鬼神の如き相貌のアーチャーが漆黒の刃を振り下ろす。
地に伏す私には避ける事も防ぐ事もできず、断罪の刃を受け入れるしかなかったが――――銀の光がそれを止める。
「やらせんっ!」
月光を反射し煌く日本刀が、黒い刃を受け止めていた。
「退けっ! アサシン!」
「ふっ、敵に退けと言われて退く筈がなかろう。どうしてもキャスターに止めを刺したければ、私を倒してからにするのだな!」
いつもと違い苛立ちが篭ったアサシンの声が、どこか遠くに聞こえた。そんな自分の状況をまずいと感じる。
私を庇うアサシンと殺そうと迫るアーチャーの切り合う姿が徐々にぼやけ、甲高い刃と刃がぶつかる音も段々と小さくなっていく。気づけば苦しかった呼吸の苦しさが息を潜め、失った左腕の苦痛も感じなくなった。
何とかしなければと思い、具体策を考えようとしても考えが纏まらない。そもそも考えようにも『自分が何を考えなくてはいけないか』が分からない。
『何か』に抗おうと言う気持ちを抱えたまま、眠気に似た感覚に誘われ、私の意識は静かに闇に沈んで行った――――
――――コルキスの王女として生まれ、コルキスで育った私。
不安定だった私の精神を支え助けてくれる女神。コルキスの王として立派に国を治めていた父。人間に恋した、海神の娘である母。私を優しく守ってくれた庇護者達。
王女としての所作に対して厳しくも心根は優しい姉。楽しそうに私の後を付いてきた無邪気な弟。王の子という立場を共にしていた大事な兄弟達。
父王が治めるコルキスの人達は、明るく活気に満ちた生活をしていた。私がたまに町に出ると笑顔を向けてくれる人達ばかりだった。
温かで大切なものが溢れていた場所。
どのような怪物も打倒する英雄達と共するよりも安心できた故郷。
私は戦いなんて望んでいない。
名誉も栄光も求めていない。
ただ、帰りたいと思った。
旅立ってから、ついに帰る事のできなかった、あの場所へ――――
――――キャス――――キャスター。
遠くから声が聞こえる。少し焦った女性の声。
あぁ、また私が何かうっかり失敗して、女神ヘカテーを慌てさせてしまったのだろうか。きっと目覚めたら目の前に虚像の姿で立って怒ってるに違いない。諦めたようなため息をつきながら。
仕方なく意図的に意識を浮上させ、ゆっくり目を開ける。すると目の前に眼帯をした女性の顔があり、ぎょっとしてしまう。
「目覚めましたか。……キャスター?」
「え? あ、私は……」
予想していた女神ヘカテーではなく、別の女性が居た事で戸惑っていたが、眼帯の女性も同じ様に驚き戸惑いを見せていた。お互いに困った感じで見合っていると、楽しそうな男性の声が割って入る。
「寝ぼけた無垢なお主を堪能したい所だが、生憎とあちらがそれを許してくれそうになくてな。甚だ残念ではあるが、すぐに仮面を付け直すが良い」
横になっていた体を起こし声の方向を向いて男性を見た。着物を着て刀を抜いている男性の後ろ姿を見て頭の中の霧が晴れ、自分が何者で何をしていたかを思い出した。
同時に驚愕する。あのアサシンの傷ついた姿を見て。
「……状況は?」
「左腕と首は処置をしました。ですが、応急処置程度ですので」
眼帯の女性、ライダーに手を引かれ起き上がりながら自分の状況を確認する。
声が出なかった喉が治り、切り飛ばされた左腕も繋がっている。しかし外見上は完治したように見えても、体内の魔力の流れに乱れを感じた。いつも通りの魔術の行使すら不安を覚え、とても無理が利きそうにはなかった。
立ち上がった私は階下を睨んだままのアサシンを見た。致命傷は見当たらないが、歌舞いた派手な着物は所々切り裂かれている。おそらくライダーが私を治療する間、セイバーとアーチャーを押さえてくれたのだろう。ただ戦うだけならセイバー達を同時に相手にしてもあぁはなるまい。私のもとへ行かさないように無理をしたのでしょうね。
よく見ればライダーも無傷ではなく、脚に傷を負っている。機動力が売りの彼女が、長所を失うような無茶をしてまで守ってくれた事に申し訳ない気持ちと感謝の念が湧いてくる。
軽く周辺を見渡すと、倒されていた場所と違う事に気づく。私が倒れていたのは中段辺りだったはずだが、今私達3人が居るのは山門のすぐ傍の石段の頂点だった。
いつの間にか結界も消え、空の上には月が浮かんでいた。
月明かりを背にアサシンの横に並び、同じ様に階下に眼を向ける。私が倒れ伏した中段辺りに、敵意が伴った圧力を感じさせるセイバー達が立っていた。
気を失う前と変わらず敵意を向けてくるセイバー達。だが彼等も無傷と言うわけではなかった。
セイバーは左瞼を縦に斬られていたし、アーチャーは私の魔術の直撃で上半身傷だらけだ。ついでに二人とも共通で、首筋に何個かの斬り傷があった。
遠坂凛は、意識はあるようだが衛宮士郎に肩を貸してもらい何とか立っている様子。衛宮士郎も外見上は怪我はないが、体内で無茶な抵抗をした後遺症か苦しそうな表情をしている。
無傷な者は存在せず、どちらの陣営も傷つき疲弊しているが戦意は止まず、場には鋭い緊張感が張り詰めていた。互いに引けず睨み合う時間が過ぎていく。
そんな緊張を孕んだ静寂を、澄んだ声が破る。
「マスター、宝具の使用許可を」
セイバーの声が聞こえた。
不可視の剣を構えたセイバーが、後ろに立つ主の返事を待つ。
衛宮士郎は返事をせずにセイバーを見て、その後に私達に視線を飛ばす。真剣な眼差しではあったが、意外にも彼の視線は敵意溢れるものではなかった。
主の返事を待つ傍ら、セイバーの不可視の剣から徐々に巻いた風が吹き荒ぶ。
「セイバー……」
「シロウ、彼女は難敵です。今回は五分以上に持ち込めましたが、次に持ち越せば更なる苦戦を強いられる筈です」
セイバーは衛宮士郎の言葉を遮り自分の考えを述べる。その間にも発生する風は強くなっていく。
「時が経てば、彼女はより強大な壁となって立ちはだかるでしょう。聖杯を求める敵として」
鞘の代用品である『風王結界』が解け始め、黄金の光が漏れ始めた。
「彼女が疲弊している今、宝具を使い決着をつけるべきです」
セイバーの声には覚悟が篭っていた。ここは引かぬと。マスターの返事がどうであれ宝具を使うつもりだと察するほどに。騎士王として数多の戦場を制した戦士としての直感だろうか。今この場で私を討つべきだと確信しているようだ。
そのマスターと反目しても譲る気のない覚悟に、衛宮士郎は頷き小さく返事をした。彼の答えに少しだけ、ほんの少しだけ心が揺れた。
けれどそれ以上に。
「ふ、ふふふ、あははははは」
セイバーを見て笑いが込み上げてしまう。
今夜の戦いで私は油断などしなかった。セイバーとアーチャーはライダーとアサシンが押さえ、私はマスター二人と軽く手合わせをして終わるつもりだった。
柳洞寺に溜め込んだ魔力のバックアップ、魔力の供給がままならないセイバーの現状やマスター二人の腕前を考えても、勝算は十分すぎた。唯一の不確定要素はアーチャーだったが対策も考えていた。
だと言うのに私は瀕死に陥り、アサシンとライダーも予想以上に疲弊している。情けは掛けていた。セイバーやアーチャーに好感も抱いていた。高校生の二人には先達として教えるような気持ちすらあった。
しかし慢心や油断なんてしていなかった。だって、私は自分が弱い事を知っているのだから。
「ふふふふ、セイバー、貴女はどうしても私を討ちたいのね?」
込み上げる可笑しさを抑え問いかけても返答はなく、代わりに『風王結界』の封印を完全に開放し、黄金の剣が姿を現した。
十分勝算を見込んだ戦いで死にかけた自分に対して笑いが止まらない。そして今の自分が宝具を使用する危険を理解しながらも私を倒そうとするセイバーに。
まるで運命が、メディアという英霊は第五次聖杯戦争の途中で死ぬべきだと言っているようで可笑しくなる。それにセイバーの今ここで私を倒そうとする思いが『どこ』から来ているのかを考えて、狂ってしまいそうなほど可笑しくなる。
「あはははははは、それが運命だというの? 私は望みを叶えられず死するのが正しいと?」
いくら足掻こうと見えざる何かが邪魔をすると言うのか。それが決められた運命なのか世界の力なのかはわからない。けれど私の望みを邪魔するのが何者であったとしても、譲る事なんて出来ない。
もし私が道半ばで死ぬのが正しいとしても、受け入れて膝をついてやる訳にはいかない。
セイバーの切り札『約束された勝利の剣』を回避する事は出来る。山門は破壊されアサシンを見捨てる事にはなるだろうが。例えアサシンを見捨てても、それが最善の一手ではあるだろう。
だけど…………。
「うふふふ、良いでしょう。セイバー、いえ、アルトリア・ペンドラゴン。誉れ高き騎士の王よ。貴女の王としての輝きで、私を試してみなさい」
セイバーの真名を告げるとアーチャーとマスター二人が驚いたが、セイバー自身は微塵の動揺も見せなかった。彼女は真っ直ぐ私を見定めたまま正眼に剣を掲げる。
「よく言った、キャスター。ならば我が宝具の力、受けてみるがいい」
星に鍛えられた神造兵装。それを扱うのは英雄の中の英雄。私の敵としてこれ以上はないくらいの相手。負けるつもりはない。このような所で朽ち果てる我が身なら、所詮そこまで。
理知的とは言い難い決意を固めた私の横にライダーがやって来た。彼女の第一は間桐桜でしょうから、自分は退避する旨を告げに来たのだろう。傍から見ればセイバーの宝具を正面から受けるなど、無駄な行為にしか思えないでしょうから。彼女の力を当てにはしていたが、対等な協力関係なのだから仕方ない。
そう思っていたのだけれど。
「キャスター、何か私が手伝う事はありますか?」
言われた言葉に驚いた。驚いた私に対して、ライダーがどことなく心外だと言う雰囲気を醸し出す。
「恩人を見捨てたとあっては、目覚めたサクラに叱られてしまいます。それに、負けるつもりなどないのでしょう?」
逃げるつもりなど毛頭なく、正面から打ち破るのをさも当然かのように言うライダーの言葉に笑顔が零れてしまう。
「明日も早朝から朝餉の支度があるのだろう? なかなか楽しい一時であったが、そろそろ幕を下ろす時間よな」
刀を納め山門の方へと下がっていくアサシン。セイバーの宝具に対して自身がやるべき事はないと悟ったのだろう。でもそれは諦めではなく、全てを私に任せてくれる信頼を感じる。明日の朝食の事を言ったのは、彼なりの激励なのかもしれない。私を守る為に全力を尽くしてくれたようだし、今度は私が頑張る番かしらね。
思った以上に頼もしく優しい二人に言葉を返す。
「ええ、ライダー、貴女が協力してくれるのなら負けないわ。ふふ、明日の朝食は期待してなさい、アサシン」
階下に立つセイバーを改めて見る。輝く聖剣に比するように彼女自身も目を引く美しさだった。誇り高い理想に身を捧げ、今も尚祖国の為に戦う救世の英雄。彼女を祝福するように、周囲には輝く光球が浮かび上がる。
此方も急いで準備を始める。
私が持つ宝具。因縁の宝物。裏切ってしまった故郷の国宝を、私が宝具として持っているのは皮肉にも感じるが、今は頼ろうと思う。黄金の輝きを放つそれを具現化し、ライダーへ渡した。渡すと何を行うか説明するまでもなくライダーは頷きを返してきた。
それから右手を前に掲げ複雑な陣を敷く。神の御業に等しい行いである魔法、それに近しい魔術を行使する為の陣。幾重にも重なった立体魔法陣を構築していく。
ライダーが自分の喉を切り裂き吹き出た血で、立体魔法陣に重なるように血の魔法陣を作り上げる。
その最中、私達の周辺にも光の玉が浮かび上がった。騎士王の輝き。世界から認められた英雄を祝福しているような神秘的な光景。
「
階下から今まさに聖剣を振り抜かんとするセイバーの声が聞こえる。
ライダーが前に出て魔法陣を起動させ始めた。手に持つ触媒を使い、縁ある対象を具現化する召喚術。私には行使できない魔術。ライダーも自身の血に連なるモノではないので、簡単にはいかないようだ。
ライダーの召喚を後押しする形で魔法陣を組んでいるが、体中が軋み魔力が上手く流れない。不服な運命と敵対する意地で立っていたが、私の限界は予想以上に早かった、
心中に懐かしい人達の顔が浮かぶ。ヘカテー、父、母、姉に弟。走馬灯が見えて私は挫けそうになっていた。手に届かぬ物はあると、生前に知っていたから。また届かないと諦めかけていた。だけど最後にある人の顔が浮かぶ。
「……宗一郎様」
軋む体を鞭打ち、再び全力で魔法陣へと魔力を流す。女神や運命を呪う憎悪や意地ではなくて、別の想いを乗せて。
「――――
「
光に飲み込まれながら確かに見た。竜に乗った神話の女神を。
崩壊した石段の上段からセイバー達を見下ろす。
あちらも無理をしていたのだろう。セイバーは気を失い、衛宮士郎が抱きとめていた。よほど心配なのか、投げ出された形の遠坂凛が不満そうにしているのに衛宮士郎は気づいていない。
私達も余裕がある訳ではなかった。私はもちろん、無理矢理召喚した上に『騎英の手綱』で強制的に竜を従えたライダーも消耗が激しい。
戦闘行為を継続出来そうなのはアサシンとアーチャーだが、共に既に戦意はないようだ。
大量の魔力を失い気を失ったセイバー。衛宮士郎に守られるように抱かれる姿は、ただの少女のようであった。彼女が本当にただの少女として過ごせたらと、つい余計な思いを抱いてしまう。
今夜の戦いが終焉を迎え、柳洞寺の境内に入る前に騎士王のマスターへ声を掛けた。
「衛宮士郎、セイバーへ伝えなさい。貴女は対価を払っていない、と」
言葉だけを残し、すぐに石段を後にした。