比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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 千手観音編。最終回です。


再び、比企谷八幡は失った。 そして――

 

 

 

 八幡が転送されるのを見届けると、陽乃は、力尽きたかのように、再びゆっくりと瞼を閉じる。

 

 

 そして強烈な睡魔によって、現実との繋がりを断ち切られ、夢の世界へと、引きずり込まれていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにいたのは、八幡と雪乃と、そして自分――――雪ノ下陽乃。

 

 

 陽乃が世界で一番大好きで、大切な二人と、自分だけ。

 

 

 三人きりの、不思議な空間。

 

 

 そんな、幸せな、夢のような光景。

 

 

 

 だが、八幡と雪乃はぎこちなく手をつなぎながら、頬を染めて幸せそうに微笑み合い、どこか遠くへと離れていく。

 

 

 自分の元から、自分を置いて、どこかへ行ってしまう。

 

 

 

 その後ろ姿を、ただ眺めるしかない陽乃は、苦笑しながら、それでも温かく見送った。

 

 

 

 胸に走る、激痛に、気づかないふりをしながら。

 

 

 胸に渦巻く、鈍痛に、必死に、気づかないふりをしながら。

 

 

 唇を噛みしめ、溢れる涙に、こぼれ落ちる雫に、必死に、必死に、気づかないふりを、しながら。

 

 

 

 幸せそうな二人の背中を、見えなくなるまで、ずっと、ただ、見ていた。

 

 

 

 もう、私には、見ていることしか、出来ない。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――uのさん!!それ、どういう……い……み……」

 

 俺の目の前には、陽乃さんではなく、無機質な黒い球体が鎮座していて。

 

 すでに場所は、あの血に塗れた羅鼎院ではなく、いつもの――もはや自然にいつものという副詞が出てしまうほど馴染んでしまった――2LDKのマンションの一室。

 

 俺の恰好は黒い無傷のガンツスーツの上に血痕一つない総武高の制服。

 

 あのミッションに送られる前と瓜二つの――――まったく同一の恰好。

 

 左肩にも、右脇腹にも、そして最後にあの鋭い尾の先端が突き刺さった腹部にも――――傷どころか、服すら破れていなかった。

 

 まるで、あの地獄のような一時間が、悪い夢――極悪の悪夢だったかのように。

 

 チーン

 

 そんな俺の目を覚ます目覚まし時計かのように――そうだとすればあまりにも力不足だが――黒い球体は力が抜けるような甲高い音を鳴らす。

 

 俺は、ゆっくりと、黒い球体に目を向ける。

 

 

 

 ……いや、違うだろう。そうじゃないだろう、ガンツ。

 

 

 まだだろう。まだ早い。だって、まだ来るべき人が――――ここに来なきゃならない人がいるだろうが。

 

 

「――まだ!!陽乃さんが来てないだろうがぁっ!!!!」

 

 

【それぢは ちいてんを はじぬる】

 

 

「ふざけんな!!順序が違うだろう!!採点の前に陽乃さんを連れてこい!!!あの人は死んでない!!あの人はまだ生きていた!!!!」

 

 

『ぼっち(笑)』27点

 

 Total 50点

 あと50点でおわり

 

 

「そんなことはどうだっていい!!!早く……早くッ!!陽乃さんを転送しろよッ!!聞いてるのか、ガンツ!!!」

 

 

 だが、黒い球体は、ガンツは、それ以降、何の文字を浮かび上がらせることもなく。

 

 

 ただの、黒い球体でしかなかった。

 

 

 俺は、ゆっくりとそれに近づく。

 

 なぜか俺の足は上手く動かず、何もないフローリングで転倒し、強く全身を打ちつける。

 

 俺は、ふらふらと両手をついて体を持ち上げ、床を――何の罪もない何もないフローリングを凝視したまま、本当に発声しているのか、自分の耳にギリギリ届くくらいの掠れた音量で、呟く。

 

「…………ガンツ。…………メモリーを」

 

 ガンツは瞬時にその黒い球体面に、無数の顔写真を表示する。

 

 呆然と顔を上げた俺の視点は、まず中坊の顔を捉える。

 前回のミッション終了時、右下にあったその顔は、最下列の真ん中ほどに押しやられていた。

 

 そこから右に続くのは、つい一時間前、この部屋に押し詰められていた人たちの顔、顔、顔。

 

 まずは葉山。俺が最後に見た無残に腫れあがった顔ではなく、ここに初めて送られた時の、爽やかな好青年だったころの、傷一つない表情。

 

 次に相模。俺は、コイツの死に様を見ていない。葉山を追いかけて行った後ろ姿が、俺の中のコイツの最後の姿だ。

 

 そして、達海。折本。……一度、ミッションを生き残ったこいつ等も、今回のミッションは生き残れなかった。

 

 ボンバー、ラッパー、ミリタリー、つなぎ、坊主にリーマン、白人格闘家に、そしてインテリ――間藤。

 曲者揃いのコイツ等も、一人残らず死んだ。誰も、誰も、帰ってこない。

 

 

 

 そして。

 

 

 そして。そして。そして。

 

 

 右端には――――前回、中坊が表示されてた、その場所には。

 

 

 守ると誓った。帰すと誓った。そして絶対に失くしたくないと、願い、祈った。

 

 

 あの人が――俺の一番、世界で一番、この世で一番、大切な女性(ひと)が。

 

 

 雪ノ下陽乃が、そこにいた。

 

 

 いた。いてしまった。変わり果てた姿で――3cm×4cmの小さな顔写真になって、そこにいてしまった。

 

 

 俺は、また、守りきれなかった。

 

 俺は、また、失くしてしまった。

 

 俺は

 

 

 俺は

 

 

 

 俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺はは俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 俺は、狂ったように暴れた。

 

 俺は、壊れたように叫んだ。

 

 ただただただただただただただただただただただただ現実逃避を試みた。現実から、真実から、辛い現実から、残酷な真実から。

 

 逃げて逃げて逃げて逃げて。避けて避けて避けて避けて。否定して否定して否定して否定した。

 

 悪夢から覚めようと、思いっきり何の罪もない何もない凹み一つない綺麗なフローリングに頭を打ち付けた。

 

 スーツのおかげか、全然痛くなかった。

 

 ゴーンという小気味いい音が響いた。

 

 頭を上げた。

 

 

 

 一人だった。

 

 

 

 いつも通りに独りだった。

 

 

 

 ぼっちだった。

 

 

 

 いつも通りの辛い現実が、残酷な真実が広がっていた。

 

 

 一人と一個で過ごすには、あまりにも広すぎる部屋。

 

 

 俺は、ついに限界で。

 

「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!うぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

 今度は、泣いた。泣き叫んだ。

 

 何度も何度も何度も何度も、何の罪もない何もないフローリングに拳を叩きつけて。

 

 子供のように、赤子のように、泣き叫んだ。

 

 色々な感情が渦巻く。溢れ出す激情の瀑布を抱えきれない。

 

 正直、とっくにキャパオーバーだった。

 

 あれだけ暴れて。あれだけ叫んで。

 

 その上、これだけ泣いても、それでもとめどなく湧いてくる感情が、激情が、俺の中で暴れ狂う。容赦なく責め立てる。

 

 ビュンという音に、俺は自宅へと転送されるのだと分かった。

 

 こんなままじゃあ、こんな様じゃあ、俺は自宅でも無茶苦茶に荒れ狂うのだろう。暴れ狂うのだろう。

 

 それはダメだ。何も関係ない小町に事情を聞かれたら、今の俺は誤魔化し切れる自信がない。

 

「―――――――――――――ッッッッ!!!!」

 

 俺は唇を血が滲む程に強く、強く強く噛み締め、漏れ出す絶叫を力づくで抑え込む。

 

 そして、最後に、泣き言を言うことにした。号泣しているのにかこつけて、泣き言を言うことにした。

 

 こんな事態(こと)になったのは俺のせいだ。

 

 俺が弱かったから。俺が失敗したから。俺が成し遂げられなかったから、こんな結果(こと)になった。

 

 みんな死んだ。

 

 陽乃さんを助けられなかった。

 

 だから、俺に、この俺に、こんな俺に、こんなことを言う資格など、ありはしないのだろう。

 

 でも、小町を守る為だ。小町を巻き込まない為だ。

 

 そんな風に、最愛の妹を言い訳に、俺は、この処理しきれない感情を、少しでも処理するために、泣き言を、恨み言を、吐き出す。

 

 

「……俺を――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一人ぼっちに、しないでくれ」

 

 

 




 雪ノ下陽乃――――脱落





 再び、比企谷八幡は失った。そして――――また、一人ぼっちになった。


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