悪徳の都に浸かる   作:晃甫

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015 犇めく悪党達は交わる

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 ウェイバーやバラライカがロアナプラを離れ日本へと赴いている頃、悪徳の都の一角。三合会の私有地に建てられたビルのワンフロアにあるプライベートプールの片隅で、バスローブ姿の男がデッキチェアに横になっていた。

 張維新。

 香港マフィア三合会のタイ支部長である。

 彼は横のテーブルに置かれた洒落たカクテルに手を伸ばしながら、今頃は日本に到着したであろう男の顔を思い浮かべる。

 ウェイバー、黄金夜会の一角たるロアナプラ筆頭の悪党。その男を日本へ向かうように仕向けたのは、何を隠そう張だった。

 元々香砂会は和平会経由で三合会に依頼を出していた。しかし対立先にホテル・モスクワがいることを知った三合会の上層部はこの依頼を受けなかった。尤もな判断だ。何が悲しくて日本などという島国で啀み合わなければいけないのか。

 だがこれに待ったをかけたのが香砂会である。

 ロアナプラという街がどれほど深い闇を抱えているのか、日本に居ながら多少は聞きかじっている彼らは、敵対者にその悪党がいることに酷く狼狽えていた。故に何としてでも同じ土俵に上がりたい香砂会は、三合会を更に経由してロアナプラ内でホテル・モスクワと渡り合えるだけの戦力を欲したのだ。

 その結果白羽の矢が立てられたのがウェイバーだったというわけだ。

 当然のことながら、張はこれらの情報をウェイバーには意図的に伏せている。敵対する組織がホテル・モスクワに助力を求めたことも、香砂会がホテル・モスクワ共々粛清しようと考えていることもだ。ウェイバーに伝えてあるのは日本のとある組織の手伝いをして欲しいということだけだ。よくもまぁこれだけの情報で彼も依頼を受けたなと思うが、基本的に彼は頼まれた依頼は断らない。それこそ十年前は近所の猫探しから飲食店のヘルプまで幅広く依頼を受けていたのだ。今更それを言ったところでどうしようもない。

 ウェイバーの手綱を握っている、という認識を張はこれっぽっちも持っていない。

 実際この程度で彼を制御できるというのであればどれだけ気が楽だっただろう。自身が定めたレールの上を、ウェイバーが完走したことなど一度もない。必ずどこかで脇道に逸れる。その理由は様々だが、大抵は無意味な人助けだ。彼の思考がどこで切り替わっているかは定かでないが、どうもウェイバーにはそういう余計な部分を好む傾向があるらしい。

 それでいて最終的には定めたゴールに到着するのだからタチが悪く、結果的に依頼はきちんとこなしてみせるのだ。

 思考が読めない。故に彼の行動も読めない。

 そんな奴は、香港にだっていなかった。そう張は独りごち、小さく笑う。

 ウェイバーを日本へ向かわせたのにはもう一つ理由がある。ホテル・モスクワへの牽制だ。

 ここ最近、バラライカはロアナプラで少々事を大きくし過ぎている。ヴェロッキオの時然り、今回の日本での行動然り。黄金夜会の中でどこかが突出するというのは現状好ましくない。だからこその人選だ。

 バラライカはウェイバーとの衝突を避けている節がある。その理由をよく知っている張は、無言の圧力という意味でウェイバーを選んだのだ。

 恐らくバラライカは直ぐに張の意図に気付くだろう。ウェイバーが敵対している組織の側にいて、且つそれを手引きしたのが三合会となれば、この二つの情報だけで正確にその意味を理解するはずだ。

 

「困るんだよバラライカ。今ここでお前たちに先を行かれるのは」

 

 空になったグラスを置いて、静かに零す。

 ウェイバーとバラライカ、二人が居ないことでどことなく平穏を感じさせるロアナプラの景色が、窓の外に広がっていた。

 

 

 

 7

 

 

 

「おいクソチビ。さっきからボスにくっ付きすぎなんだよ、もっと離れろブッ殺すぞ」

「嫌だわキャンキャン吠えて。私はおじさんの助手ですもの、傍に居るのは当然のことよ?」

「何が助手だフザけんな。それと今週分のブツがまだ来てねえぞどぉなってんだ」

「あらゴメンなさい。そう言えばまだだったわね、はいコレ」

「…………今日の所は勘弁してやる」

 

 俺の視界の隅っこで行われるやり取りはさておき、取り敢えず一言言わせていただきたい。

 一体これはどういう事なんだと。

 俺の心情を察してか、隣に座り甘酒を啜るロックの表情は居た堪れないものだった。

 

「まさかロックがバラライカの通訳として帯同してるとはな」

「お、俺もまさかウェイバーさんが日本に来てるなんて知りませんでしたよ。どうしてここに? しかも助手まで連れて」

「ん、まあ俺の仕事でな」

 

 言って、正面の出店で買ったまだ温かい甘酒を流し込む。

 当たり前だが、ロックには俺が香砂会に仕事を依頼されているなどと話していない。守秘義務があるのだから当然だが、なんせロックは俺からしてみれば敵対している組織側に付いている人間だ。不要な情報を与えたくないのは本当だが、話を拗れさせたくないというのもあった。

 

「バラライカさんはウェイバーさんが日本に来てるのを知らないと思いますよ」

「そうなのか?」

「はい。日本に来る前にそんなことを言ってましたから」

 

 張め、バラライカには伝えてなかったんだな。確かに敵対しますなど堂々と言えたもんじゃないが。

 

「ま、お前らにはお前らの仕事があるんだろ? 俺もこの仕事片付けたらすぐに向こうに戻るつもりだ。それまでは精々祖国を楽しんでおけよ」

「ウェイバーさんは、どこの出身なんですか? 俺は東京ですけど」

「奇遇だな、俺もだよ」

 

 ま、生きてた時代は違うだろうがな。

 

「ところでだ」

 

 そこで一度言葉を切って、俺は背中合わせで甘酒を飲む少女とその横に鎮座する強面の男に視線を移して。

 

「お嬢さんがたはロックたちの知り合いか?」

「あ、いえ。この人たちとはここで知り合ったんです」

 

 俺の質問にロックが答える。

 

「そっか。お嬢さんも高市を見に?」

「あ、そうなんです。一応知人が的屋をやっていて、それのお手伝いにと思ってたんですけど」

「悪いな、あの眼付悪いのが揉め事起こしたみたいで」

「いえ、銀さんもいましたし」

 

 最初に少女を見、そして視線だけを横の男へと向ける。

 ……臭うな。第六感とでもいう部分が警鐘を鳴らす。無言で座る男からは、ロアナプラで嗅ぎ慣れた臭いが漂っていた。

 男は俺の視線に気付いたのか、くるりと首を回して俺の顔を覗き込んだ。ここで初めて正面から男の顔を見る。刈り上げられた短髪にサングラス。如何にもな風貌な男は、俺を見るなりその表情を一変させた。眼を見開き、次いでゆっくりと細めていく。

 男は何かを言おうと口を開きかけ、しかし言葉を発することは叶わなかった。

 俺の横合いから、レヴィが飛び込んできたからだ。

 

「にしてもよぉボス! こっちに来るんなら教えてくれりゃ良かったじゃねえか。そうしたら一緒のホテルにも泊まれるしさ」

「俺にゃ高級ホテルは合わないよ、安物のモーテルのが性に合ってる」

「んなこと言わねえでさぁ」

 

 ロックを押しのけ隣に陣取ったレヴィは、ズボンの裾をぐいぐいと引っ張りながら下から覗き込んでくる。

 レヴィの懇願も、俺が香砂会に雇われていると知らないからこそのものだろう。鷲峰組と衝突している組に雇われたと知ったらこんな真似はきっとしない。代わりにレヴィが鷲峰のほうを抜けてくるかもしれないが。いや、それこそまさかか。バラライカがそれを良しとする筈が無い。

 

「悪いなレヴィ。俺もグレイもそろそろ戻るよ、明日も忙しいからな。お嬢さんも、気をつけて帰りな」

 

 尚も渋るレヴィを引き剥がし、綿菓子を堪能し終えたグレイの手を取ってゆっくりと歩き出す。

 そして待たせていたタクシーに乗り込んだところでふと思い出す。

 そういえば、あの二人には名前を聞いていなかったなと。

 ま、いいか。

 

 

 

 8

 

 

 

「行っちゃったな、ウェイバーさん」

「クソッ、ボスが来てるって知ってりゃおんなじホテルを選んだのによ」

 

 ウェイバーとグレイの後ろ姿が見えなくり、ロックとレヴィもベンチから立ち上がる。バラライカの通訳として日本に来ている以上、彼女が仕事を遂行しているうちは片時も彼女から離れることは出来ない。朝から通訳が必要だと言われれば、ロックに断る権利はないのだ。

 飲み終えた紙コップをゴミ箱に放り投げ、いざ立ち上がろうとした所でロックは声を掛けられる。

 

「さっきの旦那、あんたの知り合いかい」

 

 少女の横に座る男からの質問に、ロックは肯定の言葉を返す。

 

「ええ、そうですけど」

「……そうですかい」

 

 言って男も立ち上がる。

 

「お嬢、冷えると身体に障ります。そろそろ行きやしょう」

「あ、はい」

 

 次いで少女も立ち上がり、ロックとレヴィに頭を下げて男の隣を歩き出す。

 ロックはその後ろ姿を、なんとはなしに見つめていた。

 

「……どうしたんですか?」

 

 神社を後にし月明かりが仄かに照らす夜道を歩く少女、雪緒が尋ねる。 

 その質問の答えに困っているのか、隣を少女と同じ歩幅で歩く男の表情は優れない。そんな表情を滅多に見せないものだから、尚の事雪緒は気になってしまった。

 

「銀さんがそんな顔をするなんて」

「いえ、お嬢が気にするようなことでは……」

「言いたくないなら、別にいいんですけど」

 

 そう言われてしまっては男、松崎銀次にはどうすることも出来なかった。

 本来ならきっと、少女にするような話ではない。極道の娘とは言えまだ高校生、二十にも満たない少女にするには刺激の強すぎる話だと理解している。だが少女は欲している。自身の悩みを聞き出そうとしているだけなのかもしれない。そんな軽い気持ちで答えを待つ彼女は、動揺してしまうかもしれない。

 だが、銀次の全ては彼女のためにある。

 

「……さっきのあの男」

「ええと、それは最初に会った?」

「いえ、銀髪の嬢ちゃんを連れてた方です」

 

 ああ、と雪緒が納得の声を漏らす。

 

「あの旦那、気を付けたほうがいい」

 

 どう伝えればいいものかと悩んで、結局はこう言うしかなかった。

 あの男と視線が合った瞬間、銀次は驚愕していた。まさかこんな所であんな眼をした人間と遭遇するとは露程も思っていなかったからだ。最初に遭遇した女もかなり血腥い経歴を持っていそうだったが、あの男はその桁が違う。男そのものが深く暗い闇の底のように、得体の知れない悍ましさを感じさせた。

 同類、それも手練なんて言葉で一纏めにはできない相当の。

 そんな男を前にして、銀次が抱いた感情は狂喜だった。理性が正常に働いていなければ、あの場に雪緒が居なければ。即座に斬りかかっていたかもしれない。

 どんなに外面を取り繕ったところで所詮は己も獣。強敵がいれば戦ってみたいと思ってしまうのは仕方のないことだった。

 

「どうして?」

「……危ねえ臭いがしやがるんです」 

 

 ありゃ化物の類だ。その言葉を飲み込んで、銀次は大きく息を吐いた。

 

 

 

 9

 

 

 

 ホテルの一階に設けられた食事スペースの一席に、三人のロシア人が顔を突き合わせる。

 一人はバラライカ。一人はボリス。そしてもう一人は同じホテル・モスクワの幹部、ヴァシリーという口髭を生やした男だった。

 バラライカの前には軽めの朝食、ヴァシリーの前には肉厚のステーキが用意されているが、ボリスの前には数枚の書類があるだけで飲み物すら置かれていない。

 

「食べないのか軍曹」

「自分は結構です」

「朝は抜くな、身体に悪い」

 

 紅茶に口を付けるバラライカは、カップを置いて。

 

「さて、状況の推移を聞こう」

「は。昨夜から襲撃対象を地下賭博場(カジノ)へ変更。二件を壊滅、損害なし。傷痕は消毒済です」

「完璧だ軍曹。別動班は」

「〇二三〇時香砂会系事務所を襲撃、殺害十二。損耗なし、負傷なし。〇二三七時までに総員撤収」

 

 その報告に一つ頷いて、彼女はボリスへと視線を投げた。

 

警察(第三勢力)の介入は」

「〇三〇五時より各作戦地区にて封鎖を開始。現状まで非常警戒態勢を継続中です」

「平和ボケした奴らには我々の尻尾を掴むことすらできんだろうな」

「警察無線の詳しい内容は鷲峰組員に記述させました。詳細はロックの翻訳を待たなければなりませんが」

「情報の確度は生死を分ける。迅速に翻訳をさせろ」

 

 と、ここまでのやり取りをテーブルに肘を付き、黙って静観していたヴァシリーが満足げに口角を持ち上げた。

 

「ふん、流石だなバラライカ。スレヴィニン頭目も一目置くわけだ、仕事も話も早い」

 

 ピタリ、とバラライカの動きが止まる。視線をヴァシリーへと向けた彼女は、汚物でも見るかのような瞳で正面に座る能無しを睨み付けた。

 

「一体誰の尻拭いをしていると思っているのかしらね、ヴァシリー」

「なんだと?」

「こんな遊び場の制圧すら碌に出来ないなんて、あなたは組織の面汚しだわ」

 

 バラライカからすれば、日本の制圧など片手間で出来るママゴトに過ぎない。アフガンを経験し、悪党犇めくロアナプラで生きる彼女は、そもそも立つステージが違うのだ。

 

「私は早くこの仕事を片付けてロアナプラに戻りたいの。あそこは火薬だらけでね、いつまでも放っておけないのよ」

 

 それだけ言って席を立ち、ボリスから上着を受け取る。

 対して面白くないのがヴァシリーだ。元来短気な彼は、好き放題言われて閉口するような男ではなかった。

 

「……調子に乗るんじゃねえぞバラライカ。俺だってな、ロシアに戻りゃあ立派な頭目の一人なんだ」

「あら御免なさい。腕より金で昇った人は印象が薄くてね。忘れないよう、ドル札に名前を書いておかなきゃ」

 

 ヴァシリーの言葉など意に介さないバラライカは、嘲笑を浮かべてそう告げた。

 事実だけに言い返せない。ヴァシリーは唇を噛み締める。彼はバラライカのように生粋の武闘派ではない。どちらかと言えばデスクワーク中心のマフィアだ。武功を立てることの出来ない彼は裏で金を使い今いる地位にまで上り詰めた。

 だからこそヴァシリーは目の前の女のことが気に食わない。

 自分に無いものを全て持っているようなこの女が。

 

「……軍人崩れの雌犬(スーカ)が」

 

 その言葉に、歩き始めていたバラライカの歩が止まる。ちらりとヴァシリーへ視線を送り、小さく溜息を吐き出した。

 

「……これ以上貴様と話すのは時間の無駄だが、忠告だけはしておいてやる。私にはこの世で我慢ならんものが二つある。一つは冷えたブリヌイ、そして間抜けなKGB(チェーカー)崩れの糞野郎だ」

 

 ヴァシリーに反論を許さぬまま、バラライカは吐き捨てる。

 

「弾にだけは当たらんよう、頭は低くして生きていけ」

 

 

 

 10

 

 

 

「すんませんなぁ、ウェイバーさん。朝早くから呼び出してしもうて」

「気にしないで下さい東堂さん」

 

 午前九時。俺は都内の小さな喫茶店でサンドウィッチを頬張っていた。助手という扱いで同行していたグレイはホテルで留守番だ。

 テーブルの向かいに座るのは香砂会若頭の東堂。薄いグレーのスーツに黒シャツ、赤ネクタイと喫茶店には少々派手な服装の彼は、少々落ち着きがないようだった。まぁ、それも無理からぬことだろう。

 聞けば深夜に香砂会系列の事務所が襲撃され、十二人が殺害されたというのだから。しかもその手口は驚く程鮮やかで、警察によれば犯行時間は僅か五分弱との見立てが出されている。加えて犯人を辿れるような痕跡は一切残されていないらしい。

 十中八九遊撃隊(ヴィソトニキ)の仕業だろう。バラライカの奴は東京を恐怖の渦に叩き込みでもしたいのだろうか。

 

「それで、組長さんはなんと」

「親父は鷲峰組の犯行だと断定して動くよう指示を出してます。警察の介入は極力避けたいとこですが、今回ばかりは事を荒立てるのも致し方なしやと」

「徹底抗戦の構えですか」

 

 昨日会った香砂政巳の印象からして、まずそうするだろうなとは思っていた。あれはかなりプライドが高そうだ。そういう人間ほど目の前の事態を軽視しがちである。

 それに比べ、この東堂という男は中々できそうだ。どうやら香砂政巳には内密に今回俺と接触したらしいが、このままでは香砂会の存続が危ういと察しての行動なんだろう。

 

「ウェイバーさん。あんたぁ向こうでロシアどもとやり合ったことがあるそうで」

「昔の話ですよ」

 

 どこから聞きつけたのか、東堂はそんな話を切り出した。

 

「聞かせてもらいたいんやが、このままうちの組がやり合ってロシア人どもを突っぱねることはできるんやろうか」

「無理でしょうね」

 

 サンドウィッチと共に出されたホットコーヒーに手を伸ばしながら断言する。

 香砂政巳をはじめとした香砂会、そして恐らくはバラライカを頼った鷲峰組もだが、彼らは根本から勘違いをしている。拳銃所持すら法で禁止された日本と悪の吹き溜まりロアナプラ。思想から違うのだ。極道だか何だか知らないが、日本刀やピストルをぶら下げて粋がるような人間の集まりと常に生と死が隣り合う場所を生きる人間とでは、価値観そのものが違いすぎる。香砂会も鷲峰組も、これから起こるだろう抗争の規模を履き違えている。一般人に被害が出ないように、なんて温い考えは直ぐに捨てるべきだ。喧嘩を売った相手が誰なのかを直ぐ様理解すべきだろう。

 

「向こうが雇ったホテル・モスクワってのは本物の軍隊だ。言っちゃ悪いがアンタらみたいな極道とはそもそもの質が違う。正面切って相対すれば、ものの数分で殲滅されるでしょうよ」

「……そこまでですかい」

「失礼ですが、ロアナプラについては」

「悪いが海の向こう側については全くだ」

 

 まぁ、そんなことだろうとは思っていた。

 香砂会がどんなルートを辿って俺にまで行き着いたのかは不明だが、張が関わっているからにはどこかで三合会、つまりは香港マフィアを経由している筈だ。ということは少なからず香砂会はそうした国外のマフィアと繋がりがあるということになる。聞いた話によれば所持している武器も海外から仕入れたものが殆どであるらしいので、規模だけで言えば成程国内に限ればそこそこのものなんだろう。

 それ故の驕りか、彼らはどこか俺たちロアナプラの人間を侮っているきらいがある。

 俺はともかく、バラライカやその私兵たちが弾丸ぶち込まれたくらいで膝をつくと思ったら大間違いだ。

 

「アイツ等と本気でやり合おうって考えてるなら、少なくともこの国の軍隊を総動員するべきでしょう、訓練も受けていない人間が束になったところで敵う相手じゃない」

 

 対等に戦える相手なんてのは同じ黄金夜会の三合会、コーサ・ノストラ、マニサレラ・カルテルくらいだ。勿論俺は除外だ、バラライカとやり合うなんて冗談でも笑えない。

 

「……おたくはロアナプラでも一等の悪党だと聞いてるが」

「俺が? まさか」

 

 東堂の言葉に、思わず笑いが漏れてしまう。俺が悪党だったら、あの街の人間は漏れなく全員大悪党になっているだろう。いやロックやメリーは違うか。

 俺は聖人君子なんかじゃないが、張やバラライカ程の悪党にまでなった覚えはない。奴らは既に悪のカリスマとでも言うべき人間だ。それに比べれば、俺なんて可愛いものだろうな。

 そんな意味合いを込めて、東堂へと言葉を投げる。

 

「俺はそんなカテゴリにゃ入んないよ」

「…………」

 

 カップに残ったコーヒーを飲み干して、ナプキンで口元を拭う。

 東堂は何を考えているのか、俯いたまま俺と視線を合わせようとしない。店内は暖房が効いて暖かいというのに、心なしか震えているようにも見える。

 冷え性なんだろうか。

 

 

 

 11

 

 

 

 香砂会系列の事務所が襲撃された。その報せはすぐに香砂会組長、香砂政巳へと届けられた。

 香砂政巳は自尊心が高い。自身が所有する事務所を襲撃され、構成員まで殺害されたとなれば顔を真っ赤にして憤慨するのは組員であれば誰でも予想できることであった。

 このままではまずい。そう直感した東堂は、朝早くにウェイバーを近くの喫茶店へと呼び出した。

 根拠や確信があったわけではない。ただ今ここで彼に事情を話さず事を進めてしまった場合、取り返しのつかない事態にまで発展するかもしれないと思ったのだ。

 待ち合わせの時間ぴったりにやって来た彼は、昨日の服装そのままだった。グレーのジャケットに黒のパンツ、上に羽織ったコートを横の椅子に掛けて正面から見る男は、東堂からはどこにでもいる一般人にしか見えなかった。

 本当にこの男がロアナプラという街に君臨する悪党の一人なのだろうか、と疑問を抱いてしまうほどに普通。

 頼んだサンドウィッチを頬張る姿も、視線の動きや動作も。少しでも裏に通ずる人間であれば無意識のうちに周囲を警戒してしまう癖すらも見られない。

 だからつい本当かどうか確かめたくて、東堂はこう質問した。

 

「おたくはロアナプラでも一等の悪党だと聞いてるが」

 

 その質問に残りのサンドウィッチを齧っていたウェイバーは、鼻で笑った。

 

「俺が? まさか」

 

 質問そのものが馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりの反応に、思わず東堂の表情が険しくなる。

 馬鹿にされている、と思ったのだ。そう質問することが、自身の無知さを曝け出しているのだと暗に言われているような気がした。

 だが次のウェイバーの言葉に、東堂は戦慄する。

 

「――――俺はそんなカテゴリにゃ入んないよ」

 

 悪党なんて小さな枠組みに嵌め込まれるなんて冗談じゃない、と。ウェイバーはそう言ったのだ。

 その瞬間東堂の全身を悪寒が駆け巡る。背中に太い氷柱を差し込まれたような寒気が止まらない。

 一般人にしか見えない? そう見せているだけのことだったのだ。能ある鷹は爪を隠す。それを体現していただけのこと。気が付かなかったのはウェイバーと自分にそれだけの力量差があっただけに過ぎない。

 確信が生まれる。この男は間違いなく出会った中で一番の悪党、いや極悪人だ。そう認識した瞬間ウェイバーの正面に座っていることが恐ろしく命知らずなことに思えて、東堂は視線を合わせないよう下を向いた。

 そして同時に思う。

 彼なら、この男なら。鷲峰のロシア人どもにも引けを取らないと。

 

 

 

 12

 

 

 

「うちの系列の事務所がやられた。そのことはもう知ってるとは思いますが」

「ええ、東堂さんの方から聞いてますよ」

 

 午前十一時。

 東堂との用件を済ませた俺は一旦ホテルへと戻り、グレイを連れて六本木にあるクラブにやって来ていた。

 俺とグレイの正面に座るのは香砂政巳とそのボディガードだと言う両角、そして東堂だ。

 

「だったら話は早い。うちもやられっぱなしじゃいられねえ。いっちょその腕前、見せてもらえねえだろうか」

「……俺の腕、ですか」

「ああ、ロシア人とも張れる実力だって聞いてる。是非とも力を貸してもらいたい」

 

 力ねぇ。そんな大層なものを持っているわけでもないんだが、しかし一度は受けた依頼である。断ると張の面子にも関わってくるだろうし。

 ここは適当に流すのが本当は正解なんだろうが、俺の隣で若干ウズウズしている助手(殺し屋)をこのままにしておくのも憚られる。

 

「香砂さん。俺たちの力を見たいとのことですが、それは全てを見せろということですか?」

「全て?」

「そう全て。俺が持つ戦力全てを行使し鷲峰組を壊滅させろ、そう捉えて構わないということでしょうか」

「親父」

 

 俺のその言葉に東堂が割って入る。

 何かを香砂政巳へ耳打ちして、彼はすぐに元の立ち位置へと戻った。

 

「……いや、壊滅させちまうとこっちとしても都合が悪い。あくまで奴らに身の程を教えてやる程度に収めて欲しいんだ」

「ふむ、そうですか」

 

 となるとどういった手段に出るのが最も合理的か。

 数秒考えて、結論が出る。横に座るグレイも俺と同じ結論に行き着いたようで。

 

「誘拐だな」

「誘拐ね」

 

 誘拐。どこの国のどんな場所でも通用する合理的な手段だ。

 

「誘拐ですか」

「そうです。狙いはそうだな、鷲峰組にとっての最重要人物。組長もしくはその家族がいいでしょう」

「向こうの組長はもうおらん。おるのはその娘だけだ」

「ではその娘を標的にしましょう。向こうのように系列の事務所を襲撃など回りくどいことをしなくても、上手くいけばこれで全ての問題を解決できますよ」

 

 トントン拍子に進んでいく会話の流れに向こうは眼を白黒させているようだが、こちらとしては一般人を巻き込んでの乱戦よりも余程良い手段を提示したつもりだ。警察も動き出しているだろうし、更に火種を大きくするような事はなるべくしたくはない。

 

「その娘の写真や情報はありますか?」

「すぐに用意させよう」

 

 十分程して、俺の手元に一枚の写真と個人情報が記載された資料が届けられる。

 それを目にした瞬間、俺は溜息とともに瞼を下ろす。

 まさかあの時の子が、鷲峰組の人間だったなんてな。同時に横に居た男にも納得だ。あれは何人も斬ってるだろう、血の臭いがこびり付いて離れない程に。

 

「ねえおじさん。この人」

「ああ、……あの時のお嬢ちゃんだよ」

 

 全く、ままならないもんだ。

 悪党の皮被って生きていくということが、俺にはやはり合っているのかもしれない

 あの時少し話しただけの少女を誘拐するということに、全く罪悪感を感じない(・・・・)のだから。

 写真に映る少女を眺めながら、そう嘆息した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 日本編はウェイバー視点、バラライカ視点、ロック視点、香砂会視点、鷲峰組視点、雪緒視点と目まぐるしく視点が変化するので大変ですね。
 なるべく読み手に負担にならないよう意識はしていますが、多少読みづらい場合があるやもしれません。

【朗報】
バラライカ、未だウェイバーの存在を知らず。

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