比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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大変長らくお待たせいたしました。
ゆびわ星人編が完成いたしましたので投稿します。


ゆびわ星人編 ――続――
比企谷八幡は、残された大切なものを守る為――決意する。


 

 どこかの国。どこかの場所。

 

 そこは、血と生ゴミと硝煙の香りがそのままスモッグと化して空気を汚しているかのような劣悪な環境のスラム街だった。

 まるで男が生を受け、育ったあの街のように。

 

 男は、誰よりも優しい笑みを浮かべながら、その街に威風堂々と君臨していた。

 

 男の周囲には、この街のあちこちに蔓延る生ゴミの一つとなりかけている、十数人の――“漆黒の全身スーツを纏った”人間達。

 

 無造作に散らかっているそれらは、性別も、年齢も、髪や肌の色も、人種すらバラバラだった。その人間達は、たった一つだけ、とある特殊な共通点を持った者達であった。

 

 男は、自分以外で唯一息がある存在である、その中の一人の首を片手で掴み上げながら、見る者の心を強制的に魅了する笑みのままに唄うような声で告げた。

 

「まったく、あなた方も懲りませんねぇ」

 

 己の首を万力の如き力で締め上げられ、今にも命を刈り取られようとしているのに、その笑みは、その言葉(こえ)は、今わの際の男の心をまるで優しく腐らせるような安心感で包み込んだ。

 

 知っている。自分は知っている。この安心感が、どれほど致命的な猛毒であるかを知っている。

 

 知っている。自分は思い知っている。だが、それでも、そうと知っていても尚、この耽美な快感から逃れることは決して出来ないことを、自分はこの世界で誰よりも深く思い知っている。

 

 何故なら目の前のこの男は、自分の首を怪物の如き力で締め上げるこの男は、自分を魅了し、力を授け、技術を授け、利益を与え、畏怖を植え付けてきた、この男は――

 

『おい、応答しろっ!? 状況はどうなっている《二代目》っ!?』

「――ほう、二代目ですか。今、君はそう呼ばれているんですね。別に構いませんよ、これまで通り『死神』と名乗っても。私はそんな名に拘るつもりはありませんから。独り占めしたかったのでしょう? 『死神』という称号の名声(きょうふ)技術(スキル)を」

「――――っっ……」

 

 二代目と呼ばれた男は、文字通り自らの首を絞めるその男を、ただ睨み付けることしかできない。

 その二代目の相貌は、どんな姿形にでも変装を可能とするために自ら皮を剥いだその顔は、既に目の前の男によってマスクを剥がされ、常人にとっては見るに堪えない醜悪なものとなっていた。

 

 が、それでも、その醜い顔面を前にしても、目の前の男の優しい笑みは崩れない。微塵も揺るがない。見る者に無条件で安心感を与える技術の結晶である男の笑みは、こんな状況に置いても変わらず効果を発揮し続けている。

 

 どれほど相手が自分に対して激情を抱いていたとしても。

 どれほど自分が相手に対して残虐な行いをしていたとしても。

 

 その笑みは――『死神』の微笑みは、相手の心の隙間から安心感を引きずり出し、警戒心を解かせ、そして――晒してしまう。

 

『死神』という殺し屋の前に、無防備な自分を晒してしまう。

 

 目の前の男は――目の前の『死神』は、そんな殺し屋で、そんな怪物だった。

 

 そんな無敵だった。

 

「お久しぶりですね、柳沢。状況は……まぁ、私がこうして応答していることで察してください」

『……ッ!? き、さまぁ……『死神』ぃぃいい!!』

 

 二代目が持っていた通信機を奪い『死神』が応答する。それに対し返ってきたのは、通信相手の歯を食い縛ったような呻き声だった。

 

「君も本当に懲りませんねぇ。たかが“目撃者”一人の口を封じる為に、何人の戦士(キャラクター)を使い捨てるつもりですか。それがあなた達の首を余計に絞めることになっていることなど、君程に聡明な男が理解していないはずがないでしょうに」

『黙れ! 黙れ黙れ黙れ!!』

「情報漏洩を防ぐという事に関しては、明らかに逆効果ですよ。こうして襲撃される度に、私はあなた達に関する情報と、あなた達が保有しているオーバーテクノロジーの武器類を大量に入手することが出来る。これも君程の男なら――」

『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇえええええええええええ!!!!』

 

 そのつんざくような喚き声に思わず『死神』も貼り付けた笑みを一瞬解いてしまう――が、通信機を少し遠くに離すことでやり過ごした。

 

 通信相手の柳沢はそんな彼のぞんざいな対応などいざ知らず、怨念と怨嗟が篭った声で『死神』に対して唾を飛ばしながら吐き捨てた。

 

『待っていろ……貴様は必ず殺す! 絶対に殺す! ……お前程の怪物ならば、“カタストロフィ”すら生き残ってしまうかもしれない』

「…………」

『ふん、どうせ既に知っているのだろう。だが、それでは私の気が済まない』

 

 そして、柳沢は『死神』に宣言する。

 

 その燃えるような憎悪と、凍えるような殺意を以て。

 

 

『お前は俺から全てを奪った……っっ!! よって、必ず死んでもらう!! 首を洗って待っていろ、この『死神(かいぶつ)』がっ!!』

 

 

 ブツッ! と荒々しく通信が切れる。

 

「……やれやれ。君から殺害予告を受けたのは、これで四度目ですね、柳沢」

 

 そして通信機を片手で握り潰した『死神』は、もう片方の手で締め上げている二代目に再び意識を向けた。

 

「――そうなると、君をこうして締め上げるのも四度目になりますかねぇ」

 

『死神』は、未だどうしてこの男が自分を裏切ったのか、理解出来ずにいた。

 

 自分に憧れて弟子入りを志願してきたこの男に、『死神』は望み通りの力を授け、忠誠心を植え付けるため絶対的な力も見せつけてきた。

 

 利益と畏怖を存分に与え、裏切る要素など在り得ないはずだった。だが、それでもあの時、この弟子だった男は裏切った。

 

 

――さよなら、先生。 見えてなかったね、僕の顔。

 

 

 あの後、あの包囲網を抜け出せたのは奇跡だった。

『死神』という殺し屋の生涯において、唯一といっていい絶体絶命のピンチだった。

 

 確かに、人の心理は学問的な計算によって、ある程度は操れる。だが、それは計算である以上、必ずどこかで誤差が生じる。

 

 弟子に対する“教育”において、自分の計算にどんな誤差が生じたのか、それは分からない。

 それを知る為に、こうして“元”弟子だけは、存分に力の差を見せつけて再び逃がしているが、それでも一向に分からなかった。

 

 確かに憎悪はあるだろう。自分に対する蟠りや不満は並々ならぬものがあるはずだ。彼が今、柳沢の手駒になっている経緯には、自分が大きく関わっているのだから。

 

 しかし、それでも、己と『死神(わたし)』との力量差が分からない程、この男は馬鹿ではない。そして勝ち目がない相手に何度も挑み続けるなどという不合理な真似をするほど、この男は愚かではない――はずだ。自分がそういう風に“教育”したのだから。

 

「…………」

「…………ぐ、ぁぁああ!!」

 

 もういいか、と『死神』は思った。

 

 疑問を疑問のまま放置することは、その類まれなる才覚によって全てを身につけてきた『死神』にとって決して気分のいいものではなかったが、これ以上この男を逃がしても、泳がせても、自分の疑問が解消されることはないような気がしてきた。

 

 ならば、敵をみすみす逃がすという行為は、ただの下策でしかない。ここでこの男を逃がすのは、デメリット以外の何物でもないだろう。

 

 どのみち、もう二度と、自分は弟子を取るつもりはない。

 

 これは弟子に裏切られたことに心を痛めたからでは決してなく、裏切られた原因が分からないままである以上、再び育てた弟子に背中を刺される可能性が消えない為である。

 イレギュラーな行動をし兼ねない“分身(パートナー)”など、やはりこれもデメリットでしかない。

 

『死神』は、誰よりも優しい笑みのままに、冷酷に、合理的に計算し、思考して、一気に元弟子の喉を握り潰そうと力を入れ――

 

 

「待て、『死神』」

 

 

 その声は、『死神』の背後から聞こえた。

 

 自分の背後を取れる人間など、この世界にも多くはいない。

 

『死神』は二代目の首を片手で吊り上げながらも決して気道を塞ぎきらない絶妙の力加減と締め方のまま、その声の主の姿を確認した。

 

 その人間は――否、その生物は、四足歩行の雌のジャイアントパンダだった。

 

「これ以上、無駄に優秀な戦士(キャラクター)を殺される訳にはいかない。……ここに無残に転がっている者達も、どれだけ苦労して“育成”したと思っている?」

「……苦情は柳沢に言ってください。私は自分の身を守っているだけですよ?」

「私には君の方もずいぶん楽しんでいるように見えるが?」

「ふっ、そうですね……あなた方の誇る技術は、とても興味深いとだけは言っておきます。このスーツにしかり、武器にしかり……“あなた”にしかり、そして――」

 

 

「――あの黒い球体に然り」

 

 

『死神』が穏やかな笑みのまま、だが不敵に、挑戦的にその言葉を告げると――案の定、パンダの纏う空気が殺気に塗れる。

 

 その反応を見て『死神』は満足げに微笑むと――そのまま二代目をパンダに向かって放り投げる。

 

「――大丈夫ですよ。いくら私でも、何の準備もないままあなたと戦うほど命知らずではありません」

「……入念な準備さえあれば、私を殺せるといった口ぶりだな、『死神』」

「さて、どうでしょうか?」

 

 二代目を背中に乗せるようにして受け止めたパンダは、そのまま『死神』から遠ざかるようにして去っていく。

 

『死神』は、そんなパンダに向かって世間話を振るかのように語り掛けた。

 

 相手の警戒心の隙間を縫うように内側に侵入し、情報を怪盗のように引き出す技術の結晶である、その『死神』の話術と声色で。

 

「大変ですね。あなた程の役職(ポジション)の者にもなると、現場の兵士の尻拭いまでさせられるのですか?」

「……そう思うのならば、私の仕事が減るように少しは手加減してもらいたいものだな、『死神』よ」

「あなた達から仕掛けてきたことでしょう? 私はただ巻き込まれ、身を守っているだけですよ」

「……貴様を巻き込んでしまったことこそが、私達にとって最大の不幸(ミス)だ。まさしく“死神”に目を付けられた気分だよ」

「それはそれは。ご愁傷さまです」

 

 はっ、と吐き捨てるように愚痴を零すパンダのその姿は、愛くるしい見た目により却って悲愴さが増しているようにも見えた。

 

『死神』はそんなパンダの姿に(自分がしていることを棚に上げて)同情しながら、情報を引き出すための会話を引き延ばそうとする。

 

「ならば、あなたから柳沢を止めればいいじゃないですか? そうすればあなた達は貴重な戦士(キャラクター)を失わないで済むし、私は命を狙われる危険性がなくなる。……そもそも――」

 

「――目前に迫った“カタストロフィ”までに、私を殺せると思っているのですか?」

 

 その言葉に、パンダの足が止まり、首だけを後ろの『死神』に向けた。

 

「……忌々しい『死神』だ。一体どれほどこちらの情報を掴んでいることやら。……確かにうちの上層部のほとんどが、最早貴様のことは放置し、戦力の増強、維持に努めろという意見で固まりつつある。強硬なのは柳沢くらいだ」

「ふふっ、でしょうね」

「……故に、こうして私が尻拭いさせられているのだが。……だから安心しろ。こういったことは、今後はほとんどなくなるだろう。貴様の言う通り“カタストロフィ”は目前だ。貴様に構っている時間はない。我々の計画は、次の段階に移る」

「次の段階、ですか」

 

『死神』は笑みの仮面の下で愉悦する。

 

 パンダは気付かない。己がどれほど重大な機密を話しているのか。

 

 パンダは忘却している。今、自分の目の前にいる男が、どのような怪物なのか。

 

「――その為に、少しでも戦力が必要だ。……私はこれから、“現場”に向かう。……君と会うことも、もうないだろう」

「……ほう。貴方が、自らですか」

 

 その時、『死神』の眼光が静かに鋭くなった。

 

『死神』は、目の前の人物――目の前のパンダの事を、殊の外高く評価している。

 

 こうして一部隊の尻拭いをさせられ、そして“()()()()()姿()()()()()()()()()”ことから、決して幹部クラスの地位を獲得しているわけではないが、それでも現場の将クラス――上層部と末端を繋ぐ中間管理職程の地位にはついている。

 

 一体の“実験体”からここまで上り詰めたのは、紛うことなき彼の実力の賜物だった。

 

 そんな彼が、このカタストロフィが間近に迫ったこの時期に、わざわざ送られる程の“現場”――

 

「――最後に、もう一度尋ねたい」

 

 パンダは、気が付けば上半身を捩じるようにして、『死神』と向き合っていた。

 

 そして、ゆっくりと、力強く尋ねる。

 

 

「我々の仲間になって――共に地球を救うつもりはないか?」

 

 

 これは、目の前のパンダからの、通算四度目となる勧誘(スカウト)だった。

 

 いつだって、こうして漆黒のスーツの死体が転がる惨状で、二代目を背中に乗せた彼に、この言葉で口説かれるのが自分達のお決まりの流れだった。

 

 だが、パンダはいつも本気だった。本気で『死神』を仲間にしたいと考えていた。

 

 パンダが知る限り、この世界でこの男ほど強く、優秀で、無敵な存在はいない。

 

 数多くの戦士キャラクター達を見て、育ててきたパンダにとって、この『死神』こそが、世界を――否、地球を救う英雄に相応しい存在だと、心から確信していた。

 

 だからこそ、危険な男だと、この上なく危険な男であると分かっているのに、こうして彼が知りたいであろう機密を話し、『死神』の思惑通りに会話にも乗ってしまうのかもしれない――いや、これも『死神』によって誘導された思考なのか。

 

 しかし少なくとも、この男が味方になれば、“組織”にとって、地球にとって、最強の戦力となることは間違いなかった。

 

 でも、それでも、『死神』の返答も、これまで通りと全く同じ――

 

「――お断りしますよ」

 

 張り付けたような笑みで。だが、この上なく穏やかな笑みで。地面にゴロゴロと自分が殺した死体が転がっているこの惨状では明らかに相応しくないのに、まったく不自然さを感じないことが不自然な笑みで。

 

 奪えるだけ武器類を奪って、引き出せるだけ情報を引き出して、それでも『死神』の返答は、いつもこの一言だけだった。

 

 それでもパンダが目の前のこの『死神』を、忌々しくは思っても憎むことが出来ないのは、『死神』の心理誘導(マインドコントロール)の巧みさ故なのか、それとも、二代目のように、この『死神』という完成された無敵さに、パンダもすっかり憑りつかれているのか。

 

「――そうか」

 

 パンダは今度こそ、『死神』に背を向ける。

 

 ビィィィンという電子音と共に、どこからともなく二筋の光が、パンダと、その背中の二代目に照射される。

 

「ならばせめて、君が私達の――地球の敵にならないことを祈るよ」

 

 そしてパンダと二代目の姿が完全に消え去り、この腐りきったスラム街には、『死神』と無残に殺され尽くした死体群のみが残される。

 

『死神』は彼等が回収される前に、オーバーテクノロジーの武器類を回収するべくすぐさま行動に移しながら、先程のパンダの言葉を思い返していた。

 

 

(……調べてみる価値はありそうですね)

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

『――今朝午前6時頃、上野総合動物園にて飼育されているパンダのリンリンが、自身の檻から抜け出し園内を徘徊しているところを飼育員が発見し、保護しました。リンリンちゃんは先程無事自身の檻の中へと戻されましたが、どのようにして檻から抜け出したのか、原因は依然判明しておらず、昨日の営業時間後の見回りにおいては確かに檻の中にいたと担当飼育員は証言しており、昨晩の深夜から今朝の明け方にかけて、何者かが園内に侵入し脱走させたのではないかと、警察は調査を――』

「…………」

 

 …………うん。今日も平和だな。

 

 俺はそっとチャンネルを変え、ソファにドカッと座り込みながら天井を見上げた。

 

 …………結局、一睡も出来なかった。

 

 昨晩のガンツミッションを終えて、疲れ切った体と頭で自室に帰還した俺は、全身の細胞が休息を求めて怒鳴り散らす中、それでもぼっちの宿命か、目を瞑って横になっても膨大な思考が脳内を駆けずり回り、一向に眠りの世界へと旅立てなかった。

 

 よって、徹夜である。……この感じも久しぶりだ。なんならちょっと懐かしくて絶好調まである。いや、単に寝不足でハイなだけかもしれない。

 

 前までの俺ならそのまま不登校を決め込みベッドと同化するのだが、残念ながらそうはいかない。

 

 今の俺は、というより今日の俺は、一刻も早くやらなくてはならないことがある。

 

 

――……おにい、さん……

 

 

――お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはねぇ。

 

 

『――ご覧ください。こちらの幕張展示場では、まるで展示中だった恐竜が飛び出したかの如く大きな穴が開けられています。そして、その前の広場では、数十人の惨殺死体が。その中にはマスコミ関係者や事態の鎮圧にあたっていた警察官の死体も含まれています。生き残った警察官や目撃者の証言に依りますと、犯人らしき者の姿は見ておらず、突然被害者達の身体が吹き飛び死亡したと答えており、警察は目撃者達の精神鑑定を――』

「――ふぁぁ。あ、おはよう、お兄ちゃん。今日は早くない?」

 

 再び思考の泥沼に沈みかけていると、小町がリビングに入ってきた。

 

 ふとテレビの右上を見ると、確かにそれくらいの時間だった。

 ……不味いな。いくら徹夜とはいえ、頭が重過ぎる。これからするべきことを考えたら、万が一の事態もあるかもしれないのに。

 

 だが、今はとにかく小町に朝の挨拶だと、俺はソファの背凭れに凭れ掛かりながら、イナバウアー状態で小町に朝の挨拶を返す。

 

「……ぉぉ、おはよう小町ぃい(地を這うような低い声)」

「ぎゃぁぁああああ!!!」

 

 ……朝から愛する妹に本気で恐怖されてしまった。……確かにちょっとふざけたけどそこまで恐がらなくてもいいじゃんよぉ。っていうか朝から俺は何をやってるんだ。やっぱり徹夜明けでちょっとおかしいのかもしれない。

 

「お、お兄ちゃん!! 本気でどうしたの!? 目が腐ってるなんてもんじゃないよ! ちゃんと見えてるの!? 目の機能果たしてる!?」

 

 ……酷い言い草だった。

 

 そこまで俺の目はヤバいのか……。まぁ、最近の目の濁り具合に徹夜がプラスされたら、どんな状態になるのかは想像がつくか。だが、小町がそこまで言うなんて……ちょっと楽しみになってきた。

 

「そんなにかよ……ちょっと顔洗ってくるわ」

 

「う、うん、そうしてきなよ……」と言う小町の横を通り過ぎて、洗面台へ向かう。その時も、小町は扉にビタッと背中を張り付けて引き攣った苦笑いを浮かべていた。……そこまで怯えられると、さすがにちょっと泣きそう。更に目が濁っちゃう。これ以上濁ったら本気で失明なんじゃないの?

 

 バシャバシャと眠気を少しでも吹き飛ばす――のは無理なので、少しでも誤魔化そうと冷水を顔に叩きつける。そしてタオルで拭って、鏡で自分の顔を確認すると――

 

「…………うわぁ」

 

 引いた。普通にドン引きだった。

 

 もう何かしらの血継限界なんじゃねぇの? 点穴とかチャクラの流れとか見えちゃうんじゃないの? ってくらいの自分の目の濁りっぷりに引きながらも、俺はそのまま自室に戻って制服に着替えて、リビングに戻った。白眼とかリアルで見たら絶対にホラーだよね。まぁ、俺は好きだけど。メインヒロインはヒナタ。異論は認める。

 

「…………」

 

 制服の下にガンツスーツを着ようか……かなり迷ったが、結局着ていかないことにした。

 やはり雪ノ下が絶えず傍にいる今の状態で着ていくのはリスキーすぎる。

 

 その代わりにXガンは鞄の底ではなく、いつでも取り出せるようにしておく。

 

 ミッション後に襲われたんだ。俺の顔はあの黒スーツの奴等に完全に覚えられたことだろう。一番厄介そうな奴に目を付けられたみたいだし、用心は出来るだけするべきだ。

 

 大志は奴等の仲間のようだった。少なくとも一員だった。ということは、ここら一帯も奴等の縄張りである可能性は十分にある。

 

「…………っ」

 

 ゾクッと。昨日から散々思索した上で出した、かなり危険な推論に、俺は背筋が凍るのを感じる。

 ……もしそうならば、このままではあのチビ星人の時の二の舞になりかねない。

 

 ガンツが関与しない中、文字通りのルール無用の殺し合いを、俺の日常の舞台で行われた、あの悲劇を。

 

 関係ない、ガンツにまったく関係のない、罪もなく、たまたまそこに居合わせただけの人達が――たまたま俺という人間と関わってしまったが故に殺され、傷つき、壊されてしまった、あの悲劇を。

 

 繰り返してしまうかもしれない。再び、繰り返してしまうかもしれない。

 

 また雪ノ下を、由比ヶ浜を、あいつ等を巻き込んでしまいかねない。

 

 ……そして、もし、再び……あんなことが起きてしまったら。

 

 今度は――

 

 

「――お兄ちゃ~ん? 朝ご飯出来たよぉ~」

「っ! あ、ああ」

 

 いつの間にか止まっていた歩みを、小町の声によって再開させる。

 

 そしてリビングに入って、いつも通りのパンとマッ缶もどきコーヒーがメインの朝食を貪った。

 

 ……絶対に、あれだけは繰り返してはダメだ。絶対に。絶対に。絶対に。

 

 

 俺は誓った。雪ノ下雪乃を、今度こそ守り抜くと。

 

 俺は誓った。由比ヶ浜結衣を、これ以上絶対に傷つけないと。

 

 そして、俺は誓う。絶対に、小町は――

 

 小町だけは――――

 

――その為にも、今日は絶対に休めない。やらなくてはならないことがある。

 

 いつまでも、やられっぱなしでいられるか。

 

 今度は、今度こそは、俺が必ず先手をとる。

 

 

「――じゃあ、俺、行くわ」

「あ、うん。……雪乃さんのとこだよね」

 

 少し表情に影が差したが、小町は昨日のように自分も行くとは言わなかった。

 

 俺はそれに対しては何も言わず――だが、リビングを出る前に、小町に背を向けたまま、言った。

 

「……なぁ、小町。お前さ、大志とはもう話すな。関わるな――絶対に、近づくな」

「…………………え」

 

 小町は絶句したように息を呑む。

 

 そのまま数秒、張り詰めたような沈黙が俺と小町の間を満たしたが、やがて小町は、空笑いを漏らしながら俺に言った。

 

「……や、やだなぁ、お兄ちゃん? 急にどうしちゃったの? 本当にシスコン過ぎて小町的にポイント――」

「――小町」

「ひっ」

 

 俺は振り返り、小町を思わず睨み付けてしまった。

 

 その際に、目に見えて小町が怯える。

 

 ……今の俺は、俺の目は、相当に恐ろしいのだろう。

 小町の怯え様は、これまで、俺が見たことのない程に酷いものだった。俺が見たことのない小町の姿だった。

 

 俺が小町から向けられる、初めての本気の恐怖だった。

 

「お、お兄ちゃん……?」

 

 瞳に涙を浮かべ、理解できないといった声色で、俺に向かって手を伸ばそうとする小町。

 

 まるで、お前は本当に自分の兄なのか? そんな風に問われているような、小町の恐怖。

 

 ……分からない。自信がない。

 

 本当に、俺は俺なのか? 俺は比企谷八幡なのか? もしや、もう、最早、全く別の存在(なにか)なのか?

 

 あの部屋での戦争を何度も経験し、何度も死に掛け、その度に、一つのミッションを終えてあの部屋に帰還する度に――綺麗な新しい体へとリセットされる。作り、変えられてきた。

 

 そして、色んな星人をこの手で殺しまくった。殺して、殺して、殺し続けてきた。

 

 色んな人間が死ぬところを目撃してきた。

 

 直接この手で殺めたことはないにしろ、俺のせいで、間接的に俺が殺したといっていい人間も、山程いる。

 

 殺人鬼。

 鬼。

 人じゃない、異物な怪物。

 

 あの白いパーカーの少年のように。真っ白なパーカーを真っ赤な鮮血で染め上げた、あの美しい鬼のように。

 

 俺も、人じゃなくなっているのかもしれない。鬼になっているのかもしれない。

 

 本物の、比企谷八幡ではなくなっているのかもしれない。

 

 ……怯えた小町の視線を受け、そんなことを思う。前までの俺では、小町にこんな表情をさせることなど考えもしなかった。出来もしなかった。無意識にでも、そんなことは在り得なかった。

 

 だが、それでいい。小町がそれで助かるなら。傷つかないなら、それでいい。

 

 

 もう、それだけでいい。

 

 

 雪ノ下雪乃を壊してしまった。由比ヶ浜結衣を傷つけてしまった。

 

 あの空間を、この上なく無残に破壊してしまった。

 

 そんな俺が、そんな俺でも、せめて――

 

 そう思う。そう思ってしまう。でも、それくらいは構わないだろう。

 

 

 たった一人の、妹なんだ。

 

 たった一つの、俺に残された、最後の――

 

 

「――頼むよ、小町。お兄ちゃんの、最後の我が儘だ」

 

 

 もう俺は、小町の兄だと、胸を張って名乗れることはないのだろう。俺はもう、既にそんな存在では在り得ないのだろう。

 

 

 いつかきっと。

 

 雪ノ下雪乃が俺から解放される日が来るように、由比ヶ浜結衣が俺を見限り愛想を尽かす日が来るように――小町も俺の元から去っていくのだろう。

 

 独りぼっちになるということは、そういうことだ。

 

 

 いずれ俺は、全てを失う時が来る。全てから解放される時が来る。

 

 小町も俺から、逃れる日が、きっと来る。

 

 

 だから小町。それまでは、俺がお前を守ってやる。

 

 お前だけはきっと、守り切ってみせるから。

 

 その為なら俺は、なんだってしてみせるから。

 

 

 どんなことだって、してみせるから。

 

 

「……お兄ちゃん? お兄ちゃんッ!」

 

 

 俺は、何かを断ち切るように、扉を強く閉めた。

 

 後ろを振り向かず、強く、何かを、断ち切った。

 




一気に毎日更新でいくので、どうか少しの間、お付き合いいただければ。

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