比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

112 / 192
……どうして、こうなっちまったんだろうな?

 Side??? ――とある池袋の南の公園

 

 

 南池袋公園には、大勢の人間達が集められていた。

 それは、主に若い女子供。

 一か所に固められた彼女等を、複数の異形の化け物達が囲むようにして言葉を交わし合っている。

 

 少し前までは、彼等は下卑た顔で彼女達を見て舌なめずりし、実際に頬を舐めて彼女達が流す涙を味わっていたような輩もいたが、彼女達は悲鳴を上げることも出来ず、ただじっと耐えることしか出来なかった。

 

 駅前から此処に移動させられるまでの間、彼女達の親や恋人達だろうか、彼女達を化け物から救い出そうと勇敢にも立ち向かった者達がいたが――呆気なく、そしてこの上なく無残にあっさりと惨殺された。

 心臓を貫かれ、頭をもがれ、両足を持って真っ二つに引き裂かれた者達もいた。

 その光景を目の前で見せつけられた彼女達は、事此処に至る前に、既にこの化け物達に逆らう気力を失っていた。

 

 彼等は自分達の牙を自慢げに披露して我等は吸血鬼だと自称し、彼女達に自分達の血液確保(しょくじ)の為に役立ってもらうと言っていたが、それならば、それだけならば、これだけ若い女の子だけを集められた理由にはならない。

 

 つまりは、そういうことだろう。そう言う目的も兼ねて、そういう愉しみも兼ねての人選で、誘拐なのだろう。

 

 それを彼女達も良く分かっている。理解して、理解させられて、その上で、絶望している。

 

 だが、そんな彼女達の中にも、一人――たった一人、こんな絶望的な状況でも、瞳から光を、目に力を失っていない少女がいた。

 

「…………結衣さん。ごめんなさい……ごめんなさい……っ。小町が……小町が無理矢理連れてきたせいで……本当に……ごめんなさい……」

 

 女の子の集団の真ん中で、体育座りで揃えた膝に顔を埋め、涙声で――比企谷小町は、もう何度目かも分からない謝罪を、隣に座り、己の肩を抱いてくれている少女に告げる。

 

「ううん、大丈夫だよ。小町ちゃんのせいじゃない。小町ちゃんがあたしを元気づけようと誘ってくれて、本当に嬉しかったんだから。……だから、もう泣かないで」

 

 小町の顔を無理矢理起こし、その真っ赤に染まった顔に流れる涙を拭いながら、由比ヶ浜結衣は笑いかける。

 

 その笑みは、この絶望に、この地獄に、決して屈していない、未だ強い力で満ちていた。

 

「……結衣さん」

 

 小町は由比ヶ浜に縋りついて、彼女の顔を見上げる。

 どうしてこの人は、こんな状況でも恐怖に屈さずに、強く在れるのだろう。

 

 いや、でも、これは――本当に、強さなのだろうか。

 

「――あたしは……こんな所で、死ぬ訳にはいかない……」

 

 だから、絶対に、負けない。

 

 そう呟く由比ヶ浜を見て、何故か小町は無性に怖くなり、更にギュッと、由比ヶ浜に縋りついた。

 

(…………お兄ちゃん……っ)

 

 その時、再び、ドゴォォォォン!!! と轟音が響く。

 

 小町を含めて、由比ヶ浜を除いて、一か所に固められた女の子達が揃って恐怖で身を固めている。

 

 これまでも幾度となくこれと同じような轟音が、何処からか断続的に響き続けていた。

 

「……なぁ、本当に大丈夫なのか? いくらなんでも、あまりに――」

「おい、テメー! 黒金さん達がハンターなんかに負けるとでも思ってんのか!」

「だ、だってよぉ……相手は、あの黒金さんが一目置いてた目の腐ったハンターがいるチームなんだろう? も、もしかしたら――」

「はぁ……オメーラいい加減にしろ。俺達が仲間割れしててもしょうがねぇだろ」

「だってよ! コイツが――」

「大丈夫だ。あの黒金さんだぞ? 火口さんや岩倉さん達幹部も総出で、黒金組の総力を結集した革命なんだ。失敗なんざ有り得ない。俺達はここで気長に待とうぜ。そんなに不安なら――」

「ッ!! きゃ、きゃあ!!」

 

 喧嘩を始めた二人を諫めていた男が、唐突に女の子達の中の一人を、その異形の腕で掴み上げる。

 

「――(これ)でも飲んで落ち着け。なんなら、ここで〝別の味”も味わえばいい」

「……え? いいのか?」

「お前……」

「別に問題ないだろう。黒金さんを含め、幹部の方々は奴隷になんか興味ない。吸血鬼なのに、血なんて飲めればそれでいいって人達だ」

「化野さんは違うだろう。あの人、女も大好きだろう」

「あの人は変態だから、女に潔癖性なんて求めちゃいないさ。あの人の()()()()は異常だからな……。そんなわけで、ここで一人や二人、俺等が好きにしても、好き勝手にしても、誰にも文句は言われないさ」

 

 だから――と言って、その化け物は掴み上げた女の首筋を舐める。

 ひゃあっ! と恐怖で身を震わせた女が悲鳴を漏らす中、化け物の男は異形の相貌でも分かる程に醜悪に顔を歪める。

 

「お前達も、好みの女を選んで愉しめよ。どうせ戦闘班から外されたんだ。これくらいの役得くらい、あってしかるべきだろうが」

 

 そう言ってその化け物は、女の服を異様に伸びた自身の爪で器用に豪快に引き裂いた。

 

「ッッッ!! きゃぁぁぁあああああああああああああああああ!!!」

「はははははははは!! いい声で啼くじゃねぇか!! 奴隷を犯すのはこうでなきゃな!!」

 

 途端に愉しそうに高笑う同胞に、先程まで喧嘩していた二人の化け物は呆れたように首を振るう。だが、それを止めようとはしない。なんだかんだ言ってコイツ自身ストレスが溜まってたんだろうなという感想を持つ以外、特に何も思わない。

 

 こんなことは吸血鬼達(かれら)にとっては日常茶飯事で、特に精力的に人間を狩ってきた黒金組のメンバーは、行く先々の戦場で、このようなことは盛んに行っている。むしろ、それを楽しみにしている吸血鬼もいるくらいだ。

 

 そして当然、女の子達の中にも、この暴挙に抗議の声を上げる者など、いる筈がない。

 

 恐れていた危惧がこうして現実として突きつけられて、次は自分かと、いつか自分もこうなってしまうという恐怖が湧き起こり、皆、身体を寄せ合って身を縮こませ、顔を俯かせて耳を塞ぎ、現実から目を逸らすことしかできない。

 

 小町はがたがたと体を震わせ、由比ヶ浜はそんな小町を抱き締めながら、目の前の怪物達を睨み付ける。

 

(――助けて!! 助けてお兄ちゃん!! お兄ちゃん!! ………………誰か――)

 

 

 

 その時、上空に何かが通り過ぎた。

 

 

 

「――――ッッ!!!? な、何だ!?」

 

 吸血鬼達は一斉にその正体不明の何かに目を向ける。

 掴まれていた女も乱雑に落とされ、友人と思われる女性の元へ駆けていき抱き締められていた。

 

 だが、混乱していたのは吸血鬼達だけではない。

 拉致された女の子達も、その正体不明の何かに目を奪われていた。

 

「………何………あれ?」

 

 由比ヶ浜はポツリと呟く。

 その上空を物凄い勢いで通り過ぎたその何かは、ぐるりと大きく旋回し、こちらに向かって再び近づいてくる。

 

「あ、あれって、黒金さんが言ってた『邪鬼』じゃねぇのか!?」

「そ、そうか! なら、この革命はもう俺達が勝ったも同然――」

 

 そんな言葉を聞いて、邪鬼の元へと走っていった吸血鬼の一人は「おう! すげぇ! 俺、初めて見た! うはー、気持ち悪ぃ!」と言いながらはしゃいでいたが―

 

「――ッ!! おい! 馬鹿! あぶねぇぞ、戻ってこい!!」

 

 何かに気付いたような同胞の声を聞いて「――は?」とそいつは首だけで振り返る。

 

 ドンッッッ!! と、次の瞬間、その吸血鬼は、海面の餌を捕食すべく狙い澄ましたかのように、急に高度を下げて滑空してきた翼竜型邪鬼に――喰われた。

 

 正確には、その頭部だけを嘴のようなそれで噛み千切られ、一瞬で絶命させられた。

 胴体はその突撃の煽りを受けた衝撃で大きく――正確には女の子達とそれを囲むように配置していた吸血鬼達の目の前に、まるで見せつけるように吹き飛ばされて来た。

 

 きゃあぁあああああぁぁぁああああああ! という女の子達の当然の悲鳴と共に、他の吸血鬼達の混乱の声が響き渡る。

 

「ど、どうなってる!? あれは切り札として連れてきたんじゃねぇのか!! 全然俺達の味方じゃねぇじゃねぇか!!」

「結局、制御することには失敗したってことだろう!! ったく、使えねぇ野郎だ! 俺達を裏切った挙句、役にすら立たねぇとは大志の野郎ふざけやがって!!」

 

 小町は他の女の子達同様に恐慌しながらも、その言葉だけは何故か聞き留めることが出来ていた。

 

(………え? “大志”、って……?)

 

 小町は再びその翼竜を見上げる。

 そして、恐怖と嫌悪感で身体を震わし、バッ! と顔を俯かせた。

 

(……違う………そんなわけ、ない……よね?)

 

 偶々、今日は大志について考えることが多かったから、そう思ってしまうだけだ。

 偶々、自分の知っている名前が聞こえたから、過剰に反応してしまっただけだ。

 

 あんな化け物に、あんな醜悪な恐ろしい化け物に、自分の知っている大志が――川崎大志が、関わっている筈がない。

 

 そんな風に小町が必死に己の嫌な予感を吹き飛ばそうとしている時――上空の翼竜型邪鬼が大きく啼いた。

 

 

「グルァァァァァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 

 

 その余りにも恐ろしい啼き声に、小町も、由比ヶ浜も、他の女の子達も、そして吸血鬼達も恐怖で硬直する。

 

 翼竜は――再び彼等彼女等に向かって突っ込んできた。

 

「な、なんだってんだ!!」

「いいからお前等逃げろ!! 殺されるぞ!!」

 

 そう言って、化け物達は一斉に逃げ出す。

 だが、一般人の女の子達は、パニックになり恐怖で動けなかった。

 

「みんな! 伏せて!! とにかく出来るだけ地面に伏せて!!」

 

 そう大きな声で指示を出したのは、由比ヶ浜だった。

 

 女の子達がその声に従って一斉に伏せ始め、由比ヶ浜も「小町ちゃん!」と小町の上に覆い被さるようにした。

 

「ギャァァァァァァアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 ビュオンッッ!! という風切り音と共に、翼竜が再び自分達のすぐ上を通り過ぎた後、そんな悲鳴が翼竜と一緒に通り過ぎて行った。

 

 翼竜は、その嘴に一体の吸血鬼を咥えていた。

 その吸血鬼は、つい先程、この戦争に対する不安を吐露していた吸血鬼だった。

 

 余りにその吸血鬼の抵抗が激しかったのか、それとも咥えたのは只の気まぐれだったのか、翼竜は再び高度を上げていく途中で、その吸血鬼をあっさりと地面に落とした。

 

「あ、うわ、ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!!!!」

 

 そして、ぐちゃっ! と果実が潰れるような音と共に、その吸血鬼は絶命した。

 

 その死がきっかけになったのか、女を犯そうとしていた吸血鬼が、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「……逃げるぞ」

「――何?」

 

 つい先程、たった今絶命した吸血鬼と喧嘩を起こしかけた好戦的な吸血鬼が、その震える言葉に対し怒気と共に問い返すと、そんな怒りなどものともせずに、切羽詰った表情で好色の吸血鬼は喚き散らした。

 

「このままだと全員あの邪鬼に殺される!! だから逃げるんだよ!! それぞれ連れていけるだけの女を連れて、さっさとこの場から離れるんだ! 急げ!!」

 

 そう言ってその吸血鬼は女の集団に向かって駆け出す。

 もう一人の吸血鬼も、上空で旋回している邪鬼を見て、舌打ちしてその提案に従った。

 

 残った吸血鬼達がそれぞれ見繕った女を強引に引っ張り上げ、連れ去ろうとする。

 そして、つい先程女を犯そうとしていた好色の吸血鬼が目を付けたのは――由比ヶ浜結衣だった。

 

「おい! 立て、女!」

 

 ギラギラと血走った眼で由比ヶ浜を見下ろすその吸血鬼に対し、小町は由比ヶ浜にしがみ付いて、そして由比ヶ浜は――伸ばされたその手を力強く弾いた。

 

「――やだ。絶対、いや」

 

 そう言って、その血走った目を強く睨み返す。

 

 吸血鬼は、そんな由比ヶ浜の態度に額に青筋を浮かべ、強引に襟元を掴み上げて、無理矢理に立たせる。

 

「ッ!! 人間がぁ!! さっさと俺に従え! ぶっ殺すぞ!!」

「っ! いやぁ! やめて! 結衣さんを放して!!」

 

 由比ヶ浜はそれでも吸血鬼を睨み続け、決して屈さなかった。

 小町は由比ヶ浜にしがみ付きながら、必死に離せと懇願する。

 

「ッッ!! クソが!! 離れろ、ガキがッ!!」

 

 吸血鬼は苛立ち紛れに、小町を足蹴にしようとする。

 由比ヶ浜が庇うように手を伸ばして、小町はギュッと目を瞑り力の限り叫んだ。

 

「ッ!! 助けてぇぇええええ!! お兄ちゃぁぁぁん!!!!!」

 

 

 ドゴッ!! と、突然、由比ヶ浜を掴み上げていた吸血鬼が吹き飛ばされた。

 

 

「……え?」

 

 その呟きは、果たして由比ヶ浜のものだったのか、それとも小町が発したものなのか。

 

 呆然とする由比ヶ浜の肩を、突然現れた漆黒の全身スーツの男が、優しく抱き締める。

 

 由比ヶ浜にしがみ付く小町は、その存在を見上げて――目を見開いた。

 

 

 

「……お兄……ちゃん?」

 

 

 

 その声に、バッと由比ヶ浜も振り返り、己に寄り添うその男を確認する。

 

 

 

「……ヒッ…………キー?」

 

 

 

 漆黒の全身スーツの男――比企谷八幡は、二人に対し向き合う前に、ガッ! と力強く由比ヶ浜を己の胸に抱きしめると――

 

「小町!! 俺にしがみ付け!!」

 

 と、鋭く叫ぶ。

 

 小町は兄の迫力の篭った声に反射的に従い、兄の腰に強く抱き付いた。そして、小町が兄が身に着けている謎の光沢のスーツの感触に戸惑っている間に、八幡に殴られた男がゆっくりと身を起こす。

 

「き、貴様、ハンタ――」

 

 だが、最後まで言葉を言い切る前に、ギュイーンッ! という甲高い発射音が響いた。

 

「な――」

 

 吸血鬼が絶句している間に、八幡は他の吸血鬼にXガンの銃口を向ける。

 

「目を瞑って伏せろッ!!」

 

 八幡のその指示は誰に向かって放たれたものかは不明だったが、吸血鬼に捕まっていない女の子達は、全員が反射的にそれに従った。

 

 吸血鬼は突然現れたハンターに混乱し、次々と仕留められていく。

 

 中には八幡に向かって襲い掛かってきたり、捕まえた女の子を盾にするものもいたが、八幡は的確に対処し、距離が近い者を優先的に、盾にする者はそれよりも先に頭部を撃ち抜き、瞬く間に全ての吸血鬼を殺し尽くした。

 

 由比ヶ浜は、そして小町は、激しく体の向きを変えながら、それでも一歩も動かずに敵を屠り続ける八幡の顔を呆然と見上げていた。

 

 その顔は硬く、その表情は冷たかった。それは、自分達が知らない比企谷八幡であり、ずっと、この半年間、見続けてきた比企谷八幡のようでもあった。

 

「……ヒッキー」

「……お兄ちゃん」

 

 そして、全ての吸血鬼が破裂し、絶命すると、八幡はゆっくりと由比ヶ浜と小町を引き離した。

 

 複雑な表情で八幡を見る小町と由比ヶ浜に、八幡は俯いていた顔を上げて、ゆっくりと言葉を掛ける。

 

「……小町……由比ヶ浜」

 

 その顔は、笑っているようでもあり、泣いているようでもあった。

 

 

 

 

「……どうして、こうなっちまったんだろうな?」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 Side八幡――とある池袋の南の公園

 

 

 小町。そして、由比ヶ浜。

 俺が絶対に巻き込みたくなくて、これ以上傷つけたくなかった存在が、今、こうして、俺の目の前にいる。

 

 この戦場に――こんな地獄に、居る。

 

「……………」

 

 俺はゆっくりと宙を見上げる。

 

 どうしてこうなっちまったんだろう。

 

 こんなことにだけは、絶対になってほしくなかったのに。

 

「……ヒッキー」

 

 由比ヶ浜が瞳に涙を浮かべて、両手を不安そうに握り締めながら、俺を見る。

 

 俺は、再び――この女の子を、傷つけた。

 

「……悪かったな、由比ヶ浜。……また、お前を巻き込んだ」

「ヒッキー…………ッ」

 

 きっと、由比ヶ浜は気付いている。こいつはアホの子だが、大事なことには俺達の中の誰よりも敏感な奴だ。

 

 そう。いつも、由比ヶ浜は正しかった。いつだって、由比ヶ浜は誰よりも強かった。

 

 だからきっと、誰よりも痛みを抱えて、誰よりも傷ついていた。

 

 俺はもう、逃げられない。

 

 こいつに与えた傷と痛みから、俺はもう逃げられないんだ。

 

「あ、あの、あなたは――」

「おい」

 

 それでも俺は、由比ヶ浜から、小町から、その全てから背を向ける。

 

 この期に及んで、正々堂々と向き合わない。もう逃げられないと、分かっているのに。

 

 それでも俺は、彼女達に背を向けて――化け物と向き合い、銃を構える。

 

 俺は、背後の女達に向かって、感情を込めない声で言った。

 

「俺は今から、あの化け物を殺す――巻き込まれて死にたくなければ、さっさとこの場から消えろ。邪魔だ」

 

 そして、先程、吸血鬼達を屠ったXガンを見せつける。

 彼女達は分かりやすく身を震わせたが、逃げ場所など心当たりがないのか動き出すのに躊躇する。

 

 俺は、Xガンの銃口を女達に向けた。

 女達だけでなく、小町も恐怖で身を震わす。由比ヶ浜は動じずに俺を見詰め続けていた。

 

「聞こえなかったのか? ――邪魔だから、消えろ」

 

 そして、ようやく女達は、悲鳴を上げてこの場から逃げていった。

 

 残ったのは、由比ヶ浜と、そして――

 

「……お兄、ちゃん」

 

 小町は今朝と同じように、俺に対して本気の恐怖の目を向けていた。

 

 今の俺は、完全にガンツミッションにおける戦闘モード――戦争モードになっている。

 

 そんな俺は、そんな鬼は、さぞかし小町には恐ろしく映っているだろう。先程の吸血鬼と同じように。

 

「……由比ヶ浜」

 

 だから俺は……俺は。

 

 俺は、俺は、俺は。

 

 あの時と同じ、罪を犯す。

 

 

『――――由比ヶ浜。雪ノ下を頼む』

 

 

 あの時と同じように、この優しい女の子を傷つける。

 

 こんな時ばかり都合よく、俺は由比ヶ浜結衣を利用する。

 

 前を向いた。背中を向けた。決して真っ直ぐ向き合わない。この極悪非道な卑怯者は――――俺は……俺は…………俺は……………っっ。

 

 俺は、必死に荒れ狂う感情を押し殺して、その残酷な言葉を由比ヶ浜に告げた。

 

 

 

「――――由比ヶ浜……小町を……………頼む」

 

 

 

 頭は下げない。振り向きすらしない。

 

 最低で、最悪な所業だった。下衆の、下劣の極みだった。唇を噛み千切らんばかりに噛み締めても、身体の震えが止まらなかった。

 

 由比ヶ浜は、どんな表情をしているだろうか。

 

 ここまで下衆かと蔑んでいるだろうか。呆れているのだろうか。

 

 それとも、ここまでしても、ここまでされても、まだ――あの時のように、微笑んでくれているのだろうか。

 

 痛みを堪えて、涙を堪えて、俺を――――許してくれるのだろうか。

 

 そのどれであっても、どんな顔であっても、俺は見たくない。

 

 だから俺は、こうして無様にも、卑怯にも、決して許されないと知っていても、そんな資格は俺にはありはしないと思い知っていても、彼女の方を振り向けない。

 

 こんな格好悪い姿、由比ヶ浜にだけは、見られたくなかった筈なのに。

 

「――分かった。任せて、ヒッキー」

 

 その言葉を聞いて、その声色を聞いて、安堵した自分を、俺は呪う。

 

 ふざけるな。由比ヶ浜がこう言うなんて、分かっていたことだ。

 

 由比ヶ浜にこう言わせたのは、いつだって、いつだって――俺なんだから。

 

「……だからっ! ヒッキー……」

 

 だが、由比ヶ浜は、力強く俺の傲慢な押し付けを受け入れてくれた後、途端に声色を濡らし、湿った声で、こう言った。

 

 

 

「……帰って、きて。……ずっと、待ってるから。……いつまでだって、ずっと、ずっと……あたし、待ってるから!」

 

 

 

 由比ヶ浜は、俺に、そう、言って――

 

 

「――――――――――ッッッッ!!!!」

 

 

 俺は、反射的に叫びそうになった。

 

 今すぐに振り返って、とにかく無心に由比ヶ浜を抱き締めたくなった。

 

 だが、ダメだ。そんなことは、許されない。そんな資格は、俺にはありはしないッ!

 

 ……すまない。…………すまない、由比ヶ浜。

 

 その約束は、俺にはもう、叶えられないんだよ……由比ヶ浜。

 

 俺はもう……戻れないんだ。後戻り、出来ないんだよ。

 

 何処にも逃げられない。戻る場所なんて、俺にはない。

 

 

 あの黒い球体の部屋から、俺はもう出られないんだ。

 

 

「――行こう! 小町ちゃん、逃げよう!」

「あ、ゆいさ――ッ! お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

 

 由比ヶ浜は、小町を連れて行こうとしているんだろう。

 

 ……そうだ。それでいい。

 

 小町……。

 

 お前だけは、絶対にこっちに来ないでくれ。

 

「お兄ちゃん!!」

 

 その小町の、何かが篭った悲痛な叫びに、俺は――思わず振り向いてしまった。

 由比ヶ浜は既にこちらを向いておらず、俺に向かって手を伸ばす小町の手を引いていた。

 

 ……大丈夫だ。大丈夫だよ、小町。

 

 お前だけはきっと、守り切ってみせるから。

 

 

 小町。お前は、今から行う俺の所業を、たぶん許してはくれないだろう。

 

 ずっと一生、俺を憎く思うかもしれない。殺したいと思うかもしれない。

 

 

 それでも俺は――大志を殺す。

 

 きっとお前は、二度と俺のことをお兄ちゃんと呼んでくれないだろうな。

 

 

 それでも――お前を守る為なら俺は、なんだってしてみせると決めたんだ。

 

 どんな罪でも背負うと決めた。だから俺は、どんなことだって、してみせる。

 

 

「――――ッッ!! お兄ちゃん!! お兄ちゃぁぁぁあああああん!!!」

 

 

 だから――さよならだ、小町。

 

 

 大好きだった。いつまでも愛してるぜ。世界一可愛い、俺のたった一人の妹よ。

 

 

 ゴメンな。こんなごみいちゃんで。

 

 

 ありがとう。こんな俺を、お兄ちゃんと呼んでくれて。

 

 

 お前が妹で、俺は本当に幸せだった。

 




理性の化け物は、醜悪なる己を呪い――ただ、妹の幸せを願う。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。