比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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……頼む。点数が必要なら、100点でも1000点でも、いくらでも稼いでみせるっ! だから――

――このスパイ(ダブルフェイス)野郎

 

 

 この言葉に、ようやくその正体不明の獣の姿をした何かは――獣の姿をした誰かは、顔を上げた。

 

 ……さて。ここからだ。ここからが、ようやくスタートラインだ。

 

 忘れるな。コイツは、ガンツの裏の――()()ガンツの上に立つ、何者かの刺客だ。

 

 一言一言に全霊で気を配れ。一瞬一瞬に全てを懸けろ。――この会話も、この会談も、やはり戦争だ。

 

 何故なら、コイツ等は、文字通り――

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「……スパイ? この……パンダが? どういうこと、八幡?」

「パンダ――だからこそ、ですよ。陽乃さん」

 

 俺はパンダを見下ろしたままで、背後の陽乃さんの疑問に答える。

 

「このパンダは、前回の――いえ、昨日のミッションの時、桐ケ谷達と一緒に、ずっとソロでミッションに挑んでいた俺以外の半年振りの新メンバーとして、この部屋にやってきました。あの時は、桐ケ谷達以外にも、うじゃうじゃと人がいましたからね。まぁ、俺は廊下にすぐさま避難したので、よく覚えてはいませんが――老若男女……子供を連れた家族やヤンキーやギャルやサラリーマン、そして果ては外国人までいました。とにかくバラエティ豊かで、手当たり次第といった感じで……そんな中に桐ケ谷達もいて、初めはアイツ等の強さを際立たせる為にそうしたのかと思いましたが――」

「――それは、そこのパンダを紛れ込ませる為だった、って訳かい?」

 

 俺の言葉に、中坊がドヤ顔で言い放つ。

 ……ウザかったが、話を進める相槌としてはいい返球だったので、何とか平静を保って返す。

 

「……こいつはこんなんだから、どうしたって目立つ。だから、少しでもインパクトを薄れさせる為に、って小細工だったんだろう。俺がソロでやっているところに、いきなりパンダが一頭だけ追加されたら、それは当然警戒するからな。もちろん桐ケ谷達のような強い戦士(キャラクター)を追加するという名目もあったんだろうが……いや、むしろ、だからこそ、俺だけでなくあいつ等も監視対象だったからこそ、あのタイミングで潜入したのかもな」

 

 そう言って、俺は中坊の疑問に答えつつ、更にパンダを見下ろしながら続ける。

 

「……そういう意味では、パンダってのもかなりよく考えられている。潜入を続けるには、どうしたって生き残り続けなければならない。主催者(ゲームマスター)側ならば、戦わなくても生き残れる方法みたいのを持っているのかもしれないが、ずっと死ななければ、いつまでも脱落しなければ、当然部屋のメンバーの目に留まり、注目を集める。それでもパンダなら、誰も深く関わろうなんて思わない。声を掛けようなんて発想は生まれず、正体も探られない。精々が東条のようにペット扱いして戯れるくらいだ。……パンダをペット扱いして戯れるアイツもパないと思うが」

「……それで、八幡はどうして、そのパンダが主催者(ゲームマスター)側のスパイだって、確信を持ったの? まさか、パンダなのに何回も生き残っているからってだけじゃ、ないよね?」

 

 勿論、それだけでもかなり不可解な状況だが、それでも物事に絶対はない以上、そういうこともあるだろうという可能性は捨てられない。パンダが主催者(ゲームマスター)側のスパイだ、なんて可能性よりは、余程現実味がある“偶然”だろう。

 

 だが、それでも――

 

「――俺は元々、ずっと考えていました。この戦争(デスゲーム)を俺達にやらせて、黒い球体(ガンツ)に、そしてその()()()()()()()()()()に、どんな()()()()があるのだろうと」

 

 それは、半年間、ずっと一人(ソロ)で戦争をし続けている間――否、この黒い球体の部屋という地獄に引き擦り込まれてから、ずっと考え続けていたこと。

 

 ガンツの、そしてガンツの裏にいる主催者(ゲームマスター)の目的――思惑。

 

「始めは、星人をこの世界から――地球から排除することなのだと思っていました。その為に、俺達を利用しているのだと。……でも、それならわざわざゲーム形式になんてせずに、その為の専門のチームを――俺達のような素人を使ったりせずに――プロの戦闘集団を雇って、敵の領域(テリトリー)を侵略すればいい。こんなとんでもないテクノロジーを生み出す奴等なんだ。そんな自家用軍隊を作る金や権力なんていくらでも持っているだろうし、手に入りもするでしょう」

 

 これは世の中のことを分かっていない漫画脳なガキの戯言なのかもしれないが、こんな風に不特定多数の死人を玩具にするよりも、よっぽどリスクも低く、効率もいい話のように思えた。

 

「……そんな風に考えて、俺が辿り着いたのは、桐ケ谷と同じ結論でした。主催者(ゲームマスター)は、ただ星人を駆逐するだけでなく、強い戦士(キャラクター)を育成したいのではないかと。その為のゲーム方式で、その為の厳選方式。死んでもそこまで社会的に影響の少ない死人を使い、その中で生き残り、強くなっていく戦士を作成し、育成する。その為のガンツミッションなのではないかと」

 

 それでもまぁ色々と腑に落ちない点はあるが、そこはやはり、製作者の歪んだ思考と――歪んだ嗜好が出ているのかもしれない。効率よりもゲーム性、面白さを重視している点が。こんなふざけたシステムを作る奴なんだ。それくらい頭がぶっ壊れていた方が、却って安心する。もしかしたら、この戦争を全世界の大富豪とかに見せて、何人生き残るのか、誰がボスを倒すのかとかを賭けの対象にして資金を稼いでいるのか――これこそ漫画脳か。

 

 まぁ、その辺はどうでもいい。とにかく重要なことは、奴等が俺達を、育成ゲームの戦士(キャラクター)としていること。

 

 そして――

 

「――()()()()()()()

「っ!」

 

 その単語を口にすると、初めてパンダは反応を示した。

 

 

 俺はそれに気づいたことが相手に伝わるように、だが敢えて触れずに、間を空けて、言葉調子を変えて、そのまま話を――推理を続行する。

 

「……おそらくは、その為の、それに向けての戦士(キャラクター)の育成なんだろう。戦力の整備で、増強なんだろう。――だからこそ、俺はその育成ゲームのプレイヤーがいると思った。戦士(キャラクター)の育成方針を決め、それを随時調整するプレイヤーが存在するのだろうと考えた。そして、俺は当然、それは黒い球体(ガンツ)なのだろうと思っていた」

 

 俺は黒い球体を一瞥し、再び視線をパンダへと戻す。

 

「だが、黒い球体(ガンツ)はどうやらアレ一つだけじゃないことも分かってきた。考えれば当然の話だ。星人が日本の関東だけに生息している筈がない。勿論、ガンツのスペックなら、世界中の何処にでも転送することは出来るのかもしれないが、俺は半年間、一度もそんなエリアに飛ばされたことはない。ならば、この黒い球体が――ガンツが、もしくはそれに類ずるものが、世界中に存在し、それぞれの担当エリアがあるのだと考える方が自然だ」

 

 パンダは何の反応も示さない。だが、俺は構わず持論を展開し続ける。

 

「そうなれば、そんなプレイヤー達を纏める、そんなガンツ達を統括する、もしくは監視する、更なる上位機関が必要になってくる。お目付け役という奴か。それはガンツの製作者か、もしくは専門にそんな仕事をする組織、またはそんな役割の部署の人間――まぁ実際は、人間ではなくパンダだったが」

「…………」

 

 俺は何も言わないパンダに対し「話を戻そうか。どうして、俺がお前を主催者(ゲームマスター)側のスパイとして断定したか、だったな」と、言いながら、パンダのスーツを触る。

 

「……俺は、今日の戦争中、お前のスーツがロケットエンジンを搭載して空を飛んでいるところを見た。それからビーム」

「ええっ!?」

「なにそれ見たい」

 

 俺の言葉に陽乃さんと中坊が食いつく。まぁ驚きだろうが、少し待ってほしい。締めに入ってるんだから。

 

「……あれがガンツのテクノロジーだか、それともお前に何か特殊な改造を施されてるが故の機能なのかは知らない。だが、ビームはともかく飛行ユニットは、完全にスーツの上位装備だった。これは紛れもなく、お前がガンツに “()()()()”を受けている証拠だ。お前がこの部屋に来たのは昨日で、まだ1点しか稼いでいない。100点メニュー二番の、上位装備は持てない筈だ。持つ権利はない筈だ。」

 

 俺は、パンダを見下ろしながら、尚も執拗に問い詰める。傍から見れば、さぞかし腐った目をしていることだろう。

 

 パンダのスーツを触る腕に、思わず力が入るのを感じる。

 

 俺の人生を狂わせた、俺の物語を歪ませた、元凶の――元凶。

 

 さぁ――

 

「――聞かせろよ、パンダ。ガンツがお前を特別扱いする理由を。VIP待遇でお前が迎えられる理由を。……お前は、あのガンツの育成ゲームの現状を把握する為に、俺達を監視し、観察していた主催者(ゲームマスター)側のスパイだ。……それが俺の推察だ。間違っているなら言ってくれ」

 

 俺はそう言い終えると、パンダを冷たく黙って見下ろし、返答を――パンダからの返事を待つ。

 

 中坊も、陽乃さんも、俺達のやり取りをじっと後から見守り、黒い球体(ガンツ)は只の黒い球体のように無機質に鎮座していた。

 

 そして――

 

 

「……ふっ。特別扱いか」

 

 

 そう、低い声で、パンダは呟いた。

 

 陽乃さんは少なからず驚きを示し、中坊は口笛を吹く。相変わらずナチュラルに人をイラッとさせる仕草をする野郎だ。

 

 俺も半ば確信していたとはいえ、見事に日本語を喋るパンダに吃驚し、何とかゆっくりと口を開く。

 

「……渋い声だな。イケボだ」

「お褒めに頂き光栄の至りだ。さて、比企谷八幡よ。色々と好き勝手に言ってくれたが、特別扱いというのなら、君もかなり奴に特別扱いされているのではないかね?」

「……俺が? 黒い球体(コイツ)に? 笑えない冗談だな」

 

 俺がこの黒い球体に今までどんな目に遭わされたのか逐一説明してご覧に入れようかこのモノクロ野郎とパンダを睨み付けると、だがパンダは、パンダ故に表情は変えないが、そのまま黒い球体に視線を移して、言う。

 

「そもそも、面白い戦士(キャラクター)がいるから直接見てスカウトに値するか確かめてくれと言って、私をこの部屋に呼んだのは、あの識別番号(シリアルナンバー)000000080本体だ」

 

 俺はその言葉に、思わずあの黒い球体を見る。……こいつが、俺を?

 

 

 

――【もう ひとりぼっちに されないといいね】

 

 

 

 ……確かにコイツは、俺を他のメンバーとはまた別の括りで見ていたような気もするが、それは単純に俺がこの部屋に最も長く居るからじゃないのか? 事実、中坊はカタストロフィのことを知っていた。それは、きっと黒い球体(ガンツ)から聞いた情報だろう。あんなのネットをいくら漁っても出てくる筈がない。俺もカタストロフィというものを前提に知らなければ、そう分からないような書き方をしている情報(もの)しか、半年経っても集められなかった。

 

 ということは、少なくとも中坊も、奴の言うところの特別扱いを受けていたことになる。

 

 だが、パンダは尚も、俺に言う。

 

「それに奴は、直接の上司である俺の意向よりも、お前の言葉を――言うことを聞いて、こうしてこの状況を作った。それを、これを、特別扱いではなく、何と言うのかね?」

「…………」

 

 確かに、それはそうだ。

 

 このパンダが本当に黒い球体の上司――上の人間、上のパンダだというのなら、只の一戦士(キャラクター)に過ぎない俺の言葉など聞く必要もない。そのまま自室に転送すればよかった。それが本来、黒い球体(ガンツ)が、この部屋の装置として取るべき行動だったのだ。

 

 だが奴は、それを破って、自分達にとって不利にしかない、不利益にしかならない、この会談の――尋問の場を設けた。

 

「全く、本当に戦士(キャラクター)に感情移入し過ぎる部品(おとこ)だ。……まぁいい。それで、比企谷八幡。君は、私に――我々に何を求める? 我々の正体を見破り、明らかにして、そして何を求めるのだ? 比企谷八幡」

 

 俺はそのパンダの言葉に、改めて己の中で思考する。

 

 そうだ。例え、パンダがこのデスゲームの主催者(ゲームマスター)側のスパイでも、いや、回し者だからこそ、こんな場面で正体を見破り、白日の下に晒すことになど、何の意味もない。

 

 こいつ等は、文字通りの俺達の命を握っている。一度死んだ死人である俺達は、こいつ等によって生かされているのも同然なのだ。

 

 だから、俺達はこいつ等を脅すことなど出来ない。

 正体をバラされたくなくば――などというお決まりの展開に持っていくことなど出来ない。

 

 今、ここで、パンダが黒い球体に上司としての強権を発動し、俺のデータを消し去れば、それで俺という人間は本当の意味で死去(デリート)するのだから。

 

 だからここで、俺がこいつ等に求めること――要求すべきこと。

 

 俺は、一度小さく息を止め、そして小さく吐き――静かに、重々しく、ゆっくりと、告げる。

 

「――お前達は、カタストロフィに対して戦力を求めている。……それも、かなり大きな組織として。そうだな」

「ああ、そうだ。我々は、地球を守るための組織として動いている」

 

 その御大層な言葉を、大真面目にパンダが語ることに、少し滑稽さを感じたが、それを俺は表に出さない。

 

 何故なら、俺は今から、そんな彼等の、そんな奴等の――

 

「パンダ」

「なんだ?」

 

 

「俺を、お前達の仲間にしてくれ」

 

 

 俺があっさりとそう言うと、陽乃さんも、中坊も、そしてパンダも息を呑んだ。

 

「この俺を、幾らでも好きなように使ってもらって構わない。地球防衛軍(仮)にでも、何にでもなってやるよ」

 

 しばし、室内は呆然とした沈黙で満たされると、やがて陽乃さんの焦った声や、中坊の笑い声が響き出した。

 

「え、ちょ、ちょっと八幡! 本気なの!?」

「ええ、本気です。どうせ俺はもう、この部屋からの解放なんて望まないんですから。それならば、より色々な事情に詳しい立場になりたいでしょう。だったら、こいつ等の懐に入るのが一番です」

「ははははっははっはっはははっはっはっはっははっははははははわっはははは!!」

中坊(コイツ)、うっせぇ」

 

 俺はそのままパンダに向き直り、改めて言う。

 

「いいだろう? 元々優秀な人材をお前等は欲しがってたんだ。願ってもない話だろうが。俺は使える男だぜ。使われることに関して俺の右に出る者はいないと言っていい。なんせ社畜と社畜の間に生まれた社畜の純血サラブレットだからな。DNAレベルで社畜だ」

「……そうだな。確かに、私は比企谷八幡という戦士(キャラクター)を見誤っていたようだ。単独で私の正体に気付く洞察力。そして自ら組織へ入り込むことを決断する果断さ。……認めよう、比企谷八幡。君は、確かに、私達が求めるに値する、優秀な戦士(キャラクター)だ」

「なら――」

「だが――」

 

 俺の言葉をパンダは遮り、鋭く切り込みながら言う。

 

 

 

「――君のそれは、妹を自ら殺したことからの、自暴自棄な破滅行動ではないかね?」

 

 

 

 パンダの…………その言葉に。

 

 中坊と、そして……陽乃さんが、息を、呑んだ。

 

 

「………はち、…………まん?」

 

 

 俺は、陽乃さんの方を向けなかった。

 

 喉が急激に、干上がるように乾く。指先が痙攣するように震え、視界の景色がぐらりと揺れた。

 

「………………ッ」

 

 そして、唇を小さく噛み締め、胸の辺りを右手で掻き毟るように掴んで、か細い掠れたような声で、パンダに、そして黒い球体に――請う。

 

 そう……俺は………俺が………………求める、ことは――

 

「…………それに、ついて…………俺から、頼みたいことが………ある」

「……なんだ?」

 

 願い、請う。(こいねが)う。

 

 

「ガンツは……メモリーにない人間を……この部屋とは関係ない……無関係な死亡者を――生き返らせることは、出来ないのか?」

 

 

 俺はかつて、思考したことがあった。

 

 いつどこで死ぬか分からない、そんな前日まで、いや、死亡するその瞬間まで、無関係だった人間を、無理矢理転送して、この部屋に引き擦りこんで、関係者にすることが出来たガンツなら、メモリーの一葉にすることが出来たガンツなら――

 

 

――世界中の人類全てを関係者に出来る。つまり、ガンツは全人類を支配下に置いているのではないのか?

 

 

 そんなふざけた、けれど、ガンツという規格外のオーバーテクノロジーならば、どんな人間が、いつ、どこで死んでも、いつでも関係者に――この部屋に引き擦りこめるような、そんな仕掛けを施しているのではないかって。支配に置いているのではないかって。

 

 ならば――それならば。

 

 例えこの部屋の住人ではなくとも、ガンツの中にはデータがあって、バックアップがあって。

 

 

 それで、小町を――俺が、殺した、殺してしまった小町を、妹を、たった一人の妹を、死んだ妹を、もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら。

 

 だから俺は、それは、きっと俺が、求めて、それを、それだけを求めて、もし、きっと、俺は必ず、どんな、どんなことだって、絶対に絶対に絶対に絶対に。

 

「……頼む。点数が必要なら、100点でも1000点でも、いくらでも稼いでみせるっ! だから――」

「――残念だが」

 

 パンダは、冷たく、そんな俺の無様な足掻きを切り捨てる。

 

「奴が――黒い球体が生き返らせるのは、戦士(キャラクター)だけだ。それも、厳密には生き返らせているわけではない。複製(バックアップ)したデータを基に取り出しているだけだ。故に、データが残っていない無関係な人間を生き返らせることは出来ない。黒い球体が戦士を回収するのは死亡時だけで、その時、初めて、人間(ひと)は黒い球体の支配下に置かれる。戦士(キャラクター)となるのだ」

 

 パンダは、淡々と、獣故の無感情な瞳のまま言った。

 

 

 

「お前の妹は、決して取り戻すことは出来ない――これは真理だ」

 

 

 

 俺は、その言葉に――パンダが語る、世界の残酷さに、だらんと腕を垂らして、がっくりと項垂れる。

 

 

 はっ……だよなぁ。そんなに甘くねぇよな。世界が俺に、優しい筈がねぇよなぁ。

 

 ……初めっから、そこまで期待していたわけではなかった。それでも、僅かでも希望があるなら、それに縋らずにはいられなかった。

 

 

 ……小町。小町。小町。小町。

 

 

 

――幸せにならないで死んじゃったら、絶対に許さないよ! 小町的に超ポイント低いんだからね!

 

 

 

 ……………お前を失って。お前を殺しておいて。

 

 

 俺にどうやって、幸せになれっていうんだよ。お兄ちゃんを、買い被り過ぎだ。

 

 

 憎たらしい……小憎たらしい、妹め。

 

 

「……それで、どうする? 残念ながら、私達は君の願いを叶えることは出来ない。それでも、君は私達の仲間になるか?」

 

 パンダはそう問いかける。

 

 俺は、左目から涙を流しながら、顔を上げ、パンダを見据え「……もう一つ、頼みたいことがある」と、言った。

 

「……言ってみろ」

「……ガンツは、このミッションで死亡者が生まれた時、脱落者が生まれた時、そいつの周囲の人間に、その存在に対しての記憶処理を行うよな。それは、ガンツの支配下などは関係ない。それこそ、全世界の人間に対して行える処理の筈だ」

「……ああ。それがどうした?」

 

 俺は、顔を上げ――何処か遠くを見据えながら、言った。

 

 

 

「俺がお前等の仲間になる――それと引き換えに、一般人から俺に対する記憶を消してくれ」

 

 

 

 俺のその言葉に、再び陽乃さんが息を呑む。

 

 だが、俺はそちらを向かず、真っ直ぐにパンダを見据えながら言った。

 

「――可能か?」

「……それは、もちろん可能だが、出来るのは死亡者に対してと同じ程度の強度の記憶操作だ。事実関係は消えず、万が一、君が対象と接触したら、直ぐに揺らぐ程のものでしかない。それでも構わないか?」

「ああ。大丈夫だ。それで……十分だ――」

 

 俺は、きっと、穏やかな笑みを浮かべながら――その言葉を……言えたと思う。

 

 

「――俺は、もうあいつ等の元へは戻らない。お前達の組織の為、そして地球の為に、この身を、残りの生を、精一杯――“生”一杯、尽くしてやるよ」

 

 

 俺がそう言うと、パンダはただ静かに冷たく俺を見据え「……了承した」と呟く。

 

 その時、陽乃さんが俺の両肩を掴み、自らの方へ向き直らせた。

 

「どういうことっ!? なんで……なんで八幡がっ! どうして……なんで! どうして! なんでっ!!」

 

 陽乃さんは、俺が初めて見る程に動揺し、困惑していた。

 

 何かを聞こうと口を開いて、けれど、瞳に涙を溢れさせて、ぐったりと俯く。

 

 そして、その状態で、ぽつりと、吐き出すように言った。

 

 

「………雪乃ちゃんは? 雪乃ちゃんは……どうするつもり……?」

 

 

 陽乃さんは、唇を噛み締め、何かを堪えるように言った。

 

 俺は、そんな陽乃さんに、懺悔するように――やっと、告げる。

 

 ようやく告げる。遂に、俺は――この罪科を、陽乃さんに晒す時が来た。

 

「………雪ノ下にとって、最早、俺は害でしかありません。俺は、雪ノ下を傷つけ――この上なく、無残に……壊してしまった」

 

 俺の言葉に、陽乃さんはバッと顔を上げる。

 

 驚愕と、瞳一杯に困惑を浮かべる、そんな陽乃さんに、俺は静かに告げた。

 

「……明日、陽乃さんに、この半年間にあったことを――俺が、雪ノ下にした所業の、全てをお話します。……その上で、あなたが俺を殺すというのなら、望む所です。望んで、止みません。……あなたが俺から離れるというのなら、それも受け入れます。……だから、陽乃さん。こんなこと、俺に言う資格などありませんが――」

 

 ああ、救えない。どうしようもなく救いようがない。

 

 やっぱり俺は、性根の芯から腐り果てている。

 

 こんな時に、こんな場面で、こんなことをしておいて、こんな感情を抱くなんて。

 

 俺は、やっと、やっと――

 

 

「――雪ノ下を、よろしくお願いします」

 

 

 陽乃さんは、そんな俺の言葉に、そして、きっと、そんな感情を隠すことなく表している、俺の腐った目と表情に――泣き崩れ、俺にしがみ付きながら座り込んだ。

 

 ……俺は、こんな陽乃さんを初めて見た。

 

 俺が、陽乃さんをこんな姿にして、陽乃さんにこんな思いをさせた。

 

 託されたのに。今わの際に、託された願いを、俺が踏み躙った結果だ。報いだ。

 

 ああ、やっと。やっと。俺は――やっと。

 

「…………………………」

 

 だから、全てを終わらそう。

 

 俺という存在から、みんな、みんな、解放の時だ。

 

 俺は、陽乃さんを振り切るようにしながら、黒い球体の元に歩み寄り、そして、そっと撫でる。

 

 

「……由比ヶ浜」

 

 

 由比ヶ浜。お前はきっと、自分を責めるだろう。

 

 俺が小町を託したことで、それを成し遂げることが出来なかったと、己を責め続けるだろう。

 

 狂う程に、壊れる程に、己を責め続けるだろう。

 

 小町を、そして俺を、探し続けるだろう。

 

 俺は、そんなお前を見たくない。

 

 

 だから――

 

 

「――ガンツ。……やってくれ」

 

 

 

――さよならだ、由比ヶ浜。

 

 

 

 そして、黒い球体に【でりーとちゅう】の文字列が浮かんだ。

 




そして、遂に――やっと。比企谷八幡は、“彼女”を――解放する。

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