土曜日の朝も早くから、大手ショッピングモール三階にある玩具店前には人が集まっている。その中には鏡也らの姿もあった。
「ふわっ……。よくこんな朝早くから集まるものだなぁ」
「ごめんなさい、鏡也くん。わざわざ付き合ってもらって」
あくびを噛み殺す鏡也に、慧理那は苦笑いを零す。その脇で尊が小さく溜め息を吐く。
「買い物でしたら私達に任せていただければ宜しいのに……」
「そうはまいりません。こういう物は自分で買うからこそ、愛着が湧くのです。今はネットの普及で安易にネット通販が出来ますが、かつてはファ◯コンソフト一本に大行列をなしても尚、求めたといいます。本当に欲するものは自分が苦労してこそ、価値が有るのです」
「まぁ、ドラ◯エⅢ問題は新聞にも載る程でしたが……」
実年齢に疑問を抱かせるような発言があったような気もするが、実年齢に疑問を抱かれない二人はスルーする。
とはいえ、慧理那の心中は察するに余りある。普段は生徒会長として、神堂家跡取りとして、その小さな両肩に背負い込む重荷がどれ程か。そんな彼女がこうして歳相応の表情を見せる姿を見ると、尊はつい強く言い切れないのだった。
「鏡也さん。今日はご足労願って申し訳ありませんでした」
「いいえ、別に大したことじゃ。何事もないなら、それでいい訳ですし」
そう言って笑う鏡也に、尊はまた申し訳ないと謝る。鏡也は自分がどうして呼ばれたか、理解していた。そのことを謝れば『俺は自分の身を守れるし、大丈夫』と返した。
尊の一番の目的は慧理那の護衛だ。同じように狙われ、その上で自分を守れる鏡也を囮とする。慧理那を守る為に、これは最善の選択だと思っている。
それを承知して尚、来てくれた鏡也に対して尊が出来る唯一の事だった。
「……そういえば、先日の小学校の時、何やら持っていましたが……あれは?」
「あ、その事を聞きたかったんです!」
尊が尋ねると、慧理那は大きな瞳をキラキラとさせてきた。その真っ直ぐな眼差しに若干引き気味になりながら、鏡也は答える。
「あれは……あの時、仮面に白衣って言うあからさまに怪しい格好の人がいたの知ってます?」
「――あぁ、そういえば。余りにもあからさまだったから新手の変質者かと思いましたが」
「まぁ、事実変質者ではありますが……そこは実害はまだ出ていないので。あの変質者はただの変質者ではないんです。ああ見えて、ツインテイルズをサポートする天才科学者なんです」
「ほう」
「天才科学者ですか!? テイルブルーに続いて重要なポジションが登場したんですね!」
慧理那の鼻息が荒くなる。特撮マニアな慧理那にとって、ヒーローをバックアップする科学者とは垂涎のポジションなのだろう。
「その人がテイルレッドに頼まれて作ってくれたのが、あのサーベル。アルティロイドぐらいなら倒せる機能があるらしいです」
「……それは、私にも使えるものですか? 頼んで作ってもらえる物ですか?」
尊は少し考え、神妙そうに尋ねる。
「多分、難しいですね。作ること自体は大丈夫でも、それを使えるとなると……。あのサーベルやツインテイルズの装備は使える素養……みたいなのがあって、俺もギリギリで使えるぐらいですから」
「そうですか……」
尊は残念そうに呟いた。
「まだ時間かかりそうですね。ちょっとトイレに行ってきます。すぐ戻りますんで」
「分かりました」
鏡也が列から離れていく。その背中を見送りながら、尊は心中で溜息を吐いていた。
尊が慧理那を強く止められない理由は、もう一つあった。エメレリアンの襲撃がもしかしたら、”彼”との再会があるかもしれないと期待があったからだ。
ナイトグラスター。神堂家をエレメリアンが襲った時、尊達を救い守った白銀の騎士。尊の出会ってきた男性の、誰とも違うミステリアスな存在。
然し、尊の期待とは裏腹に彼は現れなかった。それどころか現場に現れることさえ稀になっていった。
そこにどのような事情があるのか、尊には分からない。だが、彼女の中で縁がやはり無かったのだろうという思いが、確実に大きくなっていくのは分かった。
今までどれだけの男性と縁を持とうもするも、失敗し続けてきた――そんな今までと同じに。
慧理那の周囲に注意を払いつつ、視線を動かす。チャラそうな格好の大学生らしき集団。スーツ姿の根暗そうな社会人。玩具をせがむ子供まで。異性という点で男性はあふれている。
尊にとって、結婚とは戦争だ。それも世界大戦級の。かかっているのは自分の人生だけではないのだ。
そんな人生のハルマゲドンを進む尊ではあったが、それは飽くまでも自身の職務の次だ。
『メイド長! お嬢様をすぐに安全な所へ!』
耳に付けたトランシーバーに飛び込むノイズ。周囲を警戒している護衛メイドのものだ。一瞬で身辺警護のプロフェッショナルの顔になった尊が慧理那の腕を掴んだ。
「お嬢様!」
「尊!?」
すぐさまこの場を離れようと駆け出す。慧理那もその意味を理解し足を動かした。後頭部に深い深い未練を残しながら。
エスカレーターホールに差し掛かる。尊の視線が鋭く飛ぶ。階段か、エスカレーターか。どちらを使うかの迷いはない。
「お嬢様、失礼します! 舌を噛まないように!!」
言うが早いか、尊は慧理那を抱き上げ、階段に走った。小柄とはいえ人一人を抱えて跳躍する。階段をすっ飛ばし、踊り場を切り返す。都合四度、繰り返して一階へと辿り着く。
そのまま出口に向かってその健脚をフルに発揮させる。外に出て、急ぎ車のある場所へ行こうとする――が。
「「モケモケー!!」」
そのいく手を遮る黒い群れ。そしてその中心を割って現れるカニ怪人。
「エメレリアン……くそ、間に合わなかったか!」
「ほう。その幼女、素晴らしい属性力を持っているな。これはさぞ、アレのポテンシャルも素晴らしいだろうなぁ!」
「あれだと……?」
やはり慧理那が狙いかと、尊が歯ぎしりする。だが、その危険に対する最も有効な手段――ツインテールを辞める事はどうしても使えない。
「我が名はクラブギルディ。ツインテールと共にある麗しき属性、
「ネープ……うなじ?」
「どうしてこう……貴様らは俗な事ばかり口にするのだ!!」
「ふん――アルティロイド! その幼女を捕らえよ!!」
「お嬢様、お下がりを! はぁああっ!」
慧理那を庇うように下ろし、尊は迫り来るアルティロイドにその磨き上げられた技を振るう。
「ほう。なかなかやるな。それに妙齢ながらツインテールを嗜むか」
「誰が妙齢だ! それに、この髪型を貴様らのような化け物に品定めされてたまるか!」
並み居るアルティロイドをなぎ倒し、尊が吼える。
「メイド長!」
「お嬢様をこの場から逃がせ! ここは私が引き受ける!」
ツインテールを揺らしながら駆けつけた他のメイドに慧理那を預け、尊が走る。
「お嬢様を狙う不埒者共! ツインテイルズを待つまでもない。この手で葬ってくれる!!」
「クックックッ、面白い」
尊が繰り出す鋭い蹴り。常人ならば悶絶必死な見事な一撃だ。更にしなやかな足が翻って蹴り足が舞う。だが、しかし、クラブギルディは微動だにしない。
「くっ……! 何だこの硬さは……!?」
甲殻類の見た目ならばと、柔らかいであろう部位を狙うも、金属のような硬さに、逆に足を痛めてしまう。
「きゃー!」
「お嬢様、お逃げ下さい!」
「おのれ! ……お嬢様!」
慧理那がアルティロイドによって捕らえられる。そして、いつの間にかその後ろにクラブギルディが立っていた。
「な、何を見ているんですの!」
「ふむ! 素晴らしい! 素晴らしいツインテールには素晴らしいうなじ! ツインテールとうなじ。相乗される美がWin-Winの関係を生み出す! この感動を世の全てに伝えたいのだ!」
「貴方に教わることなんてありませんわ!」
凛とした態度で言い返す慧理那。だが、クラブギルディはそれを一蹴する。
「たわけが! 男は背中で語り、女はうなじで語る! 世の理を知らぬとは見た目だけでなく知性も幼いか!!」
「なっ……わ、わたくしは……っ!」
幼い容姿は彼女にとって、トラウマに近い。そこを責められた慧理那の目にハッキリと動揺が見えた。
「貴様! お嬢様を侮辱するか!」
主に対する暴言に尊が激高し、飛びかからんとする。だが、その体をアルティロイドが押さえ込んだ。
「黙れ、年増に用などないわ! さっさと帰ってカラスの足跡とほうれい線対策に精でも出しておれ!」
「誰が年増だ、甲殻類がぁ! 私はまだ28だ! 寸胴に詰め込んで茹で上げるぞコラァ!!」
数秒前の怒りさえ生温い、狂気じみた怒号が響いた。押さえ込んでいるアルティロイドをズルズルと引き摺る様は魔獣のようだ。
「さて、そのツインテール……いただくぞ!」
「っ……!」
クラブギルディが属性力を奪うリングを出現させる。その異様に、嘗ての記憶が蘇った慧理那が小さく肩を震わせた。
「お嬢様―――!」
尊の叫びが木霊し、魔のリングは慧理那のツインテールを奪い――。
「――悪いが、それは遠慮願おうか」
銀光一閃。リングは切り裂かれ、同時にアルティロイドが吹っ飛ぶ。
「なんだと!?」
驚きの声を上げるクラブギルディ。その脇を風が駆け抜け、慧理那の姿が消える。そして次には尊の前に人影が現れていた。
見上げる尊。レンズの奥の瞳は鋭さと優しさを湛え、その腕には彼女の主を抱えていた。
「ナイトグラスター……様」
慧理那を優しく下ろす騎士に、尊はその名を呟いた。
◇ ◇ ◇
用を足してトイレを出た鏡也が見たのは、慧理那の手を引いて走る尊の姿だった。すぐに何事があったかを悟って後を追いかけた。
「――って、速い!?」
スカートが翻るのも気にせず、階段を一足で飛んで行く様はまるで軽業師だ。あっという間に姿が見えなくなる。
鏡也は追うことを諦め、テイルギアの転送機能を起動させた。同時にトゥアールからの通信が入る。
『鏡也さん! 鏡也さんの近くにエレメリアン反応です!』
「分かってる。総二達は?」
『出動まで、もう少しかかります』
「分かった。それまでは何とかする」
転移座標を駐車場の端――最も遠い場所の上空に決め、転移。目もくらむような光と共に転移すると、続けて変身する。
「グラスオン――!」
着地と同時に閃光の騎士〈ナイトグラスター〉へと変わり、一気に走る。レンズにはエメレリアンの位置が表示されていた。
そして、慧理那の属性力を奪おうとするエレメリアンの背後を抜ける寸前、抜剣。
「――悪いが、それは遠慮願おうか」
アルティロイドを蹴散らし、慧理那を抱えて尊の前まで離脱する。何とか間に合ったと、慧理那を下ろしながら内心で安堵する。
「おのれ! 貴様は何者だ!?」
「私を知らぬとは……己が暗愚を晒すか、エレメリアン。我が名はナイトグラスター。貴様らアルティメギルに仇なす者だ」
そう名乗れば、クラブギルディがその瞳を大きく開き、シャキーン! とそのハサミを構えた。
「貴様がナイトグラスターか! たった一人で我らに挑もうなどとは笑止!」
「さて、それはどうかな?」
「何? ――!?」
直後、残っていたアルティロイド達が一気に薙ぎ払われる。踊り舞う様に煌めくのは、赤い剣と青い槍。
「ツインテイルズ、参上よ!」
「これ以上、お前らの好きにはさせないぜ!」
クラブギルディに切っ先を向けてテイルレッドが啖呵を切る。ヒーローっぽくする作戦は尚も継続中だ。
「ぬう……テイルレッドか! なるほど、聞きしに勝る素晴らしいツインテール! その眉目秀麗ぶりは世界を超えて響き渡っておるぞ!!」
「そりゃどうも。だったらこの世界の侵略は諦めろよ! 俺達がいる限り無駄なんだからな! それと眉目秀麗は主に男に使う言葉だ。……まぁ、間違ってないのか?」
ちょっと複雑そうにテイルレッドはポツリと零した。
「あぁ、テイルレッド。やっぱり来てくれましたのね……!」
慧理那は慧理那で、テイルレッドの登場に恍惚とした表情をしている。そんな主に尊は―――ナイトグラスターに釘付けだった。
「揃いも揃ってあたしを無視するな――っ!」
登場以降全く相手にされていなかったブルーが、猛然と襲い掛かる。エレメリアンにである。
振り上げた拳を流星のように叩きつける――が。
「ウソ! 躱された!?」
ブルーの拳はしかし、空を切って地を砕くに留まった。
「忘れてなどいない! レッドには及ばずも素晴らしいうなじだ、テイルブルー!」
「っ!?」
驚きに振り返るブルー。そこには不遜に腕を組み佇むクラブギルディの姿。
「あいつ、なんてスピードだ。離れて見てたのに全然分からなかった」
「どうやら、スピードが自慢のエレメリアンのようだな」
「気をつけて下さい! そのエレメリアン――クラブギルディはうなじを狙ってきますわ!」
慧理那の声にレッドとナイトが一度視線を合わせる。
「またマニアックなやつだな」
「そうか? 意外とメジャーじゃないか? 和装関係だと特に」
「そんなのどうでもいいから、手伝いなさいよあんたらぁあああ!!」
ブルーが怒鳴り散らしながら拳を振るう。だが、その尽くを躱して、クラブギルディはブルーの背後を取り続ける。
「はぁ、はぁ。何て速さなのよ。全然、追いつけない……!」
「当然だ! 相手の背後を取るスピードにかけては、クラーケギルディ隊一……否、隊長達にも引けを取らぬ!」
「……? クラーケギルディ? てことは、もう次の部隊が来たっての?」
「その通りだ。我らが部隊長は、貧乳こそを正義とする騎士、クラーケギルディ様! アルティメギル全体はツインテールを! 我らクラーケギルディ隊は貧乳こそ正義として、その看板を掲げている!」
『良かったですね、テイルブルー。あなたの王族に拾われた元野良猫が古巣を思い出すような固い胸も、需要があるんですって。ぶふー!』
「うるせぇえええええ! 貧乳貧乳やかましいわぁあああああああ!!」
クラブギルディに続いて通信越しのトゥアールというコンボに、ブルーの怒りゲージがコンマ一秒でマックスを超える。
暴れ狂うブルー。だが、冷静さを欠き、突撃する猛牛(貧乳)と化したテイルブルーでは、クラブギルディの術中に更にハマるだけであった。
「ハァ……はぁ……! ちょこまかと動くんじゃないわよ、殴れないじゃない!!」
「笑止! 俺がうなじを見るためだけに、どれだけの研鑽を積んできたと思っている!! 全てはうなじのために! その為ならば、俺はどこまでも進化してみせよう!!」
「くっ……! 超高速の変態のくせに、なんてプレッシャー……!」
その清々しいまでの変態ぶりにブルーは気圧される。だが、それでも攻める。ウェイブランスを薙ぐように振るう。が、それも躱されてしまう。
「それは残像だ」
「うりゃあ!」
「残像だ」
「どりゃあ!」
「残像d」
「せりゃあああ!」
「残z」
「むきゃああああああ!」
「z」
ブルーはドップリと泥沼に嵌っていた。
その光景を見ながら、ナイトはふと思いついた。
「ふむ。レッド、耳を貸せ」
「すぐ返せよ?」
ナイトはレッドの耳に口を寄せ、数事を伝える。レッドは眉をひそめながらも頷いた。
「――さて、カニ退治と行こうか」
ナイトグラスターはここからの展開を読み、口元を楽しそうに歪めた。
「だぁあああああ! 動くな息をするな大人しくボコボコにされろ!! そしてうなじを見るなぁああ!」
「断る! そしてうなじを見る!! ――ぬう!?」
更にうなじを見ようと回り込んだクラブギルディ。だが、その前に立ちはだかる者があった。
マントを、まるで乙女の秘密を守るヴェールのように広げてテイルブルーのうなじを隠すのは、彼の隊長と同じく騎士を称する者。
「貴様、ナイトグラスター! 俺とうなじの間に割って入るとは無粋な奴!!」
「ふっ。これは面白いことを言う。割って入られたのはお前が遅かったからだろう? 部隊随一のスピードを謳ってその程度とは……笑わせてくれる」
「何だと……!?」
「文句があるなら、その自慢の速度で私を出し抜いてみせるが良い。だが、容易く行くと思うな?」
「ククク。面白い――!」
ギュン! と、ナイトグラスターの前からクラブギルディが消える。そしてメイドの一人の後ろへと回り込んだ。
「っ――!?」
「どうした? えらくゆっくりじゃないか? 遠慮などせず、本気を出してくれて構わないんだぞ?」
「ぐっ……!」
鼻を鳴らして肩をすくめるナイトグラスターにクラブギルディはギリリ、と怒りを噛み締めた。動いた瞬間、確かにナイトグラスターはテイルブルーの前にいた。だが今、自分よりも先にこうして立っている。
つまり、自分の動きを後追いした上で先んじたのだ。長年積み重ねた研鑽の果てを、まるで苦もなく。
「いいだろう。これから先、一度たりとも追いつけぬと知れ!」
全身から属性力を噴き上がらせて、突風と共にクラブギルディが消える。同時にナイトグラスターの姿も音も残さずに消えた。
「消えた!?」
「皆、危険だからそこから動くな!」
レッドが叫ぶ。そこかしこから聞こえる足音はそれこそ駐車場狭しと響き渡っている。それは常人は元より、ツインテイルズにさえ認識できない領域だ。音さえ追いつかぬその世界で、クラブギルディとナイトグラスターは対峙していた。
「ぬぉ!」
クラブギルディが別のうなじの所に現れるが、其処には余裕で髪をかきあげるナイトグラスターが先回っていた。
「研鑽がどうのと言っていたが、大したものじゃなかったようだな?」
「ぬぅううううううう! 舐めるなぁあああああああああああ!!」
クラブギルディは更に、フェイントまでも交えて幾度も幾度もうなじを狙う。だが、その尽くをナイトグラスターは上回った。
「な、何故だ! 何故、俺が速度で遅れを取るのだ!?」
超高速の中、クラブギルディは悲痛な叫びを上げる。その声を聞くのは唯一人。ナイトグラスターは小さく返した。
「なんだ。そんな事も分からないのか?」
「何だと――!?」
狼狽するクラブギルディを正面に見やり、銀の騎士は今迄にない程愉快そうに笑みを浮かべた。自分に挑んだ愚者を地獄の底へと叩き落とす愉悦に酔って。
「それは――お前がノロマだからさ」
「うがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
吼える。吠える。魂がひび割れ、慟哭が響き渡る。己の全てを否定され、血の涙が流れる。
「ッ―――!!」
自身のアイデンティティの崩壊。その生き地獄の中で、クラブギルディは見た。天より垂れる赤い蜘蛛の糸を。
テイルレッドがツインテールを両腕で掻き上げたのだ。そのシルエットはうなじというファクターを輝かせる至高の姿。
「ウナジィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
「っ……!!」
ナイトグラスターよりも速く、クラブギルディの体が流れていく。
うなじ属性のエレメリアンがそれに惹かれるのは必然だ。だからこそ――。
「オーラピラー!」
「ぐぁああああああああああああああああ!?」
テイルレッドの背後に回ったその瞬間、白銀の光がクラブギルディを拘束した。
「な、何故だ……何故、テイルレッドの後ろに……!?」
「エレメリアンは自身の属性力にこだわるからな。少し煽ってやれば罠にかかる」
「何だと……? まさか――!?」
クラブギルディがこれでもかと目を見開く。その表情に、これでもかと満面の笑みで答えるナイトグラスター。
「全て、お前をハメる為の壮大な前振りだ」
「だが、だったらどうしてここまで……? もっと早くにも出来た筈だ」
「それは――お前のそのリアクションが見たかったからだ」
「このサディストがぁああああああああああああああああああ!」
「お褒めに預かり、光栄だ。――
情けも慈悲もない必殺技でクラブギルディが斬り捨てられる。
「うなじ……うなじをもっと……もっとぉおおおおおおおおおおおおおお!」
断末魔を残し、クラブギルディが爆散した。
うなじの属性玉を回収してナイトグラスターはふぅ。と、一息ついた。
「やったわね。でも、あそこまでしなくても……」
後ろに来たブルーが弾む息を整えながら、ナイトグラスターに尋ねた。
「まぁ、あそこまでする必要もなかったんだが……あの声を聞いているとつい、な」
「声? そういえばどっかで聞いたことがあったような……?」
「ほら」
ナイトグラスターが指差す先ではテイルレッドと慧理那が何やら話している。それを見て、ブルーは「あぁ、だからか」と納得した。
「――あの」
声を掛けられ、振り向くと尊が立っていた。
「……あぁ、メイドさん。怪我はありませんでしたか?」
「はい。ナイトグラスター様のお陰です」
「ナイトグラスター……様?」
ブルーが訝しげに言う。
「それは良かった。……あの、どうしてそんなに近くに?」
尊がすぐ傍まで近づいてきたので、思わず半歩下がってしまう。何故か、尊の瞳は潤み、頬も心なしか紅潮している。
「以前もお嬢様を助けて頂いて……本当に感謝のしようもありません」
熱っぽい吐息を吐き出し、尊の手がナイトグラスターのそれを包み込んだ。
「あ、あの……メイドさん?」
「尊です。桜川尊。どうぞ、尊とお呼びください」
更ににじり寄る尊。その瞳に映るナイトの顔は戸惑いと若干の恐怖に染まっていた。
「あ、あの……尊さん?」
「尊、と。呼び捨てて下さって結構です。ナイトグラスター様」
「っ……!!」
思わず、ブルッと体が震えた。まるで飢えた肉食獣の前に生肉ぶら下げて立っている草食動物のような、根源的恐怖だ。
「で、では私はこれで。ではブルー。後ほど!」
尊の手を解いて、ナイトグラスターは一気に跳躍。適当な座標にセットして、空間転移して消えた。
「ちょっと!? ……ヒッ!?」
ブルーがビクッと肩を震わせた。尊の、研ぎ澄まされた刃物のような冷たい視線が突き刺さる。
殺される。テイルギアの性能があるからそんな事は絶対にない。だが、そんな理屈を全て覆す絶対的な確信が、ブルーを動かした。
「あ……ははは。レッド、さっさと行くわよ!」
「うえ!? ちょっと待て、うわあああああああ!」
ドタタタ! と走って、レッドを抱えるや一気に飛び上がった。
「おい! 何なんだよ!?」
「うっさい! この場にいたら危険が危ないのよ!!」
「何だそりゃ!?」
ギャーギャーと言い合いながら、ツインテイルズもまた、その場を後にするのだった。
そして残された慧理那は驚いた顔をしたまま――ポツリと。
「どうして今………私を”会長”と?」
別れ際、テイルレッドの残した言葉に、慧理那の心はさざなみを打っていた。
原作より尊さんの危険度が上昇しているのは皆、夏のせいにしてしまおう。