉御のついてる鷲峰組と敵対してる組織を援助する仕事を受けてたとしたらどうする。ボスと姉御の因縁は知ってんだろ、お前の故郷で全てのピースが揃っちまう。そうなったらもう戦争は回避できねえ」

「そんなこと……」

 

 無い、とは言い切れない。

 ロックはウェイバーがどのような依頼を受けて日本にやってきたのか知らない。同じ日時、同じ場所で出会ったのだから近い場所で仕事をしているのだろう。それが香砂会側の仕事である可能性を否定出来ない。

 

「余計な火種を増やさねえことだぜロック、そうすりゃ世はこともなしだ」

「……ああ、」

 

 バラライカへは報告しないという意見で纏まった二人は、社交の時間が終わるまで別室で待機することとなった。新しい煙草を咥えるレヴィとロックは、並んで廊下を進んでいく。

 

 ――――その傍らで小さな火種が幾つも発生していることに、彼らはまだ気がつかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 以下要点。

・銀さん早速食い違う。
・ロリコン登場。
・チャカ登場。
・ウェイバー、雪緒誘拐計画。
・レヴィ神回避。

◆もしもロックがロアナプラで前線担当となるほどの猛者になっていた場合◆

チャカ「何様だてめえそん態度……!」
ロック「当たらないなそんな拳。俺には通じない」
チャカ「ぐはあッ!?」
レヴィ「あ、あれは、デンプシーロールっ!」




 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。