「……ふふ♪」
陽乃はスーツケースを抱えて廊下を奥に進む。
八幡との何気ないやり取り一つ一つで心が躍るように弾む。
死んで間もないというのに、人生で一番充実しているのかもしれない。
そして玄関の方に近づくと、すでに服を脱いで下着姿の折本と相模がいた。
「二人とも、ひゃっはろ~!」
「……あ、ええと」
「こ、こんにちは」
二人は陽乃をぎこちなく迎える。
元々この二人は陽乃の(雪乃や八幡に対する)“悪ふざけ”の間接的な被害者だが、今はそれ以上に先程のキスシーンを目撃してしまったことの気恥ずかしさが大きかった。
八幡とはまた別の意味で観察眼の鋭い陽乃はすぐに察知し、強化外骨格の笑顔を張りつけながら二人に向かってにこやかに近づく。
「ねぇねぇ、二人共経験者なんでしょう? “八幡が”このスーツの着方を二人に教えてもらえってさ。頼んでもいいかな?」
「は、はい」
心なしか八幡の部分を強調して、陽乃は頼む。
それに反応したのは相模で、スーツの仕組みを陽乃に説明する。
「――そっか。やっぱり裸にならないとダメなんだね」
「ええ。体にピッタリフィットしたサイズになってるので――」
「じゃあ、仕方ないね」
そう言って相模の説明の途中で陽乃は着ていた服を躊躇なく脱衣し、上半身の下着姿を晒した。
元々肩を大きく露出していた服装だったので十分な色香を漂わせていたが、黒い下着で胸を隠しているだけの半裸状態の陽乃は、同じ女性でも、いやある意味同じ女性だからこそ目を奪われてしまう、そんな妖しい魅力があった。
その大きいけれど下品ではない形の良い胸、素晴らしく締まった腰、そして大胆に脱ぎ去った上半身とは裏腹に、ゆっくりと魅せつけるように丁寧にスキニージーンズから一脚ずつ抜いて徐々に露わになる美しい脚線美、張りのあるヒップ。
まさしく女性が憧れ、男性が魅了される、理想の“美”がそこにあった。
目の前に確かに存在しているのに、夢の中にいるような錯覚をしてしまう。それほどに雪ノ下陽乃は別格だった。
陽乃はくすっと笑い「着替えないの?」と二人に言う。
すると、陽乃に見惚れていて手が止まっていた二人が動き出そうとして、また止まる。
陽乃の肢体を見た後だと、どうしてもこれ以上肌を晒すのを躊躇ってしまう。ここに同性しかいないと分かっていても。
相模も折本も平均以上なスタイルをしているが、陽乃と比べたらどうしても自分の体が貧相に感じてしまう。比べる相手ではないと分かっているが。
陽乃レベルになると嫉妬心は湧かないが、それでも劣等感はなくなるわけではないのだ。
陽乃はそんな相模と折本を見て、
「急がないとまずいんでしょ?」
といい、ブラを外そうとする。このスーツを着るには全裸にならないといけないので当然下着も外さなくてはならない。
折本と相模は顔を赤くし背ける。いくら女同士でも、裸をまじまじと見るのは決して褒められた行いではない。
それ以上に見てはいけないと思わせるほどのオーラが陽乃にはあった。
結果として陽乃の裸を視界から外すことが出来たので二人とも着替えを続行する。
しばらく着擦れの音のみが静寂に響いていたが、やがて沈黙に耐えかねたのか、折本が陽乃に問いかけた。
「あ、あの……いつから比企谷と付き合ってたんですか?」
その問いかけに――正確には他の女から八幡の名前が出たことに――ピクリと反応し一瞬動きを止め、しかしすぐに着替えを続けながらなんでもない風に返す。
「ん~。どうしてぇ~?」
「い、いやぁ。この間お会いした時は、学校の先輩って話だったんで……いつの間に付き合ったのかなーって、はい……」
折本は由比ヶ浜とはまた違った形でコミュ力の高い女子だが、どうにも陽乃相手だとそこまでグイグイ行けないらしい。
いや、初対面の時は結構グイグイ行っていたのだが、その時は陽乃が八幡をからかう為に話を引き出しやすい空気を出していた。しかし今、陽乃はまた違った空気を出している。
……どこか牽制というか、格の違いを見せてやろう!といった攻撃的な空気を。
言葉の物腰も、態度も柔らかい。しかし、陽乃レベルになればオーラのみで女子高生を圧倒する事など容易い。今の陽乃は百獣の王ばりの威圧感を放っていた。
二人の段々高まりつつあった八幡への好感度を察知したのかもしれないが、正直大人げな――あ、なんでもないです。
「はは♪ ところで折本ちゃんこそどうなの?あの達海くんって子に随分あつ~い目線を送ってたみたいだけど。もしかして彼氏?」
「え!?いや、ちが――」
「委員長ちゃんこそ。隼人のことずっと見てたけど……やっぱり好きなの?いや~大変だね、ライバル多いよ。なんならわたしが協力してあげよっか♪」
「ええ!?わ、わたし、そんな――」
「いいねぇ、青春だね♪やっぱり女の子は恋をしないと!お姉さん応援しちゃうよ!“それぞれ”頑張ってね!お姉さんも頑張るから!――――ね」
相模と折本は背筋に猛烈な寒気が走る。
女子同士の会話に、明確な固有名詞など必要ない。
今の言葉は牽制、有体に言ってしまえば脅し。
彼はわたしのものだ。手を出したら容赦をしない。
二人の女子高生は、言葉の裏に隠された冷たいメッセージをしっかりと理解した。
この人は、敵に回してはいけない。
相模と折本はこのことを、転送するまで続いた陽乃主導のガールズトークの間にたっぷりと思い知らされた。
+++
俺は陽乃さんを送り出した後、もう一つの別室でスーツを着用した。
そして部屋を出ると、一人の眼鏡が声を掛けてきた。
眼鏡は眼鏡を中指で押し上げながら(ややこしっ!)俺に問いかけてきた。
……っていうか、眼鏡かけてる人って良くそのインテリポーズするけど、緩いならちゃんと直した方がいいよ。更に視力落ちるから。
「君も、彼らと同じようにここに詳しいのかい?」
……なるほど。俺の態度があまりにおとなし過ぎるから、不審に思ったのか。よく見てるな、コイツ。
確かに、俺と達海以外の連中は銃に興味津々だったり、ビクビクと念仏を唱えたり、何かしらこの状況にリアクションを示してる。何もしていないと逆に目立つよな。
それにこの人は俺よりも先にこの部屋に来ていたから、俺が葉山と(こういう言い方は嫌だが)気軽に話していたのも見られていただろうしな。
「まぁ……アイツと同じくらいには」
俺は葉山を見ながら言う。
……そう。俺は葉山と同等くらいにしか知らない。
葉山と同じ回数のミッションしかこなしていないし、情報は共有してきた。
違うのは、ただ一点だけ。
『アンタなら辿り着けるよ。カタストロフィまで』
……あのミッションの後、俺はガンツに聞き、更にネットで調べて、一つの仮説に辿りついた。
もしそれが当たっていれば、事はこの部屋だけに収まらない。
スケールが大きすぎてまだ誰にも話していない。信じられる話じゃないだろうしな。
…………中坊のやつ、こんな面倒くさい置き土産残しやがって。
だが、それも確実性がある情報じゃない。だから、俺が葉山と同等レベルの知識がないということは真実だ。
眼鏡は、俺の目をジーと見て、再び眼鏡を押し上げ「……ふーん」と言うと、更に質問を重ねた。
……なんだコイツ。今までにいなかったタイプだ。
まるで似てはいないが、タイプで言えば俺や中坊に近いかもしれない。認めたくないが。
「……この会の主催者、誰?」
……コイツ。
「……さぁ」
「じゃあ、あの球の中の男。アレは何?」
「……知りませんよ」
ああそうか。間違いない。
今回の新人の中で、陽乃さんを除けば、コイツが一番の曲者だ。
視点が鋭い。
少なくとも、さっきのラッパーさんやボンバーさん、坊主やガタガタ震えながら念仏を唱えてるサラリーマン2(にしてもコイツ怯えすぎだろ。地獄行きの心当たりでもあんのか?横領とか?)なんかよりは、はるかにここに“向いてる”。
ここを、このゲームを何者かの仕組んだ遊びであること。
そして、ガンツがその最重要手がかりであることを推測したんだ。
俺は、この眼鏡は一回目のミッションに居た眼鏡さんよりもはるかに要注意人物だと認定した。よってこの人のことはインテリさんと呼ぼう。心の中で。
そのインテリさんは俺のそっけない反応の裏でも読んでいたのか、俺の顔をジーと見ていたが、やがて質問を変えた。
「これから、この服を着て、あの武器を持って、さっきの絵の敵と戦うんだよね」
「……ええ」
「それで、この服を着なきゃ死ぬ、と?」
「……死ぬというよりは、生き残る可能性が激減しますね。限りなく0に」
「……了解」
そういうと、俺とすれ違うようにして奥の部屋に入っていった。
……あの人は、もしかしたら生き残るかもな。
まぁ、葉山は全員生き残らせるつもりみたいだが。
今も残るメンバーを説得している。……白人格闘家を思いっきり押さえつけながら。
実力差を見せつけようとしたのかもしれないが、それは逆効果だ。思いっきり対抗心燃やしてんじゃねぇか。成果は芳しくないな。
坊主は意地になっているし、サラリーマン2は半狂乱状態だ。
ミリタリーとつなぎは武器の構造を理解するのに忙しそうだ。まぁ、この二人は戦いになったら頑張ってくれるだろう。生き残れるとは思えないが。
……そうだ。俺は葉山じゃない。俺は全員を助けるなんてそんな幻想抱かない。上条さんにゲンコロされるまでもなくぶち殺されてる。
あんなに強かった中坊一人救えなかった。そんな俺がやる気のない新人を何人も生き残らせる。そんな真似は不可能だ。
自分のことは、自分でやれ。
俺は自分と、自分より大事な命を守るので精一杯だ。
「お」
達海が転送され始めた。
その口は、獰猛に歪んでいる。両手にはXショットガンとXガンの2丁拳銃。
やる気満々だな。まぁ、やる気はあるのはいいことだ。
その方向性が間違っていなければ、だが。
ひょっとしたら、もう憑りつかれたのかもな。この部屋の魔力に。
達海に続き、インテリさん、ラッパーさんやボンバーさんと次々と送られる。
もしかしたら相模や折本も、もう転送されたかもな。
俺はガンツに近づき、XガンとYガンを2丁ずつ持つ。
2丁ずつなのは、あの人の分だ。
……あの人はちゃんとスーツを着れただろうか。
「ははは、裁きだ!見ろ!私は正しかった!愚かにも武器を取ったものは神に見限られ、地獄に落ちたのだ!」
坊主が楽しそうに言う。
……なぜ、この状況で笑える?自分だけは大丈夫と思える根拠はなんだ?
そもそも他人が地獄に落ちる光景に歓喜を覚える時点で地獄堕ち確定だろ。それに神って……仏教じゃねぇのかよ。念仏唱えてたじゃん。
気が付けば、ミリタリーさんやつなぎさんもいない。送られたか。初めての転送で叫び声を上げなかったのは凄いな。
今回はずいぶん強い新人が多い。
が、俺は弱い。
だから、やれることは限られている。
なんでもはできない。できることだけ。
誰かを救う。
そんな高尚で殊勝な真似事ができるほど、大した人間じゃない。
俺が出来るのは、自分の命を守ることと、自分より大事な人間の盾になること。
それだけだ。そして、それで十分だ。
「た、助けてくれ!!」
サラリーマン2が文字通り坊主の足に縋りつく。
坊主は分かりやすく戸惑っている。
「じ、地獄とは、どういうところなんだ!教えてください!お願いします!」
「じ、地獄?」
おい。知らないのかよ、坊主。
「自信がないんだ!お、おれはきっと地獄に落ちる!だから助けてくれ!お願いします!お願いします!!」
……お前、ほんと何したんだよ。
「あ……あ……」
坊主は縋りつくサラリーマン2に何も出来ない。
そして彼の転送が始まる。頭頂部から徐々に彼の体が消えていく。
「あ……嫌だ……やめ、たすけ、あああああぁぁぁぁぁぁ――――」
消えた。消失した。
部屋が静寂に包まれる。
残されたのは、俺と、葉山と、坊主のみ。
坊主はしばし呆然としていたが、やがて何もできなかったことをごまかすかのように、小声で念仏を唱え始めた。
そんなもんだ。口では大したことを言っていても、人間にやれることは限られている。
人は、神でも仏でもない。
だから俺は、欲張らない。夢をみない。幻想なんて抱かない。
不特定多数の人間の為に、命なんて張れない。
この命は、大事な人の為に使う。
陽乃さん。
アナタだけは、何としても帰して見せる。元の世界に。
それが俺の、戦う理由。
命懸けの戦場に向かう、新たなモチベーションだ。
俺の転送が始まった。
ふと目を向けると、葉山の転送も始まったようだ。
俺が目を向けるタイミングで、葉山もこちらに目を向けていた。
冷たい目だった。これまでの葉山隼人の目ではない。
目的を達するためなら、手段は選ばない。そんな覚悟の篭った目。
けど、気づいているか、葉山。
全員救うという目的は一緒でも、道を選ばなくなったら、それはもう別物なんだよ。
形だけ同じでも、中身は空っぽだ。
お前の抱いている目標は、もうハッピーエンドじゃない。
今のまま突き進めば、待っているのは確実にバッドエンドだ。
…………俺と同じ、な。
俺と葉山は前を向く。それぞれ別の方向を向く。
坊主の喚き散らす声をBGMに、俺達は戦場に向かう。
変わった想い。変えた手段。変わってしまった在り方。
それは妥協か。それとも正しい成長か。
欺瞞か。それともついに手に入れた本物なのか。
再びこの部屋に戻ってきたとき、俺は、また変わっているのだろうか。
できれば、俺は――――
+++
【いってくだちい】
【1:00:00】ピッ
次回から、ついにミッションスタートです。