比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

41 / 192
そういえば今日の分の投稿予約してなかったとさっき気付いて、急いで用意しました。
なので、ちょっと遅れてしまいました。ごめんなさい!!


血塗られた学び舎で、比企谷八幡は宿敵と相対する。

 俺はかつて、遅刻は悪ではないと宣ったことがある。

 詳しい内容は覚えていないが、確か重役出勤とか、ヒーローは遅れて登場しても称賛されるとかつらつらと並べて、上昇志向の高い俺は今からその予行練習をしているんだとかなんとか言っていた気がする。

 

 俺は今、その時の俺をぶん殴ってやりたい。

 

 そして見せつけてやりたい。

 

 

 これが。この惨状が。

 

 この――無実で無関係な人間の血と死体でいっぱいの、死屍累々の凄惨な教室が、お前が遅刻した結果生まれてしまった悲劇だと。

 

《ようやく来たか》

 

 昨晩、嫌というほど味わった違和感しか覚えないテレパシーが脳内に響く。

 

 返り血で真っ赤な無表情の大岡が振り返り、その無感情の目で俺を見た。

 

「……てめぇ、昨日の奴か」

《そうだ。言ったはずだぞ》

 

 

《逃がさないと》

 

 

《必ず殺すと》

 

 

《どこに逃げようと、どこに消えようと、必ず見つけ出し、破壊すると》

 

 

《お前も》

 

 

《お前の同胞も》

 

 

《一人残らず》

 

 

 

《これが、俺の復讐だ》

 

 

 

 復讐。

 その言葉が、深々とナイフのように心に突き刺さる。

 

 復讐。報復。仕返し。

 

 それは、つまり――

 

 

《忘れるな。正義はこちらにある》

 

 

 チビ星人は、無感情ながら、容赦なく突きつける。

 

 

《これは、お前が始めた戦争だ》

 

 

 俺は拳を握りしめ、歯を喰いしばっていた。

 

 昨日の夜の戦い。

 俺は、後一歩の所で、コイツの呪詛により躊躇し、コイツを殺し損ねた。

 あの時のコイツの言葉は、俺の心を抉り取った。

 反論は、出来なかった。それだけのことをしたと思った。

 

 だが、これは。

 

 こんなものは

 

 

――断じて違う。これは、間違いなく正義じゃないッ!

 

 

「ふざけるな……ッ。これだけ無関係の人間を殺しておいて、何が正義だ。その怒りは全部俺に向けるべきだろうがッ。お前がやったのはただの八つ当たりだッ!」

《こちらは多くの同胞を殺されている。お前一人を殺したところで割に合わない》

 

 チッ。ダメだ。言葉は通じても、根本的な考え方が違う。

 コイツが言っているのは、俺の家族は○○国の人間に殺されたからその国を滅ぼすと言っているのと同じだ。暴論にも程がある。

 

 だが、コイツにとってはそうなのだろう。

 俺に昨日殺したチビ星人一人一人の区別がつかないように、コイツにも俺たちが皆同じ顔に見えるのだ。

 

 ある獣が人間(どうほう)を襲ったから、危ないから一匹残らず駆逐しよう。殺し尽くそう。

 人間が傲慢に、それでも当然のように判断し、実行するように。

 

 コイツ等にとって地球人(おれたち)は、ただの畜生で、ただの害虫なのだろう。

 

 やはり、コイツとは、宇宙人(こいつら)とは相容れない。

 

 ……戦うしか――殺すしかない。

 

 …………だが、どうする?

 俺はスーツを着てはいない。……鞄の中にXガンとYガンと一緒に入っているが。

 

 鞄を開けて、銃を取出し、相手に向けて、撃つ。

 

 それだけの動作をするよりも、間違いなくアイツが俺に跳び蹴りをする方が早い。

 スーツを着ていない俺は、それだけで即死だろう。

 

 だが、このままでは――

 

《待っていろ。すぐに殺してやる》

 

 クソッ、一か八かやるしか――

 

 

 

《この貴様の同胞を殺した後にな》

「ひぃ、いやぁ、たすけ、たすけて」

 

 

 

 チビ星人が髪を乱暴に掴んで吊り上げた、その女を見た瞬間、俺の中の時間が止まった。

 

 

 そして、思い出す。なぜ俺が、この2年J組に一目散に駆け付けたのか。

 

 

 あまりに衝撃的な教室内の状況を前に、不覚にも頭から抜け落ちていたけれど。

 

 

 俺は、その少女を、死なせない為に――

 

 

 

『八幡』

 

 

 

 あの人から託された――陽乃さんの忘れ形見の――

 

 

 

『……雪乃ちゃんのこと、お願いね』

 

 

 

 俺が、今。

 

 

 何よりも守らなくちゃいけない、その存在を――

 

 

 

 

「ひき、がや……くん……たすけ、てぇ……」

 

 

 

 

 ボロボロで、グシャグシャの、縋りつくような懇願だった。

 

 雪ノ下雪乃は、泣いていた。

 瞼は真っ赤に腫れあがり、太ももからも液体を垂れ流している。

 

 その、瞬間。

 

 あの雪ノ下を――――あの美しく、気高い雪ノ下雪乃を。

 

 傷つけ、貶め、穢した、目の前の生物への怒りで、思考が飛んだ。弾け飛んだ。

 

 躊躇はなかった。恐怖もなかった。

 

 ただ、目の前の生物を排除する為に。

 

 沸騰するような激情と共に、鞄の中に手を伸ばす。

 

 

 

「君!! そいつから離れて!!」

 

 

 

 その第三者の叫びに、俺の頭は一気に冷える。

 

 後ろを振り返ると、そこには青い服を着た連中が、拳銃をチビ星人に――いや、チビ星人が擬態する大岡に向けている。

 

 俺は即座にその状況を理解した。

 

 チビ星人は表情こそ無表情なものの、視線を後ろの警官達の方に向けている。

 

 俺は鞄から何も取り出さずに手を抜き――――チビ星人に向かって駆け出す。

 

《ッ!!》

「――な!」

 

 チビ星人の驚愕する気配と、後ろの警官たちの悲鳴にも似ている驚声に構わず、俺は雪ノ下をチビ星人から強引に引き離す。

 

「きゃぁあ!!」

 

 その際、ブチブチと何かを強引に千切るような音が響く。

 雪ノ下の綺麗な髪を傷つけてしまったことに、顔が顰むのを感じる。

 

《貴様ぁ!》

 

 チビ星人は怒りのテレパシーを送りながら、俺ごと雪ノ下を粉砕しようとする。

 

「いやあ!!」

 

 怯える雪ノ下を全身で覆うようにして庇う。

 

 頼む!! 来い!!

 

 

 銃声が、轟いた。

 

 

 ふらつく大岡なチビ星人。

 ギロリと廊下の方に目を向ける。

 

 よしっ! 信じてたぜ、国家権力!

 

 俺は雪ノ下に覆いかぶさりながら、後ろを確認する。

 

 銃を撃ってくれたのは、俺が入った前方の扉の所にいるあの人だ。

 チビ星人の目もそちらに向いている。

 

 ……今しかない。

 

「雪ノ下」

「え!?……な、なに?」

 

 俺は口に人差し指を当てて、声を潜めるように伝えながら、雪ノ下に声を掛ける。

 

「逃げるぞ。走れるか?」

 

 俺は雪ノ下の濡れた瞳を真っ直ぐ見据えながら言う。

 

 雪ノ下の瞳は、不安定に揺れていた。

 

 俺は雪ノ下のここまで弱い姿を見たことがない。

 

 

 …………そして、雪ノ下をこんな目に遭わせたのは、俺だ。

 

 一度、強く目を瞑り、覚悟を決める。

 

 

 俺は雪ノ下の手を引いて、後方の扉に向かって駆け出した。

 

 

《っ!! 貴様、逃げるのか!!》

 

 チビ星人が俺たちの方に向き直る。

 

 それを遮るように二発の銃声が響いた。

 

 先程俺たちを救ってくれた警官が、注意を引き付けるように援護してくれる。

 

「君達! 大丈夫か!!」

 

 そして俺たちは、後方の扉から教室の外に飛び出した。

 

「生徒は皆外に避難している! 君たちも早く!!」

 

 銃を撃ったのとは別の警察官がチビ星人から離れるように指示を送る。

 

 俺は頷いて、そのまま走り去った。

 

 決して振り向かないように。

 

 

 ……おそらく、あの人たちは殺される。

 

 拳銃程度じゃ足止めにはなっても、アイツを殺すことは出来ないだろう。

 

 そうでなくては、ガンツが星人(あいつら)に対してあんなハイテクノロジーな武器を用意しなくてもいいからだ。

 

 だが、俺はそれを言わなかった。

 ガンツの爆弾が頭に仕込まれているという以前に、今は、その足止めが欲しいから。

 

 雪ノ下を逃がす為に。

 

 俺自身が、一旦体勢を整える時間を稼ぐ為に。

 

 

 その為に、俺は、命を救ってくれたあの人たちを――捨て駒にしたんだ。

 

 

 背後から、乱発する銃声と、警察官達の悲鳴と絶叫が木霊する。

 

 

 俺はそれから逃げるように、目を背けるように、階段を降りる。全力で逃避する。

 

 そんな自分を誤魔化すように、雪ノ下の震える手を、力強く握りしめた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 一階に降りると、避難をしている集団に合流することが出来た。

 

 そして運が良かったのか、それとも悪かったのか。

 一番早く目に入ったのは、アイツだった。向こうもこちらに気づく。

 

「あ !ゆきのん! ゆきのん!!!」

 

 由比ヶ浜は瞳いっぱいに涙を溜めて、こちらにダッシュで駆け寄り、雪ノ下を抱き締める。

 

「よかった!……本当に良かった……ゆきのん……ゆきのん」

「……ゆい、がはま、さん……ぅぅ……ぁ……ぁ」

 

 由比ヶ浜の嗚咽交じりの言葉に、由比ヶ浜がどれだけ雪ノ下の身を案じていたのかが窺える。

 そして雪ノ下も由比ヶ浜の言葉と温もりに、再び涙を堪えきれなくなったようだ。

 お互いがお互いの体を全力で抱き締め、肩に顔を埋めている。

 

「……ヒッキー。ゆきのんを助けてくれてありがとう」

 

 そして、由比ヶ浜は顔を上げ、目を真っ赤にした笑顔で俺にそう言った。

 

 

 ……違う。由比ヶ浜。俺は――

 

 

 すると、雪ノ下も振り返り、俺に儚い微笑みと共に言った。

 

 

「……そうね。ありがとう、比企谷くん。……助けに来てくれて、本当に嬉しかったわ」

 

 

 その笑顔は、俺がずっと見たかった、仮面をつけていない、心からの綺麗な笑みだった。

 

 俺は、表情が歪まないように、必死に、必死に堪える。

 

 

 ……違う。違う。違うんだよ、雪ノ下。

 

 これは、俺のせいなんだ。

 

 お前がそんな目に遭ったのも。クラスメイト達が殺されたのも。

 

 全部、俺のせいなんだ。

 

 俺は彼女たちの後ろにいる集団に目を向ける。

 

 恐怖に怯える男。泣き叫ぶ女。戸惑いを隠せない教師。無線で怒号のやり取りをする警官。

 

 みんな、みんな、俺のせいだ。

 

 俺が昨日殺したから。俺が昨日殺せなかったから。

 

 これは、俺のせいで、起きた悲劇だ。俺が引き起こした惨劇だ。

 

 なのに。なのに。それなのに。

 

 頼むよ、雪ノ下。由比ヶ浜。

 

 

 俺を、そんな顔で見ないでくれ。

 

 

「結衣!」

「結衣!!勝手に離れんなし!」

「八幡!!」

「ちょっとアンタ、今までどこ行ってたの!?」

 

 集団の中から、三浦と海老名さん、戸塚、川崎が抜け出してこちらにやってくる。

 

 俺はそれを見て、由比ヶ浜に告げた。

 

 

「―――由比ヶ浜。雪ノ下を頼む」

 

 

 その言葉に由比ヶ浜、そして雪ノ下が驚愕する。

 

「え!?どういうこと!?ヒッキーは!?」

「俺はやらなくちゃいけないことがある。それを済ませたら、すぐに合流する」

 

 こうしている今も、無関係の人間が殺されている。

 

 俺は行かなくちゃいけない。俺は殺さなくちゃいけない。

 

 アイツを殺すのは俺だ。

 

 これは、アイツと俺の戦争なんだ。

 

 俺が始めた戦争なんだ。

 

 

 ギュッッと、俺の腕が凄まじい力で掴まれる。

 雪ノ下だった。

 雪ノ下は、恐怖で震える瞳で、俺を見上げる。

 

「い、嫌っ!行かないで!置いて行かないで!!お願い比企谷くん!!傍に居て!!一人にしないで!!私を、私を――」

 

 由比ヶ浜は「ゆきのん……」と呆然と言葉を漏らす。駆け付けた顔見知り達も目と口を開いたまま固まる。

 俺も驚いていた。前までの雪ノ下ではない。あの雪ノ下が、ここまでなりふり構わず俺に――他人に、縋るなんて。

 

 …………それほどの、恐怖だったんだろう。あのJ組の惨状を見れば、想像がつく。ついてしまう。

 

 俺はアイツに対する殺意を更に高めながら、雪ノ下の肩に両手を置き、雪ノ下の瞳を真っ直ぐ見据え、見つめながら語りかけた。

 

「―――すぐ戻る。……由比ヶ浜と一緒に、待っててくれ」

 

 俺は由比ヶ浜にアイコンタクトを送る。

 由比ヶ浜は悲痛に表情を歪めた。……本当はコイツも、俺を引き留めたいのだろう。

 

 だが由比ヶ浜は直ぐに優しげな微笑みを作り、雪ノ下を背中から抱き締めた。

 

「…………大丈夫だよ、ゆきのん。私が一緒にいる。……ヒッキーを、信じて待とう?」

 

 俺はその言葉を言う由比ヶ浜を直視出来なかった。見れなかった。

 ……彼女は、いつもこうして口だけの俺の言葉を、ずっと信じて待ってくれていたのだろう。待ってくれて、いるのだろう。

 

 本当に、俺は最低だ。

 そんな彼女に、俺はまた、押し付けようとしている。

 

 そんな由比ヶ浜の諭しでも、雪ノ下の瞳から恐怖と不安が消えることはなかった。

 だが彼女の、俺の腕を掴む力は、ゆっくりと緩んだ。

 

 俺は彼女の腕を、優しく、決して振り払わないように、ゆっくりと剥がす。

 

「あ――」

 

 雪ノ下の手が伸びる。縋るように。見捨てないでと、叫ぶように。

 

 だが俺は、あの日の彼女のように、背を向けた。そして、振り返らなかった。

 

「行ってくる」

 

 せめて、こう言い残した。気休め程度の、口約束を告げる。

 

 彼女たちの目を見ずに、一方的に押し付ける。

 

「必ず、戻る」

 

 俺は降りてきた階段に向かって駆け出し、逃げるように、上へ駆け上がった。

 

 俺は、彼女達から、逃げてばかりだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「八幡!」

「ヒキタニくん!」

「ちょっ、ヒキオ何してるんだし!」

「おい!由比ヶ浜!雪ノ下!アイツ行かせていいの!?上にはまだ不審者が――」

 

 突然、校舎の中に走り去っていった八幡を見て、三浦達は戸惑いの声を上げる。

 

 川崎は由比ヶ浜と雪ノ下に呼びかけるが、その光景を見て口を紡がざるを得なかった。

 

「~~~~~~~~~ッッ」

「……………………………っっ」

 

 雪ノ下は、顔を真っ青にしてガタガタと震えながら身を縮こませ、由比ヶ浜の制服をギュッと握りしめている。

 由比ヶ浜は、瞳一杯に涙を浮かべて、唇をこれでもかと噛みしめる。何かを必死で堪えるように、雪ノ下の細い体を力いっぱい抱き締めていた。

 

「……大丈夫」

「――え」

 

 呆気にとられていた川崎は、由比ヶ浜の掠れたようなその呟きに、無意識に問い返した。

 

 由比ヶ浜は、何よりも自分に言い聞かせるように、涙声で言った。

 

「……大丈夫……ヒッキーが……ヒッキーなら……きっと……ぎっど……らい……じょぅ…っ…ぅぁ――」

 

 途中で、堪えきれなくなったのだろう。

 雪ノ下の肩に顔を埋めるようにして、由比ヶ浜は声を押し殺して嗚咽を漏らした。

 

 ついにペタンと、膝の力が抜けて、落ちる。元々雪ノ下も限界だったのだろう。一緒に昇降口前の廊下に座り込んだ。

 

 三浦と海老名はそんな由比ヶ浜に駆け寄り、抱き締める。三浦は、向けられる好奇の視線を、睨み一つで封じ込めた。

 

 そんな中、川崎は、決意する。

 

「――――あたし、やっぱり比企谷を連れ戻すよ」

 

 明らかに分かる。彼女たちは限界だ。

 雪ノ下はもちろん、由比ヶ浜も。

 これまでギリギリの奉仕部を繋ぎ止めようと孤軍奮闘を続けてきたのだ。そこにきて、この惨状。

 

 雪ノ下だけではない。

 由比ヶ浜にとっても、八幡はすでに生命線だった。

 

 もし、八幡が殺されてしまうようなことがあれば、おそらく、彼女たちは――

 

「――サキ、サキ。……で、でも――」

 

 由比ヶ浜は顔を上げて、川崎を見上げる。

 その瞳は、揺れている。

 八幡を助けて欲しいという渇望と、だが彼を信じて待たなければという――もはや強迫観念程のレベルの使命感が、ごちゃ混ぜで激しくせめぎ合ってい、由比ヶ浜を追い詰めている。

 

 そんな複雑な由比ヶ浜の迷いを断ち切るように、三浦が言う。

 

「お願い、川崎さん。ヒキオを引っ張ってきて。……結衣をこんなに泣かせて……引っ叩いてやんなきゃ気が済まない」

 

 そう言って三浦は、由比ヶ浜の頭を自身の胸の中に抱いた。「……優美子」と、由比ヶ浜が呆気にとられた声を出すと、海老名がくすりと笑いながら、川崎に向き直って頷いた。

 

「川崎さん、僕も――」

「いや、あたしだけでいいよ。あんまり多くても、却って危ないから」

 

 戸塚は自分も行くと言おうとしたが、川崎が遮り、しょぼんと肩を落とした。

 

 そのあまりの小動物っぷりに川崎の中の罪悪感がマッハだったが、今はそんな場合じゃないと川崎は八幡の後を追うべく走りだす。

 

「川崎さん!危なくなったら、ヒキオなんか放っておいてすぐに逃げてきていいから!」

 

 そう言って三浦は、自身が焚き付けたことに対するフォローを忘れなかった。

 川崎はそれに手を挙げて答えると、彼女達から川崎の姿が見えなくなる寸前で、由比ヶ浜が声を張り上げる。

 

 

「お願い!サキサキ!――――ヒッキーを、助けて!」

 

 

 その叫びは、確かに川崎に届いた。

 

 川崎は、言うまでもないとばかりにスピードを上げる。

 

 彼女だって、死んでも彼には、死んで欲しくないのだから。

 

(……比企谷……無茶しないでよ!)

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 俺はトイレの個室のドアを開ける。

 

 いつも通り、スーツの上に制服を着こみ、XガンとYガンを腰のホルスターに装着し、それをブレザーで隠す。

 

 ……もしかしたらこの服装のせいで、この学校がバレたのかもな。……もし俺の位置を探知出来たのだとしたら、真っ先に俺を狙――うか、どうかは分からないか。俺の同胞を殺してから、俺を殺すみたいなことを言っていたしな。その場合は小町がおそらく殺されていたから、そっちの方がよかったとは一概にはいえない。

 

 だが、雪ノ下が。そして俺と何の係わりもないJ組の連中が、俺の同胞扱いされたのは、これが原因だ。俺が原因だ。

 

 ……今度から、制服は上に着ない方がいいのかもな。俺のくだらない羞恥心のせいで、あれほどたくさんの無関係の命が奪われたのだから。

 

 だが、少なくとも今は、これを上に着る必要がある。いきなり黒い全身スーツの男が現れたら、今の状況じゃ更に尋常じゃないパニックになってしまう。

 

 俺は、一応トイレの出入口の周囲を観察して、男子トイレを出る。

 

 …………ん、待てよ。そんなことしなくても透明化してしまえばいいんじゃないか。確か、アイツには透明化は有――

 

 

 

『いやぁぁぁぁあああああぁぁあぁあああああああ!!!!!』

 

 

 

 ――――おい。待て。今の悲鳴って……

 

「雪ノ下!?」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「サキサキ……行っちゃったね」

「大丈夫かな……これで、川崎さんまで危険な目に遭ったら」

「……」

「それは大丈夫だと思うよ。サキサキは、そんなリスクリターンの計算が出来ないような人じゃないもの。危なくなったら逃げてくれるよ。……だから優美子、そんな顔しないで」

「…………うん」

 

 川崎が二階へ走り去った後、海老名と三浦と戸塚は彼女の安否も気に掛けながらも、学校の外に避難する集団に合流する。

 

「ほら。結衣も、雪ノ下さんもしっかりして。大丈夫。きっとすぐにサキサキがヒキタニくんを連れ戻してくれるって」

「……う、うん。そう、だよね」

「…………」

 

 由比ヶ浜も、まだ元気が戻ったというわけではないが、それでも雪ノ下を抱き締めながら歩けるようにはなった。

 雪ノ下も、相変わらず顔は青く震えているが、由比ヶ浜にしがみつきながらなんとか歩を進めている。

 

 そして学校の外に出ると、すでに粗方避難した後なのか、生徒たちはバラバラと二、三人の塊で、まるで下校時のようにバラつきながら、正門前の大きな集団に向かっていた。

 

 そんな彼らに向かって教師陣は怒鳴り声を上げながら急かすが、この中であの凄惨な現場を見た者はほとんどいない。戸部の件も目撃しているのは二年生の一部だけだ。

 皮肉にも、八幡の妄想通り、彼らにとっては惰性で何となく流されるがままに行っていた避難訓練と意識的にはほとんど変わらなかった。

 

 だが、由比ヶ浜たちは戸部の件を間近で目撃していたし、雪ノ下に至ってはあの凄惨な現場の唯一の生き残りだ。否が応にでも真剣にならざるを得ない。

 

「よし!ここまで来れば大丈夫だよ、雪ノ下さん!急ごう、結衣!」

「ほら、結衣。雪ノ下さんの腕、片方貸せし。アタシも支えるから」

「あ、僕も。一応、僕も男だし。……それに、由比ヶ浜さんもフラフラだよ」

 

 戸塚の言葉通り、雪ノ下を支える由比ヶ浜の足取りも、正直覚束なかった。

 ここ数日の心労もさることながら、戸部の指が砕けるシーンを直視したこともズッシリとダメージになっている。

 それでも一番の心の重荷は、八幡の安否だろうが。

 

 由比ヶ浜は、そんな二人の提案を首を振って拒んだ。

 

「……ううん。ありがとう、二人とも。でも、これは、私がヒッキーに託されたことだから。……やり遂げたい」

 

 そして、由比ヶ浜は、足に力を踏ん張って注入し、前を向く。

 

 

「……ゆきのんは、私が守る」

 

 

 

 その時、彼女たちの頭上で、パリーンという破砕音が響いた。

 

 

 

「きゃぁっ!」

「な、なにこれッ!」

 

 突如、上空からガラスの破片が降り注ぎ、由比ヶ浜達も含めて下界の生徒達はパニックに陥り、悲鳴が飛び交う。

 

 そして、降ってきたのはガラスだけではなかった。

 

 

 ダンッ と軽やかに何かが降り立った。

 

 

 由比ヶ浜達の目の前に、小さな白い化け物が着地する。

 

 由比ヶ浜の腕の中の彼女は、その姿を見るのは初めてだけれど、一発で分かった。一瞬で直感した。

 

 コイツは――

 

《見つけたぞ。お前には、再びアイツを呼び寄せる餌になってもらう》

 

 雪ノ下は、悲鳴を上げることも出来ず、急速にその意識を手放した。

 




 あ、そういえば、さっきランキング見たら4位に入ってました!もうこんな順位になれることはないと思っていたので、すごくうれしいです!

 さすが雪ノ下といったところか……。なのに、辛い思いばかりさせて本当に申し訳ない……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。