比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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あの部屋に帰るまでがミッションだ。


戦争が終わった戦場に、招かれざる侵入者が現れる。

「……大丈夫かな、新垣さん……」

 

 渚は意識を失っている東条を見遣りながら、地響きのような轟音の詳細を知ろうと、東条を渚に託して駆けていったあやせを思う。

 

 一体、今、状況はどうなっているのだろう? ここからでも見えていたあの巨大な恐竜が凄まじい勢いで倒れた後、この戦場は不気味なくらい静まり返っている。

 

(……どうしよう。僕も行った方がいいのかな?……でも、気を失ってる東条さんをこのままにしておくのも――)

 

 状況が把握できず、為す術もなく立ち尽くすことしか出来ない渚。

 

 

 その時、静寂を切り裂くような電子音が降り注いだ。

 

 それはずっと待ち望んでいた、辛く苦しい戦争の終焉を告げる、一筋の光だった。

 

 

「――!!」

 

 東条の体に、見覚えのあるレーザーが照射されていた。

 地面に横たわる東条の頭部が、消失していく。

 

(……こ、これって――)

 

 

 戸惑いを覚えたその時、渚の視界が一瞬真っ暗に染まり――――次の瞬間には、目の前にまったく別の光景が広がっていた。

 

 千葉の展示場ではなく、あの無機質な2LDKのルームマンションに。

 

 

「……え?」

「おう、渚」

「あ、東条、さぁん!?」

 

 渚は呆然としていた所に後ろから声を掛けられ、その人物が無事意識を取り戻したことが嬉しく振り返ったのだが――そこには、生首が浮いていた。

 かくいう自分もまだ肩口までしかない状態なのだが、目の前の光景がホラーなことには変わらず、女の子のような悲鳴をあげてしまう。

 

 そして、生首は徐々にあの大きく逞しい巨躯を取り戻していき、段々とレーザーは東条英虎という人間をこの部屋に召喚していく。

 あぁ、そういえばこの転送のシステムってこういうのだった、と、時間的にはたった一時間前のことなのだが、おそらくはこれまでの人生で最も密度の濃い一時間を間に挟んだことで、すっかり忘却していた。というより、こんな状況なのに平然としている東条はやはり大物である。つい先程まで全身ズタボロで気を失っていたというのに。

 

 そうこうしている間に、渚自身の転送も終わる。ふう、と思わず息を吐いてしまったが、まだ安心できる状況ではない。この後一体自分達はどうなるのか、まるで不明なのだ。

 

「――あ! そうだ、東条さん!! 体は!? 怪我は大丈夫なんですか!?」

 

 前述の通り、東条の体はボロボロ—―より具体的にいえば、全身の筋肉がズタズタに断裂していた状態だった。気絶するのは当然として、意識が覚醒しても満足に、どころか碌に体を動かすことなど出来ないはずなのだ。

 

 だが東条は、んっと体をほぐして――

 

「ん? まるで問題ないぞ?」

 

 と、(のたま)う。いや、確かに怪我が治っているのに越したことはないのだろうが、普通あれだけの大怪我を負っておいて、目が覚めたら綺麗さっぱり治っているということに、少なからずの気持ち悪さや恐怖を覚えたりしないのだろうか? しないのだろう。目の前の文字通りの大物は。

 

 東条という人間の規格外さを改めて目の当たりにし、乾いた笑いが漏れる渚だったが、ふと自分の体を見回す。

 渚は東条と違って分かりやすい大怪我をしたわけではないが(何気にスーツを着ていないでほぼ無傷で生き残ったのは、渚だけである。それも星人と真正面から戦闘したにも関わらず。そういう意味では、この潮田渚という少年も決して只者ではない)、全身が真っ赤に染まるほど、どっぷりと恐竜の血液を浴びていたはずだ。

 だが、その血は跡どころか匂いすら残っておらず、転送前の、つい一時間前にこの部屋にいた時と同じ、綺麗な服を身に付けている状態だった。

 

 まるで、あの地獄の一時間が、夢か幻であったかのように。

 

(……ッ!! 違う! そんなわけない!!)

 

 渚はぶるぶると頭を振るう。危機察知能力が高いこの少年は、その思想はこの部屋の住人にとって一番抱いてはいけない防衛本能だと察した。それが、自身の精神衛生上、最も優しい逃避であったとしても。

 

 そうだ。あれが夢や幻ではないことは、目の前の、この黒い球体が教えてくれている。その静かに鎮座する有り様が、雄弁に語っている。

 

 僕達は、今日、この黒い球体に、戦争を強いられた。

 

 恐竜と――宇宙人と、殺し合いをさせられた。

 

(……そして僕は、この手で殺した。……命を奪って……生き延びた)

 

 渚はそっと自分の腰に手を回す。硬質の感触。それを手に取り、宝物を扱うように丁寧に優しく取り出し、眼前に晒した。

 

 そうだ。殺したんだ。奪ったんだ。命を。この手で。このナイフで。

 

 綺麗な黒だ。じっと見つめていると、思わず吸い込まれてしまいそうな、美しい漆黒のナイフだ。

 

 これを自分は、(あか)く染めた。恐竜の血液で、真っ赤に染め上げた。

 

 思い出せる。はっきりと感じ取れる。血液の温かさ。肉片の感触。死に際の断末魔。

 

 全てが、はっきりと思い出せる。

 

 渚は、それらを一つ一つ、丁寧に思い出し、それらを一つ一つ、その身に取り戻す度に――心が、血液が、冷えきっていくのを感じる。

 

 渚は目を瞑り、その感触に身を任せた。殺害の余韻に、身を委ねた。

 

 心拍数を、僅かにも乱すことなく。

 

 その業を、その殺害を、余すところなく受け入れた。

 

 

 この日、潮田渚は“殺し”を経験した。

 

 これが、この経験が、この夜が、この戦争が――この、殺害が。

 

 潮田渚という“死神(アサシン)”の誕生の、その始まりの一歩(ころし)だった。

 

 

 ビィィィンと、黒い球体からレーザーが照射される。

 

「っ!」

「なんだ? また手品か?」

「それはもういいから」

 

 東条の言葉をにべもなくあしらいながら、渚は注視する。

 自分以外の誰かが、この部屋に還ってくる。

 

 誰だろう? 和人か? あやせか?――それとも。

 

 

 徐々にその姿が露わになる。

 

 丸々とした体、鮮やかな白と黒のコントラスト、もわっと広がる獣臭――

 

 

 パンダだった。

 

 紛うことなき、ジャイアントパンダだった。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 パンダ(♀)だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 腕をだらんと下げて呆然と下を向いている桐ケ谷の所に、数メートルの高さを頭から落下するという生身の状態だったら地味にヤバかったラストを迎えた俺は、一応この後のことについて色々と質問があるだろうなと、一番ヤバい相手をほぼ丸投げした軽い罪悪感と共に向かった。まぁ、俺が本来罪悪感を感じなければならない所は他にもあるんだろうが、それについては今でも俺は最善の判断だと思っているし、一切謝る気はないが。

 

 その際に一応、マップを確認する。赤点は0。全ての星人を殺すことに成功していた。

 桐ケ谷の最後の一撃はきちんと心臓を貫いていたようだ。いくらガンツソードでも届くとはいえ、Xガンのレントゲン機能なしで目算での攻撃だったから、きちんと心臓に攻撃が当たるかはぶっちゃけ賭けだったんだが。それとも、さすがのアイツも弱点じゃなくてもあれだけバッサリ胴体を斬られれば死ぬのかね。まぁ、どちらにせよ殺せたのなら問題ない。

 

「……っ! あ、ああ、えぇと」

「ちょっと待ってろ」

 

 とりあえずいつまでもこうして拘束しているのもアレなので、Yガンのネットを力づくで引き千切る。この作業も実に半年以上ぶりだ。まさかもう一度することになるとは思わなかった。

 

 別にこのままでもすぐに転送が始まるだろうから別にいいんだが、このままだと変に誤解されて面倒くさそうだと思ったのだ。

 あれだけの轟音が響いたんだ。さっきマップを見た時はまだ全員生き残っていたし、すぐにこちらに駆け付けてもおかしくはない。

 

 そんな俺の予想通りに、俺が桐ケ谷のYガンネットを引き千切った直後、黒髪少女がこちらに姿を現した。

 

「桐ケ谷さん! あ、ええと……大丈夫ですか!」

 

 ……うん、泣いてないよ。別に俺の名前なんか覚えられる方が稀だし。こういうの慣れてるし。八幡理性の化け物だし。あれ、使い方おかしくね?

 

 俺がへっと吐き捨てていると、そんな俺の挙動の意味が伝わったのか、新垣が申し訳なさそうに俯く。

 すると、桐ケ谷が俺に向かって言った。

 

「……ていうかお前、俺達に名前言ってないぞ」

 

 ……え? そうだっけ?

 

 すると黒髪はバッと顔を上げてですよね!? といった表情で桐ケ谷に同意する。

 

 ……そうか。元々、俺はコイツ等と馴れ合うつもりはなかったし――というか今もないが――こういっては何だが、コイツ等が生き残るとも思ってなかった。だから、名前を教えようなんて発想すらなかったんだ。

 

 だが、こうなるとさすがに教えないわけにはいかないだろう。どうせここで逃げてもあの部屋に還った際、質問責めに会うんだ。その時は、俺が知ってる限りのことは言わないとダメだろう。次回以降の新人に対する説明役を押し付ける意味でも。……はぁ。

 

「……比企谷だ」

「下の名前はなんていうんですか?」

 

 何でだよ。別にいいじゃねぇか、苗字だけで。呼ぶのに困んねぇだろ。被らねぇよ、比企谷とか。お前、今までの人生で他に比企谷に会ったことあんのか。この距離感の詰め型、コイツ間違いなくトップカーストだわ。

 

「……八幡」

「八幡さん……ですか。わたし、新垣あやせです。高一です」

「さっきも言ったが、桐ケ谷和人だ。十七歳」

「……高三。十七だ」

 

 なんで年齢まで?

 まぁ、俺達くらいの中高生は一学年、つまりたった一つ年齢が変わるだけで接し方が大分変わるもんだからな。先輩後輩がはっきりしてる方がやりやすいんだろう。友達すらいない俺にはよく分からんが。基本的に誰とも喋らないし。

 

 そんなことを、桐ケ谷と新垣が「ところで渚はどうしたんだ?」「東条さんが気絶しちゃってるので、一緒にいます」などと会話している間に考えていた。あのデカい人は東条というのか。……っていうか、結局あの人、スーツ無しであの巨人に勝ったのか。……マジで? あの人がスーツ着れば俺達いらねぇんじゃねぇの?

 

 そんな情報交換が終わったところで、桐ケ谷がこちらに居直る。

 

「……比企谷には、聞きたいことが山ほどあるけど……とりあえず。――俺達は、この後、どうなる?」

 

 キッと鋭い目つきを俺に向ける桐ケ谷。新垣も心配そうにこちらに目を向ける。

 まぁ、ここは別に嘘を吐いたり、誤魔化したりする場面じゃない。

 

「……来たときと同じように、ガンツ――あの黒い球体に、あの部屋に送られる。そこで採点があって、それが終わったら――自宅に送られる。元の生活に戻れるさ。……基本的には、な」

「本当ですか!? 元の生活に戻れるんですか!!」

 

 新垣が俺の手をとって、潤んだ瞳をずいっと近づけてくる。

 ちょ、近い近い。戦闘中は意識しなかったけど、コイツもスタイルはかなりいいし美人だし手が柔らかいしいい匂いだしちょマジ離れて。死にかけたからなのかそういうのに敏感なんだって。マジ頑張れガンツスーツ。どこがとは言わないけども。

 

「あ、ああ」

「……基本的に、とはどういう意味だ?」

 

 ……さすがだな、コイツ。こんな理不尽なゲームが、そんな甘いわけがないことを、よく分かってる。

 俺達のシリアスな雰囲気を察したのか、新垣が神妙な表情で下がる。

 

 俺は、桐ケ谷に向かい合って――

 

「……ああ、それは――」

 

 

 

「お♪ ハンターはっけ~ん!」

 

 

 

「――ッ!!」

 

 俺はXガンを構えて新垣を俺の背に追いやる。

 俺の挙動で察したのか、桐ケ谷も剣を構えて俺に倣った。

 

 声の方向に目を向けると、四人の黒服の男達がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。

 

 まだ少し距離があるからはっきりとは確認できないが――人間。少なくとも人型だ。

 

 その中の、こちらから見て左端の男――ドレッドヘアのそいつは、手を横に敬礼の形で額につけて、いわゆる遠くを見る――こちらを見る所作をしている。さっきの声もコイツのようだ。

 

 間違いない。奴等は、俺達が“見えている”。

 

 向こうからも、見られている。

 

「おい、どういうことだっ! 一般人には俺達は見えないんじゃなかったのかっ!」

「そのはずだ。現に警官達には見えてなかったろ。……これが特例なんだ。こんなことは初めてだ」

 

 小声で桐ケ谷とやり取りをする。こんな現象、俺も知らない。

 

 考えられるのは、二つ。

 

 まず一つは、ガンツ側のトラブル。

 二次被害が現実に反映されることから考えて、俺達の戦争は実際の現地で行われていることは明らかだ。なのに一般人に見えないのは、おそらくはガンツがなんらかの処置を施しているから。スーツを透明化する技術の応用かなんかだろう。

 故に、その処置のトラブルが、この事態の原因である可能性として挙げられる。

 

 そして、もう一つの可能性。それは――目の前の奴等が、一般人ではない。つまり、ガンツの処置の対象外だという、可能性。

 

 ……俺達と同業者か? 別のガンツ、またはそれに類ずるものの関係者で、俺達と同じように星人との戦争を強いられている、もしくは自発的に行っている組織か何かか? ……飛躍し過ぎか? だが、十分に考えられる。むしろ、俺達だけがこんな目に遭ってると考える方が不自然――傲慢な思い上がりというものだ。

 

 ……もしくは。……これはあんまり考えたくないが、これもまた十分に考えられる可能性。

 

 目の前の奴らは――人型、人間のような“星人”で。

 

 俺達は、今からコイツ等と戦わなくては――殺し合わなくてはならない。

 

 つまり、連戦って奴だ。

 

 ……考えてみれば、今までなかったのが不思議なくらいのありがちな設定だ。俺達を絶望させるのが趣味のガンツとしてはな。

 

 どうする? まだスーツは健在だが、コイツ等の強さが未知数だ。

 コイツ等は四人だけなのか? 他に仲間は? 残り時間は?

 どうする? くそっ、焦って考えが纏まらない!

 

 奴等が街灯の下に躍り出る。ついに、はっきりとその姿が見えた。

 

 左から順番に、ドレッドヘアの男、一番巨躯なサングラスの男、金髪イケメンのホスト風の男。そして――

 

 俺は、思わず銃を下ろしてしまった。

 

 そこにいたのは、俺も知っている人間で、人間であるはずの男で。

 

 そいつも俺の姿を認めると、暗く俯いていた顔を上げて、掠れた声を出した。

 

 

 

「……おにい、さん……」

 

 

 

 川崎大志。

 

 俺のクラスの川なんとかさんの弟で、小町の同級生で永遠のお友達で。

 

 こんな場所に、こんな戦場に、まるで似つかわしくない存在で。

 

 なんでこんなところにいるのか、いてしまっているのか、まるで、何も、分からない。皆目見当もつかない。

 

 ただ一つ、確かなのは――

 

 

 俺はXガンを再び構える――――川崎大志に向けて、銃口を向ける。

 

 大志は、ギョッと表情を固めた。

 

 

「――お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはねぇ」

 

 

 ただ一つ確かなのは、こんな状況で反射的にこんなことを言ってしまうくらいには、俺のシスコンは末期だということだ。

 

 




 大志、参戦。

 久しぶりの八幡以外のガイルキャラはまさかのこいつでした。

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