比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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だから、きっと………人は、人を殺すんだ。

 Side渚――とある燃え盛るアミューズメント施設

 

 

 渚と神崎は、三階のフロアまで逃げていた。

 

「ひっ――」

 

 そこにはリュウキが作り出したと思える、死んで間もない新鮮な死体達が転がっており、その内の幾つかは火の海で早くも火葬とばかりに轟々と燃え盛っていた。

 

 神崎は悲鳴を漏らしかけたが、渚は咄嗟にその口を塞ぐ。

 渚はその光景を見て眉を顰めながらも、頭の中は平の豹変について考えていた。

 

(……どうしてなんだ……っ。どうして、平さんは急に……僕達を……殺そうと――)

 

 信じられなかった。

 

 確かに、平とは今日あの黒い球体の部屋で初めて会ったばかりで、付き合いも数時間ばかりの浅い関係でしかない。だが、渚にとって平は、既に絶対に死なせたくない人になっていた。

 

 あの人は弱く、臆病で、決して頼りがいのある人ではなかったけれど、この地獄のような境遇においても、常に家族のことを考え、家族の為に生き残るのだと絶望に立ち向かえる――渚にとっては理想の父親像だった。

 

 憧れだった。自分の憧れを、理想を平に重ねていた。

 

 平も、自分のことは憎からず思ってくれているように感じていた。頼ってくれて、信頼してくれて、自分に命も預けてくれた。一緒に、死線を潜り抜けてきた――のに。

 

(……なのに……どうしてですかっ……平さん……っ)

 

 渚は自分の瞳に涙が溢れるのを感じる。

 

 そして、その時――自分の腕の中の神崎ががくっと倒れ込んだ。

 

「――ッ! か、神崎さん!?」

 

 渚は神崎を抱きかかえる。

 その時、渚は自分が神崎の口をずっと塞いだまま、考えに集中してしまっていたことに気付いた。

 

 十秒に満たない時間だったろうが、この火事の現場では致命的な――殺人的な時間になり得る。

 

「けほっ、けほっ、けほっ……だ……だいじょうぶ……けほっ……けほっ」

「神崎さん! ごめん、もういいから。喋らないで、無理しないでいいから」

 

 渚は自分の愚かさに歯噛みしながら、自分も息苦しさを感じていることに気付いた。

 一刻も早くこの燃え盛るビルから脱出しないと、炎を避けても酸欠で死んでしまう。

 

 渚は、既に立っていることも出来なくなってしまった、荒い息と酷い咳を繰り返す神崎を肩に腕を回して支えながら、必死に火の海からの出口を探す。

 

(上ってきたエスカレーターは下に平さんが……くそっ! 僕はどうして上に……いや、それよりも、これ程に大きな建物なんだから、上り下りの手段がエスカレーターだけなんて有り得ない。エレベーターは動いていなくても……せめてどっかに非常階段が――)

 

 非常階段を文字通りの非常時に使うのは初めてだが、本来はまさにこういった事態の為に用意されている設備の筈だ。

 渚は非常階段を探してフロア内を炎を避けながら徘徊していると、別の建物と繋がっている扉であろうを見つけた。

 

 何者かによって開けられた痕跡がある自動ドア。これは、葛西がバックドラフトなどを起こさない為に予め制御室から開かせていたドアであり、リュウキがこの建物内に侵入した際に使用したドアでもあった。

 

(――ッ! あそこなら――)

 

 渚はこのビルが燃え上がった時、余りにも綺麗に、この建物だけがボっ! と、魔法のように、異能のように燃え上がったことを思い出していた。余りにも鮮烈だった為、脳裏に、瞼の裏に文字通り焼き付いたその光景。少なくとも、周辺のビルは、あの時はまだ無事だった。

 もしかしたら既に隣接したビルにも燃え広がっているかもだが、少なくともこの建物よりも遥かにマシな筈だ。

 

 渚は神崎を担いだまま、そのドアに向かって足を進める。

 

 既に腰の辺りまで、炎がハードルのように行く手を塞いでいるが、通れなくはない。スーツはギリギリ生きているのだ。本当にギリギリで。

 悲鳴を上げ続けるこの頼みの綱はいつ切れるか、いつ壊れるか分からない。故に今は実行に移せないが、あの扉を通る時は瞬間的に神崎を両手で持ち上げ――そんなことを思いながら進んでいると。

 

 背後から――ビィィィイインという、プロペラ音が聞こえた。

 

「っ!?」

 

 渚はバッと振り返り、そのまま急いで身を屈めた。

 

 後ろには――険しく、青白い表情でこちらを見据える平がいた。

 

(ホーミング式BIM……っ!?)

 

 渚は屈んだことでホーミング式BIMを一旦回避するも、BIMは直ぐに方向転換する。

 くそっと、渚は自動ドアを見て歯噛みしながら、燃え盛るフロアへの退却を余儀なくされた。

 

 ホーミング式は、直接接触しなくとも、BIMを中心とした有効範囲内にターゲットを捉えたら爆発する。

 

 そして神崎を背負った状態ならば、スピードはBIMの方が速い。直線での逃走は無理だ。

 残ったスーツの力で神崎を担いで逃走するという手もあるが、スーツは本当に限界ギリギリで、今も少しでもより力を出そうとすると激しくキュインキュインと警告音のようなものを発する。

 

(――ッッ!! せめて、あと、もう少し扉に近づいていたら……っ)

 

 イチかバチかにかけてスーツの力で逃走も出来ただろう。今になって、あの十秒の思考時間が悔やまれる。

 

(――くそッッ!!)

 

 渚は、そのまま上階のエスカレーターへと向かう。

 このフロアのあの扉は使えなかったが、おそらくは同じような間取りで、上の階にも隣のビルへと繋がるドアがある筈だと踏んで。

 

 だが、一度は方向転換で躱したけれど、ホーミング式BIMはその名の通り、自身もぐるりと何度でも方向転換して、渚達を何処までも追跡(ホーミング)してくる。

 明確に目的地を定めた渚達は、もう方向転換も出来ず、速度で優っているBIMに追いつかれかけ――

 

「――ッ!」

 

――渚は、バッ! とXガンを取り出し、ホーミング式BIMを射撃した。

 

 そして、そのまま前方に飛び込む。

 尚もホーミング式BIMは渚達に向かって進撃するが――その有効範囲に渚達が入る前に、ドガンッッ!! とXガンの攻撃によって爆発した。

 

 渚は地面に伏せている神崎に覆い被さるようにしてそれをやり過ごし、そして――

 

「――っ!!」

 

 それを――見つけた。

 

 上の階へと繋がるエスカレーター付近に、つまり、今、渚達が伏せている場所の、すぐ、目の前に――――リモコン式のBIMが、待ち伏せるようにセットされているのを、発見した。

 

 渚は、起き上がるよりも先に、そのBIMの爆破スイッチを持っている平の方をバッ! と振り向いた。

 

「……………………ッ!?」

 

 渚は、それを見て、ピクリとも動けなくなった。

 

 動かなくてはいけないのに、逃げなくてはいけないのに、守らなくてはいけないのに、助けなくてはいけないのに――まるで固まってしまったかのように、身体を、思考を、まるで動かすことが出来なかった。

 

 平の瞳は――ゾッとする程に冷たかった。

 

 あれが、優しい瞳で、強い決意の篭った瞳で、息子のことを、家族のことを語っていた、渚が理想の父親だと憧れた、あの平清と、同一人物なのだろうか。

 

 人は、あれほど冷たく変貌してしまうのか――それとも、あれも、平が初めから持っていた、秘めていた一面なのだろうか。

 

 平清は、ただ無表情で渚達に目を向けたまま、手首のリモコンに向かって手を伸ばし――爆破させた。

 

 ドゴンッッ!!! と、瞬時に凄まじい爆風が渚の目の前に広がり――

 

 

――グイッ、と、渚は何者かによって身体を持ち上げられた感覚がした。

 

 

 渚は呆然とその感覚に身を任せていると、爆風が届かない物陰で、その何者かは渚に向かって、その笑みと共に、優しい声色の言葉を掛けた。

 

「大丈夫ですか? 渚君」

 

 渚は、その男の顔を見て、再び瞠目し、言葉を失った。

 

 それは、今日の夕方、渚の世界を塗り替えて、作り変えてくれた人であり、渚がこの人のようになりたいと、自身の存在の意味を失った渚に、新たな指標をくれた人でもあった。

 

「あ……な……たは……」

 

 

『死神』――そう、あの殺し屋達に呼称されていた謎の男は、この煉獄の地獄で、渚達を死の魔の手から救い出してくれた。

 

 

「ど、どうして……あなたが、ここに――」

「それよりも、今は真っ先にやるべきことがあります」

 

 そう言って『死神』は、どこからかガスマスクのようなものを取り出し、神崎に被せた。

 

「これで一先ず酸欠での死は防げるでしょうが、それでも彼女は危ない状態です。火災による火傷、体温の上昇、脱水症状、そして体力の低下。更には足の裂傷、そして打撲。これまでの極限状態でのストレスも加味すると、一刻も早く病院へと連れて行かなくてはなりません」

「――っ! そ、そんな……」

 

 渚は愕然と神崎を見遣る。

 

「……………」

「……はぁ……はぁ……」

 

 神崎はマスク越しに、酷く苦しそうな息を漏らす。

 渚は、そんな彼女の様子に辛そうに表情を歪めると、自分が知る限り最も“()()”人である目の前の『死神』に頼み込む。

 

「……お願いします。神崎さんを……助けてくれませんか? 神崎さんを連れて、病院に――」

「残念ですが――それは出来ません」

 

 渚の訴えに、『死神』は神妙に首を振って断る。

 

「ど、どうしてですかっ!」

「渚君も知っての通り、私は殺し屋です。これほどの大事件だ。警察も動くでしょう。いえ、動いているでしょう。私一人ならまだしも、無関係の人を連れて歩く訳にはいきません。最悪、私の関係者というだけで、警察や、いえ警察ならまだしも、昼間のような別の殺し屋に狙われかねない」

「……っ」

 

 渚は――先程、このビルのすぐ外で出会った“警察”の顔を思い出し、俯かせる。

 そして苦しむ神崎を見て、渚は何も出来ない自身への無力感に苛まれた。

 

「…………」

 

 そんな渚に、笑みを浮かべる『死神』は優しく語り掛ける。

 

「だからこそ――彼女を救えるのは、渚君、君しかいません」

 

 渚は、『死神』のその言葉に、呆然と顔を上げた。

 

「――え?」

「渚君は、まだ彼女を担いで動けるでしょう? 上の階へと上がれば、隣のビルへと移る階段があります。その階段は、一番下まで降りれば直接外へと繋がっているので、それで彼女をビルの外まで連れ出してください。既に、外には怪物は一体もいません。そこまで連れ出せば、もうこの池袋のすぐ傍まで来ている警察や自衛隊が保護してくれるでしょう」

「で、でも、それには――」

 

 それを実行し、遂行するには、どうしても排除しなくてはならない障害がある。

 

 あの人は、例えこの煉獄のビルディングから脱出しても、神崎が生きている限り、何処までもその背中を追いかけてくるだろう。

 

 息の根を止めようと、殺そうと、付き纏ってくるだろう。

 

「――そうです。ならば、君がやらなくてはならないことは分かりますね?」

 

 渚が――潮田渚が、やらなくてはならないこと。

 

「君がやるんです、渚君」

 

 他の誰でもない、潮田渚が、()らなくては、いけない――標的(ひと)

 

「……僕……が」

「ええ、渚君。君が――」

 

 

――あの人を、殺すのです。

 

 

「――――ッッ!!??」

 

 ドクンッ! と、一際大きく、心臓が鳴った。

 

 急激に息苦しさが増し、はーッ、はーッ、と、息が酸欠と相まって荒くなり、震え出す自身の両手を見詰める。

 

「僕が…………平さんを…………でも…………でも……………でも……ッ」

 

 渚は遂に、両手を額につけて、歯を食い縛って蹲る。

 

(――出来ないッ! 星人じゃない……命を奪うなんてッ! 人間を――平さんを…………殺す……なんてッ!)

 

 これは、動物は殺して何故人間は殺してはダメなのか、どんな命の価値も平等なのではないのか、などという下らない哲学の問題ではない。抱えるべき、当然の葛藤だ。

 

 人を殺してはいけない――それは、誰しもが幼い頃から、常識として、当然の前提として、深く、深く人の脳に刷り込まれている、人間社会で生きていく為の至極当然のシステムだ。

 

 それは、本来は決して踏み込んではならない一線。

 

 踏み込んでしまったら、踏み越えてしまったら、強制的に自らにエラーを発生させ、自分という存在を変質してしまう、別の自分になってしまう、そんな禁断の果実。

 

 だが、『死神』は誘う。アダムとイヴを誑かした蛇のように、渚の耳元にその小さな舌を這わせる蛇のように――別世界へと誘う――『死神』のように。渚の目を真っ直ぐに見て、その優しい蕩けるような声と、笑顔で、囁く。

 

 

「――渚君。君は、私のように、なりたくないのですか?」

 

 

 渚は、その瞬間、全ての葛藤が消え、再び世界が広がるのを感じた。

 

 

「…………え?」

 

 

 燃える炎の熱さも、煙が肺に入る息苦しさも、全てが真っ白の世界に染まり、何も感じなくなった。

 

 そして男は――『死神』は、無垢なる白い世界を自分色に染めていく。潮田渚を塗り替え、作り変えていく。

 

「私は殺し屋です。私のようになるということは……どういうことか、分かりますね?」

 

 生きる指標を失い、アイデンティティを失い、操り人形の役目を失い、母の二周目(アバター)の役割を失っていた、何者でもなくなっていた哀れな水のように白い少年を、『死神』は自分色に染め、自分好みの“生徒”として、教え、導き――誘う。

 

「その上で、もう一度、言いましょう――君には、才能がある。殺し屋の才能が。つまり――人を、殺す才能が」

 

 裏の世界へ、暗闇の世界へ――殺しの、世界へ。

 

「そして、最後にもう一度、問いましょう。それでもあなたは――」

 

 

――私のようになりたいと望みますか?

 

 

『死神』は、いつの間に抜き取ったのか、渚が腰に差していた、漆黒の光沢のあるガンツナイフの刀身を持ち、渚の前に吊り下げた。

 

 これが、潮田渚という少年の、最後の分岐点だった。

 

(……平さんは、一体、どうしてあんな風になってしまったのだろう?)

 

 ここで、それでも神崎を抱え、上階のドアから隣のビルに逃げ出し、己と――平が、ガンツによって転送されるまでやり過ごせば、きっと渚は、この後も、只のエンドの、それでも普通の、真っ当な中学生でいられたのだろう。

 

(神崎さんは、平さんが人を殺したのを見たと言っていた。そして、平さんはそれを否定せず、ただ冷たい表情で、神崎さんを、そして僕を殺そうとした――殺そうとしている。さっきのリモコン式BIMを作動させる、あの冷たい目……あの目を見て感じた……冷たさ……あれこそが、きっと……殺意……だったんだと、思う)

 

 そして、それはそう難しいことでは、実はなかった。

 後、ほんの数分も逃げきれば、渚はその可能性(ルート)を歩むことが出来たのだ。

 

(……人を、殺す。……それは、間違いなくいけないことで、許されないことだ。……それでも、平さんは、その道を選んだ。その方法を選んだ。……それは……きっと――)

 

 それでも渚は、まるで、引き寄せられるように、操り人形の糸に手繰り寄せられるように。

 

(――きっと、その方法でしか………守れないものが、あったからなんだろうと、思う)

 

 

――だから、きっと………人は、人を殺すんだ。

 

 

 潮田渚は、そのナイフを手に取り――人を殺す、進路(みち)を選択した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 平は、リモコン式BIMによる爆煙が晴れた後も、「ごほっ、ごほっ」と息苦しさを感じながら、その場で周囲に目を配らせていた。

 

(……やったんか? でも、あの二人の死体があらへん。……ちゅうことは、逃げたんか? ……あの状況で、どないして――)

 

 その時、カンッという音が、フロアの奥から響いた。

 

「ッ!! なんやッ!!」

 

 平はその音の方向に目を向ける。

 

 渚達か、とそちらに向かって進もうとすると――

 

 カンカンカン、とエスカレーターを駆け上がる音が聞こえた。

 

 そこには、神崎を背中におぶり、平を見下ろすようにして目を合わせ、上階へと上がっていく――潮田渚がいた。

 

(渚はんっ!)

 

 平は険しく表情を歪めながら、ゆっくりと歩き出し、水色の少年の後に続いて、上階へと上る。

 

(……恨むなら、恨んでくれや。……それでもワシは、殺人者になるわけにはいかへんのやっ!)

 

 そして、平も、決戦の舞台へと上がる。

 自分をこの地獄のような戦場で、何度も守り、何度も救ってくれた少年を殺す為に。

 

 殺人を隠す為に、殺人を犯す、殺人者として。

 

 全ては愛する家族の為に。

 

 平清という父親は、この言葉と共に、命の恩人の殺害に挑戦する。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 平が上階へと上がっていったのを確認すると、物音の方向から一人の美男子が姿を現す。

 

 彼は――『死神』は、教え子を受験へと送り出す教師のように優しい顔を浮かべていた。死神のような、優しい笑みを。

 

(――さて。どうなりますかね?)

 

 本来は気配を消して、自身も上に上がり、その行く末をこっそりと、その目で直接見届けたい所だったが、さすがに足止めも限界だった。

 

『死神』は、そっと神崎に渡したものと同様のガスマスクを被る。

 当然『死神』にはそんなものは本来不要だったが、これは文字通りの“仮面(マスク)”として着用したものだった。

 

 バキューンッ! という発砲音と共に、銃弾が『死神』の頭部目掛けて発射される。

『死神』はそっと顔を後ろに反らしてそれを躱し、エスカレーターからこのフロアへと上がってきたその男に、仮面(ガスマスク)の中から優しい『死神』の笑みを向ける。

 

『流石ですね。もう突破してきましたか?』

「……このビルに仕掛けられていた障害は、貴様の仕業だったのか」

 

 烏間惟臣は、その稚拙な拳銃の銃口を向けながら、撃鉄を上げ、次弾を装填し、謎の男に向かって言う。

 

 その男はガスマスクで顔を隠しており、そのマスクに仕掛けが施されているのか、声も機械的に変声されていた。

 

 だが、烏間は確信する。一目見ただけで、それを肌で感じ取った。

 

 この男が――この男こそが。

 

 

「……何を企んでいる……貴様がどうしてここにいるんだっ! 『死神』!」

 

 

 烏間は、己が追っていた悲願の標的に向かって問い詰める。

『死神』は顎に手を当て「ふふふふ」と笑う。

 

 この謎の男は――『死神』は、烏間の言葉を否定しなかった。

 

 己の正体を、否定しなかった。

 

『異なことを言いますねぇ。防衛省――否、日本国の対『死神(わたし)』専門エージェントに任命された烏間惟臣特務官殿。『死神(わたし)』を追う任務を受けているあなたがここにいるということは、当然私がここにいるということを察していたのではありませんか?』

「……認めるんだな。自分が、『死神』であるということを」

『ええ。この燃え盛る炎の中、生存者を救うべく勇敢に駆けつけたあなたに敬意を表して、それは真実だと認めましょう。……まあ、“一般人”の方の生存者は、残念ながら――』

 

 そう言って『死神』は、天井を見る。

 

 既にこの煉獄に残された一般人の生存者は、渚に守られ、平に狙われている――神崎有希子しかいない。

 

 だが、烏間はそうは受け取らず、怒りの篭った声で『死神』に問う。

 

「……貴様……っ、この火災は――」

『ご存知の通り、私ではありませんよ。私はこんな殺しはしません――まぁ、必要があるのならば辞さないですが。あの障害物は、あくまであなたの進行を遅らせる為の、只の足止めに過ぎませんよ。……それでも、予想していたよりも遥かに速かったので、素直に驚いています。これも認めましょう。私は、あなたの力を見誤っていた。申し訳ありませんでした、烏間特務官』

「――もう、御託はいい。ならば、どうしてここにいるかは問わん。最初の質問に答えてもらおう」

 

 烏間は、ゆっくりと『死神』との距離を詰め、対峙する。

 

『死神』は、拳銃を突きつけられても、距離を縮められても、一切動じず、悠然と炎に囲まれながら佇んでいた。

 

「――お前は此処で、何を企んでいるんだ、『死神』?」

『……答えるつもりはないと、そう言ったらどうします』

「決まっている。……俺は本来防衛省の人間で、こんなことを言える立場ではないのだが、今は警視庁に出向中の身だ。つまり、これが――俺の任務だ」

 

 こうして、日本最強の人類が、世界最高の殺し屋に向かって、堂々と宣戦布告する。

 

「――逮捕だ。『死神』」

 

 その言葉を受けて『死神』は、優しい笑みではなく、不敵な微笑みを浮かべた。

 

 やれるものならやってみろと言わんばかりの、彼には珍しい、好戦的な、生物として原初の意味を持つ笑みだった。

 




こうして、哀れな無垢なる少年は、『死神』が手招く真っ赤な進路を選択する。

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