比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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説明回。


だが、彼は新人達に手を差し伸べない。

「……ど、どうなってんだ?」

 

「あ、あれ……私、確か……」

 

「……ここは、どこ?」

 

「ん? なんだ?」

 

 

 この部屋に現れたのは、四人の人間。

 

 一人は黒髪で、全身黒い服の男。女顔だが多分男だ。おそらく歳は14~16ってとこだろうか。

 

 一人は綺麗な服を着たこちらも黒髪のロングヘアの女。年はたぶんさっきの男と同じくらい。凄い美人だ。もしかしたら本当にモデルかもしれない。服もそんな感じのオシャレなものだ。

 

 一人は水色髪の……男? だよな。たぶん女顔の。ってか女顔多いな。四人中三人が美人て。四人中三人男なのに。可愛い男は戸塚だけで十分だ。凄く逸れた。たぶん歳は先の二人よりも少し下。おそらく中学生。かなり小柄だ。

 

 ……んで、最後の一人は……なんだ? とにかくデカい。そして強そう。虎みたい。……なんだよぉ。一人見る限り別格なの来ちゃったよぉ。もうこの人だけでよくね? ボブ○ップとかにも真っ向から戦えそうだよ? 歳? 知らないよそんなの。超怖えよ。あと怖い。

 

 ……そんな分析を瞬時に終えた所で、俺は焦っている。まったく表情を変えずに内心では滅茶苦茶パニくっている。

 今はまだ混乱中のようだが、やがて奴等は俺を質問責めにするだろう。こんな訳が分からない状況で、部屋の中に唯一意味ありげに鎮座する黒い球体の前に、なんだがSFチックな漆黒の全身スーツを纏った人間が立ってるんだ。間違いなく関係者だと判断されるだろう。

 

 ……さて、どうするか。これから俺が取り得る選択肢は二つだ。

 

 一つ。洗いざらい俺が知っている情報を懇切丁寧に説明して、状況を理解させる。

 今までなら、それは葉山がやってきたことだ。だが、今は経験者は俺しかいない。よって、その役目は俺が果たさなければならない。初めは彼らも納得しないだろうし、認めようとしないだろうが、それでも諦めずに説得を続けるのだ。そちらの方がはるかにコイツ等のこの後のミッションの生還率は高いだろう。本来取るべき、正しい選択肢だ。

 

 そして、二つ目。間違った選択肢。それは――

 

「――えっと、すいません。……ここってどこなんですか?」

 

 俺はこの先の行動を思案していると、全身黒服の男が、俺に声を掛けてきた。といってもあくまで上下黒い服というだけで、ガンツスーツのような漆黒でも、某酒の名前のコードネームが与えられる組織みたいな真っ黒でもない。てかあれって絶対目立つよね。本当に秘密組織なのかよって思うわ。

 

 その黒い男の目は、この状況、そして俺に対する困惑と疑念で満ちていて、おっかなびっくり話しかけてきたと言った様子だ。見た所、後ろの女子や少年も同じような目だ。デカい金髪はなんか外の様子を見て「うぉぉ。高ぇ!」とか景色を楽しんでる。この人すごいな。

 

 ……まぁ、予想はしていた展開だ。

 だが、俺は男の目を見たまま、何の言葉も返さない。

 

 俺の腐った目に気圧されたのか少し怯み、しばし俺の言葉を待っていた真っ黒だが、やがて業を煮やしたのか何か言葉を続けようとしたところで――

 

 

 背後から、ビィィィンという甲高い音が響いた。

 

 

「「「!?」」」

「ん?」

「…………」

 

 黒い球体(ガンツ)から新たなレーザーが虚空に放たれる。

 そして、それはこの部屋に新たな住人を召喚していく。

 徐々にレーザーが人を創り出すその光景に、三人は顔を青褪めて驚愕する。デカい人は首を傾げていただけだが。この人色んな意味で規格外だな。

 

 そして、その人間が転送し終わるというタイミングで、俺はそっとステルスヒッキーを発動して黒い奴の視界から逃れる。四人の注目は完全に新たにこの部屋に現れた人物に集まっている。その隙に、俺は廊下へと向かった。

 

 

「……え? ちょっと? ここ何処? ねぇ!? ここドコ!? 私、助かったの!?」

「い、いや、俺も何が何だか?……あ、あれ? あの人は?」

「あ、あの!? また誰か出てきます!」

「え、あ、ど、どうなってるの!?」

 

 再び響く電子音。どうやらガンツは随分張り切って新メンバーをスカウトしているらしい。久々で加減を忘れたのか。

 

 俺は扉をそっと閉め、誰もいない廊下で一人佇む。

 やっぱり一人はいい。うるさいのは嫌いだ。

 

 

――俺が選んだ二つ目の、間違った選択肢。

 

 

 俺は彼らに、何もしない。

 

 説明も、指揮も、助言も、徴兵も、支援も、守護も、救出も、保護も、助力も、援護も、共闘も、何もしない。

 

 ガンツが何人新メンバーを増やそうが、俺はもうスタイルを変えない。

 

 ただ、戦うだけだ。この半年間繰り返してきたように。

 

 一人で戦い、一人で殺して、一人で生き残り、一人で還る。

 

 他のメンバーがどうなろうが、俺には関係ない。

 

 ただ、勝ち、稼ぐ。それだけに全身全霊全力を尽くす。俺はもう、絶対に負けない。

 

 ガンツ。お前が何を企んで、突然新メンバーを大量加入させているかは知らない。いつも通りのただの気まぐれなのかもな。だったら、俺が一々それに付き合う義理はないだろう。お前に振り回されるのはもううんざりだ。

 

 ……もしここで、俺が彼らにこのガンツゲームについて教えたら、その先はどうなる?

 大半の連中は信じないだろう。だが、それでもこれから戦場に送られたら、否応なしに信じなければならなくなる。嫌でも信じるしかなくなる。

 

 そうなった時、どうなるか。

 俺は彼らの矢面に立たざる負えなくなるだろう。無理矢理リーダーにさせられ、事あるごとに助言を煽られ、彼らを引っ張っていかなければならなくなる。

 

 彼らに尽くし、彼らの生死に関する責任を負わなくてはならなくなる。彼らの命を背負わされる。

 

 ふざけるな。やってられるか。

 

 どうして俺が見ず知らずの連中の為にそこまでしなければならない。

 

 それで俺が死んだらどうしてくれるんだ。

 

 仮にそこまでしても、死ぬ奴は死ぬさ。生き残る奴は勝手に生き残るだろう。

 

 俺如きが救える命なんざ限られてる。答えは0だ。経験則として思い知ってる。嫌という程に。だったら初めからそんな無駄な労働はしない。

 

 俺は、俺だけを生かすことに全力を尽くす。

 

 俺は一点でも多く稼いで、一刻も早く生き返らせなければならない人達がいるんだ。

 

 

 

 だから悪いな。

 

 

 俺のせいで死んでくれ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

(……一体、何がどうなってるんだ?)

 

 桐ケ谷和人は、目の前の一切の説明がつかない混沌とした状況に困惑しきっていた。

 

 自分は確かにあの時“死銃”によって殺されたはず。そうでなくても目覚めた先は病院か、もしくはあの公園のはずだ。

 

 ビィィィンと、電子音が鳴り響く。

 再びあの黒い球体からレーザーが発射される。それはみるみる内に人体を形どっていき、この不気味な一室の住人を、また一人増やす。

 

 すでにこの部屋には十人以上の人で溢れている。この部屋も決して狭くはないが、すでに息苦しさを感じる人口密度となっていた。

 

 一体何なんだこの状況は?

 自分達は生きているのか? それとも死んでいるのか?

 

 あまりに非現実的な現象だ。もしかすると、これはどこかのVRMMOの中なのか? 治療の際に意識だけをこの空間に避難させているとか――

 

 また新たに現れた人物が、これまでの人たちと同様に半分パニックの状態で近くの人に詰め寄っている。だが、もちろんその彼にも状況は分かるはずもなく、ただお互い何も分からない不安を両者にぶつけあう結果となり、それぞれの胸倉を掴みあげたところで、第三者からの仲裁が入った。

 

 ここいる全ての人物は、誰一人としてこの不可思議な状況を説明する術を持たなかった。

 

 異次元な方法で見知らぬ人たちが集められるのを、黒い球体以外何もないこの部屋の中で佇み、ただ見ていることしか出来なかった。

 

 思考に耽る和人は、そっと自分と同時にこの部屋に運ばれてきたとされる三人の人物にアイコンタクトを送る。……金髪の大柄な男は欠伸をしていて全然受け取ってもらえなかったが。

 

 だが、水色髪の小柄な少年と長い黒髪のお淑やかな少女には彼のアイコンタクトは届き、二人とも不安げな眼差しで、廊下へと繋がる扉に目を移した。

 

 和人も頷く。この何一つ分からない状況の中で、一人、明らかに自分達とは違う立場にいる人間がいる。

 自分達がここに送られてきたとき、あの黒い球体に対峙し、異質なSFチックの漆黒の全身スーツを纏っていた男。

 

 彼はこうなることを見越していたのだろうか。

 まるで人目を避けるように、この大きな部屋から廊下へと出て行ったきり、一向に戻ってこない。

 

 和人は悩んだ。やはり、あの男から少しでも説明を乞うべきだろうか。

 だが、不安がないわけではない。あの男は、この状況と同じくらい得体がしれない。はっきり言えば怪しいのだ。

 もしかしたら自分達をこんな状況に送り込んだ、こんな訳の分からない事態に巻き込んだ、仕掛け人側の人間かもしれない。見るからに、この部屋にどんどん人を連れ込んでいるあの黒い球体のことを、何か知っていそうな雰囲気だった。そうなると、下手に接触するのは危険かもしれない。当然、自衛手段、そしてこちらを問答無用で従わせる手段を用意しているだろう。

 

 それに、何より、あの目。どんよりと、真っ黒よりも更に不気味に腐り切っていた、あの瞳。

 あの瞳にじっと覗きこまれた時、和人はぞっとした恐怖を感じた。あんな瞳をした人間を、自分は見たことがない。

 

(……いや、SAO時代のあの時期は、俺もあんな感じだったかもな)

 

 どん底まで追い込まれ、果てしなく深い絶望に沈んでいる時の瞳。

 あのデスゲームに囚われた時、幾度かそういった精神状態に追い込まれた時があった。

 

 あの男は、あの時の自分以上に深い絶望を抱えているのだろうか。

 

「……あ、あの」

「ん?」

 

 和人は顎に手を当てて思考に熱中していたが、そこに背後から声がかかり、振り向いて声の主を確認する。

 

 声を掛けてきたのは、先程アイコンタクトで会話をした女子だった。

 

「あ、え、えぇと、な、なに?」

 

 和人は内心、しまった! キョドってしまった! と焦っていた。

 今でこそリアルでもそれなりに女子(美少女)と会話をする機会も多い和人だが、三年半前までは半引きこもりの廃人ネットゲーマーだったのだ。当然、かなり残念なコミュニケーション力だった。

 しかも、その三年半の内二年間はSAOのアバタ—“キリト”として過ごしたのもあって、全くのゼロとは言えないが、その十全を現実世界の経験値として蓄積できたわけではない。旧知の仲の人達ならまだしも、こんな風に初対面の美人と面と向かっての会話に緊張しないわけがないのだ。

 だが、それでもあの明日奈と一年以上も恋人関係として、現実世界(リアル)でも接してきたのだ。何とか動揺を必死に表情に出すことなく、しれっと会話を続ける。

 

 その同年代くらいの黒髪の女子はそんな思春期男子の反応など慣れきっているのか、和人の少々(?)不審な態度に訝しげな顔をするわけでもなく、こっそりと和人に囁きかける。

 

「……あの、さっきの人に話を聞いた方がいいんでしょうか?」

「……そうだな……」

 

 案の定というべきか、彼女の懸案もあの男についてだった。

 確かに不安な点も多いが、人が多くなるにつれて徐々にこの場の空気も悪くなっている。この異常な状況によって精神的に不安定な人間達が、何の説明もされずに一つの空間に押し込まれているのだ。何がきっかけで致命的なパニックに陥るか分からない。さっきのような掴み合いも、毎回周りの人間の諫言で拳を下ろすとは限らないのだ。

 

 そう考えて和人は、自分達がどれだけ危うい状況にいるのか気づいた。

 

 この部屋にいるのは、この子や自分のように年若い少年少女ばかりではない。

 自分達と同時に送られてきた金髪の巨漢の他にも、後から送られてきた人たちの中には明らかに不良といった奴等や、黒人の柄の悪い外国人等までいる。

 もし乱闘などが始まったら確実に只では済まない。下手すれば死人が出ることもあり得る。

 

 和人はごくっと唾を呑みこむと、横の黒髪の女子にあの男に話を聞きに行――

 

 

「――あれ? あれって“新垣あやせ”じゃね?」

 

 

 一人の見るからにギャルという金髪茶肌の女子が、和人の傍らにいる女子へと、そのやたら爪が長い指を向けた。

 

 彼女のその言葉は、あちこちで言い争いが起きていたこの人口密度の高い一室を静寂で包み、彼ら全員の視線を一人の少女へと集めた。

 

「……え? 嘘、マジ?」

「へ? 新垣あやせって誰? 有名なの?」

「ばっ!? お前、知らねえの!? 最近、超有名雑誌に出まくってるモデルじゃん!」

「うわっ。実物めっちゃ可愛い~。スタイルやばっ!」

「すっげぇ! ちょ、お前ペン持ってねぇの? サインサイン!」

 

 ザワザワと先程までとは打って変わった喧騒に包まれる。

 一触即発のあの空気を変えられたという面ではよかったのかも知れないが――これだけの状況で、一気に部屋の人間全員に注目された少女――新垣あやせとしてはたまったものではない。

 

 和人もそっとあやせに目を向ける。和人は正直あやせのことは知らなかったが、確かにモデルをやっていてもおかしくないくらいの美人だとは思っていたので違和感はなかった。だが、それよりも彼女のことが心配だったのだ。

 今、彼女に向けられている視線や感情がいいものばかりではないことは、男である和人にも分かる。

 

 

 あやせは、突然自分に集まった視線に戸惑った。

 咄嗟に帽子を深くかぶり直してしまったけれど、これでは当たりですと白状しているようなものだ。

 つい先程まで目を血走らせて言い合いをしていた人たちが、一斉にあやせに注目している。

 

 ひそひそ声で周りと情報を確かめ合うもの。

 芸能人に会えたと無邪気にはしゃぐもの。

 有名人だからって調子に乗りやがってと嫉妬の視線を送るもの。

 

 そして――

 

「――あ、あの! 俺、あやせさんの大ファンで! サインいいすっかね!?」

 

 赤みがかった茶髪のロン毛の少年が、自分の身に付けているTシャツを伸ばしながら近寄ってきた。

 

 あやせは、その目尻の下がった瞳の中に宿る感情を見て、つい先程の“今わの際の”記憶がフラッシュバックする。

 

 

『あの! 僕、あやせちゃんのだいっっっっっファン!!! なんです!!!』

 

『お前も……僕を切り捨てるのかよ!!』

 

『お、おい動くな!! おとなしくしろ!! さ、さもないと――』

 

 

 ゾッッッと。

 あの恐怖が復活し、あやせの体に冷たい恐怖が走る。

 

「――ひっ」

 

 あやせが悲鳴を漏らしかける。

 それを見て、和人が咄嗟に二人に割り込もうとして――

 

 

 ビィィィンと、あの電子音が響いた。

 

 

 再び黒い球体からレーザーが発せられる。

 正直、この部屋にいる人間達はうんざりしていた。またか、と。すでにこれだけでは、完全にあやせに向いた集団の興味の対象を逸らし切れなかった。

 

 だが、徐々にざわめきが広がる。

 そのレーザーが形作る線が、どうにも人型ではないからだ。

 

 やがて、それの正体が明らかになると、注目は完全にそちらに向かう。なぜなら――

 

 

――彼女はパンダだったからだ。

 

 

 突然の上野の動物園の国民的スターの登場に、大人達は呆気にとられる。

 

「……パンダだ」

「……パンダだよな」

「……パンダでしょ」

「……パンダだね」

「……うん。パンダだ」

「Is the Order a Rabbit?」

「No. That is a panda.」

 

 和人とあやせも呆気にとられていたが、これは好機だと、和人はあやせに目配せして、廊下へと向かうように合図を送る。

 あやせは一瞬逡巡するも、こっくりと頷き、注目がパンダに集まっているのを利用して、廊下へと出た。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 あやせは廊下に出て扉を後ろ手に閉め、ほっと息を吐く。

 

 廊下は色々と騒がしかったあの大きな部屋と比べて、痛いくらいの沈黙に満ちていた。

 

 あやせは先程とはまた違った恐怖が一瞬湧き起りそうになるが、ぐっと堪え、足を進める。

 

 ごく普通のマンションの、ごく普通の廊下だった。どうやら玄関へと繋がっているらしい。

 思えば、こんな状況に追い込まれて、まず第一に玄関からの脱出を思いつかなかったのを不思議に思った。あの部屋に集まる人たちは、言い争うばかりで誰もこんな簡単なことも思いつきもしなかったようだ。自分も含めて。

 おそらく、間髪入れずに次々と人が転送されてきたからだろう。あんな現象を見せつけられれば、パニックで落ち着いて思考なんて出来ない。

 

 もちろんあやせも、この状況が異常だということにはとっくに気づいている。先程のフラッシュバックで思い知らされたが、自分は間違いなく死んだはずだ。なのに、こうして無傷で生きている。訳が分からない。

 

 だから、大人しく玄関から帰れるなどとは思っていないが、一応試してみることくらいはしようと、廊下を進んだ。

 

 

 そこに、彼は居た。

 

 

 あの転送直後の光景は、混乱による幻覚や錯覚などではなかった。

 漆黒の全身スーツを身に纏って壁に寄りかかり、険しい目つきで腕を組み、足元を睨みつけている。

 

 その男は、間違いなく自分達がここに転送された時に、黒い球体の前に立っていた、あの男だった。

 

 あやせは彼を見て思わず足が止まってしまい、動けなくなってしまった。

 

 彼はあやせに気づくと顔を上げて、そのどんよりと腐りきった瞳であやせを見る。

 あやせは思わず呑まれかけるが、不思議と悲鳴は出なかった。

 

 しばらくそのままの状態が続いたが、やがて男の方が小さく溜息を吐いて口を開いた。

 

「…………なんだ?」

「え、あ、その、えっと」

 

 あやせはまさか声を掛けられるとは思わなかったので軽くパニックになり、やがて振り絞った言葉が――

 

「……あの、ぱ、パンダが……」

 

「…………はぁ? ……パンダ?」

 

 私は何を言ってるんだろう。

 

 あやせは自分でそう思った。

 

 羞恥と居た堪れなさで顔を真っ赤に紅潮させ、そのまま俯いてしまう。

 逃げ出したい。けれど、さっきの部屋には戻れないし、逃げる場所なんかない。

 あやせに出来ることは、これでもかというくらいに帽子を目深に被り、男の視線から少しでも逃れるだけだった。

 

 どれくらいそうしていただろう。

 やがてあやせは少し顔を上げ、相手の男の反応を窺った。

 

 男はすでにあやせに目を向けておらず、というより視線をあえて外してそっぽを向いているようだった。

 それはあやせが恥ずかしがっていたことに対する気遣いなのか、それとも露骨に興味がないというアピールをしてあやせがいなくなるのを待っているのかは分からない。

 

 けれど、今まで怖くて不気味でよく見ていなかったけれど、思ったよりもその横顔は整っていて。

 

 そして、その濁っているかのように腐った瞳は、何だか少し――悲しく、寂しそうに見えた。

 

 あやせは、再び男になにか話しかけようとして――

 

 

あーた~~らし~~いあーさがき~~た~~きぼーのあーさーがー

 

 

 突然、その曲は鳴り響いた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 和人を始め、部屋に集められた大人達は総じて慌てだす。

 

「え? 何これ?」

「ラジオ体操? うわ、なつかし~!」

「どっから流れてんの?」

「あ。これだよ。この――――黒い球?」

 

 そのラジオ体操は、部屋に鎮座する不気味な黒い球体から流れていた。

 

 和人はそれに目を向けながら、どんどんと大きくなる鼓動を抑えるように、心臓の位置の服を握りしめる。

 

「……いったい――」

 

 

 

「――どう、なってるの?」

 

 あやせは不安な表情で、部屋へと続く扉を見る。

 

 そして、壁に凭れかかっていた男は、一度深く目を瞑り、呟く。

 

「…………始まるか」

 

 

 

【てめえ達の命はなくなりました。】

【新しい命をどう使おうと私の勝手です。】

【という理屈なわけだす。】

 

 

 

 突如、黒い球体に浮かび上がってきたその文字列に、大人達は好き勝手に文句を言う。あるいは馬鹿にしたように笑う。

 

 だが、和人はいまだ大きくなり続ける鼓動に、ただ戸惑うばかりだった。

 

(……なんだ。この感じ。……まるで……“あの時”、みたいに――)

 

 その時、きぃと廊下へと繋がる扉が開き。

 

 部屋の中にあやせと――あの漆黒の全身スーツの男が入ってきたことに、和人だけが気づいた。

 

 

【てめえ達はこいつをヤッつけてくだちい】

 

 

《かっぺ星人》

 

 

「なんだこれ?」

「かっぺ……ださっ」

「わけわかんね」

 

 周りの大人達の雑音は、今や全く和人の耳には入ってこなかった。

 

 ただ、その黒い球体を見つめる漆黒のスーツの男の、どんよりと真っ暗な瞳だけが、和人の漠然とした恐怖を増長させていた。

 

 そして、思う。

 

 まるで、あの日、あの時のように。

 

 はじまりの街で、茅場晶彦に、デスゲームの開始を宣言された時のように。

 

 

(――――何か、取り返しのつかないことに、巻き込まれてしまったかのような――)

 

 

 ガシャァァァン! という音が響いた。

 

 その音は、まるで重厚な檻の中に閉じ込められた音のように、和人には聞こえた。

 

 黒い球体が勢いよく三方向に開き、部屋の中は悲鳴とどよめきに包まれる。

 

 そこから現れたのは、漆黒の銃器、兵器、凶器。

 

 和人の戸惑いは、恐慌は、ピークに達した。

 

(……なんだ、これ……何がどうなって――!!)

 

 混乱する和人の横を、漆黒のスーツの男は通り過ぎる。和人はその背中を呆然と見遣る。

 

 すでに大人達の興味は銃器に移っていた。

 そんな中を男は進み、「なんだコイツ?」「コスプレじゃねwwカッコいいww」という嘲笑の声にまるで取り合わず、淡々と三種類の銃を迷わず選択し、手に取る。

 

 その無駄のない行動を見て、和人は確信する。

 コイツは、この状況に“慣れている”。

 

 もう、危険性(リスク)を恐れている場合なんかじゃなかった。

 

 こちらに戻ってきて、再び廊下へと向かう男の腕を掴む。

 

「なぁ! あんた何を知ってる!? これから何が始まる!? 俺達は一体どうなるんだ!?」

「…………」

 

 男は何も答えない。

 ただその底なし沼のように暗く濁っている瞳を向けるだけ。

 

 それでも和人は、一瞬唇を噛みしめ怯えるも、懇願するように尚も問いかける。

 

 

「……頼む……ッ。教えてくれッ!……俺はもう、死ぬわけにはいかないんだ……ッ」

 

 

 和人も気づいている。自分はもう死んでいると。あの時、間違いなく死んだのだと。

 

 それでも、これが夢でも幻でも。

 こうして自らの意思で体を動かし、まだ何か足掻くことが出来るのなら。

 

 再び生きて――明日奈の元へ、帰ることが出来る可能性が僅かでも残されているのなら。

 

 例え、しょうもない悪あがきでも、見るに堪えないくらいみっともなくても、この上なく無様でも。

 

 見ず知らずの赤の他人にだって頭を下げよう。この上なく怪しい目の前の男にも臆面もなく縋ろう。

 

 和人の瞳は、そんなこの上なく貪欲な“生”への執着心で満ちていた。

 

 男は、そんな和人の目を向けられ、眩しそうに目を細める。

 

 そして、その瞳から逃れるように部屋の中の大人達へと目を向け、ポツリと零す。

 

 

「…………すぐに分かる」

 

 

 その言葉に一瞬呆気にとられた和人は、一体どういう意味だと問い返そうとした時――

 

 

「えッ!? うわッ!? なにこれ!? なんだこれッ!?」

 

 

 突然の叫び声。

 和人が勢いよく振り向く。和人の後を追うように目を向けたあやせが小さく鋭い悲鳴を漏らした。

 

 

――頭部が、ない。

 

 

 先程あやせのファンだとはしゃいでいた若者の頭が消え失せていた。

 周りの友人たちが焦りながら話しかけ続けるが、徐々に胸部、腕、腰、足へと消失範囲が広がっていく。

 

「え!? うわッ!? 何!?」

「クソッ! なんだこれ、聞いてねぇよ!!」

「うわぁぁぁん! お母さぁぁん!!」

 

 そして、次々と、次々と消えていく。続々と失われていく。

 

 人が、人間が、消失していく。

 

 その有様は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 和人も、あやせも、呆然と顔面を蒼白して眺めていることしか出来ない。

 

 

 ただ一人、漆黒のスーツの男――比企谷八幡だけが、真っ暗な冷たい瞳でその光景をただ見つめていた。

 

 




 次回は、渚目線を入れたいと思います。三人称ですが。

 基本的に一人称は八幡しか書きません。基本的に。

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