比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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世界になんて嫌われたって、幸せになることは出来るってね!

Side陽乃――とある五叉路の大きな交差点

 

 

『――例え、世界を滅ぼしてでも、他の人類全てと引き換えにしてでも……死んでも生き返らせますから』

 

 

 八幡は、この戦いが始まる前、まるで母親に置いて行かれそうな子供のように、不安げに、女々しく、縋りつくようにして陽乃に言った。

 

 陽乃はそれを見て、彼をとても愛おしく感じた。

 ああ、やっぱり、この子は弱い。どこまでも、妹と――雪乃とそっくりだ。

 

 この子をここまで弱くしたのは、きっと自分なんだろう。

 

 孤独に愛され、孤独に侵され続けた身の上でありながらも、だからこそ、孤独を恐れる八幡を、この子の負っていた傷に入り込んで、失ったものの代替になっておいて、それでも、傷に塩を塗り込むように、負っていた傷を更に深く抉るように、この子の前からいなくなり――孤独(ひとり)にしたのは、陽乃だ。

 

 八幡はきっと、もう陽乃の代替を見つけられない。それほどまでに溺れ、狂ってしまっている。

 

 妹の――雪乃のように、八幡を見つけた雪乃のように、別の大切な何かを見つけるようなことはきっと出来ず、いつまでも、どこまでも自分を追い続け、傍に置き続けるだろう。傍に居続けるだろう。

 

 それは、信頼なんてものよりもずっと酷い何か。依存なんてものが生温い何か。妄執なんて言葉を以てしても、尚足らない、より悍ましい――何か。

 

 それは、きっと自分が――自分達が、かつて何よりも嫌っていたもので――自分でそうなるように仕向けておいて、そんな妹を可愛がっておいて、それでも気に入らなかった、そんな何か。

 

 これは、『本物』という何かから、きっと、一番、遠い何かで――

 

 

――それでも、陽乃は、そんな八幡を、そっと優しく慈しむように抱き締めた。

 

 

『ありがとう――でも、いらないよ。死ぬ気なんてさらさらないから。もう、二度と、あなたを孤独(ひとり)にしないって言ったでしょ』

 

 それでも、きっともう、八幡も、そして陽乃も――後戻りできない。何処にも帰れないし、いつまでもどこまでもこのままだ。この様だ。

 

 だって、そんな八幡の悍ましい何かを――そんな浅ましくて、気持ち悪い何かを向けられることを、陽乃はこの上なく嬉しく思っているのだから。

 

 狂いそうになる程に、このまま溺れていたいと思う程に、歓喜しているのだから。

 

 ああ、きっと、自分達は何かが終わり、何かが狂ってしまったのだろう。

 

 自分達は、あの甘酸っぱくも痛々しい、けれどどこか微笑ましい青春の日々には、もう二度と戻れない。

 

 八幡と陽乃の青春ラブコメは、きっと決定的にまちがってしまった。

 

 それでも、狂ったもの同士なら、壊れたもの同士なら、それがどうしうようもなくまちがった想いでも、まちがった関係でも、代替品(レプリカ)でも、どうしようもないバッドエンドの産物でも――『本物』に、なれるかもしれない。

 

 八幡と陽乃、化け物と化け物、壊れ物と壊れ物――そんな二人だからこその、『本物』になれるかもしれない。

 

 だって、元々『本物』なんてものは、浅ましくて、悍ましくて、気持ち悪い、毒でしかない酸っぱい葡萄なんだから。

 

 相手のことが分かりたくて、知っていたくて、完全に隅から隅まで理解したい。

 そんな独善的で、独裁的で、傲慢な想いを、お互いが押し付け合い、そしてそれをも、許容できる関係。

 

 そんな関係が、そんな繋がりが、そんな二人が――狂っていないわけがないんだから。壊れていないわけがないんだから。まちがっていないわけが、ないんだから。

 

 だから、きっと、今のまちがった二人だからこそ、この世の誰からも理解されなくても、お互いだけは、お互いを理解し合える。許容し合える。

 

 壊れ、狂い、まちがった二人だからこそ、きっと、いつか――『本物』になれる。

 

 だから陽乃は、雪ノ下陽乃という少女は、思う存分、どこまでも狂い続ける。溺れ続ける。

 

 何故なら、こんな自分を、こんな雪ノ下陽乃を、きっと八幡は、比企谷八幡という少年は、苦笑しながらも理解し、眉尻を下げながらも許容してくれる筈だから。

 

『それに、八幡の方こそ大丈夫なの? そんなボロボロで、あのデッカイ怪物に勝てるの? 八幡こそ、死んだらわたしは世界を滅ぼしちゃうぞ☆』

 

 案の定、八幡は、この人ならきっとやりかねないと言った顔で苦笑し、そして――

 

『!』

 

 グッと陽乃を腰に手を回して、自分の方に引き寄せた。

 

 その行為に、呆気に取られたのは陽乃の方で、思いがけない八幡の行動にドキッと胸を高鳴らせて――カチッ、と腰のホルスターに何かをセットされる。

 

 そして、八幡はこう囁いた。

 

『――いざという時、これを使ってください。……これは――』

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 陽乃は、雷鳴が轟く数瞬前、腰に手を回し、八幡がセットした金属製の缶のようなそれのスイッチを入れ――黒金の前に放った。

 

 そして轟音と閃光とほぼ同時に、右拳に雷光と雷電を集中させた雷速の突撃を敢行した黒金の前に――高温の霧のようなガスが広がり――

 

「――――ッッ!!」

 

 

――黒金はその灼熱の霧の中に突っ込む。

 

 

 そして――

 

 

「――――っっっっ、ガァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」

 

 

 陽乃は、その黒金の絶叫を聞いて、八幡の言葉を思い出していた。

 

『――これは、烈火ガスというBIM……爆弾です。スイッチを押して放ることで、高温のガスを撒き散らします。……これは、おそらくガンツスーツすら溶かすので、投げたらすぐに逆方向に逃げてください。……俺には、これくらいのことしかできませんが――』

 

 

――どうか、死なないで。

 

 

「…………」

 

 その八幡の言葉以上に、この烈火ガスは凄まじい威力を誇っていた。

 

 前一面の視界が、まるで濃霧のようなガスで覆われている。

 

「ぐ、ぁぁぁあああああああああああああああああ!!!」

「いやだぁぁあああああああ!! 死ぬ、死ぬぅぅううううううう!!!」

 

 どうやら生き残っていた一般人がいたようだが、そして烈火ガスに巻き込まれたようだが、彼等も纏めて軒並みガスの餌食になっていた。

 

 ……黒金は、出てこない。あの雷速の突進ならば、本来ならば既にとっくにこのガスを抜けているだろうから、あの霧の中で――息絶えているのだろうか。

 

 だが、その時、唐突に、雷撃が濃霧を吹き飛ばした。

 

 

「が、ぁぁ、ぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 霧が晴れたそこには、満身創痍の鬼がいた。

 

 雷撃の柱をその身に受ける、雷鬼が二本の足で立っていた。

 

 隻眼で隻腕、腰からは短槍を生やし、脇腹からはドクドクと血と臓物を垂れ流し、ただでさえ醜悪だった風貌を、灼熱のガスによって更にドロドロに溶かして――かつての威容は面影もなかった。

 

 だが、それでも、黒金は最強だった。未だ獲得した強さを手放さなかった。

 

 鬼のように雄叫びを上げ、恐怖を振り撒き、雷を浴びながらも君臨するその様は、見る者に畏れを抱かせた。

 

 

「俺は……俺は……俺はぁぁぁああああああああああああああアアアア!!!」

 

 

 最早、残った片目も爛れて見えていないのだろうか。

 ただひたすらに天に向かって咆哮し、まるで世界に己の存在を誇示し、喧嘩を売っているかのようだった。

 

 この世界に、このふざけたクソッタレな世界に、戦いを――戦争を、挑み続けているかのようだった。

 

 これが、黒金という、最強の――強者の革命。

 

 世界に弾かれた弱者が、化け物になってまで手に入れたかった強さを以て、成し遂げたかった、貫き通したかった――黒金という、男の生き様。

 

 そして――――

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 

「……惨めだな、ガキ。……はっ、その餓えた鬼みてぇなギラギラの瞳……正しく()()だな」

 

「……ッ! カッ! 生憎、俺の腕は歯も生え変わっちゃいねぇガキに食い千切られる程、まだまだ衰えちゃあいねぇさ。――だが、気に入った。例え、胃袋ん中全部吐き出しても、理不尽への反抗心を失わねぇ……それでこそ、(きょうしゃ)だ」

 

 

「――(ウチ)に来い。テメーに、世界への戦い方を教えてやる。俺の息子になれ」

 

 

 

 

 

 

「――黒金(くろがね)。それがお前の名だ。鉄のように固え意思を持つ、オメエにぴったりだな」

 

「拾った時に真っ黒に薄汚れてたからだなんて親父は言うが……みんな知ってる。親父はお前のことを滅茶苦茶可愛がってるよ。じゃなきゃ、こんな名前は付けやしない」

 

 

 

「見えるか? あの御方が、お前がその身命を賭して守るべき御方だ」

 

「白銀の髪と黄金の瞳を持つ、親父の一人娘――いずれ、この組を継ぐ、俺等の姐さんとなる方だ。……まだ、お前と年の変わらん子供だがな」

 

「あの方の名は――白金(しろがね)。……分かったか? お前は、あの方の白を穢す者から、全てを守る(くろがね)の盾となれ」

 

「それが、あの方に拾われ、俺達のような薄汚え、世界から弾かれた糞餓鬼共を、息子と呼び、家族としてくれた――あの方の恩に報いる、唯一の方法だ」

 

「親父と息子として出来る、最高の親孝行だろ」

 

 

 

 

 

「はぁ、黒金。お前、何度言ったら分かるんだ。ただ殴ればいいってもんじゃねぇ」

 

「確かに、お前は強くなった。喧嘩なら勿論、拳銃(チャカ)に頼っても、お前を殺せる奴なんざ、そうはいないだろうさ。でもな――」

 

「――強えってのは、本当の強さってのは、そんなんじゃねぇ。……世界ってのは、そんなちんけな腕力(ちから)でどうにか出来るもんじゃあ、ねぇよ」

 

 

 

 

 

「黒金……落ち着いて聞いてくれ」

 

 

 

「親父が……倒れた」

 

 

 

 

 

「……何で、こんなことになるまで放って置いたんだ!」

 

「俺達は、デカくなり過ぎた。……それでも、曲がりなりにも組織(かぞく)として回って来れたのは――親父が居たからだ。あの人が父親として、俺達を息子として守ってくれてたから……俺達は一つで居られたんだろうな」

 

「でも、いい加減、一人立ちの時だ。……ですよね。お嬢」

 

 

「――ええ。私も、ファザコンを卒業しなくてはね。お父様には、私の手を取ってヴァージンロードを歩いてもらわなくてはならないもの。これ以上、布団の上で心労を掛ける訳にはいかないわ」

 

 

「黒金……隣に、居てくれる? あなたが守ってくれると、信じているわ」

 

 

 

 

 

「ふざけんな! お前等、親父やお嬢から受けた恩を忘れたのか!? 誰に誑かされた!? どうして、こんなことをする! 今、バラバラになってどうする!! 俺達は――家族だろう!?」

 

「……俺は、親父の息子にはなったが――お前等と兄弟になったつもりはない。……お前等こそ、あの女にどんな風に誑かされた? 呪われた女でも、その穴はきちんと男を掴む機能くらいはあったらしい」

 

「――ッッ!? 貴様ぁッ――っ!? ま、待て! 黒金! やめろ!! ここで殺せば――家族で殺し合えば、“奴等”の思う壺――」

 

「はっ。重傷だな、“鬼”め。化け物は化け物同士通じ合うのか。傷の舐め合いは大変美しいが、お前のような薄汚れた鬼風情に、この組は渡さない」

 

「とある親切な方が教えてくれてな。あの“雪女”の使い道を。あんなんでも、親父の実の娘だ。アイツを俺の女にし、大義名分を以て、俺は――ごふぁぁつ!!???」

 

 

 

 

 

「……ああ。奴等を裏で操ってるのは、どうやらかなりやり手の弁護士らしい。……それも、札束の匂いを嗅いでトリップするくらいの相当な変態だ。……だが、だからこそ、俺達みたいなクズには強い。事実、あいつ等は自分が操られている自覚などなく、只々お嬢の身体の味わい方を焼酎片手に会議してるらしい」

 

「……分かってる。そんなことはさせねぇ。……ああ、失言だったな。俺も大分疲れてるみてぇだ。……いや、お前のせいじゃない。お前が殴らなけりゃ、たぶん俺が殴っていたさ」

 

「――だが、もう何があっても、手は出すな。それは奴等に付け入る隙を晒すのと同じだ。そういうのが、弁護士(やつら)の大好きな好物だからな」

 

「……それでも……最後にお嬢を守れるのは、お前だけだ。……ああ、慣れないことはするもんじゃねぇな。お前等のせいだからな、俺が頭脳労働(こんなこと)をする羽目になってんのは。蕁麻疹が出そうだぜ。いい加減、九九くらいは覚えやがれ」

 

「…………最近は、こんなことを言うのはフラグっていうんだっけか。……それでも、言わせてくれ。俺は目立ち過ぎた。……そして、お前もな」

 

「もし……俺に、何かあったら――」

 

 

『お嬢を――』

 

 

 

 

 

「ひゃっはぁーーー!!! 何だ、これ極上品だぜ! こんなもんをアイツ等ずっと味わってたのかよ! そりゃあ、“鬼”にもなれるわけだぜ! うっ――はっは! これで俺も鬼に仲間入りってかぁ!」

「おいおいてめぇ、まだ何人もつかえてんだよ、勝手に中に出してんじゃねぇぞ! 次は俺の番だ、その汚えケツを退けろ!」

「でも、コイツ処女だったよな。泣きながら抵抗してたしよ。そんなもんは(おれら)を興奮させるだけだって…………の…………に…………い? い、いいいいいいいやぁあああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

「お、おにぃぃぃぃいいいいいいい!!!! “鬼”だぁぁあああああああああ!!?????」

 

 

 

 

『お嬢を――頼む』

 

 

「――遅かったな。ウスラトンカチ(やくたたず)。テメェは、この綺麗な白銀を守るにゃあ、余りに――薄過(よわす)ぎた」

 

 

 

「…………くろ…………がね…………。………………ごめ……………ごめんなさ――」

 

 

 

 

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

「止め、止めてッ! たのぐあぁぁ!!?」

「く、くそばぁぐぅぁ!!?」

「ななななんだこいだぁ!!」

「な、なんでだ!? なんでこの人数で――」

 

「ハハハハハハハハ!! ハハハハハハハハ!! そうこなくっちゃなぁあああ!!」

 

「くそッ! くそくそくそぉぉおおお!! この――」

 

 

 

「――“鬼”めッ!!」

 

 

 

「……止めて。………やめてッ! 私を――私を置いて、“行かないで”! 黒金!」

 

 

 

 

 

「……………黒金。私、弱かったのかしら?」

 

 

「私は汚れてしまった。私は穢れてしまった。こんな私でも、こんな汚れた白でも、あなたは私を守ってくれるかしら? 私を誇ってくれるかしら?」

 

 

「…………ううん。あなたは悪くないわ。私が弱いのが悪いのよ。…………ねぇ、黒金。覚えてる?」

 

 

「あの日、私達は誓ったわね。……この世界は、認めない者に、酷く冷たいわ。私達は、いつだって寒い思いをしてた。凍えそうだった。――お父様は、そんな私達を暖めてくれた」

 

 

「……黒金。あなたもよ。あなたも、私の世界を暖めてくれた、大切な温もりだった。あの日、あなたに握り締められた手は、とても暖かくて――とても、力強かった」

 

 

「あなたは強いわ。でも、とても弱い。……そんな顔をしないで。私はそんなあなただから、そんなあなたとだから、一緒に強くなりたいと思ったの」

 

 

「一緒に、最強に。この世界に負けないくらいに最強に。どんな理不尽にも屈さない程に最強に。そう、誓ったわね。だから、だからね……黒金」

 

 

 

「……………………ごめん……なさい……………っ」

 

 

 

「うわっ!? 何? 何? え、飛び降り?」

「おい、誰か跳ん――」

 

 

 

 私は――あなた程、強くなれなかった。

 

 

 この世界に……私は……………耐えられない。

 

 

 ……………本当に、ごめんなさい。……………あんなこと、言ったのに………あなたを、この世界に、置き去りにすることを……………どうか、許して。

 

 

 そして……どうか――

 

 

――あなたは、世界に負けないで。

 

 

 あなたならきっと、誰にも、何にも――世界にだって、屈さない………素敵な、無敵の、最強に。

 

 

「…………………××××わ。私の……………くろ――」

 

 

 

「キャァァアアアアアアアア!!!」

「すっげ。えげつね。っていうかグロイ」

「マジでこれリアル? はー、初めて見たわ俺。この路線ホント人死にまくりな」

 

 

『ねぇ! いつか、一緒に結婚式を挙げましょう! そして、神様にこう言ってやるの! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()! ()()()()()! ってね!』

 

 

『そうよ。例え神様相手でも、負けないくらい、私達は強くなるの! 最強になるのよ!』

 

 

『ねぇ、クロ! 証明しましょうよ。私達の手で!』

 

 

『世界になんて嫌われたって、幸せになることは出来るってね!』

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 渇きが、癒えねえ。

 

 

 あの後――お嬢の死体を面白おかしく写真を撮り始めたクズ共、電車が遅れて遅刻する死ぬなら迷惑がかからないように死ねとかほざきやがったクズ共を、俺は片っ端から殴りまくった。殴り続けた。

 

 

 そして、そんな俺の姿を安全圏から撮影していた弁護士のクズ共が、組の家に乗り込み、病床の親父を叩き起こして脅し始めたのは、俺が数日間の間、街を彷徨い続けて戻ったその日のことだった。

 

 全てを弁護士がつらつらと、俺を嘲笑うような顔で言い終えた後、親父は、ゆっくりと立ち上がり、俺に背中を見せながら、言った。

 

 

 ………ったく。こんな所ばっかり、俺に似やがって糞餓鬼共が。――そう、呟いて。

 

 

『好きにしろ。好きに生きろ。この――どうしようもない、馬鹿息子め』

 

 

 俺は――俺は。

 

 

 俺は――

 

 

『…………すまねぇ…………親父』

 

 

 親父の背中に向かって拳を振り抜き――親父の前に立っていた、弁護士の顔面を思い切りぶち抜いた。

 

 途端に眩しい太陽のようなフラッシュが焚かれ、俺はそのまま――家を、出た。

 

 逃げた。逃げ出した。

 

 親父に拾われたあの家を、お嬢と過ごしたあの家を、俺は――逃げ出した。

 

 弁護士が泣き叫ぶように俺を追うように言うが――その時。

 

 

『この俺を、この家をどうしようが好きにしろ。だが、アイツは――俺の息子だ』

 

 

 俺は、その言葉を聞くことしか出来なかった。

 

 見なくても分かる。この言葉を聞くだけで――いや、あの日、あの時。

 

 クソみてえな路地裏で、雨に打たれながら無様に飢えて転がっていた薄汚え餓鬼に、腕を噛まれながらも笑みを崩さず、俺に手を差し伸べ続けてくれた――あの時から、分かっていた。

 

 俺は――俺達は、アンタみてぇになりたかった。

 

 親父みてえに、なりたかったんだ。

 

 世界を敵に回しても、どんな理不尽な目に遭おうとも、あったかけぇ笑顔で――――俺達を、守ってくれてた。

 

 そんな、最強(おやじ)に、憧れていた。

 

 

 

 

 

 俺は、あの後、汚ねえ路地裏に蹲りながら、無様に泣いていた。

 

 あの頃と違って、ただ無駄にデカくなった図体を丸めて、無様に泣いていた。

 

 無様。無様。無様だった。ただただ弱く、無力だった。

 

 俺の弱さのせいで、全部ぶっ壊れた。この世界に、理不尽に全部奪われた。

 

 家も、家族も、兄妹も――親父も――――お嬢も。

 

 

「………親父………………すまねぇ……ッ」

 

 

 すまねぇ……俺は、結局、アンタに何も出来なかった。何も返せなかった。

 

 何一つ、親孝行出来なかった。アンタに、息子と、言ってもらえたことに、俺は、仇しか返すことが出来なかった。

 

 

 そして――

 

 

「――――すまねぇ……お嬢………………ごめんな……………シロ……」

 

 

 お嬢。俺は、強くなんてねぇよ。

 

 

「弱え……俺は……なんて雑魚なんだ」

 

 

 何一つ、守れねぇ。何一つ、救えねえ。

 

 大事なもんを、何一つ守れず、こうして無様に泣き崩れている。

 

 こんな俺の、何処が強者だ? 只の、何処にでもいる、敗者だろうが。

 

 

 渇きが、癒えねえ。喉が疼く。拳が疼く。頭が痛くて、どうにかなりそうだ。

 

 

「――世界(テメェ)だけは……理不尽(テメェ)だけは……絶対に、許さねぇ……ッ」

 

 

『例え、胃袋ん中全部吐き出しても、理不尽への反抗心を失わねぇ……それでこそ、(きょうしゃ)だ』

 

 親父……俺は、アンタに褒めてもらえる程、強くなんてなかった。

 

 でも、アンタの言葉を、嘘にしたくねぇ。……この渇きが、餓えだってんなら、俺はこんなもんを捻じ伏せてでも、この憎しみを忘れねぇ。

 

 

『――強えってのは、本当の強さってのは、そんなんじゃねぇ。……世界ってのは、そんなちんけな腕力(ちから)でどうにか出来るもんじゃあ、ねぇよ』

 

 兄貴……でも、俺は、これしか知らねぇ。

 

 俺は、兄貴と違って馬鹿だからよ。……だから俺は、例え偽物(にせもん)の強さでいい、この恨みを込めてやる。

 

 

『そうよ。例え神様相手でも、負けないくらい、私達は強くなるの! 最強になるのよ!』

 

 

 ああ、そうだな、お嬢。俺はなる。

 

 

「――最強に、なるぞ」

 

 

『ねぇ、クロ! 証明しましょうよ。私達の手で!』

 

 

 ああ、証明する。力づくで証明してやる。

 

 

 例え世界から選ばれなかった弱者でも、例え世界から弾かれた孤独者でも、例え世界から認められない偽者でも。

 

 

 例え――

 

 

『世界になんて嫌われたって、幸せになることは出来るってね!』

 

 

 ああ、そうだ。証明してやる。俺の生き様で証明してやる。

 

 

「見とけよ、神様。覚えてろよ、世界」

 

 

 親父。兄貴。――お嬢。

 

 アンタ達に、俺は貰うばかりで、何も返せなかった。

 

 でも、せめて――仇は、討たせてもらう。

 

 敵は、神、世界、理不尽の全て。

 

 そして――

 

「首を洗って待ってろ――()()。俺は、必ず、お前達に復讐する」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 渇きが、癒えねえ。

 

 

 殺しても、殺しても、殺しても、俺の復讐は終わらねぇ。

 

 

 吸血鬼となり、人間共の血液をどれだけ飲み干しても、俺の渇きは癒えねぇ。

 

 吸血鬼となり、人間共の肉塊をどれだけ積み上げても、俺の疼きは消えねえ。

 

 吸血鬼となり、人間共の悲鳴をどれだけ生み出しても、俺の痛みは無くならねぇ。

 

 

 あの日が、消えねえ。

 

 あの光景が、消えねえ。

 

 

 あの、お嬢の、最後の笑顔が、消えねえ。

 

 

 あの、お嬢の、最後の言葉が――聞こえねえ。

 

 

 

『…………………××××わ。私の……………くろ――』

 

 

 ………まだだ。まだ、俺の復讐は終わらねぇ。俺の革命は――終わらねぇ!!

 

 

 俺の憎しみは消えねえ! 俺の恨みは消えねえ!

 

 

 

「俺は……俺は……俺はぁぁぁああああああああああああああアアアア!!!」

 

 

 

 俺を見ろ、神ッ!! 俺を知れ、世界ッッ!!

 

 

 俺を恐れろッ! 平伏せッ! 人間共ッッ!!!

 

 

 

 

 

『…………………()()()()()。私の……………くろ――』

 

 

 

 

 

――――ありがとう。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ザンッッ!!! と、漆黒の剣閃が――その鬼の革命に――

 

 

――長い、長い、世界への復讐に――

 

 

――終止符を、打った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 雷を斬り、雷柱ごと斬り裂き、戦い続けたその鬼の首を、陽乃のガンツソードが一太刀で跳ね飛ばした。

 

「……だろうね。アナタなら、このガスもきっと耐えきるって思った。だから、ガスが届かないギリギリの場所で、剣を伸ばして待ってたよ」

 

 これは、陽乃にとっても賭けだった。

 

 もし、黒金がガスをものともせずに雷速のまま突っ込んで来たら、その時点で陽乃の死亡は確定していた――が、スーツが死んでいる今、多少距離をとってもそれは変わらないと割り切った。

 

 よって、スーツの力が足りない分を、モーションの大きい、遠心力をふんだんに乗せた回転斬りで補い、空気を――雷を斬る一閃を放つことが出来た。

 

 フラフラで、グラグラで、剣に振り回されて、思わず無様に尻餅を着いてしまったけれど、それでも剣を振り抜くことが出来た。

 

 黒金の敗因は、最後の最期で、己の力を一撃に集中させたことだ。

 

 それは本来、自力では到底打倒不可能な敵に対して、一縷の望みを賭けて選び取るべき最終手段であり、ダメージが蓄積し、片腕を失ったとはいえ、戦闘能力(スペック)で陽乃を大きく上回っている最強の吸血鬼である黒金は、むしろ拳ではなく脚力を強化し、確実に一撃を当てるべきだった。それだけでよかった。もし、そうされていたら、スーツを破壊され機動力を失っていた陽乃は、為す術もなくあっさりと殺されていた。

 

 

 だからこそ、実力差で劣る陽乃の――全てを込めた一撃による、奇跡の逆転劇(ジャイアントキリング)を成し遂げられる可能性を生んでしまったのだ。

 

 雪ノ下陽乃は、そんな奇跡を起こす可能性を掴み取れる――本物の、生まれ持った強者なのだから。

 

 黒金と違い、世界に選ばれた――数少ない、本物の選ばれし者なのだから。

 

(……結局、あなたを最後に死に至らしめたのは……その強さへの、力への執着だったんだね)

 

 どこまでも力を求めた。全てを打倒し、全てを捻じ伏せる、圧倒的な力。

 その力の追及は、最強になっても尚、飽き足らず、餓えを満たせず、渇きを癒せず、哀しい程に貪欲で――終ぞ、己の命までも奪った。

 

 己の覇道に、己の革命に、己の戦争に終止符を打ったのは、皮肉なことに、強くなり過ぎた己の強さだった。

 

 力を求め、力に縋り、力に振り回された――己の弱さだった。

 

 

「さようなら……最強さん」

 

 

 頭部を失った黒金の巨体は、死して尚、何に向かって拳を振りかぶっていた。

 

 見えない何かに、世界という何かに、絶対に屈しないと、戦いを挑み続けるかのように。

 

 それが、黒金という、最強に成り過ぎた哀れな吸血鬼(おとこ)の、生き様で――死に様だった。

 

 

 ズズーンッと、黒金の屍が荒廃した戦場に沈んだ。

 

 ごろごろと転がってきた頭部を、陽乃はただ無表情で見つめて――

 

「……………………」

 

 ザク、と。ガンツソードで真っ直ぐに、まるで墓標を立てるように突き刺した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 Side陽乃――とある五叉路の大きな交差点

 

 

 陽乃は、黒金の頭部にガンツソードで墓標を作った後、(あ、でも吸血鬼とか言ってたから、こんなんじゃ再生とかするかも。それは面倒くさいなぁ)と思って剣を引き抜き、そのままXガンでギュイーンギュイーンと連射して、身体の方も頭とかが生えて来たら気持ち悪いのでギュイーンギュイーンギュイーンと完膚なきまでに破壊しておいた。

 

(まぁ、片目とか片腕とか治せなかったみたいだから、ないと思うけど一応ね)

 

 そして後処理を終えた陽乃は、災害の如き殺害ガスの霧が晴れてきたのを眺めながら、この後の行動をマップを見ながら考察する。

 

(……もう殆ど敵は残ってない。おそらく、この最強さんが今回のボスだったろうから、この場合はどうなんだろう? 最後の一匹まで狩らなくちゃいけないのか、それともボスを倒したからしばらくしたら転送が始まるのか……八幡はいつもボスが最後に残ったって言ってたからなぁ。……それでもこの分で行けば、そう時間もかからない内に全滅出来るかな?)

 

 陽乃も既に、今回のミッションは相当にイレギュラーであることを察している。

 最悪、ガンツの転送が機能しない事態も考えて、この場から脱出する術も考えなくては――と直ぐに思考する。

 

(はぁ……絶対警察だの自衛隊だのが動いてるしね~。事情聴取とか勘弁してもらいたいし。……頭の中の爆弾がいつ機能復帰するか分かったもんじゃないんだから)

 

 そこまで考えて、陽乃は霧の先を見遣る。

 

 南池袋公園――あちらに向かった、八幡の所へ向かうべきか否か。

 

 思案していると――その時。

 

 霧が左右に晴れていったその真ん中を、向こうから、その殺人霧に挟まれた道を、まるで赤い絨毯の道を歩いているかのように、優雅に、堂々と、粛々と――陽乃に向かって歩み寄ってくる影があった。

 

「………………? ――――――ッッ!!!?」

 

 陽乃は、その姿を見て、言葉を失い絶句した。

 

 汗が吹き出し、顔面から血の気が引いていく。

 

 喉が一気に乾き上がるのを感じるが、陽乃は、何度も口をパクパクと開けた後、一歩思わず後ずさりながらも、掠れ、粘りついた言葉を絞り出すように――その“人物”を呼んだ。

 

 

 

「……………………おかあ、さん?」

 

 

 

 この荒廃した戦場にまるで染まらない上品な着物を纏った女傑は、“娘”のその言葉に可憐に表情を綻ばせる。

 

 雪ノ下陽光(ひかり)――雪ノ下雪乃の、そして雪ノ下陽乃の、正真正銘の母親の“姿”だった。

 

 陽光は、淑やかに微笑みながら、首を僅かに可愛らしく傾げ、口元に手をやりながら鈴の鳴るような声で言う。

 

 

「――お帰りなさい、陽乃。無事に生き返ったようですね。ふふっ、お元気そうでなによりだわ」

 

 




轟雷の豪鬼、己が“最強”に呑み込まれ――池袋にて、復讐を終える。

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