Side渚&烏間――とある公園から大通りまでの一本道
その激突の、少し前。
ふくろうの像の公園から60階通りまでの一本道を、炎を操る怪物が背後から追いかけてくる中、渚達はこんな会話を交わしていた。
「……あの――」
「烏間だ。防衛省に勤めている元自衛官だ。君達に聞きたいことは山程あるが……それはとりあえず後にしよう」
「……助かります。……それで、なんですが烏間さん――」
「どうした?」
ただ真っ直ぐ前を向いて走っていた渚は、その瞬間、横にいる烏間に(彼が普通にスーツの走行速度についてきていることに若干恐れを抱きながら。ちなみにスーツが壊れたバンダナは平に担がれている)向き直り、見上げながら言った。
「僕が、あの敵を引きつけます。――烏間さんは、平さんと一緒に、あの人を匿ってくれませんか?」
渚はそう言って、一瞬少し後ろを――何度も背後から追いかけてくる火口を振り返りながら逃げている平達と、そして少し前にある大型の全国チェーンアパレル店舗を見遣る。
それだけで、烏間は渚の言うことを、言いたいことを理解した。
短時間というには余りに短いこの逃亡の中で、烏間は、この三人の漆黒のスーツを纏った戦士の中で、渚だけが“別格”であることを早々に見抜いていた。おそらくは、この少年こそ、由香が言っていた、より詳しい事情を知っている上級戦士なのだと。
だから、ここでこの二人を切り離すのは、彼等の身を案じる以上に、足手纏いを遠ざけるという意味合いもあるのだろう――本人に自覚があるかどうかは分からないが。そして、その足手纏いには、自分も含まれているのだろうと、烏間は思考する。
それに対し、不満に思うようなことは、烏間にはない。
子供達に――一般人かどうかは分からないが、少なくとも烏間にとっては渚も、そして東条も子供だ――全てを押し付けることを、歯痒く、悔しく、情けなくは思うが、それでもあの摩訶不思議な怪物達に対抗するような術を持っていない自分は、自分達は、確かに足手纏いと言われてもしょうがないことは理解している。
だから、烏間が思うことは――問うことは一つだ。
「――勝てるのか?」
烏間は問い掛ける。大人として問い掛ける。もし、この問いに答えられないようなら、何と言われようとこの少年も避難させるつもりだった。自分達――警察や防衛省の応援が来るまで、問答無用で戦場から引き離すつもりだった。
だが、渚は、その問いに一瞬グッと呑まれながらも、顎を下げ――冷たい殺気の篭った瞳で、はっきりと言った。
「――勝ちます」
今度は烏間が息を呑む番だった。
そして、前に向き直り、渚に言う。
「――分かった。彼等のことは任せろ」
その言葉に、渚は静かに笑い「――ありがとうございます」と言うと、一人、急ブレーキし、その足を止める。
「っ!? 渚はん!?」
驚愕する平に、渚は安心させるように微笑みかける。――そして、彼等と交錯際、バンダナが持っていたXガンを拝借した。
「あッ!?」
「すいません、お借りします」
元々は渚が持ってきたものなので借りるという表現はおかしいのかもしれないが、渚はその掻っ攫ったXガンを、自分達に向かって走ってくる火口に向けた。
「こっちだっ! 足を止めるなッ!!」
烏間がそう平達に吠えて、避難を誘導する。
その声を背中に聞き、渚はふっと笑みを浮かべると、火口は渚がXガンを発射するよりも先に――
「嘗めるなぁッ!!」
――その右の掌に作り出していた、火の玉を投げつける。
「っ!?」
渚は反射的にXガンを発射して、そのまま再び振り返り、大通りに向かって走り始めた。
そして、ちらっと、アパレル店舗の入り口に目を向ける。
そこでは、バンダナが店の奥へと投げ捨てられ、その近くで平が泣きそうな顔を浮かべ――烏間が、神妙な面持ちでこちらを見ていた。
渚は、安心させるように笑みを浮かべて――
――火の玉が、爆裂した。
「――ッ!? うわぁぁぁぁあああああああ!!!!」
渚はそのまま、その爆風に持ち上げられるように吹き飛ばされる。
烏間達は、その衝撃を店舗内の床に伏せてやり過ごした。
+++
「な、渚はんは!?」
「大丈夫だ。……彼を信じよう。それよりも、大声を出さず、そっと息を潜めるんだ」
慌てて立ち上がろうとする平を、烏間が押さえつける。
そして物陰に隠れて、爆発の影響でグチャグチャに吹き飛ばされた店舗の入り口を、じっと見据えた。
「――――っっ!!?」
平が声にならない悲鳴を漏らす。
火口が、その姿を現した。――そして、こちらには目を向けず、右の掌に新たな火の玉を生み出しながら、店舗の前を通り過ぎていく。
平は、ぶはっと息を吐き出しながら、烏間に言った。
「こ、こっちには気づかへんかった、みたいやな……」
「……彼が奴に銃を向けたことによって、奴はあの巨大な火の玉を投げつけた。それにより、奴の視界から俺達の姿が消えて、この店舗に逃げ込んだことに気付かなったんだろう」
烏間は「そういうことかっ!」と感嘆している平を余所に――
(もしくは……そもそも俺達のことなど眼中にないのか……)
と、思考する。自分にすら直ぐにあの少年が別格だと分かったのだから、奴が気付かないはずもない。――まぁ、片目を吹き飛ばした烏間は、奴の復讐対象にばっちり入っているだろうが。
そもそも、これだけ無差別に虐殺を行っている連中だ。あの黒いスーツを纏った戦士達は特別敵視しているようだが、彼等を討伐した後には、遅かれ早かれ、目についた人間は皆殺しだという行動に移るだろう。――それまでに、あの怪物達を討伐しなくてはならない。……例え、既に状況がどうしようもなく手遅れな地獄であろうと、一つでも多くの命を救う為に。
その為に、まず自分がすべきことは、渚に託されたように、ここで平達の命を守りながら、防衛省にこの事態の状況を報告し、一刻も早く応援を到着させること――そう思い、烏間は、由香と同様に支給されているであろうマップを平に見せてもらおうとして、ふと気づいた。
「……もう一人の、あの頭にバンダナを巻いていた彼は、何処に行った?」
+++
Side??? ――とある大型アパレル店舗内
バンダナはとにかく夢中で止まっていたエスカレータを駆け上がった。
そこに怪物が待ち構えているかもしれないといった考えは全く浮かばずに、急激に重くなってしまった体を必死に動かして、そこら中に転がる死体を見かけては悲鳴を上げながら、一心不乱にあの炎の怪物からの逃亡を試みた。
(怖ぇ! こえぇ! こえぇ、こえぇ、こえぇ! なんでどうしてなにがどうなって俺がどういうわけかこんな目にちくしょう! ちくしょうちくしょうちくしょう!!)
涙を流して心中で理不尽を嘆きながら、何階かは分からないが男性物の服を売っていたであろうフロアに倒れ込むように辿り着いた時、遂に体力の限界を迎えて、ぜいぜいと息を切らしながらフロアを四つん這いで徘徊する。
既に転がる死体を見ても恐怖というよりも怒りが湧くようになった。勿論それはこの地獄を作り出したであろう怪物達ではなく、こんな理不尽な状況に己を巻き込んだ運命やら何やらに向けられていたが。
そして、バンダナが唇を噛み締めながら、がっくりと膝を折ると――
「
バンダナは「え――」と、その声に、“聞き覚えがある”その声にバッと顔を上げる。
そして、その男はゆっくりと姿を現した。
「お、おじさん!」
「久しぶりだな、
そう言って、帽子の男――葛西善二郎は、甥っ子であるバンダナ――穂村徹行に向かって歩み寄る。
葛西は甥が着ている漆黒のスーツを見て、その不敵な笑みを深めて「……おいおい、最近の若い子にはそんなピチピチの全身スーツが流行ってんのかい。美女が着る分にはオジサン大歓迎だが、野郎が着てるのは見るに耐えないねぇ」と嘯きながら、火火火と煙草に火を点ける。
その火を見てぼおと一瞬呆けるも、徹行は「――はっ!」叔父に向かって這い寄り、喚き散らす。
「そ、そんなことより、どうしてオジサンがここにいるのさ!」
「あぁ? だから言ったろ。ちょっと若者の文化に触れようと――」
「そうじゃなくて!」
徹行は遂には葛西の脚に縋りつきながら、信じられないといった眼色で叔父に問い掛ける。問い詰める。
「なんで叔父さんは!
葛西が生きていることについては、徹行は特に疑問は持たない。
なにせ自分の叔父――葛西善二郎は、前科1342犯のギネス級の伝説の犯罪者だ。
全国の警察官がこの人の手配書を常に持ち歩いているにもかかわらず、一度もその両手に手錠を嵌められたことのない、史上最悪の放火魔。
そんな男が、そんな犯罪者が、例えこれだけの地獄を作り出すことが出来る怪物達相手でも易々と殺されることは――理屈では全くの別問題だとは分かっていても――徹行には思えなかった。この人が殺される姿など、この人が逮捕されることと同じように、自分にはまるで想像できない。
それでも徹行にとっては、例えどれほど前科を重ねていようと、やはり叔父は叔父だった。
幼い頃、自分に色んなことを教えてくれた、優しい親戚の叔父さんでしかなかった。
だからこそ、理解出来なかった。
自分は――穂村徹行は、葛西善二郎という叔父を、葛西善二郎という犯罪者を、まるで理解していなかったのだと思い知らされる。
何故だ? なんでどうしてなにがどうなって――こんな地獄で、そんな風に君臨することが出来る?
そんな風に、いつもと同じジャケットにチノパンに帽子で、自分のように――自分達のように特殊な装備など何も持っていない無防備なのに、こんな死体をゴミのように量産している惨状を作り出せる怪物達が跋扈する地獄で、どうしてどうしてどうしてなんでどうしてなにがどうしてどうなってどうして――
「徹ちゃんよ」
葛西はしゃがみ込みながら、己にしがみ付く甥に目を合わせるようにして、語り掛ける。
徹行は叔父のその目を、呆然として見つめ続けた。
「火火火。いい感じに
「……何? 叔父さん……一体、何を言って――」
「なぁ徹ちゃんよ、覚えてるか?」
葛西は、叔父が甥をあやすように、徹行の頭に手を乗せ、そしてじっと、その目を見つめる。
その目の奥を、ずっと奥を、見透かすようにまっすぐに見据える。
「ガキの頃、俺はお前に一から教えたよな――火の魅力を」
そう言って葛西は、徹行の頭に乗せたのとは別の手で――左手一本でボッとマッチの火を点け、徹行の眼前に持ってくる。
「全ての歴史は、神話に始まる。――そして、全ての神話は、火に始まるのさ」
そして、ゆっくりと語り掛ける。かつて徹行の脳裏に、
「人類の創成期――火を畏れず、使いこなしたものが神になった。火を味方につければ、人間は神にだってなれるのさ」
理性という蓋が外れかかっている徹行の中から、呼び起こし、引っ張り起こし――開花させるように。
「…………神、に?」
「ああそうだ。火は武器だ。火は力だ。火は、人間の――お前の味方だ」
導火線に火を点けるように。開花させるように――開火させる。
「火さえ操れば――人間は何だって殺せる。化け物にだって、勝てるのさ」
徹行の心に――火を、起こす。
「……勝てる……死なない……殺せる……」
「ああそうだ。お前なら出来る。お前なら殺せる。お前なら、何だって燃やせるさ」
葛西は嗤う。
これで、堕ちたと。
完全に――火が着いたと。
(これで――着火だ)
徹行は最早葛西を見ていなかった。叔父の言葉を聞いていなかった。
網膜に焼き付いたマッチの火に、完全に取り憑かれていた。
徹行は、呆然と、陶然と呟く。
「燃える……燃やせる……火は――萌えるんだ」
「ああ、お前だったら何だって――」
……ん?
と。葛西はゆっくりと、徹行の頭から手を退かす。
すると徹行は、バンッ! と、まるで蓋が外れたかのようにバネの如く立ち上がり、急に店内を叫びながら走り回り出した。
「急に!! メガネをかけてみたくなった!!」
「急に!! シャツをズボンに入れてみたくなった!!」
「急に!! バンダナの巻き方を変えてみたくなった!!」
「急に!! ニキビを生やしてみたくなった!!」
あれほど嫌悪していた、無残に殺された死体が転がっている店内を、徹行はぐるぐるとぐるぐると走り回った。
死体を踏み潰すことも委細構うことなく、まるで何かに取り憑かれたかのように、まるで何かでトチ狂ったかのように、解放されたかのようにはしゃぎまわった。
そして再び、葛西の前に帰ってくる頃には――甥は生まれ変わったかのように変貌していた。
「そして急に――全部、燃やしたくなったんだ」
瓶底のようなグルグル眼鏡をかけ、トレードマークだったバンダナはまるで鉢巻のように巻いて、唐突にニキビを生やし、わざわざガンツスーツの上からだるだるのズボンを腰の位置で履いて、更にTシャツを中に
「燃え燃えしてぇぇぇええええええええ!!!! 炎に囲まれてハアハアしてぇぇえええよぉぉぉおおおお!!!!」
葛西は甥のそんな姿を見て、新たに煙草を咥え、マッチで火を点け、煙を吐き出す。
(……やり過ぎたかな)
そんなことを思っても、後の祭り――後の火祭りだった。
「叔父さん……びっくりだよ。あれだけ怖かったのに、今じゃあどいつもこいつも燃えキャラにしたくて仕方がないんだ」
「……そうか。俺はお前のズボンの位置にびっくりだよ」
っていうかこのフロアの何処に瓶底メガネがあったんだよ。アパレルショップだろ此処は。
なんてことを葛西は思ったりしなくもなかったが、それでも甥の解放っぷりを見て、再び凶悪に、火火火と嗤った。
怪物達が此処を襲った時に割ったのか、窓ガラスが割れて、眼下の様子が見れるようになっている場所まで歩みを進め、その戦場を見下ろす。
そこでは、二人の漆黒のスーツを纏った戦士と、二体の怪物が、化け物のように異次元の殺し合いを演じていた。
「ようこそおいでませ、怪物達。
――
葛西善二郎という人間は、イカれた叫びを轟かせる背後の甥を無視して、火火火と、
穂村徹行は火に魅せられ、炎に狂わされる。