ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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※作中にR-15的な表現、キザな表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※8/25:文章を一部修正しました。キングズ・クロス駅でのイオとルシウスの会話付け足し。


Petal19.新たな幕開け

 やがて夜が明けるまでドラコはイリスと寄り添って眠り、ハリー達が朝の挨拶をするために戻って来るのを待った。ロンとハーマイオニーはカーテンを開けてマルフォイを見つけたとたん、びっくり仰天していたが、ハリーが前もって二人に事の次第を説明していたために、それ以上騒ぎが大きくなる事はなかった。気を遣ったマダム・ポンフリーが人数分のオートミール皿を持って来てくれ、それを食べながら五人はこれからの事を話し合った。

 

「今後について、君達に話しておきたい」ドラコはオートミールをかき混ぜながら、口を開いた。

「”君達”!」ロンが皿の中にスプーンを取り落とし、絶句した。

「なんて親しみの籠もった呼び方なんだ・・・もしかして僕ら、()()()()()()()の関係に戻ったって訳かい?」

「僕らがベストフレンドになる事は永久にない。ぺちゃくちゃウィーズル!」

 

 ドラコは不機嫌な感情を剥き出しにしてバシッと言い切った後、ショックを受けた様子のイリスの頭を宥めるように優しく撫でてから、再び話し始めた。

 

「僕はマルフォイ家の人間だ。そして今、僕の父は死喰い人の中で非常に高い地位にある。恐らく僕は近い将来、父と同じ道に進むだろう。いずれは敵として、君達の前に立ちはだかる時もあるかもしれない。だから記憶を取り戻したからと言って、仲良くするような真似はよしてくれ。今まで通り・・・」

「でも、完璧に”今まで通り”じゃない。そうだろ?」ハリーは冷静に言った。

「僕らは共通の敵と目的を持ってる。”ヴォルデモート”と”イリスを守る事”だ。だから表面上は敵同士でも、本当はそうじゃない。僕らは()()()()だ」

「”陣営”?素直に友達って言ったらどう?」ハーマイオニーが呆れたように口を挟んだが、ハリーは無視した。

「理解が早くて助かる」ドラコは青白い顔をわずかに赤らめながら、オートミールに口を付けた。

 

 やがてベッド周りのカーテンが明るいオレンジ色の光に照らされ始めた。――朝日が昇ったのだ。マダム・ポンフリーが窓を開けたのだろう、カーテンの隙間から鳥のさえずる声と共に爽やかな風も吹き込んで来て、子供達の頬を優しく撫でた。いまだに”今後のマルフォイへの接し方”が分からず、首を傾げているロンと、その様子に頭を抱えるハーマイオニーをどこか拍子抜けしたような顔で見つめながら、ドラコが口を開いた。

 

「ポッター、君が二人に話しておいてくれたんだろ?こんなに早く話がまとまると思わなかった。もっと手こずると思っていたから。・・・手間を掛けたな」

「いいんだ」ハリーは静かに言った。

「”僕の妹”を宜しく頼むよ。君が義弟になるのは正直、反吐が出そうだけどね」

「・・・妹?どういう事だ?」ドラコが眉を潜めた。

 

 イリスは、ハリーと兄妹の仲になった経緯をドラコに話して聴かせた。すると彼はとてつもなく底意地の悪い笑みを浮かべて、こう言った。

 

「へーえ、随分と()()()()に逃げたじゃないか?君はシーカーよりもスニッチの方が向いているんじゃないのかい?」

「スニッチ向きなのは君だろ、マルフォイ?」ハリーは実に爽やかな笑顔で応えた。

「記憶を失くしている間、イリスをこっぴどく傷つけた。君はその事実から華麗に逃げ続けてるじゃないか。それとも記憶を取り戻した拍子に、都合の悪い事は全部忘れちまったのかい?」

 

 ドラコの青白い頬がさっと赤味を帯び、二人は互いに”これ以上の憎しみはない”と言わんばかりの目付きで激しく睨み合った。――やっぱり、どうあっても二人は敵同士だった。イリスはその様子をハラハラしながら見守り、やがて胃を摩りながら大きな溜息を一つ零すのだった。

 

 

 それから学期末の宴が始まるまでの一ヶ月、イリスは信じられないくらいにずっと幸せだった。毎日朝起きてから夜眠るまで、楽しくワクワクする事が目白押しで、とても忙しかった。”ダービシュ・アンド・バングス魔法用具店”から取り寄せたパンフレットをテーブルに広げて、どんな素材やデザインの手袋にするか、ハリー達と話し合ったり、談話室の特等席でチェスや”爆発スナップ”、”ゴブストーン・ゲーム”に興じたり、めでたくW.A.D.Aに就職が決まったアンヌ達のお祝いをしたり、無事に元気な三つ子を生んだミセス・ノリスとクルックシャンクス達のところへお見舞いに行き、素敵な名前を付けたり・・・などなど。

 

 ドラコは授業の合間の休み時間や食事の時間などを利用して、一日に数回、一度の逢瀬は数分程度という短いものではあったが、度々イリスに会いに来てくれた。二人は他愛のない話をしたり、見つめ合ってハグやキスをしたり、ドラコが取り寄せてくれたミニチュア版の”魔法使いのチェス”を一手ずつ進めたりした。

 

 ドラコとの仲が戻ってから、イリスは見違える程に明るく元気になった。彼女はドラコと一緒にいる時だけワガママになり、屈託なく甘えるようになった。それは今まで、彼女の周りで際限なく起こり続けた――辛く悲しい出来事を一人で溜め込んで来た事への反動でもあったのだが、ドラコもそれをきちんと分かっていて、躊躇う事無くイリスを受け止め続けてくれた。

 

 ――”第三の課題”の夜に何があったのかという事は、まだ学校じゅうの人々は誰も知らなかった。病み上がりのイリス達が質問攻めにされる事態を憂い、ダンブルドアが直々に朝食の席で、皆に”イリス達に話をせがんだり、質問したりしないように”と諭したのだ。

 

 しかし、人の口に戸は立てられない。もしかしたら一部の生徒の家族の中に、魔法省で勤めている者や、”闇の陣営”に与する者がいたのかもしれない。誰かの口からこっそりと零れ落ちた”噂の種”は、ホグワーツの床で芽を出してじわじわと成長し、やがて学校じゅうを覆い尽くす森になった。

 

 半数の生徒は、イリスと廊下で出会うと目を合わせないようにして避けて通るようになった。彼女が通り過ぎた後で、頑丈な布で覆われた右腕を見ながら、手で口を覆ってヒソヒソ話をする者もいた。けれども、イリスは何も気にならなかった。ハリー達やグリフィンドール生、ハッフルパフ生の皆は変わらず暖かく接してくれる。それに何より、今の自分にはドラコがいるのだ。

 

 

 それから数日後、イリスはドラコと一緒にスネイプ先生のいる地下牢へ向かった。――彼のお蔭で自分達は再び巡り合い、より固い絆で結ばれる事が出来たのだ。改めてきちんとお礼が言いたかった。スネイプは二人を見たとたん、ほんのわずかに微笑むと、地下牢の中へ招き入れてくれた。二人は真剣な顔つきを見合わせると、しっかりとした口調で、恩師に心からの感謝の言葉を送り、頭を下げた。スネイプは険の取れた――とても穏やかな表情を浮かべて、満足気に頷いた。

 

「君達は”お互いにないもの”を持っている」スネイプは二人を交互に見て、静かに囁いた。

「それぞれの欠点を補い、高め合う事ができれば、どんな厳しい試練も必ず乗り越えられるだろう」

 

 スネイプは二人の性質を良く見抜いていた。――ドラコは狡賢くしたたかな世渡り上手だが、疑り深い性格が災いして真実を見落とす事がある。一方のイリスは動物のように純粋な感性を持っているために、一目で真実を見抜く事ができるが、人の悪意や姦計にめっぽう弱い。まるで陰と陽のように二人は正反対の性質を持ち、そしてぴったりと寄り添い合っていた。

 

 恩師の言葉をしっかりと心の中に留め、二人は愛情の篭もった目でお互いを見つめ合う。やがてドラコがふとスネイプを仰ぎ見て、口を開いた。

 

「先生。もし可能であれば、ホグズミード村へ二人で観光に行く事を特別に許可して頂けないでしょうか?・・・イリスが”僕と一緒にデートをしたい”と駄々を捏ねるのです」

 

 たちまちイリスは耳まで真っ赤になって、ドラコの影にさっと隠れた。それは彼と世間話をしている時に、時々自分が口にしていたワガママだった。――いくらドラコとの仲が戻っても、学校内でのお互いの立場は変わらない。二人の親密な関係は、他の生徒達には絶対に気付かれてはならない事だった。ドラコはまだルシウスから許嫁の話を聴いていない。今の状況で白昼堂々ホグズミード・デートなんて、絶対に無理だ。しかし叶わぬ夢だからこそ、イリスは尚更憧れた。

 

 でも、まさか、ドラコがそれを――よりによってスネイプ先生にお願いするなんて。厳格な彼は絶対に怒るに違いない。イリスはこわごわとスネイプを仰ぎ見たが、なんとも驚くべき事に――彼は怒るどころか、優しく微笑んで頷き、杖を振って二人分の許可証を創り出しながらこう言った。

 

「では特別に許可証を出そう。校長先生やマクゴナガル先生には、私から言っておく。二人のアリバイも何とかしよう。ただ念のためにいつもとは違う服を着て、髪や目の色も変えなさい」

 

 ――イリスはウサギのようにピョンと跳び上がって喜び、明るい歓声を上げてスネイプに抱き着いた。二人は改めてスネイプにお礼を言い、地下牢から地上を繋ぐ階段を元気良く駆け上がって行った。

 

 一方のスネイプは険しい表情を湛えて、その後ろ姿を見送った。――あの二人がこれから進むのは、茨の道だ。いくらお互いの短所を補い合うと言っても、所詮は子供に過ぎない。敵はヴォルデモートだ。

 

 その時、二人の行く末を案じるスネイプの視界がふと揺らいだ。二人の後ろ姿が眩いばかりの陽光に包まれて、そして――黒い髪を長く伸ばしたスリザリン生の少年と、豊かな赤毛のグリフィンドール生の少女に代わった。二人は仲良く手を繋いで階段を昇り、光の中へ消えて行った。

 

 それはただの願望が混じった、一時的な幻覚だったのかもしれない。しかしスネイプは止め処なく流れ落ちる涙を拭う事も、またその場から動く事も出来なかった。

 

 スネイプとリリー、そしてドラコとイリスの関係性は、あらゆる面で非常に良く似ていた。お互いに”犬猿の仲”であるグリフィンドールとスリザリン生で、とても親密な関係だったのに、ある事件をきっかけに絶交した。けれども、スネイプとリリーが仲直りする機会は永久に失われたが、イリスとドラコは無事に仲を取り戻し、未来へ歩き出した。

 

 ――もし僕があの時、リリーと仲直りできていたら。あの二人のように仲良く手を繋いで、ずっと・・・。それは”あり得たかもしれない未来”だった。若き恋人達は自分達でも気が付かない内に、スネイプの過去の古傷を見舞い、溜まった膿を洗い流し、優しく癒していた。 

 

 

 そしていよいよホグズミード・デートの日がやって来た。イリスはジニーに習って髪の色を赤く染め、フクロウ通信販売でハーマイオニーに見繕ってもらった――花柄のワンピースに身を包んで、待ち合わせ場所である”叫びの屋敷”の前で待っていた。イリスはそわそわと落ち着かない様子でポケットから懐中時計を取り出して時間を確認したり、友人達に手伝ってもらって薄く化粧をした自分の顔を何度もチェックしたりした。

 

「やあ。ごめん、遅くなった」

 

 予定時刻を数秒ほど過ぎた頃、ふと後方から大好きな声がして、イリスはドキドキしながら振り向いた。――しっかりとまとめていた髪を下ろして黒く染め、質素な服装に身を包んだドラコはとてもハンサムで魅力的だった。ドラコもガールフレンドの晴れ姿を食い入るような眼差しで見つめ、やがて手を取って自分の傍に引き寄せると、熱を帯びた声で囁いた。

 

「すごく可愛い」

 

 そこから先は、まさに夢のような時間だった。朝から夕方まで、大好きなドラコを一人占めできる。イリスは余りの幸せに有頂天になり、またも魔法力が暴発して、()()()()舞い上がったり、自分の周囲に花弁を振り撒いたりした。ドラコは時々風船のように浮き上がるイリスの手を引いて、風に吹かれて飛んで行ってしまわないように、自分の傍へ引き寄せたり、付近の人々に不審がられる前に、舞い散る花弁を杖を振って消さなければならなかった。

 

 二人は”ハニーデュークス”で新作のお菓子を吟味し、”悪戯専門店ゾンコ”を冷やかし、他の細々とした店にも足を運んだ。今まで行き慣れた場所でも、二人一緒だとまるで初めて見るもののように新鮮で、キラキラと輝いて見えた。デートは順調に進み、やがて二人は”三本の箒”で冷たいバタービールを注文し、クタクタになった身体を休めた。

 

 それから二人は”マダム・パディフットのカフェ”へ向かった。ピンク色を基調とした店内はフリルやリボンでびっしりと飾られ、天井からはハートの紙吹雪が雪のように降り注いでいる。その様子を見たドラコはすかさず意地の悪い笑みを浮かべて、イリスを見た。

 

「良かったな、イリス。ここならいくらでも花弁を振り撒いて大丈夫だ」

 

 イリス達は店の奥に設置された、二人が並んで座れるソファー付のテーブルへ案内された。イリスはどぎまぎしながら、ドラコと一緒にカップル専用のメニュー表を見た。そして注文を取りにやって来た女主人の勧めるままに、一番人気らしい”アフタヌーンティーセット”を頼んだ。

 

 数分後、テーブルに運ばれたのは――三段重ねの盆に載った軽食と、ハート柄のティーカップとソーサーが二組だけだった。ティーカップは空っぽで、ポットもない。そのまま立ち去ろうとする女主人をイリスが戸惑うように見上げると、彼女は悪戯っぽく笑い、”お茶の注ぎ方はカップの底に書いてあります”とだけ言って去って行った。

 

 ――カップの底に書いてある、だって?イリスはそっとカップを持ち上げ、底を覗き込んだ。するとそこには金色の文字で、”さあ、キスをして!”と書いてある。――”キス”?イリスが思わず首を傾げていると、突然、ドラコに肩を強く抱き寄せられ、そして優しく唇が重ねられた。やがてキスが終わり、イリスがゆっくりと目を開けると、テーブルの上の二組のティーカップには熱い紅茶がたっぷりと入っていた。

 

 どうやら紅茶をお代わりするには、キスをしないといけないらしい。不意に店内から冷やかすような音色の口笛が飛んできて、イリスは慌ててその方向を見た。窓際の席に着いた大人のカップルが、こちらを見つめて微笑んでいる。きっと先程のやり取りを見ていたのに違いない。イリスは恥じらう余りに、ドラコの腕の中で耳まで真っ赤になって俯いた。しかしドラコは涼しい顔で、今度は盆の上のクッキーを一枚食べると、自分のカップの中身を一息に飲み干した。そしてわざとらしく眉を顰めてこう言った。

 

「このクッキーは喉が渇くな。僕はもう一杯、紅茶が飲みたい」

「わ、私のカップがあるよ!」イリスは慌てて自分のカップを押し遣った。

「まだ口を付けてないから、大丈夫。ほら・・・」

 

 しかしイリスの言葉は途中で遮られた。ドラコが自分の顎をグイと持ち上げて、強引に口付けたからだ。

 

 ――物足りない逢瀬をずっと我慢していたのは、イリスだけでなくドラコも同じだった。今度のキスは長く、そして深かった。イリスはもう何も考えられなかった。まるで自分の頭が、暖炉の上でドロドロに溶かしたヌガーになったみたいだった。ドラコのカップが満たされ、すでに一杯だったイリスのカップからお茶が溢れ出しても、周囲の人々から冷やかしの視線を向けられても――二人は夢中で抱き締め合い、キスをし続けた。

 

 

 カフェを出た頃、空は夕焼けに染まっていた。ホグワーツへ帰る時間が近づいていた。イリスはさっきまであんなに楽しかった気分が、急に針で突いた風船のように萎んでいくのを感じながら、力なく俯いた。――帰りたくない。イリスが黙りこくったまま、ドラコに手を引かれて歩いていると、ふと彼が優しい声でこう言った。

 

「少し君に来てほしいところがあるんだ」

 

 ドラコは戸惑うイリスの手を引いて、ホグズミード村と城の中間地点に群生する――小さな木立へ誘った。そこには樹齢何百年はあるに違いない、巨大なオークの木がそびえ立ち、その枝の随所にはヤドリギがひっそりと寄生している。ドラコはその木の下で立ち止まると、真摯な顔で向き直り、イリスの両手を取った。

 

「イリス。()()()()()()()()()

 

 イリスは余りの事に絶句し、息をする事も忘れてしまった。――”結婚”だって?ドラコの表情は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。彼は口惜しそうに唇を噛み、言葉を続けた。

 

「僕と君は、父の計らいで直に婚約する。だけどその前に、僕は()()()()()で君を娶り、妻としたい。僕の人生のパートナーは君だけだ」ドラコは激しい熱を帯びた眼差しでイリスを見つめ、両手にキスをした。

「君を永久に大切にする。イリス、お願いだ。僕の愛に応えてくれ」

 

 それは、本当に夢のような瞬間だった。”愛する人からプロポーズを受けた”――その幸せに有頂天になり、イリスはまたも風船のようにふわりと浮き上がりながら、ふと思った。――本当に私なんかで良いのだろうか。こんな幸せがあっていいのだろうか。

 

「でも・・・」

 

 しかしイリスがそう言い掛けたとたん、ドラコは彼女にキスをした。

 

「君から”はい”の言葉以外は聴きたくない!」

 

 ドラコは切なく掠れた声で唸った。そうして彼はイリスが戸惑って話しかけようと口を開く度に情熱的に唇を重ねて、邪魔をし続けた。そうする内に、彼女の心に巣食った迷いや葛藤は徐々に蕩けて、消えて行った。――ドラコは私の全部を受け入れてくれるんだ。イリスは歓喜の余り、大粒の涙を零した。それでも、私を奥さんにしていいって言ってくれてるんだ。やがて彼女は覚悟を決め、愛する人を一心に見つめて、涙に滲む声で応えた。

 

「――はい」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ドラコは感極まる余りに低く呻いて大粒の涙をいくつも零れ落としながら、イリスを狂おしく抱き締めた。やがて彼は少女を名残惜しそうに離すと、ポケットから銀のリボンを取り出した。

 

「このリボンが、君と僕を再び結び合わせた」

 

 ドラコはそう囁くと、杖を取り出してリボンに向けた。するとリボンは空中に浮き上がり、ぷつりと中程で切れて、やがて二つのシンプルな銀の指輪に変身した。――それは、二人の結婚の誓いの指輪だった。二人は拙い言葉で永久の愛を誓い合い、お互いの指に指輪を嵌めた。物も言わずに自分の指輪をじっと見つめるイリスを見て、ドラコは申し訳なさそうな顔で頭を搔いた。

 

「装飾も刻印もなくてゴメン。でも、これは仮の指輪なんだ。正式に婚約が決まったら、僕の家が懇意にしている宝石商に依頼しよう。誰もが羨むような、立派で素敵な指輪を創り直すんだ」

「ううん。これが良い」イリスは慌てて首を振り、またうっとりとした目で指輪を眺めた。

「ドラコが創ってくれたんだもん。これが良いの」

 

 その時、イリスは暖かい腕に抱き寄せられ、愛おしげに頭を撫でられて、そっと顔を上げた。彼女の大好きな灰色の瞳がゆっくりと近づいてくる。――二人はオークとヤドリギの祝福の下で、誓いのキスを交わした。

 

 

 木立から離れて城へ向かう二人の背に、静かに杖先を向ける老年の魔法使いがいた。彼はまだ快復し切っていない体に鞭を打ち、よろめいて苦痛に喘ぎながらも、木の影から呪いを放とうと息を吸い込んだ。

 

「止めるのじゃ、アラスター」

 

 次の瞬間、静かで揺るぎない声が背後から突き刺さった。ムーディは突然の来訪者に驚きもしなければ、振り向く素振りすら見せなかった。依然としてその杖先は、真っ直ぐにイリスを指している。

 

「止めてくれるな。アルバス。わしは()を殺さねばならん。ヴォルデモートの手に堕ちる前に」

「イリスはあやつの味方にはならぬ」

 

 やがて木々の間をするりと通り抜けながら、ダンブルドアが姿を現した。彼は杖も持たずに飄々とした足取りでやって来ると、ムーディの隣に並び立ち、今は遠くの方へ見えるばかりの二人の様子を眺めた。ムーディは渋々といった調子で杖を下ろしたが、その眼光はいまだに鋭く凍てついたまま、少女を貫いている。

 

「確かに()()そうではない」ムーディは含みのある言い方をした。

「だがアルバス、目を覚ませ。たった一人の少女が杖も振らずに、どんな偉大な魔法使いですら、明るみにできずにいた――シリウス・ブラックの濡れ衣を晴らしたのだぞ。そして落ちぶれた詐欺師を改心させ、極悪人を”死の呪い”に躊躇させるまでに悔い改めさせた。今や、あの何を考えているか分からんセブルス・スネイプですら、あの子に首ったけだ。

 奴らは皆、お前の言う”娘の優しさや思いやり”とやらに心を打たれたのかもしれん。だがわしに言わせれば、奴らは娘に魅了されたのだ。・・・なあ、()()に似ていると思わんか?」

 

 ダンブルドアはただ黙して、何も言わなかった。一見、煮え切らないようにも思えるその態度に業を煮やし、ムーディは恐ろしい顔を怒りの感情に歪めて、旧友に向き直った。

 

「はっきり言おう。あの少女はヴォルデモートと同じだ。人々を魅了し、心を操る力を有している。

 復活したヴォルデモートが、このまま娘を野放しにしておくと思うか?お前の目の前で――マーキングだと言わんばかりに――特大の印を打ち上げてみせたあいつが?

 アルバス。ネーレウスの娘だからと情が入るのは理解できるが、あの子と父親は全く違う人間だ。近い将来、お前は娘を生かした事を後悔するぞ。彼女の優しさと弱さは凶器にしかならん。いずれ大きな災いを生むだろう」

「わしはイリスを信じておる」ダンブルドアは揺るぎない瞳で前を見つめ、ただ静かにそう言った。

「・・・良いだろう。お前はお前の考える通りにすると良い。わしはわしの思う通りに行動する」

 

 やがてムーディは淡々とした口調で、ポツリとそう言った。彼の声に威嚇の響きは微塵もなかったが、その目はまるで今にも杖を引き抜いて迫り来るかのような凄味と殺気を帯びていた。赤く熟れた太陽が山の向こうに沈み切ると同時に、古く長きに渡った二人の友情は終わりを迎えた。やがてムーディは歪んだ口元をひん曲げて笑い、義足を引き摺りながら、ゆっくりと歩き出した。

 

「さらばだ、アルバス。わしはもうホグワーツを出る。明日の宴でうっかり娘と出くわして――お前のように――無様に魅了されたくないのでな」

「息災での、アラスター」

 

 穏やかに最期の挨拶を交わし、立ち去っていく旧友の後ろ姿を、ダンブルドアは静かにじっと見つめていた。

 

 

 時間は飛ぶように過ぎ、学期末最後の日がやって来た。その日の午後は「闇の魔術に対する防衛術」の授業だったが、ムーディ先生は”一身上の都合”のために宴を待つ事無く退職したらしく、急遽自由時間となった。――無理もないと、イリス達は思った。元々襲撃に備えて独自の警報魔法を創り出す程に、警戒心のあった人だ。自分自身のトランクに十ヶ月も閉じ込められて、ますます恐怖心と警戒心が増したに違いない。きっと暫く休養したいのだろう。イリス達はせっかくのその時間を有効利用すべく、ハグリッドの小屋を尋ねた。明るい、良く晴れた日だった。

 

 四人が小屋の近くまで来ると、ファングが吠えながら、尻尾を千切れんばかりに振って開け放したドアから飛び出してきた。ハグリッドも大股で外に出てきて、イリスとハリーを一人ずつ労りを持って抱き締め(その時、二人は自分の背骨がボキッと音を立てたのを聴いた)、それから快く四人を迎え入れてくれた。中に入ると、暖炉前の木のテーブルに、バケツ程の大きさのティーカップとソーサーが二組置いてある。

 

()()()()とお茶を飲んどったんじゃ」ハグリッドは食器棚から皆のカップを取り出しながら言った。

「誰と?」ロンが興味津々で訊いた。

「マダム・マクシームに決まっとろうが!」

 

 ハグリッドは当然だと言わんばかりの口調で応えた。イリス達はそれぞれ目を丸くした顔を突き合わせ、安心したように笑った。――どうやら、あれから二人は無事に仲直りする事ができたようで、おまけに今はお茶を飲んで愛称で呼び合う程の親密な間柄にあるらしい。大皿一杯に盛り付けられた、生焼けのビスケットに齧りつきながら、イリスは明るい声で訊いた。

 

「じゃあ、二人は仲直りしたんだね」

「何のこった?」ハグリッドはすっとぼけた。

 

 そうして五人はテーブルに着き、のどかなティータイムを楽しんだ。ハグリッドはふと椅子の背に寄りかかり、コガネムシのような真っ黒な目でハリーとイリスを交互に見つめた。

 

「大丈夫か?」そしてハグリッドはぶっきらぼうに訊いた。

「うん」二人は応えた。

「いや、大丈夫なはずがねえ」しかしハグリッドはそう突っぱねると、ビスケットのお代わりを取ろうと手を伸ばすイリスの方へ皿を押し遣った。

「そりゃ当然だ。だが、心の傷は直に良くなる。それにくよくよしたって仕方がねえ」

 

 ハグリッドはそう言うと、いきなりゴミバケツの蓋程もある大きな両手で自らの両頬を思いっきり叩いて、気合いを入れた。まるで銅鑼を叩いたような爆音が部屋中に炸裂し、四人は思わず跳び上がって、突然の奇行に走った巨大な友人をまじまじと眺めた。しかしハグリッドはそんな友人達の警戒の眼差しを気にもせず、暖かい光の宿った黒い瞳で彼らを見つめるだけだった。

 

「やつが戻ってくるのは皆、分かっとった。いずれこうなるはずだった。そんで今、こうなった。俺たちゃ、それを受け止めるしかねえ。来るもんは来る。来た時に受けて立ちゃええんだ」

 

 ハグリッドの言葉はいつもの通り、とてもシンプルでワイルド極まりなかったが、ヴォルデモートの復活に静かな不安を抱く四人の心を確かに揺さぶり、しっかりと勇気づけた。やがてハグリッドはマグカップの中身をグイと景気良くあおり、イリスとハリーにウインクを飛ばした後、勢いづいた口調で言った。

 

「おれは戦うぞ。お前達が立派に戦ったみたいにな。オリンペと一緒に、巨人の・・・」

 

 そこまで言って、ハグリッドはハッと我に返り、バチンと両手で口を押えた。その衝撃波で、ちょうど彼の両隣に座っていたロンとハーマイオニーの髪がフワッと揺れた。しかしハリーは聞き逃さなかった。ハリーとロンが鮮やかな連携プレーを駆使して口籠るハグリッドを翻弄している間、イリスはハーマイオニーに肩を突かれて、彼女が指差す方向を見た。

 

 ――部屋の片隅に大きなトランクや日用品の入った袋、愛用のピンク傘が積まれ、頑丈な紐で一括りに縛られている。どうやらハグリッドは間もなく旅に出かけるようだった。一体、ハグリッドはマダム・マクシームと一緒にどこへ行くんだろう。イリスは三枚目のビスケットを齧りながら、首を傾げた。

 

 

 ”ハグリッドの謎”が解けたのは、次の日の朝だった。ハーマイオニーが定期購読している”日刊予言者新聞”に、いよいよ魔法省大臣ファッジがヴォルデモートの復活を公表したという事が盛大に書き立てられていたのだ。

 

 ファッジは”闇の陣営”から市民を守るための対策の一環として、アズカバンからディメンターを追い出して魔法使いの看守体制へ切り替える事、そしてかつて”闇の陣営”に与した魔法種族――主に巨人族へ友好の手を差し伸べる事を発表した。

 

 ”巨人に友好の手”――ハグリッドがマダム・マクシームと旅に出るのは、きっとこれが原因なんだ。四人は一心不乱に記事を読み込んでいた顔を上げると、無言で頷き合った。哀れな事にファッジ大臣はダンブルドアの手を取ったせいでルシウスから完全に見放されたのか、リータ・スキーター女史のお気に入りのサンドバッグに認定されたらしく、何ページにも渡ってありとあらゆる罵詈雑言を使い、罵られていた。

 

 学期末の宴は、今までにも増して盛大に行われた。大広間は見た事もないような珍しい魔法や装飾品で飾り付けられ、両側の壁にはそれぞれハッフルパフとグリフィンドールの垂れ幕が掛かっていた。

 

 ファッジはとてつもない()()()()()()で審査員席に座っていた。その余りの憎らしい表情に深いインスピレーションを受けたフレッド&ジョージは、「ファッジの()()()()()クッキー(食べると物凄いふてくされ顔になる事ができる)」を発明し、後にそのスナックはWWWの売れ筋商品の一つとして名を連ねる事になるのであった。

 

 カルカロフ校長の席は空っぽだった。マダム・マクシームはハグリッドの隣に座り、親密そうに手を重ね合いながら、真剣な様子で何事かを話している。やがて職員テーブルからダンブルドアがゆっくりと立ち上がり、”三校対抗試合”を見事に優勝した代表選手の二人――セドリックとハリーを心から讃えて、賛辞の言葉を送った。

 

 ファッジは心ここにあらずと言った様子で、お祝いの言葉もそこそこに金貨入りの袋を二人に押し付けて、自分の席に座った。各寮だけでなくダームストラングやボーバトンの生徒も皆、二人を祝福し、金の皿にご馳走が盛られ、宴が始まった。

 

 大広間じゅうの人々は大いに飲み食いし、歌って踊り、喋った。しかし皆――ファッジと同じように――どこか上の空だった。

 

 ――”ヴォルデモートが復活した”。宴が始まる前、ダンブルドアとファッジはそれぞれの言葉で子供達を鼓舞したが、それでも皆の不安な気持ちは消えなかった。”最後の課題”の夜、打ち上げられた巨大な印を見た者も大勢いた。皆、ヴォルデモートと直接対決した事こそないものの、彼が創り上げた恐怖に満ちた時代を大人から聴いて育った。ネビルのようにヴォルデモートの残した戦争の傷跡に今なお、苦しむ者もいる。

 

 今までの平凡な日常は崩れ去り、想像もした事のないような――暗く困難な時がやって来る。まだ見ぬ未来を恐れて、深く憂う気持ちから逃れるように、皆はいつも以上に騒いで、お腹がはち切れるまで飲み食いし、集まってはしゃぎ合った。

 

 

 次の日の朝、イリスはトランクを詰め終わった。そしてハリー達と一緒に、混み合った玄関ホールで馬車を待っている間、ボーバトンやダームストラングの生徒達とお別れの挨拶をしたりして過ごした。ハリーが妹を助けてからというもの、ボーバトン校の美少女・フラーのツンツンとした態度は鳴りを潜め、皆に優しく接してくれるようになった。

 

 ダームストラングの名シーカー・クラムはいつも通りのぶっきらぼうな態度ではあったが、イリス達に別れの挨拶をしに来てくれた。クラムは”カルカロフがいなくなっても、船の操作には支障をきたさない”と言って、皮肉気に笑った。――どうやらカルカロフは自分で舵を取らず、生徒達に労働をさせていたらしい。やがて彼は気まずそうに頭を搔いて、イリスをチラリと伺い見た。

 

「ごめん。僕は君の事を誤解していた。・・・悪い魔女だって」クラムは歯切れの悪い声で謝った。

「ハーマイオニーと仲が良かった時、”そうじゃない”って知ったんだ。最初に会った時、不快な気分にさせてすまなかった」

 

 クラムはますます背を丸めて小さくなりながら、イリスに頭を下げた。彼女は慌てて首を横に振り、青年の頭を上げさせた。――自分は何も気にしていないし、そもそも謝らなければならないのはこちらの方だ。何せ、ロンを焚きつけて、クラムからハーマイオニーを奪うように仕向けたのは、他でもない自分なのだから。

 

 イリスが意を決してその事を謝ろうとした瞬間、横から一人の少女がやってきて、彼の腕をそっと掴んだ。――エロイーズだ。クラムはとびきり安らかな微笑みを見せて、彼女を抱き寄せた。何だか、二人はとてもお似合いのカップルに思えた。イリスは結局何も言わずに、ハリー達と一緒に馬車を待つ事にしたのだった。

 

 

 キングズ・クロス駅に向かう戻り旅の今日の天気は、一年前の九月にホグワーツへ来た時と天と地ほどに違っていた。空には雲一つない。イリス達は何とか一つのコンパートメントを独占できた。ピッグウィジョンは興奮して≪皆さん、僕のご主人様に沢山手紙を送ってくださいね!≫とイリス達にさえずり続け、ヘドウィグとサクラは頭を羽に埋めてウトウトとまどろんでいた。――クルックシャンクスは不在だ。この夏休みは家族と共に、ゆったりと過ごすらしい。

 

 列車が南に向かって速度を上げ出すと、コンパートメントの戸が開いて一人の魔法使いが入って来た。――()()()()だ。イリス達は思わず席から立ち上がり、明るい歓声を上げた。シリウスは気さくに笑いかけ、先程ワゴンで買ったのだろう、大きな”魔女鍋ケーキ”を一つとかぼちゃジュースを人数分、カバンから取り出しながら、ハリーの隣に腰掛けた。

 

「シリウス!どうしたの?」ハリーが声を弾ませて尋ねた。

「ホグワーツ特急の警備を任された」シリウスは杖を振ってケーキを切り分けながら、ウインクした。

「それより、君達に是非とも伝えたい”ビッグニュース”がある」

 

 ――”ビッグニュース”?一体、何だろう。かぼちゃジュースの栓を抜く事も忘れて、四人が興味津々でシリウスを覗き込むと、彼はまるで犬が吠えるように快活な笑い声を上げながらこう言った。

 

「来年の「闇の魔術に対する防衛術」の授業は、私が教鞭を取る事になったのさ」

「ワーオ!おったまげー!」ロンが叫んだ。

 

 皆の大声で飛び起きたサクラとヘドウィグがホーホーと抗議の声を上げたが、四人は構わずに席を立ち上がり、シリウスに代わる代わるハグをした。――シリウスがホグワーツにずっといてくれるなんて、まさに”鬼に金棒”だ。来年のホグワーツは今までよりずっと過ごしやすくなるのに違いない。シリウスはしばらくの間、愛する子供達との触れ合いを楽しんでいたが、やがてケーキの最後の欠片を口に押し込んで、手早く立ち上がった。

 

「さあ、もう行かないと。実はこの特急は私とエイモス、後は有志の卒業生達だけで警備しているんだ」

 

 その時、抜群のタイミングで、コンパートメントの硝子面の前をセドリックとアンヌ、パトリシアが通りすがった。三人はイリス達を見つけると、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。その少し後を、ジョンが両手に持った車両の地図を睨み付けつつ、追いかけていく。シリウスはコンパートメントの戸に手を掛けると、四人に向けて苦笑した。

 

「何せ、アズカバンの方に大勢の人手が割かれているから、こっちは忙しくて仕方がない。杖を振る手がいくらあっても足りないくらいだ。

 ハリー。駅に着いたら、またいつものカフェで時間を潰していてくれ。少し遅くなりそうだ」

「オーケー、()()()

 

 ハリーは何気なくそう言ってしまってから、我に返ってピタリと固まった。しかしシリウスはそれを聞き咎めるという訳でなく、クシャッと顔を大きく歪めて笑い、少年の頭を乱暴に撫でた。それから戸を開けて、さっきよりも颯爽とした足取りで出て行った。

 

 ――何だか、くすぐったいようでとても優しい奇妙な沈黙が、コンパートメント内を包み込んだ。ハリーは急いでケーキの残りを口に押し込むとかぼちゃジュースで流し込み、そして激しく咽込んだ。

 

 暫くすると、恰幅の良い魔女がご馳走がたっぷり載ったワゴンを引いてやって来た。イリス達がそれぞれ目当てのものを買い込んでコンパートメントへ戻ると、フレッドとジョージ、それからジニーがやって来た。双子は何やら、重そうな革袋を大事そうに抱えている。空いた席に座ると、フレッドがポケットからカードの束を取り出した。

 

「”爆発スナップ”して遊ぼうぜ」

 

 かくして皆はお菓子を摘まみながら、スリル満点なスナップゲームに興じた。いつ何時カードが爆発するか分からない――その緊張感と混乱に乗じて、双子はさりげなくジニーをハリーの隣に座らせる事に成功した。どうやら二人は”スナップをする”という口実で、妹の片思いを手助けしようとしているようだった。ジニーは大好きなハリーの隣でどぎまぎする余り、何度もカードを爆発させた。

 

 その時、ふとハリーは思い出した。――時々フレッドとジョージは談話室で、夜遅い時間まで何事かを真剣に話し合っていた。一体、何の話をしていたんだろう。もしかしてWWWを本当に開業する計画でも立てていたのだろうか。

 

「ねえ、教えてくれないか?」ハリーが思い切って訊くと、二人は揃ってカードから顔を上げた。

「談話室で何を話していたの?本当にWWWを開業するのかい?」

 

 すると二人は鏡合わせのようにぴったりした動きで顔を見合わせ、プーッと吹き出した。それから二人は明るい口調で、このような事を話してくれた。

 

 ――実は二人はクィディッチ・ワールドカップの試合が始まる直前、自分達の全財産を賭けて、ルード・バグマンとギャンブルをしていた。”アイルランドが勝つがクラムがスニッチを捕る”という二人の奇想天外な予想は果たして現実となり、彼らはルードから大量の金貨を獲得した。

 

 だがそれは本物の金貨ではなく、アイルランドのマスコット・レプラコーンが降らせた()()()()()だった。翌日には金貨は跡形もなく消え去り、二人はルードに抗議の手紙を送った。けれども梨の礫で、手紙は頑固に無視され続け、ホグワーツにルードが滞在していた時も、何度も話を付けようとしたが、はぐらかされ続けた。

 

 しかし、”もう全てが終わった”と二人が諦めかけたその時、ルードから金貨が返されたというのだ。ご丁寧にもグリンゴッツの証明印が捺された革袋に入って。フレッドは恍惚とした目で上質な革袋を見つめ、満足そうに言った。

 

「ルードは利子もたっぷり付けてくれたのさ。君の賞金額を超えたかもしれないぜ、ハリー」

「可愛いロニー坊やの決闘で稼いだ小金もあるしな」ジョージはロンに親しみを込めてウインクした。

「だからイリス、君の手袋は僕らに任せてくれよ。チャーリーにも話を付けて、スウェーデン・ショート—スナウト種のとびっきり上等なドラゴン革を頼んだんだ。WWWの総力を挙げて――たっぷりと素敵なギミックも満載して――君にプレゼントするさ」

 

 二人はイリスに向け、とても魅惑的なスマイルをよこした。”変なギミックを搭載したら許さないんだから”と言わんばかりの厳しい眼差しで、ハーマイオニーとジニーは悪戯双子を睨んでいる。イリスは暖かい気持ちで胸を一杯に膨らませながら、フレッド達にお礼の言葉を贈った。

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

 イオはキングズ・クロス駅の構内に佇んで、愛する姪の帰りを待っていた。物憂げな表情が、”九と四分の三番線”への出入口となる柵をじっと見つめている。――あと数時間もすれば、あの子があの柵を通り抜けて、わたしの腕の中に帰ってくる。いつもと変わらない笑顔で。そう、きっとその筈だ。

 

 イオは縋るような想いで、上着のポケットに仕舞い込んだ――イリスからの手紙の束をギュッと握り締めた。今年は、去年ほど頻繁なやり取りではなかったものの、それらに不穏な内容は一言も書かれていなかった。それにもしイリスが自分を心配させまいと気を遣って、あえて変事を伏せたのだとしても、彼女の身に何か起きたのならダンブルドアが必ずフクロウ便を送って来る筈だ。きっと虹蛇様がイリスを守ってくれたのに違いない――イオは心の中で、神に感謝を捧げた。

 

 しかしイオの儚い希望は、ある一人の魔法使いの言葉によって残酷に打ち砕かれた。

 

「やあ、イオ」冷たく気取った声だ。

「君に謝らなければならない事がある」

 

 イオはゆっくりと後方を振り返った。――ルシウス・マルフォイだ。不思議な事に、彼の如何にも魔法使いらしいローブ姿を気に留めるマグルの人々は、誰一人としていない。だがイオは彼を警戒するよりも、その言葉の内容の方に意識を吸い寄せられた。”謝らなければならない事”?イオの頭の中に、愛する姪のあどけない表情がパッと思い浮かんだ。強い不安の感情が、彼女の心臓を冷たく凍てつかせていく。

 

「あのお方が復活なされた」ルシウスは静かに言った。

「そして私の力が及ばず、()()()()()()()()()()()

 

 ――まるで”時の神(クロノス)”がイオの時間を止めてしまったかのように、彼女はその場からピクリとも動く事が出来なかった。暫くして、ルシウスはイオが少し落ち着きを取り戻したのを確認すると、数か月前に墓場で起きた出来事の全てを話して聴かせた。

 

 冷静になれば、気付けた筈だった。ルシウスが――自分に都合の悪い事は全て伏せて――墓場の話をした事も、ダンブルドア達がイリスの変事について送っていた手紙の数々を妨害していた事も。

 

 何とも間の悪い事に、ダンブルドアもシリウスも、復活したヴォルデモートへの対策に掛かり切りになっていて、イオの返事がない事を分かっていながらフォローに回る事ができない状態にあった。――そう、今がルシウスにとって最高のチャンスだったのだ。イオの心に揺さぶりを掛けて確実にイリスを奪い取るために、彼は心の中で舌なめずりをしながら、彼女の傍へ近寄っていく。

 

「もう分かっただろう、イオ。”本当の敵”が誰なのか。――ダンブルドアもシリウスも、あのお方がイリスを罰するままにし、そして家族である君にこの緊急事態を知らせる事すらしなかった」

 

 その言葉は毒のようにイオの心を冒し、その奥底へと沈んでいった。最後にルシウスはローブのポケットから精緻な造りのアンクレットを取り出すと、茫然と佇むばかりのイオの手にそっと握らせる。彼女はもう何も考えられなかった。深い愛情は、時に人を狂わせる。”愛する姪の体の一部が永久に失われた”――その凄惨な事実に心が囚われ、今や真実を見極める目も完全に塞がれてしまっていた。

 

「もうイリスがこれ以上、残酷な目に遭わずに済むには、あのお方の傍で生きるしかないのだ」まるで()()()()言い聞かせるかのように確かな口調で、ルシウスは囁いた。

「あのお方は一度だけ、君にイリスを守る機会を下さった。――このアンクレットをイリスの足に付けなさい。それが私達への合図になる。君の家に”姿現し”し、イリスを連れて行く。

 ――忘れるな、イオ。闇の帝王はまるで木からフルーツをもぎ取るように気軽な感覚で、あの子の右腕を奪った。あのお方にとって彼女の命を奪う事など、息をするより容易い事だ。もし君が私達に逆らったなら・・・今度は()()()()()()済まないかもしれぬ」

 

 やがてルシウスが去って行ってしまっても、イオはアンクレットを握り締めたまま、その場から動く事が出来なかった。彼女の脳裏に、今までイリスと過ごした素晴らしい思い出の数々が、走馬灯のように目まぐるしい速さで駆け巡っていく。”本当の敵”――ダンブルドアとヴォルデモート、あの子にとってどちらがそうなのだろう。自分にはもう何も分からない。けれども――

 

 ――たとえもう二度と会えなくとも、あの子には一日でも長く、健やかに生きて欲しかった。

 

 イオは静かに決断した。彼女の流した涙が、冷たいアンクレットにポツンと滴り落ちた。

 

 

 残りの時間はとびきり楽しかった。あっという間にホグワーツ特急は九と四分の三番線に入線し、生徒が列車を降りる時のいつもの混雑と騒音が廊下に溢れた。皆とお別れの挨拶を終えたイリスは、九と四分の三番線のホームから魔法の柵を通り抜けた瞬間、誰かに息が止まるほど強く抱き締められた。

 

「おかえり、イリス」

「ただいま」

 

 ――勿論、イオおばさんだ。イリスはギュウッと抱き着いて、大好きなおばの首筋に顔を埋めた。彼女の腕の中は何時だってとても暖かくて、そして安心できる場所だ。そうして二人は日本へ帰国し、出雲神社へ帰り着いた。二人は結界を抜け、鳥居をくぐり、手水舎で手を清め、拝殿へ赴いて、イリスが無事に帰って来れた事を神様に感謝した。

 

 家に帰り着くと、早速美味しそうな匂いが漂って来て、ダイニングルームに駆け込んだイリスは歓声を上げた。――テーブルにはイオが腕によりをかけた日本料理の数々が、所狭しと並んでいる。どれも自分の好きなものばかりだ。

 

 イオは”荷物を整理するのは明日にしなさい”と言って、イリスと一緒にお風呂に入った。イリスの右肩から下を彩る”銀色の義手”を、イオはしばらくの間、物も言わずにじっと眺めていた。やがて二人は風呂場から上がり、パジャマに着替えた。それからテーブルに着き、手を合わせて遅いディナーを摂り始めた。

 

 ホグワーツのご馳走も確かに美味しいけれど、やっぱりイオおばさんの料理が世界で一番美味しい。イリスは夢中で食べ続け、全部の料理をお代わりした。デザートも食べ終わって人心地着くと、イリスはイオに訊いて欲しい事が、頭の中に沢山浮かんできた。

 

 ――今年は辛くて恐ろしい出来事が沢山あったが、幸せで楽しい出来事もそれ以上に沢山あったのだ。洗い物を終えた後、テレビの前に設置されたソファーに座り、イリスはイオに今までの出来事を話し始めた。イオは全ての話を聴き終わった後、イリスをそっと抱き締めて、労しげに小さな頭を撫でた。

 

 

「本当に辛い思いばかりさせて・・・すまない」

「おばさんのせいじゃないよ!」

 

 イリスは慌ててかぶりを振った。イオはイリスの肩を掴んで少し体を離すと、涙を一杯に湛えた瞳で、愛する姪を心配そうに見つめ、苦痛に喘いだ。まるで彼女の右腕をこんな風にしたのは自分だ、と思っているかのように。イリスはイオを元気づけるかのように、ギュッと抱き着いてみせた。それから自分の薬指に光る指輪をチラリと見た。――きっとどんなに辛い事があっても、私にはドラコがいる。絶対に大丈夫だ。

 

「おばさん。私こそ、おばさんを悲しませてばっかりでごめんね」イリスは体を離すと、気丈に微笑んだ。

「でも、きっと大丈夫だよ。皆と一緒なら、どんな事だって乗り越えられる気がするんだ」

 

 イリスの明るい希望に満ちた眼差しを、イオは眩しそうに目を細めて受け止めてくれた。やがてイオは涙を拭って優しく微笑み、二人は再び、固く抱き締め合った。

 

 

 もう夜は更けていた。実家にいる事で安心し、全てを話し終わった達成感も重なって、イリスは何だかとても眠くなってきた。ゆったりと伸びをしながら欠伸を零す彼女の足を自分の膝の上に乗せ、イオは靴下を脱がせてくれた。――まるで小さい時みたいだ。イリスはそう思いつつも、されるがままとなっていたが、ふと左足首に()()()()()を感じて顔を上げた。

 

 見ると、上品で華奢なデザインのアンクレットが付けられている。上質な小金で出来たそれは、足をわずかに動かすとシャリシャリと涼しげで美しい音色を奏でた。イリスは小さな歓声を上げ、まじまじとアンクレットを眺めた。もしかしてこれは、おばさんが新しく作ってくれたお守りの一種なのかもしれない。

 

「とっても綺麗。おばさん、これなあに?」

「お前を守ってくれるものだ」

「おばさんが創ってくれたの?」

 

 イリスは確信を持ってそう尋ねたが、イオは何も応えず、ただ静かに微笑むだけだった。やがて彼女は愛する姪の傍から杖を取り上げ、テーブルに置いた。そしてイリスを見つめ、額に優しくキスをしてゆっくりと頭を撫でた。イリスは眠気と安心感と幸せで心が一杯に満たされ、イオに寄り添って目を閉じ、ウトウトと微睡んだ。

 

「お前を愛してる」

 

 しかし次の瞬間、イオが絞り出したその声は、悲哀の感情に暮れ、涙に滲んでいた。――イオが泣いている。イリスの心に揺蕩っていた眠気は一瞬で吹き飛び、彼女は慌てて顔を上げようとした。しかし彼女は少女を腕の中に固く閉じ込め、出そうとしない。今や、イオは激しく咽び泣いていた。彼女は唇を噛み締めながら、囁くような声でこう言った。

 

「だから、()()()()()()を許してくれ」

 

 突然、マントを翻す音が、そこら中にみなぎった。イリスがイオの拘束を無理矢理振り解いて顔を上げると、何時の間にか――ダイニングルームを埋め尽くすようにして、大勢の魔法使い達が”姿現し”していた。全員がフードを被り、銀色の仮面を付けている。

 

 ――()()()()()だ。どうして彼らがここに?ここは安全なはずなのに。冷たい恐怖の感情が胃の中へ滑り落ち、イリスを心地良い世界から引き摺り出した。彼女は思わず杖を取ろうとテーブルに視線を送ったが、そこには何もない。死喰い人の一人がイリスの杖を弄びながら、冷たい笑い声を上げている。やがて一人の死喰い人が仮面を外して、こちらへやって来た。――ルシウスだ。

 

「君を迎えに来たのだ、イリス」ルシウスはまるで父親のように優しい笑みを浮かべた。

「さあ、こちらへ来なさい」

 

 イリスは恐怖の感情に呑まれ、頭がジーンと痺れて、指先一つ動かす事が出来ないでいた。するとイオが激しくすすり泣きながら、姪の背を押してルシウスの方へ突き出した。

 

 しかしそれでも、イリスは何も考える事ができなかった。余りの出来事に茫然自失状態となり、頭と心が何時まで経っても現実を理解してくれない。暫くすると、輪の中から一人の死喰い人が進み出て、彼女の手を取り、恭しく口付けた。

 

「ああ、ご慈悲を感謝いたします。お嬢様」カルカロフの声だ。

「イリス。ルシウスに誘われて、私も仲間になったんだ」ルードの明るい声もする。

「これで借金地獄からおさらばできた。クィディッチの面白話が聴きたい時は、いつでも私を頼ってくれ!」

 

 周囲の死喰い人達が、ゲラゲラと下品な笑い声を上げた。しかしルードの言葉は、奇しくもイリスを忘我状態から呼び覚ましてくれた。”クィディッチ”――そうだ、私はまだ杖がなくても戦える手段がある。スニジェットに変身するんだ。そう思い、イリスは魔法力を込めたが――

 

 ――途端に、全身の血を一気に引き抜かれたかのような凄まじい脱力感を感じ、その場に立っていられなくなって、くたっとルシウスに身を預けてしまった。最早切れかけた蛍光灯のように明滅し始めた視界の中で、舞い散る金色の光が、左足に嵌まったアンクレットの中に残らず吸い込まれていくのが見えた。

 

「それには”動物もどき”に変身できないように魔法が掛けてある」ルシウスは冷たく笑った。

「あのお方が君のためにお創りになられた逸品だ」

 

 最早、万事休すだった。イリスは今までの明るい希望と愛情に満ちた世界が、跡形もなく崩れ去って行くのを感じていた。”イオおばさんが死喰い人を呼び寄せた”――その余りに残酷な事実に、イリスは咄嗟に呼吸を忘れて喘ぎながら、縋るような目で愛する家族を見つめた。イオはもう悲しみの余りに、今にも死んでしまうのではないかと思う程に泣きじゃくり、もがき苦しんでいた。それでも彼女は姪の頬をそっと撫で、掠れた声で言い聞かせた。

 

「お前を守るためだ。あの人の傍にいれば、お前は安全に生きることができる。

 ――わたしの事は忘れろ。これからはマルフォイ家の人達が、お前の新しい家族になるんだ。辛いなら、わたしの事を忘れるように魔法を掛けてもらいなさい」

「いや・・・いや・・・!」

 

 イリスは狂ったように首を横に振り、鉛のような体を必死に動かして、イオの腕の中へ戻ろうと足掻いた。――もう一度、イオに抱き締めて欲しかった。もう二度と会えないなんて、絶対に嫌だった。しかしイオは愛する娘を守るために、青ざめているが決然とした表情で、ルシウスに向かって頷いて見せた。”もう娘を手放す覚悟はできた”と言わんばかりに。

 

「さあ、時間だ」ルシウスは静かに頷き、イリスへ向けて優しく囁いた。

「私達の屋敷へ戻ろう。あのお方が、君の帰還を待ち焦がれていらっしゃる」

 

 それからルシウスは”姿くらまし”をしている間、万が一にもイリスが暴れたりしないようにと、強力な眠りの魔法を掛けた。たちまちイリスの意識は遠のいていった。

 

 ――おばさん。私を一人にしないで。それでもイリスは必死で足掻き、イオの下へ戻ろうと頑張った。しかし眠りの魔法はとても強固で、懸命に逃げようとするイリスの意識を蜘蛛のように捕えて、強引に夢の世界へと連行していった。かくして哀れな少女はルシウスの腕に抱かれ、風と色の渦の中を飛んで行く――ヴォルデモートが待つ、マルフォイ家の屋敷へと――




炎のゴブ編、完結いたしましたー(*´ω`)
やったー!あとがきを活動報告に上げました♪

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