七十五層コリニアは、開放されたばかりの街であるため大変人が多い。大変大変大変たいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたい変態変態変態……大変だと変態になるので、大変なのはよくないことだ。だから絶対働かない。
「なんじゃこりゃ……」
無駄にデカイ闘技場の外壁には赤い横断幕に白い文字で【《生ける伝説》ヒースクリフVS《二刀流》キリト&《双剣》エイト】とデカデカと書かれている。……え、これ一日で作ったの?
「帰る」
「ま、待ってよ!!」
百八十度回れ右をし、転移門まで戻ろうと歩を進めようとすると普段の毅然とした態度を崩し、アスナがガッと肩を掴む。
しかたなく振り返り、諭すように告げた。
「いいか? 俺はお前のために戦うのであって、晒し者になるために戦うわけじゃない」
「え、そ、そう……」
どこに照れる要素があった? お前がギルドを休むと言うからこんな状況になってるんだろうが。
「……ほら、いいから行くよ」
キリトに背中にどすこいどすこいと張り手を喰らわせられながら、俺たちは闘技場(という名の吊し上げ場)に足を踏み入れた。
× × ×
ふえぇ、速すぎて見えないよぉ……。
まぁ、そんなわけない。どっかのバトル漫画じゃあるまいし。
《二刀流キリト》と《神聖剣ヒースクリフ》のデュエルは、ユニークスキル持ちの名に恥じぬ凄絶な戦いだった。
キリトが剣を薙げばヒースクリフが防ぎ、ヒースクリフが攻勢に転じればキリトが卓越した反射神経で反応し、捌く。
剣が交錯すれば観客が沸き、二人の剣士は真円の闘技場をまんべんなく使って縦横無尽に駆ける。
お互い均衡状態に入っているが、劣勢なのはどちらかと言えばキリトだ。
ヒースクリフは完全にキリトの攻撃を防御しているが、キリトは直接的な掠り傷を負っている。無論ソードスキルで攻撃すれば多少ダメージは通るが、本当に微々たるもので着々とHP総量に差が出来はじめている 。
「このままじゃじり貧、よね?」
「……ま、そうだな。ただ、キリトはまだ二刀流スキルは使ってないから勝負はまだこれからだろ」
慎重に使いどころを見極めるのはいいが、今のキリトはいささか慎重になりすぎている。いや、怯えているようにも見える。
「……何であいつ二刀流スキル使うこと躊躇してんだ?」
「……責任というか、若干トラウマになってるんだと思うよ」
何がだ? と問う前にアスナが続けたため、開き掛けた口を閉口する。
「自分が二刀流スキルの威力を見誤ってハチ君を危険な目に遭わせちゃった……って、昨日言ってたよ」
それは違う。あれは俺が勝手にやって勝手に死んだのだ。そこにはキリトの責任は一分もない。
自分で他人に迷惑は掛けないのがぼっちとして存在していい理由だと思っていたのに。
「……ハチ君は他人に迷惑を掛けちゃダメ、って思ってる顔してるけどさ、私はそれでいいと思うんだ」
「いや、普通はダメだろ……」
俺の物言いにもまったく怯むことなく、アスナはヒースクリフと戦ってるキリトを見て、言った。
「だって、迷惑を掛けて、掛けられて……そういうのが出来る相手を『友達』って言うんじゃないの?」
「……そういうもんか?」
「さぁ? あくまで私の主観だから」
そう言って小悪魔じみた笑みを浮かべる。
まったくこいつは……年上を試すような真似をするんじゃねぇよ。
ふと気になったことがあるが、訊いてもいいのか判断できなかったので言葉を口内で転がす。しかしアスナの「何?」と言っているような視線に後押しされ、案外スッと出てきた。
「……お前、SAO来る前に友達いた?」
顔は前に向けたまま眼だけを動かし、チラとアスナを見る。
きょとんとしていた顔から涙が零れ、次いで何故か笑った。
「……え、あ、や、その、やなこと訊いたか? その……悪かった、すまん」
「い、いや! 違うの! 何か、嬉しくて……」
友達いないか訊かれたら嬉しくて泣くって変なやつだな……と、俺は戦慄していたのだが、それは思い違いだと次の言葉でわかった。
「ハチ君が
「そう、だったか?」
言われてみれば確かに記憶にない。だが暗黙の了解というやつで現実世界の話を持ち出すのは禁忌とされている。
なら何故訊いたのかと言われると、俺は確言を持つことができない。
「ふふ……」
「何だよ」
「別に何でもないよ♪ ――キリトちゃーん! 頑張れー!」
あの、あなたが応援してるキリトの敵、あなたの上司なんですがいいんですか?
まぁそういうのも野暮だろう。一瞬だけこちらを見たキリトに軽く手を挙げると、一つ頷いた。
「やる気、だな」
勝負に出る気だ。
二刀流スキル――アインクラッド史上三つ目のユニークスキルが初めてこれだけの観衆の目に触れることになる。
「スターバースト……」
まるで魔法の式句を唱えるように、そしてそれに応えるように段々と漆黒と白銀の対の剣はライトブルーの光に包まれていく。
「――ストリームッ!」
爆発。
幾千にも剣が分裂したような剣速で、恒星のプロミネンスの如し苛烈さで、そしてソードアート・オンラインでも随一の連撃数で、最強にして最堅のヒースクリフの鉄壁に少しずつ、少しずつ皹を入れていく。
「すごい……」
うわごとのようにアスナが呟いた。
ユニークスキルはゲームバランスを崩すほど強力である、と誰かが言った。その理由が今目の前にある。
あんなスキルで攻め立てるキリトも当然すごいが、それを今叩き込んだ十二撃目までギリギリとはいえ反応できるヒースクリフもヒースクリフだ。だが徐々に遅れてきている。
「ヤアアァァァァァアッ!」
キリト渾身のスターバースト・ストリーム最後の一撃。これまでの烈火の如く連撃で完全に体勢を崩されたヒースクリフに防ぐ手立てはない。
――勝った!
俺も、アスナも、衆人も、戦っている当の本人のキリトでさえそう思った。
そう、『そう思った』のだ。
壁役で動きはけして速いとは言えないヒースクリフが、このデュエルで……いや、ボス戦ですら見せたことのない敏速で最後の一撃を避ける。
そして、そのまま――
× × ×
「あはは……、負けちゃった……」
泣き笑いのような顔で先ほどのデュエルの結果を告げる。惜敗、と言う他ない結果だった。
ヒースクリフの装備のメンテナンスや休養時間として、第二試合は一時間後に始まるらしい。
まぁ、キリトが反応できないならSAOプレイヤーの誰も反応できないだろう。それほどまでに速かった……いや、速すぎた。
中学二年生以上なら大体の人が知っていると思うが、人がある刺激を感じ取り、脳に伝達、さらに脳が運動神経及び筋肉に命令を下すまでに平均0.2秒かかるという。反射でも0.1秒はかかるだろう。ナーヴギアが脳の命令を読み取るのに若干とはいえ時間がかかるなら、あの速さは人としての限界を越えている。
「……マジであいつチートすぎるだろ……」
そう形容するしかないチートっぷりだ。何だよ、ガードが硬い上に反応速度が限界突破って……。
「そんな人とこれからハチ君は戦うんだよ? 頑張って」
「頑張ってね! できたら私の仇を討ってね!」
男だったら朗らかな笑顔でそんなことを言われたら断れまい。
「……ま、できるだけやってみるわ……」
ここから先は、俺の
× × ×
選手控え部屋みたいなところから出て、真っ直ぐ歩く。
しばらく行けば、そこはもう俺のステージ。
今までと違うのは、初めて光が当たる舞台だということだ。
「……よう」
「……今日は久々に疲れたよ。さらにもう一戦……だが、今は君と戦える喜びが勝っている」
この男にしては珍しく口角がつり上がり、確かな愉悦を顔に出している。
まったく……俺の周りには何でこう
その事実に思わず苦笑する。
決闘開始まであと三十秒。
ヒースクリフは銀の長剣を抜き、俺も両腰に一本ずつ佩いてある黒色と殆ど白の薄い水色をした対剣を抜く。
……三。
お互いに剣を構え。
……二。
次いで、体勢を戦闘用にし。
……一。
相手の策を構想し。
……零。
【DUEL】の文字が閃いた。
瞬間。
――激突。