一つ、注意点として、この作品の吸血鬼設定は、原作GANTZのそれをベースにしながらも色々な改変を加えております。
どうかよろしくお願いします。
異形の羽を確認した、次の日。大志は塾へと向かっていた。
ズキッ……ズキッ……と、頭痛が続く。
最早それは波のように断続的に、大志の頭に襲い掛かってきた。
「……くそッ。……何なんだよ、これ……」
大志は苛立ちをぶつけるように、電柱を殴りつけた。
ズシンッ! と大きくコンクリート製の柱は揺れ、大志の拳が叩きつけられた箇所はビキキッと罅割れていた。
そして背後から、ひ、ひぃ! と悲鳴が聞こえた。
大志がバッ! と振り返ると、犬の散歩をしていた老人がその光景を見て――大志を見て、怯えるようにして背を向けて逃げていった。
大志は最初、なぜか不味いと恐怖したが、すぐにそんな感情はなくなった。
老人の、大志を見る目が――得体のしれない何かを見るような目が、ひどく癇に障った。
「…………何なんだよぉ。…………何が、どうなってるんだよ……っ」
くそっ! と、再び苛立ちをぶつけるべく電柱を殴ろうとする――が、その罅割れた柱を見て、もしかしたら、もう一度全力で殴ってしまえば、この電柱を倒して、壊してしまうかもしれない、そう思ってしまい拳を止めた。
そして、そんな突拍子もないことを思いつき、そしてそれに真面目に危機感を感じて拳を止めた自分が、どこか滑稽に思い、自嘲気味に吐き捨てた。
もう完全に塾に行く気など失せてしまった。そして激情が収まると再び気になるのは、頭の中で何かが暴れているかのような、この途轍もない激痛だ。
昨日は背中の羽を見た途端、逃げるように布団の中に入り、そのまま寝ようとした。
が、訳の分からない漠然とした恐怖と、そしてこの頭痛により全く寝付けずに、最後は過度な精神的ストレスに体が耐え切れなくなったのか、気絶するように意識を失った。
おそらくこのままでは今日も同じことの繰り返しだろう。
この頭痛が寝不足によるものか、それともこの状況に対するストレスによるものか、全く見当もつかないが、どちらにせよ根本的な原因の除去への目途はまるで立たない。
……自分は、一体どうすればいいのか。
途方に暮れ、自分が罅を入れた電柱に寄りかかるようにして座り込んだ、その時。
「…………?」
しゃがみ込んだ自分を見下ろすように、どこからか現れた、端正な顔つきの金髪の男が目の前に立っていた。
煙草を咥えている、スーツ姿の、パッと見はホストのような人だった。肌は白い。白人の血が混じっているのか、日本人の大志からすれば、まるで精巧な作り物めいた顔立ちで、幻想的というよりは怜悧な雰囲気を纏っている人外めいた人のように感じた。
いずれにせよ、平凡な日本人の中学三年生な大志にとって、今までに会ったことも、関わったこともない、別世界の住人のように思えた。
「……なぁ、お前」
そして、事実、彼は別の世界の住人だった。別世界の、人外だった。
「人間、やめてんだろ」
大志を、人間の世界から、怪物の世界へと誘う男だった。
「……………………」
呆然と、その金髪の男を見上げる大志。
その時、ポタッと、何かが垂れる音がした。
大志は雨でも降ってきたのかと思ったが、男はそんな大志の頭上に、何かを掲げるように見せつける。
それは、腕だった。
生々しい断面から、真っ赤に染まった断面から、氷柱から雫が流れるように、ポタポタと血液が垂れ流れていた。
「…………え?」
悲鳴ではなかった。ただ純粋な、疑問の呟きだった。
見知らぬ男が訳の分からないことを言い、生々しい千切れた腕を見せつけるという状況に、昨日からの色々なことが相まって、遂に脳が情報を処理することを放棄したのかもしれない。
だが、大志の目は、まっすぐにその腕に、その何者かの千切れた腕の断面に――そこから垂れる、宝石のように美しい真っ赤な血液に、既に奪われていた。もしかしたら、心も。
ごくっと、唾を呑み込んだ。まるで、喉が、体が、それを欲するように。
「欲しいんだろ」
男のそれは問いではなかった。断定の言葉だった。疑問が介在していない、事実を、現実を告げる断定の言葉だった。
大志はそれに答えるように、もう一度、ゴクリと唾を飲み込んだ。無意識の行動だった。体が勝手に反応したような行動だった。大志の喉が、体が、勝手にそれを――その赤い宝石のような雫を求めていた。大志の意思とは、まるで関係なく。
自分が、自分であって、自分でないような感覚。
バウ! バウ! バウ! という、獣の鳴き声。だが、一種の陶酔状態である今の大志には、それが遠い世界のもののように思えた。まるで重厚なフィルターを通しているかのように、現実感がないただの音声。
あれは、犬の鳴き声のようだ。ならば、この腕の“元の”持ち主は、先程怯えて逃げていったあの老人なのかもしれない。
陶酔状態にある大志の意識の中の、妙に冷たく静かな部分が、そんなことを冷静に判断した。
それでも、大志の心は、まるで揺れなかった。震えなかった。恐怖しなかった。
どこまでも、冷酷に無関心だった。
「飲め」
人間の、血液を飲め。
男は、大志にそう言った。そう命じた。
「そうすれば、お前を襲っている頭痛は消える」
なぜ、そんなことを知っているのか。どうして、そんなことが分かるのか。
疑問に思うべきところは山程あるはずなのに、大志は何も言えなかった。
ただ、ゆっくりと口を開き、体を震わせながら、遭難者が砂漠で雨を欲するように、無様に舌を伸ばす。
乾いて、乾いて、乾いてしょうがなくて、とにかくこの喉を、この体を潤したい。
そんな欲求に、抗えない。
血なのに。あれは、先程まで生きていて、腕を千切られるなどという残酷な殺され方をした、人間の血なのに。
それでも大志は、自分の体の欲求に逆らえない。こんなの、誰がどう考えても普通じゃない。人間のやることじゃない。
こんなのは、まるで怪物の所業じゃないか。
赤い宝石が垂れる。その生々しい千切れた腕から、真っ赤な雫が垂れ落ちる。
それは、狙い澄ましたかのように、大志の舌に落下した。
そして、ゴクリと、力強く嚥下する。人間の血液を、体内に摂取する。
大志の瞳からは、等価交換のように涙が流れた。それは、遂に長らく苦しめられた頭痛から解放された故なのか、それとも――――
そんな大志を、金髪の男は冷たく見下ろしていて。
その腕から伸びた刀は、煩く喚く獣の命を刈り取っていた。
+++
「――こうして俺は、化け物になりました」
大志は、川崎大志は、そう語った。
自らが、怪物になった経緯を。
「…………」
俺は大志にXガンを向けながら、今の話を復習する。
大志が語ったことが事実なら、大志は後天的に、化け物になったことになる。
しかも、今の話を聞く限り、最も俺の、一般的な見解に近いのは――
「――大志」
俺は、自分の荒唐無稽な仮説を、恥ずかしげもなく大志に突き付けた。
「お前は、吸血鬼なのか?」
大志は俺の言葉を笑わなかった。
ただ、真っ暗な瞳でそれを受け止め、天を仰いだ。
どんよりと曇った空を眺めながら、自嘲するように、吐き捨てるように言った。
「……正確には、あくまでお伽噺の
「…………モデルになった?」
「数百年前くらいから、地球上に存在するらしいっすよ。……俺達みたいな――」
…………まて。まて。まて。
冷静になれ。順番に情報を処理していくんだ。絶対に大志に狼狽した姿を見せるな。あくまで主導権はこっちが握るんだ。
……数百年前。吸血鬼のモデル。
そのことから考えて、大志達のような――昨日の黒服集団のような怪物達が、ずっと地球上にいたというのは、おそらく確かなことだろう。
大志が言っていることがこっちを混乱させる為の大法螺だという可能性も、まだかなりあるが……だとしても、ブラフにしても、話があまりに荒唐無稽過ぎる。
……まぁ、話している内容が、目の前にしている存在が、そして俺という存在も今や十分荒唐無稽な存在なのは、置いといてだ。
とにかく大事なことは、例えどれだけ不可思議な話だろうとも、冷静に、柔軟に、一つ、一つ、受け入れることだ。
分析し、情報を仕分けし、重要度を見極め、精査することだ。
「……お前達は人間なのか? ――いや、人間“だった”のか? それとも、生まれつきの化け物が、普段は人間に化けているのか?」
これは、絶対に聞いておかなければならない。この情報次第で、これから先の対処がまるで変わってくる。
もしも後者なら――川崎沙希、否、川崎の両親や妹弟も含めて、全員が大志と同じような怪物である可能性が高い。
そして川崎沙希は、先程、俺に接触している。
あいつも怪物だった場合――大志の、昨日の黒服集団の仲間だった場合、俺の正体は、俺がガンツの兵であることは、既に承知のことだろう。
……更に川崎は、俺と雪ノ下、由比ヶ浜の関係を知っている。
俺の大切な――弱点を把握している。
それはコイツにも――川崎大志にも、言えることだが。
そして、前者だった場合。
その時も、相当不味い。否、スケールという意味なら、個人的ではなく、相対的な意味で考えると、こちらの危険度の方が、遥かに高い。
なぜなら――
大志は再び、自嘲するように、何かを嘲笑うかのように言う。
「……さすが、お兄さんっすね。……状況を受け入れて――立ち向かうのが、早い。……質問に答えます。答えは、前者っす。……信じてもらえないかもしれないっすけど、俺は、去年までは、人間でした。………少なくとも、俺自身は、人間のつもりでした」
……大志が、嘘を言っているようには、見えない。
もちろん一〇〇%信じ切る訳にはいかないが、それでも、信憑性は高いように思える。
……前者、か。
「……それは、人間に、なんらかの処置を施して、怪物にする――という話でいいのか? そんな理解でいいのか? 吸血鬼ならば、血を吸われた人間が吸血鬼になるといった具合に」
「いえ、さっきも言いましたけど、俺達はあくまで
「……なら、どうやって、人間を怪物にするんだ?」
人間を、吸血鬼にするんだ?
俺の問いかけに、大志は、今度は深く頷き、俯き、屋上の床を見つめながら、言った。
「……ナノマシーンウイルス」
「……なに?」
大志がボソッと呟いた言葉が上手く聞き取れずに聞き返すと、大志は、力無く笑いながら顔を上げ、その暗い瞳を、絶望に染まった真っ暗な眼を、俺の腐った双眸に向けて、言った。
自分を、人間から、怪物へと変えた、その元凶を。
「ナノマシーンウイルス。そのウイルスが体内に侵入して、全身の細胞を作り変えるんす。……そうして俺等は――俺は、吸血鬼に……怪物に、なったんす」
そう、セミナーで教わりました。
大志はそう言った。
……クソ。またか。話の展開が唐突過ぎる。情報量が莫大だ。
ウイルス――そう言ったのか?
……突拍子もないというよりかは、完全に想定外だ。これならまだ吸血鬼に血を吸われたら云々っていう方が納得できる。変に科学的な要素を持ってくるなよ。こちとら根っこから文系なんだよ。
人を吸血鬼に変えるウイルス……か。
……少し考えるだけでも、検討しなければならないことが膨大な新情報だが、あまりに多すぎてすぐには絞れない。
ならば、もう一つの聞き逃せない新情報について掘り下げるべきか。
「……セミナー、だと」
「……はい。言いそびれてましたけど、さっきの話の後、俺は塾じゃなく、氷川さんに連れられてどこかのセミナーに連れてかれたんす」
おい。言いそびれんなよ。めちゃくちゃ重要そうな話じゃねぇか。
……氷川。さっきの話に出てきた金髪――昨日、桐ケ谷と戦ってた奴か? ……まぁいいか。わざわざ話を遮るほどのことじゃない。
昼休みは短いからな。
「よくあるじゃないっすか。駅前とかに、見るからに怪しいテナント。そんな中に、俺達みたいな怪物に成り立ての人間に対して、ご丁寧に教習みたいなのをしてくれるところがあるんすよ」
「………………」
だと、したら。
こいつ等は、チビ星人なんてものじゃない。チームなんてものじゃない。
歴とした、一つの大きな組織を作っている。
今までの星人よりも、遥かに人間社会に溶け込みながら。
そして、大志はセミナーでの話を俺に語った。
その内容は――
・ナノマシーンウイルスが体内に侵入し、適合した人間は、数週間かけて体内の細胞が全て入れ替わり、
・細胞が入れ替わっても、普段の見た目は元の人間時と同じ容姿である。
・吸血鬼になると、皮膚がとても頑丈になり、筋力も大幅に増す。
・自分の身体から刀や銃などの武器を生成できる。
・主な栄養源は人間の血液。普通の食事も摂取可能だが、定期的に血液を摂取しなければ、背中に羽のような発疹、慢性的な頭痛などの症状が現れる。その他、甚大な副作用が生じる。
そして――
「――ナノマシーンウイルスに適合した人間が吸血鬼になる……って言ったな。これは、どのくらいの確率なんだ? そして適合できなかった人間はどうなる?」
「確率は、相当低いみたいっす。適合できなかった場合は、咳やらくしゃみやらでウイルスは体外に排出されるそうっすよ」
「……そうか」
「……だからこそ、我々は“選ばれた存在”なんだ、ってセミナーの人は言ってたっす」
大志は、今日、一番悲しげな顔で、そう言った。
選ばれた存在。選ばれてしまった存在。
自分の意思など関係ない。もっと大きな意識によって、もっと大きな存在によって、理不尽に運命を捻じ曲げられてしまった、大志。
それはどこか、俺達に――俺に似ている気がした。
ガンツという大きな――規格外で、埒外で、枠外な力をもった存在によって、理不尽に、身勝手に、運命を捻じ曲げられてしまった俺達。
だが、俺達の場合は、死の淵より拾われたという事情がある。ガンツによって強いられた運命は、とんでもなく理不尽な地獄だが――それでも。
ガンツによって選ばれていなかったら、拾われていなかったら、俺達は死んでいた。既に、ここにおらず、死んでいる。
だが、大志は違う。
選ばれなかったら、変わらなかった。変わらずに、そのまま、あのまま人間で居続けることが出来た。
変わらずに、幸せでいられたんだ。
大志は、ただ、殺されただけだ――人間の、川崎大志を。
そして、望んでもいないのに、無理矢理生まれ変わらせられた――怪物の、吸血鬼の、川崎大志として。
きっと、大志は俺よりも救われず、俺よりも――ずっと不幸だ。
「――そうか。それで、次の質問だが――」
確かに可哀想な話だ。救われない話だ――だが、それがどうした?
だが、それでも、それだからこそ、大志が俺の敵であることには変わらない。
小町を脅かすかもしれない存在であることは揺るぎない。
今俺がすべきことは同情などでは決してなく、目の前のこいつから出来る限りの情報を得ることだ。
吸血鬼が組織を形成していることが分かった以上、調べなくてはならないことは山のようにある。本拠地、組織構成――そして、目的。
奴等は昨日、ミッション直後の俺達を襲った。そして見る限り、俺達の存在――ガンツについて、ある程度知っているようだった。狙って襲ってきたようだった。
つまり奴等は、昨日のような行動を、明確な目的を持って繰り返している。これについては、一刻も早く調べなければならない。いつ再び襲われるか分からないからな。
まだまだこいつには、聞かなければならないことが――
だが、その時、昼休みが終わる、予鈴が響いた。
「……どうしましょっか?」
大志はそう苦笑いを浮かべながら告げる。
……本来なら、このまま尋問を続けたいところだが、今の俺は悪い意味で目立つ。今までのように授業をサボっても気づかれないということはないだろう。
それに何より、雪ノ下。
昼休みが終わったら戻ると言ってしまった以上、このまま戻らなければ、大声をあげて校内中を探し回りかねない。
――潮時、か。
だが、俺は最後に、これだけは問い詰めなければならなかった。
大志に一歩、一歩、警戒しながら近づく。
武器は持っていないが、こいつ等は体を武器に変形することが出来るらしい。……大志が出来るかは不明だが、出来るという前提で行動すべきだ。
そして、大志の顔に銃を突きつけ、低い声で言う。
「――最後に問う。……大志。お前は、“どっち側”だ?」
俺の問いに、大志は大きく目を見開いた。
その問いは、そんなことを聞くのかというよりは、聞いてくれるのかという思いが現われているかのようだった。
大志は、静かに、泣いているかのように笑いながら答えた。
「……俺は、まだ、“こっち側”でいたいっす。……だから、お兄さん――」
大志は、一歩、俺に歩み寄った。
それにより、コツ、と、Xガンの銃口が大志の額に当たる。
そして、それを愛おしそうに、大志の両手が包み込む。
「――俺が、完全にあっち側に行ったら……お兄さんが、殺してくれないっすか?」
俺は、それに、間髪入れずに答えた。
「安心しろ――死にたくないって言っても殺してやる」
だから。
「その代わり、二度と小町に近づくな」
大志は、……はい、と、噛み締めるように、泣きながら、答えた。
次回はつなぎです。
本当に短く、八幡も出ません。
その代わり、ゆびわ星人が始まってようやくあの子が登場します。