敵の正体、トゥアールの過去から色気ゼロのパンチラへと至った話は今後の方針へと繋がる。
「ところで、テイルブレスは総二が付けているものだけなのか?」
「いいえ。あと一つだけあります」
そう言って見せたのは、テイルブレス。総二の付けているものとデザインは同じだが、色が違う。総二のは赤だがこれは青だ。
「ふむ。これを付ければあいつらと戦えるのか?」
ひょいと手を伸ばし、青いブレスをトゥアールから取った鏡也はマジマジとそれを見やる。実際にブレスの効果を目の当たりにしていても、どうにも信じられない。
「――ま、付けてみれば分かるか」
と言って、スポッとブレスを嵌めてしまう。
「ちょっと鏡也、何やってるのよ!?」
「いや、何となく」
愛香がすごい勢いで詰め寄ってくる。もしもの事態を想像してか、顔色が悪い。
「何となくで付けないでよ! 総二だけでもアレなのに、鏡也まで幼女化とかされたら誰がツッコミ入れればいいのよ!?」
「俺はツッコミ要員か。だが、あいつらと戦えるなら、子供化も女化も覚悟の上だ。幸い、先達がいるからな」
「鏡也……!」
幼馴染の温かい言葉に総二は涙を禁じ得なかった。戦う決意をしたとはいえ、幼女化にはやはり抵抗がある。
自分一人ではキツイかもしれないが、その苦しみを分かち合える誰かがいるなら、それはきっと――
「あ。鏡也さんには使えませんよ、それ」
「うん、知ってた」
「お前俺の涙を返せよぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
あっさりブレスを外してトゥアールに返す幼馴染に、総二はあらん限りの声で叫んでいた。
「いや。これが総二のと同じなら、ツインテール属性がないと使えないんだろ? もし俺に使えるなら、最初の時点で俺にも渡している筈だからな。まぁ、それでも万が一にとは思ったんだが、こうもあっさり取れるとな……いや、実に残念だ」
両手を上げて大仰に頭を振る鏡也。もしも憎しみで人を殺せるなら、きっと鏡也はその犠牲になっただろう。それ程までに『上げて落とす』を現した展開であった。
「総二様。実は既に適格者は判明しているんです」
「そうなのか?」
「ええ。ですが、その人物は実に暴力的で粗雑で乱暴で、人を人とも思わない、悪魔将軍も裸足で逃げ出す悪の権化。そんな存在にブレスを渡したら、よしんば使えてたとしても、アルティメギル以上の脅威が生まれるだけです」
「テイルギアを使えるほどのツインテール愛があるのに、悪党だなんて……寂しいな」
トゥアールの言葉に、総二は哀しみに瞳を揺らした。ツインテールに人生を掛ける程の総二だからこそ、その心の痛みは深いのだろう。
「………」
鏡也は何故か、トゥアールのいう人物が凄く、とてもまるで今まさにこの部屋にいるかのような気がした。
総二並にツインテールヘの強い想いを抱いているなど、そうはいないだろう。だからこそ分かった。彼女以外に該当者はいないと。
(今までで随分と物理的ダメージ喰らってるものなぁ、彼女)
言わぬが花。藪を突かねば蛇も出ないと、鏡也は心の奥底にそれを潜めることにした。
「ところで、トゥアールはこれからどうするんだ?」
もう一人の適格者はひとまず置いておくとして、総二はトゥアールに尋ねた。
異世界から一人でやって来た彼女には当然、この世界で身を寄せられる場所はない。何処かに拠点を設けているならまだしも、こうして総二の家に来ている時点で、そういった場所の確保は成されていないだろうと想像がついた。
「その件なのですが……総二様。宜しければこの家の地下に基地を作らせて頂けませんか? 敵は巨大な組織です。サポート面をしっかりと充実させるためにも是非!」
異世界の自称日本人は、いきなりすごい爆弾をぶん投げてきた。
「えぇ!? それは……どうなんだ?」
総二はどう答えたらいいのかと、助けを求める様に鏡也を見た。だが、下手な答えを言える筈もない。
「まずは未春おばさんに聞くしか無いんじゃないか? 家主の許可無く出来んだろう、そういうのは?」
「そもそも、違法建築じゃないのよ」
「大丈夫です。私の科学力なら一晩あれば作れちゃいますから。それに耐久性、耐震性、対暴力性もバッチリ備えた、バリバリピカピカな秘密基地を拵えますからご安心を!!」
「何で対暴力性が必要なのよ?」
「え、言わないと分からないんですか愛香さん?」
「言わなくて良いわ。体に直接聞くから」
ゴキゴキと指を鳴らして殺る気を見せる愛香に、トゥアールはここは負けじと胸を張る。
「愛香さん。先程から言いたい放題やりたい放題好き放題やってくれちゃってますが、これ以上邪魔をするなら私だって容赦しませんよ!」
「へぇ。で、どうするの?」
「火力こそパワー。ハンドメイドの銃火器の用意ぐらい容易なんですからね!」
「いいよ。その方が気兼ねなくヤレるから」
「………」
トゥアールが初めて、その表情を凍りつかせた。まさか世の中に銃火器を持つという相手に本気で戦えるからウェルカムなどと言う奴がいるなど、思いもしなかったのだろう。
「もしかして……あれですか? あなたもどこか別の世界から来た、戦闘民族の血筋とかですか?」
「純粋生粋の日本人よ!」
「落ち着け愛香。愛香が日本人かサイ◯人かは別として、母さんにどう説明したらいいか……」
総二は何か良い言い訳はないかと頭を捻った。愛香が「あたしは日本人だ! 悟◯でもベ◯ータでもないわぁ!!」とか叫んでいるが、それより今はトゥアールの事だ。
総二の母、未春は末期の中二病だ。こんなことを知られたらきっとノリノリで悪ノリするに決まっている。
「なぁ、トゥアールはなにか良いアイデア無いか? できればテイルギアとかアルティメギルとか無しで」
「お任せ下さい!
「威張って言うことか分からないけど、頼もしいな」
「いいのか? 絶対に後悔するぞ?」
鏡也がまるで予言のように言葉を残し、立ち上がる。それにちょっと気を取られるが、すぐにトゥアールに視線を戻した。
「そうですねぇ。私は外国からやって来た、総二様の同級生で――」
「そうか。留学生ならホームステイで――」
「見知らぬ土地で不安な私を総二様が騙して攫って監禁したって設定にしましょう。これなら地下に穴を掘っても辻褄が合いますよ!」
「一緒に俺の墓穴を掘ってることに気付いてくれよぉおおおおおお!!」
もうダメだ。総二が膝から崩れ落ちた。横から見るとorzだ。
「おぉ。本当に見えるんだな。凄いな、アスキーアートというやつは」
「お前も何確認してるんだよ!? 鏡也も何とか考えてくれよ!!」
「いや。考えるだけ無駄だから」
「え……?」
つい。と、鏡也はドアノブに手を伸ばす。そして一気にドアを開け放つと、そこには今まさにドアに手を伸ばしていた未春の姿があった。
「か、母さん!? 一体何時から!?」
「気配がしたのはトゥアールが『そわそわ。』言ってた時からだな」
「最初からじゃないか!!」
つまり、全部あれやこれや丸々聞かれていたということだ。説明の手間は省けるが、同時に最悪の事態に転がってゴールまでしてしまったのだ。
未春は意味ありげに微笑むと、そっとドアを閉じた。
「――話は聞かせてもらったわ!!」
「「何事もなかったかのようにやり通すつもり――っ!?」」
ババーン! と、ドアを開け放ちドヤ顔の未春が入ってきた。総二と愛香のツッコミも見事に受け流し、息子の部屋に足を踏み入れる。流石に現役中二病は伊達ではない。
「まさかニュースで流れてたマクシーム宙果の事件を解決したのが、変身した総ちゃんだったなんてねぇ。――とうとう、この日が来てしまったのね」
そう言って、まるで遠くを見るかのような目でポツリと零す。
「母さん……もしかして、俺がテイルギアに選ばれて戦う日が来るって、分かってたのか!?」
そんなバカなと思いながらも、総二は聞かずにはいられなかった。鏡也と愛香も驚いた表情を見せている。
もしかしたら、未春もまたトゥアールと同じように――
「ううん。そんな訳ないじゃない」
「じゃあ思わせぶりなこと言うなよ! びっくりしたじゃないか!! ていうか、実は何も分かってないよね!?」
なんてことはなく、ただの中二台詞を言いたいだけだったようだ。
「え? 属性力っていう人の思考から生まれる精神エネルギーを狙って精神生命体エレメリアンの組織アルティメギルが異世界からやって来てトゥアールちゃんはそれを止めるためにツインテール属性を使った武装テイルギアを総ちゃんに渡してそれを使って総ちゃんはオムツ幼女ヒロインテイルレッドに変身してリザドギルディっていう怪物をやっつけたんでしょ?」
「全部聞いてちゃんと理解してるよこの人!! それとお願いだからオムツ幼女だけはマジで止めてくれ!!」
中二病の恐ろしさを心の底から理解して、総二は悟った。もう、色々終わったと。
「夢、だったのよ」
唐突に語り始める未春。嫌な予感がビンビンする。既にSAN値が尽きかけている総二は神に願った。これ以上、心の平穏を壊さないでと。
「お母さん、中二病をこじらせて大人になっちゃってたでしょ? 世界を守る変身ヒロインとかに憧れてて、異世界からの落し物を探しに来たフェレットとか本気で探しているのよ、今も」
「止めろよ! それで時々町中うろついてたのか!?」
「でも、其の想いの殆どはへその緒を通して総ちゃんに託したの。受け継いでくれてて嬉しいわ」
「生まれる前の息子に何してんだよ!?」
神は言った。『ごめん。その願いは叶えられないや』と。
「そして亡くなったあの人も――末期の中二病だったわ」
「止めて! これ以上聞いたら絶対に俺は後悔するから!!」
だが、そんな叫びは届くはずもなく。
「私達は運命の導きで出会い、そして思うさま中二心をぶつけ合った! それがいつしか恋心に変わり――結ばれたの。でも、私は『敵対組織の少年と惹かれ合い、恋に落ちる』シチュエーションが理想で、あの人はヒーローに憧れ、自分がヒーローになった時の設定や、パワーアップのスタイルまで考えるような人だったから、何度も反発しあって、何度も別れそうになったの」
「何なのその理不尽な別離の危機は!? まだ、いきなり相席して幼女に変身する腕輪を無理やり付けてくる異世界人の方が常識的なんだけど!?」
「総二様。流石にそれはヒドイです」
「いよいよ、私達の関係もこれまで……その時だったわ。私のお腹に総ちゃんが宿っているって分かったのは」
「妄想ぶつけ合って、喧嘩別れしかけて、挙句にデキ婚って何!? 思春期の息子にトラウマを植え付けたいのか!?」
これには愛香と鏡也もドン引きである。というか、他所様のお家事情を赤裸々に語られても困る。
「子は鎹とはよく言ったもの。それからは夫婦仲睦まじく、すごく幸せだったわ」
ウフフと微笑む未春に、総二は引きつった笑いしか返せなかった。今、頭に鎹を撃ち込まれたような痛みが走っていた。
「総ちゃん。どうして長男なのに総”二”と付けられたか分かる?」
「それは……まさか、俺には生まれてくる筈だった兄や姉が……!?」
「ううん。中二の頃が楽しかったっていう、夫婦の思い出からよ。本当は『
「……本当に、何でそれを墓場まで持ってってくれなかったんだよ。今すぐ仏間に走って仏壇返しぶちかましたい気分になっちゃったじゃないか……!」
総二はもう、立ち直れない程に打ちのめされてしまった。それこそ、本題はまだだということさえ、忘れてしまうほどに。
「あの、すみません」
その声に我に返った総二が顔を上げた。悶死しそうな恥ずかしい過去を記憶の底にぶん投げて、本題を言わねばならないと気付いた。
ちなみに、愛香と鏡也は本棚から単行本を取って読んでいた。
「トゥアールちゃん、よね。話は聞かせてもらったわ。この家の地下に秘密基地を作りたい……大いに結構よ! どんどんやっちゃって!!」
「ありがとうございます、お母様! ついでに私もここに住まわせて欲しいのですが? あと、今から『困ったわね。予備の布団がないのよ。そうだ、総二のベッドで一緒に寝てくれる?』と言って下さい」
「トゥアールちゃん……! 気に入ったわ! 総二の部屋を含めて、ここを自分の家と思って頂戴! でも困ったわね。予備の布団がないのよ。そうだ、総二のベッドで一緒に寝てくれる?」
「はい! 主に総二様の部屋を中心にそうさせていただきます、お母様!!」
「その代わり、いつか総ちゃんを男にしてあげてね?」
「そんなお義母様! いつかなどと言わず今夜……いいえ、今からだって!」
「――ちょっと待ったぁ!」
ここまで漫画を読みふけっていた――もとい、沈黙を守っていた愛香が単行本を床に叩きつけて熱り立った。
「未春おばさん、ちょっとこっちに! あと、さり気なく”義”を付けるな!!」
「何故分かったんですか!?」
まさかの指摘を喰らい、トゥアールは目を見開いた。そして愛香は未春の腕を掴んで廊下へと出て行った。
「……さて、俺はそろそろ帰るか」
もう日が沈みきり、真っ暗だ。鏡也は時間も遅いし、今日はもう帰ろうかと立ち上がろうとする。が、その手をガッシリと押さえるものがあった。
「……なんだ、総二?」
「お願いだ、帰らないでくれ! 俺を一人にしないでくれ!!」
「いや待て、その発言はおかしい! 色々要らん誤解を招くからな!?」
涙目ですがってくる総二を振り払えず、結局また腰を下ろす鏡也だった。
その時、廊下の声が聞こえてきた。
「あんな女を同居させたら、総二の貞操がピンチですよ!?」
「願ったり叶ったりよ。一人息子が立派になる……それも異世界から来た美少女が筆下ろしだなんて、夢みたいじゃない。それに、押し倒されても私は痛くも痒くもないし」
「それでも親ですか!?」
「おい、お前の童貞がストップ安だぞ?」
「俺は何も聞いてない俺は何も見ていない……」
目を閉じ耳を塞いで、総二は心の平穏を保とうとしていた。
「親よ? 親が息子に彼女が出来て欲しいって思うのは普通でしょ?」
「スタートが既にゴール抜いてるのが問題だと言ってるんです!!」
「私だってもうちょっと『幼馴染の付かず離れずな三角関係』を見ていたかったけど」
「……三角関係?」
本気で意味が分からないと、首を傾げる愛香。未春ははぁ。と溜息を吐いた。
「まぁ、いいわ。とにかく私はね……トゥアールちゃんのあの目が気に入ったの」
「目、ですか?」
「えぇ。童貞喰いたくてムラムラしている節操無しな女の目よ!」
「もうちょっとオブラートに包んだ言葉にする気はないんですか!? 仮にも来客ですよ!?」
「違うわ。トゥアールちゃんはもう、うちの家族なのよ!」
「お義母様!」
バーン! と、トゥアールが廊下に飛び出してくる。その瞳は涙に揺れ、未春をまっすぐに映している。
「トゥアールちゃん……!」
「お義母様……!」
ヒシ。と抱き合う二人。前後左右の台詞がなければ感動的なワンシーンだ。
「嬉しいですそこまで言ってただけるなんて……! ですが、一つだけ訂正させて下さい」
「何かしら?」
「私は節操無しではありません。総二様の童貞喰いたくてムラムラしている只の
「8割以上肯定してるじゃないの!? むしろそこを否定しなさいよ!!」
「なるほど。それはごめんなさいね?」
本当に、台詞さえなければ感動的な(以下略)。
だが、ここに待ったをかける者が現れた。ドアをバシーンと開き、仁王立ちするその影は何者か。
「その話、異議あり!」
「あら、鏡也君。どうしたの? もしかして、あなたも総ちゃんの童貞を――」
「そら恐ろしいことを言わないで下さい。俺が言いたいのは愛香のことです」
「鏡也……!」
頼もしい援軍の登場に、愛香の瞳が感動に揺れる。この異常極まりない現状をきっと打破してくれる。そんな期待の眼差しに、鏡也は「任せておけ」とばかりに頷いた。
「未春おばさん。あなたは愛香の事を分かっちゃいない」
「あら、そうなの?」
「愛香は一見すると『お隣さんで付かず離れずな距離感で甘酸っぱい幼馴染』に見えます。ですが――!」
ガシッと愛香の肩を押さえ、そして前に。
「コイツは毎夜毎晩、ありとあらゆるシチュエーションで総二と一緒に童貞&処女喪失する妄想をして抱き枕相手に自己鍛錬を欠かさない程のムッツリスケベなんです! 異世界から来たぽっと出の痴女など比べ物になりません!!」
「お前は何を言っとるんじゃぁああああああああああああああああああ!!」
「
耳まで真っ赤になった愛香の蹴り足が、竜巻とともに鏡也を吹き飛ばした。その余波で総二の部屋が豪いことになった。当然、総二もそれに巻き込まれて目を回したのだった。
◇ ◇ ◇
リビングに置かれた大型テレビには、マクシーム宙果の事件の報道が映しだされていた。
それを見る女性は、赤いフレームの眼鏡を外し、不安を閉じ込めるかのように両手で口元を覆い隠す。
テレビでは助けられた少女のインタビューが流れていた。その少女が言う剣を持った男子高校生がどうしても、我が子にしか思えなかったのだ。
「鏡也……無事よね?」
◇ ◇ ◇
「あー。ひどい目に遭った」
明らかに自業自得であるが、鏡也は色んな意味で痛む身体を抑えながら、家路を急いでいた。
結局、総二の家の地下に早速基地を作ると、トゥアールは未春と共に行ってしまい、愛香もまた隣にある自分の家に帰った。時間も遅いので自然解散といった感じで、今日という日は締めくくられた。
総二の家から鏡也の家まで、歩いて約20分程の距離がある。鏡也は途中の自販機で買った炭酸を飲みながら、テクテクと歩く。
「異世界からの侵略者……か。これからどうなるのやら」
また今日のように、ツインテールを狙って怪物が現れるのだろうか? そしてまた、総二は変身して戦うのだろうか? その時、自分はどうするのか?
浮かんでは消える答えの出ない問題に、鏡也は深く溜め息を吐いた。
「問題といえば……さて、これをどうするか」
鏡也は自分の姿を改めて見た。ネクタイ、シャツ、制服に至るまでボロボロだ。とてもではないが、明日には着ていけない。
これなら、慧理那に制服の手配だけでも頼んでおけばよかったと、今更ながらに後悔した。
やがて、道の向こうに見えてくる大きな家。閑静な住宅地に建つ、豪邸とは言えないが、間違いなく富裕層が住むような作りの立派な一軒家。
表札には『MIKAGAMI』と書かれてある。
「さて、覚悟を決めて……行くか」
外門をくぐり、玄関前へ。これから来るであろう事態にしっかりと気を持つよう心掛け――いざ、ドアを開けた。
「――ただいま」
彼方から、ドドド……。という地響きが聞こえる。やはり来たかと、鏡也はしっかりと足に力を入れた。
「お帰りなさい! 鏡也ぁあああああああああああああああああああああ!!」
廊下を突っ走ってくる一人の女性。軽いウェーブの掛かった長い髪を揺らしながら、走る勢いそのままに、鏡也に向かってダイブを敢行してくる。
「おぐ――!?」
どすぅ! という鈍い衝撃が、鳩尾に走った。
「おかえりなさい鏡也! 大丈夫!? 怪我はない!? あぁ!制服がボロボロ! 眼鏡もしてないじゃない!! 壊れちゃったの!?」
「ちょ、落ち着いて……母さん!」
鏡也は涙目で見上げてくる母――
まるでちょろちょろとまとわり付いてくる小型犬のような母に、やはりこうなったかと、鏡也は苦笑するしかなかった。
「怪我はないよ。でも、制服が……それに眼鏡も」
「それなら大丈夫!!」
と言って、天音はドタタタタ……と走り去り、そしてすぐに戻ってきた。
その後ろにはキャスター付きのハンガーラック。その手にはキャリーケースが握らている。
「制服の替えなら20着あるし、ネクタイもシャツも靴もパンツも、いつ何があってもいいように、ダースで揃えてあるわ。眼鏡だってほら! うちの新作から好きなの選んで!!」
「い、いつの間に……というか、いつ何があると仮定したら、こんなに制服を用意するのさ!?」
「でも、実際にあったでしょう?」
「いや、それはまぁ……」
事実として制服の予備はありがたいが、だからといって、息子がそういう事態に巻き込まれる前提の用意というのは想定するものなのだろうか。
「さぁ、取り敢えずはお風呂に入っちゃいなさい。ご飯もその間に用意するから」
「……はい」
疑問は尽きないが、今は捨て置くことにする。考えるにしても、今日は疲れ過ぎていた。
風呂にゆっくりと浸かり、身体を休めたいという欲求が身体の中で大きくなっていく。
「総二の奴……大丈夫かなぁ」
帰り際まで引き留めようとした幼馴染の姿に色々と心配を抱くが、すぐにそれを止めた。
どうせトゥアールが何かすれば、愛香がラグタイム無しで自動召喚されて迎撃されるのが目に見えているからだ。
今は目の前のことだ。
「そうだ鏡也。今日はお母さんと一緒に寝ましょう? お父さん、仕事で今夜は帰って来れないって言ってたし、お母さん一人寝は寂しいのよ~」
「耐えて一人で寝なさい! 何時になったら子離れするの!?」
「あーん! 鏡也が冷たいー! 香住ちゃーん、聞いてー! 鏡也が~!!」
「有藤さんの仕事を邪魔しないであげて下さい! ――まったくもう」
バタバタとお手伝いさんの所に走って行く母の背に、鏡也は深いため息を吐くしか出来なかった。
結局、ゴネる母に押し切られ、母子で寝ることになったのは余談である。
鏡也はマザコンじゃないです。天音が甘々なだけです。