比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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今日は意地でも零時投稿。


川崎大志は化物のように雄々しく、人間のように悲しく咆哮する。

 

 夜になり、徐々に不健康な色合いのネオンが照らし出すその街道に、怪物の口のようにぽっかりと、地下の暗闇へと繋がる階段があった。

 そこをかつかつと下り、地下通路のような廊下を進んだ先にある重厚な扉の向こうには、普段はライブハウスとしての仮面を被っている――とある怪物達の根城の一つが存在する。

 

 金髪のホスト風の男――氷川は、勝手知ったるその場所に向かって悠然と進み、扉の前にいる黒服の男に話しかけた。

 

「おい、篤はいるか?」

「……いえ、篤さんは斧神さんを連れて、どこかで会合を開いているようで――」

「はっ。十中八九、俺達の単独行動の件だな」

 

 そう言って笑う氷川だが、内心ではそれを見越しての来訪だった。

 篤は常々、自分と黒金のハンターを挑発するような奇襲行動を良く思っていなかったし、そもそも真面目なあの男はこのような場所のアジトにはあまり足を運ばない。なので、このアジトは基本的に自分や黒金のグループのみが使用している。

 

 そもそも、“日常(おもて)”の生活を重んじる篤達と、“戦争(うら)”の生活に愉しみを見出す自分達とでは、基本的に反りが合わないのだ。

 それでも表面上は同じ組織に属しているのは、自分達が数の少ない同種族であるからに他ならない。

 

 だが、こんなことを続けていれば、いつか本格的に奴等と敵対する日も近いのだろう――と氷川は思う。それでも、このスタンスを変えるつもりは氷川にはないが。

 

 この氷のように冷たいアイスブルーの瞳の青年の目的は、(ひとえ)に強い敵との血が沸くような熱い殺し合い――その相手は、何もハンターではなく、同種の強者でも、氷川は一向に構わないのだから。

 

「そうか。なら邪魔するぜ」

「あ、でも、氷川さん!」

「ああん?」

 

 扉を開けようとした氷川に、門番のような役目を果たしていた黒服の男が慌てて詰め寄る。

 訝しげに問い返した氷川だが、既にその手は扉を開けていて――

 

「中で、今……黒金さんが――」

 

 そんな男の声を背中で聞いた、氷川がその部屋の中で見た光景は――

 

 

 

――一体の吸血鬼による、拷問のような凄惨なる調教現場だった。

 

 

 

「――おう、氷川か」

 

 氷川の目にまず入ったのは、巨大な背中だった。

 振り向いたその顔には、いつものトレードマークのサングラスは装着しておらず――その代わりに、片目を潰す生々しい縦一文字の傷を負っていた。

 

 自分と同格の最高幹部の吸血鬼――黒金は、爛々と片目を文字通り血走らせ、口元を醜悪に歪ませながら、氷川の来訪を獰猛な笑みと共に歓迎した。

 

 そして黒金がこちらを振り向いた為、奴の大きな背中に隠れていたその少年が露わになる。

 

 それは、両腕に鎖を繋がれ、上半身の衣服を剥かれて、その若々しい肌に無数の蚯蚓腫れを描かれ、屈服させるように跪かされていた、自分達と同じ――同種族の、吸血鬼の――

 

 

「……ひ、かわ……さん」

 

 

 

――川崎大志だった。

 

 

 

「……これはどういうことだ? 黒金」

 

 氷川は煙草を取り出し、咥えて火を着けながら、黒金の元へと歩み寄る。

 

 対して黒金は、その狂気の笑みのまま、大志の頭を乱雑に掴み上げて言った。

 

「……う、ぐっぁ!」

「コイツはな……敵のハンターに、“ここ”の情報を漏らしやがったのさ……そんで、ちょっとお仕置きをな」

 

 このライブハウスは、大志が八幡に情報として話した、あのセミナーの地下に当たる場所だった。

 

 今日の学校帰り。

 塾へ行くと家族に嘘を吐いてこのアジトへと足を運んでいた大志は、黒金が負傷して帰還した途端、彼のグループの吸血鬼に問答無用で縛り上げられ――今に至るまで、こうして拷問を受けている。

 

「……本当か、大志?」

 

 氷川は無表情で大志に目を向ける。

 昨日の狩りの時間――敵のハンターの中に、大志の知り合いの人間がいたことは、氷川も知っている。

 そして、その知り合いのハンターを黒金が気に入り、今日、日常(おもて)の時間に襲撃を行ったことも。

 

 そんな黒金の負傷は、その片目の傷は――こちらの襲撃を予測したハンターに返り討ちに遭ったが故のものならば、幹部に怪我を負わせた原因であると、殺されても何も文句は言えない。

 

 黒金グループの、黒金へのその忠誠心は、それほどまでに――危険な意味で、篤い。

 

 だが、大志は黒金グループではなく、氷川グループの人間だ。

 氷川が見つけ、保護した同種だ。

 

 だから、ここで大志がそれを否定すれば、氷川は大志を庇うことが出来る。

 その時は氷川と黒金が対立することになるが――氷川は黒金を論破する自信があった。

 

 なぜなら、この黒金の行為は、完全に八つ当たりであり憂さ晴らしでしかない。

 例え襲撃が予測されていようとも、それを含めて圧倒出来なかった黒金の力不足であり、そんな黒金が弱かったというだけなのだ。

 

 黒金も、そして氷川自身も、戦闘狂を自負する人種――吸血鬼だ。

 

 それ故にこと戦闘において、そんなみっともない真似をすることは許されない。

 

 リーダーとして――そして、一人の――一体の化け物、吸血鬼として。

 

 強さを純粋に追い求め――人間ではなく、吸血鬼として生きることを選んだその姿勢に、その生き様に、彼等の部下達は惚れたのだから。だからこそ彼等は、自ら選んだリーダーに尽くし、付いてきているのだから。

 

 だが、大志は、氷川の冷たい眼差しから目を逸らすように俯きながら、こう小さく返答した。

 

「……はい。……事実っす」

 

 それに対し、氷川は――

 

「――そうか」

 

 とだけ言い、そのまま壁際まで向かい、背を着け――その拷問を見学する姿勢を見せた。

 

 その行為に――返答に対し、黒金は笑みを深め、大志は表情を変えなかった。

 

 元々氷川がそういう吸血鬼であるということは、黒金も、そして大志も理解していた。

 

 氷川は決してリーダー向きの性格では――性質ではない。

 どこまでの一人の戦士であり、強さを、強い敵との戦闘を追い求める戦闘種族だった。

 

 こうして幹部の位置にいるのも、自分のやりたいように行動する為に唯我独尊を謳うことが出来る程の強さを追い求めた結果として手に入れた戦闘力と、そんな氷川の姿勢や持ち合わせていたカリスマ性に惹かれて彼の元に吸血鬼が集まったが故である。結果として、一大勢力を築き上げてしまっただけだ。

 

 つまり、自ら求めた権力ではなく、気が付いたら手に入れてしまっていた肩書きなのだ。

 

 故に氷川には、部下というものにほとんど執着はしない。

 今回の大志の行動を責めはしないし、その代わり過剰に庇いもしない。

 黒金の情けない行動には気に食わないが――言うならばそれだけで、大志に対して思うところは――ほとんどない。

 

 だから黒金と大志は、むしろこうして氷川が見学の姿勢をとったことにこそ微かに疑問を持った。

 普段の氷川ならば、さっさと素通りして興味すら失くすと思っていたからだ。

 

 黒金が大志を殺すのを阻止する為だろうか。痛めつけるのは許可するが、殺すまでは許さないと――“あの”氷川が。

 

 まさかな、と思う黒金だが、思い返せば、納得できなくもない要素も、なくもない。

 

 何故なら大志は、“あの”氷川が自分から引き連れてきた同種であり、自分の狩りにも時折同行させ、“血”を分けてやるほどに面倒を見ていた部下だ。部下で、仲間だ。

 そんな吸血鬼は、四大勢力に数えられている氷川グループの中にも、例がない。それは氷川に心酔する氷川グループの同胞達の嫉妬の対象となるほどに、まさしく異例のことだった。

 

 大志に対し氷川が何か特別に感情移入するような理由でもあるのかと思ったが、それ以上は別派閥の事情だ、自分には関係ないと、黒金は断じた。それに、元より殺すつもりはない。

 

(殺すつもりは、な)

 

 黒金は歪んだ笑みを浮かべながら、大志への調教を続行する。

 

「なぁ、大志。俺自身は、お前のチクリを特別とやかく言うつもりはない。氷川の“目”が言う通り、この片目をやられたのは俺が弱いからだ――だがなぁ、それじゃあ俺の部下が納得しねぇ。それで、だ――」

 

 よく言う。と、氷川は思った。

 本当に止める気になれば、黒金自身が一言いえば誰しも納得するだろうに。納得は出来なくても、言葉や行動で不満を現す者は皆無だろう。

 

 氷川グループとは違った意味で、良くも悪くも黒金グループも、リーダー第一主義なのだから。

 リーダーである黒金に“魅了”され、集まった吸血鬼集団なのだから。

 

 だが、氷川はそれでも、黒金の前半の言葉に嘘はないようにも思えた。

 大志の密告を、この吸血鬼(おとこ)はまるで何とも思っていない。微塵も恨みを持っておらず、気にも、歯牙にも留めていない。

 

(……ならば一体、何が目的だ?)

 

 そして黒金は大志に、傍らに控える自身の部下から受け取った――一本の注射器を見せつけた。

 

「……それ、は……っ?」

「なぁ、大志――」

 

 黒金は、大志の頭を引っ張り上げ、顔を近づけながら――牙を見せつけながら言う。

 

 

「“擬態解除”――って、知っているよな」

 

 

 その言葉を聞き、大志は身を震わせ、氷川はぴくっと硬直した。

 

「俺達のこの状態(すがた)は、いわば人間に“擬態”している状態だ。ナノマシーンウイルスによって体が吸血鬼に創り変えられ、その状態に適合していくと、徐々に吸血鬼としての“本来”の力を目覚めさせていく。――そして、個々に異なった“能力”を手に入れる。異形の身体と引き換えにな」

 

 それは擬態を解除し――化け物としての“本来の姿”でのみ振るえる力。

 

 化け物としての、本来の力。

 

「俺が“雷”の力を使えるように……氷川が“氷”の力を使えるように……その力は千差万別だ。“炎”の力、“変身”の力、“岩石”の力、“察知”の力。それぞれが、それぞれの異能を手に入れ――俺達は本当の意味で吸血鬼となる」

 

 異形の体。異能の力。

 

 そして――取り返しのつかない、異常な化け物になる。

 

 もう、どこにも、引き返せなくなる。

 

「――だが、この異能の力は、発現するまでどんな能力が目覚めるか分からんのが悩みの種だ」

 

 黒金は大志の頭を乱雑に放しながら立ち上がる。

 そして上から見下ろすような恰好で、相変わらずの歪んだ笑みのまま大志に語り続ける。

 

「誰だって自分が一番欲しい能力を発現させたいよなぁ。だが、こればっかりは宝くじみてぇなもんだ。そもそも能力が発現するタイミングすらバラバラだ。吸血鬼になった瞬間にもう持ってる奴もいれば、何年経っても発現しねぇ奴もいる。――だが、伊達に吸血鬼も歴史があるわけじゃない。ふふ、いるんだよ。代々、この“異能”を研究してる、物好きなインテリ吸血鬼共が。……そして、これが――」

 

――その、研究成果って奴だ。

 

 そう言って黒金は、蛍光灯の光で、その注射器を照らす。

 

 ここまで説明されてやっと氷川は黒金の意図を察し、同じく答えに辿り着いた大志も――顔を青褪めて、ぶるぶると震え出した。

 

「……い……いやだ…………」

「これは“ある”異能が発現し易いように体内のなんちゃらっとかいう何かを調整するっていう“魔”薬(ヤク)だ。まぁ、小難しいことは知らねぇが」

「……いやだ……いやです……やめて……やめてください……っっ」

「心配するな。遅かれ早かれ発現するものを、ちょっと早めて、ちょこぉっと欲しい能力に“誘導”するだけだ。死にやしない。まぁ実際に使うのは初めてらしいが。大丈夫だ、頭いい奴等を信じろ」

「いやだぁぁぁぁぁあああああ!!!!!! やめて!! やめろ!! やめてくれぇぇえええええ!!!!」

 

 大志は必死に抵抗し暴れ狂った。だが、そんな抵抗も両手に繋がれた鎖をガシャンガシャンと鳴らすだけで、何の効果も生まなかった。何も変えることは出来なかった。

 

 結局、大志の末路は、不変だった。川崎大志は、どこまでも不幸だった。

 

 大志は、黒金の腕力で頭を掴み上げられ、そのまま地面に叩き伏せられる。

 

 その衝撃と激痛で視界が火花を散らしたかのように真っ白になった時、自分の腕に注射器が突き刺さっているのが垣間見えた。

 

(――いやだ! いやだ! いやだいやだ! 俺はまだ“あっち側”にいたい! ――人間でいたい!)

 

 大志の脳裏に、沙希の顔が、京華の顔が、愛すべき家族の顔が――笑顔が()ぎる。

 

 そして、小町の笑いかけてくれる顔が、八幡の不機嫌そうな仏頂面が――遠ざかっていく。

 

 過ぎ去って、遠ざかって、いなくなって――

 

(いやだ!! いやだいやだいやだいやだいやだッッッ!!)

 

 

――俺を………置いていかない

 

 

 

 ドクン! と、大志の身体の奥で、何かが脈動した。

 

 

 

「――――ぐ、ぅぅぅうううううううう!!!!」

 

 大志が呻く。歯を食い縛り――吸血鬼の牙を、剥き出しにして。

 

 黒金はほくそ笑み、氷川はただ無表情で眺めていた。

 

 そして、一際強く、ドクンッ! と、再度脈打つ。

 

 大志の中の何かが暴れ狂う。大志は大きく仰け反り――化け物のように絶叫した。

 

 

「ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 その咆哮は、地下の防音のライブハウスの中に、雄々しく――そして、悲しく轟いた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 赤いサイレンが暗闇を切り裂き、白と黒のカラーリングの車が行き交う路地裏。

 

 突如、何者かに破壊された住宅と塀と街灯。

 その原因を調査すべく遅まきながら現れた国家権力から隠れるように、更に細い細い路地裏をひっそりと進む――白い少年。

 

 否、その白い少年の白さを際立たせていた白いパーカーは、少年の失った右手から零れ落ちる血液によって血痕の道筋を作ることを防ぐべくグルグルに包帯代のように巻かれていた。

 

 白かった少年は、この暗い夜の闇に紛れ込むように、黒いインナーを外界に晒して壁に凭れるようにして歩いていく。

 

「あっはは、こりゃあダメかな~」

 

 死んじゃうかな~と、少年は、脂汗を流しながら呟く。

 右手に巻かれた白かったパーカーは、見る見るうちに赤く染まっていき、それと反比例するように少年の視界は霞み、顔から色素が抜けていき青白くなっていった。

 

 その時、ザッと。

 少年の行く手を遮るように、街灯すらないこの路地裏――というより抜け道の前方に、何者かが立ち塞がっていることに気付いた。

 

 警察官だったら面倒くさいな、と思いながら、少年は顔を上げる。

 

「あらあら、随分やんちゃしてきたのね。気を付けなくては駄目じゃないの。私達はあの方達と違って、弱くて、弱くて、弱弱しいのだから」

 

 その暗闇に佇む女性は、着物姿の艶やかな黒髪の美女だった。

 高貴な雰囲気を身に纏い、明らかにこのような裏路地に相応しくない身なりであるにもかかわらず、むしろその闇すらも支配するような、圧倒的で絶対的な存在感の持ち主だった。

 

「……ごめんね、はしゃいじゃったよ。あまりにも彼が頑張っているからさ」

「ふふ、本当にあなたは彼が好きですねぇ」

 

 大ファンなんだよ、今度会ったらサインもらうって決めてるんだ。

 あらあら、その時は私の分もよろしくお願いしますね。

 

 と、そんなことをクスクスと言い合いながら、少年は婦人の元に辿り着く。「それでは、行きましょうか」と、婦人は少年に手を貸すことなく、ただ迎えに来た母親のように前を歩き出した。

 

「――そういえば、彼は“どっち”を選ぶと思う」

「私としては、あの子を選んでもらわなくては困りますよ」

「……僕としては、彼を選んで欲しいんだけどねぇ」

 

 ふふ、ならば賭けますか?

 ……止めとくよ。僕は彼と違って、あらゆることで勝てた試しがないからね。

 

 そんな風に、まるで親子のように言葉を交わし合う両者は、真っ暗な裏路地を真っ直ぐに歩いて行った。

 

「そういえば、行くってどこへ?」

「決まっているでしょう」

 

 そうして、婦人は気品を感じさせる笑みで言った。

 

 

「お仕事ですよ」

 




次回からゆびわ星人ミッションを、各主要メンバー視点でお送りします。

そして、六本木のガンツミッションの裏で、動き出す各陣営の不穏な空気をお楽しみください。

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