比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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悲劇は――絶望は、続く。


葉山隼人は――。それでも、相模南は――。

 頭部を失った達海龍也の死体は、面白いように鮮血を振り撒いた。

 

 千手はそれをシャワーのように浴びて、仏像特有のあの無感情な目を葉山に向ける。

 

 葉山は自身の中の最後の一本のような何かが、ぷつん、と切れ、葉山隼人というものの何かが爆発するのを感じた。

 

 崩壊などという生易しいものじゃない。爆発。文字通り内側から何かが噴き出して、破裂して、ぶち撒ける。

 

 前回のミッションで。あのガレージで。小さな少年が殺されていたのを発見した時のように。

 

 目の前が真っ暗になり、頭の中が真っ白になる。

 

「うわああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 葉山は拳を握り、振りかぶって駆ける。

 

 千手に向かって。

 

 こんな残酷な現実なんか認めないと足掻くように。何も考えず、ただがむしゃらに特攻する。

 

 この期に及んで。思考を放棄し。突撃する。

 

 千手は、そんな葉山を嘲笑うかのように、いくつもの武器を備えた腕の中から、水瓶を持った腕を動かす。

 

 そして、その中身の液体を葉山に向かって溢した。

 

 葉山は、そんなものをものともせずに突っ込もうとするが――

 

「ダメぇーー!!」

 

 後ろから相模が葉山を押し倒し間一髪でそれを避ける。

 

 ジュワァ~、と千手が放った液体がかかった床が“溶け出す”。

 

 それを見て相模は背筋が凍る思いだったが、葉山はそんなこと知ったこっちゃないと言わんばかりに相模を荒々しく振り払う。

 

「どいてくれ」

「きゃ! ちょ、ちょっと葉山くん、落ち着いて! 一度、逃げて、比企谷たちに助けを――」

 

 その時、まるで、彼らの会話を聞いていたかのようなタイミングで。

 

 先程からずっと――首を刎ね飛ばしてからもずっと、千手の剣の一方が突き刺さったままだった達海の死体を。

 

 千手は、葉山に向かって見せつけるように、葉山の目の前へと無造作に放り投げた。

 

 葉山と相模の目の前に転がる、達海の死体。首のない、文字通り生前の面影を微塵も残さない、肉の塊。

 

 相模がひっ、と悲鳴を漏らす。それぐらい、惨い、惨たらしい、惨めな、惨殺死体。

 

 つい先程まで自分たちと共に戦っていた。

 

 生きていた。けれど、助けられなかった。

 

 達海龍也の、死んだ、骸。死骸。

 

 

 激情に駆られていた葉山の表情から、一切の感情が消え失せた。

 

 

「コロス」

 

 葉山は自身のトラウマの象徴であるXガンを躊躇なく引き抜く。

 それを見て、相模は葉山の肩に手を乗せる。

 

「だ、ダメだよ、葉山くん! 比企――」

 

 

「どいつもこいつも比企谷比企谷うっせぇんだよ!!!!」

 

 

 葉山隼人は荒々しく相模を振り払い、喉がはち切れそうな怒声を張り上げた。

 

「なんなんだよ!! なんでみんなみんなアイツの元に集まるんだ!! みんなみんなアイツを選ぶんだよ!! アイツの方法は毎回全部間違ってるじゃないか!! アイツが誰よりも傷ついて痛みを抱えて!! アイツの大事な人も助けた人もみんなみんな暗い顔をしてる!! そうやって得たプラスよりも明らかに失ったマイナスの方が大きい!! そんなバッドエンドばっかりじゃないか!! ああ分かってるよ!! 言われなくても分かってる!! それでも俺よりはマシだって言うんだろう!!? 言い訳ばかりで妥協ばかりで!! 何一つ切り捨てることも出来ないで!! 自分が矢面に立つこともしないで胡散臭い笑顔で輪を取り持つことしか出来なくて!! 大事な一つよりもその他大勢を選んじまう!! そんなビビり野郎でチキン野郎でゆとりの国の王子様な俺よりはマシだっていうんだろう!! そうだなそうだよな俺もそう思うよ!! だから俺は大嫌いなんだ!! そんな情けなくて中途半端で逃げてばかりで一向に変われない自分が!! 何も出来ないくせにアイツに全部押し付けてその癖幻想ばっか押し付ける自分が!! それでも……それでも俺は許せないんだよッ!!! 理不尽だって分かってる!! 何様のつもりだってのも理解してるっ!! それでも俺は許せないし大嫌いだ!! 俺が欲しくてたまらないものを持っているくせにそれを傷つけ続けるアイツが!! 自分の有能さを希少さを理解しないアイツが!! 自分がどれだけ素晴らしいものを持っているか気づかずにでもその中心にいるアイツが!! そんなあいつが羨ましいんだ妬ましいんだそうだよ嫉妬してるんだよアイツに!! どれだけたくさんの人から好かれてもそんなの誰も本当の俺を見てやしない!! そんな俺と違ってたとえ大多数から嫌われていてもそれでも本当に大事な絆を持ってる!! 俺が出来なかったことを平然とやってのける!! そんな比企谷八幡がッ!!! 俺はッ!! 葉山隼人はッ!!! 本当に心の底から魂の奥まで羨ましいッッ!!!」

 

 

 

「俺は、比企谷八幡になりたかった!!!」

 

 

 

 息を乱し、大きく肩を上下させる葉山を、相模は何も言わずに、ただ見ていることしか出来なかった。

 

 そして、葉山が絶叫している間、なぜか千手はピクリともせずに、その冷たい双眸で葉山を見つめていた。

 

 すると葉山は、今度は不気味に笑い出す。

 

「……ふふふふふふ。くくくくく。はははははははははははは!!!!だけど、もういい。ダメだ。諦めた。悟った。気づいたんだ。分かったんだ。――俺は、アイツには、比企谷八幡にはなれない。どう足掻いたって、どう転がったって、どう生まれ変わったって、あんな奴にはなれやしない。次元が違うんだよ、アイツは」

「そ、そんなことないよ!!葉山くんだって、きっと――」

「気休めはやめてくれ。君も気づいてるんだろう」

 

「俺は、もうダメなんだよ。自分でも分かるくらい壊れてる。――もう、取り返しがつかないくらいに」

 

 この言葉は、それまでの激昂が嘘のように、冷たく呟かれた。

 感情の起伏が激しすぎる。確かに、葉山隼人は壊れているのだろう。瞳には一切の感情が宿っておらず、ただ、その口角だけはまるでそんな自分を自嘲するかのように悲しく吊り上っていた。

 

 相模は、痛ましげに瞳を潤わし、葉山の背中を見つめる。

 そして、静かに涙を流す。

 

 だが、葉山は止まらない。止まれない。女の涙なんかではすでにどうにもならない。そんな深度で、葉山隼人は壊れている。壊れてしまった。

 

 相模は涙を拭く。すでに葉山隼人は、千手と戦いを繰り広げていた。

 

 涙する相模に一切取り合わずに、己の激情を発散するために千手に暴力を振りかざしていた。

 

 だが、千手はものともしない。葉山がどれだけ攻撃を食らわそうともビクともしない。

 

「ちぃ!」

 

 葉山は肉弾戦を止めて、Xガンを突きつける。

 青白い発光と甲高い発射音が響いた。

 クリーンヒット。葉山は千手の攻撃を受け流しながら、効果出るのを待ち――口元を邪悪に歪ませる。

 

 そして数秒のタイムラグの後、強烈な衝撃が千手に襲い掛かり、千手の顔面が醜悪に歪んだ――――が。

 

 千手の無数の手のある一本――その手に持っている一つの鏡が、唐突に輝きだす。

 

 それにより、千手の顔面が、みるみる内に元の相貌に、回復する。

 

 再生する。まるで映像を――時間を巻き戻したがごとく。

 

「――な」

 

 葉山は混乱し、一瞬硬直する。

 

 その瞬間、体の違和感に気付く。

 

 

――――葉山の左手が徐々に消失していた。

 

 

「――う、うわぁ!」

 

 葉山の表情に、恐怖の感情が復活する。左手はあのガンツの転送のように、徐々に体を侵食するように消失範囲が広がる。

 

 だが、その決定的な違いは、その痛み。今にも意識を失うかのような激痛により、これは“本当に”消えているのだと嫌でも理解させられ、思わず左手首を掴んでしまう。

 

 千手はその隙を逃さず、右側の手の剣を大きく振りかぶる。

 

 

 ズバッ! と、それは見事に――――相模南を、切り裂いた。

 

 

(――え?)

 

 葉山は、ゆっくりと消えゆく左手に目をとられていて、相模が近づき、千手と自分の間に割り込んだことにも気づかなかった。

 

 気づいた時には遅かった。すでに彼女は切り裂かれていた。

 

 彼女は、葉山を背にする形で、千手から彼を守った。だから、葉山には彼女の顔は見えない。だが、彼女が切り裂かれたことは、千手に降りかかる赤い液体で分かる。

 

 それでも、相模南は止まらない。

 

 千手に向かって、Xガンを構える。そして、撃つ。

 

 その機械的な発射音が、相模南が千手観音に立ち向かい続けたことを示していた。

 

 彼女は痛みに負けず、恐怖に負けず、最後まで戦った。葉山隼人を助けようとした。

 

 だがそれは、千手の交差する二刀の剣によって無慈悲に阻まれ――跳ね返される。

 

 見えない衝撃波が、二人を襲う。

 

 相模は、とっさに大きく両手を広げて、それを受け止める。

 

 葉山隼人を守る為に。

 

 だが、それは防ぎきれるものではなく、相模と葉山は離れの屋外まで吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 これで、この部屋には誰もいない。

 

 君臨するのは、今回のミッションのボスである――千手観音、ただ一体。

 

 千手観音は、自身の側近――達海の連射攻撃を唯一耐え抜いた一体の側近がここを飛び出すのに使用した、天井の壁の穴から飛び出す。

 

 殺された仲間の仇を討つ為に。残りの侵略者たちを狩る為に。

 

 今、最凶の刺客による正当な復讐劇が、幕を開ける。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 だが、彼らはまだ生きていた。

 

「なんで!?なんでだ!?どうして俺を助けた!!?」

 

 葉山は涙ながらに相模を責めたてる。

 

 彼女は、左肩から右脇腹にかけて、深い傷を負っていた。

 どくどくと血が溢れ出ている。さらにその身にXガンの反射を受け、ダメージはもはや致命傷だった。

 

 そんな相模を、葉山は責めたてる。どうして助けたんだと泣き叫ぶ。

 

 自身の消えゆく左手に構わず、みっともなく喚き散らす。

 

「……なんでって、当たり前じゃない。――」

 

 

「――好きなんだから。気づいてたでしょ?」

 

 

 そう言って相模は微笑む。だが相当にダメージが酷いのか、脂汗を額に浮かべ、自然と力無い笑みになっていた。

 

 葉山はギリッと歯を喰いしばり。

 

「なんでだ!!」

 

 と、吠える。

 

「これまでの俺の痴態を見ただろう!!さっきの醜態を見ただろう!!それでもまだ分からないのか!!?俺は……君たちが思っているような綺麗な男じゃないんだッ!!」

 

 だが、相模は困ったように笑う。

 

「それくらい分かるよぉ。……うち、そこまで盲目じゃないよ」

「なら!!」

 

「……それでも、うちは葉山くんが好きなの。……弱くて、情けなくて、カッコ悪い。――それでも、誰かに憧れて、その人に認められたくて、必死に頑張る。……そんな男の子(はやまくん)は、すごく魅力的だよ。……うちは、そんな葉山君に、恋をしたんだよ」

 

 相模は笑う。それは、すごく儚くて、消えてしまいそうで、だからこそ美しい――雪のような笑顔だった。

 

 それは、少年の心の中に常にあった、あの氷のように美しい少女が浮かべる笑みとはまるで違う。

 

 葉山隼人を肯定して、葉山隼人だけを見ている、葉山隼人だけにしか見せない笑み。

 

「……比企谷は、確かに凄いよ。……うちも、この変なのに巻き込まれて、何回助けられたかは分からない。……正直、アイツがいなかったら、とっくに死んでたと思う」

 

 葉山の顔が俯く。その頬に、相模の力無い手が、優しく添えられた。

 

「……でも、葉山君は、そんな比企谷を助けたいんでしょ?……いつだって、傷だらけのアイツを……助けられるような、そんな……強い人に、なりたいんでしょう?……葉山君なら、なれるよ。……これだけ苦しんでも、それでもずっと、戦い続ける葉山君なら……きっとなれる。……私だけは……いつまでもそれを応援するよ」

 

 葉山は、ポロポロと涙をこぼして泣き続ける。

 

 いたんだ。こんなところに。

 比企谷八幡よりも、自分を見てくれている人が。自分の苦しみを、本当の、カッコ悪い葉山隼人を、理解してくれる人が。

 弱い自分を、情けない自分を、受け入れ、そして背中を押してくれる人が。

 

 葉山は、ギュッと自分の頬に添えられた手を握り、嗚咽でなかなか出ない声を絞り出す。

 

「…………あ………ありがどう……」

 

 そんな涙声の情けないお礼にも、相模は本当に幸せそうな笑みをこぼす。

 

 そして、相模の手から力が抜ける。葉山は、相模に必死で呼びかける。

 

「さ、相模さん!相模さん!!相模さん!!」

 

 相模は、そんな葉山に苦笑し、掠れる声で言う。

 

「……キス……して……」

 

 葉山は、その最期のお願いに。

 散々自分に尽くし、最期まで自分の味方であった少女の、ささやかな願いに。

 

 それまでの情けなさを吹き飛ばして、はっきりと、答えた。

 

「分かった」

 

 そして、ゆっくりと、キスをした。

 

 相模は、本当に嬉しそうに、一筋の涙を零す。

 

 そして、相模南は、大好きな人の唇の感触を味わいながら――――息を、引き取った。

 

 葉山は、それに気づき、唇を離す。

 

「……う……っ………ぁ……ぁ……」

 

 葉山は、子供のようにぐずりながら、Xガンを手にし――――すでに二の腕辺りまで消えかかっていた、自身の左腕を射撃した。

 

 タイムラグの後、自身の肉と骨が吹き飛ぶ。

 

「~~~~ッ!!がぁぁぁぁああああああ!!!!」

 

 痛みにのたうちまわりそうなのを、必死に蹲って耐える。

 

 それでも、なんとか消失が止まったのを確認する。

 ほとんど失くなってしまった左腕を、スーツを伸ばしてなんとか止血する。

 

 そして、ゆっくりと立ち上がる。その時、左腕がないからかバランスを崩したが、なんとか立ち上がった。

 

 相模の亡骸を見下ろす。本当は、せめて境内に乗せてやりたいが、片手では引きずる形になってしまうだろう。

 

 葉山は、ポツリと呟く。

 

「……行って、くるよ」

 

 

 こうして葉山は、ようやく、だが確実に一歩ずつ、ゆっくりと歩きだした。

 




 相模南――脱落。 葉山隼人――

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