和人は目の前の光景が信じられない。
一頭のヴェロキラプトルが絶命している。
そして、その前に立っているのは、血塗れの姿で微笑む――一人の少年。
女の子のように小柄で、恐竜どころか虫も殺せないような、温和な笑みを浮かべる少年。
あやせのようにスーツを着ているわけでもない。
和人のように銃を持っているわけでもない。
東条のように強靭な肉体を持っているわけでもない。
ただ、真っ黒なナイフ一本で、恐竜を無駄なく数十秒で殺害した――普通の少年。
「うん? どうしました、桐ケ谷さん?」
首を傾げ、こちらに向かって一切の邪気のない笑顔を向ける、普通の――
普通、の――
「な、なぎ――」
和人が何と声を掛けたらいいか逡巡した、その時――
ゴゴゴゴゴゴゴゴ という、地響きのような音が響いた。
「――!!!」
その時、ようやく和人は気付く。渚の姿が衝撃的過ぎて、今まで気づけなかった自分に呆れ果てた。
いくら暗闇の中だったとはいえ、その奥に潜む――T・レックスの頭部に気付かないなんて。
その口内が、眩く灼熱していく。
その光が発せられた時、渚とあやせもそれに気づいた。いや、思い出した。
いくらそれ以上の侵入が出来なくとも、その大砲には関係ない。
「伏せろッ!!」
渚とあやせに覆いかぶさるように、和人は飛びつく。
そして、T・レックスは顎を上に傾けて、それを発射した。
ドガンッ!!! と、その火球は階段を破壊し、その階段裏の限られた閉鎖空間を破壊する。
途端に降り注ぐ瓦礫群。
(不味いッ!! このままじゃ生き埋めだ!)
和人はあやせとアイコンタクトし、スーツを着ていない渚を庇うように走り出す。
「グォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
T・レックスはその瓦礫をまるでシャワーを浴びているかのごとく物ともせずに大きく仰け反った。
和人とあやせはその背中にいくつもの瓦礫を食らいながらも、スーツのおかげで無傷で脱出に成功する。
「な、渚、無事か?」
「は、はい。……ありがとうございます、お二人とも」
「いえ、渚君にはさっきも助けてもらいましたから。お相子です」
少しでも今のうちにT・レックスから離れようと和人達は走りながらそんな会話をする。
さっきというのは、やはりあの光景のことだろうか、と和人は考えそうになったが、今はこれ以上深入りするのはやめた方がいいと判断し、そのまま何も言わずに走り続ける。
すると、その先のロータリーでは――
+++
「おでの……どごが……なまっで……るんだッてのっ!!」
「ハハハ!! ハハハハハハハハハハハハ!!!」
白い3m級の巨人の杭のように太い腕が、東条に向かって勢いよく襲い掛かる。
だが、東条はそれを楽しそうに笑いながら躱しその腕を掴んで引き込むと、右肘をかっぺ星人の顔面に叩き込んだ。
「ガァッ!! ……いっで……いっでみろぉぉおお!!!」
ぐらりとふらつくと、かっぺ星人は吠えながら再び右腕を振り上げ渾身の拳を放つ。
「いいなぁ……ちょっとは本気だせそうだ――――いくぞ」
東条は、虎のような獰猛な笑みを浮かべ、それを迎え撃ち――そして。
ゴっ!!! と、かっぺ星人を、拳一つで吹き飛ばした。
「――な」
「え、ええ?」
(うわぁ……)
それを目撃した和人達は、三者三様で驚愕する。
それもそうだろう。確かに東条は巨体だが、それよりも一回りも二回りも巨大な相手を、パンチ一発で十m近く吹き飛ばしたのだ。生身で。スーツなしで。
「ん? おう。渚! 桐ケ谷! お前たちも生きてたのか。はは、よかったよかった」
そして振り返りながらにこやかに話しかけてくる。大物過ぎる。
「あ、ああ。東条も無事で――――な、なにっ!?」
苦笑いで東条と合流しようとした和人だったが、その奥で、東条に吹き飛ばされたかっぺ星人が、口から血を流しながらも再び立ち上がるのが見えた。
「お、おでの、どこが……なまってんだよぉぉぉおおお!!!!! キューーーッ!!! キューーーッ!!!!」
そして、全力で天に向かって、あの奇声を発する。
すると、和人達の背後で咆哮していたT・レックスが再びこちらに向き直った。
「く、くそッ――――ッ!!?」
そして、それだけではなかった。
「ギャァウス!!」「ギャァアウス!!」「ギャァァアアウス!!」
わらわらと、複数体のヴェロキラプトル達が和人達に向かって殺到する。
エリア内に散らばっていた、残り全ての個体が、このロータリーに集結した。
「まだこんなにいたのか……」
「か、囲まれちゃいました」
「……どうしましょう」
「はッ。面白くなってきたな」
見ると、東条が吹き飛ばしたかっぺ星人は、メキメキと奇妙な音を発しながら、さらに巨大化していた。
その姿は、その威容は、もはやT・レックスと比べても何ら遜色のないほどに圧倒だった。
和人は、息を呑む。
(……こんなの、どうすればいいんだッ!?)
そして、遠く、展示場から、ここまで届くような、衝撃と轟音が響いた。
ズズズズズズーーーーーン!!!!!
「っ!!!」
「な、なんですか!?」
「あれは――」
和人達が目を向けると、そこには、頭部と顎に刃を携えた――ブラキオサウルスが出現していた。
奴は、姿を現すと同時に、甲高い声で嘶く。自らの到来を知らせるように。
「ギャァァァアアアアアアアアアアアア!!!!!」
そして、その長い首を活かした高い視点から、遠く離れているのも関わらず和人達に気付く。
「……貴様らか。我らの平穏を脅かす無粋な侵略者どもは」
その声に、その言葉に、和人達は驚愕する。
「しゃ――」
「喋っ、た?」
人の形をしているかっぺ星人よりもはるかに流暢に言葉を操るブラキオサウルス。
それに呆気にとられている間も、その恐竜は言葉を紡ぎ続ける。
「見えなき者も、貴様らの同胞か。……我が子を
そして、ズズーン! と、その重々しい一歩を踏み出す。
その巨大過ぎる足音は、和人達の元まで衝撃として届いていた。
「……ど、どうしましょう、桐ケ谷さん!?」
「このままじゃあ、僕達――」
あやせと渚が和人に詰め寄る。
だが、和人は顔を俯かせるばかりで何も妙案が浮かばず歯噛みする。
「とりあえず、あの白いのはオレがやる」
そう言って、一歩。東条英虎は、更なる化け物と化したかっぺ星人に向かって歩みを進める。
それを見て、和人達は必死に止めようとする。
もはや目の前のかっぺ星人は形こそ人型だが、T・レックス並みの巨大さを誇り、スーツを着ていない生身の人間で立ち向かえる相手ではない。例え東条がどれだけ人間離れして強かろうとも。
だが、東条は首だけ振り返り、その野生の虎のような笑みで、和人に言った。
「手を出すな。これは、俺の喧嘩だ」
和人は伸ばした手を、そっと下ろした。
何も出来ない。自分は何も出来ない。
その無力さを噛みしめて、拳を固く握りしめる。
「グォォォオオオオオオオ!!!!!」
「ギャァウス!!」「ギャァアウス!!」「ギャァウス!!」
T・レックスとヴェロキラプトルの群れが吠える。
こちらに一歩、一歩、ブラキオサウルスも近づいてくる。
渚も、あやせも、そして和人も。
もうダメだと、絶望に身を委ねかけた。
その時――
バァン!!! と、T・レックスの頭部が吹き飛んだ。
「――え?」
その呟きは、誰が漏らしたものだったのだろうか。
小さな、掠れたような呟きだったが、それが響き渡ってしまうくらい、あれほど激しく嘶いていた恐竜達も静まり返っていた。
破壊は、止まらない。
T・レックスの体が激しく吹き飛んでいく。
肩が、顎が、背中が、足が、爪が、尾が、連鎖的に爆発していく。
そして、倒れ伏せる。
肉片と血液が撒き散らかされて――その中の一部が、不自然に宙に張り付いていた。
そのシルエットは、すっと右手を持ち上げて、その手に持つ銃のトリガーを引いた。
殺害は、止まらない。
次の瞬間、周囲のヴェロキラプトルの頭部が一斉に吹き飛んだ。
周囲を恐竜達の断末魔が埋め尽くす。
そして、辺り一面を真っ赤な血液と醜悪な肉片が支配する地獄が出来上がる。
その中を、べちゃ、べちゃと、自らも身体を血液と肉片で染め上げる謎の透明人間が闊歩する。
正体不明の殺戮者が、和人達に向かって歩み寄ってくる。
それは、今も響いているブラキオサウルスの足音以上に凄絶な恐怖だった。
「だ、誰だッ!? 何者だッ!?」
和人が渚とあやせを庇うように一歩前に出て、透明人間に向かって叫ぶ。
透明人間は歩みを止め、しばらく立ち尽くした後――バチバチバチという火花のような音と共に、徐々にその姿を現していく。
それは――あの黒い球体の部屋で、一人異質な雰囲気を纏っていた、謎の男だった。
「お、お前は――」
真っ黒な全身スーツを赤黒い血液で染め上げ、XショットガンとXガンを携えながら、死神のように暗く濁った瞳の男。
比企谷八幡が、そこにいた。
こうして、最終決戦の舞台に、役者は揃う。
残り時間は、あと10分。
敵の数は――残り、2体。
+++
死、というのは嫌なものだ。どうしようもなく気分が悪くなる。
それが例え自分の身内ではなくても。自分が殺したものではなくても。
咽返るような血の匂い、感触まで伝わってきそうな生々しい肉片。いつまでたっても慣れやしない。
けれど、こんな光景を初めて見た時は、十秒もその場にいられなくて、すぐさま離脱し物陰で胃袋の中身がなくなるまで吐き続けていた。
その頃に比べれば、こうして目を逸らさずに長々と眺められるようになったのだから、なんだかんだいって慣れてきているのだろう。……気分が悪いのには変わりないが。
(……夕飯抜いてきてよかった。……姉ちゃんには色々と言われたけれど)
こうして深夜にこっそりと家を抜け出しているのがバレたら、またうるさく追及されるのだろう。去年の今頃は、自分の方が姉の夜遊びに関して悶々としていたというのに、皮肉な話だ。
結局の所、姉は自分達の為に、自身の体と心を追い詰めていたのだった。その事を話してくれなかった事に、自分を頼ってくれなかった事に、あの時はひどく腹が立ち――悲しかったことを覚えているが、いざ逆の立場になってみると、例え口が裂けてもこんなことは言えやしないな、と少年は悲しい顔で自嘲する。
目の前に広がる――臓物を曝け出して絶命するヴェロキラプトルの死体を、昏い瞳で眺めながら。
「ったく、なんだコイツ等は。いきなり襲い掛かってきやがって。腕咬まれたじゃねぇかッ!!」
「テメーがコンタクトをしてねぇからだ。ここはもう奴等の狩場だぞ」
「……ってことは、近くにハンターがいるんだな」
「ははっ! 相変わらず飢えてるっすねぇ!」
「……まぁ、おまえなら勝てるだろうがな。あんま一人で突っ走んなよ」
少年の目の前には、三人の男達。
一人は、軽薄な口調の黒髪のドレッドヘアの男。
一人は、北欧風の顔立ちで金髪の美男子。
この二人は、ネクタイなしの黒いスーツに中は真っ白なシャツという、いかにもホスト風の恰好をしている。
そして、残る一人は、革ジャンに中は派手な柄のTシャツ、首にはチェーンネックレス、赤いキャップを逆に被り、真っ黒のシャープなサングラスという屈強な男。
そして、彼らの足元には、一面に十数体のヴェロキラプトルのグチャグチャな惨死体が敷き詰められていた。
少年はその光景を生理的嫌悪感と戦いながらも、なぜか目を逸らせずにじっと眺めていると、彼らの真ん中に立つ金髪の男は少年に向かって呼びかける。
「おい、行くぞ新入り」
「……はい」
なぜかこの男には、既に彼らの仲間になって数ヶ月が経つにも関わらず、少年はずっと新入りと呼ばれていた。
もちろん、まだ自分は彼等の足元にも及ばない。強さも、キャリアも、そして――命を奪った数も。
だから名前で呼んでほしいとは思わない。故に訂正することもなく、淡々と受け流していた。
もし名前で呼ばれるようになり、本当の意味で仲間だと認められたら――自分は本当の意味で、彼等と同じになってしまう気がするから。
自分が、彼等と同じ化け物で。
人間でないという事実は、どうしたって変わりやしないのに。
少年はそんなことを考えて更に瞳から感情を失くしながら、自分を待たずに先に向かって歩いて進んでいる男達の後ろに小走りで着いて行った。
そんな彼らの背後を、真っ白なパーカーを着た、謎の少年が尾行していた。
彼は笑う――見るものを残らず不快にさせる、凄惨な微笑みを浮かべて。
「……さてさてさぁて。さぁてさて。“僕”の“友達”は、元気にしてるかな♪」
こんな風に、いいところで切って焦らしてみたりw。
どうでしょうか、続きが気になるような展開にできたでしょうか?