ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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Act13.救済の手

 イリスは、みんなにシリウスとの出来事を話して聞かせた。ハロウィーンの夜、クルックシャンクスの導きでシリウスに出会った事、それから彼に聞いた話の全てを――。ハリーたちの顔色がみるみるうちに真っ青になり、強い恐怖と警戒心を帯びていくその一方で、フィルチとミセス・ノリスは、イリスが話をしている間、彼女の瞳をじっと眺めているだけだった。彼らはイリスの目の色だけで、話が真実がどうかを判断することのできる、動物特有の特異な感覚を持ち得ていた。二人は話が終わった後、真剣な表情でお互いの顔を見合って、確信を得たとばかりに一つ頷いた。

 

「君・・・ブ、ブラックとグルだったのかよ!」ロンが思わず後ずさりながら、素っ頓狂な声で叫んだ。

「イリス、貴方は正気じゃないわ!ブラックに操られているの!”錯乱の呪文”を掛けられているのよ!」

 

 ハーマイオニーは両手で口を覆い、恐怖の余り掠れた声で、苦しそうに言った。ハリーは青ざめた顔つきのまま、黙りこくっている。彼にとって、この話はさぞかし衝撃的な事実だったに違いない。

 

 ――やはり、想像した通りだ。イリスは眉根を寄せ、唇を噛み締めた。しかしイリスとシリウスの事件の裏側が思った以上にずっと複雑で危険だと分かった今、一刻も早い解決策が必要だ。いつも自分を信じてくれるみんなを信じて、シリウスの秘密を話したのだ。ここで自分が踏ん張らなければ、彼の安全が破られてしまう。イリスは静かに首を横に振って、口を開いた。

 

「みんな、どうして私の話を信じてくれないの?実際に会ったり話したりしたこともない人を、どうして”悪い魔法使い”だって決めつけるの?」

「何、馬鹿みたいなこと言ってるんだよ!目を覚ませ!」ロンが激昂して怒鳴った。

「ブラックに泣き落としでもされたのか?新聞にも書いてあったじゃないか!魔法界じゅうが知ってるよ、『ブラックは大量殺人鬼だ』って!」

「新聞に書いてあることは、絶対に真実なの?周りの人たちの言うことが、間違いじゃないって、どうして言い切れるの?」

 

 ようやくイリスが何を言いたいのか、理解したハーマイオニーは、さっと口を噤んだ。ハリーは興奮した様子のロンを諫めようとしながら、イリスに無言で続きを促した。

 

「私もシリウスと出会うまで、みんなと同じ考えだった。周りの人たちが言うこと、本や新聞に書いてあることは、全部正しいんだって思ってた。でも、間違ってることもある。・・・私の本みたいに」

 

 部屋じゅうに充満したパニックの感情が、すーっと音を立てて鎮まっていくようだった。ハリーたちの頭の中に、イリスの本の内容やそれを鵜呑みにした友人たちの顔が、次々と思い浮かんだ。敵意を剥き出しにしたジニー、怯えるラベンダーやパーバティたち、廊下でイリスと擦れ違う度に、たっぷりとした畏怖の視線を注ぐホグワーツの生徒たち――。

 

 ハリーたちがどんなに口酸っぱく説教しても、みんなの考えは変わらなかった。彼らは三年間、現実世界で苦楽を共にしたイリスよりも、紙に書かれた活字の方を信じたのだ。ロックハートのみならず、素晴らしい肩書や数々の称号を持つ人間の言葉は――その内容が、本当に真実なのかどうかは別として――受け取る者に、確かな重みを生じさせる。

 

 ハリーたちは戸惑う顔を見合わせた。イリスは何とも驚くべきことに、シリウスも無実だと訴えたいのだ。世間を騒がせた、おぞましい罪の数々は全くの濡れ衣で、本当は善良な魔法使いなのだと。真犯人は”動物もどき”のスキャバーズもといピーター・ペティグリューで、おまけに彼はルシウス・マルフォイにイリスの情報を流していたのだと。

 

 三人がそんなイリスの話を『馬鹿馬鹿しい!』と一蹴できないのには、ある一つの理由があった。それは、”イリスが放つ雰囲気の変化”だ。――きっとフィルチにいじめられ、くしゃくしゃになって泣いているだろう姿を想像し、矢も楯もたまらず駆けつけた三人にとって、今の彼女の姿は本当に驚くべきものだった。自分の心に眠る”本当の望み”に気づく事で、揺るぎない精神的な強さを手に入れたイリスは、体に溢れる魔法力を無意識のうちに支配し、名家の娘に相応しい気品と威厳を備えた一人前の魔女へと変貌していた。

 

 彼女が放った言葉には確かな重みがあり、その真摯な瞳には言い知れぬ凄味があった。それらを真正面から受け止めたハリーたちは、イリスの言葉を嘘だと思い切る事など出来なかった。『友の言葉を信じたい』という気持ちと、『ブラックに騙されているのでは?』と案じる気持ちが、三人それぞれの心の中で終わりのないシーソーゲームを繰り返している。

 

「貴方の言いたい事は分かるわ。とってもね。でも、それとこれとは・・・」ハーマイオニーは青ざめた唇を舐め、言い淀んだ。

「ううん、一緒だよ。私も、シリウスも」

 

 イリスは首を横に振り、毅然とした態度で応えた。そう、同じだ。シリウスはピーターから、イリスはロックハートから、濡れ衣を着せられて、悪者に仕立て上げられた。――イリスはローブのポケットに手を突っ込み、マホウトコロ学校の巻物をギュウッと握り締めた。もう私は逃げない。シリウスと一緒に戦うんだ。自分たちのローブに擦り付けられた汚れを、絶対に拭い去ってみせる。

 

「お願い、シリウスを信じて。もし本当に彼が悪い魔法使いで、ハリーを狙ってるなら、とっくの昔に私に魔法を掛けて、ハリーを襲わせていたはずだよ」

「そいつは嘘を吐いてない」

 

 不意にしわがれた声がして、イリスたちは一斉にその方向を見た。――フィルチだ。ずずっと鼻をすすりながら、彼は不機嫌そうにこう続けた。

 

「目を見りゃあ、分かる」

≪私も彼と同意見だわ≫ミセス・ノリスは上機嫌な様子で、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 

 イリスは淹れ立ての紅茶を飲んだ時のように、体がぽかぽかと温まってくるのを感じた。かつて交わした盃は、二人と一匹の友情を確かなものにしてくれていた。

 

 

 ハリーは長い間、言葉もなく、イリスをじっと見つめることしか出来なかった。

 

 俄かには信じがたい事実だ。シリウス・ブラックが、本当は自分の両親の親友で、そして自分達を守るために囮となって命懸けで戦ってくれていた。しかし親友と思い全てを託したピーターに裏切られ、彼自身とマグル殺しの濡れ衣を着せられ、アズカバンの囚人となった。おまけに十二年振りの脱獄の理由は、私利私欲などではなく、ピーターの手からハリーを守るためだ。現在、彼は密かにホグワーツ内に潜伏し、ピーターの行方を捜索しているという。

 

 ハリーの脳裏に、自分に冷たく接するダーズリー家の人々の様子が思い浮かんだ。新聞や指名手配書に掲載された、ブラックの骸骨のような顔が、それに重なる。――ハリーの心臓に、今まで感じた事の無い不思議な感情が流れ込んでくる。

 

 冷静になれ、とハリーの心の声が叫んだ。そんな荒唐無稽な話、ありっこない。イリスは筋金入りのお人好しだし、今までに何度も悪い魔法使いに魅入られていた。今回の件だって、イリスがブラックに操られていると考える方が、よほどスムーズに理解できるというものだ。

 

 だけどそれなら、どうしてイリスの言う通り、今まで僕を殺しに来なかったんだ?――もう一つの心が、彼に静かに囁いた。いくらでもチャンスはあった筈だ。イリスを通じて、誰が聞いたって嘘だと思うような話をするメリットなんて、どこにある?僕らがそれを信じ込んで『ブラックは無実だ』と主張したって、周りの大人たちに言い包められて、再びアズカバンへ連れ戻されてしまうのが関の山なのに。

 

 戸惑うハリーは何かに縋るように、イリスの双眸を見つめた。宝石のように神秘的に煌めく青い目が二つ、ハリーを見つめ返す。曇りのない、ひたむきな瞳だ。イリスの瞳の輝きは、最初に出会った頃から何も変わっていない。

 

 不意にハリーは喉が詰まり、声が出なくなった。――本当なのか?心から僕を思い、命を賭けて守ろうとしてくれる人がいるなんて。

 

「僕、ブラックに会ってみたい」

 

 気が付けば、ハリーはそう呟いていた。

 

「おいおい、ハリー!正気かよ!」ロンが目を剥いて叫んだ。

「僕はブラックを信じてるわけじゃない。・・・イリスを信じてるんだ」

 

 パニックになるロンに言い返し、ハリーは静かにイリスを見つめた。その言葉で、イリスの心はどれほど救われただろう。二人は微かに微笑み、目線を交し合った。

 

「会えば、はっきりするはずだ。本当にブラックが悪者なら、会った瞬間に僕を殺すはずだもの。

 それにピーターが真犯人なら、早く手を打たないと、秘密をバラしたイリスの身がますます危なくなる。今もどこかで僕らの話を盗み聞いているかもしれないんだ」

 

 ハーマイオニーは何か言い返そうと口をパクパクさせていたが、やがてこの世のすべてを諦めたかのように、盛大なため息を零し、腕組みをしながらこう言い放った。

 

「分かったわ。でも貴方達だけでは行かせない、私も着いていく」

「僕も行くよ。乗りかかった()()さ」ロンもやけっぱちになって言った。

「でもさ、どうやってブラックに会うんだい?外はディメンターだらけだ。話を聞きに行こうにも、”禁じられた森”なんて行けそうにないよ」

 

 みんなは思わず考え込んだ。確かにその通りだ。ハロウィーンの夜は、たまたまディメンターの注意が浮かれた子供たちに向いていたので無事だったが、もうすぐクリスマス休暇でホグワーツから人がごっそりいなくなる事を考えると、獲物に飢えた彼らと出くわす危険性はますます増える。ふとハーマイオニーが思いついたように、伏せていた瞳を上げた。

 

「・・・いいえ、方法はあるわ。もうすぐ学期末最後のホグズミード村観光があるじゃない」

「君、頭大丈夫?ブラックと白昼堂々仲良く観光しようってのかい?」

 

 すぐさま元の調子を取り戻したロンが肩を竦めて尋ねるが、ハーマイオニーはピシャリと言い返した。

 

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。誰もブラックと観光しようなんて言ってないでしょう。ホグズミード村なら、夕方までディメンターの干渉を受けないの。クルックシャンクスが伝達係になって、どこか安全な場所で落ち合うっていうのはどうかしら?」

「そりゃあ名案だね。だけど、一つ大きな穴がある。肝心のハリーが行けないよ!」

 

 みんなは、再び考え込んだ。透明マントや目くらまし呪文も、ディメンターには通用しない。そんな中、『ホグワーツ内にいくつか存在する抜け道にもディメンターを置くように校長へ進言したので、気を付けるように』とフィルチが苦々しげに情報提供してくれたので、ハリーたちはギョッとして、性悪だった()()の管理人を見つめた。

 

 どうやらフィルチたちは、退屈な日常を吹っ飛ばす”シリウス&イリス事件”を目の当たりにして、解決に向けて俄然乗り気になってくれたようだ。ホグワーツを隅々まで知る一人と一匹が仲間になってくれた事は非常に頼もしく力強いが、彼らの力を持ってしても、現時点でディメンターに見つからずにホグワーツを出る事はおよそ不可能に近いらしい。

 

「私が抜け道を通って、ハリーと一緒に行く。ディメンターが来たら、守護霊を出して追い払うよ」

「それは危険だよ。ディメンターが仲間を大勢呼ぶかもしれないし、もし追い払えたとしてもその後、きっと大騒ぎになって、ホグズミード観光そのものが中止になるかもしれない」

 

 イリスの提案は、ハリーの冷静な判断であえなく却下された。その後、四人と一匹はかび臭い紅茶と湿気たクッキーを嗜みながら、なんとか解決策を模索したが、彼らの心の距離がぐっと縮まった以外の進展はなかった。

 

 

 学期が終わる二週間前、ずっと厚く垂れ込めていた雨雲が晴れ、眩しい乳白色になったかと思うと、ある朝、泥だらけの校庭がフワフワの雪に覆われていた。城の中はクリスマス・ムードに満ち溢れた。フリットウィック先生がいくつものクリスマスツリーに、キラキラ輝く本物の妖精を飾り付けている。みんなはブラックやイリスの話をこの時ばかりはすっかりと忘れて、休み中の計画を楽しげに語り合っている。イリスたちは勿論、休暇中はホグワーツに残るつもりだった。

 

 いよいよホグズミード行きが間近に迫った金曜日の朝、見回りの振りをしてやって来たミセス・ノリスは、四人がいまだに名案を思い付いていない現状を把握すると、『フィルチがハリーの玄関ホール通過を()()()()見逃す』という、強引すぎる最終的手段を持ちかけた。

 

 次の日の早朝、ハリーは談話室へ降りて来たとたん、誰かに後ろからハグされた。

 

「ハリー、シーッ!」聞いたことのある声だ。

「君にプレゼントしたいものがあるのさ!きっと気に入るぜ」この声もそうだ。

 

 ハリーが驚いて振り向くと、ホグワーツ一といっても過言ではない”悪戯問題児”コンビ、フレッドとジョージがニヤニヤと笑って自分を見つめている。フレッドは大袈裟な動作で周囲に人がいないかどうかを確認してから、マントの中から恭しく何かを引っ張り出して、机の上に広げて見せた。四角くて大きな、相当くたびれた羊皮紙だ。ハリーは羊皮紙をじっと見つめた。

 

「これ、いったい何だい?」

「これはだね、ハリー。僕らの成功の秘訣さ」ジョージが羊皮紙を愛おしげに撫でた。

「君にやるのは実に惜しいぜ。しかし、これが必要なのは僕らより君の方だって、昨日の夜決めちゃったのさ!」

 

 フレッドは訝しむハリーに、この羊皮紙を手に入れた経緯(いきさつ)を面白可笑しく話して聴かせた後、ジョージに目配せをした。ジョージは杖を取り出し、羊皮紙に軽く触れて、仰々しい声でこう言った。

 

「”われ、ここに誓う。われ、よからぬことを企む者なり”」

 

 すると、たちまちジョージの杖の先が触れたところから、細いインクの線が蜘蛛の巣のように広がり始めた。線があちこちで繋がり、交差し、羊皮紙の隅から隅まで伸びて行った。そして一番天辺に、渦巻形の大きな緑色の文字がポッポッと現れた。

 

 『ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ。われら「魔法いたずら仕掛人」のご用達商人がお届けする自慢の品、”忍びの地図”』

 

 ハリーは息を飲んで目を見張り、それを見つめた。――それは、ホグワーツ城と学校の敷地全体の詳しい地図だった。驚くべきことはそれだけではない。こまごまとした小さな点が地図中を動いており、一つ一つに細かい字で名前が記してある。一番上の左の隅には”ダンブルドア教授”と書かれた点があり、書斎を歩き回っていた。ミセス・ノリスは三階の廊下を徘徊しているし、ポルターガイストのピーブスは今、優勝杯の飾ってある部屋をうろついている。イリスはハーマイオニーとぴったりくっついて(二つの点が、仲良く重なり合っていた)同じベッドで寝ているようだ。見慣れた廊下を地図上であちこち見ているうちに、ハリーはあることに気づいた。

 

 その地図には、ハリーが今まで一度も入った事のない抜け道がいくつか記されていた。以前、フィルチが教えてくれた抜け道は、こんなに多かっただろうか。全部で七つ記されている。そしてそのうちのいくつかがなんと――。

 

「察しがいいな、ハリー。そう、この道はホグズミードへ直行さ」フレッドが指でそのうちの一つを辿りながら言った。

「全部で七つの道がある。フィルチはそのうち四つを知ってる。しかし、残りの道を知っているのは絶対に僕たちだけだ。五階の鏡の裏からの道はやめとけ。僕たちが去年の冬までは利用していたけど、崩れちまって、もう完全に塞がってる。それから、こっちの道は誰も使ったことがないと思うな。何しろ”暴れ柳”がその入口の真上に植わってるし。しかし、こっちのこの道、これはハニーデュークス店の地下室に直行だ。僕ら、一体何回、この道を辿り続けたことか」

「ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ」

 

 地図の上に書いてある名前を撫でながら、フレッドが悩ましい溜息を零した。

 

「我々は、この諸兄にどんなにご恩を受けたことか」

「というわけで」窓に差し込んできた日光に目を細めながら、ジョージがきびきびと言った。

「使った後は、忘れずに消しとけよ。じゃないと誰かに読まれっちまう」

「こんな風にな」

 

 フレッドは悪戯っぽくウインクしてみせると、地図にもう一度杖を叩いて、「”いたずら完了”!」と唱えた。すると地図はすぐさま消え、元の古びた羊皮紙に戻った。

 

 ――ハリーは興奮と歓喜の余り、今すぐ談話室じゅうを駆け回りたい衝動を堪えるのに、とんでもなく大きな自制心を必要とせねばならなかった。この地図と透明マントを使えば、フィルチの手を煩わせることなく、安全そして確実にホグズミード村へ行けるのだ。しかし、何故こんなに素晴らしく貴重なものを、二人は自分にくれたのだろう?ハリーが大いなる感謝の眼差しで二人を見つめると、ジョージが勿体ぶった調子で咳払いしながら口を開いた。

 

「あと一つ、大切なことを教えてやろう。若き無法者よ」

「ホグズミードでイリスを捕まえたら、”マダム・パディフット”のカフェに行け。お勧めの席は、モミの木に隠れた一番奥の二人席だ」フレッドがあとを続ける。

「周りは、堅実なる壁と親愛なるモミの木が塞いでてくれる。あとは分かるな?」

 

 二人の言葉の意図するところが掴めず、ハリーはキョトンとしてしまった。何故いきなり、イリスの名前が出て来るんだ?すると二人は示し合わせたようにニヤリと笑って、ハリーにぐっと顔を近づけ、こう言った。

 

「思いっきりハグして、熱いキスをかましてやりな。何なら()()()()のことをしたっていい。誰も気にしないさ、あそこはそういうところだからな。そしたら、お嬢ちゃんもちょっとは元気になるだろ」

 

 ハリーの顔は、突然噴火したかと思うほど熱く燃え上がった。――僕がイリスにキスをするだって?そんなハリーの初々しい反応を見て、怪訝そうに眉を寄せたジョージは、腕を組みながら尋ねた。

 

「おいおい、まさかとは思うが・・・おたくら、まだ付き合ってないのか?」

「・・・ま、()()だよ」ハリーは何が何だかわからないまま、モゴモゴと口籠った。

「オー・マイ・パーシー!なんてこった!」フレッドがわざとらしく片手で目を塞ぎ、嘆いてみせる。

「僕ら、てっきり君がもうあいつを・・・なんだっけ?ほらジニーから聞いただろ、あの素敵な、美しい・・・」

「”蛙の新漬け色”」ジョージがすかさず補足した。

「そうさ、”蛙の新漬け色”に染めちまってるものかと。おいおいハリー、相手は”レタス食い虫(フロバーワーム)”並みに大人しいイリスだぜ?君ってどれだけ奥手なんだい?」

「まあよいではないか、兄弟。若者のこれからに期待しよう」

 

 憤懣やる方ない様子で、ハリーを今にも説教しようとするフレッドを宥め、ジョージはハリーに意味ありげに目配せした。そして二人は『頑張れよ』と代わる代わるハリーの肩を叩き、満足気な笑みを浮かべて、部屋を出ていった。

 

 ハリーは、はやる気持ちを抑える事ができなかった。まるで心臓が体中をピョンピョン跳ね回っているかのように、そわそわして、じっとしている事ができない。――まさかイリスと自分の仲が、そんな風に思われていたなんて。

 

 駄目だ、今はそんな事を考えてる余裕なんてない。ハリーは頭が千切れそうになるくらい強く横に振り、雑念を追い払った。とにかく、とんでもなく素晴らしい道具が手に入った。これで僕はホグズミードに行ける。シリウス・ブラックに会って、話を聞くんだ。気を引き締めなければ。

 

 しかし、そんな彼の努力を嘲笑うかのように、頭の隅っこに、あどけないイリスの顔がポッと思い浮かんだ。少し舌足らずで高い声、透けるように白い膚、ふっくらとした桜色の唇――『思いっきりハグして熱いキスを』――『なんならもっと先の事をしたっていい』――追い払おうとした想いは、すぐさまハリーの頭じゅうを覆い尽くし、彼を思い悩ませる。ハリーが密かにイリスを愛していた事を、フレッドたちはとっくの昔に知っていた。だから二人のために、大切な宝物だった”忍びの地図”をくれたのだ。

 

『馬鹿なことを考えるなよ、イリスはマルフォイを愛しているんだぞ。これは望みのない恋だ。知ってるはずだろ?』ハリーの中の理性が冷たく突き放した。

『それはどうかな。今後、あいつがイリスを愛することはない。だけど、僕はこれからもずっと彼女を愛することができる。つまり、僕にもチャンスはあるはずだ』ハリーの中の情熱が、熱く反抗する。

 

 結局、ハリーに次いで早起きしてきたロンは、凍るように寒い真冬の談話室で、水差しの水をぶっかけて()()()()頭を冷やしているハリーを見つけ、度胆を抜かれる事となった。

 

☆ 

 

 一足先に、みんなと一緒にホグズミード村へ着いたイリスたちは、ハニーデュークス店内で、ショッピングをする振りをしながらハリーを待っていた。店内は、大勢の人々でごった返していて、誰もイリスを見咎めるような素振りは見せなかった。おまけに格子窓の外は、吹き荒れる大雪模様だ。この調子ではきっと、イリスだけでなくハリーも透明マントなしで問題なく動けるだろう。イリスは安堵する余り、ふざけたロンが自分の鼻先まで持ってきていた”ゴキブリ・ゴソゴソ豆板”のガラス瓶に気づく事が出来なかった。

 

「イリス、大丈夫かい?」

 

 ガヤガヤとした喧騒の中に一瞬混じったイリスの悲鳴を聞きつけ、透明マントをかなぐり捨てる勢いでやって来たハリーが目にしたのは、怯えてまなじりに涙を浮かべたイリスと、顔を真っ赤にして笑い転げているロンと、そんな彼の石頭を力の限りにぶっ叩いた、憤懣やる方ない様子のハーマイオニーの面々だった。

 

≪ねえ、揃ったのならもう行きましょう≫

 

 如何にも退屈そうに尻尾をくねらせながら、イリスの足元でミセス・ノリスが一鳴きした。彼女の相棒である管理人フィルチは、業務のためにホグワーツを出る事が出来ない。そこで急遽、彼女が代理人として、イリスたちの旅に同行する運びとなったのである。

 

 四人と一匹は連れ立って店を出た。ホグズミード村はまるでクリスマス・カードからそのまま抜け出て来たかのように、豪奢で楽しげな雰囲気に満ち溢れている。かやぶき屋根の小さな家や店がキラキラ光る雪にすっぽりと覆われ、戸口という戸口には柊のリースが飾られ、木々には魔法で美しいキャンドルや飾りがくるくると巻き付けられていた。凍るような雪と風が服の中から入り込み、チクチクと皮膚を刺した。四人は身を寄せ合い、深々とした雪の(わだち)を作りながら歩いた。ミセス・ノリスはイリスのマントの中に入り込んだきり、出てこなくなった。

 

 ハーマイオニーが提言した”ホグズミード村内の安全な場所”については、クルックシャンクス伝手に話を聞いたシリウスが良い案を出してくれた。――英国一の呪われた館と言われる”叫びの屋敷”だ。

 

 人気のパブ”三本の箒”の前を通り、坂道を登ると小高い丘に出た。件の屋敷はそこに建っていた。窓という窓には板が打ち付けられ、庭は草が好き放題に生い茂っており、とても薄気味悪い。観光地の一つであるにも関わらず、周囲にはイリスたちを除いて人っ子一人、ゴースト一体も歩いて(浮いて)いない。耳を澄ませると、吹雪く音に混じって、かすかに屋敷の方から不気味に軋む音が聴こえてくる。四人は思わずこわごわと体を寄せ合った。

 

「僕、『ほとんど首無しニック』に聞いたんだ。そしたら、ものすごく荒っぽい連中がここに住み付いてるって聞いたことがあるんだってさ。だーれも入れやしない。兄貴たちも当然やってみたけど、入り口は全部密封状態だったって」

 

 ロンが鼻をすすりながら、ますます人を怖がらせるようなことを言ったので、ハーマイオニーはジロリと彼を睨んだ。――本当にシリウスはここにいるのだろうか。イリスはクルックシャンクスに教えられた通りに、杖を上げて合図代わりの魔法を放った。彼女の杖先から赤い火の玉が飛び出て、屋敷の正面扉に嵌まった擦りガラスを三回ノックし、パチッと弾けて消える。

 

 すると、固く閉じられていたはずの扉が開き、中から懐かしいオレンジ色の猫、クルックシャンクスが現れた。クルックシャンクスは『来い』と言わんばかりに、ふわふわの尻尾を一振りさせて、扉の奥へと消えていく。四人は注意深く周囲に視線を巡らせながら、屋敷の中へ足を踏み入れた。

 

 屋敷の中は埃っぽかった。壁紙は剥がれかけ、床はシミだらけで、家具という家具は全て、まるで誰かが打ち壊したかのように破損している。窓には全部、分厚い板が打ち付けられていた。最後に入ったハーマイオニーが扉を閉じると、ビュウビュウと吹き荒れていた外の風鳴り音が、ほとんど消えてしまった。

 

「久しぶりだね、クルックシャンクス」

 

 イリスは微笑んで、ミセス・ノリスと顔合わせが終わったばかりのクルックシャンクスに話しかけた。彼はイリスを優しい眼差しで見つめ、穏やかな声でこう言った。

 

≪ああ。暫く会わない間に、お前は見違えるばかりに成長したみたいだ。おれたちの心配は、無用だったな≫

 

 クルックシャンクスは隣のホールに移動して、崩れ落ちそうな階段を上がった。どこもかしこも厚い埃をかぶっている。踊り場まで辿り着くと、薄暗い廊下の先で、一つだけ開いているドアがあった。クルックシャンクスに続いて、イリスたちもそのドアをくぐり抜けた。

 

 そこは大きな寝室のようだった。中には埃っぽいカーテンの掛かった壮大な四本柱の天蓋ベッドが一つあるきりで、そこには一人の痩せ細った男が腰かけている。――そう、シリウス・ブラックだ。

 

 イリスは三人の様子を注意深く見守った。ハリーは警戒し切った表情でシリウスを見つめ、ハーマイオニーは怯えて息を詰まらせながらロンの腕を強く掴み、ロンは歯を食いしばりながら無意識にハーマイオニーの前に立つ。ミセス・ノリスはスンと鼻を鳴らしたきり、何も言わなかった。

 

 シリウスは、いま自分の見ているものが、とてもじゃないが信じられないとでも言うかのように、白く固まった蝋のような顔を驚愕に歪ませ、落ちくぼんだ灰色の瞳を見開き、イリスを見て、ハーマイオニーを見て、ロンを見て、ミセス・ノリスを見て、――最後に、ハリーをじっと見つめた。

 

「こんな風に君を見る事など、もう決してないと思っていた」

 

 やがて青ざめた唇を開き、しわがれた声で彼はこう言った。ハリーは自分でも不思議に思うほど、彼の瞳に惹きつけられ、目を逸らす事が出来なかった。

 

 そしてシリウスは、全てをみんなに話して聴かせた。

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

 あれから数日が経ち、いよいよクリスマス休暇が始まった。里帰りする生徒たちを吐き出したホグワーツは空っぽになり、その隙間を埋めるかのように、大掛かりなクリスマスの飾り付けが始まっていた。柊や宿り木を編み込んだ太いリボンが廊下じゅうに張り巡らされ、全ての鎧の中から神秘的な灯りがきらめき、大広間には金色に輝く星を天辺に飾ったクリスマス・ツリーが立ち並び、学校に残った数少ない生徒たちの目を楽しませた。

 

 そんな楽しげな雰囲気をよそに、イリスたちは連日集まっては、”スキャバーズ捕獲大作戦”についての話し合いを続けていた。かつてのイリスと同じように、ハリーたちもシリウスを信じてくれたのだ。シリウスにとって何より幸運だったのは、相手が社会の空気に染まった大人ではなく、純粋な心を持つ子供たちだった事だ。最初の段階でイリスが懸命に説得した事も、シリウスの言葉を受け入れやすくする助けとなった。あれだけスキャバーズを可愛がっていたロンも、彼への愛情など綺麗さっぱり忘れてしまったかのように――いや、むしろ忘れたいかのように――熱心な様子で作戦に参加してくれている。

 

 しかし依然として状況は変わらず、スキャバーズの行方は分からぬままだ。イリスはミセス・ノリスやヘドウィグ、サクラだけでなく、他の動物にも助けを求めようとした。しかし、あらゆる動物たちを束ねるリーダーであるハグリッドの元を訪れたが、彼は留守だった。留守番をしていたファングに聞くと、『ハグリッドはとても怒っていた。そしてそのまま家を出て行ったきり、帰ってこない』と鳴くばかりだった。

 

「一体、ハグリッドはどこへ行ったのかしら?クリスマス・イブも間近だって言うのに」

 

 腹ペコのファングのために、バケツ一杯分の燻製肉を暖炉の炎で炙ってやりながら、ハーマイオニーは首を傾げた。結局、その日もハグリッドは家に帰って来ることはなかった。

 

 

 クリスマス・イブを明日に控えたその夜、イリスはふと目が覚め、ベッドから身を起こした。隣で眠るハーマイオニーを起こさないように、そっとベッドを抜け出し、窓の景色を眺める。深々と降り積もる雪を、遠くの方に見える”禁じられた森”の木々が、ざわざわと騒ぎながら飲み込んでいく。その近くに見えるハグリッドの小屋の明かりは、依然として付いていないままだ。

 

 ガラス越しに入り込む冬の冷気が、窓にぺったりと身を寄せたイリスの奥深くに染み込んでいく。イリスは思わずブルッと身震いした。――このまま寝床に入ると、ハーマイオニーを自分の肌の冷たさで起こしてしまうかもしれない。談話室の暖炉に火を起こし、少しばかり体を暖めてから部屋に戻ろう。そう考えたイリスはローブを羽織って、杖を持ち、階段を降りて、談話室のいつもの特等席に腰を下ろそうとして――目の前に据えられたテーブルに、視線が釘付けになった。

 

 ――そこには、ハリーが持っているはずの”忍びの地図”が広げて置いてあった。

 

 イリスは、シリウスと”叫びの屋敷”で再会したあの日の夜、ハリーが自分たちに、赤毛の双子から譲り受けたこの道具を見せてくれた事を思い出した。ロンは、兄たちが何故弟の自分に教えてくれなかったのかと憤慨し、ハーマイオニーは『マクゴナガル先生に提出するべきだ』と口酸っぱくハリーに説教した。ハリーはハーマイオニーに没収される前に、すぐさま元の羊皮紙に戻して、自分のローブのポケットの奥深くに仕舞い込んでいた。どうしてそれが、地図になった状態でここにあるんだ?

 

「ハリー?」

 

 イリスは小さな声で彼の名前を呼び、暖炉を炎で満たした後、注意深く周囲を見渡した。当然のように、ハリーの姿は見当たらない。よくよく考えてみれば、ハリーが自分にこんな悪戯をする筈がないのだ。――では一体誰が、これを持ち出してここに置いたんだろう。イリスは訝しげに地図上に視線を巡らせ、やがて驚愕に目を見開いた。

 

 ――現在地であるグリフィンドールの談話室には、”イリス・ゴーント”と書かれた小さな点が一つある。その近くに、もう一つ点があった。そこには、”ピーター・ペティグリュー”と書かれている。

 

 イリスは息を飲んで、椅子から素早く立ち上がった。冷え切っていたはずの体が興奮で熱くなり、ドクンドクン、と心臓がうるさいほどに波打ち始める。しかし暖炉の明かりだけでは、部屋の隅々に至るまでを観察する事は難しかった。イリスは再び、地図上に視線を落とした。

 

 ピーターは、何時の間にか談話室の外へ出ていた。ゆっくりとしたスピードで、寮の前の廊下を歩いている。イリスは杖先をコツンと頭に当てて、”目くらまし呪文”を唱えると、談話室をこっそりと抜け出した。暫くの間、訝しげに周囲を見渡していた「太った貴婦人」がうたた寝を再開したことを確認すると、イリスは早足でピーターの後を追った。

 

 ――イリスはもっと警戒心を持つべきだった。あれほどハリーが大切に仕舞い込んでいた”忍びの地図”が、何故自分の目の前に『見てくれ』と言わんばかりに置いてあったのか。巧みに行方を晦まし続けていたピーターが、何故急に自分の前に姿を現したのか。冷静に考えれば、分かったはずだ。イリスは談話室を出ずに、ハリーたちを起こしに行くべきだった。

 

 しかし、彼女はそうしなかった。自分の心に眠る”本当の望み”に気づいたイリスは、不必要なまでの臆病さがなくなり、自分に対して年相応の自信を持てるようになった。おまけにシリウスのことも、一人で抱え込んでいた時と違って、今は助けてくれる仲間が沢山いる。イリスは心から安心して、日々の生活を送ることが出来るようになった。だが大きな安心は、時として慢心となることがある。故にイリスは、これを罠だと見抜くことが出来なかった。

 

 ピーターは松明どころか、美しいクリスマスの装飾の灯りすら届かない廊下の突き当りまで来ると、イリスを待ち受けるかのように、ピタリと歩みを止めた。窓には大きなステンドグラスが嵌め込まれていて、わずかな雪の輝きを反射して輝いている。そしてその前の床に、雪明かりに照らされたネズミが佇んで、じっとイリスがいるであろうところを見つめている。老いた灰色の痩せネズミだ。

 

「スキャバーズ?」

 

 呪文を解いたイリスは、思わず掠れた声で囁いた。それに応えるかのように、スキャバーズが不意にモゴモゴと動き始めた。まるで木が育つのを早送りで見ているかのようだ。頭が床からシュッと上に伸び、手足が生え――、次の瞬間、一人の男がイリスの目の前に立っていた。

 

 小柄な男だ。イリスより一回りほど大きい位で、ハリーやハーマイオニーの背丈と余り変わらない。まばらな色褪せた髪はくしゃくしゃで、天辺に大きな禿があった。皮膚はまるでスキャバーズの灰色の体毛と同じように汚れ、尖った鼻や小さく潤んだ目には、どことなくネズミ臭さが漂っている。

 

 男の油断ならない狡猾さを滲ませた目だけが、素早くイリスの持つ杖に走り、またイリスに戻った。男は不安そうに引き攣った笑みを見せると、ネズミのようにキーキーとした高い声で、イリスに語り掛けた。

 

「やあ、イリス。私をずっと探していたんだろう?そう、私がピーター・ペティグリューだ」




仕事忙し過ぎワロタ( ;∀;)
頑張ってアズカバン編終わらせるぞ!!

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