比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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ふ~ん。これが噂の100点メニューか。

 

 

 

 

 

 長く、長く、長い――夜が明ける。

 

 

 鮮血を撒き散らし、絶叫が木霊し、圧倒的な死が振り撒かれた、一人の鬼の革命が幕を閉じる。

 

 

 そこに、笑顔はない。歓喜もない。

 

 何も達せず。何も叶わず。

 

 

 理不尽な絶望だけが、池袋を満たした。

 

 

 勝者は居ない。

 

 

 この戦争にあったのは、そして、残ったのは。齎したのは。

 

 

 哀れな程に。憐れな程に。

 

 

 

 ただ、純粋な――

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

【それぢは ちいてんを はじぬる】

 

 

 黒い球体にそう文字列が表示されても、口を開く者は誰一人としていなかった。

 

「……………」

 

 湯河由香は部屋の中を満たすこの重苦しい雰囲気に、何も言葉を発することは出来ない。

 自分の最後の記憶は、突然目の前のビルディングがボっと手品のように燃え上がり、それに混乱していたら――視界が、意識がぐらりと揺れ……そこで、途切れている。

 

 そして、気が付いたら、誰もいないこの部屋に転送されていた。

 

 少しして東条が送られてきてほっとしたが、東条の顔はいつになく険しかった――険しいというよりは、意識此処に在らずといった様子か。

 

 その次に送られてきたのはあやせだった。

 彼女は、この部屋に転送されて来た時、やはり少し雰囲気がおかしかったが、由香の姿を見つけると瞳に涙を浮かべ、「よかったね……っ」と万感を込めて生還を喜んでくれた。

 面映ゆい気持ちになった由香だったが、自分は彼女に此処まで生還を喜んでもらえる程に仲を深めていたかと疑問にも思った。精々が一緒にガンツスーツに着替えたくらいだが………まぁ、それくらい()()()()なのだろう――自分と違って。由香はそう思うことにした。

 

 次に転送されてきたのは渚だった。渚は転送されてきた途端、一瞬ぼうとしたが、直ぐに現状を理解すると、苦笑しながら「大丈夫かな……助けが間に合えばいいんだけれど」と呟いた。その顔には、悪いことしたなぁと書いてあるようであり――まるで、自分がやり残したことを、誰かがやってくれると確信しているかのようでもあった。

 由香は、この人はあのビルの中で救助活動でもやってたのかな? と、首を傾げた。

 

 次に転送されてきたのは和人と陽乃。二人は肩を寄せ合うようにして転送されてきたが、転送が終わると同時にすぐに離れ、陽乃は「へぇ。こんなんなんだ。本当に新品みたいに戻るんだねぇ」と呟き、他のメンバーをゾッとさせた。

 確かにその通りだが、そう言われると今こうしている自分達が只のバックアップのようで――まさしくそうなのかもしれないが――気分の良いものではなかった。実際、片腕を失うなどという大怪我をしたにも関わらず、綺麗な五体満足に戻っている和人は苦笑していた。陽乃は全然気にしていないようだったが。

 

 そして、ここまで順調に転送されて――だがここに来て、ここまで来て、改めて部屋の中に緊張が走った。

 

 皆――陽乃も、和人も、あやせも、渚も、じっと黒い球体を見る。由香も、その視線の意味を理解出来た。

 

 まだ、あの男が転送されてきていない。まさかとは思うが、この嫌な間が、もしかしてという疑念を沸かせる。

 

 誰かが額に汗を滲ませると、その瞬間、黒い球体から一筋の光が、東条の背後に照射される。

 

 一斉にその一点に視線が集まる――が、転送されてきたのは、紛うことなきジャイアントパンダだった。

 

 そして、まるでそのパンダをミスディレクションに使ったかのようなタイミングで、さりげなく陽乃の背後に電子線が伸びる。

 

 

 今度こそ、現れた男は――比企谷八幡だった。

 

 

「「「「――――ッッッッ!!!」」」」

 

 

 途端、東条とパンダ以外のメンバーは、総じて息を呑んだ。あの東条でさえも、大きく目を見開いた。

 

 今回のミッションは、過去最大の戦争となり、生き残ったメンバーのそれぞれが、己の物語(じんせい)(いびつ)で大きな影響を及ぼした、まさしくターニングポイントと呼べる戦争となった。

 

「………………」

 

 だが、それでも、この男――比企谷八幡程に、悲痛で、悲惨で、悲愴な何かを、背負って帰還した人間はいなかった。

 

 陽乃ですら、目の前のこの八幡には、何も言葉を掛けることは出来なかった。

 

 

 

 そして、今に至る。

 

 他の住人達も、黒い球体の採点に注目している素振りを見せているが、どうしても、部屋の一番後ろの壁に凭れ掛かり、黒い球体を真っ暗に淀んだ深淵のような瞳で注視している比企谷八幡を、意識せずにはいられないようだった。

 

 だが、そんなことには委細構わず、黒い球体はいつも通りに、機械的に無機質に、じじじ、と最初の採点を表示した。

 

 

 

『はちまん』15点

 

 Total 34点

 あと66点でおわり。

 

 

 

 その点数に、更に沈黙が重くなる。

 

 いつもは高得点を連発する八幡のその点数に、一同が何も言えずに、ちらりと八幡の方を見るだけだった。

 

 

「…………」

 

 

 八幡も、何も言わず、何も発さず、壁に背を付けたまま、ただ静かに瞠目していた。

 

 

 

『リンリン』0点

 

 びーむだしすぎ。

 

 Total 1点

 あと99点でおわり。

 

 

 

 ……ビーム? と由香だけでなく殆どの人間が思い、その件のパンダに目を向けたけれど、パンダはかわいこぶって見えない何かと戯れていたので、皆釈然としない思いを抱えながらも黒い球体に視線を戻した。

 

 

 

『ゆがわら』0点

 

 まもってもらいすぎ。

 

 Total 0点

 あと100点でおわり

 

 

 

 私は湯河よ! と再びツッコミを入れそうになったが、その後の文字列を見て、由香はグッと息を呑んだ。

 

 由香はゆびわ星人編、そしてオニ星人編と二つのミッションで生き残ったが、実は一体も敵を倒しておらず、当然一点も点数を稼いでいない。もっと言えば、武器を持ったことすら、無い。

 

 ただ、守ってもらっていただけだ。

 

 強い人に――強者の背中に、隠れていただけだ。

 

 虎の威を借りた、只の卑怯な狐だ。

 

「…………」

 

 由香は、ちらりと東条を見て、そして部屋全体を見渡す。

 

 あれだけぎゅうぎゅう詰めだった部屋は、随分と広くなっていた。

 

 きっと、たくさんの人間が死んだのだろう。殺されて、生還することが叶わなかったのだろう。中にはきっと、敵の星人に、勇敢に立ち向かった人も、きっと居たのだ――自分と違って、戦った人が。そして、死んだ、戦士(ひと)が。

 

「………っ」

 

 由香は、ギュッと唇を噛み締めて、黒い球体の採点の続きに注視した。

 

 

 

『闇天使~ダークエンジェル~』50点

 

 Total 61点

 あと39点でおわり。

 

 

 

 ざわっ、と沈黙で満ちていた室内が騒めいた。

 

 

「五十点……っ」

「凄いですね、新垣さん!」

 

 和人と渚がその点数に瞠目し、陽乃はあやせに笑顔でにじり寄る。

 

「やるじゃない、新垣ちゃん! もしかしてあの後、幹部クラスの敵と遭遇したりしたの?」

「……ええ。あなたがわたしに押し付けた敵は、とんでもない変態でしたよ」

 

 あやせは笑顔の陽乃に、これまた綺麗な笑顔で返した。

 

 その笑顔は、近くで見ていた和人と渚がゾッとし、バッと顔を逸らすくらい綺麗だった。怖すぎる程に。

 

 ふふふ、ふふふ、と言ったお上品な笑い声が背後から聞こえる中、和人と渚と由香は黒い球体にかぶりつくように採点を見る。

 

 

 

『性別』60点

 

 Total 71点

 あと29点でおわり

 

 

 

 再び、室内に感嘆の声が漏れる。

 

「六十点か! 凄いな、渚!」

「凄いです、渚君!」

 

 和人とあやせがまるで自分のことのように喜び、祝福する。

 渚は二人に褒められ照れくさそうにしながら、そっと東条の方を見る。

 

 東条は、渚を見てにやりと笑って――

 

「あの炎の奴を倒したんだ。お前がすげぇのは当たり前だろ」

 

 渚はその言葉に、「ありがとうございます!」と笑った。

 

 そして、次の採点は、その東条だった。

 

 

 

『トラ男』62点

 

 Total 98点

 あと2点でおわり

 

 

 

「ろくじゅ――いや、それより!」

「九十八点……ですか。おしいですね」

「後、二点……」

 

 東条の点数には、歓声というよりも感嘆の息が漏れた。

 解放まで、あと二点という僅差。六十二点という点数よりも、あと二点だったのにという気持ちになってしまうスコア。

 だが東条本人は特に気にした様子もなく、本人がそんな調子なので由香は溜め息をもらし、他のメンバーは苦笑しながら、次の採点へと進んだ。

 

 

 

『魔王』120点

 

 Total 120点

 

 

 

 100てんめにゅ~から 選んでください

 

 

 

「――――な」

「――――え」

「うそ……」

 

 和人と渚とあやせが絶句する。由香も呆然として、東条ですらその戦士に目を向ける。

 

 その視線を一身に受けた美女――雪ノ下陽乃は、その瞳は魔王に相応しい自信と迫力を放ちながら、威風堂々とまるで動じることなく屹立していた。

 

 だが、和人達には信じられない。

 

 何故なら、彼等はつい一時間ほど前、この部屋で見ているのだ。

 

 彼女が、雪ノ下陽乃という()()が、半年振りに生き返った場面を。彼女がつい一時間ほど前まで死人であったという証拠を。

 

 そして――点数が0からの再スタートとなった場面を。

 

 それなのに、彼女は、()()()()()()()()()()()で、ノルマの100点を大きく超える120点を叩き出した。

 

 

 これを――偉業と呼ばずに、何だというのか?

 

 

 これが――異常と呼ばずに、何だというのか?

 

 

 そして、黒い球体の表面には、本日二度目の100点メニューが表示される。

 

 

 

【100てんめにゅー】

 

【・きおくをきされてかいほうされる】

【・つよいぶきとこうかんする】

【・めもりーからひとりいきかえらせる】

 

 

 

「ふ~ん。これが噂の100点メニューか」

 

 そう言って陽乃は、まるでウィンドウショッピングをするかのように黒い球体の前でふんふんと鼻歌を歌いながら、楽しげにメニューを吟味すると――

 

「う~ん、そうだね。本当なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 と陽乃は、由香にとっては瞠目するようなことをあっさりと言った。

 

 え?

 

 本来ならば、ここで真っ先に選ぶのは一番の解放ではないのか? 皆、それを目指して戦っているのではないのか?

 

 だが、陽乃のその言葉に、由香以外にそんな反応を示す者はいなかった。

 一様に冷たく、静かに、異論を挟むことなく陽乃の選択を待っている。

 

 由香はその空気に戸惑っていると、陽乃は「よし、決めた」と言って――後ろの壁に、ずっと凭れ掛かったままの、八幡を明るく呼びかけた。

 

「ねぇ、八幡――八幡は、誰か生き返らせたい人はいない? ――八幡が、選んでいいよ?」

 

 その行為には、さすがに由香以外のメンバーも大きくどよめいた。

 

 八幡は陽乃と目を合わせる。その目は、その(まなこ)は、これまで以上に、八幡のどんよりと濁った瞳に慣れてきていた和人達ですら、改めて恐怖を覚える程に、最早腐敗と言うのも言葉が足りない程に不気味だったが、恐怖だったが、陽乃は一切嫌悪感を見せずに、ただいつも通りに、魔王の笑みを向け続ける。

 

 そして、八幡は、ゆっくりと、この部屋に転送し(かえっ)て来てから一度も開いていなかった口を開いた。

 

「……解放は、選ばなくていいんですか?」

「当たり前だよ。分かってるくせに」

 

 そう言って、陽乃はくすくすと笑ってみせる。

 

黒い球体の部屋(ここ)での記憶を消されたら、八幡へのこの想いも忘れちゃうじゃない。そんなことになったら意味ないよ。生きてても。八幡も、何百回100点をとっても、解放だけは選ばないでしょう?」

「……ですね」

 

 その時、八幡がこの部屋に来て、初めて笑った。

 それは苦笑、といった感じの小さなものだったが、それでも陽乃にとっては嬉しかったらしく、ふふと少女のようにはにかんだ。

 

 八幡はようやく壁から背を離し「……メモリーを、見せてもらえますか?」と言いながら、黒い球体の前に躍り出た。

 陽乃はその横に寄り添い、「見せて♪」とまるで♪マークが付いていそうな軽い調子で、黒い球体に命令した。

 

 そして黒い球体は魔王の命に従い、粛々とメモリーを表示する。

 

 そこには、今回のミッションで亡くなった、ストーカー、リュウキ、平といった面々もあり、渚やあやせがピクリと反応したが、表情に変化は起こさなかった。

 

 そして、やはり、そのメモリーの何処にも――比企谷小町の顔写真は無かった。

 

「……………………」

 

 ガンツのメモリーに記録されているのは、あくまでガンツが生命に関与したもの――この部屋の住人として登録されたものだけだ。

 

 小町は、只の巻き添えで死んだ。八幡が殺した。

 

 今回の『池袋大虐殺』で亡くなった、無関係に死んで、無意味に死んで、無価値に死んだ、大勢の一般人の中の一人に過ぎない。

 

 ガンツには何も関係ない。ガンツですらどうすることも出来ない。

 

 小町は死んだのだ。死んだ者は、生き返らない。――黒い球体が、手を差し伸べない限り。

 

(……俺みたいな人間は助けておいて、小町には興味を示さないんだな、お前は)

 

 八幡はガンツを冷たく見据えるが、黒い球体は何の反応も示さない。

 

 只の黒い球体でしかなかった。

 

 八幡は、再びそのメモリーに目を落とす。

 

 そして八幡は、ポソリと――何かを黒い球体に囁いた。

 

「……………」

 

 その囁きにも黒い球体は何の反応も示さなかったが、八幡はしばし、その腐りきって濁りきった瞳で黒い球体を見つめ続けて――そして、しばしの黙考の末、陽乃に振り向き、ポツリと、言った。

 

「……陽乃さん。生き返らせたい奴ですが――」

 

 陽乃は、八幡の言葉に首を傾げて、それでも「まぁ、八幡が言うなら」と、あっさりそれを選択した。自分が命懸けで稼いだ100点の使い道を、あっさりと簡単に決定した。

 

 そして、黒い球体から再び電子線が照射される。

 

 部屋の住人達の注目が――和人が、あやせが、渚が、東条が、由香が、パンダが。

 

 比企谷八幡が、雪ノ下陽乃が、その瞬間を目撃する。

 

 

 

 今、此処に、この黒い球体の部屋に、一人の戦士が――一体の、美しき“鬼”が“生還”した。生きて――生き返って、還ってきた。

 

 

 




大勢の命が無価値に死んだ、一人の鬼によるこの革命の夜に――――あの“鬼”が、還って来る。

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