比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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前回説明すべきことでしたが、この作品では須郷は逮捕される前に菊岡が秘密裏に回収し『組織』に流したということになっています。説明不足で申し訳ありませんでした。

それと、笹塚は出しましたがネウロは出しません。魔人やべるぜの悪魔などは出しませんのでご安心を。


少女は、少年の逆鱗に触れ、『本物』を見出す。

 

 俺は天使姉妹を姉(ルリ姉?)に送り届けた後、すぐに逃げるように立ち去った。

 

 ……おいおい、半年ぶりの新メンバーで、半年ぶりの生き残りに、なんで昨日の今日でばったり街で遭遇してんだよ。どんな超展開だ。ガンツメンバーの千葉民率高すぎだろ。 ガンツは千葉に恨みでもあんのか? それとも千葉が大好き過ぎるのか! 俺かよっ!

 

「あっ、ちょ、ちょっと、待ってください、比企谷さん!!」

 

 後ろから美少女ボイスが聞こえるが気のせい気のせい。きっと俺じゃない別の比企谷さんだ。残念だったな、ここで振り向いたら、あれ……? お前じゃないんだけど……呼んでないんだけど……って気まずくなるパターンだろ。もしくは、はぁ? お前じゃねぇよ、お呼びじゃねぇんだよ、あぁん? ってメンチ切られるやつだろ? 知ってる、知ってる、とっくの昔に学習済みだ。ところでなんであれ、メンチっていうんだろうね? メンチカツにでも恨みがあったのかな? ったく、うるせーな。おい、比企谷呼んでっぞ。

 

「比企谷さんっ!!」

 

 って現実逃避してる間に追いつかれちゃったよ。俺は新垣に腕を掴まれた。

 ……くそ。こんなところで関係者に出くわすなんて想定外もいいところだ。出来るならこいつらとは一生関わり合いになりたくなかったのに。

 

 本当はスーツの力で逃げようかとも思ったが、曇りとはいえまだ周囲は暗くなってないし、人通りもまったくないというわけじゃない。……見つかる危険性は、低いとはいえない。

 

 もう一つの要因はコイツだ。

 昨日も思ったが、こいつはかなりの美人だ。少なくとも、道行く人間が一瞬でも目を奪われないというのは在り得ないくらい。男でも、女でも、大人でも、子供でも、こいつのことが目に入らないという奴はいないだろう。

 

 そんな奴が必死に走りながら俺のことを何度も大声で呼んでいる。そんな状態では、いくら俺がステルスヒッキーで気配を消そうとしても、俺自身にも注目は集まるだろう。

 

 ……くそ。どうしてこうなった? あの天使姉妹に出くわしたからか。さっさとあの姉妹から離れればよかったのかもしれないが、なぜか俺が逃げようとするとたまちゃんは涙目で俺を見上げるし、たまちゃんにそんな顔をさせれば日向さんがハイライト消えなたさんになっちゃうし。俺にどうしろっていうんだ。っていうか、ハイライト消えなたって我ながらセンスなさすぎだろ。

 

 ……こうなれば、人目がなくなるまでやり過ごして、さっさと脅して脱出するか。

 

 ……最悪、今日は吸血鬼のセミナーへの潜入は諦め――

 

 その時、俺の腕を掴んだまま上がった息を整えていた新垣は、バッと顔を上げ、顔に汗を滲ませ、紅潮した頬で言葉を発した。不覚にも一瞬ドキッとしたが、次の瞬間、別の意味で俺の心臓は止まりそうになった。

 

「あの、昨日のあれって――――っ!?」

 

 俺は咄嗟に新垣の口を塞ぎ、睨み付け、言った。

 

 

「ふざけんな。お前、死にたいのか」

 

 

 俺がそう言うと、新垣の体は分かりやすく震え、赤かった顔は一瞬で青くなった。

 

 コイツは何を考えている。分かってるのか?

 今のお前は――俺達は、注目を集めているんだぞ?

 そんな状況で、こいつは何を口走ろうとした?

 

 ……ちっ。甘かった。俺が甘かった。正直、ぼっち生活が長すぎて、こんなところまで頭が回らなかった。

 

 まさか、新人達の危機意識が――ここまで低いとは思わなかった。

 

 別にこいつらが自業自得で頭を破裂させようがどうでもいいが、今ここでそんなことをやられると、間違いなく俺にとばっちりがくる。

 

「…………ちっ。こっちだ」

「え、あ、あの」

 

 俺は新垣から離れ、足早に路地裏に入った。

 

 今のこの状況は、見るからに怪しい不審者が、いきなり美少女に襲い掛かり口を塞いでいるという状態だ。いつ警察を呼ばれてもおかしくない。

 

 長年のステルスヒッキー生活で、俺は人の意識の撒き方のようなものを熟知している。

 どういう風に動けば、人の視界から外れることが出来るか、そんな歩き方を身に付けている。

 

 なんてことはない。単純な技術だ。ミスディレクションの一種だと思えばいい。

 

 それなりの人目は集めていたとはいえ、この空模様のお蔭でそもそも外を出歩いている人が少ないのか、そこまで人数としては多くはなかった。それに、先に新垣があれだけ呼びかけていたお蔭で、俺が一方的に襲い掛かったというよりは知り合い同士の諍いのように思ってくれたのかもしれない。わざわざ追いかけてくるような人間はいないようだ。

 

 それでも念のため、いくつかの路地を曲がる。そして、ようやく人影が見えなくなったのを確認すると、俺は振り向いた。

 

 新垣は、俺が人を撒く為にそれなりに早いペースで歩行していたからか、少し息を切らしているが、それでもしっかりと俺に付いてきていた。

 ……ちっ。帰ってくれたなら、それに越したことはなかったんだがな。

 

 だがまぁ、ついてきたものは仕方ない。言いたいことを言わせてもらおう。

 

「……なぁ、もう一回言わせてもらうが、お前、死にたいのか?」

「……いったい、どうしてそうなるんですか? わたしは、ただ――」

「俺は昨日、言ったはずだよな――無関係の一般人に、あの部屋の情報を漏洩させると、頭が吹き飛ぶって。……お前は、あんな公衆の面前で、一体何を言おうとした?」

「――っ!? ……で、でも、わたしは、そんなはっきりとは――」

「――知らねぇよ」

 

 ダメだ、こいつは。こいつは何も分かってない。

 

 ガンツの理不尽さを、全く持って分かってない。

 

「“それ”を決めるのは、俺達じゃない、ガンツなんだよ――どこまでがOKで、どこまでがダメなのか、その裁量権を持ってるのは全部ガンツだ。アイツの気分次第だ。……アイツの匙加減一つで、俺達の命なんて簡単に吹き飛ぶんだよ」

 

 新垣の顔が、分かりやすく恐怖に染まる。

 その表情には、露骨に戸惑いと猜疑心があって。

 

 俺は何故だが、それが無性に腹が立った。

 

「――まさかお前、昨日のあれを夢だが何かだと思ってるのか?」

 

 そうであって欲しいと、無意識で祈っていたのか? 

 

 新垣は、分かりやすく身を震わせる。

 

 ……それは、確かに優しい受け入れ方だ。あんな現実を――あんな戦争を、あんな理不尽を、逃げずに受け止められる方がどうかしているのだろう。

 

 きっと、昨日生き残ったメンバーで、それが出来るのは、桐ケ谷だけだ。

 

 潮田もおそらくは無理だ。夢ではないことは受け入れるかもしれないが、ここまで深く絶望を掘り下げはしないだろう。

 

 ………まぁ東条は、そもそもガンツに囚われているという状況すらどうでもいいと思っているかもしれないが。アイツはそもそも俺如きがどうこう言える種類の人間ではないから除外だ。本当に人間なのかすら疑わしい。

 

 俺達の、今現在囚われているこの状況は、突き詰めれば突き詰めるだけ、自分達にとって理不尽な事実が、不都合な絶望的事実が、ゴロゴロと笑えるくらい発掘されていく。

 

 その一つ一つを、新垣や潮田は探そうとはしないだろう。見ようとはしないだろう。

 

 それは、一種の防衛本能だ。

 自分の周りが如何に致死性の地雷だらけなのかなど、知っておいた方が危険を回避できるとは――生き残る可能性が上がるということは、薄々理解出来はしても、それでもそれに向き合える人間など、ほとんどいない。

 

 桐ケ谷は、おそらくはそれを、見て見ぬふりは出来ない。逃げることは、きっと出来ない。

 その恐怖に耐えながら、己の絶体絶命な状況に対しての、狂ってしまいそうになるくらいの恐怖と戦いながら、それでも自分の置かれている状況に対しての、思考を止めない。止めることなど、出来やしない。

 

 それが、デスゲームを――デスゲームと戦っていくということだと。

 

 デスゲームを生き残っていく上で、それは必須の戦いだと、死にたくなるくらい理解しているから。

 ここから目を逸らしたら、この恐怖から目を逸らして――逃げたら、待っているのは死だと、理解しているから。

 

 これは、このガンツゲームに置いて、一つの分水嶺だ。

 ここで、生き残っていくメンバーか、いずれ脱落するメンバーかが決まると言っていい。

 

 そういう意味では、この新垣は――まだ足りない。

 

 俺を見つけて必死に食い下がってくるということは、少なくとも、昨日の出来事を、現実だとは認めてはいるのだろう。

 

 だが、それでも、受け入れてはいない。

 

 立ち向かっては、いない。

 

 それは、確かに正常な人間の反応で、対応だ。

 

 だが、正常な人間では――ガンツの遊び(ゲーム)には、耐えられない。

 

「俺達は既にガンツの傀儡(おもちゃ)だということを常に自覚しろ。俺達の一挙手一投足が、ガンツの監視下だということを常に自覚しろ。そして、俺達の口から出た言の葉一つ一つが、この頭の中の爆弾の起爆スイッチに成り得るということを常に自覚しろ」

 

 これは、しろと言われてできるものではない。

 

 現に葉山は、このガンツゲームに囚われているという状況に耐え切れず、ミッションの度に弱っていき――壊れていった。

 

 だが、そんなことは知らない。新垣(こいつ)がどうなろうと知ったことか。

 

 こいつがここ近辺に住んでいるということは、これからもコイツと接触する可能性はゼロじゃない。

 ならば、せめて俺がコイツの巻き添えで死なないためにも、こいつには“最低限”のことは自覚してもらわなくてはならない。

 

 文字通り、俺達は爆弾を抱えているのだと――埋め込まれているのだと、理解してもらなくてはならない。

 

「…………」

 

 新垣は、ぶるぶると震える体を抱き締めて、顔を俯かせている。

 

 俺はそんな新垣に背を向けて、そのままこの場から離脱するべく歩く。

 

 ………ここまで言えば、もう俺に関わろうとしないだろう。

 不確定要素(リスク)は少しでも減らし、遠ざけておくに越したことはない。

 

 俺はぼっちだ。ぼっちとして戦い、ぼっちとして生き残ってきた。

 そんな状況で、自分が自由に動かせず、その行動を把握できない他人など、ただの危険要素でしかない。

 

 危険には近づかない。危険そのものを近づけない。

 それは、生存確率を上げる上で欠かせない行程で、行動だ。

 

 だから、俺は新垣がここで潰れようが、離脱しようが、全く持ってどうでもいい。

 

 故に、俺は新垣の心が圧し折れようが構わないという思いで、手加減せずに新垣を“教育”した――――はずだった。

 

 

「……待って、ください」

 

 くいっと、後ろ袖を引かれた。

 

 見ると、顔を俯かせたまま、新垣が俺の手を引いていた。

 

 未だ、ぶるぶると体を震わせている。声も泣いているかのように震えている。

 

「……わたしが、軽率でした。……ごめんなさい。……わたしは、また……嫌なことから、逃げてました。……見て見ぬふりで、誤魔化そうとしました」

 

 だが、それでも新垣は、俺の手を取り、顔を上げて――瞼を腫らした、痛々しい顔で言った。

 

「……もう、逃げません。…………わたしは、まだ、死にたくないから」

 

 

『助けて、ください……ッ』

 

 

 こいつは、昨日のミッションでも、こうして恐怖していた。

 

 死に、恐怖していた。死にたくないと、生にしがみついていた。

 

 こいつが何を抱えているのかは知らない。こいつに何があったかなどどうでもいい。

 

 

『お願い比企谷くん!! 私を守って!! 私を救って!!』

 

 

 ……ああ、ダメだ。本当に、こいつは腹が立つ。

 

 こいつの声は、姿は――新垣あやせという、この少女は。

 

 

「だから、どうか――わたしを助けてください」

 

 

 

『私を――助けてよぉ!!』

 

 

 

 やめろ。やめろやめろやめろ。

 

 

 そんな目で――俺を見るな。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 結局、新垣は何度言っても、何を言っても、帰ろうとはしなかった。

 

 ……一体、何がこいつをそこまでさせるんだ。

 

 交渉の結果、俺は新垣に俺が知る限りのガンツの情報を、“聞かれる限り”、知っていることを答える。そして今後、新垣は俺に日常生活では接触しない。相互不干渉とする。そして、ガンツミッションにおいても、基本的に干渉しない。俺は俺のやりたいように戦う。俺が新垣を守る、救うといった義務はない。負わない。

 

 ……ったく、何をしているんだ、俺は。

 

 どうして新垣と雪ノ下が重なる? ……声は多少、似ているかもしれない。だが、容姿はそれほどそっくりというわけではない。確かに黒髪の長髪で、二人とも息を呑むほどの美人だが、それだけだ。性格はまるで似ていないし、纏う雰囲気も違う。

 

 それに、第一、万が一、雪ノ下と新垣が似ているとしても――だから、どうした?

 雪ノ下を救えなかった後悔を、雪ノ下を壊してしまったことに対する償いを、赤の他人の新垣相手に重ねるのか?

 

 ふざけるな。そんなことは雪ノ下にも、新垣に対してもとんでもない侮辱だ。

 

 最低の代償行為だ。それだけはない。絶対にありえない。最悪の所業だ。

 

 ……ちっ。まあいい。もういい。さっさと終わらせるんだ。

 

 条件としては、そこまで悪くない。

 元々、こいつ等新人に俺がレクチャーをしなかったのは、それ以降も寄生されることを恐れてだ。

 なし崩し的にリーダーに推され、こいつ等の命の責任を負わされるのを恐れてだ。

 

 ならば、それ以降の干渉をしないという盟約の元なら、こいつ等に情報を渡しても俺に損はない。

 こいつ等がより強くなれば、俺の生き残る可能性も上がることは事実なんだから。

 一回当たりのミッションの点数が、こいつ等と分け合うことで減少することになっても、命には代えられない。生きて帰る方が遥かに重大だ。

 

 生きて帰れば――次があるんだから。

 

 死んでしまえば次なんてなくて――そこで終わりなんだから。

 

 命が終わり、全てが終わるんだから。

 

 この条件なら、俺に損はない。

 だから、これで終わるんだ。さっさとこんなことは終わらせるんだ。

 

 俺は一人でいい。俺は一人がいい。

 

 ぼっちだからこそ、俺は最強だ。

 

 それを忘れるな。

 

 絶対に、忘れるな。

 

「――それじゃあ、比企谷さん、早速聞かせてもらいますね」

「……好きにしろよ。だが、俺にはやることがある。だから質疑応答は歩きながらだ。周りに気を配り、声のボリュームにはくれぐれも注意しろ」

「分かりました。それでは――」

 

 俺は、新垣の方を見ずに、さっさと歩き出しながら、粗雑に言った。

 

 

「昨日の最後……比企谷さんのことを、『お兄さん』と呼んでいた――あの人は、誰なんですか?」

 

 

 だが、新垣のその質問に、俺は歩き出したばかりの足を、ピタリと止めて、立ち止まった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 俺は首から振り返り、新垣を睨み付ける。

 

 新垣はびくりと目に見えて怯えたが、それでもぐっと堪え、俺から目を逸らさなかった。

 

 逃げなかった。

 

 ……すでに全校生徒が気味悪がるほどに腐りきった俺の眼。

 それに加えて今の俺は相当に機嫌が悪い。かなり醜悪で、不気味で、恐ろしい目の色に変わって、変わり果てていることだろう。

 

 改めて思う。どうして、こいつは――新垣は、そこまでするんだ?

 そうまでして、俺に付き纏うんだ。俺から何を聞きたいんだ?

 

 正直言って、俺の方がこいつのことを気味悪がってきている。気持ち悪い。

 

 こいつは、一体――何が欲しいんだ?

 

 俺はもう一度、前を向いて歩き出す。その後ろに、新垣はぴったりとくっついてきた。

 

 ……このままだんまりを通してやり過ごそうかとも考えたが、正直言って面倒くさい。こんなどうでもいいことで貴重なメンタルを消費したくない。ただでさえ、これから行こうとしている場所は――行おうとしていることは、恐ろしく過酷な行事だというのに。

 

 過酷で、残酷な、戦争だというのに。

 

 ……まぁいい。さすがに、こいつが大志の知り合い、ということは……ないだろう。

 例えそうだとしても、その場合は、こいつと大志の問題だ。俺はそれに巻き込まれないように離れればいい、見捨てればいい――いつも通り、変わらない。

 

「……妹の、同級生。……ただ、それだけだ」

 

 そうだ。それだけだ。

 

 それだけの――敵だ。それだけで――殺すべき、敵だ。

 

 だが、俺のそのそれだけの言葉に、新垣は呆然と立ち止まっていた。

 

「……妹の……同級生……」

 

 思わず俺も立ち止まって振り返ると、新垣は、瞳から光を失くして立ち尽くしていた。

 

 ……なんだ?

 

 一体、何が、こいつの何に触れたんだ?

 

 新垣は、感情を失くしたような声で、俺に――何かに向かって、呟く。

 

「……妹さんが、いらっしゃるんですか」

「……だから、どうした?」

「……昨日の、あの人は……比企谷さんにとって……妹さんの、友達だったんですか?」

「お友達な。だから、どうした? お前に何か、関係があるのか?」

 

 新垣はそこで顔を俯かせ、声に感情を取り戻し――堪えるように、何かに苦しむように、こう言った。

 

「……比企谷さんは……昨日のあの人を……あなたを『お兄さん』と呼んだ、彼を……どうする、つもりなんですか?」

「殺すに決まってんだろ」

 

 俺はその呟きに間髪入れずに答えた。

 

 新垣はバッと顔を上げ、信じられないと言った表情で、俺を見る。

 

 俺は、その表情に、その驚愕に、淡々と、こう続けた。

 

「妹を守る為なら、何だってやるさ――俺は、小町の兄なんだから」

 

 新垣は、しばし呆然として――その表情を、憤怒に染めた。

 

 その怒りは、透き通るような美人といった彼女の整った顔を、般若よりも恐ろしく歪める程の憤怒だった。

 

「……あなたも……なんですか……っ」

 

 新垣は両の拳を握りしめ、呪詛を漏らすかのように、忌々しげに吐き捨てる。

 

「あなたも……そうやって切り捨てるんですかっ」

 

――妹の為に、他人を平気で切り捨てるんですかっ。

 

 新垣は、そう言って、俺を憎悪の篭った眼で睨んだ。

 

 ……俺は、新垣が何を抱えた人間なのか知らない。

 

 どんな傷を持って、どんな風に裏切られて――切り捨てられたのかなんて、全く知らない。

 

 微塵の興味もない。

 

 だから、こう言った。

 

「当たり前だ」

 

 新垣は一瞬、その憤怒に染まった表情を、愕然とした驚愕に変えた。

 

 そして俺は、新垣に当然のことを、当然のことのように言う。

 

「妹は家族だ。他の有象無象を切り捨ててでも守るのは、当たり前だ」

 

 これは、俺がシスコンだということとは関係ない。

 

 妹は家族だ。そして家族とは、この世界で唯一――無条件で与えられた『本物』だ。

 

 何も言わなくても、分かってくれる存在。知ってくれている存在。そんな安心を、無条件でくれる存在。

 

 そんな存在は、きっと、この世界で、家族以外在り得ない。

 

 全ての人間にとって、そうというわけではないんだろう。

 家族だからこそ、苦しんでいる人もいる。家族だからこそ、抱えている問題を持つ者も、きっといるだろう。

 

 だが、俺にとって小町は、少なくとも、小町だけは、きっと俺にとっては本物だった。

 

 本物の、家族だった。

 

 俺は、本物が欲しい。ずっと、そう願って、無様に手を伸ばし続けていた。

 

 それが醜いエゴの押し付けで、酸っぱい葡萄だと知っていながら、それでもその存在を求めていたのは、欲していたのは。

 

 碌なことのない俺の人生において、小町という本物が、ずっとそばにいてくれていたから。

 

 本物がいる。その温かさを、優しさを、心地よさを、教えてくれていたから。

 

 だから、そんな関係性があると、そんな繋がりがあると、知ってしまっていたから――赤の他人にも、俺はそんな関係性を求めた。

 

 こんな偽物(レプリカ)なんていらない。本物と呼べるものだけでいいと。

 

 そんな本物を、与えられるんじゃない――自分で見つけて、自分で手に入れたくなったんだ。

 

 はっ、と嘲笑う。そんなかつての己を嘲笑う。

 

 その結果が、その未来(けっか)が――――こんな俺だということに、嘲笑を抑えきれなかった。

 

 無様というのなら、今の俺の有様に、それ以上相応しい言葉はない。

 

 求めた結果、分不相応な高望みに手を伸ばした結果――全てを失ってしまったのだから。

 

 そして、全てを失っても、尚、失うことを恐れている。

 

 無様という以外、何と言えばいいのか。

 

 そんな思考を読み取ったわけでもあるまいが、新垣は俺を――そんな俺を、呆れたように笑う。侮蔑するように笑う。

 

「……そうですか。あなたもシスコンなんですね」

「千葉の兄にとっては誉め言葉でしかないな」

「……そうですね。本当に、千葉のお兄さんは……変態ばかりです」

 

 そして、新垣は、吐き捨てるように、嘲笑するように――

 

 

 

「――それで、妹と付き合うんですか。妹相手に恋をして、他の全てを切り捨てるんですか?」

 

 

 

 かっこいいですね。そう、言う、新垣に――

 

 

 

 

 

「…………お前、ふざけてんのか」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ザッ、と。

 

 気が付いたら、すぐ傍に立たれ――接近され、見下ろされていた。

 

 

 その、どんよりと腐った瞳に、濁りきって淀みきった瞳に。

 

 

 混じりっ気なしの、いっそ美しい程に純度100%の――殺意を、宿らせながら。迸らせながら。

 

 

 わたしを、見下ろす。

 

 殺意を持って、見下す。

 

 

「俺が、妹を、恋人にする? ――――なんだ、それは。ふざけてんのか」

 

 

 殺されてぇのか。

 

 

 彼は――比企谷さんは、わたしをそう威圧する。

 

 

「………ぁ………ぁ……ぁ」

 

 

 わたしは、何も言えない。ただ、怖くて怖くて堪らなかった。

 

 

 殺されそうで、怖かった。

 

 

 今までは、ただ怖いだけだから頑張れた。耐えられた。

 

 比企谷さんの眼は不気味だったし、纏う雰囲気も異様だったし、紡ぐ言の葉は鋭利だったけれど、それでもなんとか耐えられた。ただ、怖いだけだったから。

 

 

 この人は、わたしに、何の興味も持っていなかったから。

 

 興味も、関心も、なかったから。それは、敵意も、害意も――殺意も、ないということだったから。

 

 ただ、わたしが、比企谷さんが放つニュートラルな恐怖に、耐えればよかっただけだった。

 

 

 でも、この人が、あの兄妹と――わたしが大好きだったあの兄妹と同じ、お互いのことが結局のところ一番大事で、その為なら周りの人間を切り捨てる人間だと分かって。

 

 

 失望した。憤怒した。そして――激昂、させてしまった。

 

 

 感心を買った。怒りを買った。殺意を、抱かれた。

 

 

 殺される。

 

 そう、思った。

 

 

 昨日の戦争――わたしが、半ば以上受け入れることが出来ず、今日一日逃避していた、昨夜の恐竜との戦争。

 

 何度も死んじゃうと思った。殺されると思った。怖くて怖くて、でも、それでも。

 

 

 今の方が、怖い。

 

 

 この人に睨まれる方が、遥かに、圧倒的に怖い。

 

 

 殺意が鋭い。命の、危機だ。

 

 

 極論だった。イライラ、していた。

 

 

 妹を大事にする。そのことは、当たり前だ。

 

 わたしは一人っ子で、妹も――兄も、いないけれど、家族と言い換えてくれれば、よく分かる。

 

 わたしはそこまでスパッと割り切れる程に大人にはなりきれてない子供だけれど、家族と、そうでない人を分けて――分けて考えて、どちらの方が大切かと言われれば、それは、やっぱり家族を選ぶ。

 

 一緒に過ごした期間が長くて、より身近な存在の方を、大切に思う――大切にしたいと考えるのは、確かに当たり前だ。

 

 

 でも、それでも、と、思ってしまった。

 

 だって、それじゃあ、わたしはずっと勝てないの?

 

 家族じゃなかったわたしは、生まれた時から――生まれた時点で、他人なわたしは、一番に、なれないの? ずっと、わたしは、切り捨てられる側なの?

 

 

 分かってる。極論だ。わたしの、勝手な、八つ当たりだ。

 

 比企谷さんの妹の友達だという、昨日の戦争の最後に遭遇した――あの大志という男の子に、過剰に感情移入しているだけだ。

 

 

 自分を重ねて、勝手に怒って、勝手に傷ついているだけだ。

 

 

 それでも、あの時、比企谷さんに『お兄さん』と言って縋る姿が、まるでどこかのわたしのようで。

 

 あの時、比企谷さんに銃を向けられて、悲しそうに――それでも、やっぱりといった表情をしていた彼が、本当にいつかのわたしのようで。

 

 

 だから、気が付いたら、口が勝手に動いて、体が勝手に何かを吐き出して、そして――

 

 

 

――この人の、逆鱗に触れた。

 

 

 

 わたしは、ただ震えて、ガチガチと歯の根を鳴らして、その瞳を――この人の、恐ろしくて不気味で異様な瞳を、ただ見上げていた。

 

 

 逃げないんじゃない。逃げられないんだ。

 

 怖くて、体が動かないから。

 

 

「……っ……ぅ……」

 

 

 涙が溢れる。嗚咽が漏れる。今日だけで、わたしは何回泣いたか分からない。もうきっと、瞼は真っ赤に腫れぼったくなって、ひどいことになっている。

 

 

 それでも、この人は逃がしてくれない。泣いても、喚いても、許してくれない。

 

 

「お前に、当たり前のことを、もう一度言ってやる。兄にとって、妹は家族だ。断じて、恋愛対象なんかじゃ、ありえない。妹に恋するような奴は――」

 

 

 

「――ただの異常者(キチガイ)だ」

 

 

 

 比企谷さんは、そう言った。殺意を持って、そう言い切った。

 

 

 この言葉に対し、わたしはどんな感情を抱くのだろう。

 

 今は、分からない。ただ、怖くて。

 

 怖くて、それどころじゃ、ない。

 

 

「……家族ってのは――妹っていうのは、それだけで『本物』なんだ。俺にとって、小町は唯一の『本物』なんだ。それを何が面白くて、恋人なんかにしなくちゃいけない? 恋人なんて、不安定で、不確定で、不明瞭な関係に貶めなくちゃいけない? 折角持っている『本物』を――与えられた、唯一無二の『本物』を、そんな偽物にして、台無しにして、手放さなくちゃいけないんだ?」

 

 

 ふざけてんのか……っ。

 

 比企谷さんは、もう一度、唸るように、そう言った。

 

 

「――妹に恋するような野郎(あにき)は、ただの異常者(キチガイ)だ。妹を恋人にするような(あにき)は、ただの大馬鹿野郎だ。殺したくなるくらい、ムカつく糞野郎だ」

 

 

 そして、三白眼なんてものじゃない、瞳全てが濁った灰色に染まったような双眼で、わたしを睨み付けて、比企谷さんは言う。

 

 

「二度と、俺を、そんな奴等と――一緒にするな」

 

 

――そんな本物の価値すら理解出来ないような奴等とは、一緒にするな。

 

 

 比企谷さんの、そんな言葉が、わたしを打ちのめしたような気がした。

 

 

 とん、と。いつの間にか民家の塀際に追いつめられていたわたしは、そのまま背をつき、ずるずるとしゃがみこんだ。

 

 

 比企谷、八幡さん。

 

 昨日、わたしが紛れ込んだ戦場で、あんな、地獄で――ただ一人、ずっと、戦い続けていた人。

 

 

 誰かを生き返らせるために、あんな戦場を何度も経験し、あんな戦争を何度も生き残り続けていた人。

 

 孤独な背中の人。悲愴な覚悟を、纏う人。寂しそうな目をする人。弱いけど、強い人。

 

 間違っている、物語を歩む人。

 

 

 わたしは、この人のことを、何も知らない。

 

 けれど、今日、一つ――たった一つ、分かった。

 

 

 この人は、きっとそれが欲しいんだ。

 

 

 それは正体不明で、荒唐無稽で、支離滅裂で、きっと自分でも、それが何なのかは分からなくて、でも、それが欲しくて、欲しくて欲しくて、堪らないんだ。

 

 

 いいな、って思った。

 

 殺されるかもしれない。いや、本当に殺されるって本気で思って、だからこそ、怖くて怖くて堪らなかったのに。

 

 

「…………はは」

 

 

 気が付いたら、笑ってた。小さく、本当に微かにだけど、こんな状況なのに笑いが漏れた。

 

 恐怖で気が触れたのかもしれない。でも、今のわたしの身体は、ぶるぶると震えてた。――――恐怖じゃなくて、歓喜で。

 

 

 すごくいいって、思った。

 

 だって、比企谷さんから放たれる殺気は、ぶつけられる殺意は――本当に綺麗な怒りで満ちてた。

 

 

 本物を馬鹿にされた、憤怒で満ち満ちていた。

 

 

 そんなにも、大事にされる本物。そんなにも、素晴らしい本物。

 

 

 それはきっと、かけがえのない、代えのきかない、替わりなんてない、唯一無二で。

 

 

 なりたい。そんな存在になりたい。

 

 

 もう二度と、誰にも切り捨てられない。軽んじられない。

 

 

 他の何を犠牲にしても、何が相手でも選ばれ続ける。

 

 

 そんな存在――

 

 

――そんな『本物』に、わたしはなりたい。

 

 




もう開き直って、出したいキャラはバンバン出していくことにします。

日常世界ではバラバラに生きていて、出会うはずなどなかった人種たちが、ランダムに無慈悲に作為なく強制的に徴収され、同じ戦争へと繰り出され、同じ物語を歩まされる。そのカオスさもGANTZの面白さだと思うので。

敵キャラも味方キャラも、色んな作品から出していくと思うので、ついていけないという方はそっと閉じていただければ……。
本当にごめんなさい。申し訳ありません。
需要はないと分かっていても、やっぱり書きたいように書きたいので。

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