比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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※アスナは原作では女子校出身になってますけど、この作品ではちょっと変えています。ご注意ください。

それと、推薦していただきありがとうございます! 感激です!
推薦していただけるに相応しい作品になるように、これからも全力で頑張ります!


少女は、姉の意思を継いでE組《エンド》へと転入する。

 彼女の名前は雪村あかり。芸名、磨瀬榛名。偽名――茅野カエデ。

 

 三つの名前と三つの顔を持つ少女。

 

 そんな彼女がエンドのE組へと潜入したきっかけは、E組の担任であった姉の頼みからだった。

 

 

 元々彼女は天才子役――磨瀬榛名として一世を風靡するほどの役者であったが、事務所の意向として、子役は大人になるまでの間、その姿を世間へと晒さずに休眠する期間を置かせる指針となっており、彼女は芸能界からその姿を消した。

 

 子役としてのイメージを残し過ぎない為か、それとも子供時代に培った役者としての経験に思春期での学生生活の経験の両方をしっかりと糧とした人間として豊かな役者を育てるためか。

 いずれにせよその伝統は、人気絶頂だった当時の磨瀬榛名も例外ではなく、半ば強制的に休業をとらされた。事務所の長年のルールとはいえ、事務所としては収入面では相当な痛手であったはずなのに、思い切った結論を下したものだ。と、あかりは自分のことにも関わらずやけに客観的にそんなことを思う。長い間、大人の世界で戦い抜いてきたあかりは、十四才という年齢の割には妙に達観している少女だった。

 

 もしまた芸能界に復帰することになったら再びあの事務所にお世話になろうなどと思っていた彼女だったが、あれほど我武者羅に生き抜いていた芸能界への復帰に、もし、という前置きがついてしまうくらいには、あかりは今の生活に居心地の良さを感じていた。

 

 学校の方は通信制の教室と家庭教師で賄った。元々人目から離れるという意味もあったし、また磨瀬榛名の知名度はまさしく全国区であった為、急な休業で騒いでいる世間のほとぼりを冷ます意味合いもあった。

 

 そして、それからしばらく。

 段々と街を出歩いても正体がバレることもなくなり、あかりは学業の成績も優秀だった為、このまま中学の単位を取得して、どこか普通科の高校を受験しようかと考えていた時――姉にこんなことを言われたのだ。

 

『お願い、あかり。……みんなのことを、頼まれてくれないかな?』

 

 姉――雪村あぐりは、中学校の先生をしていた。

 

 詳しい事情は聞いてはいないが――ずっとあかりは役者業で忙しかった為――時折、姉は本当に嬉しそうに自分の生徒達との思い出を話すので、先生という仕事が大好きなのだろうと、我が姉ながら微笑ましく思っていた。このまま自分が普通科の高校に――言うなら、普通の学生になってみたいと思ったのも、姉の影響が多分に含まれている。

 このことを言うと姉は「わたしのせいっ!?」と涙目で慌てるだろうから言わないが。

 

 だが、そんな姉が、なぜか大好きな教師を辞めなくてはならないという。

 

 あかりが理由を問いただすと、なんでも婚約者の柳沢が海外転勤になる為、それに同行しなくてはならないというのだ。

 

 それを聞いた時、あかりは露骨に表情を歪ませた。姉の婚約者であるあの男にはあかりも一度だけ顔を合わせたことがあったが、長年大人達の陰謀渦巻く芸能界の荒波を生き残ってきたあかりには、一目で碌でもない男だと分かった。自尊心が高く、支配者気取りで、自分の思い通りにならないことやものに対しては途端に横暴になるタイプだ。得てしてそういった人種は大したことのない小物が多いが、自分達の親が娘を差し出してまで繋がりを保とうとするということは、能力は高いのだろう。それがまた厄介だ。

 

 そんな男のせいで、姉の人生が狂わされる。大好きな教師を辞めさせられる。あかりは怒りが沸々と湧いてきたが、あぐりはそんなあかりを優しく抱き締めて、宥めてくれた。

 

 その際に、姉妹なのにどうしてここまで差がついた……と嘆きたくなる巨乳の柔らかさを感じて少しやるせない気持ちになるも、それ以上に大好きな姉の温かさ、柔らかさ、そして匂いに包まれて、荒んでいたあかりの心もだんだんと落ち着いていく。

 

 姉は、既に自分の運命を受け入れていた。だが、どうしても一つだけ心残りがあると言う。それが、彼女が担任する――椚ヶ丘中等部3年E組のことだった。

 

 そして、あかりは、ここで初めて、そのE組というシステムを知った。

 

 進学校内の効率的なカースト作りの為、底辺扱いを強要される隔離教室。

 

 その凄惨な扱いにあかりは眉を顰めるも、その優秀な頭脳は、確かにそのシステムの有効性を理解した。感情的には決して肯定し難いものだが。

 

 それでもあぐりは、その教室の担任であることに、誇りとやりがいを持っているようだった。彼女は、今年の三月からメンバーが入れ替わったという、まだ出会って間もない今のE組のメンバーの長所を上げていく。

 

 磯貝という少年は思いやりがあってリーダーシップを持ち、片岡という少女はしっかりしていて責任感があり、奥田という少女は人と関わるのが苦手だが理科知識に優れ、菅谷という少年はマイペースだが独特の素晴らしい感性を持っている。

 

 共に過ごした時間がたった二週間とは思えない程に、雪村あぐりという教育者は、生徒一人一人の個性を“見て”いた。

 落ちこぼれだと蔑まれ、あいつらは終わったとE組(エンド)へと送られてきた彼等の、彼女等の長所を――才能を、見つけ、認め、尊重し、尊敬していた。

 

 始めは出会ったばかりで彼等の担任という責務を放棄しなくてはならない罪悪感で悲痛に表情を歪めながら懺悔するように話し出したあぐりだが、段々とまるで自慢するように嬉しそうに、あかりに私の生徒はこんなにも素晴らしいのよと語っていた。

 

『――それでね、赤羽君はまだ何度か家庭訪問に伺っただけなんだけど、彼って素晴らしいのよ! 頭の回転がすっごく速いの! ……まぁ、その能力を、人を驚かすのに全力で使うのは勘弁してほしいんだけど……でも、あれだけのものを作るのは相当に手先の器用さが必要になるわ! 上級生も喧嘩で圧倒したっていうし! ……それは誉められたことじゃないけど。きっと運動神経もすっごくいいのね!』

『へぇ、そうなんだ。会ってみたいなぁ』

 

 深く関わり合いたくはないけど。と心中で付け足すあかり。

 

 今のあぐりは自分の大好きなものを語る人特有の周りが見えていない状態なので、あかりの相槌も適当になりがちだ。だが、あかりはこんな風に目を輝かせて生徒の自慢話をするあぐりの顔が好きだった。

 

 だが、ここであぐりは、途端に表情を曇らせ――否、悲しそうに俯かせた。

 

『ん? どうしたの? お姉ちゃん』

『……それでね、渚君はね…………渚君は……』

 

 ここで姉が出した名前は――おそらくはだが――生徒の下の名前だった。

 

 生徒とは近い距離感で――それこそ姉のような距離感で接しているあぐりだが、そこは教師として必要な一線を自ら引いているのか、みな苗字で呼んでいた。

 

 だが『渚』という生徒は、無意識なのか、意識的なのか、下の名前で呼んでいた。

 

 しかし、ならば他の生徒よりも更に距離感が近いのかといえばそうではなく、むしろ先程話に出ていた数回の家庭訪問のみだという――よく考えれば二週間で数回も家庭訪問に伺っているという姉のバイタリティにも脱帽だが――赤羽という少年よりも、距離感としては遠いように感じた。

 

『ん? その、渚君? がどうかしたの?』

『……その、彼はね…………危うい、の』

 

 あかりはその時、少し目を見開いた。

 なんというか、あぐりが自分の生徒について話す時、否定的なこと言ったのは初めて見たからだ。

 

 深く関わりたくないとあかりに思わせた赤羽君よりも“危うい”と言わしめるとは、その渚とやらは女の子みたいな名前をして一体どれほどの不良なのだろうとあかりが思っていると、そんなあかりの思考を感じたのか、あぐりは焦ったように首と手を振って否定した。

 

『ち、ちがうのよ! 渚君はとても温和で優しい子なの! 大人しくて、あまり目立つ子じゃないけれど、いつも周りのことを見てて、誰からも好かれるような……』

 

 ん? とあかりは再び首を傾げる。話を聞く限り、全くもって問題のない生徒のように思える。どの学校のどのクラスにもいるような、確かに中心ではないけれど、みんなに受け入れられる“無害”な生徒。

 

 それが、どうしてよりにもよって、“危うい”などという評価に繋がるんだろうか。

 

『……これは、あくまで私の直感で……気のせいなら、それが一番いいんだけど……』

 

 あぐりはそういって、ポツリ、ポツリと語り始める。

 

『……E組の生徒達はね……みんな何かしらの傷を抱えているの。……中学生っていう多感で脆い時期に、はっきりと落ちこぼれだってレッテルを、これ以上なく徹底的に貼られるんだから、無理もないんだけど……』

『…………』

 

 それはそうだろう、とあかりは思う。

 

 それに加えて、椚ヶ丘といえば、あかりでも知っているような超有名進学校だ。

 

 当然、幼少期から優秀で、クラスでもトップクラスの――いわばエリートだった生徒が集まっているのだろう。自分の能力にプライドを持っていた者もいるだろうし、親や周りに重大な期待をされていた者も多いはずだ。

 

 そんな状況で、そんな風に残酷にレッテルを貼られ、見世物のように隔離されれば、中学生の心など、容易く――徹底的に折れる。そして、癒えない傷になるだろう。

 

『だけどね……渚君は、そういうのとはまた違うの。……ううん、きっとそういう傷も関わっているんだろうけど……もっと深くて、もっと根本的なところが……危ういの』

『……それって、結局、どういうこと?』

 

 あぐりは、一度、キュッと口を閉じて、両手をギュッと握りしめながら、言った。

 

『……たぶん、渚君は、簡単に自分を捨てて――棄ててしまえる子なの。……自分というものに対する“価値”が――自己評価が、自己価値が……すごく低い。怖いくらいに――低い』

『………………』

 

 ごくりと、あかりは息と唾を呑む。

 

 確かに、話を聞く限りのE組というものの扱い――そんなところに落とされたら、自分に対する自信やプライドなどへし折られるだろう。

 

 どうせ自分なんて――そんな風に自棄(やけ)になり、自分に対する自己評価など底辺に落ちるだろう。

 

 でも、あぐりが言う渚のそれは、そんなE組の中においても、群を抜いているらしい。

 

 あぐりが――あの姉が、そんな風に言ってしまう程に。

 

『……だから、あかり…………お願い。……E組のみんなのことを――渚君のことを、頼まれてくれないかな』

 

 あぐりは、本当に申し訳なさそうに、あかりの手を取って、懇願した。

 

『……本当は、こんなことをあかりに――妹に頼むなんて、間違ってるって思う。……仮にも教師なのに、大事な妹の人生を――大事な一年間を、姉である私が縛り付けるなんて間違ってるって思う』

 

 あぐりの手は、震えていた。

 

 それは、妹に無茶な頼みをする自分に対する怒りなのか、それとも大事な生徒を途中で放り出してしまうことに対する口惜しさなのか――おそらくは、その両方だと、あかりは思った。

 

『……それでも、無茶を承知で――恥知らずなことを承知でお願い! あかりの――休眠期間の最後の……残された一年間……あなたの時間をくれるなら……E組で過ごしてくれないかな?』

『で、でも私、お姉ちゃんと違って教師みたいなこと出来ないよ。精々がクラスメイトとして相談に乗ってあげるくらいで――』

『それでいいの! ううん、無理に相談に乗ってあげなくてもいい! ただ一緒に過ごして、傍で見守ってあげて!』

 

 あぐりは、あかりの手を優しく握り、見つめた。

 

 その顔は、姉で、教師で――子供を見守る、大人だった。

 

『そして、あかりにも知ってほしいの――学校の楽しさを。きっと、E組なら――あの子達と一緒なら、楽しい一年を過ごせるはずだから』

 

 E組。エンドのE組。

 

 進学校の落ちこぼれクラスで、見せしめのように劣悪な環境に隔離された、山の中腹の教室。

 

 誰よりもそれを知っているはずなのに、姉のその顔は、そこで過ごす一年間が、かけがえのないものになることを確信しているようだった。

 

 そんな姉の言葉に、笑顔に対しあかりは、同じく笑顔で(といってもどうしようもなく苦笑気味だったが)頷く以外の返答を用意できるはずもなかった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そしてあかりは、椚ヶ丘中学の編入試験を受験した。

 

 本名の雪村あかりで受験することも考えたが、椚ヶ丘は全国的に有名な学校だし、どうせなら雪村あぐりの妹としてだけでなく、磨瀬榛名としてでもなく、完全に別人として、先入観なしでE組(かれら)と接してみたいと思い――あかりは『茅野カエデ』となった。

 

 偽の戸籍は姉のあぐりの同僚――正確には、婚約者の柳沢の同僚に用意してもらった。

 

 その協力者曰く――

 

『――椚ヶ丘といえば、確かアスナ君の……なるほど、実に面白い。偽の――茅野カエデの戸籍はこちらで用意しよう』

『……あの、今更ですけど、本当にいいんですか? あくまでちょっと思いつきで言っただけなんですけど……戸籍を偽造って、問題になりませんか?』

『大丈夫。理事長とはこちらから話をつけておくから。……その代わりとは言わないけれど、ちょっと頼まれて欲しいことがあるんだ。それはね――』

 

――なんて一幕があったが、元々成績的には優秀だったあかりは、問題なく全国でも屈指の名門校の編入試験に合格した。

 

『いやぁ、素晴らしいよ、茅野カエデさん! こんなにいきなり椚ヶ丘(うち)の編入試験に合格できたのは、君が初めてだ!』

『……はは。ありがとうございます』

 

 いやぁ、これであの事件で失ったあの生徒()の代わりが――と嬉しそうに呟く教頭の話を聞こえないふりをして、あかりは周りを見渡す。

 

 問題なくA組相当の実力を示したあかり――茅野は、教頭である飯山によって、椚ヶ丘の自慢の学習設備を見学するべく、校舎内――本校舎内を案内されていた。

 その設備は、まさしく全国区の進学校の名に恥じぬ素晴らしいものだったが――

 

(……なんか、牢獄みたい)

 

 何かに追われるように、何かを恐れるように、一心不乱に板書に没頭する生徒達。

 その額には汗が滲み、シャー針が折れて板書が止まり、黒板が消されたことで絶望に表情を染める者もいた。

 

(……これが、学校?)

 

 こんなのは、自分がずっと戦っていた芸能界と何も変わらない。

 

 ただ走る。周りの人間よりも、一歩でも前へ。躓いたものは見捨て、転んだものは飛び越え、必死にふるいから落ちないようにしがみ付き、他者を蹴落とす。

 

 そんな世界(じごく)と、ここは――何も変わらない。

 

『…………』

『ここが理事長室です』

 

 そして、茅野はこの学園の支配者と相対した。

 

 

『ようこそ、雪村あかりさん』

『……茅野カエデです、理事長。……ご存知ですよね?』

 

 悠々と手を広げながら、堂々と挑発してきた男に、茅野は完璧な笑顔を作りながら返した。

 

 性格悪いなこの人、と思いながらも、茅野は笑顔を崩さない。自分よりも圧倒的な力を持つ大人に屈することの恐ろしさを、磨瀬榛名だった茅野カエデは嫌になるほどに理解していた。

 すでに飯山はここにはいない。ここにいるのは、茅野と――そして、この男だけ。

 

 理事長――浅野学峯は、そんな茅野を見て満足げに笑いながら、背もたれにぎぃと凭れつつ、尊大に仰け反りながら返答する。

 

『ええ。仮想課の菊岡さんから話は聞いていますよ。……それにしても、元有名子役とはいえ、随分と面白い繋がり(コネ)を持っているのですね。……いや、この場合、君ではなく雪村先生ですか』

『…………』

 

 茅野は表情を変えない。

 

 内心では、あの菊岡って人はそんなにすごい人なのか、という驚きがあったが、ここで妙なリアクションをしても、自分――そして姉のあぐりに対し、不利益しかないことは分かりきっていた。

 

 茅野は一目で気づいた。柳沢の人間性を一目で看破した、芸能界で鍛え上げた茅野の人物観察眼は、この男の恐ろしさも的確に見抜いていた。

 

 この男は怪物だ。芸能界にも――自分が知る限りでは――これほどの怪物はいなかった。

 

 茅野は、表情は笑顔のまま、体の前で組んだ手をギュッと握った。冷や汗が出るのを必死で抑えた。

 

 理事長はそんな茅野を見据えながら、更に薄い笑みのまま言葉を続ける。

 

『君はE組を志望しているそうだね』

『ええ、それがなにか?』

『残念ながら、それは許可出来ない』

 

 ぴく、と茅野の体が硬直した。表情は変えない。

 

 理事長は、体を起こし、机に両肘をついて、両手の上に顎を乗せながら、茅野の何かを覗き込むように言った。

 

『君の成績はA組のそれと何ら遜色はない。雪村先生から聞いているだろうが、この学校でのE組は成績不良者に対する特別強化クラスだ。君のような優秀な生徒を、そのような場所に送ることは合理的ではない。私の教育理念に反する』

『……菊岡さんからは、私をE組に編入させていただくようにお願いが言っているはずですが』

『私が彼からのお願いで了承したのは、君が偽名で編入すること、ただそれだけだよ。もし君が編入試験に合格しなければ、私は君の編入を認めなかった』

 

 理事長はスッとその目を細める。

 

 その瞬間、茅野はゾッと、強烈な“殺気”を感じた。

 

 

『この学園の支配者(りじちょう)は私だ。例え国であろうと、私の教育の邪魔をすることは許さない』

 

 

 ザッと、一歩。

 

『っ!?』

 

 その時初めて茅野は、自分が後ずさり、そして笑顔を崩していることに気付いた。

 

 そして、理解する。改めて痛感する。

 

 浅野学峯という男の――怪物さを。

 

 この男は、言葉通り、例え国が相手でも、その相手を支配し、屈服させ、自分の教育理念を貫くだろう。

 

(……………っ)

 

 芸能界という場所は、大人という権力者が、何も分からず、何も知らず、ただ夢と希望だけを持った子供達を使って“遊ぶ”場所だ。

 

 報酬も、仕事も、育成も、全てを大人達が決めて、子供達を自分の理想の偶像(キャラクター)へと育て上げる。

 

 それに気づいたのは、一体いつのことだったか――

 

 

『…………っ』

『――? ……ほう』

 

 茅野は、俯きかけた顔を上げ――不敵に笑った。

 

――そして、そんな大人達に屈さないと誓ったのは、そんな怪物達に戦いを挑み続け、生き残ってやると誓ったのは、果たしていつのことだったか。

 

 息が詰まるような殺意(プレッシャー)の中、茅野は理事長に背を向け、歩き出す。

 

 まさしく子供のようだと笑われるかもしれない。でも、嫌だった。絶対に、それだけは嫌だった。

 

 だから抗った。だから、才能(ちから)を磨いた。大人達が自分に強いる理不尽の全てを、その圧倒的な演技力で黙らせた。

 

 勿論、それで何もかもが上手くいったわけではない。割を食った。損をした。自分の知らないところで、自分に味方をしてくれる優しい人達に迷惑をかけてしまっていたのかもしれない――でも――それでも――

 

 ガシャァン!! と、並べてあった黄金のトロフィーを、盾を、茅野は一気に薙ぎ払った。

 

――それでも、強大な大人の言いなりになり、自分を“殺される”のだけは、絶対に嫌だったから。

 

(…………あ~あ。やっちゃったなぁ。今回に限っては、ただの私の我が儘だなぁ)

 

 そう。今回に限っては、茅野はルールを破るよう強制している立場であり、理事長は何も間違ったことは言っていない。

 

 茅野は理事長に不正を見逃してもらう立場であり、この学園にお世話になる以上、茅野は理事長の作ったルールに従うべきである――だが。

 

(……それでも、あんな牢獄で一年間を過ごすよりも、やっぱり私は――E組(エンド)がいい)

 

 姉が――あぐりが、あれだけ楽しそうに語っていた“子供たち”と友達になって、仲間になって、一年(せいしゅん)を過ごしたい。

 

 茅野カエデ――雪村あかりが、長年、大人達と戦い続け、怪物と戦い続けて――大人に対抗する為に、大人として生きることを己に強要してきた、自分で自分にそう強いてきた少女が、生まれて初めて行った――我が儘な反抗だった。

 

 子供らしい、反抗期だった。

 

 茅野はくるっと振り向いて、子供らしく笑う。

 

『確かE組には、素行不良の生徒もお世話になるんですよね?』

 

 こうして茅野カエデは、3年E組の一員になった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「おはよー」

「おはよう、茅野っち」

「おはよう、茅野さん」

 

 登校した茅野にクラスメイトが挨拶を返す。

 なんだかんだあったが、茅野はそれなりに楽しい学校生活を送っていた。

 

 あぐりが言った通り、みんなそれぞれいいところを持った生徒達で、転入して数か月にもなる今は、すでに親しいといえるような友達も出来てきた。

 

(……まぁ、やっぱりみんなどっか暗いけどね)

 

 それでも、やはりE組ということへのコンプレックスは大きいのか、ふとした瞬間や授業中などは、みな俯き、目から光を失わせて、ただ時間が過ぎるのを待っている状態になる。

 

 姉である雪村あぐりの代わりのお爺ちゃん先生は、お世辞にも情熱があるといった風ではなく、むしろこの山の中を毎日登校するので精いっぱいなのか、偶に遅刻することもあるくらいだ。どう考えても人選ミスだと思う。

 

(……そういうところで嫌がらせをする人には見えなかったけどなぁ)

 

 それでも授業は決して分かりにくくはないので、腕はよかったのだろう。若い頃は。

 

 まぁそれでも、今のE組では、どんな先生でもほとんど変わりはないだろうと、茅野は酷いようだがそう思う。

 

 例えば、姉――雪村あぐりか、それとも――あの理事長クラスの、怪物の先生でなければ。

 

 そうこう言っている間に始業の時間。今日も先生は遅刻のようだ。

 

(……って、あれ? 渚は?)

 

 ふと気づくと、隣の席が未だ空白である。

 

 一番後ろのカルマは、まぁよくあることだとして、それに教室を見渡すと、あの神崎もいないようだ。

 

「あれ? 渚、今日は休みなの? 茅野さん、何か聞いてる?」

「ううん。……昨日は、元気はなかったけど、でも病気って感じじゃなかったし」

「神崎さんもいないね」

 

 前の席の片岡、後ろの席の不破とそんなことを話していると、教室の前の扉から神崎、後ろの扉からカルマが登校した。

 

「あ、おはよー、神崎さん。今日はちょっと遅かったね」

「……うん。少し、寝坊しちゃって」

「神崎さんでも、そういうのあるんだね」

 

「よぉ、カルマ。珍しいな、お前が朝から来るなんてよ」

「……まぁ、ちょっと早く目が覚めちゃってね」

 

 前と後ろで正反対のことを言われながら席に着く二人。

 

 その時、茅野は神崎の後ろから、件の人物が入ってくるのに気付いた。

 

「あ、おはよう、なぎ――」

 

 

 ゾクッ。

 

 と、言葉が止まった。

 

 

(――――え、何? …………なぎ、さ?)

 

「よう、渚、遅かったな。……ってかお前、神崎さんと登校してきたの? はっ! ま、まさか、そのために遅れたのかっ!?」

「ち、違うって杉野! 僕もたまたま今日は寝坊しちゃって、神崎さんとは駅を出たとこで偶然会ったから一緒に来たんだよ。あ、茅野、おはよう」

 

 茅野は、いつの間にか自分の席に――茅野の隣の席に座った渚の言葉に、はっと硬直を解く。

 

「――あ、な、渚、おはよう」

「ん? どうかした、茅野?」

「ん、ん~ん! 何でもないよ! それよりよかったね、渚。先生がまだ来てなくて」

 

 うん、助かったよ。と困ったような笑顔で頬を掻く渚。

 

 そうだ。何でもない。()()()()()()()()

 

 なのに、なんでだろう。一瞬、強烈な違和感を覚えた。

 

 違和感………? 否、違和感というよりは、もっと強烈で、もっと恐ろしい――

 

 茅野は、後ろの席の杉野といつも通り話す渚を眺めながら、その感覚の正体を探っていた。

 

 そして、そんな渚を遠くの席から、神崎とカルマが見つめているのを見て――どうしようもなく、嫌な予感がした。

 

 

『渚君はね………すごく、危ういの』

 

 

 かつて聞かされた、姉のそんな言葉が、ふと脳裏を過った。

 




脱線にお付き合いいただき、ありがとうございます。個人的にどうしてもやっておきたかった話なので。

そして、次回はお待ちかねの八幡と大志の対話で丸々一話です!

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