ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

26 / 71
※6/16 一部修正しました。


Page10.亡霊と空を飛び

 ドラコはハロウィーンパーティが終わった後、クラッブやゴイルを引き連れて自寮への帰路を辿った。

 

 ――グリフィンドール寮の前でイリスに心無い言葉を投げつけてから、彼女とは目も合わさず、口も利かない日々が続いていた。しかし、プライドの高いドラコにとって――いくら自分が悪いとはいえ――此方から許しを乞いに行く等という行為は、とてもじゃないが考えられるものではなかった。彼にできる事といえば、廊下で擦れ違ったり、合同授業になったり、大広間で食事を摂っている時に、イリスを――彼女が気付かない短い間――盗み見る事位だった。けれども、ドラコがそうやって見るといつも彼女は――まるでドラコと絶交した事なんて気にもしていないような朗らかな態度で――ハリーたちと楽しそうに笑っていて、その度に彼は、逆に彼女に冷たく突き放されたような気持ちになり、傷つくのだった。

 

 三人は階段を上がり、廊下へ出た。クラッブとゴイルが示し合せたように、腹を摩りながら大きなゲップをするのを眉をしかめながら見ていると、不意にドラコは前で突っ立っている生徒にぶつかった。――だが、立ち止まっているのは、その生徒だけではなかった。前方の生徒たちは立ち止まり、壁となってドラコたちの進路を塞いでいる。彼らはみな一様に顔を青ざめさせ、騒めいている。

 

「邪魔だ、どけ」

 

 不快そうに言い放つと、ドラコはクラッブとゴイルに命じて、目の前の人垣を押しのけさせ、前方へ出て――目の前の光景を見て、息を飲んだ。

 

 ――”秘密の部屋は開かれたり 継承者の敵よ 気を付けよ”――

 

 廊下の隅――窓と窓の間の壁に、高さ三十センチ程の文字が塗り付けられ、松明に照らされてチラチラと鈍い輝きを放っている。『秘密の部屋』――その言葉を、ドラコは父から聞いた事があった。それは、偉大なる創設者の一人、サラザール・スリザリンが残した、”穢れた血”を追放するための”伝説の部屋”だ。

 

「ねえ、あれってミセス・ノリスじゃない?」

 

 茫然と佇むドラコの後方で、興奮した様子で騒めき続ける話し声の一つが、不意に彼の耳に飛び込んできた。ハッフルパフの女子生徒の集団が小走りでドラコの近くまでやってきて、松明の方向を指差すと、口々に悲鳴を上げる。彼も、それに従って、恐る恐る視線を下げた。――そこには、松明の腕木があり、フィルチの愛猫であるミセス・ノリスが、それに尻尾を絡ませてぶら下がっていた。彼女は凍り付いたように硬直し、目はカッと開いたままだ。

 

 ドラコの足元を恐怖心が撫で、それは足の先から頭の天辺までじわじわと染み込んで、彼をその場から動けないよう縫い付けた。

 

 ――どんな事件が起こっても、お前は一切関与してはならない――

 

 かつての父の忠告が耳に蘇る。ドラコの頭の中で、数々の謎のピースが瞬く間に嵌まっていく。――間違いない。『秘密の部屋』を開いたのは、壁に文字を書いたのは、そして、ミセス・ノリスを襲ったのは――イリスだ。

 

「ぼ、僕が・・・」

 

 あの時、自分のプライドなんかに屈せず、イリスに本当の事を話していれば。だが、もう、何もかもが遅すぎた。”僕は再び、イリスを見捨てたんだ”。その事実にドラコは打ちのめされ、声を出す事も出来ず、腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。

 

「なんだ、なんだ?何事だ?」

 

 間の悪い事に――生徒たちの騒ぐ声を聞きつけ、ミセス・ノリスの相棒フィルチが、肩で人込みを押し分けて、ドラコの横へ並んだ。彼は愛猫の凄惨な姿を見ると、恐怖の余り手で顔を覆い、たじたじと後ずさった。

 

「わたしの猫だ!わたしの猫だ!彼女に何が起こったというんだ?!」

 

 彼はパニックになって金切声で叫び、やがてその飛び出した目は、文字の書かれた壁付近に佇むポッターを射ぬいた。

 

「お前だな!お前がやったんだ!」

 

 ドラコは途端に我に返って、フィルチの視線の先を見た。――もしや、犯人がイリスとバレたのでは――?しかし、彼の予想は違った。フィルチは、文字の書かれた壁の付近にいたポッターを睨み付けていたのだ。ポッターは、ビクッと肩を震わせて、わけがわからないと言わんばかりの表情で、フィルチの憎しみの籠もった視線を見返していた。

 

「わたしの猫を!殺してやる!殺して――」

「アーガス!」

 

 ダンブルドアの鋭い声が、矢のように現場へと突き刺さった。他に数人の先生を従えていて、ポッターたちの脇を通り抜け、ミセス・ノリスを松明の腕木から外す。その様子を、ポッターたちは深刻な表情で見守っていた。――待てよ。ドラコの背中を冷汗が伝い落ちる。ポッター、ウィーズリー、グレンジャーの三人しかいないじゃないか。――イリスは――彼女は、どこへ行ったんだ?

 

 ミセス・ノリスを抱えたダンブルドアが、ポッターたちとフィルチを連れ、ロックハートの部屋へと足早に向かう。彼らが人垣の奥へと消え去ってから、ドラコはよろよろと立ち上がり、イリスの仲の良いグリフィンドール生を探した。

 

「おい、ロングボトム!イリスはどこだ?」

 

 ドラコは運良く人込みの中からロングボトムを見つけ出すと、彼の肩を掴んで決死の形相で問い詰めた。彼はドラコの鬼気迫った様子に、目を白黒させながらも、こう言った。

 

「イリスなら、風邪をひいて医務室で寝てるはずだよ。・・・あ、まさか、君、イリスをいじめるつもりじゃ・・・そ、そんなの、僕が許さないぞ!」

 

 ドラコはロングボトムを突き飛ばすと、クラッブとゴイルに先に寮へ戻るよう命じて、一目散に医務室へ向けて駆け出した。ロングボトムの「待て!」という叫び声は、瞬く間に聞こえなくなった。――頼む、僕の間違いであってくれ!彼女が犯人じゃありませんように!

 

 飛ぶように階段を駆け下り、息を切らしながら医務室の扉を開ける。周囲を見渡すが、マダム・ポンフリーは、席を外しているようだった。――イリスのいるベッドはすぐにわかった。等間隔に並ぶベッドのうち、一つだけカーテンが掛かっていたからだ。ドラコは恐る恐る、カーテンをめくった。

 

 

 ドラコの予想通り、イリスはそこにいた。彼女は、ずっと最初からそこにいたかのように、静かに寝息を立てて眠っている。――僕の勘違いだったんだ。ドラコはホッと胸を撫で下ろし、ベッドの脇に座り込んだ。壁に塗り付けられたペンキは、塗り立てたばかりのようにキラキラと輝いていた。彼女は見るからに深く眠っているし、それに――ドラコは布団の下から、彼女の足をそっと触った――暖かい。もし彼女が事件を起こしベッドに戻ったばかりなら、まだ足は冷たい筈だ。

 

 彼女は犯人じゃなかった。久々にイリスの顔をじっくりと眺め、彼女の髪を撫でながら思った時、ふと――かすかな異臭が鼻をついた。これは、つい先程、廊下で嗅いだ事のある匂いだ。ドラコは、何も考えずに布団をめくった。

 

「ひっ・・・!!」

 

 ドラコは大声を上げそうになり、慌てて自分の口を両手で押さえた。――彼の考えを嘲笑うかのように――イリスのローブの前に、ペンキがべっとりと付いていたのだ。黒々としたそれは、ローブから少しはみ出し、灰色のベストにも血糊のようにへばり付いている。壁に書かれていたあの文字の色と同じだ。彼は、イリスを守るために、無我夢中で杖を取り出し、ローブへと向けた。

 

「スコージファイ、清めよ」

 

 イリスの服に付いたペンキは、見る見るうちに消えていった。ドラコの心臓は、今にも飛び出しそうな位、高まっている。――早く、彼女を助けなければ。その一心で、彼はイリスのローブを無我夢中で探った。今、彼女は寝ている。日記を盗み出せる筈だ。

 

 父から聞いた話によれば、過去に一度、継承者によって『秘密の部屋』が開かれた時、”穢れた血”ではあるが、死人が出たという。ドラコはガチガチと震える歯を食いしばった。イリスを殺人者にしてたまるか。――胸ポケットには何もない。左のポケットには、蛙チョコカードとレモンキャンデーがいくつか。そして右のポケットには――ドラコの探し求めていた――角ばった、固いものがあった。日記だ。ドラコはポケットに深く手を突っ込むと、それを掴んだ。

 

 だが、その瞬間、眠っている筈のイリスの手が、日記を引き抜こうとするドラコの手をガッと掴んだ。その力は万力のように強く、ドラコが反射的に手を振り解こうとしても、びくともしない。

 

 イリスは、薄らと目を開けた。――その目は、いつもの青色ではなく、太陽を嵌め込んだかのように金色に輝いていた。思わず息を飲んだドラコを見据え、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「――父上の忠告を忘れたか?ドラコ・マルフォイ」

 

 それは紛れもない彼女自身の声だったが、まるで噛んで含めるかのように、低く落ち着いていた。――違う。こいつは、イリスじゃない。ドラコは恐怖の余り、全身が総毛立った。だって彼女が、あの時の事を覚えている筈がないんだ。イリスはドラコの拘束を解き、彼女に凡そ似つかわしくない、冷たく甲高い嗤い声を上げた。ドラコはたまらず逃げ出した。――やはり、彼女が犯人だった。何者かが日記を介して彼女に取り憑き、彼女を操って『秘密の部屋』を開き、ミセス・ノリスを石にしたのだ。

 

 

 翌朝、イリスの風邪は全快した。大広間で朝食のオートミールを食べながら、イリスはハリーたちから、”絶命日パーティからミセス・ノリス事件”に至るまでの話を聞き、ごくりと生唾を飲み込んだ。自分が風邪で半日寝込んでいる間に、そんな恐ろしい事があったなんて。各寮のテーブルにつく生徒たちも、ミセス・ノリスが襲われた話でもちきりだった。

 

「貴方がいなくてよかったわ。石になったミセス・ノリスは、とっても不気味で残酷だったし。きっと貴方がそれを見ちゃったら・・・パニックになってしまうもの」

 

 ハーマイオニーがイリスの皿に、お代わりのオートミールをよそってやりながら言う。イリスもこれには同感だった。一年の終わり頃、動物と喋れるようになってからも、ミセス・ノリスとは追いかけられこそすれ、話しかけた事すらなかった。しかし、それでも――何者かに襲われて、挙句に石にされてしまうなんて、彼女にとってはどれほどの恐怖だったろう。

 

「壁の文字、『ミセス・ゴシゴシの魔法万能落とし』でも消えないみたい。私、フィルチがこすってるの見たわ」

 

 未知のものに対する好奇心と恐怖で目を輝かせながら、ジニーが颯爽とやって来て、イリスの隣に座った。何故かネビルも何か言いたげにイリスの傍へとやって来て、ハリーを伺い見ながら、モゴモゴと口ごもる。イリスが「何?」と問いかける前に、ハリーが真剣な表情で口を開いた。

 

「イリス。でも君がもし、あの時一緒にいてくれてたらなって、僕は思うんだ。――僕、あの”不気味な声”をまた聴いて・・・それを追いかけて行ったら、壁の文字にたどり着いたからさ」

 

 イリスは考えをまとめた。その謎の声の先に、事件現場があったのなら――それは決して、幻聴などではない。

 

「じゃあ、確実に”何か”がいるんだ。やっぱり、ダンブルドアに相談した方がよかったんじゃない?」

「いや。昨日ハリーにも言ったんだけど、僕はやめた方がいいと思う。誰にも聞こえない声が聴こえるのは、魔法界でも狂気の始まりだって思われてるし」ときっぱりとロンが言った。

「壁の文字を見つけられたのに?ミセス・ノリスを襲った犯人を見つける手がかりになるかもしれないじゃん」

「それが不味いのよ、イリス」ハーマイオニーがため息を吐きながら、イリスに言い聞かせた。

「ハリーは余りにも、色々なタイミングが良すぎたの。あの時、フィルチが騒いだものだから、もう――ハリーが、犯人なんじゃないかって、噂が立ち始めているのよ。これ以上、誰にも聞こえない声が聴こえるなんてヘンな事を言ったら、本当に彼が犯人にさせられちゃうわ」

 

 

 ミセス・ノリス事件以降、ハーマイオニーは図書館へ通い詰めになった。三人が何を調べているのか彼女に聞いても、珍しく上の空で、ろくすっぽ返事もしてくれない。彼女が読書に長い時間を費やすのは今に始まった事ではないが、今や、読書以外何もしていないと言っても過言ではなかった。

 

 一方のイリスは、度々体調を崩すようになった。「元気爆発薬」を飲めば一時的に全快するが、効果が切れると途端に風邪のような症状がぶり返してしまう。困り果ててマダム・ポンフリーに相談した結果、イリスは毎朝、朝食後にポンフリー直々に健康チェックを受ける事になった。

 

 水曜日、昼食を食べ終えたイリスは、図書室へ向かった。ロンは、図書室の奥の方で、「魔法史」のレポートの長さを巻き尺で測っていた。ビンズ先生の宿題は「中世におけるヨーロッパ魔法使い会議」について、一メートルの長さの作文を書く事だった。イリスがロンの計測を手伝っていると、「魔法薬」の授業後、スネイプに居残りをさせられていたハリーもやって来て、彼も同様に自分の羊皮紙の長さを測り始める。

 

「まさか、あと二十センチも足りないなんて・・・」

 

 ロンがぶつくさ言いながら羊皮紙を離すと、途端にそれはまたクルリと丸まってしまった。

 

「君は宿題やったの?」

 

 ハリーの問い掛けに、イリスはすまし顔で自分の羊皮紙を取り出して広げ、巻き尺で長さを測ってみせた。

 

「一メートル三十センチ?!マーリンの髭ったらないぜ!君、ホントにあの”落ちこぼれ”イリスかい?」

 

 ロンが驚きの余り、目玉を向きながら言い放つ。イリスは肩を過ぎる位まで伸びた黒髪を指で払いながら、胸を張った。

 

 イリスはリドル先生による夜の授業のおかげで、各授業の理解度がどんどん増し、ハーマイオニーに(ロンと共に)お尻を叩かれながらも嫌々こなしていた宿題も、自発的にするようになっていた。

 

 リドルは初期の段階で、イリスの得意分野・苦手分野を把握した。取り分け「変身術」と「魔法薬学」が得意な事を見抜くと、この二つに関しては基本を復習しながらも、応用に近い事を教え始めた。それ以外の科目に関しては、イリスが興味をそそられるよう、様々な工夫を施した。「魔法史」では、”歴史の流れ”を――実際にその場にいるかのように――目の前に映し出し、イリスが納得いくまで丁寧な解説をした。「魔法植物学」では、実際の植物を出し、それらが持つ様々な特色や効能を、イリスが楽しんで覚えられるように、面白おかしく話して聞かせた。「天文学」では、宇宙空間を作り出してイリスと共に星々の間を飛び回り、天体の位置や意味などを教えた。「呪文学」では、何かと訛りがちなイリスの発音の一つ一つをチェックし、呪文の一語一句をしっかりと教えた。そして「闇の魔術に対する防衛術」では、イリスの魔法力の操作の仕方を教えた上で、”闇の魔術”ではないが、リドルがそれを防衛する上で必要だと感じる実戦魔法を、時間をかけて一つ一つ教え込んだ。

 

 彼の知識は、底なしだった。イリスが少しでもつまずいたり、興味を失いそうになると、『次はこれ』というように、次々とユーモアのあるアイディアを出してきた。イリスは、毎晩眠りにつくのが楽しみで仕方なかった。そして、イリスがふと気が付いたら――それぞれの授業の成績が(魔法薬学以外)、軒並み上がっていたのだ。

 

 しかしハリーとロンは、そんな事――つまり、リドルの存在は知らない。よって彼らは、ハーマイオニーの特製スケジュール表の効果がやっと発揮され、イリスの成績が上がり始めたのだと推察した。

 

「ハーミー先生のご教授サマサマってわけかい?あー、イリス、良い感じだ。腕はそのまま固定で頼むよ」

 

 ロンが手早く羽根ペンを動かしていると、ハーマイオニーが、ひょいと本棚と本棚の間から顔を覗かせた。彼女は輝くばかりの笑顔を浮かべ、一冊の本を大事そうに抱えている。

 

「本棚に数日ずっと噛り付きで、やっと借り出せたの!『ホグワーツの歴史』よ」

 

 イリスの隣に腰掛けると、ハーマイオニーは三人に見えるようにその本を掲げてみせた。

 

「私、自分のを家に置いてきてしまったから、ずっと図書室で探していたの。ロックハートの本でいっぱいだったから、トランクに入りきらなかったのよ」

「どうしてその本が欲しかったんだい?」

 

 ハリーが尋ねると、ハーマイオニーは本をパラパラとめくり、目当てのページに至ると、みんなが見えるように広げて机の上に置いた。

 

「これよ。『秘密の部屋』の伝説を調べたかったの」

 

 四人は、身を乗り出して覗き込む。そこには、こう書かれていた。

 

 ―― 一千年以上も前、最も偉大な四人の魔法使いと魔女――ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、サラザール・スリザリンによって、ホグワーツ城は設立された。城の場所は、マグルの詮索や当時苛烈を極めていた魔法族への迫害を遠ざけるため、マグルの目から遠く離れていた。

 

 数年の間、創設者たちは和気藹々で、魔法力を示した若者たちを探し出しては、ホグワーツ城へ誘い、教育を施した。

 

 しかし、やがて四人の間に意見の相違が出て来た。スリザリンだけは、魔法教育は純粋な魔法族の家系にのみ与えられるべきだという信念を持ち、マグルの親をもつ生徒は学ぶ資格がないと考え、入学させることを嫌った。その事を巡り、スリザリンとグリフィンドールは激しく言い争い、結果、スリザリンがホグワーツを去った。※――

 

「だから何なんだい?」ロンがせっついた。

「貴方、この※印が見えないの?下の欄にご注目、よ」ハーマイオニーがツンツンと指で、最後の一文の横に付けられた※印を突いた。

「了解しました、だ」ロンが拗ねて言った。

 

 四人が視線を下にずらすと、ページの下に小さな※印が打たれ、その横に小さな文字がちまちまと並んでいた。

 

 ――※あくまで”伝説”だが、スリザリンは学校を去る際に『秘密の部屋』を作り、それを封印し、この学校に彼の真の継承者が訪れる時まで、何人もその部屋を開ける事ができないようにしたと言う。その継承者のみが『秘密の部屋』の封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放するという――

 

 みんなは一斉に顔を見合わせ、無言でこくりと頷いた。

 

「じゃあ、スリザリンの継承者がホントに現れたんだ。だから『秘密の部屋』を開けて、継承者の敵――スクイブの飼い猫の、ミセス・ノリスを襲ったんだよ。でも、”その中の恐怖”って何だろう?」ロンが首を捻った。

「怪物か何かじゃない?何にせよ、只者じゃないわ。だって、ダンブルドアでもミセス・ノリスを元の姿に戻せなかったんだもの」ハーマイオニーがこわごわと囁く。

「待って。もしかして、僕が聞いた声っていうのは・・・」ハリーが茫然と呟いた。

「マーリンの髭!って事は、ハリー、君こそがスリザリンの継承者かい?」

 

 悪戯っぽく驚いて見せたロンを見て、イリスは頬を膨らませて広げていた羊皮紙をクルリと丸めた。

 

「ハリーがスリザリンの継承者なわけないよ。もう、これは没収ね!」

「アッ!何するのさ。あと十センチは残ってるんだぜ!」

 

 ロンが泣きそうな声を出すと、ハリーは思わずクスッと笑ってしまった。

 

「ロン。提出までに十日もあったでしょ。――でもハリー、その声については、本当に慎重に調べた方がいいかもね」

 

 ハーマイオニーは気づかわしげにハリーを見ながら、言った。 

 

 

 そして土曜日がやって来た。今日はグリフィンドール対スリザリンの試合なのだ。十一時前になると、イリスはロンやハーマイオニーと一緒に、クィディッチ競技場へと向かった。いつものように更衣室前でハリーを激励すると、スタンドの一番良い席を陣取る。イリスにとっては、スリザリンのシーカーであるドラコをまともに見てしまう事になるので、実に気まずい一戦となる。

 

 グリフィンドールの選手がグラウンドへ入場すると、スタンド中から割れるようなどよめきと歓声が巻き起こった。レイブンクローもハッフルパフも、スリザリンが負ける所を見たくて仕方がないのだ。

 

「ねえ、隣いいかしら」

 

 イリスも負けじとハリーに声援を送っていると、ジニーがイリスの傍へやって来た。「いいよ」と頷きかけたイリスは、ジニーが胸に付けている大きめのピンバッジに目を留めた。――ツルンとした光沢のあるトマト色の表面には、『HP☆FC』と言う緑色の文字が踊っていた。やがてイリスの訝しげな視線に気づいたのか、ジニーは顔をパッと赤らめた。

 

「これ、ファンクラブの会員バッジなの。――ハリー・ポッターの」

「ハリーの?!」

 

 イリスは思わず仰天して叫んだ。ジニーによると『HP☆FC』は略称で、正式名称は『Harry Potter☆Fan Club』との事。今年入学した一年生を中心に、広まっているらしい。――確かにハリーは有名人だが、まさか本物のファンクラブまで出来ているなんて。これは、いずれ蛙チョコカードにも起用されるかもしれない。そうしたら、ロンとそのカードを眺めて爆笑しよう。イリスは密かに決意した。対するジニーはもじもじと両手を組み合わせては戻しながら、早口でまくしたてる。

 

「だって、彼って本当にカッコいいんだもの。勇敢だし、優しいし、有名人なのに全然気取らないし・・・シーカー姿も本当にステキだわ!彼がうちに遊びに来てくれた時、私、夢なんじゃないかって何度もホッペをつねったのよ。彼のあのきれいな緑色の目、うっとりしちゃう・・・まるで蛙の新漬けみたい」

「か、蛙の新漬け?!」

 

 ”蛙のお漬物”みたいなものなのだろうか。どちらにしても、もっと”エメラルドみたい”とかロマンチックな表現をした方がいいのでは。イリスの渾身の突っ込みは、マダム・フーチによる試合開始の合図の笛に掻き消された。二人は途端に話を止めて、グラウンドへ視線を戻す。十四人の選手が、鉛色の空に高々と飛翔した。各チームのシーカーであるハリーとドラコは、それぞれ他の選手たちの誰よりも空高く舞い上がり、お互いに無言の睨みを利かせる。うっとりとハリーの様子を眺めるジニーを見て、イリスは言った。

 

「ジニーはハリーの事が本当に”好き(Like)”なんだね」

「ううん、”好き(Like)”なんじゃない・・・たぶん、私、”(Love)”してるの」

「”(Love)”?」

 

 イリスが首を傾げると、ジニーは燃えるような豊かな赤毛を掻き上げ、イリスに向け、照れ臭そうに微笑んだ。

 

「うん。だって、私、彼の”一番”になりたいもの。彼が他の女の子と仲良くしてたら、その子に嫉妬しちゃうし、彼に私のことだけを見つめてほしかったり、二人っきりでいれたらなって、思ってるわ。あ、でも、この事は――私がファンクラブに入ってる事も絶対、誰にも言わないでね!・・・イリス。あなたは、恋している人は、誰かいないの?」

 

 はにかみながらも問いかけるジニーは、――後輩の筈なのに――大人の女性に見えたような気がした。――恋している人。イリスは考えた。

 

「私は・・・」

 

 イリスが応えようとしたその時、スタンドにいる人々がちらほらと不穏な声を上げ始めた。二人はグラウンドへ再び視線を戻す。二つあるブラッジャーのうち、一つが、スニッチを探し飛行するハリー目掛けて飛んでいく。ビーターのフレッドとジョージが何度打ち返しても、何故かそのブラッジャーは途中で向きを変え、狂ったようにハリーだけを狙うのだ。

 

「どういうことなんだ?ブラッジャーが特定の誰かを襲うなんて、聞いたことがないぜ」

 

 双眼鏡を覗き込みながら、ロンが茫然と呟いた。試合の状況はすこぶる悪く――というより、双子がハリーから狂ったブラッジャーを守る事に掛かり切りになっているために――六十対零で、グリフィンドールのボロ負けだ。嫌な事は続くもので、雨も降り始めた。やがてシャワーのように降り注ぎ始めた雨に呼応するように、ジョージが空中から『タイムアウト』のサインを出し、両チームの選手たちはそれぞれのピッチへと降り立った。

 

 イリスたちが固唾を飲んで見守る中、試合は再開された。ハリーは狂ったブラッジャーに屈しなかった。一人きりで飛びながら、鬼気迫る表情でブラッジャーを避け、果敢にスニッチを見据え、それを捕まえようと滑空していた。

 

「あいつ、すごいよ!スニッチを捕まえるために、兄貴の守りを拒否したんだ」ロンが感極まった声で叫ぶ。

 

 その負けん気の強さに、スタンド中から雨の轟音と拮抗する位の歓声が上がった。しかし、やがてそれは、蠅のようにハリーを追従するブラッジャーを警戒し、雨で視界もろくに確保できないために、迂闊に動けないドラコへのブーイングに変わった。ドラコの今までの行いを鑑みれば仕方のない事かもしれないが、イリスはギュッと心臓が押しつぶされたように痛んだ。

 

 ――最初は、イリスこそそうだと認識はしていないが、禁じられた森で助けられた時の”錯覚”から始まったかもしれなかった。イリスは、ジニーの言葉を思い返した。――ドラコがパンジーと仲良くしていた時、イリスは彼女に嫉妬した。久々に彼とクィディッチ競技場で会えた時、このままずっと一緒にいたいと思った。イリスは彼の冷たい色をした目が好きだった。――その時、イリスは初めて自覚した。ドラコに、”(Love)”しているのだと。

 

 イリスは、その時、彼に心無い言葉を投げつけられ、絶交した事すらも、一時的に忘れた。彼女はびしょ濡れになるのも構わず、スタンドの手すりに手を掛け、大声で叫んだ。

 

「ドラコー!がんばれーっ!」

 

 雨音や大勢のブーイングに掻き消された筈のイリスの声援は、不思議な事に――彼にだけは届いたらしい。――ドラコは、その時、確かに頭を下げ、イリスを見た。

 

「あきらめちゃダメ!夢だったんでしょ!」

 

 イリスは遥か頭上のドラコを見上げ、叫んだ。――彼はかすかに頷き、弾かれたように空中を飛び出し、ハリーの後を追った。ハリーとドラコは、それぞれ赤と緑の閃光となり、視界を遮る雨粒を弾き飛ばしながら、目の前の金のスニッチを追いかけた。その後ろを、ブラッジャーが執拗に追いかける。

 

 二人は、時折ブラッジャーがその身をかすり、時にぶつかっても、互いに譲る事はなかった。その迫真のデッドレースに、スタンドはいつしかドラコへのブーイングを止め、大歓声の嵐へと変わった。――グラウンドでは、チェイサーやキーパーたちが、熾烈な争いを繰り広げている。しかし、未だに状況はスリザリン優勢だ。

 

 やがて、果てがないようなレースにも、終焉が訪れた。勝者は――ハリーだった。ハリーはスニッチを掴むと、地上へと急降下し、審判のマダム・フーチに手のスニッチを見せてから、ブラッジャーを引き連れ急上昇した。試合終了の合図の笛が鳴り、試合はグリフィンドールの逆転勝利に終わった。マダム・フーチが狂ったブラッジャーに狙いを定め、凍結呪文を成功させるのを確認してから、ハリーは意気揚々と地上へ舞い降りた。

 

 イリスたちは、一目散にハリーの元へ駆けつけた。空中から次々にグリフィンドールの選手たちも降りてきて、ハリーに駆け寄っていく。だが、雨が酷過ぎて、口を開く事すらも出来なかったので、みんな身振り手振りで勝利した喜びを表現していた。

 

 ――イリスはふと、向こう側のピッチへ目をやった。スニッチを捕まえる事の出来なかったドラコは、チームのメンバー揃って反省会をしている様子だったが、視線に気づきイリスを見た。――彼が口を開いて何か言い掛けたところで、雨がこれ以上ない程その勢いを増し、ついに目の前が霞んで見えなくなった。当然のように、ドラコの姿も、雨のカーテンに遮られ、見えなくなってしまった。

 

 

 その夜、イリスは目を閉じても、なかなか寝付く事ができなかった。夕方頃には雨は上がり、今は静かだ。早く夢の中に入らなければ、リドルに会う事ができないのに。そう思えば思う程、気は急いて、頭は冴えるばかりだ。――イリスは、ドラコのシーカー姿を思い出していた。もう一度、自分に笑い掛けたり、話しかけたりしてほしい。――昔みたいに。でも、もう二度と、それはできない。

 

 イリスが布団を頭からかぶって、静かに泣いていると、不意に何かの気配がした。

 

「イリス。目を開けてごらん」

 

 ――それは、イリスが慣れ親しんだ声だった。リドルの声だ。驚いたイリスが、ベッドからバネ仕掛け人形のように勢いよく身を起こすと――すぐ傍にリドルが立っていて、イリスに向けてにっこりと微笑んだ。

 

「リドル、どうして?今、夢の中なの?」

 

 リドルは周囲を見渡しながら人差し指を口に当てて、「静かに」と囁いた。イリスは慌てて口をパチンと押える。他のルームメイトは、みんな寝ているのだ。

 

「今は夢の中じゃないよ。現実だ。君の力をまた少し借りて、”君にしか見えない幻”として現れる事に成功したんだ」

「じゃあ、これからはいつでも会えるっていうこと?」

「そうだよ」

 

 イリスは嬉しくなって、リドルに触れてみようとそっと手を伸ばした。しかし、彼女の手はゴーストのようにリドルの体を擦り抜けてしまう。よく見れば、彼は曇りガラスの向こうにいるかのように、輪郭がぼやけていて、薄らと彼の体を透かして向こうの景色が見えた。寂しそうな顔をするイリスの頬を半透明の手で撫で、リドルは優しく言った。

 

「そんな顔をしないで。君の力は、僕の指導でどんどん強くなってる。近いうちに現実の世界でも、僕に触る事ができるようになるよ。・・・さあ、今日は君に見せたいものがある。トロフィー・ルームへ行こう」

 

 イリスはギョッとしてリドルを見上げた。もう消灯時間はとっくに過ぎている。フィルチはミセス・ノリスが襲われて以来、狂ったブラッジャー顔負けの勢いで生徒たちを摘発していると聞く。

 

「でも、もう消灯時間を過ぎてるし、もしフィルチに見つかったら・・・」

「イリス。この前の「防衛術」の授業で、僕が君に教えたのは、一体何だったかな?」

 

 リドルは悪戯っぽく微笑んだ。イリスはネグリジェ姿のまま、ベッドを起き出して、杖をコツンと頭に当てると、リドルに教えてもらったばかりの『目くらまし呪文』を唱えた。

 

 誰もいない廊下を、透明になったイリスは、リドルと共にそろそろ歩く。初めての”非行行為”だ。イリスはドキドキしながらも、不思議と怖さは感じなかった。リドルと一緒にいるだけで、何だってできるような気分になれた。

 

 二人は無事、トロフィー・ルームへ到達した。様々なトロフィーやメダル、首席名簿などが並ぶ飾り棚の中を、リドルは歩き回り、やがてその一角を指差した。――隅にある棚の上に、「特別功労賞」の盾が一つと、「魔術優等賞」のメダルが二つ並んでいる。それらに刻まれている名前を見て、イリスは息を飲んだ。

 

 ――盾には”T・M・リドル”と”メーティス・ゴーント”という二つの名前があり、メダルには二人の名前が、それぞれ刻まれている。――”ゴーント”。自分のファミリーネームと同じだ。

 

「メーティス・ゴーント。彼女は、君の父方の祖母だ」

 

 リドルは、イリスの傍に立ち並び、静かに囁いた。イリスは茫然とリドルを見つめた。

 

「君が初めて日記を書いてくれた時、”もしや”と思ったよ。そして、夢で君と相対した時、確信した。――君は、彼女によく似ている」

「信じられないよ。リドルと私のお祖母さんが、友達だったなんて。その、本当なの?名前違いとかじゃなくて」

 

 リドルの目が、ふと妖しい熱を帯びた。

 

「イリス。僕が間違える筈がない。彼女は僕の半身だった。五十年の時を経て、僕らは偶然にも(・・・・)再び、出会う事が出来たんだ。――君は、確か父方の家族の事は、父親の名前以外、叔母に知らされていなかったね」

 

 彼は含みのある言い方をした。イリスは何だか恥ずかしくなってきて、俯きながらもこくりと頷いた。

 

「そうだな、君がどうしても信じられないと言うなら――手っ取り早く、それを確認する手段がある。――これだ」

 

 リドルは、トントンと指で、二人の盾やメダルの下に敷かれた緑色の絨毯を指差した。それは深く美しいエメラルド色で、蛇をモチーフとした精緻な銀糸の刺繍が全体に施されている。四つの端には、銀色のたっぷりとした房飾りがあしらわれていた。

 

「君は箒で飛ぶのが苦手だと聞いたが、それは彼女も同じ事だった。――彼女は当時箒ではなく、絨毯で空を飛んだんだよ。この絨毯は、彼女の一族に代々伝わっていたものだ。もし、君が彼女の血縁者なら、君の命令に従う筈だ。さあ、口笛を吹いてごらん」

 

 イリスが恐る恐る小さく口笛を吹くと、魔法の絨毯はスルンと蛇のように――盾やメダルを一切倒さずに――飾り棚から脱出し、二人の目の前で、ふわっと止まった。絨毯は、風もないのに、房飾りを揺らめかせている。

 

 イリスは、まるで自分が物語の主人公になったような、特別な気分に浸っていた。リドルに促され、彼女はおずおずと絨毯の上に乗る。何も教えられなくても、イリスは不思議とこの絨毯での飛び方が分かった。――飛べ。イリスがそう思った途端、絨毯は音もなく廊下を飛び、空いている窓から空へと飛び出した。

 

 星々の煌めく空を、イリスは思う存分飛び回った。雲を掴める位の高さまで飛び上がり、禁じられた森の一番高い木の枝を撫で、急降下して湖の水面すれすれを飛び、まだ灯りの残るホグワーツ城を色んな角度から眺めた。湿り気のある冷たい空気が頬を打ち、イリスのすぐそばを名も知らぬ鳥が飛んでいく。――それは間違いなく、今まで箒での最高度が二メートルだったイリスにとって、初めての経験だった。

 

「どうだい、イリス?気分はすっきりしたかい?」すぐ隣からリドルの穏やかな声がした。

「最高だよリドル!まるで鳥になったみたい!」

 

 イリスはこんな素晴らしい経験をさせてくれたリドルにお礼を言うために、横を向いた。――リドルは、今まで見た事の無い――悲哀に満ちた表情をして、イリスを見つめていた。




また詰め込みすぎて13000字・・・すみません( ;∀;)
スリザリンは蛇使いだったりとか、出身が東の湿原だったりとか、名前の雰囲気などから、何となくアラビアンな感じがしたので、本作では絨毯乗りにしました。
次回から残虐な展開が続きますので、苦手な方はお気を付けください!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。