ゆびわ星人は、全部で八体だった。
十メートル級の、もはや巨人と呼ぶべき怪物が、八体。それに相応しい巨躯なる巨馬が八頭。
その八組の騎馬軍団に和人と東条と八幡が突っ込み、残りのメンバーは一斉に逃げ出したが、やはり三人で八組を抑えるのは不可能だった。
結果として、あっという間にそれぞれチリジリとなり、既に初めに和人が叫んだ作戦は続行不可能となっていた。
更に各陣営とは和人がどれだけ大声で叫んでも声が届かない程に距離が離れてしまっていて、和人が全員に指揮を送ることも出来ない。
ミッションが始まって数分で、チームプレイは不可能な状況に陥ってしまった。
これが、桐ケ谷和人のリーダーとしてのデビュー戦だった。
「………」
だが、和人は、そんな窮地に速攻で追い込まれても、一切動揺せずに目の前の敵を見据えていた。
始めから、全員の状況を完璧にコントロール出来ると思っていたわけではない。そんな状況を夢見て、リーダーの役割を買って出たわけではない。
桐ケ谷和人は、そこまでこのガンツミッションという
既に和人の頭の中は――目の前に君臨する“二体”のゆびわ星人をどうやって打倒するかということに使われていた。
「お、おい! 大丈夫なのかよ!」
和人の後ろから聞こえるバンダナ男の声。
どうやら逃げ遅れてしまったらしく、物陰から和人に安否を問う声を飛ばしている。その問うた安否は、自分のものか、和人のものかは分からないが。
バンダナがここに取り残されているということは、新人達もそれぞれバラバラにばらけてしまっているのだろう、と和人は頭の隅で思考するが、
リーダーを目指すことを決意しようとも、やはり和人の適正は『剣士』――断じて指揮官ではない。
敵を前にすれば、それを屠ることに全てを懸ける――孤高のソロプレイヤーとしての『キリト』が露わになる。
「――ああ。だから、アンタはそこにいてくれ」
和人の手には、既にガンツソードが携えられていた。
目指すべきは安定した力を持つ攻略ギルドの育成――その為に、一人でも多くの生存者を残す為に、今、自身が考慮すべきことは。
一秒でも勝利。そして、仲間と――何よりも
それだけがすべての、
脳裏に浮かぶは、倒れ伏せる愛する女性の顔。
彼女は、果たしてあの後、無事に警察に保護されたのだろうか――それとも、奴等に――
「――――ッッ」
ギリッ、と和人は歯を強く、強く食い縛る。
彼女の安否を確かめることも、助けに向かうことも、今の自分では何も出来ない。黒い球体に戒められている、囚われの
今、自分がすべきことは、為すべきことは、目指すべきことは。
一刻も早いミッションのクリア。一秒でも早く、この目の前の
仮初だろうと、一時的だろうと、何でもいい。
帰らなければ――アスナの元へ。
「うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」
そして、『黒の剣士』は、二頭の巨大な騎士へと挑む。
ブンッ! と調子を確かめるように、剣を一振り――そして、そのまま、雄々しい気勢と共に地面を踏みしめ、駆け出した。
それが合図だったかのように、ゆびわ星人達も和人に向かって猛進する。
ブォォォオオン!!!! と、右のゆびわ星人が手にもった斧を和人目がげて斜めに振り下ろした。
その巨躯から繰り出される一撃は、風切り音だけでも人を殺傷できるかのような迫力に満ちている――が。
ザバンッッッ!!!! と、漆黒の剣が閃いた。
ガランッ!! と、
うわあ! というバンダナの悲鳴を背中に、和人は足を止めず、そのまま二頭のゆびわ星人に向かって駆けていく。
「ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!!!!!」
二頭の漆黒の騎士と黒の剣士が、夜の六本木の街で轟音と共に激突する。
桐ケ谷和人の――剣士の雄叫びと共に、黒の剣閃が流星のように戦場を縦横無尽に駆け巡り続けた。
+++
病院の清潔感溢れるリノリウムの床を、走らないように、だが全速力で進む。
受付で聞いた部屋番号はもう目と鼻の先だ。
そして辿り着くと、扉の前で逡巡することすらせずに、足すら止めずにすぐさまスライドさせて中に入る。
「アスナ! いる!?」
よく考えればいるに決まっているのだが、勇ましく病室――一応明記すれば個室だ――に乱入した少女、篠崎里香、通称リズベットは、そんな自分の言葉の真偽を一刻も早く確かめるべく、部屋に入った後も一切スピードを緩めることなくカーテンに隠れたベッドの方へと向かう。
そして目的地に辿り着くと、ベッドの上の目的の人物――だけでなく、その周りに
ベッドの上で上半身を起こす少女――
「リズ……来てくれたんだ。ただの検査入院だから、そんな大袈裟にしなくてもいいのに」
だが、その表情は無理矢理作っているようなことが丸わかりで、リズベットは唇を噛み締めながら、シリカがいる窓際のベッドサイドへと歩みを進める。
「……っ。バカ言ってんじゃないわよ! アンタ大丈夫なの!? なんかヤバい事件に巻き込まれたって聞いたけど!」
今日も普通に学校から帰宅して自宅でのんびりしていたリズベットの携帯に連絡が入ったのは、夕食を食べ終えた直後くらいの頃だった。
お風呂に入る前に少しALOで何かのクエストでもこなそうかと思っていたまさにその時のシリカからの連絡だったので、ちょうどいいシリカも暇なら誘ってみようかなんて気軽な思いで電話に出たら――
『大変です、里香さん! 今、直葉ちゃんから連絡があって……アスナさんが――』
自分がショートパンツとTシャツというラフな家着だったことも忘れて、ただ財布だけを持って携帯を耳に当てながら家から飛び出した。
アスナが何者かに襲われ、病院に運ばれた。
その衝撃的なニュースは激情家な面もあるリズベットを突発的な行動に移させるには十分すぎる程の発火剤だった。
親友のアスナの一大事。それだけでも彼女の心を掻き乱して余りある悲報だが、ここにいるメンバーの顔がこれほどまでに暗いのは、そして被害者であるアスナ本人がここまで憔悴しているのには、他にも理由があった。
リズベットの言葉に何も答えず俯くアスナから、彼女はそっと直葉に目線をずらす。
直葉は顔を落としながら、そっと手に持つ携帯端末を覗き込んだ。
『――ごめんなさい……。
そう、アスナの彼氏であり、ここにいる全員の想い人――桐ケ谷和人の消息の不明である。
アスナ曰く、自分が謎の黒服の集団に下校中突然襲われた時、一緒に和人がそこにいた――というよりも、黒服の集団は明らかに和人を狙っていたそうなのだ。
そして倉庫内に逃げ込み、銃を乱射され、遂に逃げきれないことを覚悟した時――その倉庫の天井が倒壊したという。
アスナはそこで気を失い、目が覚めた時には警察の人に保護されていたが――その時には黒服の集団は影も形もなく、キリトも姿を消していた。
「……わたしが警察の人に助け起こされた時、わたしの周りだけぽっかりと瓦礫が落ちてなかったの。……たぶん、キリトくんが助けてくれたんだと思う」
そして、黒服の集団、更に黒服の集団に
(――キリトが、アスナを守る為に、一人でその黒服の集団を引き付けて逃亡している……)
シノンも、リズベットも、そしてシリカや直葉も、何よりアスナ自身も、その可能性には思い至っていた。
特にアスナは、あんな瓦礫群を自分を庇って受けたのなら相当な大怪我をしているのではないかと気が気ではない。
しかも、あんな拳銃を容赦なく乱射してくるような恐ろしい集団と、今も彼は、たった一人で立ち向かっているかもしれないのだ。
……ギュッ、と。布団を力強く握りしめる。
涙を浮かべて唇を噛み締めるアスナに、直葉がそっと申し訳なさそうに告げる。
「……ごめんなさい、アスナさん。私がユイちゃんを借りていなければ……もしかしたら、もっと早く助けを呼べたかもしれないのに……」
『ごめんなさい、ママ……』
直葉がユイを預かったのは、本来アスナを怒らせ不安にさせたということに対する兄――和人プレゼンツの埋め合わせデートへと出掛ける予定だった二人を気遣って、二人きりにしてあげようというユイと直葉、娘と妹の優しい心遣いだった。
それが、まさかこんな事態になるなんて……と、二人は責任と罪悪感を覚えて俯いていたのだが、アスナがそれを眉尻を落とした笑みを浮かべながら力無く首を振って否定する。
これは心情的な問題ではなく実際的な問題として、あの場でユイがアスナやキリトの端末にいても、どうしようも出来なかっただろうと思う。
それほどまでに戦力差は絶望的で、状況は悲劇的だった。
奴等は周辺に民家があるあの立地条件で、容赦なく、躊躇なく銃を乱射していた。
それは、最悪――かどうかは分からないが――警察が駆けつけて来ようとも構わないという、一種の潔さのようなものを感じさせた。
そんな相手に対し自分達は完全に詰んでいて、こうして生き残れたのは間違いなく奇跡だった。
――否。やはり、そのような想像は、楽観的というか、妄想的だろう。
なぜなら、奴等の狙いは間違いなくキリトだったのだから。
こうしてキリトの無事――どころか消息すら不明な以上、奴等は未だにキリトを追っていて、場所を移動しただけか、もしくは――
――既に和人は奴等に捕えられていて、黒服の集団はその目的を達成しているか、だ。
「――――ッッ!!」
アスナは何故その答えにすぐに辿り着けなかったのかと思う程に、その想像は的を射ているような気がした。
キリトは少なくとも落下する瓦礫をその身に受けた程のダメージを負っていて、周囲には逃げ場などないように黒服の集団が待ち構えていたのだ。――逃げ切れたと思う方が難しい。
己が無事なのは黒服達にとって自分が全く持って価値を持っていないからで、既に
その場で殺さなかった理由は不明だが、裏を返せば、キリトはいつ殺されてもおかしくない、そんな連中に拉致された――ということになる。
……なぜ、キリトがあんな集団に追われていたのかは分からない。
だが、ただ一つ言える、確かなことは――
「――
想い人が、最愛の男性が、大好きな恋人が命を懸けて自分を守ってくれていた――その時。
「……わたしは、キリトくんに……何もしてあげられなかった……キリトくんの……足を、引っ張ることしか……できなかった」
ポタ……ポタ……と、涙が布団に落ちる。
VRMMOの世界とは、何もかもが違った。
実際に、真正面から、生身で受ける――殺意。
銃声。怒声。命を狙われるという体験。命を狙われているという空気。
足が竦んだ。悲鳴が零れた。涙が溢れて、頭がおかしくなりそうだった。
怖かった。恐ろしかった。怖くて、恐くて――でも、それでも。
――それでもキリトは、そんな中でも必死に、自分を守ってくれていた。
本当に命を狙われていたのはキリトだ。こうして自分の身体は無事なのだから、奴等は徹頭徹尾、キリトだけを狙い、キリトは常に狙われていた。
それでも、キリトは、自分の身ではなく、最後までアスナを守ることに終始していた。
『俺の命は君のものだ、アスナ。だから君のために使う』
(……あの時と……一緒だ……っ)
クラディールを殺せなかったあの時と、自分は何一つ変わっていない。変われていない。
キリトに助けてもらうばかりで、守ってもらうばかりで、自分は、全然、彼の隣に立てていない……。
「で、でも、警察の人達も、キリトさんを探してくれているんですよね!」
「そんなにど派手なことをやらかした連中なら、きっとすぐに見つかるわよ」
『わたしも! パパやその黒い服の人達の目撃情報がないか、もう一度探してきます!』
「……大丈夫です。お兄ちゃんなんですから。……絶対に、生きてます!」
シリカが、シノンが、ユイが、直葉が、アスナに声を掛ける。
リズも、アスナの布団を力強く握りしめている手を、上から、そっと握った。
涙目で顔を上げるアスナに、リズはそっと笑みを返しながら、心中で憎たらしいあの男に語り掛ける。
(……なにやってるのよ、バカキリト。……どこで道草食ってるのか知らないけど、さっさと戻ってきなさい。……これ以上アスナやあたし達に……心配、かけんじゃないわよ)
――だからさ、アイツが本気で戦わなくちゃならないようなシーンは、もう来ない方がいいんだよ。
……ギュッ、と。
なぜか、急に沸いた妙な不安を誤魔化すように、リズはアスナの手を、更に強く握った。
次回は渚サイドへ。