そして、その救いのない俺の
中坊達がいなくなってから、少なくとも一時間以上は経っている。
ここまで来れば、黒い球体の配慮であることは確実だろう。俺は存外、随分と気に入られていたらしい。
陽乃さんは、ずっと俯いたまま、一言も口を挟まず、ただ黙って俺の話を聞いていた。
呆れているのか、怒りを堪えているのか――それとも、見下げ果てているのか。
失望は、確実にしているだろう。比企谷八幡という男に、見切りはつけているだろう。
「……………」
……きっと、俺は、もう二度と、誰かを好きになることはない。
陽乃さんが俺に対して憎悪の感情を抱いたとしても、俺にとっては、陽乃さんよりも愛する
それまでに、俺は確実に死ぬだろうから。
だから、これがきっと、最初で最後の――『本物』の恋だ。
ああ……きっと、これが、『本物』の愛だ――こんな俺でも、誰かを心から、愛することが出来た。
こんな感情を生みだしてくれただけで、こんな感情を見つけてくれただけで、俺は陽乃さんと本当に出会えて良かった――心から、そう想うことが出来る。
「――――」
俺は目を瞑って、その時を――断罪の、その瞬間を待った。
例え、この場で陽乃さんがXガンやガンツソードで俺を殺そうとしても、甘んじてそれを受け入れよう。
……いや、むしろ、俺はそれを望んでいるのかもしれない。
人は案外、あっさりと死ぬ。
突然死ぬ。唐突に死ぬ。理不尽に死ぬ。
何のストーリーも素敵なドラマもなく、巻き添えで流れ弾で見せしめで、善人だって悪人だって。
例え――それが誰かにとっての掛け替えのない大切な人だろうと、何の救いもなく、やはり死ぬ。
それを、俺はこれまでのガンツミッションで、そして、今回のガンツミッションで、知った。身を以て知った。この手で――小町を殺したこの手で、思い知った。
そんな中、俺はしぶとく、図太く、図々しくも、ぐだぐだと生き延び続けてしまったけれど。そのせいで、多くの人間を不幸にし、挙句の果てに、小町まで殺してしまったけれど――そんな中、遂に死ねる。やっと死ねる。ようやく、死ねる
愛する人の手で、殺される。
それは――こんな俺の身の丈には合わない程に、身の程知らずな程に、とても幸せなことなんじゃないか?
願って止まない程に、望んで止まない程に、とてもとても幸せなことなんじゃないのか?
俺なんかがこんな幸せに死んでもいいのかとも思うが、罪悪感も湧いてくるが、それでも――小町は、幸せにならずに死んだら許さないと、そう言ってくれた。そう、言い遺してくれた。
あれは、小町を殺したショックで、俺が自分の中に都合良く作った幻想かもしれないけれど、それでも――俺は、陽乃さんの今わの際の願いを、叶えてあげることは出来なかった。
ならば、せめて――小町の、今わの際の願いは、叶えてやりたい。
だから、俺は――幸せに、死にたい。
「――――っ!」
ぐいっと、その時、陽乃さんに胸倉を掴まれ、強制的に立たされた。
「…………きて」
陽乃さんはそう言って、黒い球体が鎮座するリビングから出て、廊下に――俺と陽乃さんの物語の大きな変換となった、ある意味では始まりの場所である、この廊下に移動してきた。
……なるほど。始まりの場所で終わるというのも、中々収まりがいいかもしれない。
そして陽乃さんは、ドンッと、俺を背中から壁に押し付ける。
両手を俺の顔の横に叩き付け、じっと顔を俯かせている。
「………………陽乃さ――」
唇を、奪われた。
陽乃さんはバッと顔を唐突に上げると、そのまま荒々しく、噛みつくように俺の唇を奪った。
俺は、為す術もなく流される。その唇を、受け入れてしまった。
「――――っ!!」
そして、息継ぎをする為に一瞬唇が離れた隙に離れようとすると、跳ね退けようとすると、陽乃さんは俺の頭の後ろに乱雑に腕を回し、力強く、己と俺の唇を、力づくで重ね続ける。
やがて、長い、長い接吻が終わり、やっと陽乃さんは、その顔を俺から離した。
「……陽乃さ――っ!?」
俺は、言葉を失った。
陽乃さんは、泣いていた。
顔を涙でぐしゃぐしゃにし、真っ赤に染め上げ、表情をぐちゃぐちゃにして、嗚咽を漏らしていた。
いつも美しく、強く、不敵だった彼女が、ここまで子供のように、弱く、情けない姿を見せるのは……これが、初めてだった。
此処で、この場所で初めてキスをした時も、今わ際の時も、生き返った時も、ここまでこの人が弱さを見せたことがなかった。
「…………ごめんね」
陽乃さんは、そうぽつりと呟く。
俺の胸にしがみ付き、その柔らかく温かい身体を押し付けながら、嗚咽混じりの、涙声で言う。
「…………ごめん。…………ごめんね、八幡」
「…………どうして、陽乃さんが謝るんですか。悪いのは、罪深いのは、全部、全部、俺で――」
「――ううん。違う。違う。違うよ!」
陽乃さんは、俺の身体に顔を
そして、俺の背中に手を回して、更に身体を密着させるようにして言った。
「……わたし、疑った。……八幡のことを、信じられなかった。……八幡が、小町ちゃんを……殺したって聞いた時、信じられなかった。……そんなわけないって思った。……でも、動揺した。うそって思った。…………だから、わたし……八幡が、雪乃ちゃんを壊したって言った時………わたし………………わたし………ッ」
「……当然ですよ。だって、本当のことなんですから。全部本当のことなんですから。俺が小町を殺したことも。俺が雪ノ下を壊したことも。全部、全部本当です。揺るぎない真実で、俺の罪状です。……だから、疑って当然です。信じられなくて当然です。……あなたは、何も悪くない。悪いのは、俺です。他には、誰も悪くない」
「違う! 違うのっ!!」
陽乃さんは強く頭を振って、そのぐしゃぐしゃの顔で、俺を見上げる。
そして、震える涙声で、顔をこれでもかってくらい歪ませて、くしゃくしゃにして、俺に言った。
「……八幡は、わたしの罪も全部背負ってくれるって言ってくれた。……わたしが世界を滅ぼしても、その片棒を担いで、共犯者になってくれるって。一緒に背負ってくれるって。……でも……でも、わたしは違ったっ! 八幡を見捨てかけたっ! 八幡を信じられなくって、失望しかけたっ! 見限りかけたっ! ……これまで、ずっとそうしてきたみたいに……色んな人のことを、そうやって見下し続けてきたみたいに……八幡のことも……わたしは捨てかけたっ! 『本物』になるって……八幡の『本物』になるって、約束したのにっ!!」
ギュッと、痛いくらいに陽乃さんがしがみ付く。
陽乃さんは、あの時の俺の告白のことを、ずっと想ってくれているようだった。
「――っ!」
無条件で、嬉しかった。無性に歓喜してしまい、不覚にも、その言葉だけで、俺は更に幸せになれた。
この人の綺麗な背中に手を回して、ぐっと更に強く俺の身体に押し付けたい。
今度は俺から、その美しい顎を持ち上げて、優しく、強く唇を奪いたい。
そう、思った。
……でも、ダメだ。そんなことは許されない。そんな資格は、俺にはない。
自分の妹を殺しておいて、この人の大事な妹を壊しておいて、そんな真似が、許される筈がない。
――生きたいなんて、望むことは、許されない。
俺は、陽乃さんの肩に手を乗せる。陽乃さんの瞳が見開かれた。
「……いいんですよ、陽乃さん。……あの言葉のことは、忘れてください。あの時の俺は、血迷ってました。身の程知らずでした。……俺には、陽乃さんは、眩し過ぎます」
「…………はち……まん?」
その名が示す通り、その名を体現するかのように、太陽のような、太陽のように輝くこの美しい女性は――日陰者の俺には、眩し過ぎる。
文字通りの意味で住む世界が、住んでいい世界が違うのだ。
そんなことに、そんな当たり前のことすら、俺は愚かにも気付けなかった。
「どうか、俺のことは――」
――忘れてください。憎んでください。許さないでください。
どうか――俺を――
殺して、ください。
「嫌っ!!」
ドンっ! と、陽乃さんの身体を引き離そうとした俺の手に逆らうように、陽乃さんは勢いよく俺の身体に飛び付いてきた。
その勢いを支えられず、俺の身体は無様に廊下に仰向けに倒れ伏せる。
そして、その上に馬乗りのなるように、涙目の、涙を流し続ける陽乃さんが乗った。
「嫌ッッ!!」
陽乃さんは、真っ赤な目で俺を睨みつけながら、尚も言う。
駄々を捏ねる子供のようなその仕草は、普段の陽乃さんからは想像がつかないものだった。
だが、だからこそ、これは素の、等身大の、ずっと内に秘め続けていた陽乃さんなのだろうと思った。
震える陽乃さんは、更にぐしゃりと表情を歪ませ、嗚咽と共に、俺の顔に、ぽたりぽたりと涙を落としながら、言った。
「いや……やめて……やめてよ。……あの告白を、撤回なんかしないで。……なかったことなんかにはしないで……。………お願いだから……わたし……もっと、もっと頑張るから……だから……だから……」
陽乃さんは、身体を丸め、俺の胸に縋りつくようにして、俺の中に染み込ませるように。
「……『
陽乃さんは、縋るように言った。陽乃さんは、祈るように囁いた。
俺は、その言葉に、その祈りに――
「……捨てないで…………手放さないで…………逃げ……ないでぇ……」
陽乃さんは、別れを切り出された恋人のような言葉を、俺に言う。
俺は、俺の胸で泣く陽乃さんではなく、腐った目を見開いて、口を馬鹿みたいに開いて、呆然と廊下の天井を眺めていた。
……俺は、陽乃さんを捨てようとしたのか?
……俺は、この人を捨てて、自分だけ、全てを手放そうとしたのか? 楽になろうとしたのか?
この人の全てを背負うと、あれだけ豪語しておきながら、俺は……陽乃さんからも、逃げ出そうと――
陽乃さんは、絞り出すように、震える身体で、震える涙声で、言った。
「お願いだから……」
――死なないでよぉ……。
その、言葉を聞いて。その、言葉が届いて。その、言葉が、どうしようもなく――響いて。
俺は……自分の瞳から、涙が溢れ出すのを感じる。
散々無様を晒したくせに、この期に及んで泣き顔を見られたくなくて、俺は腕で瞼を覆う。
そして、それでも、堪えきれなくて。どうしようもなく、溢れ出して。
遂に、俺は――決壊し、吐き出した。
+++
「……死にたい」
+++
一度、吐き出したら、もう、止まらなかった。
「……死にたい……死にたい……もう、死にたいんだよ…………陽乃さん」
「…………うん……うん」
文字通りの泣き言を、吐く資格のない恨み言を、俺は、とめどなく溢れてくるそれを、陽乃さんにぶつけ続けた。
「……もう……嫌なんだよ……どうして……こんなことになっちまうんだ……どうして……こんなことに……なっちまんったんだよ……俺が…………俺達が……いったい…………何をしたっていうんですか……どうして……なんで……なんで…………こんなことに……っ」
「………………うん……うん……………うんっ」
一度溢れだした弱音は、いくら涙を流しても、全然止まってくれなくて。
世界で一番カッコ悪いところを見せたくない女性に、俺は甘えて、無様を晒し続けた。
陽乃さんは、強く、強く、俺を抱き締めてくれて。そして、その柔らかさと、その温かさが、闇弱な俺を、更に、弱く、弱くする。
「……俺は……雪ノ下と……由比ヶ浜がいる……あの場所を取り戻したかっただけなんだ……………雪ノ下を壊したくなかった……由比ヶ浜を傷つけたくなんてなかった…………守りたかった……そのために…………俺は……………俺は……………小町…………小町…………小町ぃ!」
「うん……っ……………うん……っ」
俺の言葉は、最早、只の嗚咽になっていた。
無様に泣きじゃくった。初めて、此処で陽乃さんと唇を重ねた、あの時以上に、俺は泣きじゃくった。
およそこの世で最も無様で、醜い男の、哀れな姿だった。
「――俺は…………じにだい……っ!」
これが、これこそが、俺の偽らざる本音だった。
もう、嫌だった。もう、俺は限界だった。否、とっくの昔に、俺は限界などとうに通り過ぎてぶっ壊れていた。
戦っても、戦っても、戦っても。
俺の周りの大切な人は、守りたい人達は、壊れ、傷つき、死んでいった。
もう嫌だった。もう限界だった。もう――死にたかった。
嫌だ。戦うのは嫌だ。
嫌だ。壊すのは嫌だ。
嫌だ。傷つけるのは、もう嫌だ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だっ!!
「嫌だ……もう殺すのは嫌だっ! ……殺したくない……殺したくなかったっ!! 俺は! 小町を!! 殺すつもりなんてながっだんだよぉ!!」
小町…………小町小町小町小町小町っ!!
俺は、何もない天井に向かって手を伸ばして、ゆっくりと――笑みを浮かべながら、陽乃さんに言った。
「……お願いです、陽乃さん。……俺を――殺してください。……あなたの手で、殺してください。それが俺の願いです」
そうすれば、そうしてくれれば……俺は何よりも――幸せに逝けます。
「――俺は、あなたに、仇を討たれて死にたい」
雪ノ下を、陽乃さんがずっとずっとずっと大事に守ってきた妹を――壊した。この上なく、無残に。
俺は、その仇を、今、ここで討たれて死にたい。
その大罪を、断罪されて死にたい。
……この期に及んで、末期にまで及んで俺は、雪ノ下を己が楽になる為に利用するような男だと再確認して、再認識して、更にまた一段と死にたくなった。
だからこそ、陽乃さん。
こんな俺を殺してください。こんな俺を断罪してください。今こそ、仇を討ってください。
俺を――死なせてください。楽に、させてください。
今こそ、復讐の時です。
「……はち……まん……はち、まん……っ!!」
陽乃さんは顔を上げて、その真っ赤に染まって、涙でぐしょぐしょで、表情も歪んでくしゃくしゃな、その顔で、俺を見下ろした。
それでも陽乃さんは、そんな有様でも雪ノ下陽乃は、本当にすごく綺麗だった。すごく、可愛かった。
ああ、やっぱり。俺は陽乃さんが好きだなぁ。
こんな人に殺される自分は、最高に幸せな男だ。
小町――最期に俺、幸せになれたよ。
だから、もういいよな。
俺、死んでいいよな。
陽乃さんの綺麗な指が、俺の首に回される。
俺もスーツを着ているが、陽乃さんもスーツを着ている。
このまま俺が無抵抗でいれば、その内きっと――死ねる筈だ。
やっと、終わる筈だ。
「……っ…………ぅぅ…………ぁぁ! ぁぁぁああああああああああああああああああ!!!」
陽乃さんは、まるで抱き締めるように、俺の首を抱き絞めてくれた。
ボロボロと泣きながら、ボロボロに喚きながら、首を絞められている俺よりも、遥かに苦しそうに叫びながら――俺の首を絞め続け、俺を殺し続けてくれた。
対して俺は、きっと笑っていただろう。愛する女性がこんなに苦しむ様を見上げながら、そんな笑みを浮かべる俺は、きっと死んだ方がいいに違いない。
だから、死ぬのだ。ああ、やっと死ぬのだ。遂に俺は――死ぬことが、出来るのだ。
これこそまさに、今こそまさに、俺がずっと待ちわび、ずっと待ち望んだいた、望んで止まない瞬間だった。
陽乃さんの涙が、俺の目元に落ちる。そして、つうとそれが眦から滑り落ちる――それと一緒に、俺の意識も、ゆっくりと落ち始めた。
そして俺は、最後に彼女に、こんな幸せな
「…………あ………りが……とう」
そして――俺は――
ゆっくりと――意識を――命を――
落とし――た――
+++
+++
――――筈、だった、のに……。
俺は、ゆっくりと、
女の子の、啜り泣く声で、
そこは、まだ、あの黒い球体の部屋の廊下だった。
俺は相変わらず仰向けで、陽乃さんが馬乗りになっていた。
陽乃さんの手は、まだ俺の首に回されていて――でも、その力は、弱弱しく、最早、添えているとしか言えない程に、力が入っていなかった。
命を奪う、俺を殺してくれる――力など、入っていなかった。
俺は愕然とした表情で、陽乃さんを見上げる。
「………………でき…………ない…………っ」
陽乃さんは、泣いていた。
遂には、その手を離し、俺の首から離し、その手で溢れだす涙を拭っていた。
「……出来ない……わたしには……八幡を……好きな人を…………殺すなんて……出来ないよぉ」
陽乃さんは、そう言って、完全に――殺意を失った。
俺を殺してくれる、意力を失っていた。
「…………なんで……? どうして……ですか? 陽乃さん……」
「………………」
陽乃さんは、何も言わない。
ただ、悲しそうな顔で、辛そうな顔で、情けない俺を見下ろすだけ。
「……俺は……俺は死にたいんですっ! 死にたいんですよっ! もう嫌なんです! 生きたくない! 生きていたくないんですよ! 逝きたくて堪らないんです! 俺が生きれば! 生きていれば! みんなみんな不幸になる! 壊れて、傷ついて、殺されるんですよ! やっと死ねると……やっと終わると思ったのに!! あなたに……やっと、殺してもらえると思ったのに!! なのになんでッ!? どうしてっッ!?」
「………………」
陽乃さんは、何も言わない。言ってくれない。
俺に対して、何も言ってくれない。
無様な俺に、陽乃さんの信頼を裏切った――裏切者の俺に、妹を壊した憎き仇に。
何の、殺意も、抱いて、くれない。
「……お願いです……陽乃さん。もう死にたい。辛くて、苦しくて、生きているのが申し訳なくて堪らない! 罪悪感で死にたくて堪らない! だからどうか! どうか俺を殺してください! 死にたいんです! 死にたいんですッ! 死にたいんですよッッ!! どうか俺を、助けると思って――」
「それでも、わたしは――」
「――あなたに、生きていて欲しいの」
陽乃さんは、告げる。
悲しそうな顔で、辛そうな顔で、情けない俺に、そっと、その涙に濡れた、美しい顔を近づけながら。
俺に対する――死刑宣告に等しい、その言葉を告げる。
「わたしはあなたを、助けない。わたしはあなたを、死なせないと――ここに誓うわ」
そして、陽乃さんは、俺に誓いの口づけをした。
+++
それから、果たしてどれだけ経っただろう。
俺は、壁に背中を着け、座り込むような体勢で、ぼおと天井を眺めていた。
そして陽乃さんは、そんな俺の胸に両手を付けて、ぴたりと寄りかかるように密着していた。
俺と陽乃さんは、生まれたままの姿だった。
漆黒のガンツスーツを脱ぎ、情事を終えた俺達は、身も心も繋がった俺達は、何も言わず、ただ静かに、お互いの体温だけを感じるように寄り添っていた。
「……俺は、雪ノ下を壊しました」
「……うん」
「……俺は、由比ヶ浜を傷つけました」
「……うん」
「……俺は……小町を、殺しました」
「…………うん」
「…………俺は……一生、許されない。誰も俺を許してくれないし、俺も俺を、一生許さない。……罪人です。罪塗れです。……死ぬことだけが、幸せです。…………俺に生きろというのなら、俺は、きっと、ずっと不幸のままでしょう」
「……だったら、それが、わたしの復讐だよ」
陽乃さんは、のそりと裸のままで、俺の上で体勢を変えて、俺を見上げて、優しく笑う。
「わたしの大事な雪乃ちゃんを、壊した仇を、わたしはそうやって討つよ。……だから、生きて。ずっと不幸に生きて。ずっと無様に生きて。ずっと生き地獄で生き続けて。だから――逃げちゃダメ。わたしはもう、絶対にあなたを、逃がしてなんかあげない」
そう言って、陽乃さんは俺の身体をよじ登り、再び、優しく、唇を奪う。
「――あなたの罪を、わたしも背負うよ。……今度こそ、全部背負う。わたしはあなたに、生き返させられたんだから。あなたの罪は、わたしの罪。あなたの所業の、片棒を担ぐ。……だから、あなたの不幸は、わたしの不幸。そして――」
陽乃さんは、にこっと、不敵に笑う。快活に笑う。
「――わたしの幸せは、あなたの幸せ。……だから、あなたの不幸を補って余るくらい、わたしは幸せになるわ。……だから、ずっと、わたしの隣で生きてね」
その笑みは、まさしく雪ノ下陽乃の笑みで、狂った俺を、更に狂わせる――暴力的な、暴虐的な魅力で溢れていた。
俺は、今、再び、雪ノ下陽乃に溺れ、狂ってしまった。
「……………………ぁ」
陽乃さんの顎を持ち上げて、ゆっくりと、再び唇を重ね合わせる。
優しく、強く、俺から彼女に、口づけを贈る。
そして俺は、ゆっくりと、一筋の涙を流した。
俺は、死ねなかった。俺は、生きなくてはならなくなった。
それは、きっと、ずっと苦しんで、ずっと辛くて、ずっと哀れで、ずっと無様で、ずっと、ずっと、ずっと不幸なんだろう。
それでも、俺を幸せにすると言ってくれた、彼女の為にも。
俺が幸せにならないと許さないと言ってくれた、彼女の為にも。
俺が壊してしまった、傷つけてしまった、彼女達の為にも。
幸せを求めることは、止めてはならないのだろう。
諦めてはならないし、逃げてはならないのだろう。
例え、手が届かなくても、俺の身の丈に合わなくても、身の程知らずでも、相応しくなくても、資格がなくとも、それでも――幸せを追い求めることだけは、止めてはならないのだろう。
だから俺は、俺の『本物』になると言ってくれた、この
ずっと、ずっと不幸なままでも、傷を舐め合うようにして、無様に生きていこう。
幸せな死ではなく、格好いい死でもなく――遠い、遠い、遥かなる幸せを求めて。
いつか、無様に死ぬ、その時まで。
――唇を離す。
向かい合った陽乃さんは、見つめ合った陽乃さんは、俺と同じく涙を流していて、それでも、嬉しそうに――幸せそうに微笑んだ。
綺麗な笑顔だった。
見ているだけで、幸せになってしまいそうな、眩しい太陽のような笑顔だった。
比企谷八幡は、幸せなる復讐によって討たれ――『本物』に溺れて、今日を生きる。
次章予告
【英雄会見】
全てを変えた未曽有の大虐殺から一夜明け、開かれる日本政府の記者会見。
一人の英雄の誕生を全世界へと知らせる発表会となるべく、それは世界中の注目の中で開かれる。
そして――その同時刻。
遥か離れた千葉の地で、とあるひとりぼっちの戦士が。
世界の誰も知らない戦争の中で、真っ当なる復讐によって討たれようとしていた。
「――今回の議題は、日本の池袋で発生した、オニ星人による一般人大量虐殺。そして、それによる星人存在の表世界への暴露だ」
「……ごめん、アスナ――まだ、終われないんだ」
「こんばんは、英雄君」
「――この黒い球体について、GANTZについて、僕の知る限りのことを話そう」
「――やめなさい。今度こそ、本当に消されてしまうかもしれませんよ」
「……私は、負けないよ………渚」
「殺してでも、救ってみせる」
「あなたが好きなのは天使の私? ――それとも、堕天使?」
「ううん、何にも――ただの最悪な一日でしたよ♪」
「あなたにも――お兄ちゃんがいるんでしょう?」
「久しぶりの学校だぜ」
「――ヨーグルッチの刑に処すッッ!!」
「誰が、誰に、勝てるって?」
「………さて、逃げるか」
「――似合ってるじゃないか、そのパーカー。中々に決まってるぜ」
「初めまして、ようこそ我が家へ。雪ノ下家は貴方を歓迎しますよ、比企谷八幡さん」
「――あら? 珍しいお客さんね。どうしたの?」
「おおッ! 救いの神よ! いや、救いのパンダよ! いいところに来た、俺を助け――ん?」
「……君達の――」
――娘が、死んだ。
「僕達は綺麗じゃない。僕達は正義じゃない。だけど、僕は、君の味方だ――キリト君」
「……それとも、まだどうしようもなく、この世界に――未練があるのか?」
「私に彼をお任せ下さい。必ずや、人類の勝利に貢献する殺し屋に育て上げてみせましょう」
「……私は……警察は……人間は。昨夜――怪物に……化物に……負けたのだ……っ」
「おはよう、桐乃! いい朝だね!」
「偽善者と呼んでくれ。ずっと、そう呼ばれ続けてきた――僕の誇りだ」
「認めろ。そして楽になれ。野良猫では――虎には勝てん」
「――確かに、まだまだどうして、捨てたもんじゃないな。……人間は」
「…………笑顔が引き攣ってるよ、八幡」
「私達は、弱くて、弱くて、弱弱しいので――あんまり、イジメないでくださいね?」
「――地球に仇なすというのなら、この獣を敵に回すと知れ」
「その役目を果たせなかった報いは当然、現実世界のテメェらの命で支払ってもらう」
「――それ程の逸材なのか。君が、そこまで入れ込む程に」
「帰ってきた……生き返ってきたんだ」
「悪魔とは、まさしく人間のことであると」
「――知らねぇよ。知ったこっちゃねぇんだよ、んなこたぁ」
「ああ、姉さん。姉さん、姉さんだわ。どうして忘れていたのかしら。こんなにも頼りになる人を。私を守ってくれる人を。ああ姉さん。姉さん姉さん姉さん姉さん!」
「……あ、あのね……あのね……たーちゃんが……かえってこないの」
「……綺麗ですね……本物は」
「東条英虎――私は、あなたを許さない。あなたの暴挙は、この私が止めるわ」
「――悪いな。レディの食事中だ」
「これが――敗北ではなく、なんだというのだッッ!!」
「次の目的地は椚ヶ丘学園だ。法定速度を遵守しつつ――最大速度で向かうぞ」
「大切な人の、あったかい笑顔です♪」
「……お前は、今の今まで、何処で何をしていたんだ――愚息が」
「……どうして……どうしていつも……結衣ばっかり……っっ!」
「……小町ちゃんがね。……まだ、見つかってないんだって」
「――死んでんじゃん。私」
「………ここは、地獄なのか」
「繋がる生命。繋がる想い。それが、繁栄。それが……生きるということ」
「この地に住まう、この海に住まう、この空に住まう――この宇宙に住まう、全ての生命が持っている本能。想い。それが――これが、生きるということ」
「人間の、生命の、何と美しいことか」
「化物の、私達の、何と浅ましく、醜いことか」
「……大事なものの……はずなのに…………ないの…………分かんないの……思い出せないよぉ……ゆきのん……ゆきのん」
「俺らは、選択したんだ。この結果を――そして、ここから繋がる未来を」
「――そうだ。忘れるな。折れるな。潰れるな。そうすれば、お前は、きっと見返せる」
「悪いが、一兵たりとも逃がすつもりはない。貴様らは――やり過ぎた」
「――ようやった。最後にワイのかっちょええ雄姿を、その目に焼き付けて死に」
「分かってる? 今、君はその程度の価値しかない戦士なんだよ」
「…………やだ………やだよ……キリトくん……こんなの……やだよ――ッ!?」
「……撤回しなさい。あなた如きに、先輩の何が分かるの?」
「俺はお前を愛さない。お前が俺のことを愛していないように」
「彼はE組だ。例外はない。国であろうと、私の教育方針に口を挟むことは許さない」
「あなたは、私に幸せをくれた。あなたは、私の全てなのよ」
「私は、この服を脱ぐつもりはありません。この役目を、放棄することは有り得ません」
「あの人は――ただの変態です」
「どうしていつも!!! こんなやり方しか出来ないんだッッッ!!!」
「……京介さー。いつまでお兄ちゃんやってんの?」
「話をしよう。アナタの抱える全部の『謎』を預かるよ」
「…………もう……死にたく、ないんだよぉ……ッッ」
「やっぱり私――貴方が、嫌い」
「――『死神教室』、か。……世界最強の殺し屋の授業を受ける生徒は、色々な意味で不幸だな」
「俺は、お前に――負けたくない」
「友達と、仲直りしに来たんだ」
「神様とかいうものに嫌われて、世界とかいうのにも嫌われている。だけど、理不尽にはとことん愛されている。そんな生命が、この世界にはいるのよ」
「そもそもの話――比企谷八幡という男がいなければ、霧ヶ峰霧緒も、そして陽乃も死ななかったのではないか、とな」
「全ては、比企谷八幡が黒い球体の部屋へと招かれてから動き出している」
「――――だが、もう……後戻りは出来ない」
「……幸せにならなくちゃ、俺は死ねない」
「彼こそが――人間よ。私は、そう思うわ」
「――ようやくだ。……ようやく、ここまで来た」
「――もうすぐだ。……もうすぐ、あそこまで行ける」
「さあ、会見の時間だ」
「国民へ伝えよう。星人という存在を。漆黒の戦争の存在を。そして、我が英雄の存在を」
「今日は、世界が変わる一日となる」
「君こそが、世界を救う英雄になると信じている。だからこそ僕は、これから君に真実を話そう」
「答えは単純明快です。我々は――『星人』を知っていた」
「我々は――世界を救う為に戦っている」
「世界を支配する組織の支配者――まさしく、世界の支配者だ」
「……戦争は、人を変える。なら、星人だって、変えたっておかしくないだろう?」
「……だったら、どうして、未だに俺達は戦争をしているんだ?」
「地球に危機が迫っている。このままだと地球は、今年の終わりと共に、終焉を迎える――これは、紛れもない、予言された真実なんだ」
――我々は、それをカタストロフィと呼んでいる。
「部隊名は――GANTZ」
「――行こう。世界を守る為に」
「俺は――世界を救うんだ」
「我々には――『GANTZ』が必要なのです」
「彼女は、あの子は――我が子は、人間でした」
「我が子なのに、人間でした」
「――私は、娘を殺したのです」
「ハッピーエンドは訪れません。この物語はバッドエンドです。どうしようもなく後味が悪く、胸糞が悪い、そんな最低な結末で幕を閉じます」
「化物の、化物による、化物に相応しい物語ですから」
「――比企谷八幡……という男を、覚えているか?」
「小町をぶっ殺しておいて、なに幸せになろうとしてんだ? アァ?」
「あたし達の仲間になりたくば――まずはあたしを倒してから行け!!」
「で? 俺はこれからどんな酷い目に遭わされるんだ?」
「どうせ仇を討たれて死にてぇんだろ。好きなだけ殺してやるよ」
「お前たちのような悪は、あたしが許さない!」
「……正直、がっかりした」
「僕のようになりたかったら、まずは平気な顔をして嘘を吐けるようになる所から始めようか」
「俺達は――大人だからな」
「この初恋を――わたしは忘れない」
「――何、泣きながら、笑ってやがる」
「クズだクズだとは思ってはいたけれど……まさか、ここまでのクズだったとはね」
「それを――ッ!! この私に向かって言うのかッ!! 他でもない、お前達がッッ!!」
「ずっと……何もせずに、ただ見捨てていたわよね」
「アンタを殺して、俺は生きる」
「……運命、だと。ハッ、お前らしい、おめでたい言葉だな」
「……認めねぇよ。例え、お前が認めても……『真理』が、『神』が認めても! 俺だけは認めねぇ!! 死んでも殺されようと認めねぇ!!」
「俺って、こんな目……してたんだな」
「――きっと、初めから間違ってたのよ」
「――ああ。もういい、ガンツ。十分だ」
「今まで、一緒に背負ってくれて。今日まで、一緒に生きてくれて」
「………約束、したよね?」
「一緒に、死のう?」
「…………ああ。そうだな」
――理解不能。正しく、理解不能だ。
――汝、何を望む。
――お前は、何の為に死んでいくのだ。
【いってらっしゃい】
「――行ってくる」
「俺は――合格か?」
「君のような英雄を、我々はずっと待っていた」
――【これが――『真理』だ】
その部屋には黒い球体だけが残った。
誰もいない――誰もいなくなった。
この『黒い球体の部屋』には、もう――比企谷八幡は、いない。
【比企谷八幡と黒い球体の部屋】――〇〇星人編――
――to be continued