Side??? ――とある駅の出口付近
池袋駅の東口。
黒金に依るこの凄惨な革命の始まりの場所となったこの場所は、何の因果か、歴戦のハンターの誰にも目を付けられなかったことから(陽乃は透明化をしたまま全速でスルーして八幡の所に向かった)、比較的大勢の黒金組のオニ星人達が集っていた。
それは奴等が、今日この場所で本来行われる手筈だった新作映画の撮影イベントの為に集まっていた各局のテレビカメラを押さえて、この吸血鬼による人間への、そして世界への宣戦布告となる革命の様子を全国にお届けしろという黒金の命を遂行する為でもあった。
よって、彼等カメラマン達は、自分達の仲間のテレビクルーが、このイベントの為に集まったファンの人達が、または映画撮影の為に訪れていた俳優女優の人達が、遂には無関係の一般市民達が、吸血鬼の奴等に蹂躙され、凌辱され、殺害されていくその様子を、その凄惨な惨状を、震える手で、嗚咽混じりで撮影し続け、平和なお茶の間に届け続けなければならなかった。
当然、テレビ局本局はそんな見るも耐えない凄惨な処刑映像など即刻放送を中止しようとしたのだが、何故か、どういう訳か、“上”の人間はその映像を放送し続けろと現場の者達に命を下した。彼等は抗議するもそれが聞き届けられることはなく、
よって革命が始まって一時間近くが経った今も、電話線がパンクする程の勢いで抗議がテレビ局に殺到し続ける中、全国のテレビ画面には、この禍々しい残酷な映像が流れ続けている。
そして、現在。その眼球が潰れそうな恐ろしい映像に、ある変化が生まれていた。
それは――
――テレビカメラが映しているのが、吸血鬼による人間達の凄惨な処刑映像ではなく、一体の化け物による、人間も吸血鬼も関係ない、ただただ無残な虐殺映像になっているということだ。
+++
結城明日奈は、自分の見舞いに来てくれた里香、珪子、詩乃、直葉、そして娘のユイと共に、その映像を呆然と眺めていた。
「……なん……なの……これ」
そう呟いたのは、里香か、直葉か、それとも明日奈か。
革命が始まった当初、ユイに言われてテレビを点けた彼女達。そこに映っていたのは、余りに現実感のない凄惨な処刑映像。
一様に言葉を失い、ショックを受けた彼女達だったが(特に人間の死にトラウマがある詩乃は顔面を蒼白させて苦しみ席を外していた)、それでもその映像を見続けたのは、その革命を起こした者達が、今日の夕方、明日奈と、そして現在行方不明の和人を襲った黒いスーツの集団と明らかに同じ組織と思われる一味だったからだ。
今や彼等はその姿を醜い鬼へと変貌させていたが、それでも明日奈達にとって、奴等は消息不明の和人に繋がる残された唯一の手掛かりだった。
それに、この人間の処刑映像の中で、和人の死体が唐突に晒されたらどうしよう――そんな懸念がどうしても消えなかった。和人は現在その生死すら不明で、この怪物達は、昼間にどう考えても和人の命を狙っていたとしか思えない行動を取っている。全く有り得ない可能性ではない以上、明日奈にこの映像から目を逸らすという選択肢はなかった。
だが、それでも、延々と続く、この世の地獄としか思えない光景。それを見続けるということは、明日奈達のような少女達にとって、気が狂わんばかりの拷問と同義であった。事実詩乃は何度も退席したし、ずっと映像を見続けているのは、ユイと、そして明日奈だけだ。その明日奈にしたって、既に顔色は余りにも悪く、涙の跡がくっきりとその美しい顔に残っている。
唯一、彼女達にとって救いだったのは、これがテレビの向こう側の映像ということか。それ故に、どこか現実感に欠けていて、こういう言い方はあれだが、他人事として見れたのかもしれない。
そして、そんな映像に変化が生まれたのは、今から数分前のことだった。
『グルルルルルルォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』
突如、吸血鬼が支配していた地獄に現われたのは、まるでゲームの世界のモンスターのような、牛頭の怪物。
『な――!? おい、どうなってる! 話が違うぞ!!』
『邪鬼はコントロールする術を手に入れたんじゃなかったのか!! だから、人間達に見せつける為に連れてくるって――』
『あ、おい、やめろ!! やめろやめろやめろぉっ!! あ――がぁぁぁぁぁあああああああ!!!』
その邪鬼と呼ばれたミノタウロスのような怪物は、文字通り戦場を蹂躙した。
吸血鬼も、人間も――敵も味方も関係なく、目に付く者を手当たり次第に破壊し尽くしていった。
テレビ画面に映るその光景は、現実感のなかったその地獄の映像から、更に現実感を失くしてしまって――それでも、誰も、何も言えなかった。
どう考えても現実とは思えない光景なのに、事実、現実感は途方もなく欠けているのに。
それでもそれは、心を、感情を侵す。
「……怖い」
珪子は、声を震わせ、ぽつりと呟く。
怖い。怖い。恐ろしい程に――恐ろしかった。
それまでの処刑の映像も、目を逸らしたくなるような恐ろしさで満ちていたけれど、これは、また別の、生物としての根源的な恐ろしさだ。
人間として殺人を恐れるのではなく、生物として天敵を恐れるような恐ろしさ。
「……なんで……なんで、あんなモンスターが……現実にいるのよ……」
里香は呟く。そうだ。これは現実だ。
SAOではない。ゲームではない。こんなことは、あってはならない。
これまでの時間、何度となく思った。
これはテレビ局が作った悪ふざけで、この映像は、それこそイベントを行っていた映画の新作映像か何かで、きっと、すぐにお詫びのテロップが流れて、他メディアから批判の嵐が来て、明日はまた別のくだらない騒動が起きて――そんな風に、いつも通りの、やっと手に入れた、取り戻した筈の日常が、帰ってくるのだと。
それでも、この地獄は終わらない。
いつまでも、いつまでも、終わってくれない。
化け物が殺される。人が死に続ける。血が流れ続ける。
終わらない。終わらない。お願いだから、終わって欲しいのに。
『ひぃ――い、いやだ、来るな! 来るなぁぁぁぁあ――』
グシャァッ!! という生々しい音と共に、明日奈達が見ていた映像が途切れる。
彼女達は目を覆い、小さく悲鳴を漏らしたまま、その画面越しの光景を無言で見送った。
既に、何度目だろう。
このミノタウロスもどきの怪物は、吸血鬼達と違ってテレビカメラにまで容赦なく、当然そのカメラマンまで無差別に破壊する。虐殺する。
その度に映像が途切れ、そして――
『――ぁぁああああああああああああああ!!! 助けてくれ!! 助けてぇぇえええ!! おい! 誰でもいい! あの化け物を止めろぉぉおおおおおおおお!!!』
『ふざけんな!! あんな奴に勝てるわけねぇだろうが!!』
『誰か!! 幹部の人達を呼んでくれ!! 剣崎さんでも岩倉さんでも化野さんでも火口さんでもいい!! 誰か!! 誰か助けてくれよぉおおおおおおおお!!! 黒金さぁぁぁああああん!!!』
――再び、映像を送り続ける。
これはどうやら、生き残っている別の局の映像を、無理矢理シェアして放送しているらしい。
そこまでして、
(……一体、何の目的があって――)
詩乃が蒼白の顔を険しく歪めながらそう考えていると、その時、切り替わった映像を撮影しているカメラマンに、再び牛頭の怪物が迫っていた。
『あ、あああああ、わぁぁぁああああああああああああああ!!!!』
『テメェふざけんな!! 逃げんじゃねぇ!!』
どうやらカメラを捨てて逃げようとするカメラマンを、近くにいた吸血鬼が抑え込んでいるらしい。
『な、なに言ってるんだ!! 分からないのか!? お前も一緒に殺されるんだぞ!!!』
『――はっ。別に構わねぇさ。この命が黒金さんの革命の一助になるなら、俺はその役目を全うするまでだっ! さぁ!! カメラを向けろ!! 職務を全うしろ日本のサラリーマン!! そして、この邪鬼の恐ろしさを! 愚かな人間共に見せつけるんだ!! この力は、いずれ全て黒金さんの力になる!! お前達は、全員纏めて黒金さんに平伏すことになるんだ!! はっはっははははははははははははははははは!!!』
黒金は、こんなこともあろうかと、初めからテレビカメラを押さえる役目はグループの中でも危険な程に黒金に対する忠誠心が篤い者達に任命していた。どんな状況でも、己の死の瞬間まで、その役目を全うする者達を。これは火口が黒金に進言したことだったが。
よって結果として、彼等カメラマンは、この無法地帯となった戦場でさえ、そのテレビカメラを捨てることを、職務を放棄することを許されなかった。
そして牛頭の怪物が、猪突猛進の勢いで迫り来る。
『あぁ、あぁ、わぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!』
『はははははははははははははははははははははははははははは!!!!』
そして、その激突の瞬間、明日奈達だけでなく、この映像を見ている日本国民の殆どが、無意識に思わず目を瞑った。目を逸らした。
『グルルルルォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
だが、次の瞬間に轟いたのは、人体が蹂躙される音ではなく、怪物の悲鳴だった。
『――――え?』
『な――ッ!?』
カメラマンと、そしてカメラマンを抑え込んでいる吸血鬼の声。
明日奈達も、目を開き、そしてその映像に目を奪われた。
そこにいたのは、立っていたのは、現われたのは――紫光を放つ未来的な剣を携えた、漆黒の少年だった。
ライダースーツのような光沢のある黒衣を身に纏う、黒髪の美少年が、ふとカメラの方を振り向く。
『き、みは――』
カメラマンが呆然と呟くと、その横を吸血鬼が飛び出していく。
『――ハンタァァァァァァァアアアアアアアアアアアアッッ!!!!』
だが、その吸血鬼は黒衣の少年の一刀の元に斬り伏せられた。
闇夜を切り裂く紫の剣閃が真横に引かれ、吸血鬼の身体が二つに裂かれる。
起動し続けているカメラは、その一部始終を確実に捉えていた。カメラマンは何も言えず、ただ座り込むながらその少年を映し続け――
『――早く逃げろ。アレは……俺が倒すから』
その冷たい眼差しで、カメラを見下ろすように言い放った少年は、そのままフラフラの、今にも倒れてしまいそうな足取りで、仰け反っていた牛頭の怪物の元へと向かう。
カメラマンは、ただその光景を呆然と眺めていた。
少年の言う通りに逃げることも出来ず、ただ、それが使命であるかのように、先程放棄しようとした職務を全うするかのように、その黒い小さな背中にカメラを向け続けていた。
+++
そして、その病室は沈黙が満たしていた。
あれほど目を背けたかった凄惨な戦場の映像に、全員が食い入るように、口を開いて呆然としながら、ただその目を奪われていた。
明日奈は身を乗り出し、掠れた声で、恐る恐る、呟く。
「………………きり、と……くん?」
その様々な種類の、莫大な量の感情が篭った声は、無意識の内にテレビ画面へと伸ばされたその手は、当然のように、その黒衣の少年の元には届かなかった。
+++
Side八幡――とあるビルのオフィスフロア内
「…………ぐ、ぁ……」
……はぁ。さすがに……スーツの力は限界に来てるな。
キュインキュインと激しく音を立てて、少しオイルが漏れている。もう長くは持たないだろう。
ここは一体、何処のビルだ? 幾つビルを突き破ったのかは……覚えていない。
なんとかあの時、嘴の直撃を避け、そしてその嘴を脇に抱え込むような形でしがみ付けたのは、本当に出来過ぎの奇跡だった。狙ったとはいえ、まさかここまで上手く行くとはな。
御蔭でビルに叩きつけられる時も嘴の先端が激突して先に当たるから直撃は避けられたし、ドリルくちばしの衝撃も、一緒に回転することで最小限で済ますことが出来た。……それでも、スーツは限界だったみたいだが、それでもいい。
俺のスーツは死にかけだが――まだ、辛うじて生きている。
こうしている今も、どんどん力は落ちているが――
――この嘴を圧し折るなんて、一秒あれば十分だ。
「…………なぁ、鳥公……ッ!」
みしッ、と翼竜の嘴を締め付ける脇に力を咥え、一気に――圧し折る。
「グルゥゥゥ!!? ラララララァァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!!」
嘴を圧し折られた翼竜は大きく仰け反り、人の手が大量に飛び出しているその腹を俺に威嚇するように見せつけ、痛みで滅茶苦茶に暴れ回る。
ここは自由な大空ではなく、何処かのビルのフロア内だ。
そんな密閉空間で暴れ狂えば大変な惨事だが、俺はなんとかそれをやり過ごすことは出来た。こんな命の末火の悪足掻き――この半年で、どれだけ経験したと思ってる。
「――ッ!」
……スーツの効力が切れる。だが、その前に――この翼竜を仕留める。
俺は暴れ狂う翼竜にXガンの乱射を浴びせた。
青白い光を浴びた翼竜は時間差でバンバンと肉片が弾け飛ぶが、それでも致命傷には至らない。
だが、それでも翼竜をこのフロアから追い出すことには成功したようだ。
翼竜は俺を放置したまま俺に背を向け、血だらけのまま再び大空へ羽ばたこうとする。だが――
「俺を置いていくなよ。小学校の時の遠足のバスか、テメーは」
空に飛び立つ瞬間、俺は再び翼竜の背中に飛び掛かった――当然、ガンツソードを、折れた刀剣を、無理矢理に突き刺すように突き立てて。
「グルゥゥゥラララララァァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!??」
翼竜は最早ふらふらで、なんとか飛んでいるといった情けない有様だった。
高度もそれほどではない。さっきに比べたら文字通りの雲泥の差だ。それは言い過ぎか。
「――だが、これならいけるな」
俺は路地を抜けて比較的大きな道路に出たところを見計らい、そのBIMを取り出した。
爆縮式BIM。それを俺は――翼竜の背中に張り付けた。
そして、スイッチを入れて、大志を見る。
「………………」
背中から伸びる腕は、俺の足や膝に纏わり付いていたが、俺はガンツソードを左手で握り、キュインキュインと悲鳴を上げるスーツの、消え行くなけなしの力を込めて、渾身で殴り飛ばした。
ダァンッ!! と、弱っていた翼竜は、驚く程にあっさりと地面に叩き着けられる。
「グルルルルルルァァァァァァァァァアアア――――――」
そして、爆縮のBIMは真空を作り出し、翼竜の身体の四分の三程を、その断末魔の悲鳴と共に消失させた。
俺はそれを見届けると共に、刀身が折れたガンツソードを無理矢理伸ばして道路に突き刺し、それを徐々に縮めながら、無事に着地する。このガンツソード、折れてからの方が大活躍だな。酷使するなぁ俺。ブラック企業かよ。あぁ、働きたくねぇ。
「……………………」
体の上四分の三を失った翼竜型の邪鬼は文句なしに絶命していたが、運よく(?)後ろ四分の一の方に取り込まれていたであろう数体の生殺しの吸血鬼は、ぐったりと地面に倒れ込んでいた。
そして、その中には――川崎大志も含まれていた。
「……………」
俺は、その“吸血鬼共”に向かって、無言でXガンの銃口を向けた。
+++
Side陽乃――とある五叉路の大きな交差点
陽乃は、“母”のその言葉を聞いて――表情を険しく歪ませた。
「……………ッッ!!」
そして、その手に持つガンツソードの切っ先を、鋭く真っ直ぐに母親に向ける。
「――――いい加減、“母親”ぶるのをやめてもらえないかしら。〝化け物さん”?」
「………」
陽乃の鋭い眼差しを――殺意を受けても、その“母親”は美麗な微笑みを崩さなかった。
そして陽乃は「……“二回目”だけど、もう一度……言うわ」と俯きながら呟き、顔を上げて、冷淡な表情で、“母親”に――“母親”の姿をした“何か”に向けて、苛烈に言い放つ。
「あなたは“誰”? いいえ――“何星人”?」
ガラガラガラと、何処かの瓦礫が崩れた音がした。
「…………………………」
母親は――雪ノ下陽光は、変わらず能面のような、精巧な作り物めいた微笑みを絶やさず崩さない。
陽乃は、
「……此処に現れたということは、あなたも吸血鬼のお仲間?」
「ふふ。いいえ、『私達』は違うわ。もっと弱くて、もっとか弱い種族よ」
「じゃあ、どうして此処に……こんな
「愛する娘の帰還を迎える為。それと、そうね……“貸し”を、作る為――かしらね?」
前半の
「…………貸し?」
「ええ。こういう時に、一方的に恩を売って、貸しを作る。そういう小さな積み重ねが、やがて“組織運営”においてどれほどに重要な意味を持つことになるか。――陽乃。貴女もよく分かっているでしょう?」
「…………」
陽光の言葉に、陽乃が口を閉じて押し黙る。
二人のよく似た面影を持つ美女が対照的な表情で向かい合っていると――サンライト中央通りの路地裏から、一人の巨躯なる男が現れる。
漆黒の短髪に、鍛え上げられた体に、彫りの深い端正な顔立ち。
その人物も、陽乃が良く知る、見知っていた筈の人物だった。
雪ノ下
――裸の上半身から、その両腕をスピアのように鋭く硬質に変化させ、数体の吸血鬼を串刺しにして抱えていた。
「おい、愛する妻よ。吸血鬼の回収を手伝うということだったが、これでいいのか?」
「はあ、愛する夫よ。ダメに決まっているでしょう。私達は彼等に恩を売る為に来たのですよ。だったら最低限のマナーくらいは守りなさい。具体的には串刺しにするのは止めなさいな。私以外をお姫様抱っこするのは許しませんが、せめて肩に担ぐくらいの根性は見せて頂戴。男の子でしょう?」
そう言われると豪雪は、吸血鬼の身体からスピアの両腕を引っこ抜いて、そのままぐるりと人間の腕に戻して五人分纏めて抱える為に
その異様な光景に――父親の姿をした“何か”が、そのような異様な何かをしている目の前の光景に唖然として、陽乃は瞠目して豪雪を見遣る。
「……おとう……さ……ん?」
「……………………」
豪雪は、そんな呟きを漏らす“娘”を一瞥すると、そのまま陽光に視線を戻し「……それじゃあ、届けて来る。いってらっしゃいのキスは――」「我慢してください。空気を読んでください。娘が見てます。その分、おかえりのキスはサービスしてあげますから」「……分かった」としょんぼり頭を垂れて、そのまま何処かへと跳んで行った。
「…………………っっ!!」
「あら? どうしたの、そんなにむくれて? なんなら頬にならば貴女にも夫におかえりのキスをさせて――」
「あなた達はっ!!」
陽乃は陽光の戯言の一切を無視して、激昂したまま陽光を問い詰める。
「あなた達は! 一体! どこまで!! 雪ノ下家を侵してるの!! 一体……いつから……入れ替わっていたのよ!!?」
陽乃は肩を上下させ、その美しい顔を鬼のように歪めて叫ぶ。
それに対し、陽光はくすりと、妖艶に笑い――
「――さぁ? もしかしたら、“
「――――ッッッ!!!」
と、舐め上げるような笑みで、はぐらかす。
陽乃は歯を食い縛るように俯いて、ガンツソードをカタカタと揺らしながら――その懸念を、口にする。
「……………雪乃、ちゃんは?」
本当にか細く、消え入りそうなその呟きに、陽光は首を傾げて――
「ん? なんですか? 声が小さくてよく――」
「雪乃ちゃんは!!」
陽乃は、そこで初めて、泣きそうな表情で、縋るように陽光に問い詰めた。
「雪乃ちゃんは……無事、なの? 雪乃ちゃんに……手を出したなら……わたしは……あなた達を、絶対に許さない…………ッッ」
チャキ、と。ガンツソードを力強く、震える程強く握り直し、まさしく苛烈な太陽のように燃え上がる殺意を込めて、陽乃は陽光を睨み据える。
陽光はくすりと笑い、その殺意に答えた。
「大丈夫ですよ。この半年間、私達は雪乃と接触していません。――貴女の、今わの際の願いでしたからね」
「……………」
陽乃は、半年前――自分が、目の前の“母親”に殺された時のことを思い出す。
+++
『あなたは……一体、誰? ――いいえ、“何”?』
『――流石ですね、陽乃。気付くのは、きっと貴女だろうと思っていました』
あの日、自分は前々から感じていた漠然とした違和感に対しての確固たる確証を得て、自宅の母親の自室に殴り込み、単刀直入に問い詰めた。
それは雪ノ下という家の財金が、どこか見知らぬ用途で使用されている痕跡。
これに対し陽乃は徹底的に調べ上げ、そして辿り着いた先が、自分の母親――雪ノ下陽光の不審な行動だった。
陽乃は確信する。――この人は、人間じゃないと。
陽乃は疑惑する。――こいつは、何“物”なんだと。
そして、陽乃は徹底的に糾弾する。
本物の母親は何処か? この金は一体、何に使っているのか?
だが陽光は――“母親”の姿をした、母親の皮を被った何かは、微笑みを携えたまま、のらりくらりと何も答えない。
そして、遂に痺れを切らした陽乃が、母の執務机を両手で強く叩く。
『……っ、なんなの!! 一体、あなたは――お前は、雪ノ下家をどうするつもりッ!?』
それに対し、陽光はくすりと笑いながら――
『大丈夫ですよ。いずれ、あなたも知ることになることです』
――頭部が裂けて、その肉片の先端を刃へと変形させた。
『――――え』
ザクリ、と。刃が陽乃の胸の中心を貫く。
そして陽乃は後ろ向きに倒れ込む。薄れゆく意識の中で、自分を見下ろすように近づいてきた母親の姿をした何かの、こんな声を最後に聞いた。
『それでは、よい戦争を。――黒い球体に、よろしくお伝えくださいね』
その言葉の意味はまるで不明だったが、襲い来る冷たい圧倒的な虚無感に陽乃は、目尻から涙を流しながら、粘りつくような喉を必死に、必死に、せめてこれだけは、自分を殺した何者かに――何物かに言い残さねばと、必死に唇を動かし、言の葉を紡いだ。
『……雪乃ちゃん、には……お願いだから……手を……ださ……ない……で……』
その遺言を遺して、瞳から光を失くした陽乃に――天から一筋の光が注がれた。
こうして、雪ノ下陽乃は死亡し――あの黒い球体の部屋へと、送り込まれることになる。
+++
陽乃は瞑っていた目を開けて、その今わ際のことを思い出して、母親の姿をした何かに、自分を殺した何かに向かって、気丈に問い掛ける。
「……あなた達は、一体、何が目的なの?」
陽光はくすりと笑い、逆に陽乃に問い返す。
「目的、とは何についての、ですか?」
「全部」
陽乃はガンツソードをもう一度しっかりと掴み直し、その鈍重な剣を持ち上げ続ける辛さを一切表情に出さず、目の前の正体不明の化け物に向けて、雪ノ下陽乃に相応しい立ち姿で問い質す。
「わたしを黒い球体の部屋に送った理由も。どうしてその部屋の存在を知っていたのかという理由も。雪ノ下家を乗っ取った理由も――その目的も合わせて、全部、包み隠さず話しなさい」
陽乃は、一度口を閉じて、何かを決意したように鋭い眼光で、言った。
「私は――娘、なんでしょう?」
陽乃のその力強い問い詰めに対し、陽光は上品に瞠目して――
「――そうですね。その話は、帰ったらじっくりしましょうか?」
「……え?」
そのあっさりとした了承に陽乃は思わず呆然とする。
「え、帰ったら、って――」
「この戦争は、おそらく貴女達の勝利で幕を閉じるでしょう。そうしたら、採点が終わった後は自宅に――つまり我が家に帰ってくるということでしょう?」
「ええと……たぶん」
「それならば、半年振りの娘の帰還を祝うご馳走を用意しなくては。話は家族水入らずのお茶の間で致しましょう。雪乃は事情を知らないので呼べないのは残念ですが。そうね、そうと決まったら早く仕事を終えて家に帰らなくては。ふふ、久しぶりに楽しい食事になりそうね」
そう言って陽光は、くるりと背中を向けて何処かへと歩き出そうとする。
「ちょ、ちょっと――」
「それではね、陽乃。久しぶりの
と、そんな母親らしいことを言う。化け物の分際で、それが当然のことであるかのように慈愛を込めて。
そして、またしても何処からか豪雪が陽光の傍に跳んで来て、陽光をさらりとお姫様抱っこして「あ、そうそう」と、そんな体勢のまま最後に嬉しそうな笑顔で、豪雪の逞しい首に腕を回しながら陽光が告げた。
「比企谷くんに感謝しなさい。初めての大事な友達よりも、他の何よりも優先して、貴女を生き返らせてくれたんだから。ふふ、賭けはやっぱり私の勝ちね」
「あ、待って――」
そして、今度こそ雪ノ下陽光は、夫の雪ノ下豪雪に抱えられたまま、夜の池袋の何処かへと
「…………」
陽乃はカランカランと、既に握力の限界だったこともあってガンツソードを落とすと共に路上にぺたんと座り込み、両親の姿をした何かがいなくなった方向を呆然と眺めていた。
「…………なん、なのよ……」
この雪ノ下陽乃が、最初から最後まで振り回されっぱなしだったと悔しい気持ちも湧き起こるが、それ以上に考えなければならないことが多過ぎた。八幡の元に行かなければと思う気持ちも胸にあるが、足が全く動かない。
その時――わぁぁぁぁああああああああああああ!! と、歓声が、陽乃の背後――遠く後方から上がった。
「………今度は、何なの?」
それは池袋駅の方面から轟いて来るもので、そこでは――
――一人の黒衣の少年剣士が、牛頭の怪物と戦っていた。
雪ノ下陽乃は、母親の化けの皮を被った何かと対峙する。