ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

44 / 71
※1:6/12 文章を微調整致しました。誤字報告、ありがとうございました!
※2:物語の終盤に、R-15表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。


Act10.フェイト

 いよいよ第一回目のクィディッチ試合の日がやって来た。対戦カードは、グリフィンドールとハッフルパフだ。その日の天候は、ここ最近で一番と言っても良いぐらいに悪かった。イリスはいつものようにハーマイオニーに起こされる前に、シャワーのように降り注ぐ豪雨や恐ろしい雷鳴、城の壁を打つ風、遠くの”禁じられた森”の木々の軋み合う音で、目が覚めた。――ハリーはチームメイトたちと共に、早朝からクィディッチピッチにいるはずだ。嵐だろうが、雷だろうが、そんな()()()()()でクィディッチが中止された前例はない。ハリーは大丈夫だろうか。それに、森に潜んでいるはずのシリウスも心配だ。イリスはベッドから起き出し、カーテンを開いて硝子窓におでこをくっ付け、外の様子を眺めた。辺り一帯をぎっしりと雨粒が覆い隠している中、辛うじて――恐ろしい勢いで木々が揺れている森の輪郭だけが、うっすらと見えた。

 

 三人は談話室で落ち合い、大広間で手早く朝食を済ませてから、試合を観に外へ出た。機転を利かせたハーマイオニーが、三人のローブと靴に”防水呪文”をしっかり掛けてくれたので、イリスは”肥大呪文”を重ねて、ローブを合羽(かっぱ)代わりに使えるよう、少しだけ大きくした。三人はローブのフードを目深に被り、荒れ狂う風に向かって頭を低く下げ、競技場までの芝生を駆け抜けたが、それでも雨はローブの中に吹き込み、みんなの体温を容赦なく奪っていった。

 

 やっとのことでロッカールームにたどり着き、いつものように扉をノックすると、真っ赤なユニフォームに身を包んだハリーがやって来た。少し緊張気味の彼の肩越しに――いつもなら口角泡を飛ばして熱弁を振るっているはずのグリフィンドール・チームのキャプテン、ウッドが悲壮極まりない顔つきで黙り込み、フレッドたちが彼の肩を揺さぶったりして、懸命に励ましているのが見えた。

 

「どうしたんだい、彼?」

 

 ロンが目を丸くして、ハリーに目配せをしながら尋ねた。やれやれと言わんばかりに肩を竦めてみせ、ハリーは浮かない声で答える。

 

「結局、ハッフルパフの対策が完璧にできなかったからね。おまけに、この雨だし」

「きっと大丈夫だよ。ハリーは凄腕のシーカーだもの。自分に出来る事を精一杯したらいいよ」

 

 イリスが心を込めてそう激励すると、ハリーは照れ臭そうに頬をかきながら、「ウン」と頷いた。

 

「ねえ、眼鏡を貸してくれない?」

 

 ハーマイオニーは、あちこち小さな傷の目立つ眼鏡をハリーから受け取り、イリスに「手伝って」と目配せした。イリスは再び杖を振り、ピカピカの新品同様に眼鏡を修復し、ハーマイオニーは念入りに”防水呪文”を掛けた。

 

「これで水を弾くわ!ユニフォームは・・・きっと防水しても意味ないわね。私達も()()だもの」

 

 イリス達はお互いの姿を見て、その不思議さにニヤッと笑い合った。ローブや靴は一切濡れていないのに、その中身――頭から足先に至るまでが、しっとりと水気を帯びていたからだ。ハリーも釣られたように笑い、嬉しそうにお礼を言ってから、魔法仕掛けの眼鏡を受け取った。

 

 

 三人はハリーに別れを告げると、恐ろしい嵐が待ち受ける外へ出た。風の物凄さに、みんな横ざまによろめいた。なんとか観客席の一番良い席を陣取ったが、イリスはフードが風で吹き飛ばされないようにするのが精一杯で、いつものように周囲を見渡す余裕などなかった。下方に広がるピッチも無数の雨粒に塞がれ、靄がかってよく見えない。

 

 やがてピッチの両端から真紅色のユニフォームを着たグリフィンドール・チームと、黄色のユニフォームを着たハッフルパフ・チームがぞろぞろと出て来た。みんなは歓声を上げたが、耳をつんざくような雷鳴とゴロゴロという唸り声にかき消された。キャプテン同士が歩み寄ってピッチの真ん中で握手すると、両チームの選手たちが泥に深々と埋まった足を引き抜き、箒にまたがって、次々に上空へ舞い上がって行った。少しして、フーチ先生の吹く鋭い笛の音が、どこか遠くの方で聞こえた。――試合開始だ。

 

 試合中、イリスはフードの切れ目から、ハリー達の様子を一生懸命追いかけた。しかしホグワーツ城を丸ごと飲み込んでしまいそうなほどの雨と風、雷のせいで、ほとんど状況が分からない。解説を頼りにしようにも、いつもならはっきりと聴こえるはずのリー・ジョーダンやマクゴナガル先生の声が、全くと言っていいほど耳に届いてこないのだ。

 

 乱気流の中で、ハリーが背後から迫って来ていたブラッジャーを間一髪で避けた。イリスがホッと安堵のため息を零した瞬間、ひと際大きな雷鳴をとどろき、樹木のように枝分かれした稲妻が走る。イリスは思わず悲鳴を上げたが、その声すらも豪風の音でかき消された。――どうか雷がハリーに落っこちませんように!イリスは両手を組み、神様に祈った。

 

「ねえ――今はどっちが――勝ってるの?!」

 

 隣から、ハーマイオニーの微かな声(※実際は、声の限りに叫んでいるのに違いない)が聴こえた。横を向くと、彼女がロンのフードに顔を寄せて、彼の耳元で話しかけているのが見えた。

 

「今は――僕らが――五十点――リードさ!」

 

 ロンはハーマイオニーに向き直り、身振り手振りを交えて、怒鳴り返した。――この嵐の中、よく試合の状況がわかるものだ、とイリスは内心舌を巻いた。けれども、素直に感心して「ロン、すごいね」と口を開こうとした途端、大量の雨粒が飛び込んできたので、イリスは暫くの間、ひどく咳き込む羽目になった。結局、イリスは口を閉じたまま、二人の会話に聞き耳を立てる事しか出来なかったのである。

 

「でも――早くハリーが――スニッチを取らなきゃ――夜にもつれ込むぞ!」

 

 その時、辺り一帯がフラッシュを炊いたようにまばゆく光った。この世が崩れるかのような雷鳴が鳴り響き、ハーマイオニーが悲鳴を上げて、近くにいたロンにしがみつく。――突如として、ハリーが空中に矢のように飛び出した。ある一点を目掛け、箒の柄の上に真っ平らに身を伏せて、疾走している。スニッチを見つけたのだ!イリスは思わず歓声を上げた。

 

 すると、奇妙なことが起きた。競技場にサーッと気味の悪い沈黙が流れた。風は相変わらず激しかったが、唸りを忘れてしまっている。神様が、世界の音のスイッチを切ってしまったかのような――突然イリスの聴覚が麻痺してしまったかのような――一体、何が起こったんだ?イリスは慌てふためいて、周囲を見渡した。

 

 おもむろに視界の端で、誰かの腕が上がるのが見えた。風に流されることなく、その指先は、上空のある一点を指していた。――隣に座るハーマイオニーだ。その表情は、大きめのフードにすっぽりと隠れて見えない。イリスはなんだか不吉な予感がして、恐る恐る指し示す方向を見た。

 

 ハリーのいる上空付近に、見覚えのある黒い影が何体か、ゆらゆらと空中に浮かんでいる。まるで競技場が、自分達のテリトリーであるかのように。――ディメンターだ。イリスは恐怖の余り、全身が総毛だった。なぜ、学校の見張りをしているはずのディメンターが、ここにいるんだ?ハリーはディメンターのいる方向へ箒の先を向けたまま、その場に縫い止められたかのようにピクリとも動かない。するとあろうことか、ディメンターたちは――ハリーにスーッと近づいた。ハリーの頭が、ガクンとうな垂れた。手からするりと箒が離れ、意識を失った彼の体が、空中を落ちて行く。

 

 ――イリスは、頭が真っ白になった。観客たちが傘を捨て、立ち上がり、次々にハリーを指差している。イリスの目の前で、ハリーはまるでスローモーションのようにゆっくりと落ち――いや、本当に落下のスピードがスローになった。地面まであと数メートルのところで、ハリーの体は見えないクッションに受け止められたかのようにフワッと浮き上がり、静かに地面へ横たわった。

 

 真っ先にフレッドとジョージが駆け寄って、肩を揺さぶるが、ハリーは死んだように動かない。ハリーの下に、空から次々と選手たちが舞い降りて来る。赤いユニフォーム、黄色いユニフォーム、そして――黒いボロボロのローブを被った、あれは――ディメンターだ。

 

 上空にいたはずのディメンターたちが、ゆっくりとハリーに――そして彼を助けようとするグリフィンドールやハッフルパフの選手たちに、音もなく近づこうとしていた。ハッフルパフのキャプテンがいち早く気づき、杖を引き抜きながら、みんなに注意を呼び掛けている。――ディメンターは、ハリー達を傷つけようとしている。イリスの心は凄まじい怒りの感情で沸騰し、わなわなと全身が震えた。

 

 ”ハリーを、みんなを守るんだ”。イリスは何度も自分にそう言い聞かせ、杖を引き抜いた。ディメンターに立ち向かう術を、私は有している。スネイプ先生が与えてくれた。――ディメンターを遠目に睨み付けると、さっきまで音が聴こえなかったはずの耳に、あの時のドラコの最期の声が忍び寄ってきた。

 

 すかさずイリスは頭を振って、気合を入れた。もう二度と、あんな想いをしたくない。イリスは横殴りに吹き付ける風にも負けず、スタンドの手すりから身を乗り出し、心をイオとの幸福な記憶でいっぱいに満たした。プラットフォームでイオがイリスを抱き締め、特別な言葉を贈ってくれた記憶。その思い出は、イリスの耳から恐ろしい幻聴を追い出した。――守護霊、それもとびっきり大きいのを。イリスは杖を握る手に力を込めた。嵐に負けない、強いのを。

 

 イリスは生まれて初めて、力を欲した。主の命令に従い、異なる血同士の”争い”はますます激化し、銀色と虹色の蛇は肥大する一方のお互いを浸食するため、狂ったようにグルグルと回り続けた。イリスの瞳にきらめく、わずかな金色が――ズズ、と音を立てて、青色を冒し、その輝きを増していく。

 

「エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ!」

 

 イリスは杖先をディメンターへ向けると、”守護霊の呪文”を唱えた。たちまち杖先から銀色の輝きが迸り、その中から大きな双頭の蛇が噴き出した。蛇は、水を得た魚のように活き活きと、自由自在に競技場内を泳ぎ回り、ディメンターたちを少しずつピッチから遠ざけていく。蛇からほとばしる白銀色の粒子が、数多に降り注ぐ雨粒に反射して、辺り一帯は幻想的な輝きに満たされた。

 

 ディメンターがハリーたちを避け、観客席の方へ向かおうとすると、蛇はそこへも滑り寄ってきて、シューシューと唸り声を上げてディメンターを威嚇した。蛇はらせん状にグルグルと競技場内を回り、ついにディメンターたちを遥か上空まで追い払った。最後に、蛇は空中でゆっくり一回転すると、雨粒に融けるようにフッと消えてしまった。その様子を見届けてから、イリスはピッチに目線を落とした。マダム・フーチが杖を振って魔法の担架を作り出し、選手たちがハリーをそれに乗せ、どこかへ運んでいく。――良かった、ハリーは大丈夫だ。イリスは安心した途端、全身の力が抜けて、目の前が真っ暗になった。

 

 

 ――時を少し戻し、試合中では。ハリーは乱気流の中、箒に活を入れていた。これ以上ないくらいびしょ濡れで、おまけに寒くて凍えそうだが、とにかく目だけはハッキリと見える。――ハーマイオニーとイリスの魔法のおかげだ。ハリーはスニッチを探して、四方八方へ油断なく目を凝らした。早くスニッチを手に入れて試合終了させなければ、天候とウッドの精神が危ない。

 

 その時、ひと際大きな稲妻が観客席を照らし、ハリーの目に何かが飛び込んできた。――巨大な毛むくじゃらの黒い犬が、鈍色の空を背景に、くっきりと影絵のように浮かび上がったのだ。一番上の誰もいない席に、じっと座っている。あの時、ダーズリーの家から逃げ出した時、見た犬と同じだ。死神犬(グリム)。ハリーは、完全に集中力を失った。

 

 かじかんだ指が箒の柄を滑り落ち、ハリーは一メートルも垂直落下した。我に返ったハリーは、慌てて頭を振って、目にかかった前髪を振り払い、もう一度観客席の方をじっと見た。――犬の姿は消えていた。

 

「ハリー!」

 

 不意に、グリフィンドールのゴールから、ウッドの振り絞るような魂の叫びが聴こえた。

 

「ハリー、後ろだ!」

 

 慌てて見回すと、ハッフルパフチームのキャプテン兼シーカー、セドリック・ディゴリーが上空を猛スピードで飛んでいる。ハリーとセドリックの間の空間はびっしりと雨粒で埋まっている。その中に、キラキラと輝く小さな点のような金色の光が見えた。――スニッチだ。ハリーはすぐさま箒の柄の上に身を伏せると、スニッチ目指して突進した。

 

「頑張れ!もっと速く!」

 

 ハリーが箒に呼び掛けた瞬間、奇妙なことが起こった。競技場のすべての音が、サーッと遠のいていった。雨風の音も、雷鳴も何も聴こえない。そして、あの恐ろしい感覚が、冷たい波がハリーを襲い、心の中にひたひたと押し寄せてきた。目の前のセドリックが何かを片手に掴んだまま、ピタリと空中停止し、上空を見上げている。ハリーも彼の目線を追いかけた。

 

 ほんの数メートルのところに、ディメンターが数体、ふわふわと浮かび、隠れて見えない顔をハリーに向けている。氷のように冷たい水がハリーの胸に流れ込み、体中を切り刻むようだった。それから、声が聴こえた。ハリーの頭の中で叫ぶ声が――女の人だ。

 

『ハリーだけは!ハリーだけは、どうぞハリーだけは!』

『どけ、馬鹿な女め!さあ、どくんだ』

『ハリーだけは、どうかお願い。私を、私を代わりに殺して・・・』

 

 ハリーの頭の中いっぱいに白い霧が渦巻き、思考を痺れさせた。恐怖が全身を麻痺させ、指先一本動かすことすらできない。一体、僕は何をしているんだ?どうして飛んでいるんだ?あの人を助けないと――死んでしまう――殺されてしまう――。ハリーは落ちて行った。何も支えるものがなく、冷たい霧の中を真っ逆さまに落ちていく。

 

『ハリーだけは!お願い・・・助けて・・・許して・・・』

 

 甲高い嗤い声が響く。女の人の痛々しい悲鳴が聴こえる。――ああ、わかった。ハリーは理解した。あの声は、僕の母さんだ。母さんの最期の声だ。そしてハリーは、何も分からなくなった。

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

『お前は異常だ!まともじゃない!』

 

 真っ暗闇の中、バーノンおじさんの声が、鼓膜に突き刺さった。目を開けると、バーノンが憎々しげに自分を睨み付けていた。バーノンは、ハリーの手を掴むと、階段下の物置に閉じ込め、鍵を掛けた。かび臭く埃だらけの部屋で、ハリーはゴホゴホと咳をした。耳を澄ませると、扉の向こうにあるダイニングで、バーノンが一人息子のダドリーを膝に乗せ、楽しそうにお喋りをしているのが聴こえた。ハリーは扉の隙間から、外の景色を眺めた。ダイニングの暖炉の上には、ダドリーが両親に囲まれて、幸せそうに成長を重ねている写真が沢山飾られている。

 

『ベーコンを焦がすんじゃないよ!』

 

 ペチュニアおばさんの声だ。ハリーはキッチンで、ダーズリー一家の分の朝食を作っている。自分が家政婦のように働く横で、ダドリーが子豚のように鳴きながら、ペチュニアに甘えている。ペチュニアは嬉しそうに頬を綻ばせ、ダドリーを抱き締め、ほっぺにキスをし、頭を撫でている。

 

『お前にお似合いじゃないか、この制服!』

 

 ダドリーの声だ。洗い場に置かれた大きなたらいに浮かぶ、悪臭漂う灰色のボロ布を見ながら、ダドリーが厭らしく笑った。ハリーの新しい学校のための制服だ。ペチュニアが、ダドリーのお古を染め直しているのだ。ダドリーはピカピカの制服を着ていて、バーノンとペチュニアは心底嬉しそうに、その姿を見つめていた。

 

 ――ハリーは愛されたかった。ほんの一言でいい、ほんの一欠けらでいい、ほんの一瞬でかまわない。ダドリーに注いでいる愛情を、自分に向けてくれたら。しかしバーノンもペチュニアも、マージすらも、ハリーを愛してはくれなかった。

 

『どうして僕を愛してくれないの?ダドリーと同じように!』

 

 まだハリーが子供らしい純粋な心を持っていた頃、彼は泣き叫んだ。

 

『お前がダドリーと同じ?馬鹿な事を言うな!』バーノンは顔を真っ赤にして怒った。

『育てているだけ、感謝しなさい!居候の分際で!』ペチュニアは冷たく言い放った。

 

 どれだけ泣いても叫んでも、二人はハリーを愛してくれなかった。三人がダイニングで美味しいディナーを食べている時、物置の部屋で、ベッドに座ってパンを齧りながら、ハリーは自分自身に問い掛けた。

 

『どうしておじさんもおばさんも・・・誰も、僕を愛してくれないの?』

 

 たとえ衣食住が満足に揃っていても、ヒトは愛情なくして健やかに生きることは難しい。この過酷な環境で生き残るためには、ハリーは自分の心を強くしなければならなかった。自分自身を守るために、彼の心は、ハリーにこう答えた。

 

『期待するな。この家で生きていくためには、疑問を抱いちゃ駄目なんだ。目の前にある、ちっぽけな幸せで満足しよう。必要最低限のご飯を貰えて、着るものがあって、寝床もある。それで十分生きていける。

 ダドリーと同じように、他の子供らと同じように、自分を愛してくれると思うな。お前はこれからずっと、一人ぽっちのまま、生きていくのさ』

 

 ハリーは自分を守るために、心に冷たい鎧をまとい、皮肉の兜を頭にかぶり、何も感じないようにした。目の前の”ちっぽけな幸せ”で我慢するんだ。ハリーは何度もそう言い聞かせた。それで自分は強くなったと、思っていた。

 

 ――嫌だ、思い出させないでくれ!ハリーの心の世界を、ダーズリー一家との辛い日々の記憶が埋め尽くしていく。幸福な記憶は、ディメンターが残らず吸い尽くしてしまっていた。どれだけ駆けずり回っても、今のハリーには辛く悲しい記憶しか残されていない。

 

 やがてディメンターは、ハリーの心の奥深くに入り込んだ。幼い子供の姿をしたハリーは布団を頭からかぶり、かつての物置の部屋のベッドで小さく丸まっている。ディメンターは扉の通気口からズルリと入り込むと、ハリーがまとっていた最期の鎧と兜ををいとも容易く引きはがした。

 

 守るものが無くなったハリーは、瞬く間に絶望に苛まれていく。――ずっと平気な振りをしていたけれど、本当はもう耐えられない。このまま僕はずっと生きていくの?ハリーの目から光が失われ、涙が零れ落ちる。僕のことなんて、誰も愛してくれない。こんな人生なら――生きていたって仕方がない。

 

 自我を失い、泣き崩れるハリーの耳に、優しく扉をノックする音が飛び込んできた。ディメンターがすかさずハリーの両耳を塞ぐが、不思議な事にその手を通り抜け、その音は彼の鼓膜を確かに揺さぶった。

 

『ハリー、ハリー!』

 

 ――少し舌足らずな、高い女の子の声だ。バーノンおじさんの声でも、ペチュニアおばさんの声でもない。とても大切で大好きな人の声だ。でも、誰だったか思い出せない。その時、扉の下の通気口から、美しい銀色の光が差し、うずくまるハリーの体をシマシマ模様に照らし上げた。ディメンターが呻き声を上げ、ハリーから離れて、光を避けて部屋の隅へと避難する。

 

 なんて綺麗な光なんだろう。ハリーはベッドを起き出して、扉を開けた。まばゆい銀色の光が、ハリーを包み込む――

 

『ハリー。私たちの、可愛いハリー』

 

 母さんの声だ。おぼろげに見える、緑色の目が優し気に微笑んだ。とても良い匂いがする。母さんの匂いだ。

 

『愛してる。僕たちの宝物だ』

 

 父さんの声だ。くしゃくしゃの黒髪をした男の人が、にっこりと笑って、ハリーの頭を愛おしげに撫でた。

 

 ――父さん、母さん!ハリーは夢中になり、そう叫ぼうとした。しかし出るのは、言葉にならない声だけだ。それでも、少しでも両親に近づきたくて、ハリーは我武者羅に手を伸ばした。小さなその手を、ジェームズはしっかりと掴み、嬉しそうに自分の頬に押し当てた。

 

『ああ、見たかい?リリー!ハリーが笑った!』

 

 リリーは朗らかに笑った。そして二人はハリーを抱き上げ、小さな体じゅうに優しいキスの雨を降らせた。――それは、ハリーの両親がヴォルデモート卿に殺される前の、一年間の記憶だった。成長を重ねる中、ハリーがいつの間にか忘れてしまっていた、大切な思い出だ。ハリーの冷たく凍り付いていた心が、みるみるうちに解かされ、ぽかぽかと暖められていく。ああ、僕は愛されていた。ハリーの瞳から、今度は喜びの涙が零れ落ちた。僕は、愛されていたんだ。

 

『ハリー。お前さんは魔法使いだ』

 

 不意に後ろで、大好きな声がした。――ハグリッドだ。海の上に建つボロ小屋まで追いかけてきて、ハリーに真実を教えてくれた時の記憶だ。思い出した。僕は魔法使いになったんだ。ハリーはホグワーツからの手紙を握り締め、微笑んだ。ハリーはこの時、どれだけ胸がときめき、嬉しかったか分からない。

 

 ハリーは自分の体が、グングンと上昇していくのを感じた。その度に、楽しく幸せだった記憶が次々に現れて、ハリーの心を暖め、満たしていく。ハグリッド、イリス、ロン、ハーマイオニー・・・数えきれないほどの人々がハリーに微笑みかけ、手を振っている。僕は、こんなにも沢山の人に愛されている。僕はもう一人じゃない。一人じゃないんだ。イリスの守護霊によって呼び戻された幸せな記憶は、ハリーの心に悪影響を及ぼそうとしたディメンターを退け、そして彼自身の辛く悲しい記憶をくしゃくしゃに丸めて、隅っこへ追いやった。

 

 ハリーがふと上を見上げると、太陽のようにまばゆく輝く、銀色の水面がゆらゆらと揺れていた。彼はザバッと水面に飛び出し、顔を出した。――そう思った瞬間、ハリーは意識を取り戻した。

 

 世界は、銀色一色に染まっていた。雨粒の一粒一粒に光が乱反射して、まるでダイアモンドが降り注いでいるかのようだ。輝く雨のカーテンを切り、白銀色にきらめく帯のようなものが、ハリーの周りをぐるぐると回っている。ハリーはいつの間にか、柔らかな地面の上に、仰向けに倒れ伏していた。自分の両脇にはフレッドとジョージがしゃがみ込み、ある方向を一心に見つめている。ハリーも、二人の視線の先を追いかけた。

 

 観客席で、一人の女生徒が手すりから身を乗り出して、杖を構えていた。銀色の輝きで視界がぼやけ、その人をしっかりと見る事が出来ない。ハリーは目を凝らした。風に遊ばれ、翼のように舞い散る髪は、光を透かして明るく見えた。キラキラと輝く瞳は、緑色に輝いている。それはまるで――

 

 ――”母さん”。ハリーはそう呟くと、再び意識を失った。

 

 

 ハリーの耳に、ボソボソと囁き声が聴こえてきた。しかし何を言っているのか、全く分からない。一体自分はどこにいるのか、どうやってここに来たのか、その前は一体何をしていたのか、一切分からない。

 

「こんなに怖くって凄いもの、今まで見た事ないよ」

 

 怖い――一番怖いもの――フードを被った黒い姿――冷たい――叫び声――。ハリーは目をパチッと開けた。医務室のベッドの上だ。グリフィンドール・チームの選手たちが、頭の天辺から足の先まで泥まみれで、ベッドの周りに集まっていた。ロンとハーマイオニーも、今しがたプールから出て来たばかりのような姿で、そこにいた。ハリーは二人の間の空間がぽっかりと空いていることに気づき、首を傾げた。――イリスはどこだ?

 

「ハリー!」泥まみれの真っ青な顔で、フレッドが声を掛けた。

「気分はどうだ?」

 

 フレッドの言葉が起爆剤のようにハリーの頭の中で弾けると、今までの記憶が早回しのように戻ってきた。稲妻――グリム――スニッチ――ディメンター――そして、銀色の輝きの中にいた、”母さん”。

 

「どうなったの?」

 

 ハリーがあまりに勢いよく飛び起きたので、みんなが驚いて息を飲んだ。

 

「君、落ちたんだよ」ジョージが答えた。

「ざっと・・・そう、二十メートルかな」

「みんな、あなたが死んだと思ったわ」アリシアは震えていた。

「そしたら、ダンブルドアがピッチに駆け込んで来て、杖を振ったの。地面にぶつかる寸前に、落ちるスピードがとてもスローになったわ」

 

 ハーマイオニーが真っ赤に充血した目を擦り、小さく「ヒクッ」と声を上げた。――ハリーは思い出した。何もかもが分からなくなる寸前、上空にディメンターたちがいて、自分をじっと見つめていたのを。僕はそれでまた、気を失ったんだ。恐怖心と自己嫌悪と羞恥心が体中を駆け巡り、ハリーは黙り込んだ。

 

 そして僕が再び意識を取り戻した時、銀色の光が辺りを包んでいた。ハリーは記憶の糸をゆっくりと辿り、胸がむず痒くなった。――あれも、ダンブルドアが出してくれたのだろうか。詳しくは覚えていないが、あれのおかげで、ハリーは死の世界から生き返ったような気持ちがしたのを覚えている。そして、あの”母親のような人物”も。

 

「ねえ、あの銀色の輝きは?夢だったのかな。僕・・・」

 

 みんなの目の前で『母親を見た』と言うのは憚られ、ハリーは言葉を濁した。フレッドたちはシンと静まり返り、それから興奮した面持ちで、互いの顔を見合わせた。

 

「夢じゃないわ。イリスが”守護霊”を出して、貴方を守ったのよ」

 

 ハーマイオニーが驚嘆と誇らしさが入り混じった声で、ハリーに答えた。――”守護霊”って何だ?ハリーが言葉の意図を掴みかねていると、ハーマイオニーがその概要を事細かに説明してくれた。曰く、”守護霊の呪文”は、主にディメンターから術者を守るための保護魔法の一種だと。非常に高度な魔法で、一介の生徒で扱える者はまずいない。ロンが興奮の余り、頬をピンク色に染め、感慨深げに言った。

 

「凄かったなあ!真っ直ぐに君の所へ飛んで行ってさ、ディメンターを一匹残らず追い払ったんだ。あんなにカッコいいの、見た事無いよ!」

 

 ハリーはびっくりした。いつも僕がイリスを守っていたのに――まさか彼女が、僕を守ってくれただなんて。おまけに、イリスを母さんと見間違えてしまった。ハリーは寂しさと恥ずかしさが綯交ぜになり、何とも言えない複雑な心地になった。今すぐ彼女にお礼を言いたくて、ハリーは忙しなく周囲を見渡した。――しかし、イリスはどこにもいない。ハリーはざわざわと胸が騒いだ。

 

「イリスはどこだい?」

 

 みんなの表情は、みるからに曇った。ロンとハーマイオニーの目が、チラッと一番奥のに設置されたベッドへ移ったのを、ハリーは見逃さなかった。分厚いカーテンが引かれている。ハリーの胸騒ぎは、ますますひどくなった。ついにハーマイオニーが、重い口を開いた。

 

「その、守護霊を出したあと・・・イリスは倒れたの。マダム・ポンフリーは過労だって。頑張り過ぎたのよ」

 

 ――”僕を守るために”。ハリーの胃袋は、ズシンと地の底まで落ち込んだ。たまらずにベッドを起き出してイリスの所へ向かおうとすると、マダム・ポンフリーが鬼の形相でやってきた。

 

「面会は許可しましたが、患者の移動までは許可していません!ポッター、安静にしなさい!」

「でも、イリスが心配なんです。彼女は僕のために・・・」ハリーは食い下がった。

「ええ。あなたのために頑張りました。そのあなたが無茶をしてまた体調を崩したら、彼女はどう思いますか?少しは()()()()()()()の気持ちも考えなさい」

 

 マダム・ポンフリーはピシャリと言い放ち、チョコレートの塊を小さなハンマーで砕くと、小皿いっぱいに盛り付けて、ハリーに残さず食べるようにと厳命した。それから親の敵を見るような目で、泥だらけの選手たちを見つめた。

 

「さあさあ、面会時間を過ぎましたよ!あなた方もお帰りなさい!」

 

 フレッドたちはそれぞれハリーを労う言葉を送り、泥の筋をしっかりと残しながら、ぞろぞろと部屋を出て行った。マダム・ポンフリーは全くしようがない、という顔つきでドアを閉めた。ロンとハーマイオニーが、ハリーのベッドに近づいた。

 

「君が”守護霊の呪文”を教えたの?」

「それ、ロンや他の人達にも、散々訊かれたわ」

 

 ハリーが尋ねると、ハーマイオニーは心底うんざりとした口調で返した。

 

「私は教えていないわ。逆に教えてほしいくらいよ。だって『普通魔法(ふくろう)レベル(O・W・L)』資格を軽く超えるほどの、高度な魔法なのよ。一体誰が、あの子にあの魔法を教えたのかしら?」

 

 それぞれ考え込む三人の頭に、”同じ人物”がポッと思い浮かんだ。――日記の人物、トム・リドルだ。しかし、それはあり得ない。ハリーは頭を振りながら、答えた。

 

「リドルじゃないと思う。だってそれなら、列車でディメンターに会った時、追い払えていたはずだ」

「まあマクゴナガルかルーピンか・・・スネイプはあり得ないな」ロンは腕組みをしながら、もっともらしい口調で言った。

「だってあいつに、幸せな記憶なんてありっこないし」

 

 

 イリスは再び、塔の夢を見ていた。虹色の蛇が窓を突き破り、リドルに襲い掛かった――あの場所にいる。硝子も、それを嵌めるための木の枠も無くなった窓からは、静かな夜風だけが吹き込み、茫然と立ち竦むイリスの頬を優しく撫でた。どれほど周囲を見回しても、声を嗄らして呼んでも、ここにリドルはいない。あの蛇が、連れ去ってしまったのだ。その事実を受け止め切れず、イリスが悲しんで泣いていると、すぐ傍で大きな羽音がした。

 

≪何故泣いている?≫

 

 ――マルフォイ家のふくろう、イカロスだ。窓に留まり、イリスに問い掛けている。彼女は零れ落ちる涙を拭いもせずに、イカロスを見上げた。

 

「リドルが・・・陛下がいなくなってしまった。それが悲しいの」

 

 イカロスはイリスの涙とその言葉に満足したかのように、上機嫌に嘴を噛み合わせた。

 

≪案ずるな。あの方は、まだこの世界に存在している。――行こう。あの方は、今まさに、君の力を必要としている≫

 

 俄かに、溢れるほどの羽音が周囲を包み込んだ。イリスは音のする方向――イカロスの方を見て、息を飲んだ。いつの間にか現れた、沢山のふくろうたちが、かつてイリスがリドルに与えられた”スリザリンの絨毯”をそれぞれの嘴に咥え、窓を通り抜けようとしている。ふくろうたちは、戸惑うイリスを絨毯で器用に包み込み、再び窓を通り、外の世界へ飛び出した。

 

 イリスが振り向くと、塔がみるみるうちに遠ざかっていくのが見えた。あの歌声もかすんでいく。イリスは懸命に目を凝らしたが、塔の天辺には分厚い雲がかかっていて、よく見る事が出来なかった。イリスは絨毯に身を預け、周囲の景色を見渡した。満点の星空が、美しくきらめいている。見下ろすと、一面に穏やかな草原が広がっていた。

 

「陛下はどこにいらっしゃるの?」

≪分からない。我々に分かるのは、進むべき方角だけだ≫イリスのすぐ傍を飛びながら、イカロスが優しい声でさえずった。

≪君は、陛下への”贈り物(ギフト)”だ。我々は文字だけでなく、”贈り物”に込められた想いを読み取り、進むべき道を手に入れる。――君に込められた想いが、陛下のもとへと導くのだ≫

 

 ふくろうたちは、いくつもの山や森、海や国を越えて、ある森へと到着した。イリスはイカロスたちにお礼を言うと、森の奥へ向かって、迷うことなく足を踏み出した。鋭い草がたおやかな足を傷つけ、鬱蒼と茂る樹木の枝が白い膚を叩き、いくつもの痣を残しても、イリスは歩みを止める事などできなかった。

 

 ひたすらに奥へと進むと、次第に辺りの空気が重くなっていった。そして足元に枯れ葉が降り積もり、小動物の亡骸がいくつも転がるようになった。――ここに陛下がいる。イリスは確信し、疲れた体に鞭を打って、ただ我武者羅に駆け続けた。

 

 やがて、木々に絡み合うツタの間に、揺らめく銀色の(かすみ)が見えた。それは辛うじて人の形をしているが、苦しそうに喘ぎ、今にも消えてしまいそうな程に弱っていた。イリスは戸惑うことなく、それの足元に縋り付いた。

 

「ああ、陛下!お許しください。私はなんということを・・・」

 

 ――そうだ、私はこの方に仕えるために生まれた。こんな大切なことを今まで忘れて、生きていたなんて。この方はたった一人で、こんなに弱り、苦しんでいたのに。イリスは罪悪感に身が押し潰されそうになり、苦痛に喘いで、咽び泣いた。

 

「どうか私を殺してください!私は、私は・・・」

 

 それは細く長い指先で、イリスの唇の輪郭をゆっくりとなぞった。それ以上言葉を続けることができず、イリスはしゃくり上げ、黙り込む。それは、イリスを細い両腕で抱き締め、冷たい唇で――舐めるように口付けた。イリスが凍り付いたように身を竦めた瞬間、それは、彼女の唇を貪った。潰れるほど強く唇を押し付け、蛇のように細長い舌が侵入する。怖がって逃げようとするイリスの小さな舌を絡め取り、引き抜くかと思うほどに吸い上げ、彼女の魂と魔法力をちぎり取り、唾液と共に飲み込んだ。

 

 それが喉を鳴らして、旨そうにイリスを喰らう毎に、霞の色はしっかりと濃いものになり、抱き締める力も強くなった。やがてイリスは意識がおぼろげに霞んで、全身の力が抜け、くたりとそれに身を預けてしまった。――苦しい。息ができない。イリスはそれの腕の中で、苦痛に喘いだ。けれど私を食べる毎に、あの方は力を増していく。イリスは、それがとても嬉しかった。このまま全てを食べられてしまっても本望だ、とさえ思った。だって、あの方にお仕えすることが、私の生まれて来た意味なのだから。

 

 その時、見覚えのある虹色の光が目の前で炸裂し、イリスとそれを隔てた。――嫌だ、お願い、やめて。イリスはもがいた。私から、あの方を取らないで。しかしイリスの懇願も空しく、あの雨の叩きつける音が、耳を塞ぎ、何も聴こえなくなった。虹色の光のせいで、何も見えない。また、意識が霞んでいく――

 

 

 ハリーは順調に快復し、次の日には医務室を出る事が出来た。そして談話室で、二つの悪いニュースを聞くことになった。一つ目は、試合は”ハッフルパフの勝利”に終わった、という事だった。ハリーが落ちる直前に、セドリックがスニッチを取ったのだ。事態が落ち着いたあと、彼は試合中止を求めたが、それはならなかった。二つ目はもっと悪い。ハリーの相棒の箒ニンバス2000が暴れ柳に当たり、バラバラになってしまった事だ。初めて試合で負け、相棒を失い、ハリーは深く落ち込んだ。まるで親友の一人を失ったかのような気持ちだった。人が変わったかのように塞ぎ込んで歩くウッドを見る度に、ハリーは申し訳なさに胃がキリキリと痛んだ。

 

 ハリーにとって、悪いニュースがもう一つある。イリスの回復が遅い、という事だ。三人はあれから毎日欠かさず、医務室へ足繁く通ったが、マダム・ポンフリーは頑として見舞いを許可しなかった。

 

「彼女はとても魔法力を消費したので、昏睡状態にあります。今はただ、眠り続ける事が必要なんです」

 

 驚くべきことに、イリスの見舞い客は、ハリーたちだけではなかった。グリフィンドールのクィディッチチームのメンバーや、同級生たちだけでなく――他寮の生徒たちも、プレゼントやカードを持って医務室へやってくるようになったのだ。一部のスリザリン生たちも、医務室の扉の前で、恭しく頭を下げているのを見た、とネビルが教えてくれた。大きな守護霊を呼び出し、多くのディメンターを追い払ったイリスは、ホグワーツで一躍”時の人”となっていた。

 

「おったまげー。まるで()じゃないか!」

 

 ディメンター事件から三日目の朝、ハリーたちは大広間で朝食を摂っていた。ロンが、イリスへ贈られた蛙チョコの箱の山を、彼女に成り代わって持ち帰り、次々と開封しながら、冗談めかしてハリーに言った。

 

「ロンったら!後でイリスに怒られても、知らないわよ」

 

 ハーマイオニーはジロリとロンをひと睨みし、冷たく言い放った。すかさずロンが「イリスが見やすいように、仕分けしてるのさ!」と言い訳がましく言い返す。そんないつもの光景を聴き流しながら、ハリーはクィディッチの考察本を広げつつ、トーストを頬張った。――ことクィディッチに関しては、問題が山積みだ。ニンバス2000が無くなった今、代理の箒でなんとかしなければならないし、もうグリフィンドールには後がない。

 

 その時、視界の端を黒いものが掠め、ハリーは驚いてビクッと肩を跳ね上げた。――それは、一羽のふくろうだった。ハリーが天井を見上げると、無数のふくろうが上空を飛び交い、生徒達に荷物や手紙を落としていくのが見えた。ディメンターではなかった。ハリーは思わず安堵して、肩を撫で下ろした。そう、グリムでも――。

 

 ハリーは、ふと試合中の出来事を思い出した。観客席の一番上にいた、毛むくじゃらの黒い犬のことを。心臓が、ギシギシと嫌な音を立てて軋む。ハリーは、ロンにもハーマイオニーにも、あの時見たグリムのことを話していなかった。ロンはきっとショックを受けるだろうし、ハーマイオニーには笑い飛ばされると思ったからだ。

 

 しかし、事実、犬は二度現れ、二度とも危うく死ぬような目に遭っている。最初は”夜の騎士バス”に牽かれそうになり、二度目は箒から落ちて二十メートルも落下した。グリムは、ロンが言う通り、確かに実在しているのだろうか。自分が本当に死ぬまで、取り憑くのだろうか。これからずっと、犬の姿に怯えて生きていかねばならないのだろうか。ハリーはトーストを食べる手を止め、物思いに沈んだ。

 

『大丈夫だよ、ハリー。私が見た時はね、馬に見えたんだ』

 

 大好きな親友の声が、ハリーの耳元で優しくこだました。「占い学」で不安な気持ちになっていた時、イリスが掛けてくれた言葉だ。――ハリーはイリスに会いたくて、たまらなくなった。弱気になっちゃ駄目だ。ハリーは頭を勢いよく振って、雑念を追い払った。イリスは倒れるまで、僕を守ってくれた。今度は、僕が守らなきゃ。そう、もっと強くならなきゃ駄目だ。ハリーがそう決意を固めていると、目の前にふくろうが一羽舞い降りてきて、ハーマイオニーが黄色い歓声を上げた。

 

「何事だい?」カードの仕分けをしていたロンが、気もそぞろに問いかける。

「ロックハートの新作よ!」

 

 ハーマイオニーがうきうきとした口調で答えると、たちまちロンの関心は蛙チョコカードへ、ハリーの関心はクィディッチの考察本へ戻った。親友たちの完全なる無関心さに気分を害することなく、ハーマイオニーは包装を解きながら、二人に向かって話し続ける。

 

「すっごく楽しみにしてたのよ。イリスも彼の事が好きだから、あとで貸してあげなきゃ。あなたたちはその後ね。今回は、一体どんなタイトル・・・」

 

 不意に、ハーマイオニーの言葉が途切れた。――ハリーは本から視線を上げ、訝し気にハーマイオニーを見た。ハーマイオニーの幸せそうな表情が、みるみるうちに彩りを失くし、固く凍り付いていく。

 

「ハーマイオニー?」

 

 ハリーの静かな声に、只事ではない雰囲気を感じ取ったのか、ロンもカードから視線を外して、隣に座るハーマイオニーをチラッと伺い見た。――しかし彼女は黙り込んだまま、答えなかった。代わりに、包装紙から本を取り上げ、テーブル上に、静かに置いた。

 

 ハリーとロンは、それぞれ覗き込んだ。立派な装丁の施された、赤色の本だ。表紙には金色に光る文字で、題名が刻印されている。――『継承者とのこっそり一学期』そこには、そう記されていた。




複雑すぎて話が進まない( ;∀;)アズカバン編が完結したら、USJで自分へのご褒美にマジカルワンド買って、魔法使いになるんだ…。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。