まぁ、でもこいつらに出会えたなら、碌なことなかった俺の人生にも、ちったぁ意味があったのかもな……。
これは、とある孤独に塗れた少年と、黒い球体の物語。
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もし、運命なんてものがあるというのなら、それはどんな形をしているのだろう。
下らない例えだとは思うが、どうか聞いてくれ。
そもそもこんなことを言い出すこと自体、どうしようもない戯言で、泣き言で、世迷言だということは分かっている。実際、これは恨み言なのだろう。
どうしようもなく、救いようのない男の恨み言だ。
色んな人に迷惑をかけて、色んな奴を不幸にして、色んな人生を台無しにしてしまった、これは恨み言なのだろう。
そう、恨み言だ。こんな結末を迎えておいて、こんな状況を作り出しておいて、あろうことか放つのが、運命なんて言うものに対する恨み言だというのが、どうしようもなく俺らしい。
性根の根元から腐りきっている。ああ、やはり救えない。
こんなことに成り果てるのも、当然と言えば当然の報いか。
いや、まさしくこのふざけた有様こそ、運命なのかもしれない。
俺という――比企谷八幡という腐りきった男の、迎えるべき当然の末路なのだと。
真っ白な化け物が、俺の上に馬乗りになり、咆哮と共に俺を殴り続ける。
それは、まるで泣いているようだった。
俺に拳を叩きつける度、まるで自分が苦しんでいるようだった。
対して俺は、何も感じない。
とっくの昔に、壊れ切ってしまったかのように、俺は何も感じない。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
運命とは、一体どんな形をしているのか。
選ぶべき選択肢によってルートが変わり、辿り着く結末が変わるといった仕様なのだろうか。
例えそうだったのだとして、こんな結末に辿り着いてしまった俺は、一体どこでまちがえたのだろう。
俺は、一体、いつ、どこで、何をまちがってしまったのか。
俺の運命は、俺の物語は、俺の結末は。
いつ、どこで、こんなにもまちがってしまったのだろうか。
奉仕部に連れていかれた、あの時か。
文化祭で全校生徒の嫌われ者になった、あの時か。
京都の幻想的な竹林で嘘告白をした、あの時か。
生徒会長選挙で一色いろはを生徒会長へと唆した、あの――時か。
それとも――あの日。
あの、黒い球体の部屋へと、誘われた、あの時から。
俺は、こうなる運命だったのだろうか。
「……ころ……せ……」
俺は請う。
この、真っ白の化け物に。ゆっくりと、手を伸ばして。
どうか、どうか、どうか。
「……ころせ……俺を――」
――殺してくれ
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時計の針が、この空間を終わらせる時刻を告げる。
この、既に終わらせるまでもなく終わってしまった、冷たいこの空間を。
「……それじゃあ、今日はもう終わりにしましょうか」
「……そうだな」
「……そうだね」
俺は今日もただ開いたままで読みもせず、ずっと文字列を眺めたままだった文庫本を鞄に仕舞う。
あの生徒会選挙が終わってから、この奉仕部の空気はずっとこんな感じだった。
沈黙を恐れて意味のない会話を矢継ぎ早に行い、上っ面だけを取り繕った馴れ合いを繰り返す。
俺は、かつてこのような欺瞞を最も嫌った――筈、だった。
だが、今の俺にはこの関係を終わらせることなど出来なかった。
もうすぐ二学期が終わり、今年が終わる。
あれほど守りたくて、結果的に守れた筈の居場所なのに、今は凄く――居心地が悪い。
「じゃあ、帰ろっか」
「……悪い。ちょっと平塚先生に呼ばれてんだ。先に帰ってくれ」
「……そっか。じゃあ、また明日ねヒッキー」
「また明日ね、比企谷くん」
別方向に帰っていく雪ノ下と由比ヶ浜に片手を挙げて別れる。
また明日。
そう。明日も明後日も続いていく。
例え二学期が終わって、年を越しても、また同じような時間を過ごすのだろう。同じような時間を作るのだろう。
意味のない会話を重ね、沈黙を作らないよう腐心し、表面だけを取り繕う。
そんな、かつての俺が鼻で笑い、嫌悪していた行為を、恥ずかしげもなく続けるのだろう。
これが、俺の行いの結果だ。人の感情を理解できない理性の化け物の、成れの果てだ。
俺は自身の考えうる中で最善の策をとった。
もし、人生にセーブポイントのようなものがあるとして、過去の行動が選び直せるとしても、俺には意味がない。選ぶべき選択肢がないのだから。
だから、俺は悔やむというなら人生のおよそ全てに悔いている。
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平塚先生から解放されたのは、午後6時を過ぎた頃だった。
冬場の6時となれば外はすっかり真っ暗だ。その上ついてないことに、今朝は降っていなかった雨まで降っている。
平塚先生に呼び出されたのは、かつてのように作文の内容に色々と文句を言われたからだったが――それは、口実だろう。
途中からは、今の奉仕部の雰囲気について色々と気を遣ってくれていたような内容だった。更に俺にまで気を遣ってくれたのか、直接的な表現を避けて。
いい先生だ。紛れもなく、俺の恩人と言っていい。
だからこそ、そんな風に気を遣わせてしまったことを申し訳なく思う。
「………………」
はぁ……それにしても、どうしたものか。
今朝はチャリで来たが、この雨だと相当濡れて帰る羽目になりそうだ。傘は持ってきていない。
最悪それでもいいが、今日は正直、濡れたい気分ではなかった。
「…………」
……まぁ、たまにはバスで帰るのもいいだろう。
こんな時間なら、早々知ってる奴には出くわすまい。
…………そう、思っていたのに。
「――あれ? ヒキタニ君じゃないか。珍しいな、こんな時間まで学校にいたのか?」
……よりによって葉山かよ。なんなの? 最近のお前とのイベントの多さは。こんなの海老名さんしか幸せにしねぇよ。
「………平塚先生に捕まってな。お前こそ、何でこんな時間まで残ってたんだ? この雨じゃあサッカー部は早上がりだろう」
「監督と今週末の練習試合のメンバーを話し合っててな。思ったより遅くなった」
「そうかい」
このクソ寒い中で練習試合とかアグレッシブだな。いや、サッカーはむしろ冬が本番だったか? 興味ないから知らんが。
その二往復のキャッチボールで俺達の会話は終わる。
俺は前の扉に一番近い一人席に着席。目的地に着いた時にいの一番に降りることが出来、尚且つ誰か知らない人が隣に座って気まずい思いをすることのないという、バスに乗る時の俺の指定席だ。今は俺の他には葉山しか客はいないが。
ちなみに葉山は俺と離れた斜め後方の二人席の窓側だ。
これまでの葉山隼人という男ならば、俺がクラスメイトというだけで、俺の近くの、それこそ吊り革にでも掴まって、当たり障りのない会話を義務のようにしてきたかもしれない。
そんなコイツとも、先日の生徒会選挙の時に一悶着あり、こんな関係になった。
奉仕部とは違い逆に沈黙を恐れなくなったというのだから、皮肉な話だ。
こいつとの沈黙は決して心地いいものではないけれど、だからといって会話をしようとは露ほどにも思わない。雨が降っていても思わない。
家に着くまでの数十分程度の我慢だ。大したことはない。
ピーという音が鳴り、扉が閉まろうとする。出発のようだ。
俺は音楽でも聞こうと休み時間のお供である音楽プレーヤーを取り出し、イヤホンを耳に当てようとすると――
「すいませーん! 乗ります!」
一人の女生徒が走ってくる。
プシューと扉が再び開き、バスがその女生徒を迎え入れた。
その女生徒は、濡れた髪を弄りながら「もう、最悪……」とか言いながら乗り込んでくる。
顔を見ると、そいつは知っている女子だった。
相模南。
ちょっと前に色々あって、今じゃあ顔を合わせても挨拶しない程度の関係に落ち着いたどうでもいいやつだ。ていうかコイツこんな時間まで何してんだよ。部活に青春してるようなキャラじゃないだろ。興味ないから部活に入ってるかどうかなんて知らんけど。
一瞬こっちと目が合うが、そのままノーリアクションで後ろの席に向かう。
露骨に目を逸らしたりしない。嫌悪に顔を歪めたりしない。
どうでもいいやつ。俺と相模のお互いの立ち位置はその辺に決まった。
人生な中で出会う人達の、およそ大多数が占められるその位置に。
あの相模ともこのような関係に、言うならば修復することができたのだ。
ならば、今の奉仕部もしばらくすれば、またあの時のような居場所に修復されるのだろうか。
……それとも、このまま――
「え? 葉山君!? うわぁ~偶然! こんな偶然あるんだ~! 凄い偶然!」
なにやら相模がうるさい。どうやら思わぬ場所で葉山に会えて舞い上がっているようだ。
乗客が俺達しかいないからいいものの、普段のバスなら確実に迷惑行為だ。普段はバスに乗らんから普段のこの時間帯のバスがどれぐらい混んでいるかなんて知らんけど。
っていうかさっきから知らんけど多いな。俺は脳内でまで誰に対して言い訳してるんだ。
相模はまだキャーキャー言っている。
まるで街で偶然芸能人に会えたミーハーな一般人みたいなテンションだ。……自分で例えといてなんだが、凄くしっくりきた。二人ともハマり役過ぎてびっくりした。
そうこうしている間に、バスは出発する。
相模と葉山はザ・何気ない会話を繰り広げている。なんでも相模は数学の課題をやっていなかったから、図書室で勉強していてこんな時間になったらしい。
相模のようなタイプはどんな時でもお友達と一緒と思ったが、勉強ぐらいは一人でするようだ。まぁ、俺達も4月からは受験生だしな。
……そう。4月からは受験生。部活も徐々に引退し、勉強一本となるだろう。
運動部のように明確な大会がないので分かりづらいが、それでもずっと活動し続けるというわけにはいかないはずだ。
終わりが来るのだ。どんなものにも。
もちろん奉仕部にも――俺達3人にも。
……だめだ。せっかく濡れるのを避けたのに、バスの中でまでこんな思考をしていたのではバス代がもったいない。
俺は今度こそイヤホンを装着し、相模と葉山の会話も、雨の音も、余計な思考もシャットアウトしようとする。
適当にシャッフルモードで再生したら、それは俺のアニソン満載のレパートリーには珍しいJ-POPのバラードだった。
愛と再会と希望を歌った、綺麗なバラード。正直、俺の趣味じゃなかった。いつ入れたのだろうか。
……まぁ、たまにはいいか。
現在は6時半。まだ今日という日は四分の一ほど残っているけれど、俺が――いやおそらくは全国の学生の大多数が一日の終わりを感じるのは、この下校中だ。
一日の終わりを、こんな綺麗なバラードで締めくくるのも悪くない。
そうして、俺は目を閉じ、冷たい窓にもたれかかる。
+++
だから、決定的な場面を、俺は覚えていない。
それは、俺が乗っていたバスが交差点を突っ切ろうとしたときのことらしい。
俺は目を瞑っていた。だから、バスが信号無視をしたのか、それとも軽トラックの方だったのかは知らない。
とにかく、俺の乗っていたのとは逆側の側車部に、軽トラックが突っ込んできた。
よく覚えていない。
イヤホン越しにも聞こえる相模の悲鳴。どちらからか――もしくは両車両から発せられるクラクションの甲高い音。
そこで、俺の記憶は途切れている。
次に覚えているのは、現実感のない激痛と、真っ赤に染まって何も見えない視界。
そこで覚えたのは、猛烈な死の予感だった。
怖い。怖い。痛い。怖い。怖い。怖い。痛い。怖い。
死ぬのってこんな怖かったのか? クソっ、聞いてねぇよ。
だが、何もできない。
バトル漫画みたいに死にかけるような重傷を負いつつも気力で立ち上がるなんてことは絶対に無理だ。顔を動かして葉山や相模の様子を確かめることもできない。
初めて味わう感覚ばかりで現実感がまるで湧かない。
その時、未だあのバラードが耳元で流れ続けていることに気付く。
その希望溢れる歌詞が、現実のこの光景とあまりにミスマッチで逆に笑えてきた。
だが、現実は一向に変わらない。死へと一直線に向かっていることが分かる。
すると、真っ先に浮かんだのは、雪ノ下と由比ヶ浜の顔だった。
……よかった。ここで黒歴史ばかりの俺の人生の走馬灯なんて流されたらどうしようかと思ったぜ。どうせなら小町と戸塚も加えてくれりゃあよかったのに。
まぁ、でもこいつらに出会えたなら、碌なことなかった俺の人生にも、ちったぁ意味があったのかもな……。
視界が真っ赤から真っ黒に変わり始めたころ、俺の意識が遠くなりはじ――――
こうして、比企谷八幡は黒い球体の部屋へと誘われる。