夜の街を静かに駆ける。
衛宮邸での同盟の交渉が決裂し、すぐさま私は別の用件で行動していた。『予定通り』の交渉決裂だったので心中に思う所はなく、むしろ微かな笑みを浮かべながら。
元々セイバーやアーチャーと現時点で同盟を結ぶ利はない。召喚されたばかりの聖杯を強く欲する今のセイバーと、復讐の為に聖杯を求める私では同盟が成り立つはずがない。
決裂を決定的にしたのも、個人的な欲望で聖杯を欲していると言った私の発言だった。それにセイバーが反応し「大義すらなく、己の欲望を満たす為に聖杯を求める貴女とは相容れない」と拒絶された。
あの時の真っ直ぐ私を見たセイバーの揺るがぬ瞳。それを少しだけ哀れに思う。彼女が望むのは過去の改変。故国の救済。その想い自体は素晴らしい物だし、否定する気はない。けれどカムランの丘で死に囚われている彼女は理解しているのだろうか。過去を改変すると言う意味を。
個人の欲望で聖杯を求める私が、彼女の願いの良し悪しを言う資格はないわね。彼らに顔を見せ話し合いを行った事で良しとしましょう。セイバーを救うのは私の役目ではないのだから。彼女の事は正義の味方達に期待しましょう。
セイバーに対する思いを心の中から追い出し、思考を冷静に沈ませ表情を消していく。ここからはあの子達に合わせた善人ではなく、策謀巡らすキャスターのサーヴァントとしての時間の始まり。
身の程を知らぬ愚者に鉄槌を下さなくては。
市内に展開させていた魔術陣は収集する対象を選別する。それは同時に策敵の役割も果たし、先程サーヴァントらしき者がそれにかかったのだ。
感知した現場近くでビルの上から路地裏を見れば、意識がない女性を持ち上げている紫のサーヴァントが目に入った。傍らには本を持った高校生の少年が居る。
「やはり魂喰いを始めたわね」
人払いの魔術も使わず――正確には使えず――魔術の秘匿を考えない愚かな行為。最低限の魔術師としての心得もなく、さりとて人としての倫理の欠片も見受けられない行い。
紫のサーヴァント、ライダーが抱える女性を下卑た視線で見ながら楽しそうに嗤うマスターらしき少年。その姿は、遠坂凛や衛宮士郎に比べなんと醜いことか。
ライダーの強化のついでに自分の趣味を満たそうとしているのだろう。狙うのはか弱き女。弱い者を自分ではない者の力で屈服させ悦に浸る。女を下に見ている、いえ、自分を愉しませる道具くらいにしか思っていないのでしょう。最低な気分にしてくれるわね。
私が使った人払いの魔術で路地裏に繋がる大通りからも人が消えたのを確認し、死を恐れぬ兵士の群れの召喚を行う。
「お出でなさい。魂無き戦士達よ」
遠隔魔術により路地裏に多数の骸骨の戦士達が出現した。それを見た瞬間、慌てふためくライダーのマスター。その様子を詳細に知る為に集音の魔術を使い、彼らの声を拾う。
「ライダー! そんな奴どうでもいいから僕を守れ! ちくしょう! 折角これからって時に!」
ライダーは抱えていた女性を落とすと返事もせずに竜牙兵達をなぎ倒し始めた。さすがと言うべきか、壁を跳躍して杭と鎖を使い舞う姿は見事なものだ。
「ふ、は、あははは、なんだ、数だけ居て大した事ないじゃないか。良いぞライダー。僕の遊びを邪魔してくれた奴が後悔するようにどんどん倒せ」
彼らを囲んでいる竜牙兵が脅威ではないと思ったのか、少年――間桐慎二は笑い声をあげる。突如現れた竜牙兵に動揺し、ライダーの脅威とならぬとわかれば安心する。彼の反応は実にわかり易く滑稽に見えた。
そもそもあの竜牙兵はモドキとも言うべき存在。現代では竜の牙は手に入らず、本来の竜牙兵ではない。それでも武道を修めた一般人はもとより、数が居れば魔術師や代行者にすら脅威となるのだが、英雄達から姉妹を守り続けたライダーの脅威にはなりえない。
路地裏に居た竜牙兵もライダーによって倒され残り数体となる。
「ビビらせやがって、もう終わりか。おい! 何処のどいつだか知らないけど、そろそろ姿を現したらどうだ。奇襲した癖に返り討ちに遭う雑魚サーヴァントが」
奇襲のつもりも返り討ちに遭う予定もないのだけれど、中々に面白い事を言ってくれる彼の要望に応え、追加の竜牙兵を作成し彼らの周辺へと出現させる。
出現した竜牙兵は再び同じようにライダーに蹂躙されるが――――。
「ど、どんどん増えてるじゃないか。ライダー! 手を抜くんじゃない!」
1体倒されれば2体、2体倒されれば4体。倒す以上に数を増やしていく竜牙兵の群れに向かって叫ぶ間桐慎二。恐怖からか、背後も見ずにライダーから離れ下がった彼の背中を漆黒の剣が軽く掠めた。ライダーが彼の動きを察知して、すぐに対応したので傷は負っていないようだけれど。
「ラ、ライダァァア、何をやってるんだ! 僕を守れ! この役立たずが!」
「シンジ、ここは狭くて危険です。脱出します」
半狂乱になって叫ぶ間桐慎二を無視して、ライダーが淡々と喋り伝えた。彼をマスターと呼ばない辺りに、彼女の在り方がよくわかる。彼女にとって所詮彼は本に写した偽りの令呪を持っているだけの、本来の主を危険から遠ざける為のデコイに過ぎないのでしょうね。
ライダーは間桐慎二を抱え跳躍し、壁を飛ぶように蹴って路地裏を脱出した。そして路地裏の先、人払い済みの大通りに出たが。
「これは……」
ライダーが大通りの空いた場所で呟いた。その目に映るは道を埋め尽くす骸骨の大軍。進む先はなく、背後の路地裏からも溢れ出る意思無き兵達。
「な、なんだよ。なんなんだよこれは! ライダー、お前がのろまだからこんな事になったんだぞ!」
逃げ道など最初からなかった事に漸く気づいたのでしょう。癇癪を起こした間桐慎二が罵詈雑言をライダーに浴びせている。その口汚さに、私は息を吐いて自分の体を抱きしめる。思わず壊したくなるのを我慢する為に。
ライダーが襲い来る竜牙兵から守る間も、間桐慎二はわめき散らしている。自らを守護するサーヴァントに感謝の念が一欠けらも無いのか、それとも自分とは比べ物にならぬほどの力を持つライダーを下にでも見ているのか、彼のブレない姿に少しだけ感心してしまう。良い意味ではないけど。
踊る道化を見ているのも飽きてきた。そろそろ私も動く事にしましょう。程よく竜牙兵が倒されたおかげで空いたスペースへと転移し、二人へと声を掛ける。
「ふふ、ライダー、随分と愉快なマスターのよう――――」
正面に現れた私の言葉が終わる前に、ライダーは迷う事無く飛び込み私の胸へ杭を突き刺した。言葉を中断された無礼よりも、その躊躇しない容赦のなさに惚れ惚れする。
杭を突き刺された私は、そっと彼女だけに聞こえる声で囁き、その後に光の粒子となって淡雪のように姿を消す。
「は、はは、馬鹿が、有利だからってわざわざ出てくるからやられるのさ」
「誰がやられたのかしら?」
「なっ!? なんで居るんだよ、お前! 今死んだじゃないか!」
消滅したはずの私が後ろから声をかけると、間桐慎二が口やかましく叫びだす。ただの実体を持った幻影だっただけの話なのだけど、魔術師ではない彼には理解できないのだろう。その彼を守るようにライダーが私と相対した。
「シンジ、退路を開きます。私はここであのサーヴァントを抑えるので先に撤退を」
言うが早いか、ライダーは眼帯を外し私とは正反対の後方へ向けて魔眼の力を解放した。彼女の宝具である『自己封印・暗黒神殿』で封印されていた石化の魔眼・キュベレイは、悉く竜牙兵達を動かぬ石像へと変えていく。
ライダーが作った石の道を、命欲しさか間桐慎二は脇目も振らず走りぬけ逃げて行く――――訂正、しっかり脇目を振って走っていた。
「ライダァーー! そのムカツクサーヴァントを絶対に倒せ! ズタズタにして苦しめてからな!」
逃げる最中にすら戯言を言う彼の姿に、つきたくもないため息をついてしまう。恐怖を感じているはずだろうに、それでもめげずに遠吠えを残すとは。
間桐慎二が歪んだのは彼自身の問題ではなく、育った環境が何よりも問題だったからでしょう。人ではない下劣な蟲が居る家で育ったのだから歪まないはずがない。己が血筋の者でも弄び喰らう絶対的強者が居るからこそ、彼は自分より弱い者へと心の闇を向けていたのだろう。
同情はするが、だからと言って被害者を思えば許せる訳もない。だから命の危機を感じさせ恐怖を与えた。これに懲りて聖杯戦争に参加するなどと言う馬鹿な考えを放棄し、命の大切さを知って少しでも他人に対して優しくなってくれると嬉しいのだけれど……。走り去る彼の背中を見ると無駄に終わりそうで、ため息が再び出てしまう。
世の無常を感じる私の耳に ジャリッと鎖が擦れる音が聞こえた。間桐慎二から眼を離し、眼帯をつけ直したライダーへ意識を向ける。
「ライダー、少し待っててくれるかしら」
警戒したままのライダーに背を向けて、こっそり竜牙兵に保護させていた女性のもとへと歩いていく。軽く状態を調べると身体の傷はなく、魔力欠乏症に陥っているだけだとわかる。これなら簡単に治せそうね。
「すぐにこの娘の治療をするから、終わるまで待ってて頂戴」
重く感じる体に鞭打ち、柳洞寺へ続く石段を登る。聖杯戦争初日から慣れない事をした影響か、肉体的疲労よりも精神的疲労で消耗している感じか。
「随分と疲れているようだが、童達との交渉はそれほど苦労したか」
山門へ辿り着くと実体化したアサシンが労ってくる。
「坊や達との話し合いは最善の結果ではなかったけれど、予定通りだったから苦労はしてないわよ」
「それはめでたい。魔術の腕だけではなく子守の才能もあったと言う事か。大した多才ぶりよな、キャスター」
労ってくれたと思ったのは勘違いだった。いつも通り、平時と変わらずに私をからかう気のようだ。疲れている時にからかわれると、さすがに少しだけイラっとする。
「自分のマスターに軽口を叩けるほど暇で良かったわねぇ。アサシン」
「いやいや、今宵は珍しく客人が訪ねて来てな」
アサシンの一言にふざけていた雰囲気を改める。
「バーサーカー……だったら貴方が無事だとは思えないから、ランサーかしら?」
「おおよ。見事な槍捌きの武士だった。『お互い』に全力が出せぬとは言え、気持ちの良い斬り合いであったな」
整った顔を目を引くような笑顔にして、斬り合いとやらに思いを馳せるアサシン。人外の技であろうランサーの槍捌きを楽しそうに語り、おまけに斬り合いが気持ち良いとのたまう。
私の知っている侍ならば、己を殺し主に仕え、もっと謙虚な態度で報告しそうなものなのだけれど。まるで好きな物を語る子供のような報告を聞いて、体から力が抜けていく。
「はぁ、貴方が斬り合い大好きなのはわかったわ。報告はそれだけ?」
「うむ」
攻めて来たランサーは良くやるものだ。今日だけでアーチャー、セイバーと戦った後にアサシンとまで戦ったのだから。きっとアサシンと同じく戦闘大好きそうなランサーも、今頃は良い死合いだったとか思っていそうだ。
「お主が疲れていた理由は後ほど聞こう。先に宗一郎に報告するのであろう?」
「そうね。その前に一つ忠告するわ。私のマスターの事を呼び捨てにはしない事ね」
「おお、怖い怖い。女の嫉妬は恐ろしいものよ」
「アサシン」
私が睨むと「冗談だ」と笑いながら返してくる。冗談なのは最初からわかっているので、何一つ弁明になっていない。何時でも私をからかおうとするこの男には何を言っても無駄なのかもしれない。
そう諦めてアサシンを放置して山門を通ろうとすると、やや軽い口調ではあるが真剣な声が聞こえた。
「慣れぬ事で疲れているのやもしれぬが、今のようにいつもの調子で行く事だ。宗一郎を心配させるのはお主の本意ではあるまい」
聖杯戦争が始まって初めての本格的な戦闘行為。ライダーとのいざこざで精神的に少し参っているのを悟られていたらしい。
私は王女であり魔術師だった。けれどセイバーのように軍を率いる王族ではなかった。アーチャーのように魔術を使い戦う戦闘者でもなかった。女神の洗脳中に戦いに巻き込まれた事はあったが、生来の私は戦いに向いているとは言い難い。
そこを見抜かれアサシンに心配をかけてしまったようだ。いつも私をからかう不真面目な男に心の中で感謝を――――
「魔女と伝わる女狐が、実は初心な生娘であったと知られては色々とまずかろう」
――――するのは見送る事にしましょうか。
自室の扉を静かに開けると、案の定マスターが起きて待っていた。姿勢よく正座をする姿は、まるで瞑想をしているようだ。
「戻ったか」
「はい、マスター」
無駄な事は言わない最低限の言葉だけの会話。それが嫌ではないのは、葛木宗一郎と言う人が持つ不思議な魅力なのだろう。
「まずはセイバー、アーチャーとの同盟ですが、予想通り決裂しました」
「ふむ」
「ですが敵対する意志を示さず話し合いをした事で、彼らのマスターは『キャスターの陣営』に対して戦闘での排除は行わないでしょう。最良ではありませんでしたが上々の結果かと」
自分の手を汚した事がない遠坂凛と衛宮士郎は非情に成り切れない。サーヴァントの二人がもし自分のマスターの許可なく私やマスターを排除すれば、お人好しの彼らとは決定的に関係が破綻するだろう。なので大丈夫だとは思うが。
「ただ状況次第ではセイバーやアーチャーが暴走し、狙ってくる可能性もあります。ですので、私が渡した護符を手放す事はないようにお願いします」
「わかった。確認だが、衛宮や遠坂に関係者だと疑われた場合はお前のマスターだと話して構わんのだな?」
「はい、包み隠さず話して下さい」
彼らに対しては話し合う事が最も安全な対策になる。安全と言う意味ではマスターは柳洞寺に篭る手もあるが、下手に今そうしてしまうと、自分から怪しいと言うのと変わらない。敵対する企みがあると疑われるおまけつきで。
セイバーとアーチャー陣営との交渉の結果を報告し終えたので、次の報告を行う。
「それと今夜ライダーと接触しました」
「そちらは当初の予定通り行うのだな?」
「はい、時が過ぎれば危険が増すので、明晩行おうかと」
ライダーと言うより間桐慎二の行動がまず過ぎる。逃げる時の様子からしても懲りた気配は無い。それに私の望みを叶える為にも『間桐』は放置しておけない。最悪、遠坂凛に衛宮士郎と敵対する事になったとしてもだ。
「私からの報告は以上ですが、マスターからは何かございますか?」
「いや、私からは特別何かは無い」
報告が終わり静寂が訪れる。その静かな間は私の心の罪悪感を刺激した。言う必要はなかったかもしれない言葉。言った所で現状が変わる訳でもないのに言ってしまった。
「私の都合で巻き込んでしまったマスターの生活は可能な限り守ります。ですので、マスターは普段通りの生活を続けて下さい」
私に好都合なマスターの当てがなかったから巻き込んでしまったマスターの為に、私が出来る事は出来得る限り変わらぬようにマスターの日常を守る事だけ。勝手な自己満足の自己弁護だったのだけど、意外にもマスターから色好い言葉が返ってきた。
「それは助かる」
「助かる、ですか?」
「うむ。今進路の相談を何人かの生徒から受けていてな。それを早めに解決させておきたい」
自分の身命の問題よりも生徒の進路の心配をする事に普通ならば驚くのでしょう。けれど葛木宗一郎と言う人は殺人鬼の成れの果て、抜け殻だと知っている私は驚かなかった。彼は自らの命に然したる価値を見出していない。そんなマスターの在り方に寂しさを覚える。
根底にある理由に目を瞑り、誰よりも誠実なマスターへ精一杯の笑顔を向ける。
「そうですね。マスターは変わらず教師として過ごしてください。生徒を導き守る教師として」
もしも私が討たれたとしても、せめてマスターだけは変わらぬ日常を送れるように祈りを篭めて。