みなさまは新年、どのように過ごされましたでしょうか?
私はちょっと、戦車道を嗜んできましたw
今年度も、拙作をどうぞよろしくお願いします。
ダークグラスパー来訪から二日ほど経ったある日。
いつもの様に鏡也は学校前のランニングで、すっかりコースに入った観束家前を通りかかっていた。
大体、観束家の毎朝は必ず大騒ぎを起こしている。時刻は5時を少し回ったところだ。早く起き過ぎてしまったとはいえ、流石にこの時間は――
「ずおりゃ―――――!」
「……元気だな」
朝の喧騒を粉々に粉砕する、観束家二階から響く愛香の声と破壊音。恒例行事化したご近所迷惑は何故、毎度毎度隣の実家からではなく、総二の部屋からするのか。
「離して下さい愛香さん! 総二様の部屋から他の女の匂いがするんです! こんなことをしている場合じゃありません!」
「他の女なら目の前でプンプンさせとるのがいるわ! 何なのよその格好は!? 紐ばっかで所々透けてる悪趣味で下品な下着は!」
「殿方の部屋にだってドレスコードがあるんです! 就寝中の殿方のベッドというパーティ会場に向かうには脱がしやすいアダルティなランジェリーというのが全世界共通の相場なんですよ! そんなの付ける機会もない愛香さんには分からないことでしょうけど!」
「そんな異次元コードを、そーじにまで使おうとするんじゃないわよ!!」
「相変わらず、賑やかだな」
壁を登って屋根に上がるのも手慣れたもので、ガラス窓の向こうでは室内をゴロゴロと転がる愛香とトゥアールの姿があった。その光景に、何でも吸い込むピンク色の悪魔がボールになって転がるゲームを思い出す。
「ククク。良いんですか、このまま暴れ続ければ下着が外れてポロリしてしまいますよ? それこそ、こちらの思う壺!」
「そっちこそ、何であんたを沈めるのに一撃以上必要だと思うの?」
愛香はトゥアールから離れ、構えを取った。体を落とし、拳を腰に添えるように。一撃必殺の拳を繰り出すつもりだ。
「やはり離れましたね! これでも喰らいなさい!!」
トゥアールが胸の谷間から小さなスプレー缶を取り出す。それを間髪入れずに噴出させた。
「催涙スプレー? 甘いわよ!」
顔に飛んできたそれを、両腕を交差させてブロックする愛香。が、それは催涙スプレーではなかった腕に触れたそれは粘性で、空気に触れた途端、その体積を噴霧式の断熱材のように膨らませた。
「な、何よこれ?」
両拳をまるで猫型ロボットの手のようにされ、愛香が驚きの声を上げる。その隙にトゥアールが両足にもそれを噴霧させた。
「これがアンチアイカシステム3号、アイカカタメールです! これでもうパンチもキックも使えない。愛香さんに勝ち目はありません!」
ドヤ顔で勝利宣言するトゥアール。確かに普通ならそうなのだろう。だが、トゥアールは未だに津辺愛香という野生動物の生態を理解していなかった。
「だったらこうよ!」
両足を器用に使って跳躍すると、そのまま正面からトゥアールに抱きついた。両手足を背中に回し―――。
「ホネ―――――ッ!?」
サバ折りの要領で一気に締め上げた。朝の爽やかな空気に似つかわしくない、骨と悲鳴の二重奏が響き渡る。
「なんという屈辱! 愛香さんに抱き締められる苦痛と肉体の苦痛のコンボとは!!」
「抱きし……!?」
スルッと、愛香の手足が緩んだ。そのままそっと離れる。
「……めてなんてないわよ」
「何で顔赤らめてるんですか!? 止めて下さいよ こっちまで照れるじゃないですか!!」
互いに顔を赤らめ合う二人。もう、続きをする状況ではなかった。
「妙なテンションで暴れてて、ふと素に戻ると、恥ずかしくなるよな、やっぱり」
「は――っ! あれ、鏡也?」
「ん。おはよう総二。……なんでトゥアルフォン持ってるんだ?」
「あ、しまった! ごめん”慧理那”、騒がしくて!」
「……慧理那?」
トゥアルフォンの向こうに総二が投げかけたのは、意外な名前だった。
「姉さんからか?」
「ああ、相談があるって――え、ちょっと待って。え、え? いるけど………切れた」
トゥアルフォンをまじまじと見やりながら、総二はしきりに首を傾げる。
「鏡也。慧理那からの相談って……何か心当たりあるか?」
「……いや、特に何も聞いてない。それよりも総二。お前、何時から姉さんを名前で呼ぶようになった?」
「ん? ああ、いま電話している時に、自分だけ”会長”って呼ばれているのが疎外感があるというか……そんなだから、名前で呼んで欲しい、自分もそうするからって」
「ほう」
若干、鏡也の声が低く聞こえた。
「ただ、鏡也がいるのかって言われた途端、観束君に戻ったけど」
「何だそれは?」
「知らないよ。鏡也に心当たりがないなら、俺には尚更分からないし」
こんな朝早くにわざわざ電話する程の相談事。余程急な話なのだろうと想像に難くない。考えてみても、鏡也にもやはり心当たるところはない。
「今日、休み時間にでも聞いてみよう」
「頼むよ――さて。そろそろ、あっちもどうにかしないと」
総二は深い溜め息とともに、背中を向け合ってモジモジし合う愛香とトゥアールを元に戻すべく、ベッドから降りるのだった。
◇ ◇ ◇
一度自宅に戻り、転送レンズで再び観束家にやってきた鏡也。勝手知ったると中に上がれば丁度、リビングに総二が降りてくるところだった。
「おお、丁度いいタイミングだったか」
共だってリビングに入ると、愛香とトゥアールが揃ってソファーに座っていた。
「あら、総ちゃん。鏡也くんも。これ、ニュース見てみて! うわぁ、凄いことになっちゃってるわよ」
まるで一人飯を堪能する個人営業マンのようなことを言いながら、未春はテレビを差した。見てみれば朝のワイドショーのトップニュースのようだ。
『ツインテイルズをハリウッドが映画化』
思わず二度見してしまった。だが、テロップの内容が変わるわけでも現実が変わるわけでもない。そこにはやはり、同じ
未発はついにスクリーンデビューする我が子にはしゃいでいる。実際にデビューする訳ではないのだが。
「ど、どうなってんだよ? キャストとかもう決まってるのか!?」
「真っ先に気にするのがそこか?」
「だって気になるだろ? テイルレッドは見た目小学生だぞ? アクションが出来る小学生なんているのかよ?」
「CGかもしれないぞ?」
「フルCGでもなきゃ、役者だろう?」
「昔、実際の俳優とアニメキャラを絡ませる映画があってだな」
段々と方向性がずれていく二人を修正するかのように、記者会見の中継に画面が切り替わった。
激しいフラッシュが焚かれる。壇上に姿を表したのは何度もアカデミー賞作品に主演しているオスカー女優だ。
一体何故、そんな有名所がという疑問はすぐに解消された。
テロップに『テイルレッド役』と書かれている。
「往年の名女優がツインテールにしてる……」
愛香が何とも言えない表情で、ポツリと愛香が零した。誰も言わないけど、皆気持ちは同じだった。
何故、どうして、このキャスティングをしたのか。そこにどういう意図があるのか。全く制作側の狙いが見えない。
『確かに私はテイルレッドよりも背も高いし年上よ。それを気にする人が多いだろうけど、それをカバーするのが私の仕事よ。カメラを向けられた瞬間から、私はテイルレッドになるのよ』
と、英語の会見を吹き替えされる。だが、何故か件の女優の顔はそんなポジティブな発言をしているとは思えない。
「なんだか苦虫を噛み潰したような表情なんだけど……」
英語の分からない総二がトゥアールに視線を向ける。トゥアールは目も口も横線で引いたみたいになっている。
「なあ、鏡也。これ本当に」
「聞くな。知らない方がいい」
「あ、そうか」
全てを察した総二はそれ以上は聞かなかった。
「そーじ。アンタ、ツインテールを区別しないんじゃなかったの?」
「だって嫌々しているだろ? そんなの見たって、微妙な気持ちにしかならないだろ」
総二は当然とばかりにそう言った。ツインテールマニアにはマニアなりの譲れないラインがあるらしい。
「しかし、殆ど隠し撮りな筈なのに、映画なんて作れるのかな?」
「そうね。でも、発表だけで世界中に発信されるんだもの。それだけ期待が大きいんじゃないかしら?」
「それもそうですが、発表したもの勝ちっていうのもあるんじゃないですか? 注目が高いってことはそれだけ、被る可能性もあるわけだし」
トゥアールの言葉に説得力があった。旬なネタというのは早い者勝ちだ。
「だが、”ツインテイルズ”というからにはもう一人いるんじゃないか?」
その言葉に、まさかの熟女テイルレッドの衝撃から皆の意識が帰ってきた。そう、ツインテイルズは二人いる。――現在は三人だが。
「やっぱり、こっちもキャリア女優さんがやるのかな?」
会見は進み、今度は女優の隣に立つ男性俳優にカメラが向いた。その顔はツインテールマニアの総二ですらよく知る有名ベテランアクション俳優だ。
一体何故、そんな有名所がという疑問はすぐに解消された。
テロップには『テイルブルー役』と、残酷な現実を知らしめた。一瞬テロップのミスを考えたが、やはり現実は変わらない。
「……テイル………ブルーやく…………? え? ………何?」
愛香は余りの現実に呆然としている。そんな愛香を追い打つように、インタビューが流れた。
『監督からのラブコールを受けたけど、僕自身ぜひともやりたいと思っていたんだ。テイルブルーに比べたら筋肉とかモリモリだけど、それ以外は大差ないって思ってるよ』
そう言ってニカッと笑いながら自慢の力こぶを見せる。こちらは翻訳に偽りなく、本当にそう言っていると鏡也も分かった。
それ以外どころか、それ以内を探すほうが困難である。しかも、カツラではなく実際に髪を伸ばしてツインテールにするとコメントしている。短髪角刈りから本気で伸ばすつもりなのだろうか。
プロ根性の本気に敬意と畏怖を覚えていると、衣替えも近い時期にはありえない寒気が総二らを襲った。
「……あの映画、遠くない内にお蔵入りになったって報道されるかも知れないけど、良いわよね?」
雪女も裸足で逃げ出す冷たさを発しながら、愛香が薄ら笑いを浮かべていた。
その先に「世界一有名な山の上のサインが消し飛ばされる未来」を幻視した総二は、その世界線が来ないことを切に祈る。
「良いじゃないですか! スクリーンで暴れるブルーの姿を見て腹が捩れるぐらい笑いましょうよ!」
「公開を待つまでもないわ。今すぐ後悔させてあげるから」
「いぎゃあああああああああ! 人力で腹がよじられるぅううううう!?」
腹を捻り曲げられたトゥアールが、後悔の悲鳴を上げた。
「そう言うな愛香。この俳優さん、本気でテイルブルーのファンだぞ?」
「………そうなの?」
鏡也の言葉に、少しだけ正気に返る愛香。絶望の未来はちょっとだけ遠のいた。
「ああ。
FNとは実名登録型のコミュニティサイトだ。そこで何度もブルーを賞賛するコメントを、件の俳優はしていた。
「う……無碍に出来ない」
トゥアールを無碍に扱った挙句にこの言い草である。もっとも、トゥアールの自業自得である面が果てしないが、
「む――」
唐突に鏡也が眼鏡を光らせた。カバンを取るとそそくさと出ていこうとする。
「どうしたんだよ鏡也?」
「すまないが、嫌な予感がするので俺は先に行く」
そう言って、止める総二を尻目にリビングから出ていこうとする。が、その足が止まった。
「ウフフフフ………何処に行こうというのですか?」
「くっ……死に損ないが!」
下を見れば、トゥアールが押さえるように両腕を足に絡みつかせていた。その顔は嬉々としている。本能的に何かを感じ取ったのだ。
「離せ、ヘタレビッチが! さっさと離れろ!」
「誰がヘタレビッチですか! 私は総二様の童貞を食いたい系痴女です! それと、このまま捕まえておけば面白いことになるって、私のゴーストが囁くんです!」
「
『ええ。私はカエル怪人に襲われた時、ナイトグラスター本人に助けられたの。そんな私が彼の役をやるなんて、きっと運命だったのね。彼のスタイリッシュさをどこまで表現できるか分からないけど、それでも彼を間近で見た経験を活かして、頑張るつもりよ』
テレビではまだ会見が続いていた。そこに映っていたのはブロンドの少女だった。スクリーンで今まで見たことがないので、新人女優なのだろう。問題は彼女の下のテロップだ。
『ナイトグラスター役』。
その瞬間、鏡也の視界が真っ暗になり、トゥアールが潰れたカエルになった。
「何であたしが筋肉モリモリのマッチョ俳優で、あんたが新人女優なのよおおおおおおおおおお!」
「痛てててて! そんなのはハリウッドに聞けぇえええええええ!」
「ちょっと私関係ないじゃないですか! 何で踏みつけられなきゃいけないんですかぁああああああああ!?」
「もののついでよ」
「ついでで踏まないで下さい!?」
「ぐああああああああ! 頭蓋が! 頭蓋がメキメキと立ててはならない音をたててる! 俺のせいじゃないんだから納得しろよぉおおおおおおお!」
「納得出来ないわよぉおおおおおおおおお!!」
女幼馴染が男幼馴染の顔面をアイアンクローで締め上げながら腕一本で体を宙吊りにしつつ、異世界人をゲシゲシと足蹴にする。
「………なんだこれ?」
その光景に総二は一言、そう呟いた。
二つの死体をリビングに残したまま、ワイドショーは次の話題に移る。ちなみにツインテイルズをサポートする科学者役は老年の名俳優で、トゥアールが「何で私がお爺さんなんですか! うら若き乙女がやらずにどうして!?」などと嘆いていたが、頭を踏み抜かれて今はまた死体だ。
『続いては今日のピックアップ。今日はデビュー間もないながらも今年ブレイクの予感! 話題の新人アイドルの登場です!』
次のコーナーは話題の新人を紹介するコーナー。司会の女性アナウンサーに呼ばれ、フレームインしてきたその姿を見て、総二は「おお!」 と、思わず声を上げた。
付けるものが違えば野暮ったいだけの黒縁のアンダールムとフレーム。それを見事に着けこなす、総二の目さえ奪うほどのツインテールは肩を通して胸元に流れてる。
下品にならない程度の露出にフリルを組み合わせた衣装は、正にアイドルそのもの。
『今日のゲストは善沙闇子さんです。お早うございます』
『はい! お早うございます!』
新人らしい元気の良い挨拶を返す、アイドルの少女。総二はウンウンと頷く。
「よく磨きこまれた良いツインテールだ。この子は絶対にブレイクするぞ」
「また、何を訳の分からないことを……」
先程、上っ面だけのツインテールを見ただけに、このツインテールは殊更、総二には染み入るようだ。
『黒いフレームのメガネがチャーミングですね。でも、コンタクトにしたらもっと可愛いんじゃないですか? 私も、コンタクトなんですよ?』
『え、そうなんですか? 死ねばいいのに♪』
女子アナの振りに対して的確なタイミングでの毒舌。その切れ味鋭いやり取りに会場がドッと湧く。
『――それでは歌っていただきましょう。デビュー曲〈眼鏡プラネット〉です!』
軽快なメロディと共に華麗なステップを踏む善沙闇子。キラリと眼鏡を光らせて歌う彼女の姿は、とても新人レベルではない。なびくツインテールは総二すら目を話せない。
その姿をもう一人、食い入るように見ている者がいた。
「―――」
鏡也は善沙闇子の姿に、一度だけ大きく目を見開き、そして鋭く細めた。
◇ ◇ ◇
昼休み。鏡也は中庭で一人パンを齧りながら、トゥアルフォンを操作していた。
「……善沙闇子。デビューわずか数週間で人気急上昇中の新人アイドル。メガネとツインテールを組み合わせた全く新しいアイドルとして、注目を集めている……か」
画面には似たり寄ったりな情報が並ぶ。鏡也は画面を消して嘆息した。
善沙闇子。その姿を見た瞬間、強い違和感が鏡也を襲った。その意味を探る為ぬ善沙闇子の経歴を調べてみたが、やはりどう見てもただの新人アイドルだ。
だが、あれ程の眼鏡を持つ者が早々居るわけもない。
ダークグラスパー。
スポットを浴びる少女の影に、かの姿が見え隠れする。
本当ならば総二達にも話しておきたいところだが、下手に伝えるのも不味い。自分の直感が誤りであった場合、アルティメギルの動きに対して大きく後手に回るからだ。
「危険だが、直接確認するしかないか」
問題はその方法であるが、相手は芸能人。さてどうしたものかと鏡也はパンを口に押し込んだ。
「――何が”しかない”なんですの?」
「うぐっ」
ぬっと顔が鏡也の顔先に突き出され、驚きの余りパンを塊のまま飲み込んでしまう。当然、喉に詰まった。
「ん! んん!? ………っ!!」
「きゃああ! 大丈夫ですか鏡也君!」
見る間に顔が真っ青になっていく鏡也の背中が、ポカポカと叩かれる。救いを求めて伸ばす手に、お茶が渡された。
「んぐ……んぐ………っ――はぁ! ……ゲホッ」
解放された気道から空気が流れ込んでいく。咳き込みながら顔を上げれば、慧理那が申し訳無さそうな表情で立っていた。
「ごめんなさい。そんなに驚くだなんて思わなかったんです」
「いや、大丈夫……それより、どうしたの?」
息を整えながら慧理那に尋ねる。
「いいえ。何やら真剣な面持ちだったので、気になって。何を見ていたんですの?」
「ああ、ちょっとね。……なんだかツインテイルズが映画になるって話を聞いたから」
「それでしたら、今朝のニュースで見ましたわ。本当に凄いですわね」
『何だあの女は! 私のナイトグラスター様が何故こんな小娘なんだ! しかも何だこのメスの顔は!! 抗議だ! 断固認めないぞ私は―――っ!』
『やめて下さいメイド長! テレビが壊れますから―――!』
『メイド長ご乱心! ご乱心―――!!』
「……ただ尊が、ナイトグラスターのキャスティングに随分と憤っておりましたが」
「……そっか」
どんな修羅場だったか、想像に難くないのが恐ろしい。きっと、暴れる怪獣とそれを止めようとする特殊部隊な感じだろう。
「そういえば今朝、総二に電話してたみたいだけど……相談って何?」
これ以上は婚活怪獣の話に触れないよう、早朝の話を尋ねる。途端、慧理那の表情が曇った。
「別に……大した事ではないです」
「なら、あんな早くに電話する必要もないだろう?」
「良いんです。鏡也君には関係ありませんから」
ぷい。と顔を背ける慧理那。こうなると梃子でも動かない。具体的にはおもちゃコーナーに陣取って不動明王と化す幼児の如き堅牢さだ。
これ以上は詮索は無駄だと、鏡也は話題を返る。
「電話といえば今朝、総二に『名前で呼んで欲しい。自分も御束君じゃなくて総二君って呼びたい』とか言ったそうだけど?」
「ふぇ!? な、何でそれを知ってるんですの!?」
「いや、普通に総二から聞いたんだけど………もしかして、気にしてたの?」
「え、いえ……そんな事は」
ない。と言い切れない慧理那は静かに目を逸らした。若干、顔が赤らんでいる。その表情に鏡也はしみじみと呟いた。
「姉さんも色を知る年頃になったか……」
「い、色ってなんですか! 子供扱いしないで下さい!」
「してないって。でも、こうして弟離れしていくんだなと思うと感慨深く思うよ」
「だからどうしてそう、子供扱いなんですか!? 私はお姉ちゃんなんですよ!」
むう、とこれでもかと頬をふくらませる慧理那。身長差もあり、どう見ても年下である。だが、鏡也はそんな慧理那にクスリと笑った。
「よく知ってるよ」
「っ……!? も、もう! 鏡也君!!」
からかわれたと思ったのか、慧理那がポカポカと叩いてくる。両手でそれを受けながら、鏡也はひょいひょいと逃げまわる。それを軽く涙目になりながら追いかける慧理那。その光景は仲睦まじい兄妹のようだった。誤字ではない。
◇ ◇ ◇
三階の渡り廊下を歩く女性。高級そうな着物を着こなし、凛とした雰囲気をまとっている。その後ろには数人のメイドが続いている。
「まったく。どうしてこう碌な相手がいないのかしら?」
女性は沈痛な面持ちで、頭を振った。家庭の事情に頭を悩ませているのだ。
「あら……あれは?」
廊下の窓から中庭が見えた。そこには学園の制服を着た男女が戯れていた。その内の一人が自分の娘であることに気付き、女性は後のメイドに尋ねた。
「あの男子生徒は……誰かしら?」
「あれは……あ、御雅神家のご子息の鏡也さんです。先日もお屋敷に遊びに来られていました」
「まあ。随分と大きくなったので、分からなかったわ。昔は何度も屋敷にしていたというのに……私も、歳を取る筈ですね」
「理事長。そろそろ――」
「ええ。行きましょう」
そう言って、窓から視線を外し――チラリともう一度二人を見やり、陽月学園理事長神堂慧夢は、廊下の向こうへと消えていった。
理事長の口調が凄く難しい。コレジャナイ感にあふれている・・・。