比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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オニ星人編 ――続――
もう、俺は――絶対にあなたを死なせはしない。


 

 次から次へと異常に変わる状況に、黒い球体の部屋の混乱は極地に達していた。

 

「何がどうなってんだよ、ちくしょうッッ!! おい!! お前ら、誰か説明しろよッッ!!」

「もう訳が分からん……ワシらは帰れるんとちゃうかったんか!! 一体、何がどうなってるんや!!」

 

 リュウキ君が、平というおっさんが、そして果てはバンダナボーイやストーカー野郎までもが喚き散らす中、桐ケ谷と新垣は顔面を蒼白させ、背後の俺に向かって振り向き、ゆっくりと尋ねてくる。

 

「……ひ、比企谷……これって……」

「今日の……夕方の、あの人……ですよね?」

 

 ……新人達のように喚き散らしてはいないが、桐ケ谷と新垣の内心の混乱具合も似たり寄ったりなんだろうな。故に、この状況を、異常なこの状況を、解明して解説してくれる可能性が最も高いであろう、この部屋の一番の古株である俺に、縋るように問うてくる。

 

「……ああ。そうだな」

「一体、どうなってるんだ? ……なんで急に連戦に……というより、さっきの女の子の指令は何だったんだ?」

「……これから、わたしたち……どうなるんでしょう? ……もしかして、このままずっと帰らせてもらえなくて……いつまでも戦争をやらなくちゃいけないんですか?」

 

 対して俺は、こいつ等と違って混乱はしていなかった。いや、混乱は多少なりともしているが、それだけだ。こいつ等のように、顔面を蒼白させる程じゃない。たぶん、いつもと大して変わらない顔色で――故にこいつ等は、もしかしたらと、俺に縋っているんだろう。

 

 陽乃さんも混乱してはいないようだったが、つい今しがた蘇ったばかりで、状況の不明さ具合でいったら新人達と同レベル――桐ケ谷達以下だからだろう、同様に俺の言葉を待ち、俺の方を向いている。

 

 だが、残念ながら、その期待には応えられない。だから、俺は端的にこう言った。

 

「分からん」

 

 その言葉を受けて、分かりやすく桐ケ谷と新垣は、表情を絶望に染めた。

 

 ……こいつ等にとって、俺は最後の砦であり、頼みの綱なんだろう。

 

 俺がどれだけその役目を放棄しても、その重荷から逃げても――心のどっかでは、自分達よりもガンツ歴が長く、この部屋で長い時間を過ごしている俺ならば、自分達よりも異常な状況に慣れている経験豊富な俺ならば、自分達では手に負えない、理解出来ない事態でも、解決策を知っているのではないか、と。どうにか出来て、どうにかしてくれるんじゃないか――そんな希望を、希望的観測を、どれだけ棄てろと言われても、どうしても捨てきることが出来ないのだろう。

 

 だが悪いが、俺はそんな期待に応えられるような器じゃない。

 

 そんな頼りになる先輩じゃ――有り得ねえよ。

 

「わ、分からないって――」

「言葉の通りだ。俺だって、お前達と同じ、ある日突然この部屋に招集された身分だ。この部屋の創成期から名を連ねていたってわけじゃない。何でもは知らねえよ。知ってることだけだ」

 

 だから――甘えるな。俺にそういうのを、期待すんな。

 

 言った筈だ。俺は宣言したは筈だ。

 

 俺はお前等と必要以上に馴れ合うつもりはない。

 

 だから――自分のことは、自分でなんとかしろ。

 

 こっちだって、自分のことで精一杯なんだよ。

 

「…………」

 

 ……だが、陽乃さんは蘇ったばかりで、今のこの状況がどれだけの異常事態か、さすがに理解が及ばないだろう。

 

 陽乃さんは一回目のミッションで命を落とした――故に、通常のガンツミッションがどのようなものかという理解すら、あやふやのはずだ。だが、今はそれを一からレクチャーしている余裕はない。

 

 よって俺は、桐ケ谷達に、自分なりの見解を告げる形で、陽乃さんに俺達とオニ星人との因縁を軽く教えるように、必要以上に説明口調で話した。もちろん、時間があれば陽乃さんには出来る限り詳しく話すつもりはあるが、とりあえず触りだけだ。

 

「――おそらくは、昨日のこいつ等の乱入と同じような、ガンツにとっても予想外のイレギュラーなんだろう。こいつ等は――あの化け物達は、俺達以上にガンツに詳しく、言うならば踏み込んでいた。だから、こうなることは、遅かれ早かれだったんだ」

 

 俺はこんな感じで分かっている風に宣ってみるが、内心では言う程、達観してはいない。

 

 確かに吸血鬼達――オニ星人達は、遅かれ早かれガンツの標的になっていただろう。

 

 だが、そんな危険分子を、あのガンツが、あんなにも深く踏み込まれるまで標的にしていなかったことも、また事実だ。

 

 オニ星人達は、俺達のことをハンターと呼び、何度も戦ったような口ぶりで話していた。

 

 それはつまり、ガンツ側も何度か戦士(キャラクター)を送り込んだことはあるが、返り討ちに遭った――ということか。そのことで、奴等の強さを警戒していたということか。それで、下手にミッションの標的に出来なかったという――ガンツがそんな気遣いのようなことをするとは、俺にはとても思えないが。むしろ戦士(キャラクター)を使い潰すように、倒せるまで何人でも送り込みそうな気がするが。

 

 だが、もし、そんな風にオニ星人を標的に出来なかった理由のようなものがあるとして――ここに来て急に、予定外のように急遽、オニ星人を標的にした今回のこの事態は、ガンツにとって、あのガンツにとって、やはり不測の事態であるということではないか?

 

 あのガンツにとっても、異常事態ということではないのか?

 

 ……そうならば、もしそうであるならば、これは明らかに放っておいていい事態ではない。

 

 原因の究明が急務だ。このまま流され、何の対策も施さなければ、絶対に俺達にとって――俺と陽乃さんにとっての、命取りになりかねない。それほどまでに、これはヤバい状況だ。

 

 色々な意味でガンツに縛られている俺達は、言うならばガンツと一蓮托生、一心同体だ――文字通りの意味で。俺達はガンツによって生かされ、ガンツに命を握られているのだから。

 

 ……だが、さっき桐ケ谷達に言った通り、俺は今、ガンツにどのような異常事態が襲っているのか、まるで見当がつかない。ガンツ程の規格外を、それほどまでに追い詰めている要因が、まるで思いつかない。

 

 オニ星人が、ガンツにとってそれほどまでに致命的な領域(エリア)にまで踏み込んだのか?

 

 ……それとも――

 

 ………クソ。……こんな時、アイツがいてくれたら……

 

 途中参加者の俺よりも、ガンツ歴半年の俺なんかよりも、それよりもずっと前から、この部屋の住人だった古株の、アイツが。

 

 俺如きよりも遥かに強く、遥かにこの部屋に適応し、そしてきっと、遥かに黒い球体ガンツについて知り尽くしていただろう、アイツが。

 

 カタストロフィという言葉を教えてくれた、俺を庇って死んだ、俺の為に死んで、俺のせいで殺された――あの、生意気で、ぶっ壊れている、〝鬼”の中学生が。

 

 

 中坊が、いてくれたら。

 

 

『カタストロフィは近い。それまでに“彼”を生き返らせて。必ず、彼はあの終焉(クライマックス)に必要になる』

 

 

 ……あの言葉。

 

 正体不明の、真っ白の、中坊と瓜二つの、〝アイツ”の言葉。

 

 アイツのあの言葉は、まるでこの状況を、ガンツの異常を、ガンツが異常に陥る程の異常事態を、予期していたかのような言葉だった。

 

 もし、俺があの100点で、陽乃さんではなく中坊を生き返らせたら――そんな想像(イフ)が過らないわけでもないが、文言は過っても、後悔の気持ちはまるで湧いてこない。

 

 過去に対して思うことがあるとするなら、それは陽乃さんを生き返らせたことではなく、今日、この異常が起こるまでに、陽乃さんと中坊、その両方を、両者共を生き返らせることが出来なかった――200点を稼ぐことが出来なかった、俺の弱さに対してだけだった。

 

 俺は、選択肢を持たない。

 

 例え今、再び、100点メニューの選択の瞬間に戻ったとしても、俺は同じ選択をするのだろう。陽乃さんを選ぶのだろう。

 

 それが、俺にとっての最善で、選び得るたった一つの選択肢だから。

 

 ……ならば、俺がやることは一つだ。

 

 過去に選択肢はない。――向かうなら、未来だ。

 

 

 再び、100点を取る。

 

 ガンツの異常による影響が、致命的になる前に、一刻も早く、再び100点を取る。

 

 

 そして――中坊を生き返らせる。

 

 

 それが、俺の新たな戦う理由で、生きる理由――死に損ない続ける理由付けだ。

 

 

 

「え!? ちょ、なん――」

「!?」

 

 その時、ごちゃごちゃと喚く俺達を黙らせるかのように、新人の一人――バンダナの頭に電子線が降り注ぎ、その頭のてっぺんを消失させていた。

 

 この現象が指し示す事態を理解出来ない者は、最早、ここには誰もいない。

 

「――八幡」

「ええ。ごちゃごちゃ考えている時間はないみたいですね」

 

 これで明確に、完膚なきまでに言い逃れの余地なく、一夜に二度目の戦争――連戦という地獄を、ガンツが俺達に強いるつもりなのは明らかになった。

 

 ならば、やはりやることは、やるべきことは、こんな異常な事態に陥った原因を過去に探るのではなく、更なる地獄を、次なる戦争を、再び生き残る為の準備を整えることだ。

 

 この異常な地獄を、ガンツの無茶振りを、大人しく受け入れることだ。

 

 

 そうすれば、きっと――アイツのようになれる。

 

 アイツならきっと、へらへら笑って受け入れることだろう。

 

 俺と陽乃さんは、黒い球体が仕舞うことなく飛び出したままで放置していた側面のラックから、XガンとYガンを脚のホルスターに差し込み、Xショットガンを取り出す。

 

 流石は陽乃さんだ。迷いがなく、切替えが早い。

 

 やはり俺なんかよりもずっとこの部屋に対する適正――いや、いつでも、どこでも、強者になれて、強者で在れる人だ。

 

 ……だが、油断は出来ない。

 

 相手はあの吸血鬼共だ。そして、ガンツが示す画像が確かなら、間違いなく、あの男はいる。

 

 陽乃さんを倒し――殺した、あの千手観音と、おそらくは同等以上の化け物が。

 

 ……あの男が標的となったということは、やはり、あの男は生きているということだ。

 

 あの時、偽中坊の真っ白野郎が、俺と奴の間に割り込み――俺を、助けてくれた。

 ……あいつは、一体どうなったんだ……?

 

 そんなことがふと頭を過ぎると、その時、反対側のラックの陰にいたあの女子――湯河が、転送の光筋を頭に受けて、恐怖に染まった絶叫を迸らせていた。

 

「い、いやぁぁ!!! やだ! やだやだやだよぉ!! 死んじゃう!! あんなのわたしムリ! ムリだよぉ! ぜったいぜったい死んじゃうよぉおお!!!」

 

 ……恐らく、あんな子供でも――いや、子供だからこそ、先程のゆびわ星人との戦争を生き残れたのは、ただ運が良かったからだということを分かっているのだろう。

 

 それは何もアイツだけではない。ぶっちゃけて言うなら、東条や桐ケ谷のような余程の規格外でもない限り、一回目のミッションを生き残るのは、殆ど運の要因が全てだ。

 

 だから、今回の新人達は、総じて運が良かったとも言える。

 

 だが、運はそうそう自分達の味方で在り続けてくれるものではない。簡単に見放すし、恐ろしく残酷に気まぐれだ。まるで神様のように。

 

“幸運”が続く可能性など、何処にも保障されていない。それを、湯河は、きっと理解している。

 

 二回目のミッションから生存率が上がるのは、心の準備が出来るというのが大きい。だが、こんな突発的な連戦では、それも殆ど働かない。

 

 加えて湯河は、ガンツアイテムの使い方も殆ど理解していないのだろう。今も何も持たず、ただ震えながら、東条の足にしがみ付いているだけなのだから。

 

 まさしく今、湯河由香というあの少女は、地獄へ送られている。その小さな体で、怪物が跋扈する地獄に、たった一人で放り投げられ、放り捨てられようとしている。

 

「………」

 

 だが、だからといって、俺達に出来ることなど、何もない。精々、自分の視界に入った星人を、一生懸命殺すだけだ。

 

 このガンツミッションという戦争は、子守をしながら生き残れるようなものではない。少なくとも、俺にとっては。

 

 そんな邪魔な荷物を、そんな邪魔な命を背負うことなど、まっぴらごめんだ。

 

 俺と同様に、陽乃さんも湯河の叫びに対し何も思わないようだった。ちらっと一瞥した後、すぐに銃の使い方を思い出す為にか観察する作業に移っている。

 

 他の住人達も同様だった。

 平ら他の新人達は、自分よりも遥かに幼い少女の絶叫の御蔭か叫ぶのを止めたが、だからといって何もせずに、そっと目を逸らして気まずげに俯いている。

 

 桐ケ谷と新垣は自身も恐怖を覚えながらも、気丈に湯河に声を掛けようとした――が、渚がそれを手で制し、真っ直ぐにある男に目を向けた。

 

 その目には、信頼と――確かな憧れがそこにあった。

 

「大丈夫だ」

 

 そいつは、そう軽々しく口にした。何の気負いもなく、何も考えていないかのように。

 

 既に消失した湯河の頭を撫でるような手つきで、転んで泣いている子をあやすような言葉で、東条英虎は笑顔と共に言う。

 

 その笑顔は、自分の言葉が描く未来図が脅かされることを、全く考えていない者の笑みだった。

 

 当たり前にそうなるのだという、そう出来るのだという、別次元の頼もしさを、自信ですらない、確信すら及ばない、ある種の傲慢さすら感じさせる、そんな傲慢すら許されている――強者が放つ笑顔だった。

 

「ちゃんと助けてやっからよ」

 

 ぶっきらぼうで、何の根拠もなくて、もしかしたら湯河以上に、この状況を理解していないのではないかと思う程に、それはお気楽な笑みだったけれど――

 

「――嘘吐いたら……許さないから」

 

 そんな言葉を、あれ程に怯えていた、恐怖していた湯河が、震えずに、生意気な中学生のように言えるようになるくらいには、それは力のある強い言葉だった。

 

 強者の、言葉だった。

 

「…………」

 

 そんな東条英虎という男を、俺は半ば、睨み付けるように見ている。

 

 こいつはきっと、ずっと勝ち続けてきた男なのだろう。

 

 その強者の思考が、当たり前のように染み込むまで、当然のように勝ち続けてきた男なのだろう。

 それが傲慢ですらなくなるまで勝ち続けて――それに見合う、その王者のような習性に見合う強さを手に入れて、きっと強者となったのだろう。

 

 渚がその目に憧れを宿すのも分かる。男の子なら誰もが夢見る生き方だ。

 

 だが、渚の目には、それだけではない。

 その圧倒的な強さへの憧れと一緒に、黒い、靄のような感情も、しっかりと宿っている。

 

 それは嫉妬。それは渇望。

 弱者故に、強者を妬む――欲望。

 

 ああ、そうだよな。ずりぃよな。羨ましいよな。

 

 どうして、あの人はあんなにも強いのに、自分はこんなにも弱いんだろう。

 強くなりたい。……“あの人”のように、強く。

 

 まあ、分かる。その気持ちは。そんな気持ちは。

 

 だがな、渚。俺は、そんなお前すら羨ましい。そんな風に、強者に憧れることが出来る――強者を見て、その高みを見て、自分もそこへと足を踏み出せるお前が、この上なく妬ましい。

 

 俺はそんな、綺麗な黒い感情すら、抱くことは出来ないだろう。

 

 俺が抱けるのは、俺の中に巣食うのは、この眼のように、腐って、濁った、ドロドロの真っ黒だけだ。

 

「ぁぁ、ぁぁ、あああああああああああああ!!!!」

「ちくしょう!! ちくしょう、ちくしょう!!!」

 

 そうこうしている間に、ストーカー野郎が、不良野郎共が次々と送られていく。

 

 そんな中、渚は部屋の隅で頭を抱えながら、ガタガタと震え続ける平に向かって歩き、その肩を叩いた。

 平はぶるっと一際大きく体を震わせ、恐る恐る、渚を見上げた。

 

 渚は、そんな平に、強い口調で凛々しく言った。

 

「平さん。立ってください」

「……渚はん。かんにんや……かんにんや……もう無理や……ワシはもう……ワシはもう……」

「平さんッッ!!」

 

 渚は涙を流しながら泣き言を垂れ流す平を叱責するように大声を放ち、そして開けた意識の隙間に叩き込むように、そっと優しく言う。

 

「ご家族の元に……帰るんでしょう」

「ッ!?」

 

 息を呑んで、目を見開く平。

 渚は、そんな平の心に叩き込むように、今度は鋭い目で、両肩を掴んで、目を合わせながら、勇気づけるように言う。

 

「さっきは二人で生き残ることが出来たじゃないですか。だから、きっと今度も、生き残れます。やりましょう、平さん。一緒に生き残りましょう」

「渚はん……ッ!」

「平さん……一緒に――勝ちましょう」

「……せや。せやな! おおきに! おおきにや! 渚はん!」

「…………」

 

 俺は、思わず呆然と見入ってしまった。

 

 ……なんて、巧みに、()()()()()()()()

 

 否、人の心に入り込む、という方が正しいか。

 

 あの無害な草食の雰囲気で相手の敵意を失くし、心に隙間を開け、その殺気でその穴を的確にこじ開け、相手に警戒される前に、相手が欲しい言葉を囁いて、信頼を獲得する。相手の内側に潜り込む。

 

 これは、無意識でやっているのか? それとも意識した技術なのか?

 ……いや、どちらにせよ、恐ろしいことには変わりない。

 

 警戒できない――それは対人において最も恐ろしい才能(スキル)

 陽乃さんの強化外骨格も見事だが、これはまた違ったベクトルで――怖い。

 タイプで言うと、めぐり先輩に近いか……。もし、こいつが、この才能を自覚し、“武器”として使うようになったら……。

 

 果ては詐欺師か――殺し屋、か。

 

 ……いや、今はそんなことを考えている時間はない。

 俺は少し逡巡した末、陽乃さんにあれを案内しようと後ろを向きかけた。

 

「BIMやて!?」

「ええ。こちらの部屋のクローゼットにあるんです。あれなら平さんも使いやすいでしょう?」

 

 その時、後ろからそんな声が聞こえた。

 ……そういえば、平はあの爆弾について知っているんだったか。

 

「……クローゼット? それは何なんだ、渚?」

「あ、桐ケ谷さん。あの部屋にクローゼットのようなものがあって、中にはいろいろな武器があるんですよ」

「へぇ。バイクは気付いたけど、他にそんなものもあったのか」

 

 俺も行っていいか?

 はい、行きましょう。

 

 と、渚は平と桐ケ谷を連れて、その奥の部屋に行こうとした。

 

 俺は目で陽乃さんを呼ぶと、陽乃さんも頷いてついてきてくれた。もう銃は持ったしスーツも着ているので、いつでも転送は可能だ。それならば、ただ黙って待つよりも、あの癖の強いクローゼット武具の中から掘り出し物を探す方がまだ有意義だろう。

 

 ガンツの転送は、殆ど死刑台への連行と一緒だ。そんなのを何もせずじっと待つなんてのは、精神衛生上あんまよろしくないからな。陽乃さんといえど。

 

「何があるの? バイクとか言ってたけど」

「……これも、おそらくは最近になって増えた設備だと思います。前に一度、この部屋に入った時はなかったですから。まぁ、おそらくはガンツの遊び心のようなものだとは思いますが。使いこなすのに心得とかいりそうな、古今東西の武具が収められてるんです」

「……ふーん」

 

 陽乃さんはそう言って妖しく笑う。なんかガンツのラックから銃を取り出した新垣が、俺達の行動に興味を示したかのようにちょこちょことついてきた。少し遠目では東条が一言も叫び声を発さず、猛獣のような笑みを浮かべながら転送されていくのが見えた。

 

「うわ、これはすごいねえ」

 

 そして、あの部屋に入る。

 

 陽乃さんは、やはりというか、まずはあの近未来型デザインのモノホイールバイクに目を奪われていた。後ろからひょこっと顔を出した新垣も同様だ。まぁその気持ちは分かる。確かにこれは、黒い球体やこのスーツや銃よりも、一般的なSFのイメージに近く、そして分かりやすい“未来の技術”だろう。

 

 だが、恐らくは使いこなせないであろう――陽乃さんは一発で乗りこなすかもだが――そのマシーンよりも、俺の用があるのはクローゼットの方だ。

 

 見ると、既に平はあのケースを大事そうに胸に抱えていて、頭のてっぺんにはレーザが照射されていた。

 

「な、渚はん! すぐに来てくれや! 待ってるで!」

 

 ……明らかに中学生くらいの年齢である渚にここまで依存するおっさんの姿は、呆れればいいのか、それともそこまで()()()()()渚を恐れればいいのか、迷う所だな。

 

 まぁ、それはどうでもいい。俺には一切関係ない。それよりも俺に必要なのは、これだ。

 

 俺も同様に――BIMだったか――八種類の爆弾が入ったケースを手に入れる。BIMケースは、人数分とはいかないが、それでも複数個用意してあったようで、俺と渚、そして平が持って行っても、まだ数個残っていた。

 

 本当はもっと持って行ってもいいが、八種類の爆弾が一個ずつの計八個が入っているため、重さはスーツを着ているので問題ないが、やはり嵩張る。機能性を考えると一つで十分だろう。……ゆびわ星人の時に試してみたが、中にはかなり使用状況が限られている奴もあったから、本当は種類別に用意してくれる方が使いやすいんだが。もしくは、自分なりに八個の中身をカスタム出来るとか。

 

 ……そう考えると、ガンツの武器で初めて、弾数制限のようなものも考えなくてはならないのか。XガンもYガンも、そんなものとは無縁の武器だったからな。

 

 それでも爆弾なだけはあって、一気に戦況を変えることが出来るような破壊力はある。応用の利く武器だ。小細工が生命線の俺としては、かなり使い勝手がいい。重宝すべき代物だろう。

 

「へえ~、なるほど、これは面白いね」

 

 すると、バイク鑑賞が終わったのか、俺の左肩に両手を乗せて乗り出すようにして、陽乃さんがクローゼットの中を覗き込む。

 

「ええ。まあ、武術の心得も武器の知識もない俺にとっては、無用の長物も多いですが」

「それでも、なんかいいもの見つけたみたいじゃな~い」

 

 不敵な笑いを向けてくる陽乃さんに、こちらも不敵な笑いを返す。

 

 陽乃さんにBIMを教えようかとも思ったが、八種類もの爆弾の特性を一つ一つ教える時間はないだろうし、なんとなく陽乃さんにはBIMは合わないような気がしている。もちろん容易く使いこなすのだろうが、それでもこの人はこそこそと爆弾で不意討ちするよりは、もっと――

 

「――あ、これなんか、わたし好きだな」

 

 そう言って陽乃さんが興味をもったのは、漆黒の美しい長槍だった。

 

 光沢のある真っ黒な柄に、その先端には黒曜石のような鏃。

 

 それを手に取る陽乃さんは、すごく絵になっていて――

 

「八幡! どうかな?」

 

 振り返って笑顔で問うてくる陽乃さんに、俺は素直に思ったことを伝えた。

 

 この人には……こんなにも簡単に素直になれるんだな、俺は。

 

「綺麗です……すごく」

「え? あ、その、えっと……あり、がと。…………うん。わたし、これにする」

 

 そういって「……ふふ」と頬を染めてはにかむ陽乃さんは、やはり可愛い。

 ……駄目だな。可愛い陽乃さんに癒されている場合じゃない。

 

 すぐにこれから地獄(せんじょう)に送られるんだ。いつも通り――生き残る為に、最善の方法を選択し続けるんだ。

 

 ふと横を見ると、どうやら桐ケ谷が渚にXガンの使い方をレクチャーしているようだった。……というより、これまでXガンの撃ち方を知らなかったのか。桐ケ谷も呆れたような、驚いたような顔をしている。Xガンの撃ち方も知らないで、これまで二度のミッションでどちらでも点数を獲得したのか……。

 

「…………」

 

 そして、転送直前になぜか()()()のナイフを腰のベルトに差し込んだ渚も転送され始めて、残るは俺と陽乃さんと新垣と桐ケ谷。

 

 各々が真剣にクローゼットの中を観察している。

 その間、俺は陽乃さんに、自分が知る限りの吸血鬼――オニ星人の戦闘能力と、そしてあの黒金について話した。

 

 そして、渚が転送されてから二十秒後ほど――

 

「――来たか」

 

 ……俺が、転送され始めた。

 

 ……全部話すことは出来なかったが、今ここでは、吸血鬼がナノマシーンウイルスによって化け物になった元人間だとか、そんな説明はするべきではない。陽乃さんはまだしも、桐ケ谷や新垣は、それを聞いてどうするかは予想できない。碌なことになる気がしない。

 

 桐ケ谷は主力だ。新垣も一体や二体なら問題なく殺せるだろう。働いてもらわなくては困る。俺の――俺達の生存確率向上の為に。

 

 まぁ最低限、話すべきことは話せた。後は――

 

「――陽乃さん。先に行きます」

「……うん。すぐに行くから、待ってて」

 

 俺は転送され尽くすその時まで、陽乃さんと見つめ合い続けた。

 

「もう、俺は――絶対にあなたを死なせはしない」

「八幡。……あなたにもらった、この新しい命は――まるごと全部あなたのものだよ。だから、あなたの為に使うわ」

 

 なぜか、誰かが息を呑んだような気がしたが、そんなことは、次の陽乃の言葉で消し飛んでしまった。

 

 

――もう、絶対に、あなたの許可なく死んだりしない……だから、八幡。

 

 

 

 わたしを、ひとりぼっちにしないで。

 

 

 

 ……ああ、誓うよ。

 

 死んでも守る。絶対に死なない。

 

 

 死なせない――絶対に。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「…………ぅぅ」

「………………」

「…………ふふ」

 

 八幡が転送された瞬間から、この部屋の中には重苦しい雰囲気が充満していた。

 

 極寒の眼差しで陽乃を睨み付けるあやせ。それに対し、まるで何も気づいていないかのように、幸せそうに鼻歌を歌いながらショッピングを楽しむが如くクローゼットの武具を漁る陽乃。そして、そんな二人の黒髪美人の間に挟まれた和人。

 

 時間にして数秒だろうか(和人にはその何倍にも感じられたが)、「……あの」とあやせが呻るように低い声で、陽乃に向かって言い放った。

 

「陽乃さん……と仰いましたか?」

「雪ノ下って呼んで♪ あなたは――」

「………新垣あやせです」

「あやせちゃんか~可愛い名前だね」

「新垣と呼んでください。雪ノ下さん」

「……それで? 何が聞きたいのかな? 新垣ちゃん♪」

(誰か助けてくれぇええええええええ!!!!)

 

 怖すぎる会話の――位置的に――板挟みになってしまった和人は、クローゼットの中に仕舞われている数々の剣――ガンツソードは日本刀のような形だったが、ここには両手持ちの大剣や小太刀、渚が持って行ったようなナイフまで、数多くの刃物がある――を物色していたが、さっさとリビングに戻って大人しく転送を待とうかと思ってしまう程に、居るのが辛すぎる空間だった。

 

「単刀直入に問います。――あなたは、比企谷さんとはどういう関係ですか?」

「『本物』の関係」

 

 あやせの問いに、端的に返した陽乃。

 

 その言葉の衝撃を表すかのように、二人の美少女の頭上に光線が降り注ぐ。

 

 目を見開き叫びかけたあやせに、陽乃はここで初めてあやせの方を向いて、妖しく笑う。

 

「――って、言ったらどうする?」

 

 黒い球体によって、戦場へと転送されてゆく中――

 

――強化外骨格に覆われた中でも隠し切れない何かを放ちながら恐ろしく笑う陽乃を、あやせは憎々しげに、この世の何よりも憎悪するように睨み付け続けていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「……はぁぁ」

 

 こんな安堵は本来不謹慎なのだろうが、たった一人残された和人は、あの二人が転送され終わったことで、ようやく息を吐き出すことが出来た。文字通り、息が詰まる時間だった。

 

 そして和人は、たった一人取り残されたことで、本当にもう時間がないと、再び息を止めて集中し、剣を探す。

 

 こんな場所を見つけたからには、どうしても何か剣を探したい。毎回他の誰かにガンツソードを借りるのは無理がある。ここでもう一本の剣を手に入れて、いつでも二刀流になれるような、万全の状態で臨みたい。

 

 この形も大きさもバラバラな、千差万別の刀剣類の中から、桐ケ谷和人がキリトとなれる剣と、出会いたい。

 

 ALOで使ったような大剣もある。GGOで使った光剣のようなものも先程見つけた。

 とりあえず大剣は背負い、光剣は腰に下げたけれど、やはり今一つ、しっくりこない。

 

 和人が思い描く最強のキリトは、やはりあの鋼鉄の城の呪縛を斬り裂いた、英雄『黒の剣士』――エリュシデータとダークリパルサー、魔剣クラスの二振りの片手直剣を操る姿だった。

 

 ……そういう意味では、日本刀を模したガンツソードは、実のところ理想に近い。

 

 だが、この無数の刀剣類の中にも似たものは幾つもあるが、いまいちどれもしっくりこない。

 選り好みしている余裕などない。それは分かっている。もうこの瞬間に転送されてもおかしくはない。

 

 こうなれば、同じような形状なものを適当に――

 

「――っ! これは……」

 

 乱雑に一つの黒い樽のようなものの中に無数に立て掛けられていた刀剣類の中、偶々目についたそれに、和人の手は引き寄せられた。

 

 それを手に取り詳しく観察したわけではない。クローゼットの中は薄暗く、武具類は総じて真っ黒なカラーリングである為、パッと見では詳しい形状も分からなかった。

 

 だが、和人は吸い寄せられるように、それを手に取った。

 

 色は例に漏れず黒い。だが、他の武具類のようなSF調のシンプルな形状のそれとは違い、その剣は――まるで宝物のように、まるで宝剣のように、荘厳な装飾がされた直剣だった。

 日本刀のように片刃ではなく、両刃刀。だが、刀身は大剣のように巨大ではなく、すらりと伸びたロングソード。これなら問題なく片手で扱えるだろう。

 

 ゾクゾクっ、と、何かが走った。

 キリトが数々の激戦を潜り抜けてきた、数多のVR世界において、常にその戦いで、剣士キリトの相棒として戦ってくれた、歴代の相棒達。

 

 ダークリパルサーや、エリュシデータ、そして聖剣エクスキャリバー。

 

 それらを初めて掴んだ時と同様に、和人の中で、何かが嵌るような感覚がした。

 

 欠けていた何かが埋まるような、剣士として、必要な部品を嵌めこんだような。

 この剣を手にすることで、己が完成されたかのような、そんな、思わず口元が緩んでしまうような感覚。

 

 持ち上げる。

 重い。

 ガンツスーツを着ているのに、ズッシリと剣の重さが伝わってきた。だが、だからこそ――いい。重い剣が好みの自分にとっては、とても心地よい重さだ。

 

 柄と一体構造の刀身。深い、深い、黒。まるで光を取り込む影の如き――全ての光を映えさせる夜空の闇の如き、美しい黒。

 

 光すらも、斬り裂いてしまうような、鋭い――黒。

 

「…………」

 

 和人は、その黒に魅せられ――呑まれていた。

 

 終ぞ、和人は己がその剣を手に取った瞬間に、頭上に転送の光線が降り注いだことに気付かなかった。

 

 ただただその剣を見つめ、見蕩れ、見惚れ、そして――

 

 そして――

 

 

 

 

 

 そして――誰も、いなくなった。

 

 

 

 

 

 黒い球体に、ゆっくりと、文字列が浮かび上がる。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

【いってくだちい】

 

 

 

【1:00:00】ピッ

 

 

 

 

 

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【0:59:59】ピッ

 

 

 

 

 

【0:59:58】ピッ

 

 

 

 

 

【0:59:57】ピッ……

 

 

 

 

 

 ピッ……じ……じじ…………じじじ………

 

 

 

 じじじじっじじじじじじじじじっじじじじっじじじっじじっじじじっじじじじじじじじじじじじっじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじっじじじじじじじじじじじっじじじじじっじじじじじじじじじじじじじじじじじじ――

 

 

 

 ピッ。

 

 

 

 文字列が、球体の中に、吸い込まれる。

 

 

 

 

 

 そして、黒の球体は――――時を数えることを止めた。




比企谷八幡は二度と失わないことを誓い、刻み――戦場に向かう。

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