比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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あなたは家族を守る父親なんでしょうっ!! 絶対に息子さんを助けるんだって、そう言ってたじゃないですかっ!!

Side渚――とあるふくろうの像がある公園

 

 

 瞳から青白い殺気を滲ませる水色の少年は、有象無象の怪物達の中で、只一人、人間の姿形をしたその存在だけを冷たく見据えていた。

 

 下品な程の金ぴかの髪を、無駄にサラサラのキューティクルのロングヘアを靡かせ、短い脚に相応な低い身長から精一杯顎を上げてこちらを見下そうとしている、醜悪な笑みを浮かべた一人の男。人間の姿と形をした、人間のような男。

 

 だが、水色の少年――潮田渚は見抜いていた。感じていて、察していた。

 

 あの男こそが――あの人間のような奴こそが、この怪物の集団の中で、誰よりも、何よりも醜悪な化け物だと。

 

 奴こそが、この集団の頭で――要。つまり急所。

 狙うべき――殺すべき、敵。奪うべき命。

 

 この場を切り抜ける、この窮地を生き抜ける、最も可能性の高い選択肢だと。

 

(僕には、桐ケ谷さんや比企谷さん――東条さんのように、何体も何十体も一度に相手をして切り抜けられるような戦闘力はない。……だったら、この場で最も影響力の高い敵を狙い撃って――狙い、討って、その混乱に乗じて此処から脱出するっ!)

 

 既に三度目のミッションということもあり、突発的な突飛な状況の変化に対しての対応力のようなものが身に付いてきた渚。

 この時、彼が即座に下したこの判断も、恐らくはかなり正解に近かっただろう。

 

 だが、正しい未来予想図を描くことは出来ても、それを実現させることは、また別の問題で、難易度が段違いの難題だった。

 

 ロン毛は真っ直ぐ自分に向かって駆けてくる渚を見て、更に醜く口角を吊り上げる。

 

――そして、そんなロン毛の“背後”から、何かが〝射ち”出された。

 

「っ!?」

 

 真正面の渚からは、突然黒い何かが自分に向かって突き出されたように見え、咄嗟に左に避ける。

 

 避けながら確認すると――それは触手だった。

 

 正確には、木の蔓のような触手――触手のような、木の蔓。人間の腕のような太さのそれが、渚に向かって射ち込まれた。

 

 そして、それは触手故に、一度躱した程度で逃れられるような簡単な脅威ではない。まるで意思を持っているが如く、己を躱した渚を追撃しようと、横から叩きつけるようにして、うねるように再び襲い掛かる。

 

「――――!」

 

 黒く――閃く。

 

 渚が手に持つ漆黒のナイフが、闇夜に鋭い剣閃を描いた。

 ガンツナイフは一切の抵抗を感じることもなく、滑らかにその触手のような蔓を切り裂く。

 

 反射的な行動だった為、渚自身も一瞬呆気に取られたが、すぐに再び前傾姿勢になり、膝に力を溜めてロン毛に向かって走り出した。

 

 その時、渚はようやくロン毛の後ろに立つ――男(?)の存在に気付いた。

 

 おそらくは“変態”前は男だったのだろう、周りの怪物達よりも一回りだけ大きな怪物が、金髪ロン毛の背後に佇んでいた。このチームのリーダー格の金髪ロン毛を守る側近――というよりは、SPやガードマンのような役割なのだろうか。だが――

 

「やれ」

「わ、が……ったぁ……」

 

 ロン毛の指示により、男はぶよぶよと苔に覆われた体から先程と同じように腕のような太さの蔓のような触手を“発射”させる。

 

 本性を現し、人間の姿から変態した怪物達は、確かに直視するのも憚れるような化け物へと変容していた。

 

 だが、それでも皆、どこか人間だった頃の面影を残している。

 

 触覚や角が生えたり、体色が変色したり、腕が増えたり、不気味な出来損ないの翼が生えていたりしているが、それでも人間らしさは残っている。残っているからこそ気持ち悪いというのもあるのだが。

 

 だが、そんな中でも、金髪ロン毛の背後に控えているあの緑色の巨体の怪物は、どこかおかしかった。

 

 腕は二本。脚も二本。

 全身が苔と葉で覆われていてその下は一切窺えないが、形状として頭もあることが分かる。人間らしいシルエットはしている。

 

 だが、それでも――怪物相手にこんなことを言うのはおかしいのかもしれないが――あまりにも、人間らしくない。

 

 あまりにも、怪物過ぎる。行き過ぎて――手遅れ過ぎる。

 

 渚は、ここまで明確に言葉には出来ていないが、あの緑の怪物を見て、そんな奇妙な、背筋が冷たくなるような嫌な違和感を覚えていた――が。

 

(――っ! 今は、余計なことを考えている場合じゃ――「がっ!?」

 

 そんな違和感を切り捨てるように、渚は再び蔓をナイフで切り裂いた――が、しかし、そんな思考に囚われながら片手間に戦闘が出来る程の域に、渚はまだ達していない。

 

 自分の顔面に向かってきた蔓は反射的に切り裂いたが、蔓はもう一本別角度から射ち出されて、その攻撃は、見事に渚のどてっ腹に命中した。

 

 渚の小さな身体は、その一撃によって容易く吹き飛ばされる。

 

 そして、そんな渚を追撃すべく、緑の巨体以外のロン毛の横に控えていた怪物達が、一斉に渚に向かって襲い掛かった。

 

「ふふ、よくやった」

「おで……で、きた……?」

「ああ……上出来だ」

 

 ロン毛は背後の緑の巨体に向かって、醜悪に微笑む。

 

「どうせお前は手遅れで、遅かれ早かれ俺達に多大な面倒を懸けるんだ。……それまでたっぷり働いてもらうぞ、なぁ“()()()”」

 

 その男の侮蔑するような言葉に、緑の巨体の怪物は、苔や葉によってくぐもった声で答える。

 

「う゛ん……おで……がんば、る……みん……なの……やく……に……」

 

 金髪のロン毛は笑う。

 

 嘲笑うように、笑う。〝かつて仲間だった存在”に向けて。

 

「いい子だ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 バンダナは、三百六十度を怪物に囲まれて、狂ったように笑い声を漏らした。

 

「は、はは、ははは、はははははは」

 

 そして、(おもむろ)に両手を上げて、引き攣った笑いで命乞いをする。

 

「こ、降参だよ、助けてくれ、な! な! ほ、ほら! 俺は何も武器なんざ持ってない! 丸腰だ!」

 

 彼の周囲を囲む怪物達は、そんな彼をニヤニヤと笑うだけで、一向に彼との距離を詰めるのを止めない。

 

 焦らすように、甚振るように、一歩、一歩、ゆっくりと距離を詰める。

 それと比例するように、バンダナの顔を流れる汗の量が増し、声が引き攣り、顔面が強張る。

 

「お、俺はお前たちに対して何かするつもりはねぇんだ! こ、ここにいるのも、なんかわけわかんねぇことに巻き込まれただけなんだ! 本当なんだよ! 気が付いたらここにいたんだ! 俺はなんも知らねぇ! なんもわかんねぇんだよ! 信じてくれよ!」

 

 ニヤニヤと、ニヤニヤと、化け物達は嘲笑うのを止めない。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、近づくのを止めない。

 

 バンダナを、追い詰めるのを止めない。

 

「知らねぇよ! わっかんねぇんだよ! ふざけんじゃねぇよ!!! なんだ!? なんでだ!? これは一体なんなんだよ!! お前ら一体何なんだよ!! 何がしてぇんだ!? 知るかよ勝手にやれよ! 頼むから俺を巻き込むなよ!! 死にたくねぇんだよ、許してくれよぉぉぉぉぉおお!!!」

 

 いつからか、それは命乞いから魂の叫びへと変わっていた。

 

 涙を溢れさせながら、目の前にいる顔面が上下逆さまの相貌の怪物に向かって、バンダナは絶叫した。

 

 その無様な姿に満足したのか、その怪物は既に崩れ切った顔面を更に歪めながら、腕が変形したことで獲得した肘から先が鎌の刃のようになったそれを振り上げて――

 

「ダメだな、死ね」

 

 と、容赦なく振り下ろそうとした時――

 

 

 ギュイーン――と、甲高い音が、公園内に響いた。

 

 

「は」

 

 鎌の怪物が表情を無に変えた、その数瞬後――体を急激に膨張させ、風船のような破裂音と共に吹き飛んだ。

 

 噴水の如く真っ赤な鮮血が降り注ぐ。

 バンダナは、それが鎌の怪物の血だと分かり、怪物も血は赤いのかと、そんなことを呆然と思った。

 

「だ、誰だッ!?」

 

 バンダナを取り囲んでいた怪物達が、仲間を殺した存在を探すべく周囲に目線を走らせる。

 

 そこにいたのは、水色の少年だった。

 

「戦って!」

 

 その少年は、水色の髪を血で汚しながら、数多の怪物に追われ、襲われながら、寸胴な銃と漆黒のナイフを手に――戦っていた。

 

 そしてバンダナに向かって、その真っ直ぐな目を向けながら――青白い殺気を滲ませる瞳を向けながら、叫ぶ。

 

 お前も、戦えと。

 

 立ち上がって、戦えと。

 

「っ!?」

 

 渚は一瞬の隙を突き、その短銃をバンダナに向かって、鎌の怪物を殺したことで空いた包囲網の穴から投げつけた。

 

 そして、そのまま目の前にいる怪物に向かって、その胸に飛び込み――人間の頃の心臓の位置に、ナイフを深々と差し込む。

 

「が、ぁぁああああああああああああ!!!」

 

 まるで人間のような断末魔の叫びを轟かせる怪物。

 

 バンダナが、渚のまるで踊っているかのような、鮮やかなその手つきに目を奪われていると、渚は再び叫んだ。

 

 その瞬間、バンダナも、バンダナを囲んでいる怪物達も、渚を襲っている怪物達も、その小さな少年が放つ――殺気に呑まれた。

 

 

「戦ってください。――()らなきゃ、()られます。戦わなければ、生き残れないッ! 死にたくないなら、戦ってください!!」

 

 

 天命は、人事を尽くさないものには決して訪れない。ただ待っているだけでは、現実は何も変わらない。

 

 ここは地獄だ。待っているだけで救われるはずはない。

 足元は死で溢れていて、動かなくてはそれに呑み込まれるだけだ。

 

 バンダナは、周囲を見渡す。

 

 死体だ。死んでいる。殺されている。

 死で溢れかえっている。まるでそれが当然であるかのように蔓延っている。ここは、そういう場所なのだ。そういう地獄なのだ。

 

 待っているだけじゃ駄目だ。願っているだけじゃ駄目だ。嘆いているだけじゃ駄目なんだ。

 

 動くのを止めたら――生きるのを止めたら、放棄したら、すぐに自分もこうなってしまう。死体に、なってしまう。

 

「~~~~~~っ!」

 

 バンダナは、その銃を胸に抱えて飛び出した。

 

「ちっ! 貴様ぁ!」

「待ちやがれ!!」

 

 鎌の怪物が死んだことで空いた包囲網の穴から逃げ出した。

 

 怖い。涙が浮かぶ。気を抜くとすぐに膝から力が抜けて、今にも転んでしまいそうだった。

 

 だけど、だけど、だけど。

 

 公園を走り回っていると、まるで浅い川を走っているかのように、びちゃびちゃと水音がする。けれど、正しい川では決してしない、ぐちゃぐちゃという何かを踏み潰す音もする。

 

 死体だ。この公園に敷き詰められた死体を、文字通り踏みにじった追いかけっこをしている。

 

 物言わぬ死体は、物言えぬ死体は、これ以上なく踏みにじられ、蹂躙されている。惨めだ。惨い。残酷で、冷酷で、そして呆気ない。

 

 人は、死んでしまえばこんなものだ。これが死体で、これこそが死だった。

 

 なんて怖い。本当に怖すぎる。

 

 何よりも、こんなふうに死んでしまうことが、こんな死体になってしまうことが――

 

「嫌だぁぁぁぁアアアアアアアアアア!!!!」

 

 バンダナは振り返り、無我夢中に撃った。撃った。撃った。

 

 正しい撃ち方なんて知らない。自分を殺そうと追いかけてくる怪物を目に捉えることすら怖い。

 

 だから目を瞑って、涙が零れないように目を全力で瞑って、二つあるトリガーを両方とも全力で引き絞り、撃って、撃って、撃った。

 

「これでいいんだろおぉぉおおおお!!! 文句ねぇだろ、ちくしょぉぉぉおおおおお!!!!」

 

 バンダナは誰かに向かって叫びながら、とにかく撃って、撃って、撃ちまくって、恐怖が限界に達したら再び全力で逃げてを繰り返す。

 

 これが、この男の戦いで、死からの逃避だった。

 

 それを渚は一瞥し、今度はもう一人の男へと叫ぶ。

 

「平さんもっ! 戦ってください!!」

 

 敵の長すぎる爪の攻撃をナイフで受け止め、弾き、渚は背後からの別の個体の攻撃を躱した。

 

 渚も決して余裕がある訳ではない。いくら三回目のミッションとはいえ、決して戦闘経験が豊富というわけではない。

 必死だった。渚も必死だった。死から逃れるのに必死だった。

 

 だが、そんな渚の叫びは、平には届いていなかった。

 

 平は、公園内を縦横無尽に動き回る渚やバンダナと違い、一か所でずっと蹲っていた。

 

 この戦いの開始直後、逃げるように公園の中心部に向かって走り、バンダナの近くで死体に顔を突っ込む形で転倒した、あの場所から、一歩たりとも動いていなかった。顔すら上げていなかった。

 地面に――否、死体に突っ伏し、身体を丸め、甲羅に潜った亀のように、微動だにしなかった。

 

 そんな存在を、この怪物達が見逃す筈がない。

 

 あっという間に囲い込まれ、リンチに遭っている。

 まさしく昔話の浦島太郎の冒頭の亀のように、数人がかりで足蹴にされ、痛めつけられている。ガンツスーツを着ていなかったらとっくに殺されていただろう。

 

 それでも平は動けなかった。ガタガタと震えながら、死体に顔を突っ込んでいた。

 

「平さん! 戦ってください、平さん!」

 

 渚の声はまるで届かない。

 

 平の心は、完全に恐怖に屈していた。

 

(無理や! こんなんどう考えても無理やぁ! なんでやっ! なんで渚はんは戦えてるや! こんなの、どっからどう考えてもおかしいやないかっ!)

 

 辺り一面の地面には、敷き詰めんばかりのぐちゃぐちゃの惨殺死体。

 

 辺り一面を取り囲むのは、人間が唐突に変形した異形の怪物達。

 

 そんな状況で、見ず知らずの死体の上を踏みにじりながら、その姿を目に入れるだけで莫大な嫌悪感を催す怪物達と――あろうことか、戦え?

 

 正気の沙汰じゃない。狂気の沙汰だ。どいつもこいつも狂っている。

 

(ワシが悪いんやないっ! こいつ等がおかしいんや! どいつもこいつもイカレとるんやッ!!)

 

 オェェエエエ!! と、平は嘔吐する。

 顔を死体にくっつけたままの、零距離で。それでも、平は顔を挙げようとしなかった。

 

 平を囲い込む怪物の一人が、にやりと笑い、平の後頭部を踏みつける。

 既に原型を留めずにグチャグチャの死体と自身の吐瀉物に顔面から押し付けられる形になる。それでも、平は顔を挙げられない。

 

 そこにあるのは、圧倒的な、理不尽への嘆き。

 

(……なんでや……なんで、ワシがこないな目に遭うんや……)

 

 ここまでの罰を受けるようなことを、自分はしたのか。

 

 確かに自分は、これまで数多くの人間の恨みを買うような仕事をしてきた。決して万人に胸を張れるような職業ではない。

 

 だが、少なくとも自分は、家族を守ってきた、一人の父親であったという自負はある。家族を愛し、家族に尽くしてきた。

 

 誇れぬ仕事の言い訳に家族を使うつもりは毛頭ないが、それでも自分の人生が無価値だと、ここまでの罰を受けるような罪深いものだとは、絶対に認めるつもりはない。

 

 例え、どれほど偉大で恐ろしい存在に、刃を首元に当てられながら罪状を突きつけられようとも、これだけは屈するつもりはない。

 

 平清は、家族を愛し、家族を守るために生きた、一人の父親(おとこ)である。――これは、揺るがない。これだけは、譲れない。

 

 だから、絶対に――

 

「――家族の元に、帰るんじゃなかったんですかっ! 平さんっ!」

「っ!?」

 

 渚の、その言葉に、平はハッと目を見開き、ほんの少し顔を挙げる。

 

 そして、そこを狙い澄ましたかのように、正面に立つ化け物の爪先が、平の顎を掬い上げた――亀をひっくり返すかのように。

 

「ぐ、ぐふぁっ!」

 

 ひっくり返す程度では収まらず、平は大きく吹き飛ばされ、死体の海を跳ねるようにして飛んでいく。

 キュイン、キュインと、スーツが悲鳴を上げる。既に限界が近い。

 

 化け物達が平の醜態を嘲笑いながら、再びゆっくりと近づいてくる。その様は、彼等の容貌が怪物でなければ、さながらオヤジ狩りのようだった。

 

 だが、平は彼等の方を一切、向いていない。あれほどに恐ろしかった怪物のことすら、今の彼の視界には入っていなかった。

 彼の胸中に渦巻くのは、先程の渚のあの言葉。

 

 そして、畳みかけるように渚は、尚もこう叫び掛けた。

 

「あなたは家族を守る父親なんでしょうっ!! 絶対に息子さんを助けるんだって、そう言ってたじゃないですかっ!! 平さん!!」

 

 渚の父親は、争いを好まない男だった。

 故に、ヒステリックで何かと好戦的な渚の母――広海の傍にいることが出来ず、別居することになってしまった。

 

 父は渚を気遣って、時折は渚と会って、申し訳ない、心苦しいと謝罪を繰り返した。渚も彼を責めはしないが――それでも。

 

 あの母親の元に、(ぼく)を一人置き去りにして、自分は逃げ出した――そう思ったことが全くないかと言われれば、嘘になる。

 

 憎んだことはないが、どうして自分だけ逃げたと恨んだ日はないかと言われれば、それは――嘘に、なる。

 

 だから渚は、平のことを気に掛けるようになったのかもしれない。このオニ星人のミッションが始まる前、そして今。

 

 自分も決して余裕がある立場ではないにもかかわらず、必要以上に肩入れし――応援、したくなってしまう。助けたくなってしまう。救いたくなってしまう。

 

 死んで欲しくないと、生きていて欲しいと、そう思ってしまう。

 

『息子がな……いじめられてるんや』

 

 ゆびわ星人のミッションの時、渚と共にゆびわ星人と戦っている時、平はこう、渚に漏らした。

 

『気ぃ弱い子でな……ワシは負けるな、絶対に屈するな、立ち向かえって……そんなことしか言えへんかった……ダメな父親や……』

 

 平はそう、自嘲するように漏らした。

 渚は、そんな平を、複雑な瞳で見つめた。

 

――ゴメンな……渚。

 

 会う時は、決まって回転寿司のカウンターだった。

 せめて息子に好きなものを腹いっぱいに食わせてやりたいという心遣いなのか、それとも寿司(それ)しか、渚の好物を覚えていないのか。

 ある程度お互いの皿が積み重なり、お茶の量が減って新たに注ぐくらいのタイミングで、父はそう、渚に漏らすのだ。

 

――気にしないでっ! 父さんもたくさん食べなよ!

 

 自分は決まって、こう笑顔で返すのだ。

 

『せやけど……せめて傍に、居てやりたいんや』

 

 平は、そう言った。ここにいない、息子(だれか)に向かって。

 

『ワシはあの子の、なんの力にもなれへん、ロクでもない父親や……せやけど、せめて……あの子が強うなって……父ちゃんなんかいらんっ! って……そう言えるくらい、強うなるまで……せめて傍に居てやりたいんや』

 

――ワシには、それしかできひんから。

 

 渚は、そう呟く平に、泣きそうな笑みで、こう答えた。

 

『……息子さんも……きっと……そうして欲しいんだと、思います。……それだけで、いいから……』

 

――傍にいて欲しいんだと……そう思ってると……思います。

 

 渚は、その時、誓った。

 

 この人を――この父親(ひと)を、絶対に、帰してみせると。

 

 父親(このひと)の帰りを待っている、息子(だれか)の元へ、生きて帰して――返してみせると。

 

 だから――だから――

 

「戦ってくださいっ! 平さぁぁあああんっ!!」

 

 ザッ、と。

 

 父親(おとこ)は、立ち上がった。

 

 無意識に腹へと移動させていた――何かを抱えるような、守るような体勢を無意識にとっていたらしい――そのケースを取り出し、開封する。

 

 そこに仕舞われているのは、八種類の金属塊――爆弾だ。

 

――父ちゃん! これ一緒にやろう! すげぇ面白いんだ!

 

 家に居る時間が長くなった息子が、そう強請(ねだ)ってきたために、自分も始めたVRMMO。

 

 息子が少しでも笑顔でいてくれればと、慣れないゲームというものに戸惑いながらも、少しずつやり方を覚えていった。

 

 だから、これらの使い方は、既に体に染み込んでいる――息子が自分に与えてくれた力だ。

 

「っ!? ちっ、あのオッサン、何しようとしてやがる!」

 

 その時、ずっとニヤニヤとした笑いを浮かべていた怪物達の表情が変わった。

 

 一斉に平に向かって駆け出し、襲い掛かる――が、平は、手を、膝を震わせながらも、一つの爆弾をしっかりと握って、そして――スイッチを入れる。

 

(柚彦――父ちゃんに、力をくれっ!)

 

 平は全力で腕を振り、向かってくる怪物達に、それを投げつけた。

 

 球型のその爆弾は、先頭の怪物にぶつかり――

 

 

 ドガァンッッ!!! と、爆発した。

 

 

 それは、クラッカータイプのBIM。

 比較的使いやすいオーソドックスなBIMで、破壊力が低いのが難点だが、それでも――あのゆびわ星人の片腕を吹き飛ばす程の、ガンツスーツを一発で破壊する程の威力を持つ。

 

 つまり、一般的なオニ星人程度なら――

 

 

「はぁ……はぁ……どうや! ……みたかぁぁああああ!!!」

 

 

――複数体を、まとめて吹き飛ばすことが可能である。

 

「な――」

「なんだとっ!?」

「どうなってやがるッッ!!」

 

 バンダナを追っていた奴等も、渚を襲っていた奴等も――そして。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 金髪のロン毛の背の低い男も、その光景に呆気に取られていた。

 

「爆弾だと……奴等の装備のデータに、そんなものはなかったはずだッッ!!」

 

 渚は、その一瞬を見逃さなかった。

 

 ダッ! と自分を囲んでいた個体を置き去りに、一気にロン毛に向かって走り出す。

 

「な――お、おい、お前ら! そいつを止めろ! 全員がかりで近づけさせるな!!」

 

 ロン毛の指示に、渚を襲っていた怪物、そして近くにいたバンダナを追っていた怪物達も咄嗟に渚を追った。

 

 渚がそういった動揺を最も生じやすい“顔色”の時を狙ったとはいえ、これは一つの集団を預かる者として、あまりにも下策だっただろう。

 それがこの男の器と言えばそれまでだが、平が自分達の想定になかった武器を所持していたことが明らかになったとはいえ、まだまだ状況は彼等の方が遥かに有利だったのだ。

 

 バンダナが逃げ回るのも、渚が抵抗するにも限界はあり、そう時間は立たない内に、この二人は数の力によって追い詰めることが出来ていた。

 平に限っても、油断せずに連携をしっかりとって追い詰めていけば、無力化するのはそう難しいことではなかっただろう――多少の犠牲を考慮すれば。

 詰将棋のように、一手、一手をしっかり打っていれば、負ける方が難しい勝負――戦争だったはずなのだ。

 

 だが、このロン毛は、あろうことか、一人の標的に戦力を集中させてしまった。

 確かに、これまでの戦況を見れば、渚が最もこの三人の中では戦士であり、脅威であることは明確だろう。

 

 本人に自覚はないが、間違いなくこの場の司令塔であり、リーダーである。バンダナが息を吹き返し、平が立ち上がれたのは、渚が居たからだ。

 

 コイツさえ殺せば――混乱に陥ってしまった一瞬で、そう咄嗟に思考してしまうのは、有り得ないことではないのかもしれない。

 

 だが、結果としてこの判断は、致命的な敗因になる。

 

(――二秒にセット……)

 

 渚はちらりと、手元のそれを見て、背後を一瞥する。

 

 そして、自身を追う怪物達の密集具合を確認して、その立方体の金属塊のグラスモニターの数字を「02」にセットし――転がすように、後ろに投擲した。

 

「な、なんだ!?」

 

 薄暗い闇の中で突如、自分達に向かって放り投げられたそれに対し、ピタッと足を止めてしまう怪物達。

 

 咄嗟に身構えるが、一回、二回と地面に落ちても、何も起こらない。

 

 そして、それは集団の中心位置に転がり――モニタの数字が「00」になった。

 

 

 ドガァァンッッッ!!! と、爆炎を撒き散らす。

 

 

 先程のクラッカータイプよりも明らかに数段上の威力の爆発を起こしたのは、タイマータイプのBIM。トラップや待ち伏せなどに使い勝手のいい、戦略的なBIMだ。

 

「く、くそッ! なんなんだ――なッ!?」

 

 その凄まじい威力の爆発に、思わず腕で目を守る体勢を取るロン毛。

 

 だが、すぐに目を見開く。

 奴が来る。近づいて来る。

 

 爆炎を背後に背負いながら、一目散にこちらに向かって駆けてくる――瞳に青白い殺気を滲ませる少年が。

 

 一度に十体近い仲間を屠った狩人が――死神が、向かってくる。

 

 ロン毛は、思わず叫んだ。

 

「こ、殺せ! “化け物”ぉ! あのハンターを僕に絶対に近づけるなぁ!!」

「……ぐ……お……お……」

 

 ロン毛は全力で緑の巨体の背後に隠れる。

 

 そして、歯噛みしながら、決意した。

 

 このロン毛は、こんな見た目の通り、自意識が高いナルシストだ。故に、擬態を解除した後の、醜い自分の容貌を嫌う――だが、最早、出し惜しみをしている場合ではなかった。

 

(くそっ、くそっ、くそっ、くそぉぉおおおおおおお!!!)

 

 本当は、この人間の姿のまま、ハンターが狩られる姿を見て愉しむだけの予定だった。

 

 負けるつもりなど皆無だった。苦戦することなど有り得なかった。――こんなことになるなんて、思いもしなかった。

 

 計画は全て崩れた。たった一人の戦士(ハンター)――あの小さな、水色の少年によって。

 

「殺してやる……絶対に殺してやるからなぁあああああああ!!」

 

 そして、金髪のロン毛は擬態を解除し――怪物となった。

 

 渚の前に、緑の大きな怪物と、自慢の金髪の髪を上に向かって伸びる一本の角に変えた醜悪な小さい怪物が立ち塞がる。

 

 その姿を確認し、渚はナイフを持ち変える。

 

(敵は……後、二体!)




家族のために戦う父親の姿に、潮田渚は決意する。

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