ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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※7/15:Petal13 → Petal13と14に分けました。


Petal13.コガネムシの受難

 クリスマスの翌日は、みんな朝寝坊した。イリスは寝ぼけ眼でむっくりと起き上がり、ベッドの下を覗き込んで黒いベルベッドの貼られた箱を引っ張り出し、蓋をそっと開けた。中には美しい白銀のドレスローブが入っている。その表面をそっと撫でると、昨夜の夢のような出来事が、色鮮やかに蘇った。――それはイリスにとって、人生最高のクリスマスプレゼントだった。ドラコの愛情は、イリスの心から哀惜や嫉妬の感情を拭い去り、美しい愛だけを残してくれた。劇中で、川の流れがアマータにそうしてくれたように。イリスは微笑んで箱を閉じると、大きく伸びをして部屋を見渡した。ラベンダーとパーバティはまだぐっすり寝ていて、ハーマイオニーのベッドだけ空っぽだ。身だしなみを手早く整えてから、彼女は談話室へ向かった。

 

 談話室はこれまでとは打って変わって静かだった。クリスマスが終わってしまった今、誰もかれも気が抜けているらしく、欠伸混じりの会話も途切れ気味だった。イリスは談話室でハリーとハーマイオニーと合流し、大広間へ朝食を摂りに行った。二人はブルガリアの名物料理である、ヨーグルトを使った冷製スープの”タラトール”と、ほうれん草と羊のチーズがたっぷり入ったキッシュのような”パニツァ”に舌鼓を打ちながら、クリスマスの夕方に巻き起こったロンの英雄譚をイリスに話して聴かせた。――じゃあ、ロンは本当に自分のなすべき事を果たしたんだ。イリスは親友を誇らしく思う気持ちで、胸がいっぱいになった。

 

「あの人ったら、本当にしつこかったのよ。勝てる訳ないのに何度も彼に追い縋って」ハーマイオニーは自分の唇の端が大きく綻んでいるのに、全く気が付いていないようだった。

「結局、トロールみたいな姿になってしまったの。沢山の呪いを受け過ぎてね」

「エッ?!」

 

 『トロールだって?』――イリスはショックを受けて、フォークを取り落した。その様子を見て、ハーマイオニーが慌てて取り成した。

 

「心配しないで、イリス。休暇までには治るわ。副作用も何もないの」

「ロンはすごくカッコよかったよ。クラムもね」

 

 ハリーは恐らくその時の事を思い出しているのか、遠い目をしながら穏やかな口調でそう言った。クラムの名前を出されて明らかに気分を害した様子のハーマイオニーを見なかった事にして、ハリーは言葉を続けた。

 

「それに、君もとても綺麗だった。劇は素晴らしかったよ」

 

 ハリーの優しい緑色の目は、切ない輝きに満ちていた。『豊かな幸運の泉』にないアマータとラックレス卿の行動は、生徒達の中では”魔法劇クラブ”のオリジナル演出なのだという話で持ち切りで、”子供のお伽話”を”ほろ苦い大人の恋物語”に変えたと評判になっていた。しかし、ハリーには分かっていた。――あの行動は演出などではなく、イリスの本心なのだと。イリスはただ照れ臭そうに微笑んで、こくんと頷いた。

 

 俄かに、大広間の天井を無数のフクロウが埋め尽くした。フクロウ便の時間だ。やがてイリスの前に立派なワシミミズクが一羽、舞い降りた。礼儀正しく一礼をして、手紙の括り付けられた小包を落とすと、ワシミミズクは飛び去って行った。――小包にはマルフォイ家の指輪印章(シグネットリング)が捺されていている。イリスは慌てて二人を見たが、ハリーはシリウスからの手紙に、ハーマイオニーは購読予約していた”日刊予言者新聞”に夢中になっていた。イリスは安心して、いそいそと開封に取り掛かった。

 

 小包の正体は、イリスがマルフォイ家に滞在していた時に好んで良く食べた――高級チョコレートの詰め合わせだった。”検知不可能拡大呪文”が掛けられているのか、掌に載るほどの大きさの箱の中を覗くと、何百という数のチョコレートがずらりと陳列されている。ナルシッサは手紙の中で、イリスがドレスを着て劇で活躍した事をスネイプから聴き、とても喜んでくれていた。イリスは彼女に”本当はもう一つ嬉しい事があったのだ”と伝えたかった。――ドラコが記憶を取り戻し、自分に逢いに来てくれ、そして夢のようなダンスをする事が出来たのだと。イリスは心の中でナルシッサへの返事を書き、フクロウ便を飛ばした。そして顔を上げると、ハリーとハーマイオニーが蒼白な表情でこちらを見つめているのに気づき、彼女は驚いて息を飲んだ。

 

「どうしたの?」

 

 イリスが急いで手紙と箱をポケットにしまいながら尋ねると、ハーマイオニーは黙って、新聞のある一面を彼女に見えるように差し出した。イリスはこわごわと覗き込んで、目を見開いた。新聞記事の冒頭には、いかにも胡散臭そうに見えるハグリッドの写真が載っている。――どうしてハグリッドが新聞に載っているんだ?イリスは訝しみながらも、記事を読み始めた。『ダンブルドアの巨大な過ち』と銘打たれたその記事には、ハグリッドについての様々な情報が、スキーター女史監修の下、面白おかしく書き立てられていた。

 

 ”三年生の時、ホグワーツを退校処分となったと自ら認めるルビウス・ハグリッドは、それ以来、ダンブルドアが確保してくれた森番としての職を享受してきた。ところが昨年、ハグリッドは校長に対する不可思議な影響力を行使し、あまたの適任候補を尻目に、「魔法動物飼育学」の教師という座まで射止めてしまった。

 危険を感じさせるまでに巨大で、獰猛な顔つきのハグリッドは、新たに手にした権力を利用し、恐ろしい生物を次々と繰り出して、自分が担当する生徒を脅している。ダンブルドアの見て見ぬふりを良い事に、ハグリッドは授業で、何人かの生徒を負傷させている。「僕たちはハグリッドをとても嫌っています。でも怖くて何も言えないのです」と、多くの生徒が口をそろえて言った”

 

 『”僕たちはハグリッドをとても嫌っています”だって?』――記事の一文を指でなぞりながら、イリスは衝撃の余りパカンと空いた口を塞ぐ事が出来なかった。確かにハグリッドは恐ろしい生物が大好きだが、彼らを使って生徒を脅した事なんてないし、嫌われてもいない。一体全体、そんな事を誰が言ったんだ?

 

 ”「日刊予言者新聞」は、さらに極め付きの、ある事実を掴んでいる。ハグリッドは純血の魔法使い――の振りをしてきたが――ではなかった。しかも、純粋な人ですらない。母親はなんと女巨人のフリドウルファで、その所在は、いまだ不明である。”名前を言ってはいけないあの人”に仕えた巨人の多くは、暗黒の勢力と対決した”闇祓い”たちに殺されたが、フリドウルファはその中にいなかった。海外の山岳地帯にいまなお残る、巨人の集落に逃れたとも考えられる。「魔法動物飼育学」の授業での奇行は間違いなく、母親の凶暴な性質が関係していると言えるだろう”

 

 ――ハグリッドが半巨人だった事は確かに驚くべき事実だが、彼のあの大木のような体付きを思えば、殊の外すんなりと納得できるものだった。そんな事よりも問題なのは”記事の書き方”だ。もしハグリッドを知らない人がこの記事を読んだら、彼の事を”教師と言う権力を笠に着た、極悪非道な魔法使い”だと思ってしまうような表現の仕方だった。ハリーは怒りにギラギラと燃える瞳で、テーブルを叩いた。

 

「あの性悪ババアめ!”僕たちはハグリッドをとても嫌っています”だって?嘘ばっかりだ!」

「ハグリッドのところへ行きましょう」ハーマイオニーが立ち上がった。

 

 イリス達は急いで城を出て、凍てつく校庭をハグリッドの小屋へと向かった。ハリーが代表して小屋の戸をノックすると、ファングの轟くような吠え声が応えた。

 

「ハグリッド、僕達だよ!」ハリーが戸を叩きながら叫んだ。

「開けてよ!」

 

 しかし、ハグリッドからの答えはなかった。ファングが哀れっぽく鼻を鳴らしながら、戸をガリガリ引っ掻く音が聴こえた。イリスが扉越しに、ファングに話しかけた。

 

「ファング!ハグリッドに開けてって言って!」

≪ダメなの≫ファングが残念そうに鳴いた。

≪ハグリッド、ずっと泣いてる。大きい人の血が入ってるから、怖がらせるといけないから、もう会えないって言ってる≫

 

 ――ハグリッドが、スキーター女史の書いた記事に心を痛め、泣いている。イリスの心臓は滅茶苦茶に傷ついた。彼女がファングの言葉を通訳すると、ハリーとハーマイオニーはますますハグリッドに強く呼びかけ、ドアを叩き続けた。三人はそれから十分ほど粘ったが、何の反応もない。イリス達はついに諦めて、城へ戻る事にした。

 

 

 その週、ハグリッドの姿はどこにも見当たらなかった。新学期が始まっても、食事の時に教職員テーブルに姿を見せず、校庭で森番の仕事をしている様子もなかった。「魔法動物飼育学」は代用の教師として、グラブリー・プランク先生が教えてくれた。白髪を短く刈り込んだ、中性的な雰囲気を持つ老魔女だ。生徒達はみんな”日刊予言者新聞”を読んだのか、ハグリッドの代わりに違う先生がいても驚く素振りも見せなかった。イリスはプランク先生にハグリッドの事を尋ねたが、彼女は「あの人は気分が悪くて、養生しているんだ」としか答えなかった。

 

 なんとも皮肉な事に、プランク先生の授業はとても有意義だった。みんながハグリッドに出会うまでイメージしていた「魔法動物飼育学」の授業そのものだった。彼女は大きな美しい”一角獣(ユニコーン)”を捕え、見物させたのだ。一角獣の輝くような白さは、周りの雪さえも灰色に見えるほどだった。金色の蹄で神経質に雪をかき、角のある頭を仰け反らせている。夢中になって一角獣を見つめる生徒達を見て、見事復活を果たしたロンが焦って言った。

 

「やばいぜ。このままじゃ、先生の座をプランクばあちゃんに盗られちまう!」

「でもあのスキーターって女、どうしてハグリッドが半巨人だって分かったのかしら?」ハーマイオニーが首を傾げた。

「ハグリッドがスキーターさんに話したのかな?」イリスはポケットから新聞の切り抜き記事を取り出した。

「話すわけないよ。僕らにだって、一度も話さなかったのに」

 

 ハリーが腕組みをして、憤懣やる方ない口調で言い返した。四人は一角獣を見つめながら、ぼんやりと思いを馳せた。プランク先生は遠くにいる生徒達にも聴こえるように大声で、一角獣のさまざまな魔法特性を列挙している。不意にハーマイオニーが、イリスの持つ新聞の切れ端に目を留め、口を開いた。

 

「ねえ、ふと思ったんだけど。ハリーとロンの”真実の愛”の記事・・・」

「その話は止めてくれ」ハリーとロンの声がハミングした。

「違うの、最後まで聞いて!」ハーマイオニーがもどかしげに体を揺すった。

「あの記事に書かれてたロンの言葉・・・貴方は覚えてないかもしれないけど、ホグズミードの”三本の箒”で、貴方がシリウスに言った時の言葉と全く一緒なの。まるであの時、スキーターが()()()()()()会話を丸写ししたみたいにね」

「あいつがどこかで盗み聴きしていたっていう事?」

 

 ハリーは、彼女が言わんとしている事を理解して眉を潜めた。だが実際、”三本の箒”でシリウスを探して周囲を見渡した時、スキーターらしき姿は見当たらなかった。仮に自分達が席に着いた後にやって来たのだとしても、あの喧騒の中で聞き耳を立てるのなら、こちらのテーブルに相当近づかないといけない筈だ。そうすれば、自分達の誰かが必ず――あの人目を引く彼女の格好に気づく。その事に思い至ったハリーは、皆にスキーター女史の特徴的な外見を伝えたが、やはり誰もランチ中にそんな姿を見かけていないと首を横に振った。

 

「透明マントは?」ロンが出し抜けに言った。

「それかスキャバーズ・・・あ、ゴメン(イリスを見て謝った)・・・”動物もどき”とか!」

 

 

 一月半ばにホグズミード行きが許された。もしかしたらハグリッドにひょいと出会い、授業に戻ってもらうように説得するチャンスがあるかもしれない。イリス達は雪でぬかるんだハイストリート通りを、目を凝らしてハグリッドの姿を探しながら歩いた。どの店にもハグリッドがいないことが分かると、四人は冷え切った身体をバタービールで暖めようと”三本の箒”へ向かった。

 

 パブは相変わらず混み合っていた。しかし店内をざっと見回しただけで、ハグリッドの姿がない事だけは理解できた。四人はがっくりと落ち込み、カウンターに横並びに座るとマダム・ロスメルタにバタービールを注文した。ハーマイオニーが口に泡の髭を付けているのをロンがからかっていると、ハリーが出入口を見つめて鋭い声を出した。

 

「スキーターだ!」

 

 三人は一斉に振り返った。――バナナ色のローブを着た魔女と、大きなカメラを下げた魔法使いが、扉を開けて入ってきたところだった。スキーターのブロンドの毛先はきっちりとカールしていて、宝石で縁が飾られたメガネを掛けている。長い爪をショッキングピンクに染め、赤いワニ革ハンドバッグを大事そうに抱えている。ハリーの言う通り、とても派手な外見の魔女だった。彼女は飲み物を買い、カメラマンと二人で他の客を掻き分けて、カウンターの前に設置された二人掛けのテーブルに座った。スキーターはすぐ近くでイリス達が怒りの眼差しを向けている事も知らず、とても満足気に早口で喋り始めた。

 

「あたし達とあんまり話したくないようだったねえ、ボゾ?さーて、どうしてか、あんた分かる?ルード・バグマンの奴、あんなにゾロゾロ小鬼を引き連れて、何してたんざんしょ?何か臭わない?ちょっとほじくってみようか?」

 

 スキーターはパブに来る途中で、ルードと出くわしたようだった。”新たな特ダネ”――ルード・バグマンと交わした会話の内容を思い返しているのか、少しばかり宙を見つめながら、彼女は食前酒だと言わんばかりに蜂蜜酒を啜り、また口を開いた。

 

「『魔法ゲーム・スポーツ部、失脚した元部長、ルード・バグマンの不名誉』・・・なかなか切れのいい見出しじゃないか。ボゾ、あとは見出しに合う話を付けるだけざんす・・・」

「また誰かを破滅させるつもりか?」

 

 ついに我慢の限界を迎え、ハリーが大声を出した。何人かの客が興味深げにこちらを振り返った。スキーターは声の主を見つけると、宝石縁の眼鏡の奥で目を見開いて、にっこりと笑った。

 

「ハリー!素敵ざんすわ、こっちに来て一緒に・・・」

「お前なんか、一切関わりたくない。三メートルの箒を間に挟んだって嫌だ」ハリーはカンカンに怒っていたし、イリス達も同じ思いだった。

「一体何のために、ハグリッドにあんなことをしたんだ?」

 

 スキーターはペンシルでどぎつく描いた眉をギュッと吊り上げ、小さな子供に言い聞かせるように優しい口調でこう言った。

 

「読者には真実を知る権利があるのよ、ハリー。あたくしはただ自分の役目を・・・」

「”真実”?」ハリーはカウンターから立ち上がり、スキーターを睨んだ。

「お前が書いている事は、悪意に満ちた嘘ばかりじゃないか!」

 

 今や、酒場中がしんと静まり返っていた。マダム・ロスメルタはカウンターの向こうで目を凝らしていたが、注いでいる蜂蜜酒が大ジョッキから盛大に溢れているのにも気づいていない様子だった。スキーターはわずかに動揺したように身じろぎしたが、たちまち取り繕ったような笑顔を浮かべた。ワニ革バッグの留め金をパチンと開き、ライム色の羽根ペン――きっと”自動速記羽根ペンQQQ”だ――を取り出して、彼女は一切怖気づく事無くこう言い放った。

 

「ハリー、君の知ってるハグリッドについてインタビューさせてくれない?君の意外な友情とその裏の事情についてざんすけど。君はハグリッドが父親代わりだと思う?」

 

 突然、ハーマイオニーが荒々しく立ち上がった。手にしたバタービールのジョッキを手榴弾のように握り締め、スキーターを憎々しげに睨み付ける。

 

「貴方って最低の女よ!」ハーマイオニーは歯を食い縛った。

「記事のためなら、何にも気にしないのね。誰がどうなろうと・・・」

「お座りよ。馬鹿な小娘のくせして。分かりもしないのに、分かったような口を聴くんじゃない」

 

 スキーターの笑顔は一瞬にして拭い去られ、彼女は研ぎ澄まされたナイフのように鋭く冷たい表情でハーマイオニーを一瞥し、嘲笑った。

 

「あたしゃね、世の中の出来事について、あんたの髪の毛が縮み上がるような事ばかり掴んでいるのさ。最も、()()()()()()()()()()ようざんすけど・・・」

 

 ハーマイオニーの巻き毛を小馬鹿にしたような目で眺め、スキーターが捨て台詞を吐いた。イリスはもう黙っていられなかった。――この人はハリーやロン、ハグリッドだけでなく、ハーマイオニーをも傷つけた。イリスは躊躇う事無く魔法力を行使し、スキーターの目を介して彼女の心を”盗み見”した。

 

 ――この時、イリスは自分の心に芽生えた()()に気付いていなかった。スネイプは悪しき者に蹂躙されるばかりだったイリスに、彼らと立ち向かう力や術を与えた。しかし強い力は時として人を溺れさせ、狂わせる。それはイリスだって例外ではなかった。彼女は”スキーターを懲らしめる”という自分の目的のためだけに、力を使ってしまったのだ。

 

 幸いな事にスキーターの心の世界は無防備で、イリスは難なく彼女の正体を見破る事が出来た。――スキーターは自分と同じ非公認の”動物もどき”で、小さなコガネムシに変身して諜報活動を行っていたのだ。クリスマス・ダンスパーティの夜、妖精の光が幻想的に輝く噴水の前で、ハグリッドがマダム・マクシームに自分の素性を明かしている。その大きな背中には、小さなコガネムシが一匹留まっていた。『もうこれ以上、ハグリッドを傷つけさせたりするもんか』――イリスは奮起しながら、劇の演技の感覚を思い出し、自分にこう言い聞かせた。――今からする事は、劇なんだ。落ち着いてしっかりと演じなきゃ。

 

『ハリーじゃなくて、私がインタビューを受けたらダメですか?ハグリッドのことで』

 

 イリスが少し緊張した面持ちでそう言った瞬間、ハリー達はギョッとした目付きで彼女を見た。スキーターはまた笑顔に戻り、まるで素晴らしいご馳走を目の前にしたかのように舌なめずりをして目を輝かせた。何時の間にかテーブルに置かれていた羊皮紙の上を、QQQが飛ぶように行ったり来たりし始める。

 

「まあ、まあ、君はイリス・ゴーントね?良く知ってるわ、ハリーと同じ位の有名人ですもの。ようござんすよ、君の事はとっても()()()書くようにスポンサーから頼まれていますから、楽しみにしていてね。さあ、こっちへ!」

 

 スキーターは愛想良く言って、自分の隣の席を勧めた。カメラマンが慌てて立ち上がり、イリスの写真を撮り始める。しかし彼女は恥ずかしがって、俯きながら小さい声で言った。

 

『恥ずかしいから、お店の外でインタビューしてほしいです。あまり人の来ないところで』

 

 スキーターは快諾し、イリスの手を引っ張って、カメラマンと一緒に店を出て行った。イリスはハリー達と擦れ違う時に、悪戯っぽくウインクしてみせた。――一体、何をするつもりなんだ?イリスの行動の意図が分からず、ハリー達は戸惑いながらも席を離れ、彼らの跡をついていった。

 

 

 イリス達は”三本の箒”の裏手にいた。バタービールの空き樽に腰掛け、スキーターはQQQと羊皮紙を空中に浮かばせると、早速イリスに質問を始めた。

 

「ハグリッドは君にとってどんな人?筋肉隆々と髭もじゃに隠された顔はどんな感じなの?」

『私にとって、大切な友達です』イリスは素直に応えて、微笑んだ。

『そして笑うと小さな目が()()()()()みたいにキラキラ光って、とても素敵なんです。まるで()()()()()()()

 

 ”コガネムシ”、”あなたみたいに”――イリスが放った言葉の一部を聞き咎め、スキーターの笑顔が俄かに凍り付いた。しかし彼女は首を振り、自分の心に浮かんだ疑念を追い払った。たまたま言葉の選び方がそうなっただけだ。こんな他愛無い小娘が、自分の正体に気付ける筈がない。スキーターは再び質問を始めた。

 

「君はハグリッドが父親代わりだと思う?」

『はい。いつも私を守って支えてくれます』イリスははきはきと応えた。

『この間も彼の小屋に遊びに行った時、私の肩に付いていた()()を、ハグリッドがやっつけてくれたの。パン!って』

 

 イリスがパンと両の掌を強く打ち合わせると、スキーターの肩がビクリと震えた。何時の間にか、分厚い雲が暖かな陽光を遮り、仄暗い影を落としている。薄暗がりの中で、少女の目が不気味な赤色に光った。店内で見た時、あの目はエメラルド色だった筈だ。スキーターはごくりと唾を飲み込んで、たじろいだ。――間違いない。この娘は、自分の正体を知っている。

 

「あんた、何者?」スキーターの声は、恐怖で掠れていた。

『私が何者かどうかは、あなたが一番良くご存じではないですか?小さなコガネムシさん』

 

 イリスはQQQが羊皮紙上を狂ったように舞い踊り、遠目にも分かるほどに大きな文字で自分の素性――”例のあの人との血縁者”、”従者メーティス・ゴーントの孫娘”、”秘密の部屋の真の継承者”など――を書き立てていく様子を見つめ、思わず苦笑いした。けれど常日頃、ずっと迷惑を掛けられているのだから、今回くらい”闇の帝王”やメーティスの権威を笠に着たって構わないだろう。彼女は今この時だけ、悪役(ヴィラン)になる決意をした。

 

『今度、私の大切な友達を傷つけたら・・・』

 

 イリスはそこで言葉を区切り、杖を唇に押し当てて何かを囁いた。――イリスの”動物と話せる能力”に着目したスネイプは、いざという時に彼らの助けを得られるようにと、言葉に微量の魔法力を含ませて十数メートル四方に拡散させ、動物を呼び寄せる魔法を創り出してくれていた。かくしてイリスの声は、ホグズミード村に潜む、声なき者達の耳にしっかりと届けられた。

 

 やがてスキーターはヒッと恐怖に声を詰まらせ、大きく仰け反った。何十という――大小さまざまなサイズの蜘蛛達が、家屋や地面のひび割れから這い出て、こちらへやって来たからだ。俄かに無数の羽ばたき音がして頭上を見上げると、(おびただ)しい数のカラスが不気味な鳴き声を上げながら飛んできて、屋根に留まり、スキーターをじっと見下ろした。――彼らはいずれもコガネムシの天敵とされる存在だ。

 

「あっ・・・ああぁ・・・」

 

 スキーターはガクガクと震える足をなんとか押さえつけ、目の前にいる少女を見つめた。――たった十四歳の小さな少女だ、彼女は今にも恐怖で砕け散りそうな自分の心を奮い立たせ、何度もそう言い聞かせた。ついさっき自分がボサボサ頭を馬鹿にした、あの生意気な少女と同じ年だ。蜘蛛もカラスも、杖で吹き飛ばせば済む話だ。しかしスキーターにはできなかった。イリスを冠する――不名誉極まりない数々の言葉に見合うような風格や凄味を、今の彼女は有していたのだ。イリスは舞い降りたカラスを腕に乗せ、優しく撫でながらこう言った。

 

『今度コガネムシに変身した時、偶然通り掛かった”私のお友達”が・・・あなたをパクッて食べちゃうかも』

≪撫でてくれるのは良いんだけどさあ≫カラスが不満げに鳴いた。

≪どこにとびきりの御馳走があるんだよ?おれ、腹ペコなんだ≫

 

 そのカラスの言葉は、スキーターの耳に、自分を狙う”不気味な鳴き声”として聴こえた。余りの恐怖に失禁し、彼女は声にならない叫び声を上げながら、QQQも羊皮紙も放り出して、這う這うの体でその場を逃げ出した。カメラマンが何度も転びながら、その跡に続く。

 

 ――かくして、イリスの復讐劇は幕を下ろした。どうやら上手く行ったみたいだ。ふーっと息を吐いて大きく伸びをしてから、彼女は協力してくれた小さな友にお礼を言い、今からパブで”とびきりのご馳走”を調達してくる事を約束した。そして次の瞬間、イリスはハリーとハーマイオニーに後ろからギュウッと抱きすくめられた。

 

「もう!貴方って――貴方って――滅茶苦茶に最高!あのスキーターの顔ったら!」イリスを抱き締めて、ピョンピョンと兎のように飛び跳ねながら、ハーマイオニーが叫んだ。

「最高にスカッとしたよ!」蜘蛛の群れから遠く離れた場所で、ロンが言った。

 

 イリスは改めて、三人にスキーターの正体を話して聴かせた。それから揃って”三本の箒”に戻る前、ハリーはふと地面に打ち捨てられた羊皮紙を見つけて拾い上げた。傍にはライム色の羽根ペンも転がっている。スキーターが書きかけた原稿には、恐怖にわなわなと震える文字で、このような事が書かれていた――”闇の魔女、イリス・ゴーントは、蜘蛛やカラスをけしかけて、本誌の記者を脅し付けた。その目は真っ赤に光り、まるで例のあの人の・・・”

 

 『こんなのデタラメだ。イリスが闇の魔女である筈がない』――ハリーはどこか自分にも言い聞かせるように、心の中でそう呟いて、万が一にもイリスがこれを見て心を痛めないようにと、その紙をビリビリに破り捨てた。そうして四人はパブに戻ってご馳走をたらふく買い込み、蜘蛛やカラス達にお礼をした後、ハグリッドの小屋へ向かった。

 

 

 四人は帰り道を走り抜け、羽の生えたイノシシ像が一対立っている校門を駆け抜け、校庭を突き抜けて、ハグリッドの小屋へと走った。小屋のカーテンは閉まったままだった。四人が近づくと、ファングが嬉しがって吼える声が聴こえてきた。

 

「ハグリッド!」ハーマイオニーが扉を叩きながら叫んだ。

「いい加減にして!そこにいる事は分かってるわ!貴方のお母さんが巨人だろうと何だろうと、誰も気にしてないわ!スキーターはイリスがとっちめてくれたの!あんな女にやられてちゃダメよ!」

 

 突然、ドアが開いた。ハーマイオニーは「ああ、やっと!」と言い掛けて、口を噤んだ。――ハーマイオニーに面と向かって立っていたのはハグリッドではなく、ダンブルドア校長だった。

 

「こんにちは」ダンブルドアは四人に微笑みかけながら、優しく言った。

「私達、あの、ハグリッドに会いたくて・・・」

 

 ハーマイオニーが先程までの勢いはどこへやら、しどろもどろにそう言うと、ダンブルドアはブルーの目をキラキラと輝かせて、四人を小屋の中へ迎え入れた。ファングが喜び勇んで、四人の間を駆け回った。――ハグリッドは大きなマグカップが二つ置かれたテーブルの前に座っていた。顔は泣いて(ぶち)になり、両目は腫れ上がり、髪の毛に至っては撫でつけるどころか、今や絡み合った針金のカツラのようになっていた。見る影もなくやつれ果てたハグリッドの姿を見て、イリス達は掛ける言葉が見当たらず、ただ心を痛めるばかりだった。

 

「よう」

 

 ハグリッドは顔を上げて四人を見ると、嗄れた声を出した。

 

「もっと紅茶が必要じゃの」

 

 ダンブルドアは四人が入った後で戸を閉め、杖を取り出してクルクルと回した。次の瞬間、空中に紅茶とケーキを載せた大きな盆が現れ、テーブルの上にそっと着地した。皆がテーブルに着いた後、少しばかり間を置いてから、ダンブルドアが口を開いた。

 

「ハグリッド、ミス・グレンジャーが叫んでいたことが聴こえたかね?」

 

 ハーマイオニーは顔を赤くしたが、ダンブルドアは彼女に優しく微笑みかけて、話を続けた。

 

「ハーマイオニーもハリーもロンもイリスも、ドアを破りそうなあの勢いから察するに、今でもお前と親しくしたいと思っているようじゃ」

「もちろん、僕達、今でもハグリッドと友達でいたいと思ってるよ!」ハリーはハグリッドを見つめながら、熱い思いを込めて言った。

「あんなクソ――すみません、先生・・・(ダンブルドアがホッホッと笑った)・・・あんな女がハグリッドの事をどう書こうと、僕らが気にする訳ないだろう?」

 

 ハグリッドのコガネムシのような真っ黒な目から大粒の涙が二粒零れ、もじゃもじゃ髭をゆっくりと伝って落ちた。

 

「それに君の敵はイリスが取ったんだ!」ロンが勝ち誇ったように言った。

「ほう。”敵を取った”とは?」ダンブルドアが興味深そうに尋ねた。

 

 イリスは皆に改めて、事の顛末を話して聴かせた。皆はどっと笑い、ハグリッドもかすかに笑い声を上げた。

 

「なんと、これでスキーター女史も迂闊には飛び回れぬじゃろう。わしもフォークスにご協力を願わねばな」

 

 ダンブルドアは悪戯っぽくウインクして、それから労わりに満ちた眼差しでハグリッドを見つめた。

 

「これぞわしの言った事の”生きた証”じゃよ、ハグリッド。生徒の親達から届いた、数え切れない程の手紙も見せたじゃろう?自分達が学校にいた頃のお前の事をちゃんと覚えていて、もしわしがお前をクビにしたら一言言わせてもらうと、そうはっきり書いてある」

「でも・・・全部が全部じゃねえです」ハグリッドの声は掠れていた。

「みんながみんな、俺が残る事を望んではいねえです」

「それはの、ハグリッド。世界中の人に好かれようと思うのなら、残念ながらこの小屋にずっと長い事閉じ籠もっているほかあるまい」

 

 ダンブルドアの半月眼鏡の奥に輝くブルーの目が、今度は厳しい光を帯びた。

 

「世界中の人に好かれる者など、この世には存在せぬ。だからこそ、人は愛を求める。皆、お前と同じじゃよ。自分を愛する者とそうでない者、両方を抱えて生きておるのじゃ」 

「そんでも、先生は”半巨人”じゃねえ!」ハグリッドは頑固に言い縋った。

「ハグリッド、じゃあ私はどうなるの?」イリスは怒って、口を挟んだ。

「私の親戚はヴォルデモートなんだよ!おまけに彼に敵意を抱いたら死ぬ呪いも掛かってるんだよ!」

 

 たちまちその場の空気は冷たく凍り付いた。ダンブルドアでさえ、笑わなかった。ハグリッドは気まずそうに頬を搔き、「そりゃあ、お前さんはそうだろうが」と口籠って俯いた。――イリスは自分で言った言葉に打ちのめされ、しょげ込んだ。その頭をハーマイオニーが優しく撫で、穏やかな声でこう言った。

 

「お願いだから、戻って来て。ハグリッドがいないと、私達ホントに寂しいわ」

 

 ハグリッドがごくっと喉を鳴らした。またしても涙がボロボロと頬を伝い、モジャモジャの髭を滴り落ちていく。その様子を見届けたダンブルドアは、ゆっくりとした動作で立ち上がった。

 

「辞表は受け取れぬぞ、ハグリッド。月曜日に授業に戻るのじゃ」

 

 そう命じると、ダンブルドアは扉の傍に寛いでいたファングの耳を少しばかりカリカリしてから、小屋を出て行った。扉が静かに閉まると、ハグリッドはゴミバケツの蓋ほどもある両手に顔を埋めて、啜り泣き始めた。イリス達は代わる代わる彼の腕を軽く叩いて、彼を慰めた。やがて顔を上げたハグリッドは、目を真っ赤にして呻いた。

 

「偉大なお方だ、ダンブルドアは。そうだとも、あのお方も、お前さんらも、みんな正しい。俺が馬鹿だった。俺の父ちゃんは、俺がこんなことをしてるのを見たら、恥ずかしいと思うに違いねえ」

 

 またしても大粒の涙が溢れたが、ハグリッドはさっきよりきっぱりと涙を拭ってみせた。どこか吹っ切れたような、清々しい様子だった。

 

「父ちゃんの写真を見せたことがなかったな?どれ・・・」

 

 ハグリッドは立ち上がって洋服ダンスのところまで行き、引き出しを開けて写真を取り出した。――ハグリッドのお父さんは、一体どんな人なんだろう。イリス達は興味津々に写真を覗き込んだ。白黒の世界で、ハグリッドと同じコガネムシのように輝く黒い瞳を持つ、小柄な魔法使いが、ハグリッドの肩に乗っかって笑っていた。傍の林檎の木から判断して、ハグリッドは優に二メートル豊かだが、顔には髭がなく、丸っこくてとても幼かった。

 

「ホグワーツに入学してすぐに撮ったやつだ」ハグリッドは写真を見て、懐かしそうに微笑んだ。

「親父は大喜びでなあ。俺が魔法を使うのが下手だから、ホグワーツに行けないんじゃねえかと心配しとったんだ。親父は、俺が二年生の時に死んだ。それから支えて下さったのが、ダンブルドア先生だ。森番の仕事をくださった。

 今ほどじゃねえが、これまでも俺の図体を怪しんだり、なじる奴らはぎょうさんいた。だが、”恥じることはないぞ”って、俺の親父は良く言ったもんだった。”そのことでお前を叩く奴がいても、そんな奴はこっちが気にする価値もない”ってな。親父は正しかった」

 

 イリス達はしんとなって、話に聴き入った。――それから、ハグリッドは全てを話してくれた。ダンスパーティの夜、マダム・マクシームと親密な間柄になり、自分が”半巨人”である秘密を明かし、同じ身の丈のマクシームもそうではないかと言ったら、彼女が憤慨してその場を立ち去って行った事。そしてその数日後に自分の記事が書かれ、自分があの夜にマクシームに言った会話の内容全て――母親の名前に至るまで――が、詳細に記載されていたという事も。写真を握り締め、ハグリッドは静かに言葉を続けた。

 

「マクシームは・・・あいつは結局、認めんかった。”骨が太いだけだ”と。だが、俺は自分から逃げん。誰が何と言おうと、自分の生まれを誇りに思うぞ」

 

 ハグリッドの黒い目は、コガネムシのようにキラキラと輝き始めた。四人はホッと安心して、お互いに目線を交し合った。『自分の生まれを誇りに思う』――イリスはその言葉が、とても眩しく感じられた。自分もいつか、そんな風に思える日が来るのだろうか。ハグリッドは、ふとハリーに目を留めた。

 

「ハリー。お前さんに初めて会った時、昔に俺に似てると思った。父ちゃんも母ちゃんも死んで、お前さんはホグワーツでやっていけねえと思っちょった。そんな資格があるのかどうか、お前さんは自信がなかったなあ。ところが、ハリー、どうだ。――”学校の代表選手”だ!」

 

 ハグリッドは確信に満ちた笑顔を浮かべ、ハリーの肩をポンと軽く叩いた。思わずクリームたっぷりのケーキにダイビングしそうになりながら、ハリーは部屋のトランクに永い事入れっぱなしだった”金の卵”の存在をハッと思い出した。

 

「ハリーよ、試合に勝って、みんなに見せてやれ。自分の生まれを恥じることなんかねえ、魔法さえ使えれば誰でも入学するのが正しいってことを、ダンブルドアが正しいってことを、みんなに見せてやるんだ。

 ・・・ところで、あの卵はどうなってる?」

 

 ――ハリーは凍り付いたように黙り込んだ。”金の卵”の存在を、ハグリッドに今指摘されるまで、すっかりと忘れていた。焦ったイリスが取り成すように、卵を開けると甲高い悲鳴が聴こえる事、そしてその声に”渇き”を感じるという事を説明すると、ハグリッドは少しばかり考えてから、こう言った。

 

「ちいと、その卵を持って来いや。そんで、ここで開けたらどうだ?・・・ああ、別に手伝うつもりはねえぞ?ハーマイオニー。試練は自分一人で達成するもんだからな」

 

 すかさず飛んできたハーマイオニーの熱い視線と込められた想いを察し、ハグリッドは悪戯っぽくウインクしてみせた。ハリーは急いで塔に駆け戻り、卵を持って帰って来た。来たるべき衝撃に備えて、イリス達がしっかり耳栓をした――ファングの耳にはハグリッド愛用の水玉模様のハンカチを巻き付けた――のを確認して、ハリーは卵を開けた。たちまち泣き喚くような甲高い悲鳴が、小屋じゅうに響き渡った。ハリーが目を白黒させながら卵をバチンと閉じると、ハグリッドは驚く様子もなく、暖炉の火にヤカンを掛けながら大きな独り言を言った。

 

「こりゃ”水中人(マーピープル)”の声だな。あいつらの声は、陸の上じゃひどいもんだ。水ん中では、まともな声に聴こえるんだがなあ」

 

 ――”水中人”だって?ロンがいち早く飛び出して、小屋の外に転がされた空のバケツを取って戻って来た。ハーマイオニーが”肥大呪文”を掛けてゴミバケツほどに大きくし、イリスが杖を振ってその中に水を満たしていく。ハリーはバケツの中にそっと卵を差し入れて、開けた。――水の中から、美しい歌声が聴こえる。しかし水の中なので、歌の文句が聞き取れない。ハリーは躊躇う事無く息を吸って、バケツの中に顔を沈めた。

 

 ”探しにおいで、声を頼りに 地上じゃ、歌は歌えない 我らが捕えし、大切なもの 探す時間は、一時間 一時間のその後は、もはや望みはありえない”♪

 

 ハリーは一度浮上して酸素を取り込んでから、歌詞をしっかりと覚えるために、何度かバケツの中に潜った。やがて彼は卵を閉じると、バケツから体を離し、びしょ濡れの頭をローブの袖で拭った。

 

「たぶん水中人が僕の大切なものを捕えていて、一時間以内にそれを取り戻さないともう二度と帰らないって歌ってる。・・・分かったぞ!」ハリーが突然叫んだ。

「”第二の課題”は湖に入って水中人を見つけて、大切なものを取り返す事なんだ。でも待って、僕・・・」

 

 ハリーはふと不安になった。誰かが突然ハリーの心の栓を引き抜いたかのように、興奮が一度に流れ去った。――ハリーは水泳が得意ではなかった。今までダドリー家にいた時に水泳訓練をまともに受けさせてくれなかったという事もあるが――あの湖はとても大きいし、おまけに深い。それに水中人はきっと湖底に住んでいるはずだ。ホグワーツではマグル製品である酸素ボンベを使えないだろうし、そもそもハリーはダイビング免許を持っていない。彼は思わず愕然として呟いた。

 

「どうやって息をすればいいんだ?」

「そりゃあ、”鰓昆布”だろうが」ハグリッドは当然のような口調で言った。

「海に潜る魔法使いは、みんなそれを食うとる。魚のように水の中で息をして泳げるんだ。泳ぎに自信があるんなら、”泡頭の呪文”でもええな」

「本当にありがとう、ハグリッド!」ハリーが興奮と感激に上擦った声で叫んだ。

「さすがハグリッドだよ。”金の卵”の謎をこうも早く解くなんてさ」ロンがすかさず乗っかった。

「やっぱりハグリッドがいなくちゃ」ハーマイオニーとイリスの声がハミングした。

 

 ハグリッドはたちまち顔を真っ赤にして針金頭を搔きむしり、しどろもどろになった。

 

 

 それからイリス達は、”鰓昆布”の入手方法を調べたが、残念な事にそれは貴重品で、おまけに今が海水浴に凡そ適さない季節であるため、近くの店に在庫はなく、すぐに手に入るような代物ではなかった。ハリーは水泳訓練と”泡頭の呪文”の練習を同時に進行しなければならなくなった。イリスとロンは喜んで協力すると約束したが、ハーマイオニーだけは”ハリーが自分の力だけで試練を達成しなければならない”と突っぱねた。しかし、さすがにハリーを湖底で溺死させる訳にはいかないと思ったのか、渋々ではあるが、力を貸してくれる事になった。

 

 ハグリッドは再び「魔法動物飼育学」の授業に出席し、プランク先生と同じ”一角獣”の授業を続けた。彼がプランク先生のする事くらい自分にもできると証明したかったのかは、分からない。しかしハグリッドが、彼がこよなく愛する怪物達と同じくらい一角獣について詳しいという事と、また一角獣に毒牙がないのは残念だと思っている事は分かった。どうやったのかは不明だが、希少極まりない一角獣の赤ちゃんを二頭も捕え、皆の心を鷲掴みにするハグリッドの雄姿を見て、イリス達は安心して胸を撫で下ろしたのだった。


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