ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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File4.ダイアゴン横丁(後編)

「あれ・・・?」

 

 マルフォイ親子は、現れた時と同じように、唐突に消えてしまった。それこそ、魔法みたいに。イリスは慌てて四方八方を見渡したが、どこにもいない。

 

「どうした?ドラゴンでも見たか?」

 

 狐につままれたような顔をしているイリスに、ハグリッドが冗談まじりに話しかけた。ふとハリーが心配そうに自分を覗き込んでいるのに気が付いて、プレゼントを両手に持ったままだったことを思い出したイリスは、慌ててカバンに突っ込んで隠した。そして二人に「何でもない。散歩してて道に迷っただけ」と嘘をついた。

 

 ルシウスにクリスマス休暇の返事をしたかったし、ハグリッドたちにも紹介したかったけれど、幻でなければドラコとはホグワーツで会えるはずだ。その時に返事をしよう。イリスは楽観的に結論を出して、カバン越しにプレゼントの箱をポンと叩いた。

 

 

 三人は再びイーロップふくろう百貨店に戻った。イリスがとびきり丈夫なふくろうを二羽(なにしろ日本―イギリス間を往復するのだ)店員に選んでもらったあと、会計をしている間、ハグリッドは二人に言った。

 

「二人とも、あとはオリバンダーの店だけだ。・・・杖はここに限る。最高の杖をもたにゃいかん」

 

 

 最後の買い物の店は狭くてみすぼらしかった。剥がれかかった金色の文字で店名が書いてあり、埃っぽいショーウインドーには、色褪せた紫色のクッションに、杖が一本だけ置かれていた。

 

 中に入るとどこか奥の方でチリンチリンと鈴が鳴った。店主が来るまでの間、ハグリッドは店内に一つだけあった椅子に腰かけ、二人は黙りこくったまま、天井近くまで整然と積み上げられた細長い箱の山を見ていた。イリスは隣で立つハリーに対して「わあ」とか「すごいね」とか、今までと同じように気軽な感じで話しかけたかったが、店内に満ちた厳粛な雰囲気と圧倒的な静謐さは、容易に口を開くことを許してくれそうになかった。

 

「いらっしゃいませ」

 

 柔らかな声がして、三人は跳び上がった。特に座っていたハグリッドは、驚いた拍子に身じろぎしたせいで危うく華奢な作りだった椅子を壊しかけ、慌ててその場から立ち上がっていた。

 

 三人の目の前に、いつの間にか一人の老人が立っている。ハリーがぎこちなく挨拶したのを見て、イリスも口ごもりながらそれにならった。

 

「おおそうじゃ。・・・そうじゃとも、そうじゃとも。まもなくお目にかかれると思っていましたよ。ハリー・ポッターさん、イリス・ゴーントさん」

 

 老人は、初めて会ったばかりの二人のことをもう知っていた。そして音もなく滑るように(イリスは老人の足が床から浮いてるんじゃないか、と疑ったほどだった)ハリーの前へと移動する。亡きハリーの両親が選んだ杖の話をしながら、お互いの鼻と鼻がくっつくぐらいまで近づいて、ハリーの前髪を細長い指ではらった。そこで初めてイリスは、ハリーの額に稲妻型の傷があることを知った。

 

「悲しいことに、この傷をつけたのも、わしの店で売った杖じゃ。・・・もしあの杖が世の中に出て、何をするのかわしが知っておればのう」

 

 老人は次にイリスの前へ移動した。ハリーの時と同じように超接近されたらどうしよう、とハラハラしながら、イリスは老人の銀色に光る目を見つめ返した。

 

「不思議な色の目をしていなさる。ご両親の目の色を混ぜたかのようじゃ。あなたのお父さんは黒檀の三十センチ、持ち手から杖先までまっすぐな杖を選ばれた。良質で、なによりも誇り高い杖じゃった。お母さんは柳の木でできた、振り応えのある杖を好まれたが・・・。

 

 いや、好まれたというが、ゴーントさん、実はもちろん、杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ」

 

 老人はそう言って、やがてハグリッドに気づいて話しかけ始めた。イリスは心底ホッとした拍子に、古びたカーペットの毛羽立ちに足を取られてこけそうになった。

 

 

「さて、それでは・・・ゴーントさんから、拝見しましょうか。杖腕はどちらですかな?」

「杖腕・・・?」

 

 急に飛び出した『魔法用語』にポカンとした表情を浮かべたイリスだったが、見かねたハグリッドがやって来て「利き腕のことだ」と教えてくれた。

 

「あの、私、右利きです!」

 

 老人はポケットから銀色の目盛りの入った長い巻き尺を取り出して、イリスの右腕周りの寸法を測りながら、オリバンダーの杖について話を始めた。

 

 やがて巻き尺を再びポケットにしまうと、老人は迷うことなく棚から一つの箱を取り、中から奇妙な形(取っ手以外は杖の先に至るまで、くねくねと曲がりくねっている)の杖を出して、イリスに手渡した。

 

「(ヘンテコリンな杖・・・)」

 

 一目見て、イリスはがっかりした。おまけに取っ手から杖先まで白いシマシマ模様があったので、まるで木で作ったウミヘビみたいだ、とイリスはげんなりしながら思った。

 

「ではゴーントさん。これをお試しください。柳の木、一角獣のたてがみ、三十四センチ。忠誠心が高く、振り応えがある。手に取って、振ってごらんなさい」

 

 もっと可愛い形の杖が良かったのに。自分で選べないのかな。杖の説明を右から左へ受け流しながら、手に取った瞬間、指先がポッと温かくなった。さっきまであんなにがっかりしていた気持ちが、嘘のようにすうっと消えていく。じっくり眺めていれば、なかなか味のある外見だし、これはこれで可愛いかもしれない、とも思えてきた。イリスは空気を切るように杖を振り下ろす。

 

 すると、杖から青色に輝く光の玉が飛び出して、天井にぶつかり花火のように弾けて、店内をほんの短い間だけ美しく青白い輝きで満たした。ハリーは興奮して「すごい!」と叫び、ハグリッドは拍手し、老人は「ブラボー!」と叫んだ。

 

「すばらしい。本当によかった。

 

 ・・・ゴーントさん、実はその杖は、あなたのお母さんが使っていた杖なのじゃ」

 

 その言葉にイリスがびっくりして杖から老人へ視線をうつすと、老人は静かな笑みを湛えて、イリスの瞳を見ていた。まるで瞳の中から、イリスの亡き母親の姿を探しているように。ハグリッドはイリスの頭の上から杖を覗き込んで、一言「本当だ」とうめいた。

 

「私のお母さんが・・・?」

 

 老人は穏やかに頷いて、話を続けた。

 

「悲しい話じゃが・・・あなたのお母さんはある日ここへやって来て『十年後、我が子がここに来たら、”母から入学祝いだ”とこの杖を渡してください』と言い、その杖を託された。魔法使いが杖を手放すというのは、自分の命を手放すも同然。わしは引き止めたが、あの子は笑って去り・・・一週間後にあなたのお父さんと共に『名前を言ってはいけないあの人』に殺されてしまった。

 

 それからこの杖は十年間もの間、ここであなたに出会うのを待っていたのじゃよ。もちろん、先ほども言うた通り、杖が持ち主を選ぶ。たとえ血を分けた兄弟親子の間柄だとて、同じ杖が忠誠を誓うのは実に稀なことじゃ。本当にあなたに使えるのか・・・。案じていたが、どうやら杞憂だったようじゃ」

 

 イリスはしばらくの間、老人の瞳から目を離すことができなかった。後ろで話を聞いていたハリーとハグリッドも、イリスに何と声をかけていいかわからずに押し黙っている。どうしてお母さんは、自分の杖を私にくれたんだろう。イリスは色んな感情がごちゃまぜになって、答えを探そうとすがるように杖を見つめた。杖は当然答えを教えてくれるはずもなく、代わりに店の明かりを反射して、優しくきらめいて見せた。心配することはない、わたしに任せて。その時イリスは、杖がそう言っているように聞こえた。

 

 老人はイリスから杖を受け取り箱に戻して包装してくれた。代金を払おうとすると「もうその杖の代金は最初にあなたのお母さんが支払った」と言って、受け取ってくれなかった。

 

 次はハリーの番だ。イリスの時と同じように、杖腕を聞かれ、巻き尺で寸法を測られていく。勝手に鼻の穴の間まで測られているのを見て、イリスは思わずぷっと噴出した。イリスの時とは違い、老人は棚の間を忙しく飛び回って一つの箱を選び出し、出した杖をハリーに渡して振るよう促した。しかしハリーが振るか振らないかのうちにひったくっては、新たな杖を渡していく。その過程で床に無造作に積み上げられていった無数の空き箱と転がる杖たちを、イリスは茫然と眺めていた。

 

 「難しい客じゃの。え?心配なさるな、必ずピッタリ合うのをお探ししますのでな」

 

 奇跡は間もなく起こった。老人が手渡した杖をハリーが降った瞬間、杖から赤と金色の光が花火のように流れ出し、光の玉が壁に反射した。イリスの時よりもずっと長い間、光の玉は店内を明るく光らせた。

 

 イリスとハグリッドは手を取り合いながら大興奮し、老人は「ブラボー!」と叫んだ。

 

 「すばらしい。いや、よかった。さて、さて、さて・・・不思議なこともあるものよ・・・まったくもって不思議な・・・」

 

 老人はハリーの杖を箱に戻し、包装しながら、まだブツブツと繰り返していた。

 

 「不思議じゃ・・・不思議じゃ・・・」

 

 ハリーが聞くと、オリバンダー老人は泉のような静けさを湛えた瞳でハリーをじっと見た後、ハリーの杖に入っている不死鳥の尾羽根は、もう一枚『別の杖』に使われていたこと、そして『その杖』はハリーの額に消えない稲妻型の傷を残したことを告げた。

 

「こういうことが起こるとは、不思議なものじゃ。ゴーントさんの時と同じように、杖は持ち主の魔法使いを選ぶ。そういうことじゃ・・・。

 

 ポッターさん、あなたはきっと偉大なことをなさるに違いない・・・。『名前を言ってはいけないあの人』もある意味では、偉大なことをしたわけじゃ・・・恐ろしいことじゃったが、偉大には違いない」

 

 思わず身震いしたハリーを見て、イリスはこの老人をあまり好きになれない気がした。まるでハリーも『名前を言ってはいけないあの人』になるような言い方だと思った。ハリーは杖の代金を支払い、三人は店を出た。

 

 

 夕暮れ近くの太陽が空に低くかかっていた。三人はダイアゴン横丁を、元来た道へと歩いた。漏れ鍋に戻る前に、小さなレストランを見かけたイリスが空腹を訴えたため、そこに入って軽食を取ることになった。

 

「大丈夫か?なんだかずいぶん静かだが」

 

 席に着いて料理を注文するや否や、イリスはオリバンダーの店でずっと尿意をこらえていたらしく、「トイレ行ってくる!」と叫んで、露骨に下腹部を抑えながら駆け込んでいった。そんなイリスと頼んだ料理を待つ間、ハグリッドがハリーに声をかけた。

 

 ハリーは何と説明すればよいかわからなかった。こんなに素晴らしい誕生日は初めてだった・・・それなのに・・・ハリーは言葉を探すように、届いたばかりのフライドポテトをかじった。

 

「みんなが僕のことを特別だと思ってる」

 

しばらくの沈黙の後、ハリーはやっと口を開いた。

 

「『漏れ鍋』のみんな、クィレル先生も、オリバンダーさんも・・・でも、僕、魔法のことは何も知らない。それなのに、どうして僕に偉大なことを期待できる?有名だっていうけれど、何が僕を有名にしたかさえ覚えていないんだよ。ヴォル・・・あ、ごめん・・・僕の両親が死んだ夜だけど、僕、何が起こったのかも覚えていない」

 

 ハグリッドはテーブルの向こう側から身を乗り出した。モジャモジャのひげと眉毛の間に、優しい笑顔を浮かべて。

 

「ハリー、心配するな。すぐに様子がわかってくる。みんながホグワーツで一から始めるんだよ。大丈夫、ありのままでええ。そりゃ大変なのはわかる。お前さんは選ばれたんだ。大変なことだ。だがな、ホグワーツは楽しい。俺も楽しかった。いまも実は楽しいよ。

 

 ・・・ところで、イリスはいつまでトイレにこもっとるんだ?」

 

 

 突如、店内の明かりが消えた。思わず身をすくめたハリーと、何事かとかまえたハグリッドの前に姿を現したのは・・・大きな誕生日ケーキを両手に抱えるイリスの姿だった。店内の店員や他の客にも注目されているので、淡いろうそくの炎越しでもわかるぐらい顔を真っ赤にして、「ハッピーバースデー、ハリー!」恥ずかしげに微笑んだ。

 

 ハリーは胸がいっぱいになって、うまく言葉が出てこなかった。

 

「杖のお店を出た時からハリーが元気なかったからさ、ちょうど通りがかったレストランでケーキが売ってるのを見て、これだ!って思ったんだよ。お店の人も色々手伝ってくれたんだ。

 

 ハグリッドにお祝いしてもらったのは知ってるんだけど、お誕生日はその日じゅうだったら何回お祝いしても良いものだって、おばさんが言ってたし、構わないよね」

 

 照れくさいのか、ハリーと目を合わさずに一気にそう言い切ると、イリスは生クリームとイチゴがふんだんにあしらわれたケーキをテーブルに置いた。ケーキには魔法仕掛けのろうそくが十一本立っていて、虹色の炎を揺らめかせている。真ん中には『ハリー お誕生日おめでとう!』と書かれた、大きなチョコレートプレートが乗っていた。

 

 イリスはハグリッドを促して、ハリーのためにバースデーソングを歌い始めた。終わった頃、イリスは「さ、吹き消して!」とハリーに言ったが、当のハリーは口をポカンと開け、銅像のように椅子に座ったままピクリとも動かない。しびれを切らしたイリスが何度もせっついて、ようやくハリーは大きく息を吸い込んで、魔法の炎をすべて吹き消すことができた。

 

 気を利かせてくれた店員や客と共に拍手をしたイリスは、元通り店内に明かりが戻ると、改めてハリーにお祝いの言葉を告げ、プレゼントを渡した。

 

「僕、僕・・・」

 

 ハリーはイリスになんとお礼を言ったら良いのかわからなかった。今自分がどんなに幸せで、満たされた気分なのか伝えたかったけれど、言葉の代わりに心臓とのど元に熱いものがこみ上げて来て、視界がうるみ目の前のケーキがぼやけて見えなくなった。

 

 急に目の前でプレゼントの箱を握りしめたまま咽び泣き始めたハリーに、イリスは戸惑った。自分が幼い頃から誕生日を迎えるたびに、おばにしてもらった当たり前のことをしただけなのに、なぜハリーが泣くのかわからなかった。

 

 おまけに、なぜかハグリッドまで大粒の涙をひげにしたたらせながら、おんおんと声を上げて泣き始めたではないか。もうわけがわからないよ。早くハリーのケーキ(ハリーが何も知らないのを良いことに、イリスはちゃっかり自分の大好きなショートケーキにしたのだ)を食べたいイリスは、さじを投げたくなった。ハグリッドは鼻水をすすりながら二人に言った。

 

「す、すまねぇ、こらえようとしたんだが・・・。実はお前さんらの父さん同士・・・ああ、ジェームズとネーレウスだが・・・この二人はホグワーツにいた時から、ほんとうに仲が悪くてな。喧嘩や決闘なんてしょっちゅうで、その度に俺たちが止めに入ったもんだった。

 

 最初、ダンブルドア先生に、お前さんたちを一緒に横丁へ連れて行ってくれと頼まれた時は、どうなることかとひやひやしてたが・・・。こんなに仲良くなるなんて、あの二人の仲を知ってたやつらの一体誰が予想できる?俺は今、本当にうれしいよ」

 

 そう言うと、ハグリッドは水玉模様のハンカチをポケットから取り出して、思いっきり鼻をかんだ。

 

 ハリーはとても穏やかな気持ちだった。この光景をダドリーたちに見せつけて、散々自慢してやりたかった。あんなに羨ましいと思っていたいとこの誕生日が、今はもう霞んで見える。僕らの父さんたちが仲が悪かっただって?ハリーは涙を拭いて、ハグリッドとイリスに言った。

 

「僕らは絶対そんな風にならないよ。ずっと友達だ」

 

 ケーキや料理を食べておなか一杯になった頃、ハリーはイリスからもらったプレゼントの箱を開けてみた。イリスはカバンから自分の懐中時計を見せて、お揃いだと笑って告げる。

 

 ハリーはさっきまでの不安で孤独な気持ちが、うそのように溶けていくのを感じていた。

 

 

 漏れ鍋でハリーとハグリッド、イリスとイオは分かれることとなった。

 

「じゃあまたなハグリッド。ハリーくん、九月一日にキングス・クロス駅でね」

 

 イオは気軽な感じでハグリッドに別れを良い、次いでハリーに優しく話しかけた。

 

「ハリー、絶対駅で待ち合わせしようね!絶対だよ!」

 

 イリスはハリーと固く握手をしながら念押しし、ハリーは快く頷いた。

 

「本当に良い友達ができて良かったな、ハリー」

 

 去っていくイリスとイオの背中を見ながら、しみじみと呟くハグリッドの言葉に、ハリーは無言で頷いた。早く九月になったらいいのに。切符を握りしめ、心の底からハリーはそう願った。


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