比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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今回も少し長いです。


ついに新たなる住人が、黒い球体の部屋に誘われる。

 皇居でのデートの後、和人と明日奈は、段々と暗くなり始めた空の下、手を繋いで、結城家の最寄り駅である宮の坂駅からの歩道を歩いていた。

 ユイは『リーファさんとお約束があるんです!』といい、ALOかもしくは直葉の携帯端末へと移動したのか、明日奈の右肩の通信プローブは、今は何も発さない。

 会話もなく、付近の静けさも相まって、二人の間は少し重い空気で満ちていた。

 

 いつもは桐ケ谷家のある川越からはそれなりに遠いので、和人が送っていくと言っても遠慮しているのだが、今日は少し和人の様子がおかしいことを明日奈もそれとなく察していたので、送ってもらうことにした。

 

 和人は何も言わず、ただ明日奈の手をギュッと握っている。まるで明日奈の存在を確かめるように。自分の居場所はココだと言わんばかりに。

 

 明日奈は、和人の手の温かさを感じる。

 和人が――キリトがGGOでの戦いに赴く前、初めて二人で皇居でデートした時、明日奈は呟いた。

 

――現実世界と仮想世界の違いは何だろう、と。

 

 和人は答えた。

 

――情報量の多寡だけだ、と。

 

 それならば、この手の平の接触だけで、これ程までに相手を感じられる今いるこの世界は、まさしく現実なのだろう。

 明日奈はそう感じる。

 

 和人もそれを感じ、実感したいから、こうして手を繋いでいるのだろうか。

 

 明日奈は、今は亡き、掛け替えのない親友の言葉を思い出す。

 

『あの人も、ボクとは違う意味で、現実じゃないところで生きている感じがするから』

 

 明日奈は、ギュッと更に力を込めて握る。

 和人が驚いたように明日奈を見るが、明日奈はニコッと笑ってそれに応えた。

 

(……ならば、私がそれを伝えたい)

 

 私は今、こうして、ココに居ると。

 

 ここが、あなたの居場所(げんじつ)だと。

 

 目を離すと、すぐにどこか危険な場所へ、自分を置いて一人で行ってしまう。

 

 そんな危うい彼を、ずっと隣に引き留めていたい。

 

 やがて呆気にとられていた和人も、優しく明日奈に微笑み返す。

 

(……そうだ。私、やっぱりキリトくんとずっと一緒にいたい。ずっと隣にいて、ずっと守っていきたい。……彼と、ずっと一緒に――)

 

 

 

 数分後、結城宅の近所の公園の前に着いた時、名残惜しそうに二人は手を離した。

 いつも和人が明日奈を送るときは、ここで別れるのが通例なのだ。

 

「……それじゃあな。また学校で」

「うん。あ、そうだ。お母さんがキリトくんに会いたがってたよ。どうせなら、これから寄ってく?」

「うぇ!? ま、まぁ、確かに一度はアスナの両親に挨拶しないととは思っているけど……あ、そうだ。き、期末試験が終わったら、改めて伺うよ!」

 

 もう、と明日奈は苦笑した後、優しく微笑み、和人に一歩、歩み寄る。

 テンパっていた和人は、その明日奈の挙動から彼女の意図を察して、明日奈の肩に手を乗せ――

 

――軽く、唇を重ね合った。

 

 ゆっくりとお互いの顔が離れ、幸せそうに微笑み合い、明日奈は手を振り、帰っていった。

 

 和人は明日奈の背中が見えなくなるまで見送ると―――背後に向かって、鋭く低い声を放った。

 

 

「いい加減出てこいよ。アンタ、皇居からずっと俺たちを付け回してただろう?」

 

 

 和人はポケットに忍ばせた端末をいつでも発信できるようにしながら、相手が姿を現すのを待つ。

 

「ヒュー。さすがだねぇ、『黒の剣士』。その索敵スキルは現実世界でも健在ってか」

 

 そう言いながら暗がりから姿を現したのは、見たこともない小柄な男だった。

 まだらにメッシュの入った長髪、ジャラジャラとつけた金属チェーンなど特徴の多い男だが、何よりも和人は、その長髪の間から覗く厭な光を放つ細い目を不気味に感じた。

 

「……お前は、誰だ?」

「おいおい寂しいことを言うなよ、キリトさん! オレはアンタのことを忘れた日は一日たりともねぇってのに!」

 

 黒の剣士。

 そしてキリトという“プレイヤーネーム”。

 

 桐ケ谷和人をその二つの呼称で呼び、尚且つこんな不気味な雰囲気を醸し出す男。

 

 和人はその雰囲気から、半年前に戦った《ラフィン・コフィン》の残党――『赤眼のザザ』を思い起こした。

 

 だが、ザザはあの死銃事件で逮捕されたはず――そこまで考えて、和人は死銃(デスガン)の残り一人が未だ逃亡中であることを思い出した。

 

 それが、おそらくはこの男。

 ザザと並んで、殺人レッドギルド《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》の幹部だった――

 

「――ジョニー・ブラック……ッ」

 

 和人は思わず背中に手を伸ばす――だが、かつてそこにあったはずの剣は存在せず、滑稽にもその手は空を切った。

 

「ヒャーハッハッハ!! ねぇよ!! お前の背中には、もう剣なんかねぇんだよ!!」

 

 そう。すでに和人は《剣士(キリト)》でもなければ、《黒の剣士(えいゆう)》でもない。

 

「じゃあな、“元”《黒の剣士》ぃい!! テメーの首をとったのは、このジョニー・ブラックだぁ!!」

 

 

 何の力もない、ただの桐ケ谷和人(いっぱんじん)なのだ。

 

 

 プシュ。

 短く鋭い圧搾音が、夜の無人の公園に響く。

 

 

 かつて死銃(デスガン)として人々の命を奪った高圧ガスを利用した注射器が、和人の左肩に押し付けられていた。

 

 和人は呆然とその様をまるで他人事のように眺め、そしてゆっくりと倒れ込んだ。

 

 ジョニー・ブラックは口元に泡のようなものを付着させたまま、大きな高笑いを近隣に撒き散らしながら、フラフラとした足取りで去っていく。

 

 そして、真っ暗な公園には、蹲る和人のみが残された。

 

 徐々に狭くなっていく視界。徐々に遠くなっていく意識。

 

 あのデスゲームに囚われた二年間の、その最後の決闘時。

 あれほど一定量を保つのに必死だったHPバーがゼロになり、己の体が飛散する時に似た感覚が近づいているのを感じる。

 

 そんな、自らの死の瞬間まで、あの空間のことを思い出す己を自嘲しながら、それでもやはり最後に思い出すのは彼女のこと。

 

 あの世界が崩れていく、夕焼けの空間。

 二人の影が重なりあい、溶け合った、あの瞬間。

 燃えるような夕日を浴びて、美しく光輝いていた、あの笑顔。

 

「アスナ、ごめん」

 

 掠れた声で、そう呟いた途端、力尽きたかのように、和人は目を瞑った。

 

 誰もいない無人の公園で、一人の少年が、こうしてその生涯に幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 はず、だった。

 

 

 

 

 

 ビィィン! という電子音と共に、少年の体にレーザーのような光が照射される。

 そして徐々に、少年の体が姿を消していく。この空間から。この世界から。

 

 やがて、その光は彼の体を完全に消失させた。

 

 

 

 こうして、桐ケ谷和人は、新たな戦いへと送り込まれる。

 

 

 

 ゲームオーバーが、そのまま現実の死に繋がる、新たなデスゲームの舞台へと。

 

 

 

 黒い球体に、誘われて。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「今日はありがとうございました」

「こちらこそだよ、あやせちゃん。最近、メキメキと上達してきたね」

 

 その日の撮影を終え、カメラマンに挨拶をしにきたあやせに、カメラマンの若い男は絶賛の声を上げる。

 

「そうでしょうか?」

「うん。なんていうか、大人の魅力っていうのかなぁ。高校生になってから……こう……色っぽくなった。うん」

「ふふ。ありがとうございます」

 

 中学生の時の自分だったら、きっとセクハラだって大騒ぎだっただろうなっとあやせは思う。

 だが、さすがはプロのカメラマンといったところか。いやらしい気持ちを感じさせず、相手に不快感を与えない言葉調子を身に付けている。思春期の自分にすらそう思わせ、むしろ少しいい気分にさせてくれる。カメラマンには、そういった技術も必須なのだろう。

 

「なんていうか、憂いある表情? っていうのがグッとくるんだよ。次もこの調子で頼むね!」

 

 そう言ってカメラマンの若い男性は去っていったが、あやせの顔は最後の最後で曇ってしまった。

 憂いある表情。それは別に意図して上達したわけではない。

 

 やはり、男性は苦手だ。

 

 

 

 スタジオの外に出ると、外はもう暗くなり始めていた。

 本当はもっと早く終わる予定だったのだが、学校の放課後から撮影スタートというあやせの都合に合わせてもらったので、あやせは文句を言うつもりはない。むしろ申し訳なく思っているくらいだ。撮影自体は非常にスムーズに終わったのがせめてもの救いか。

 

 ここは東京のスタジオなので、千葉まで電車で帰らなくてはならない。

 さすがに終電を気にするような時間でもないが、この暗さだ。なるべく急いで帰ろうとあやせは駅に向かって歩きだす。

 

 そして、しばらく道なりに進んでいると、突然後ろから声を掛けられた。

 

「あ、あの、新垣あやせさんですよねっ!」

 

 あやせは表情を曇らせる。

 撮影ということで私服に着替えてきたので、今は伊達メガネだけでなく帽子も被っているのだが……と思いながら振り返り、さらに表情を強張らせた。

 

 声を掛けてきたのは、若い男だった。

 

 おそらくは高校生か、もしかしたら大学生か。

 

 あやせはファッション誌のモデルをやっているので若い女性のファンが多いが、やはりその美貌から男性ファンも多い。なので、別におかしなことではない――――が。

 

 それでもあやせは一歩思わず後ずさる。

 男の目が、怪しく血走っているように感じたのだ。

 

「え、ええ。そうです」

「やっぱり! よかったぁ~! この近辺のスタジオで撮影をやってるっていうのは本当だったんですね!」

 

 迷った挙句、あやせはつい肯定してしまった。

 すると男は全身を使って喜び、不穏な言葉を口にした。

 

 今日、あやせがこの近辺のスタジオで仕事があったことは、当然あやせとあやせの事務所、カメラマンらスタッフとスタジオの職員など限られた人間しか知らない。

 

「ど、どうして――」

「あの! 僕、あやせちゃんのだいっっっっっファン!!! なんです!!!」

 

 そう言って男はその血走った目と荒い呼吸のままあやせの手をとり、ズイッと顔を近づける。

 

「すっごく可愛いしすっごく綺麗だしもうマジ天使!! 超エンジェル!! やっぱりC○nC○nの撮影ですか! 僕、毎号買ってます!! でもでも!! そろそろグラビアとかにも行ってもいいと思うんですよね!! あ、別に際どい水着姿が見たいとかじゃないですよ! あ、見たいことは見たいですけど(笑)! でもでも! それは別にやましい気持ちとかじゃないですよ! 純粋にあやせちゃんのこれからのステップアップとして、もっと男のファンを増やしていくにはそういう路線も経験すべきだと思うんです! あ、でもダメだな。やっぱダメだ。そこらの男どもの下卑た欲望の捌け口にあやせちゃんがされるのは耐えられない。あやせちゃんも嫌だよね。ゴメンね、あやせちゃんの気持ちを考えてなかった。もしあやせちゃんにそんな視線を送る奴がいたら僕思い切って殺しちゃうかも(笑)! な~んてね(笑)! 大丈夫だよ、あやせちゃん! あやせちゃんにはそんな嫌な思いなんか絶対にさせないから! 僕がずっとずっとずっとずっとずっとずっと守り続けるからね!」

 

 ストーカー。

 そんな言葉があやせの脳裏を過ぎる。

 前にも一度、あやせはストーカー被害を受けていたことがある。その時の犯人は年下の女の子で、京介の助けもあって、今では無事和解している。

 

 でも、この男は違う。あんな可愛いものじゃない。

 怖い。

 気持ち悪いし、不愉快だけれど、怒りを感じる以前に、ただ圧倒的に怖かった。

 

「ち、近づかないで!!」

 

 思わず掴まれた手を叩き落としてしまう。

 すると、先程まで不気味ながらも笑みを浮かべていた男が、唐突に一切の感情を失くした。

 

 それにより、ますますあやせは途轍もない恐怖を感じる。

 携帯や防犯ブザーにも手が伸ばせない。あの人のセクハラなら簡単にあしらうことが出来たのに。

 

「――――なんで?」

 

 それは本当に純粋に疑問に思っている「なんで?」だった。

 だからこそ、途方もなく恐ろしい。

 

 男はあやせに一歩ずつ近づきながらブツブツと呪文のように唱え続ける。

 あやせも恐怖に押されるように、一歩ずつ後ずさる。

 

「なんで? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?? 僕は君を守るんだよ? 僕は君の味方だよ? なんでそんな目で見るのさ? なんで僕を拒絶するのさッ!! 僕は君の味方だ! なら! 君は僕の味方だろ! そうじゃなきゃおかしいじゃないか! いつもいつもいつも僕に天使のような笑顔を向けてくれていたじゃないか! あれは嘘だったのか!!」

 

 徐々に男がヒートアップする。

 それに従い、無表情だった彼の表情も般若の仮面のように険しく、そして悲しげに歪んだ。

 

 

「お前も……僕を切り捨てるのかよ!!」

「――――っ!?」

 

 

 その言葉は、決定的だった。

 

 あやせは背を向けて逃げ出した。

 全力で。あの時のように。

 

「ま、待てよ!! 待てよぉ!!!」

 

 男が追いかけてくる。

 

 それでもあやせは必死に逃げた。

 

 あの男も、きっと誰かに切り捨てられたんだ。わたしのように。

 

 今の自分は、あの男のように歪んだ目をしているのだろうか。縋れる誰かを欲しているのだろうか。

 

 あんなにも、今のわたしは惨めで――哀れなのだろうか。

 

(……違うっ! 違う! 違う! 違う!!)

 

 あやせは無我夢中で走る。

 だが、この辺りのスタジオを使うのは初めてで、来るときもスマホのナビ機能を使って辿り着いたほどに土地勘のない場所だ。

 俯きながら、ただ全力で走り続けたあやせは、気が付くと明らかに人気のない裏路地に迷い込んでしまったことに気づいた。

 

「――ッ!!」

 

 細い路地裏を抜けると、前方には用水路があって行き止まりだった。

 左手は真っ暗で街灯すらない道。右手は壁で行き止まりだ。

 

 あやせは歯噛みする。駅からは更に遠ざかってしまうことになるが、背に腹は代えられない。最悪、駅に辿り着けなくても、誰か人がいるところに辿りつければ。

 そう考えられるくらいには、あやせはようやく冷静になれた。

 

「まてよぉぉおお!!!」

 

 だが、自身が通ってきた路地裏から、男が凄まじい勢いで飛び出してきた。

 

 あやせはすぐにでも走り出そうとしたが、形相を狂気的に歪めていた男の目を見てしまって、恐怖で足が竦む。

 

「きゃぁ!!」

 

 その結果、あやせは転倒する。今日、あやせが履いていたのはヒールだった。ここまで全力で走ってきて転ばなかった方が奇跡といえた。

 

 それでも、あやせは急いで立ち上がり少しでも遠くに逃げようとしたが――

 

「あやせちゃん!!」

「ぐっ!」

 

 男はついにあやせを捉え、その華奢な肩を掴み、あやせを柵へと押しつける。

 

「あやせちゃん……なんで逃げるんだよ……なぁ! なぁ!! なぁ!!!」

「ぐっ……離して!! お願い!! 離して!!」

 

 年上の男の腕力で押さえ付けられ、あやせは身動きが取れない。

 恐怖で身が竦み、走った直後ということもあって頬が紅潮し、涙が浮かんできてしまう。

 

 そんなあやせの姿に、狂気的な瞳をしていた男が、ごくっと唾を呑んだ。

 

 あやせは、男の瞳の色が変わったのを感じる。

 熱に浮かされた男の目が、自分の唇、汗ばんだ首筋、そして胸元へと移動するのを感じ、強烈な嫌悪を感じた。

 

「い、いやぁ!! やめて!! 離して!!」

「お、おい動くな!! おとなしくしろ!! さ、さもないと――」

「お願い助けて!! 誰か!!」

 

 あやせは、一瞬息を呑み、意を決したように叫ぶ。

 

「助けて!! おにい――」

 

 その人の名前は、呼べなかった。

 

 相手を必死に拒絶するように伸ばした手は、逆に自分の体を柵の向こう側へと押しやった。

 

「――え?」

 

 そのまま、あやせの体は落下する。

 都市部を流れる浅い水深の用水路に向かって。

 首筋から後頭部にかけての部分を下にして落ちていく。

 

 あやせはそんな自分を客観視しながら、やけに長い宙を漂う数秒を体感していた。

 

 自分を襲った男は、顔面を蒼白させて、逃げるように退散していった。

 

(……ああ。こんな風に、呆気なく終わるんだ)

 

 新垣あやせは、自分でも思った以上に、あっさりと死を受け入れた。

 

 そして、噂通り駆け巡る走馬灯に、あやせはくすりと笑う。

 

 死ぬ瞬間、最後に思い浮かべるのは誰だろう。

 

 やっぱり桐乃かな? それともお母さん? お父さん?……それとも――

 

 そんなことを考えながら、あやせは涙を弾かせながら目を瞑る。

 

 

 

 

 

 真っ暗にフェードアウトする意識の中、ビィィンという、聞いたこともない電子音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

 渚は自宅の玄関を開けたと同時に、表情を曇らせる。

 

 そして、ゆっくりと扉を閉めて、靴を脱ぐことなく、ただ俯いた。

 

 そこでは、渚の母――潮田広海が、腕を組み、重々しい形相で渚を見下ろしていた。

 

「……こんな時間まで何をしていたの?」

「……ごめんなさい」

「謝罪ではなく、私は理由を聞いているの? もう一度聞くわ。こんな時間まで何をしていたの?」

 

 渚はじっと耐える。

 放課後に早々に帰宅すべく教室を出たにも関わらず、それでもこんな時間になってしまったのは、一重にこれが原因だ。

 母親と同じ空間で過ごす時間を、少しでも減らしたかったのだ。精神的に少し弱っている今の自分だとかなりきついと考えたから。

 このように、母親の逆鱗に触れることは分かっていたのに。

 

 何も言わない渚に対して痺れを切らせたのか、広海は言い含めるように言う。

 

「……いい、渚。あなたはすでに躓いているの。ここで取り戻せないと、あなたは一生負け犬なのよ」

「…………」

 

 ギュッと、渚は鞄を握る力を強める。

 広海は大きく溜め息を吐き「……ご飯は出来ているわ。着替えてらっしゃい」とリビングへと向かった。

 

 思ったよりも短く済んだことに渚はホッとするが、赤くなった手の平を見て、自分が思っていた以上に強く握っていたのだと気づき、今度は感情を抑える為に細く長く息を吐いた。

 

 

 

 そして、夕飯を食べ終えた後、渚は母に呼ばれた。

 

「渚、おいで。髪を整えてあげるわ」

 

 そう言ってブラシを持って、先程とは違い満面の笑みで渚を呼ぶ広海。

 渚は小さく唇を噛みしめたが、今日はすでに広海の癇に障ってしまっている。あまり刺激しすぎるのはよくない、と「……分かったよ」と大人しく姿見の前に座る。

 

 そして、広海は渚の背後に立ち、渚のツインテールのような髪を解く。

 

 すると、その髪は肩にかかる程の長髪で、その姿は元々の中性的な相貌と小柄な体躯も相まって、まるで女の子のようだった。

 

 広海は陶然とした表情で、その滑らかな髪を手櫛しながら感触を楽しむようにして、熱っぽい呟きを漏らす。

 

「……はあ、すごく綺麗よ、渚。私、ずっと女の子が欲しかったのよ。それで、私が出来なかった女の子らしい長髪とかに憧れていたの」

「…………」

 

 はじまった。渚はギュッと拳を握りしめる。

 母は――広海は、渚に口癖のように言う。

 女の子が欲しかった、と。

 そして、様々なことを強要してくるのだ。

 

 昨今の教育事情では、子供に親の理想を押し付けるケースが非常に多い。

 それらの多くは、親自身が、人生を歩んでいく上で感じた後悔などを、子供に味あわせることがないようにという親心からきている。

 だが、それの多くは親の押し付けに変わり、子供を自分の二の舞にはさせまいという、“自分の”失敗を取り戻そうとすることに、目的がすり替わっていく。

 

 渚の母――広海は、その歪んだ極致といえた。

 

 頬を紅潮させながら、渚の髪を一心不乱にブラッシングする広海を、渚は鏡越しに見る。

 

 その姿は、息子の渚ですら明らかに異常と分かる執念を放っている。もはや殺気だ。

 

 前述の、自身の後悔の払拭を自身の子供を使って代替する代償行為は、ある意味で人生の二周目といえる。

 自身が経験した失敗や後悔を避けて、培ったノウハウを最大限に活用して、もっと上手く人生ゲームを進めていく。

 それは、度を越さなければ、自分と同じ過ちを犯して欲しくないという親心ともいえるが、渚の母――広海は明らかに逸脱していた。

 

 男である渚に女の恰好をさせ、満足感に浸る。

 

 自分が落ちた大学へと進学させ、自分が入れなかった会社へと入社させ、自分が就けなかった職業へと就職させる。

 

 そこに、潮田渚という人間はいない。彼女の息子は存在しない。

 

 広海にとって渚は、自身の二度目の人生のアバターなのだ。

 

 

 自身の母親にすら、潮田渚という人間は認識され(みえ)ていなかった。

 

 

 渚は俯き、歯を食いしばる。

 

 広海はそんな渚の様子に気づかず、ブラッシングを終えて、自身の部屋へと向かい、満面の笑みで真っ白なワンピースを持ってくる。

 

「私はね、ずっとおしゃれもさせてもらえなかったわ。やっぱり女の子は若くて綺麗なうちに可愛い恰好をしたいものよ。それでね、昨日こんな素敵なワンピースを見つけたの。さすがに私じゃ着れないけれど、渚にすっごく似合うと思うわ! 早速、着てみてちょうだ「……いやだ」……い?」

 

 ニコニコ顔でやってきた広海の表情が固まる。

 渚はギュッと手を握り、俯いたまま言った。

 

「……もう、嫌だ。僕は男だよ。そんな服着たくない。そんなの着るなんて……変だよ」

 

 ……ああ。ダメだ。こんなことを言ってはいけない。

 渚は何かが告げる危険信号のようなものを感じながらも、その口を閉じることが出来ない。

 

「……僕にだって、やりたいことがある。意思があって、感情があるんだよ」

 

 渚はそれらの言葉に自分自身で疑問を持つ。

 ……本当に僕にやりたいことがあるのか? これまでずっと母の意のままに生きてきたのに?

 ただ、そんな母に文句を言いたいだけなんじゃないのか。

 

 いつもは冷静に制御できる感情が溢れ出す。

 そして、ついに渚は顔を上げて振り返り、広海に向かって決定的な言葉を放つ。

 

「僕は!! 潮田渚だよ!! 潮田渚でしかない!! 潮田広海(かあさん)二周目(かわり)じゃ「ガァァァァァァァアアアアアアア!!!!」

 

 渚は振り向き様に、広海に飛び掛かられ、首を絞められた。

 

 広海は獣のような雄叫びを上げて渚に襲い掛かる。

 

「クソ!! クソ!! ふざけるな!! ふざけるな!! なによその言い草は!! 私はあんたの為に言ってるの!! 全部あんたの為なのよ!! それがどうして分からないんだよぉぉおお!!」

 

 ああ。やってしまった。

 渚は母の性格をよく知っている。

 彼女は自身が気に食わないことがあったり、自身を否定されたりすると、途端にヒステリックになって暴れ出すのだ。

 彼女が夫と――つまり渚の父と別居しているのも、これが原因だ。

 

 当然、渚はこんな母親の性質を理解していて、これまでは広海のストレスを見極めて上手くコントロールしてきた。だが、今日はそれに失敗したらしい。完全に振り切れてしまっている。

 

 いつもはこうして失敗した時、すぐに謝って収めるのだが、今回は髪ではなく首を絞められているので、言葉を発せない。完全に失敗した。

 

 広海はいまだ豹変し、何事かを喚いている。

 

「大体、勝手にE組に落ちやがって!! 早速、狂った!! 何のためにあんな学費の高い私立に行かせたと思ってるのよ!!! 私のプランは完璧だったのに!! あんたのせいで全部台無しよ!!! 挫折の傷は一生癒えないの!! 生涯苦しめられるのよ!! 母さん(わたし)がそうなの!! 親がこんなに言って聞かせてるのに!! あなたの為に!! なのにッ……アンタッ……何様のつもりよ!!!」

 

 E組。

 エンドのE組。

 

 薄れゆく渚の意識に、その言葉がこびり付くように離れない。

 

 あの山の上の旧校舎に追いやられた僕たちは、そこまでダメな存在なのか。

 

 ここまで拒絶される程、落ちこぼれの存在なのか。

 

(…………違う)

 

 違う。

 渚はクラスメイトたちの顔を思い出し、それは違うと断言できた。

 

 確かに覇気はなく、生気を失っているけれど、それでも一人一人の人間としては、そんな軽々しく切り捨てられていい人たちじゃない。

 

 僕が数か月共に過ごしてきた人たちは、決して落ちこぼれなんかじゃない。

 

 みんな一人一人にいいところがあって、個性があって――――才能があった。

 

 見返さなくちゃ。見返さなくちゃ。見返さなくちゃ。

 

 渚が、真っ暗な視界の中に手を伸ばす。

 

「アンタって人間はね!!! 私が全部造り上げてきたのよ!!!」

 

 その言葉は、渚の胸の中の何かを壊した。

 

 僕の全部は、母さんが――潮田広海が二周目として作り出したもの。

 

 その全てが、潮田広海の――一周目の人生のコンティニュー。強くてニューゲーム。

 

 

 なら、潮田渚(ぼく)は?

 

 

 潮田渚とは誰だ? 潮田渚とは何だ? 潮田渚とはどこにいる?

 

 

 潮田広海の二周目にすらなれなかった潮田渚(ぼく)の――才能(かち)とは、何だ?

 

 

(……僕……は)

 

 渚が何かに向かって伸ばしていた手が――ゆっくりと、力無く落ちる。

 

「…………ぁ」

 

 その状態になってようやく、広海は自分のとった行動を理解した。

 

「……ひ! ひぃぃ!! い、いや! 違う! 違うの!! 違うのっ!!」

 

 そう言って広海はガタガタと震えながら、真っ青な顔で家を飛び出す。

 

 

 だが、その時すでに、渚の体はピクリとも動かなかった。

 

 

 こうして、誰からも認識されなかった少年は、呆気なく孤独に息を引き取った。

 

 

 

 それでも、その誰からも認識されなかった一人の少年を、黒い球体は選んだ(みつけた)

 

 

 

 ビィィンという電子音と共に、眩いレーザーが少年に照射される。

 

 そこに、明確な意思はなかったのかもしれない。

 ただ機械的にランダムに選んだ上の偶然だったのかもしれない。

 

 だが、それでも。

 

 少年には、まさしく“二周目”の人生が用意され。

 

 

 自身の“異常”な“才能”を開花させる、新たな“教室”へと送られた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 東条が地元へと戻った頃、辺りはすっかりと暗くなっていた。

 

 彼は家計を援助する為に、数多くのバイトを掛け持ちしている。

 今日もこの後、深夜の工事現場に出向かなくてはならなかった。

 

 大きく欠伸を噛みしめながら、仕事場へと向かっていると。

 

 

「ぎゃぁぁあああああああ!!!! もう嫌だぁ!! お前と一緒にいると碌なことになんねぇよちくしょうぉぉおおお!!!」

 

 

 ん? と、前方の、確か建設中のビル現場から悲鳴が聞こえた。

 この現場は東条もちょくちょく顔を出していて、この時間はもう誰もいないはずだが。

 

 ふと、中を覗き込むと――

 

 

――数百人単位の集団に、二人の男が囲まれていた。

 

 

 一人は尻餅をつき、涙目で悲鳴を上げている銀髪の男。

 

「……うるせぇぞ、古市。この程度で喚いてんじゃねぇ」

 

 そして、その男の隣に立つように、その少年は自身を囲む数百人単位の不良たちに向かって不敵に笑った。

 

 

「こんな奴等に、俺が負けるとでも思ってんのか?」

 

 

 少年の挑戦的な言葉に、周りの不良たちは一斉に罵声を浴びせるが、ただ一人、外から見ていた東条は面白そうに笑った。

 

「おお言ってくれんじゃねぇか!! この数相手にお前がどこまで出来るか、やってもうらおうじゃへぶらだぁ!!!」

 

 少年に一斉に襲い掛かろうとしていた不良達の集団、その外側にいた連中が、突然吹き飛ばされた。

 

 少年と不良達の視線がそこに集結する。

 

 そのポッカリと開いた穴から、一人の虎のような男が現れた。

 

「おう、悪いな。お前たちの喧嘩の邪魔しちまって」

 

 東条は少年の元に歩み寄る。

 そして、少年を背にするように立ち、不良達に言った。

 

「でもな、ここで働いてる身とすりゃあ、ここで暴れられると困るんだわ。それにな――」

 

 口元を緩ませて、挑戦的に言い放つ。

 

 

「――お前たちじゃあ、何百人束になったところで、コイツには勝てねぇよ」

 

 

 背後の少年も含めて呆気にとられる中、徐々に不良たちが怒り狂い、怒声や罵声を喚き散らす。

 

「……お前」

 

 少年が東条を見上げる。

 東条は不敵に笑いながら、言った。

 

「おう、お前。コイツ等を片付けてから、ちょっくら俺と――」

 

 だがその時、東条が開けた穴に向かって、古市と呼ばれた少年が走り出す。

 

「男鹿!! 悪いが俺は抜けさてもらうぜ! アデュ!!」

 

 その堂々とした逃げっぷりに、少年も東条も不良たちも呆気にとられるが――

 

「おい待て古市!! 俺が用があんのはテメェなんだよ!! よくもこの間は騙してくれたな!! 巨乳美女なんざいなかったじゃねぇか!!」

「俺もテメェだロリ市!! 人の妹に色目が使ってんじゃねぇぞ!!」

「待ってください貴之!! 私、この間あなたが私の中に入ってきた時運命を感じて」

「ぎゃぁぁあああ!! 何故!? なんで俺!? っていうか最後の奴誰だよぉぉぉぉおおおおおお!?」

 

 ぎゃぁぁぁぁぁああああと悲鳴を上げながら疾走する古市に、なぜか集団の三割ほど(+ひげのオッサン一名)が追走する。

 いつの間にか結構な数の敵を作っていた古市に、男鹿と呼ばれた少年は「……なにやってんだ、アイツ」と頭を掻きながら呆れる。

 

「……あ~。なんだ。アイツ、強えのか?」

「……いや。たぶん、負ける」

 

 すると、東条は苦笑しながら「……しゃあねぇな」と言って、男鹿を送り出す。

 

「いってやれ。ここは俺がやっとく」

「……棟梁」

「(棟梁?)……まぁ、いつかまた会う時が来るだろう」

 

 そして、東条は虎のように獰猛な、けれど子供の用に無邪気な笑顔で言う。

 

「そん時は、ケンカ、しようぜ」

 

 男鹿は、それに不敵な笑みで答えると、進行方向の不良を蹴散らしながら、後を追う。

 

「おい! テメー、なに勝手に話進めてんだ!!」

「ちょ、ちょっと不味いっすよアニキ!!」

「暗がりでよく分かんなかったっすけど、アイツ――」

 

 不良たちの下っ端が、リーダー格の男に震えながら伝える。

 

 

「――“石矢魔高校最強の男”、あの東条英虎っすよ!!!」

 

 

 それを理解した時、不良達の動きが止まり、表情が青褪める。

 

 対する東条はゴキゴキと首を鳴らし、一歩ずつ踏みしめるように歩き出す。

 

「……さぁて、やるか」

 

 

 

 勝負は、始まる前からついていた。

 結果として、それから数十分と持たずに不良達は撃砕、あっとう言う間に逃走を開始した。

 

 東条は建設中のビルの根元に腰をかけ、大きく欠伸をかく。

 

 つまらない喧嘩だった。

 だが、それとは別に収穫があった。

 

 あの少年。一目で分かった。アイツは強い。強くなる。

 

 あれは、“同類”だ。楽しい“喧嘩”が出来る相手だ。

 

 まさか、身近にあんな奴がいるとは。

 東条は楽しげに笑う。今度はいつ会えるだろうか。アイツと次に会う時が、今から楽しみでたまらない。

 

「……男鹿、か」

 

 東条が念願の人物の登場に心を震わせていると。

 

 

 ガコン、という音が響き。

 

 

 鉄骨が降り注いだ。

 

 

 

 

 途轍もない金属の落下音と、膨大な土煙。

 

 その連鎖する轟音の中。

 

 

 ビィィンという電子音が、微かに紛れ込んでいた。

 

 

 その後、すぐに消防と警察が駆け付ける。

 

 幸いにも、死傷者は0だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 真っ暗な帰り道。

 雪ノ下を自宅まで送り届ける為、必然的にこんな時間になる。まぁ、いつものことだから小町も承知しているだろう。

 

 季節的にはもうすぐ梅雨ということもあってか、しとしとと鬱陶しい雨が降っている。

 雨は別に好きでも嫌いでもなかったが、今は少し苦手だ。

 

 あの日。俺の人生が終わり、大きく変化して生まれ変わったあの日。

 

 黒い球体に誘われたあの日を、思い出してしまうから。

 

 コンビニで購入した真っ黒の傘の中で、頭を小さく振り、思い出したくもないそれを振り払う。ぼっちは思考する生き物だ。言葉を発さない分、代わりにあれこれどうでもいいことを考えている。だから、何も考えない、無心になるというのは俺にとっては案外難しい。

 

 ならば、別のことで思考スペースを埋めようとすると、最初に浮かび上がったのは、先程、俺と雪ノ下が部室の鍵を返しにいったときのことだ。

 

 俺の横にはぴったりと雪ノ下がいたからだろう。

 いつものように、俺に説教や諫言はくれなかったが、雪ノ下が背を向け、俺が立ち去ろうとしたその瞬間、一言、とても寂しそうな、悲しそうな、哀れむような口調で、平塚先生は言った。

 

 

『――比企谷、お前、それでいいのか?』

 

 

 ぱしゃっ。

 不覚にも、大きめの水たまりを踏み抜いてしまった。靴の中にまでぐしょ濡れで気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 あの人は恩人だが、それでも今回のあの一言は腹が立った。思わず睨みつけ、先生が目に見えて怯えたが、それでも謝ろうとは思わなかった。

 理不尽なのは分かっている。だが、それでも吐き捨てるように心中で叫んだ。

 

 そんなわけがないだろう。

 

 

 

 気が付いたら、自宅へ着いていた。

 家の中の光から、小町はもう帰っているようだ。

 

 俺は家に入ると、ただいまも言わずにそのまま自室へと向かう。どうやら小町は夕飯を作ってくれているようで、後ろから声を掛けられたが、無視するような形になってしまった。後で謝ろう。

 

 そして、そのままベッドに横になる。

 疲れた。もう疲れ切った。

 

 平塚先生に言われるまでもなく分かってる。というより、分からない奴なんていないだろう。

 今の俺達が間違っているなんてことは、誰が見ても分かり切っていることだろう。

 

 だが、それを俺にどうにかしろというのは、買い被りだ。

 俺にはどうでも出来ないから、こんなことになっているんだ。

 

 俺にそういうの、期待すんなよ。

 

 頼むから。

 

「……ちっ。本当に、人の嫌がるタイミングってのを狙い澄ますような奴だ」

 

 まさかの連日とは。

 本当に気まぐれな奴だ。

 

 俺は金縛りが始まる前に、重たい体を起こして、鞄を手に取る。

 

 そして、目を瞑る。

 

 今日もまた、あれが始まる。

 

 悪いな、平塚先生。

 

 今の俺は、自分のことで精いっぱいだよ。

 

 

 本当に。

 

 誰か、助けてくれよ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 目を開けると、そこには黒い球体。もはや第二の自宅といってもいいくらい馴染んでしまった2LDK。今度ラノベとか持ち込んじゃおうかな。

 

 一応、グルリと見渡すが、人はいない。

 

 俺が単独でミッションに挑み続けて、もう半年になる。

 ……ガンツの考えが読めない。まさか俺の願いを聞き届けるような奴でもないし。俺が一人でどこまでやれるのか試しているのか? それとも、ここしばらくは俺一人でも問題ないと考えている? ……確かに、千手やチビ星人以降は、大した敵は現れていないが。

 

 そんなことを考えながら、俺はガンツスーツへ着替え終える。

 

 いつもならこのタイミングであの音が鳴り響くはずだ。

 

 

 

 

 

 ビィィィィィン

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 鳴り響いたのは、あの目覚まし時計のような音ではなく、レーザーの電子音だった。

 

 一挙に4本も黒い球体が発しているそれは、四者四様の人型を形どっていく。

 

 ……ついに、来たのか。この黒い球体の部屋に、新たな住人が。

 

 だか、だとすると、これは。

 ……今から送られるミッションの敵は、俺単独では手に余るということか?

 

 それほどの強敵ということか?

 

 

「……な、なんだ?」

 

「……わた、し?」

 

「……あれ? こ、ここは?」

 

「……ん? なんだ?」

 

 

 俺は、ガンツに向けていた視線を、背後に現れた四人の人間に向ける。

 

 

 コイツ等は、そんな強敵に送りこむに相応しいと、ガンツが判断した人間達ってことか?

 

 

 俺が、新たな戦いへの不安を胸中に抱いているのを尻目に、背後の黒い球体ガンツは変わらず悠然と鎮座していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、俺の願いは再びあっさりと裏切られ、黒い球体の部屋に新たな住人が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、それは、比企谷八幡(おれ)黒い球体(ガンツ)の物語の、新たな幕開けでもあった。

 

 




 ついに、合流。第二部はこの五人がメインになると思います。

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