比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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どうか、幸せになってほしい。

 怪物が、そして黒い球体の戦士達がいなくなった池袋。

 

 

 その崩壊した街のとある路地裏で、その綺麗な手をズタズタに傷つけ、血で真っ赤に染めながら、由比ヶ浜結衣は瓦礫と格闘し続けていた。

 

 

「小町ちゃん……小町ちゃん……小町ちゃん……」

 

 

 既に手の感覚はない。

 

 疲労と恐怖で意識が朦朧としだし、目の焦点すら合っていない。

 

 

 それでも由比ヶ浜は、手を休めようとしなかった。

 

 

 それは、全て、比企谷八幡に託されたから。彼から頼まれたから。

 

 

 あの奉仕部(ばしょ)を、取り戻す為に。あの三人の、特別な空間を、掛け替えのない時間を。取り戻す為に。

 

 

「………小町ちゃん………小町ちゃん……っ…………………ヒッキー…………………ひっきぃ…………」

 

 

 だから――だから、由比ヶ浜結衣は――

 

 

 

 

 

――――じ、じじ。

 

 

 

 

 

「――――え?」

 

 

 今、一瞬、頭の中に何かが入り込んだような気がした。

 

 

 脳裏に描いた、比企谷八幡、雪ノ下雪乃、そして自分――由比ヶ浜結衣が、柔らかく微笑み、和やかに会話し、温かい空気が流れる、幸せな放課後の掛け替えのない時間。

 

 

 その映像が――その記憶が、ノイズが走ったように、揺らいだ、気がした。

 

 

 由比ヶ浜は、思わず瓦礫から手を放し、血で染まった両手で頭を抱える。

 

 

「……なんで……なんで?」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ごめんな、由比ヶ浜。

 

 

 すまない。本当にすまない。

 

 

 俺は、お前との約束は、結局、何一つ守れなかった。

 

 

 ハニトーを食べに行くことも。奉仕部(あのばしょ)に帰ることも。

 

 

 

 お前の想いに応えることも、何一つ。

 

 

 

 ただ逃げ続け、ただ傷つけ続けるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――――じ、じじ、じじじ。

 

 

 

 

 

 揺らぐ。揺らぐ。揺らぐ。

 

 消える。消える。消える。

 

 

 由比ヶ浜の頭の中の綺麗な映像(きおく)にノイズが走り、何かプロテクトのようなものを張られ、頭の奥深く――手の届かない、決して引き出せない程に深く、深く、奥深くに、大切な記憶が消えていく。沈んでいく。

 

 

 由比ヶ浜の大切な、取り戻すと誓った、いつかきっと、戻ってくると縋っていた、大好きな二人との、掛け替えのない思い出が、積み重ねた時間が、絆が――

 

 

 

――比企谷八幡との、記憶が、消えていく。

 

 

 

「いやぁああああ!!! いやぁあ!! いやぁぁぁあああああ!!! 消さないで!! やめて!! お願い!! いかないでぇぇぇえええええええええ!!!!」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 だから――もう俺のことは待たないでくれ。

 

 

 一刻も早く、こんな男のことは忘れてくれ。

 

 

 由比ヶ浜結衣――お前は素敵な女の子だ。

 

 

 俺のせいで、俺なんかのせいで、心にも、体にも、消えない傷を残してしまったけれど。

 

 

 そんな傷ついた心を癒して、そんな消えない背中の傷ごと、お前を愛し、幸せにしてくれる。

 

 

 そんな男が、お前の元にきっと現れる。

 

 

 そんな素敵なお前に惹かれる、そんなカッコいい男が、必ずきっと現れる。

 

 

 

 だから――だから。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――――じ、じじ、じじじ、じじじじじじ。

 

 

 

 

 

 あの日――飼い犬(サブレ)を、身を挺して守ってくれた。

 

『いちおーお礼の気持ち? ヒッキーも手伝ってくれたし』

 

 

 あの日――職場見学の時、冷たく突き放された。

 

『……気にして優しくしてんなら、そういうのはやめろ』

 

 

 あの日――誕生日プレゼントにもらった犬の首輪を、自分の首に嵌めて恥ずかしい思いをした。

 

『――っ! さ、先に言ってよ! バカっ!』

 

 

 あの日――花火大会の帰り道、少し距離が縮まった気がした。

 

『ううん、そんなことない。だって、ヒッキー言ってたじゃん。事故がなくても一人だったって。事故は関係ないんだって。……あたしも、こんな性格だからさ。いつか悩んで奉仕部連れてかれてた。で、ヒッキーに会うの』

 

 

 あの日――文化祭のクラスの出し物の受け付けで、一緒にハニトーを食べようと約束した。

 

『違うよ。待たないで、……こっちから行くの』

 

 

 あの日――修学旅行での竹林で、自分ではない別の女の子へと告白を聞いて……胸を痛めた。

 

『ああいうの、やだ』

 

 

 あの日――生徒会選挙の依頼を解決し……何かを間違えてしまった、あの日。

 

『ヒッキーも頑張ったよね』

 

 

 

 消える。

 

 

 

『あたしの大切な場所、ちゃんと守ってくれた』

 

 

 

 消えてしまう。揺らいでしまう。なくなって――しまう。

 

 

 

『全部、ヒッキーのおかげ』

 

 

 

 思い出が、記憶が――彼が、消えてしまう。

 

 

 

『……罪悪感って消えないよ』

 

 

 

「……いやっ。……やめて、消さないで……」

 

 

 由比ヶ浜は、涙を溢れさせ、血で染まった両手で顔を覆いながら、叫ぶ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 もう、俺のことはいいから。

 

 

 俺のことなんか、待たなくていいから。

 

 

 俺なんかの為に――その優しい心を、傷つけなくていいから。

 

 

 だから――だから――だから。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――――じじ、じじじじ、じじじじじじ、じじじじじじじじじじじじじ。

 

 

 

 

 

「……いやっ! いやっっ!! いやぁぁああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

『……あたしたち、間違えてないよね』

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 どうか――幸せになってくれ。

 

 

 

 お前には、誰よりも笑顔と、幸せがきっと似合うから。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――――じじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじじ

 

 

 

 

 

 由比ヶ浜は泣き叫ぶ。顔を涙と血で汚し、力無く座り込み、何かに向かって手を伸ばしながら。

 

 

 

『これで、ちゃんと元通りになるよね』

 

 

 

「ヒッキーを……あたしから奪わないでっ! ヒッキーを……返してっ! 返してよぉ!! やめてっっ!! ヒッキーぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」

 

 

 

 

『大丈夫だ。必ず、俺は――奉仕部(ここ)に、戻ってくるから』

 

 

 

 

 比企谷八幡が、いってしまう。

 

 

 由比ヶ浜に背を向け、何処かへと、いなくなってしまう。

 

 

 手を伸ばす。必死に、必死に、手を伸ばす。遠ざかっていく(せなか)に向かって。

 

 

 だけど、届かない。いってしまう。消えてしまう。

 

 

 そして、その遠ざかる映像(きおく)さえ、ノイズで揺らぎ、乱れ、壊れ――深い、深い、場所(どこか)へと消えていった。

 

 

(………………ひっき――)

 

 

 

 

 

――――ブツン。

 

 

 

 

 

 やがて、由比ヶ浜は、その血で塗れた手を下し――意識を失う。

 

 

 

 彼女を発見した警察官達が、彼女を無事に救助したのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 由比ヶ浜。

 

 この上浅ましく、お前に対し、何かを願うことが許されるなら――きっと、許されないのだろうけれど、これだけは、どうか、祈らせてくれ。

 

 

 

 願わくば――どうか、雪ノ下の傍には、居てやってくれ。

 

 俺には救えなかった彼女を、どうか救ってやってほしい。

 

 

 

 

 

 どうか、幸せになってほしい。

 

 

 

 

 

 そんな八幡の、最後の願いが彼女に届いたのか――それは、比企谷八幡が、二度と知る由もないことだった。

 

 

 知る資格の、ないことだった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 千葉県――某所。某マンション。

 

 

 一人の雪の如く儚い少女は、真っ暗な自室で、自分のベッドの上で、携帯電話の待ち受け画面を眺めていた。

 

 

 ただ、ただ、眺めていた。そこに映る、一人の腐った双眸の男の写真を。

 

 

 その男を眺め、その男を想い、己の傷が開かないように、必死に、必死に逃避する。

 

 

 彼女という存在は、最早、そうしていなければ耐えられない程に壊れてしまっていた。

 

 

 

 

 

――じ、じじ、と、ノイズのようなものが走る。

 

 

 

 

 

「――――っ」

 

 

 雪ノ下雪乃は、何故か急に立ち上がり、リビングに出て、あの日以来、ずっと閉め切っていた分厚いカーテンを開け、窓の外の、空を見上げた。

 

 

 雨が上がった夜空の雲の切れ間からは、眩い輝きを放つ月が神々しく昇っている。

 

 

 

「………比企、谷………くん?」

 

 

 

 雪ノ下の手から、携帯電話が滑り落ちる。

 

 

 フローリングに落ちた衝撃により、待ち受け画面の男に罅が入り――真っ暗に、消えた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「………………」

 

 部屋の中を沈黙が満たす中、チーンというレンジのような音が鳴って、ガンツの表面に【でりーと かんりょう】の文字列が浮かんだ。

 

 そして、黒い球体と向き合っていた俺の背中に、陽乃さんの小さな声が届く。

 

「…………だから、あの子を生き返らせたんだね。……自分が、もう総武高に戻らないから。……雪乃ちゃん達のフォローと……護衛の意味も兼ねて」

「……ええ」

 

 俺は、陽乃さんの言葉を肯定しながら、彼女に背中を向けたまま立ち上がる。

 

 

 

「俺は――その為に、()()()()を生き返らせました」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ガンツが虚空に照射する電子線。

 

 その光が、この部屋に新たな人間を蘇らせていく。

 

 

「……こ、ここは……?」

 

 

 まさしく少女漫画に出てきそうな学園の王子様という言葉が相応しいイケメン野郎――葉山隼人が、今、ここに復活を果たした。

 

 葉山は辺りを見渡し、そして、俺の姿を見つける。

 

「……比企谷」

「…………」

 

 俺は、葉山に何も言わなかった。

 

 葉山は俺から目を逸らすと、再び部屋全体を見渡す。

 

 陽乃さん、中坊、そして何故かあの女子中学生(彼女の方も、葉山を見ると顔を青褪めさせ、東条の背中に再び隠れた)を見て反応を示したが、ゆっくりと視線を周囲に巡らせていくと、どんどんその表情を困惑に染めていった。

 

「……比企谷。これは一体、どういうことなんだ? 俺は、あの千手観音に――」

「殺された。ああ、お前は殺された。そして――今は、あれから、半年以上経っている」

 

 そう言うと、葉山は表情を青く染め、がっくりと俯き歯を食い縛った。

 

「…………」

 

 その、陽乃さんとも中坊とも違う、ある意味普通のリアクションに、桐ケ谷はちらりと俺の方を見るが、俺は顔を合わせず、更に畳みかけるように葉山に告げる。

 

「あのミッションで、俺以外の全員が死んだ。そして、陽乃さんは俺が、中坊は陽乃さんが生き返らせた。そして、お前を生き返らせたのは、ソイツだ」

 

 俺がそう言って桐ケ谷を指さすと、葉山は緩慢な動きで桐ケ谷と目を合わせる。

 

「……き、君が?」

「……ああ。俺は、桐ケ谷和人だ」

「あ、えっと、俺は葉山隼人だ。……ええと、どうして、俺を生き返らせてくれたんだ?」

 

 あの葉山を持ってしても、桐ケ谷の行動の理由は訳が分からないだろう。葉山が生きていた時、100点を取るなんてことは、遥か遠い幻想のような目標だった。ある意味、此処にいる誰よりも、100点というものの重みを知っている男だろう。

 

 にも関わらず、そんな100点を使って、見ず知らずの自分を生き返らせる。そのことの意味が、まるで分からないんだろうな。

 

 桐ケ谷は頬をぽりぽりと掻きながら、苦笑して俺の方に向き直り、言った。

 

「――比企谷の勧めだよ。生き返らせるなら、葉山隼人がいいって、そう言ったんだ」

「…………ひき……がや、が?」

 

 葉山が信じられないと言った表情で俺を見る。まぁ、当然だな。

 

 だが、ここで葉山を生き返らせる俺の思惑を、本人に言うつもりはない。別に言ったところで不利益が生じるわけではないのだが、どうせコイツは納得しないし、俺にしつこく食いついてくるだろう。ぶっちゃけ面倒くさい。こいつとそういう論議になって、平行線にならなかったことがない。

 

 だから俺は、話を露骨に反らした。

 

「……そんなことよりも、葉山。お前、桐ケ谷に言うべきことがあるんじゃないのか?」

 

 そう言うと、葉山はハッと表情を戻し、そして、一度瞑目し、普段通りの凛々しい顔つきに戻って、桐ケ谷と向き直る。

 

「――ありがとう。君の御蔭で、俺は、再び生きることが出来る。……本当にありがとう。俺を生き返らせてくれて」

「……ああ。俺のことは、和人でいい。これから、一緒に頑張ろう」

「…………ああっ! 俺のことも隼人でいい。……みんなも。生き返らせてもらった分、精一杯頑張るから、これからよろしく頼むっ!」

 

 葉山は、まるで部活動のキャプテン就任式のような爽やかさで言った。

 

 反応はまちまちだったが、葉山のコミュ力なら、その内すぐにでも馴染むだろう。

 

 そして、葉山は再び俺に向き直り、真剣な顔で問う。

 

「……それで、比企谷。一体、どうして俺を生き返らせたんだ?」

「……理由がいるか?」

「ああ。お前は何の理由もなく、何の理由付けもなく、俺を生き返らせるようなことはしないだろう。例え無償でも、何かしらの理由をこじつける筈だ」

 

 相変わらず、他人(おれ)のことを分かってる風に言いやがる。まぁ、実際、そうなのだろう。

 

 俺とコイツの間に、友情などは存在しない。利用し、利用し合う、お互いを嫌い合う、そんな関係だ。だからこそ、お互いが相手に干渉する時、そこには何らかの思惑が付随する。

 

 だが、だからといって、こんなところでそれを説明する義務などない。するつもりもない。

 

「……それは、また今度な。もう採点が終わって、転送が始まる。込み入った話をする時間はねぇよ」

 

 

 そう言って俺は――

 

 

 

『イケメン(笑)』0点

 

 Total0点

 あと100点で終わり。

 

 

 

 という文字列を最後に、再び何も表示しなくなった黒い球体に目を移して、葉山を黙らせる。

 

「……分かった。なら、詳しい話は、明日、学校で聞かせてもらう」

「…………」

 

 俺はその言葉に何も言わず、葉山から離れていった。

 

「…………………」

 

 背中から、葉山の俺を見据える視線を感じていたが、完全に無視した。

 

 

 どうせコイツとも、もう二度と、会うことなどないのだから。

 

 

 じゃあな。葉山隼人。

 

 最後に再びその面を拝めて――特に何とも思わないな。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その後、桐ケ谷発案で番号交換が始まり、各自の転送が始まって、終わって、今に至る。

 

 

「………」

 

 陽乃さんは、俺の言葉の後、フローリングに座り込んだまま何も言わなかったが、まるで動かなかったが、やがて中坊がヘラヘラと言葉を発した。

 

「それじゃあ、僕もアンタ達の組織に入れてもらおうかな? あ、僕は特に何も条件とはいらないよ。強いて言うなら、そこの人と同じチームにして欲しいかな? 面白そうだし」

「――っ! はぁ!?」

 

 俺は吃驚し、中坊の方を振り向く。中坊は、相変わらずあの邪気しかない子供のような笑顔を浮かべていた。

 

「……ほう。お前は――あの霧ヶ峰霧緒(きりがみねきりお)か。この識別番号(シリアルナンバー)0000000080の担当戦士(キャラクター)の中で、最多の13回クリアの記録保持者(レコードホルダー)。死んだと聞いた時は肩を落としたものだが……そうだな。確かに一度死亡(ゲームオーバー)を経験したとはいえ、君の実績と実力なら十分資格を持つだろう」

 

 なんか色んな情報がいきなり明らかになったぞ。

 

 俺はとりあえず中坊を問い詰める。

 

「……お前、いいのかよ。っていうか名前カッコいいな」

「はは、だって明らかにそっちの方が面白そうじゃないか。名前の件は確かにね。僕ってそんな名前だったんだねぇ。……あまりにも呼ばれなかったから忘れてたよ。()()()()()?」

 

 さらっと悲しい事実を聞いた気がする。中坊はぐるんと背後の黒い球体をイナバウアーのような体勢で見遣るが、ガンツは何の反応も示さなかった。

 

 ……………。

 

「――だったら、俺が呼んでやるよ。せっかく俺と違っていい名前で生まれたんだ。使わなきゃ損だろ……霧ヶ峰」

 

 俺がそう言うと、中坊――改め霧ヶ峰は、ぽかんとした表情を浮かべると、すぐににししとした笑いを作り、俺に言い返してきた。

 

「そうだね。じゃあ、僕もアンタのダサい名前を存分に使わせてもらうよ。八幡」

「おい、ダサいって言いながら使うんじゃねぇよ。せめて比企谷の方にしろ。そっちの方がまだマシな気がする」

「えぇ八幡の方がダサいじゃ――じゃなくて面白いじゃん」

「いや言い直してもどっちにしろ失礼だからね。……はぁ、まあいいや。好きに呼べよ」

「うん! 八幡! にしし!」

 

 今度の霧ヶ峰の笑みは、まさしく無邪気といったものだった。

 

 そして、その時、唐突に――中坊と、そしてパンダの転送が始まった。

 

「あれ? まだ雇用条件とか聞いてないんだけど?」

「マジメか。……まぁ、そうだな。パンダ。俺達は一体、今後どうすればいい? そっちから連絡があるのか?」

「――まったく、本当に扱いづらい部品(ぶか)だ。……次のミッションまでに迎えを寄越す。……それまでは、最後の日常を謳歌するがいい」

 

 ……日常、ね。既に、俺に帰るべき日常なんて存在しない。ないし、いらない。

 

 

 俺にとっては、最早、この黒い球体の部屋こそが、帰るべき場所だ。

 

 戻ってくるべき、牢獄だ。

 

 ……恐らく、俺は、この部屋で死ぬことになるんだろう。

 

 

 きっと、それは、とても素晴らしい末路に違いない。

 

 

 そう思っていると、パンダが去り際に、ぽつりと呟くように言った。

 

 

「比企谷八幡……そして、霧ヶ峰霧緒。……君達の勇敢さに――感謝する」

 

 

――共に、地球を守るために戦おう。

 

 

 そう言って、パンダは転送されていった。

 

「…………」

 

 

 そして、転送間際の霧ヶ峰と苦笑を交わし、霧ヶ峰も転送されていく。

 

 

 ……悪いな、パンダ。俺達に、地球の為になんて、殊勝な気持ちはない。

 

 

 全てが己の為だ。だから俺達は、いざという時が来たら、あっさり地球を裏切るだろう。

 

 

 だがまぁ、それまでは、お前等の戦士(キャラクター)で居てやるよ。

 

 

「………………」

 

 

 そして、残されたのは、俺と、フローリングに座り込む陽乃さんの二人。

 

 

 もし、これが陽乃さんと話せという俺に対する黒い球体の気遣いという名のお節介なのだとすれば、なるほど、俺は確かに特別扱いされているようだ。もっと別の面で気遣ってくれとも思うが。

 

 しかし、それなら、この気遣いを活かさないわけにはないだろう。

 

 

 いつまでも、逃げることは出来ない。……陽乃さんが生き返って、陽乃さんに対する愛情と、陽乃さんからの愛情を改めて理解して、どうしようもなく狂いたくなってしまうけれど、しまったけれど、それは、そんなことは――俺には許されない。

 

 それだけのことを、俺は陽乃さんにした。

 

 

 陽乃さんの、この世で最も大事なものを、俺は壊したんだ。

 

 その報いは受けなくてはならない。

 

 

 俺は――陽乃さんに断罪されるこの時を、ずっと待ち望んでいた筈だ。

 

 だから、もう、逃げることは許されない。

 

 

 陽乃さんが俺にくれた、耽美な夢から――醒める時間(とき)だ。

 

 

 終わる時間だ。終わりの、時間だ。

 

 

 待ち侘びた、待ち望んだ、瞬間だ。

 

 

 やっと………やっと――俺は――

 

 

「……陽乃さん。俺の話を聞いてくれますか?」

 

 

 俺は、俯く陽乃さんの前に座り、そして、語り始めた。

 

 

 天井を向いて、床に向かって俯いて、時折そっぽを向きながら――この期に及んで無様にも、陽乃さんの顔を見ないようにしながら。

 

 

 陽乃さんが死に、俺だけが生き残った、あの千手観音との戦いから――今日に、至るまで。

 

 

 雪ノ下雪乃を守れず、壊してしまった、比企谷八幡という罪人の話を。

 

 

 由比ヶ浜結衣を傷つけ、逃げ続けてきた、比企谷八幡という卑怯者の話を。

 

 

 比企谷小町を泣かせ、殺してしまった、比企谷八幡という――人でなしの、鬼の話を。

 

 

 ゆっくりと、自供するように、俺は語る。

 

 

 これまでの、比企谷八幡と黒い球体の部屋の物語を。

 

 




そして、彼は語る。【比企谷八幡と黒い球体の部屋】の物語を。

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