ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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Page6.吼えメール

 翌朝、イリスは手早く身だしなみを整えると、いつもより早めに大広間へ向かった。グリフィンドールのテーブルには、どうやら昨晩興奮でよく眠れなかったらしく、それぞれ目の下に薄らと隈を作ったハリーとロンが、ニッコリしながら彼女を待ってくれている。

 

 実は昨日の夜、ハーマイオニーの手前何も言えなかったけれど、イリスが聞きたそうにしていたのを察して、ハリーが気を利かせ、ラベンダー伝手にこっそり手紙を送ってくれたのだ。『明日の早朝、一人で大広間に来て。車の話をしてあげる』と。

 

 かくして、三人は、ハーマイオニーに見つからないように大広間で落ち合う事ができた。イリスは無事、早目の朝食を取りながら、ハリーとロンが織り成した空飛ぶ車の冒険活劇を、思う存分堪能できたのだった。二人は話し上手だった。――上空から見た地上の美しい景色、途中で壊れ始める魔法仕掛けの車、危機一髪でホグワーツに飛び込んだが、今度は暴れ柳が攻撃してきて――。イリスにとっては、去年の『賢者の石事件』に匹敵する位、刺激的で面白い話だった。うっとりと話の全貌を聴き入った後、彼女はホウとため息を零し、勇敢な戦士たちを見るような尊敬に満ちた眼差しで二人を見た。

 

「すっごいよ。マーリンの髭(しんじられない)!――いいなあ、二人ばっかり良い思いして!」

「良い思いなんかじゃないさ、どんなに僕らが大変だったか!」とハリー。

「そうさ。暴れ柳の、あの強烈なジャブったら!イリス、君がもしいたら、即聖マンゴ行だったよ」とロン。

 

 ハリーもロンも窘めるように言っては返したものの、昨日ヒーロー扱いされた余韻がまだ残っているのか、その表情は得意満面そのものだ。

 

「ねえ、今度でいいから、私も車に乗せてよ!ロンは運転できるんでしょ?」

 

 キラキラと好奇心に輝く瞳でイリスに見つめられると、ロンは勿体ぶったように咳払いした。

 

「アー・・・載せてあげたいのは山々なんだけど、車はもうどこかへ行っちまったからなあ」

「貴方たちもついでに、どこかへ行っちまったら(・・・・・・・・・・・)良かったんじゃないの?」

 

 不意に痛烈な言葉のジャブがロンにぶちかまされた。三人が慌てて声のした方を向くと、イリスのすぐ傍に、依然昨日と変わらない”しかめっ面”をしたハーマイオニーが立っている。

 

「や、やあ、ハーマイオニー。おはよう」とハリー。

「おはよう。イリス、貴方にプレゼントがあるの」

 

 ハーマイオニーはハリーに対し、つっけんどんに挨拶を返すと、イリスの隣にどすんと座った。どうやら彼女は、ハリーたちが到着した方法がまだ許せないらしい。彼女の全身から発する怒りのオーラをまともに受け、居心地悪そうに身じろぐイリスに、彼女はポケットから羊皮紙を一枚取り出し、手渡した。クルッと巻かれたそれを広げてみると――イリスの起床から就寝までの、一日のスケジュールが緻密に書かれていた。しかも恐ろしい事に、『13:00 復習』『19:00 宿題』等、時間毎に定められた行動の部分が、眩しい位に点滅して光るようになっているらしい(その証拠に今は、『7:00~8:00 朝食』の欄がピカピカと光っていた)。

 

 ハーマイオニー特製のスケジュール表を凝視しながら、凍り付くイリスの肩に手を置きながら、彼女はその耳元で噛んで含めるように言い聞かせた。

 

「貴方が、もう二度と、宿題をすっぽかさないように、昨日、貴方がぐっすりのんきに眠っている間、夜を徹して作ったのよ。――もし、貴方がこれの通りに勉強しなかったら・・・」

「合点承知の助です、ハーミー先生!」

 

 みなまで言わず、ただ肩を掴む力を強めたハーマイオニーに底知れない恐怖を感じ、イリスは敬礼しながら叫んだ。ハーマイオニーは、ハリーたちと同じように――原因は全く異なるが――薄らと隈の出来た目を細めて満足気に微笑むと、牛乳入りオートミールの深皿を取り寄せた。

 

 ――よし、ホグワーツ最強のドラゴン・ハーマイオニーは眠りについた。眠るドラゴンをくすぐる勿れ。イリスはスケジュール表を無くさないように、ポケットの中の日記の表紙に挟むと、トーストを一枚取ってバターを塗り始める。

 

「イリス。宿題をすっぽかしたって、何の事だい?」

 

 しかしロンは、眠るドラゴンをくすぐってしまった。察しの早いハリーがロンを慌てて小突き、イリスがトーストを取り落としたが、時すでに遅し。ハーマイオニーはオートミール取り分け用のお玉を乱暴に皿に戻すと、三人を睥睨した。

 

「もしかして、イリス、貴方言ってなかったの?――貴方達も、イリスのあの後(・・・)には興味なしってわけ?親友があんな危険な目に遭ったっていうのに!貴方達の不良行為の話なんか、どうでもいいでしょう!」

「これから聞くつもりだったさ!君が横から茶々を入れなければね!」とロン。

「あら!茶々を入れなきゃ、イリスが貴方達の不良行為に巻き込まれるところだったわ!」とハーマイオニー。

「みんな、出来立てのベーコンエッグでも食べないか?」

「で、あの時の話なんだけどね!」

 

 ハリーとイリスは、阿吽の呼吸で目を合わせ、お互いの成すべき事を把握した。ハリーはシーカーに相応しい俊敏さで、ホカホカと湯気の立つベーコンエッグの大皿を取ってくると、四人の取り皿に投げ入れ、ロンとハーマイオニーが思わず喧嘩を中断して皿を注視している間に、イリスはやや大きめの声で話し始める。――但し、列車でのパンジーやノットとの諍いの話は――とりわけハーマイオニーの前ではしたくないので――いまだに自分の心の中だけに秘めている。

 

「出たよ、”純血主義”だ!そんなの、洗脳するために、イリスを誘拐したも同然じゃないか!」と憤りながらロンが言った。

「イリス、もうマルフォイに話しかけられても、無視をするんだ。あいつの父親は正気の沙汰じゃない」とハリー。

「私もハリーの言う通りにした方がいいと思うわ。ハグリッドも、マルフォイ家の事をよく言っていなかったし」とハーマイオニー。

 

 しかし、イリスの心境は複雑だった。三人にまだ打ち明けていない事がもう一つある。――ドラコを好きだという事だ。イリスだって、自分を純血主義者に教育すると明言したマルフォイ家とは距離を置きたいが、ドラコと仲良く出来ないのは耐えられない。矛盾する考えに、イリスはオートミールをスプーンで掻き雑ぜながら、必死に言い訳を考え、やがておずおずと三人を見上げた。

 

「・・・でも、呪いのコインを送ったのはルシウスさんで、ドラコじゃないもん・・・」

 

 予想だにしなかったイリスの返答に、ロンは飲んでいた紅茶を盛大に吹き出し、ハリーは食べかけのミンスパイを取り落し、ハーマイオニーはロックハート著『バンパイアとバッチリ船旅』を、自分のオートミールの皿に危うく漬け込みそうになった。

 

「君、頭が悪いにも程があるぜ!トロール並みだぞ、マーリンの髭(しんじられないね)!――アイタッ!(ハーマイオニーが本でロンをはたいた)何するんだよ、ハーマイオニー!」

 

 再び口喧嘩を始めた二人を見ない事にして、ハリーはテーブルから身を乗り出し、イリスの手を握りながら、真剣な表情で幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと話しかけた。

 

「いいかい、よく聞いてくれ。イリス。君は優しいから、『無視しろ』とか言われるのは、心苦しいかもしれないけど・・・冷静になって、よく考えてほしい。

 マルフォイは、自分の父親が、君に呪いのコインを送ったり、手紙を妨害する事に、何の疑問も思わないようなやつだ。あいつは父親の言いなりだし、良心の欠片さえ持ち合わせちゃいないよ。

 今後、マルフォイが君に話しかけたら、何も言わずに僕の後ろに隠れるんだ。クリスマス休暇の時だって、僕たちがマルフォイの父親から絶対に君を守るから」

 

 ハリーたちが自分の事を思って、掛けてくれた言葉だということは、イリスには痛い程伝わった。客観的に見れば、誰だって『ドラコと付き合うな』と言うだろう。しかし、イリスは――ドラコは、臆病で意地悪だけれど、本当は純粋で良い子で、意外と面倒見が良くて情が深くて、魔法使いのチェスが教えるのもするのも上手で、勉強は特に魔法薬学と変身術が得意で、クィディッチが大好きで本当はシーカーになりたいと言っていた事も――三人に言いたかった。彼は悪い所ばっかりじゃない、良い所だってある。途方もなく時間はかかるかもしれないけど、きっと三人とも仲良くなれるはずだ。だって、私とも仲良くなれたんだもの。三人は誤解しているんだ。

 

 ――君らはお互いの価値観をきちんと話し合った上で、仲良くしているのか?――

 

 不意にノットの言葉が彗星のように降って来て、イリスの心に衝撃を喰らわせる。――そうだ、確かにノットの言う通りだ。イリスは唇を噛み締める。ドラコとは、ホグワーツ初日以来お互いの価値観について、今まで一度だって、真剣に語り合った事がない。魔法界用語に当て嵌めれば、イリスは親マグル派で、ドラコは純血主義だ。決して相容れる事の無い考えを持つ二人だからこそ、その事について無意識に語るのを避け、下らない世間話に身を投じ続けていたのかもしれなかった。

 

 イリスは、ハリーの視線を避けて、スリザリンのテーブルにいるドラコを探した。そこで彼女は信じられないものを見て、思わず椅子を蹴倒して立ち上がりそうになった。

 

 ――ドラコの隣にパンジーがしな垂れかかり、半分に切ったソーセージをフォークに差して、あろう事か、彼の口元へ持っていき、食べさせようとしているのだ。イリスは怒りのマグマが心臓から噴き出して、瞬く間に全身を爆発的な勢いで覆っていくのを感じた。

 

 ――そんな、ずるい!私だって、そんなの、したことないのに!ドラコ、そんなやつのソーセージなんか食べちゃダメ!――

 

 イリスの願いも空しく、ドラコは苦々しい表情を浮かべながらも、パンジーのソーセージを、仕方なくといった調子で食べてしまった。その瞬間、イリスの脳内で、パンジー・パーキンソンは『ただの嫌なやつ』から『にっくき恋敵』へとクラスチェンジされた。パンジーが嬉々として、次のソーセージをフォークに差しているのを『もういい』と手で制しているドラコを睨み付けながら、イリスは心の中で彼を轟々と責めた。

 

 ――ドラコなんか大っ嫌い!ソーセージくらい、自分で食べれるでしょ!死んじゃえ、バカ!――

 

「イリス、どうしたんだい?」

 

 ハリーが心配そうに、様子の可笑しいイリスに尋ねるが、彼女はそれには答えず、般若のような顔つきでトーストに噛り付いた。そこへネビルがやって来て、嬉しそうにハリーの隣に腰掛ける。

 

「もうすぐふくろう便の時間だ。ばあちゃんが、僕の忘れた物をいくつか送ってくれると思うよ」

 

 彼の予言は大当たりした。突如、頭上に無数の羽ばたき音がして、百羽を超えるふくろうが押し寄せ、天井の曇り空を覆い隠した。ふくろう達は大広間を旋回して、食事とお喋りに勤しむ生徒達の傍に舞い降りては、手紙やら小包やらを落としていく。きっと彼の忘れ物なのだろう――小包の中でもひときわ大きな凸凹した包みが、ネビルの頭に落ちてポヨンと撥ね返り、彼は痛みに悶絶しながらも地面に落ちる寸でのところでキャッチした。

 

 続いて、灰色のふくろうが、ハーマイオニーの傍のミルク入りの水差しに落ち、周りのみんなにミルクと羽のしぶきを撒き散らした。その騒動に、ロンとハーマイオニーの口喧嘩も一時中断され、五人の視線はふくろうに集中する事になった。

 

「エロール!」

 

 ――どうやらそのふくろうは、ウィーズリー家の一員であったらしい。ロンが仰天しながらも足を引っ張り、ミルクでぐっしょり濡れたエロールを救出した。エロールは、見るからに息も絶え絶えの状態だった。同じくミルクで濡れた赤い封筒を、嘴からポトリと力なく落とした。

 

≪シクシク・・・ウィーズリー家に飼われたのが・・・わしの運のツキ・・・定年過ぎてもこんなボロボロになるまで働かされて・・・ガクッ≫

「コードブルー!繰り返す、コードブルー!誰かドクター・ハグリッドを呼んでください!」

 

 イリスが白目を剥いて力尽きた(失神した)エロールを、必死に介抱する一方で、ロンは赤い封筒を――何故かネビルも、まるで時限爆弾を見るような目つきで凝視している。

 

「大変だ・・・」

「大丈夫よ、まだ生きてるわ」

 

 ハーマイオニーが、イリスの懸命な救助活動に参加しながら、ロンに言った。

 

「そうじゃなくて――あっち」

 

 ロンは、無情にもエロールではなく――彼の傍に落ちている、赤い封筒の方を震える手で指差した。別に何の変哲もない封筒だ。――ロンの言葉の意図が分からず、ハリーとイリスとハーマイオニーは一様に首を傾げた。

 

「その封筒がどうしたの?」代表してハリーが聞いた。

「ママが――ママったら、僕に『吼えメール』をよこしたんだ」ロンが、蚊の鳴くような声で言った。

「ロン、開けた方がいいよ」ネビルが意を決した様子で囁いた。

「開けないと、もっとひどいことになるよ。僕のばあちゃんも一度僕によこしたことがあるんだけど、ほっておいたら――(そこで、ネビルはごくりと生唾を飲み込んだ)――ひどかったんだ」

「『吼えメール』って何?」ハリーとイリスの声がハミングした。

 

 しかし、ロンは二人の疑問に答える余裕もなく、全神経をその赤い封筒――『吼えメール』に集中させていた。封筒の四隅が、不穏な煙を上げ始めていたからだ。――まるで、早く開けないともっと酷い目に遭わせるぞ、と脅しているようだった。ネビルに促され、ロンは蒼白な表情で唇を噛み締めながら、そっと手紙を開封した。ネビルはすかさず指を使って耳栓をした。

 

 次の瞬間、イリスは封筒が爆発したかと思った。――違う、爆発じゃない。怒鳴り声だ(・・・・・)。イリスは衝撃で目を白黒させながら、ただひたすら耐えるしかなかった。手紙から放出される声は余りに大きく、窓硝子はビリビリ震え、天井からはパラパラ埃が落ちて来る。

 

「・・・車を盗み出すなんて、退校処分になっても当たり前です!!・・・車がなくなっているのを見て、わたしとお父さんがどんな思いだったか・・・」

 

 ロンのお母さんの怒鳴り声は、窓や天井のみならず、石の壁やイリスの両耳の鼓膜にまで反響し、彼女はここにきてやっとネビルと同じように指で耳栓をしてみたが、効果は余り無かった。テーブルの上の皿もスプーンも、残らずガタガタと小刻みに震えている。ロンの姿が見えないと思って探していると、彼の真っ赤な額だけがテーブルの上にちょこんと出ていた。――椅子に縮こまって、小さくなっているらしい。今やイリスはハーマイオニーと手を取り合い、ロンママの声の暴力に、成す術もなく耐え続けるしかなかった。大広間中の生徒達が周囲を見渡し、誰が『吼えメール』をもらったのかを探しては、ロンのいる一角へと行き着いていく。

 

「・・・昨夜、ダンブルドアからの手紙が来て・・・おまえもハリーも、まかり間違えば死ぬところだった・・・」

 

 ハリーは辛うじて椅子に張り付いていた。自分の名前が出て来た時、びくっと肩をこわばらせたが、必死に聞こえていない振りを貫いた。

 

「お父さんは役所で尋問を受けたのですよ・・・今度ちょっとでも規則を破ってごらん・・・わたしたちがお前をすぐ家に引っ張って帰ります!!」

 

 『吼えメール』の終焉は唐突に訪れた。ロンの手からとっくに落ちていた赤い封筒は、最後の文句を言った直後に炎となって燃え上がり、跡形もなく灰になって消え去った。ハリーとロンは――まるで津波の直撃を受けた後のように――茫然と椅子に縋り付いていた。何人かが堪え切れずに笑い声を上げ、だんだんといつも通りの喧騒が戻って来る。ハリーたちと同じく茫然自失状態となっているイリスの頭を撫でながら、ハーマイオニーが悠然と、ロンの頭のてっぺんを見下ろして言い放った。

 

「イリス、貴方が怒られたんじゃないのよ。――ま、ロン。貴方が何を予想していたかは知りませんけど」

「当然の報いを受けたって言いたいんだろ?」ロンが噛み付いた。

 

 一方のハリーは、ロンの両親への申し訳なさでいっぱいの顔をしながら、食べかけのオートミールを向こうに押しやった。ハリーは休暇中、ロンの家にお世話になっていたというから、きっと罪悪感に苛まれているに違いない。イリスは気遣わしげにハリーを見やった。

 

「ハリー、今回の事は仕方がないよ。二人共、わざとやったんじゃないもの」

 

 しかし、話はそこで一先ず中断となった。マクゴナガル先生が、グリフィンドールのテーブルを回って時間割を配り始めたからだ。見ると、最初にハッフルパフと一緒に「薬草学」の授業を受けることになっていた。

 

 四人は一緒に城を出て、野菜畑を横切り、魔法の植物が植えてある温室へと向かった。――『吼えメール』は一つだけ良い事をした。ハーマイオニーがこれで二人は十分罰を受けたと納得し、元通りの仲良し四人組に戻れたのだ。

 

 

 温室の近くまで来ると、「薬草学」担当のスプラウト先生が――何故か、ロックハート先生と一緒に芝生を横切って、包帯を山ほど抱えたまま大股でやって来た。遠くの方に、包帯だらけの暴れ柳が見える。――泥塗れで仏頂面のスプラウト先生とは対照的に、ロックハート先生は埃一つない服装で終始笑顔だった。ハーマイオニーがキャッと黄色い悲鳴を上げた。

 

「みんな、今日は三号温室へ!」

 

 ロックハート先生がこぼれるような笑顔でみんなに挨拶しようとした途端、スプラウト先生が不機嫌な声で言った。――三号温室。イリスは胸をときめかせた。一年生の時には一号温室でしか授業がなかった。きっと、もっと不思議で面白い植物が植わっているに違いない。

 

「楽しみだね、ハリー」

 

 イリスは温室に入る時、後ろにいる筈のハリーを見ながら言った。――しかし、そこには、閉じられた扉と不機嫌さを全面に押し出したスプラウト先生がいるだけだった。

 

「ミス・ゴーント。ミスター・ポッターは、あの忌々しい金髪キーキースナップ・・・いえ、ロックハート先生が話があるとか抜かし・・・とにかく、二、三分遅れるとのことです」 

「はい・・・」

 

 イリスは何も言わない事に決めた。どうやら、スプラウト先生とロックハート先生はそりが合わないらしい。スプラウト先生は、温室の真ん中に架台を二つ並べ、その上に板を置いて簡易的なベンチを作った。ベンチの上に色違いの耳当てを並べ始める。ロンが耳当てとイリスを交互に見ながらニヤッと笑い、無言で小突いてきたので、イリスもむきになってやり返した。――二、三分後、ハリーが複雑極まりない表情で温室へ戻って来て、イリスの隣に立った。先生はその様子を確認してから、授業を始めた。

 

「今日はマンドレイクの植え替えをやります。マンドレイクの特徴が分かる人はいますか?」

 

 みんなが思った通り、ハーマイオニーの手が挙がった。彼女は淀みない声で、『マンドレイクは強力な回復薬になる事』、『姿形を変えられたり、呪いをかけられたりした人を元の姿に戻すのに使用される事』をすらすらと答え、グリフィンドールに十点を与えた。続いて、『マンドレイクの泣き声は聞いた者にとって命取りになる事』も答えたので、もう十点を獲得した。イリスが感動して小さな拍手を送ると、ハーマイオニーは彼女に向け、誇らしげな笑みを見せた。

 

「さて、ここにあるマンドレイクはまだ非常に若い」

 

 先生は、一列に並んだマンドレイクの苗の箱を指差した。イリスは他の生徒達と一緒に、前の方へ詰めかける。――そこには、紫がかった緑色のふさふさした植物が、百個くらい列を作って並んでいた。ここから先は耳当てが必要だ、という先生の指示で、今度はみんな一斉に耳当てを――ピンクのふわふわした耳当て以外を――取ろうと揉み合った。イリスは幸運な事に、残り一つとなったまともな耳当てを掴み取ることができた。

 

「それでは耳当て、付け!」

 

 号令に従い、イリスはパチンと慣れた調子で耳当てを付ける。外の音が完全に聞こえなくなった。――まあ、これが耳当ての正しい効果なのだろうけど、何だか変な感じだ、とイリスは思った。先生は残ったピンクの耳当てを付け、ローブの袖を捲り上げて、ふさふさした植物を一本しっかり掴み、ぐいと引き抜いた。

 

 イリスは思わず悲鳴を上げてしまった。しかし、声を出した感覚はするが、当然何も聞こえない。

 

 土の中から出てきたのは、植物の根ではなく、小さな泥んこのひどく醜い男の赤ん坊だった。ふさふさした葉っぱは、頭から――髪の毛みたいに――生えていた。肌は薄緑色で、まだらになっている。赤ん坊は、声の限りに泣き喚いている様子だった。先生は、慣れた調子でテーブルの下から大きな鉢を取り出し、マンドレイクをその中に突っ込み、葉っぱだけが見えるように、黒い湿った堆肥で赤ん坊を埋め込んだ。先生は耳当てを外すよう、生徒たちにハンドサインを送ると、自分も耳当てを外した。

 

「このマンドレイクはまだ苗ですから、泣き声も命取りではありません。しかし、苗でも、みなさんを間違いなく数時間気絶させるでしょう。新学期最初の日を気を失ったまま過ごしたくはないでしょうから、耳当ては作業中しっかりと離さないように。

 一つの苗床に四、五人。植え替えの鉢はここ、堆肥の袋はここにあります。――『毒触手草』に気を付ける事。歯が生えてきている最中ですから」

 

 先生は話しながら、自身の肩の上にソロソロと伸ばしていた暗褐色の長い触手――恐らく『毒触手草』だろう――を、ピシャリと叩いて引っ込めさせた。

 

 

 ハリー、イリス、ロン、ハーマイオニーのグループに、クルクルとした巻き毛が特徴的なハッフルパフ生の男の子が加わった。初めて見る子だ。

 

「ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーです」

 

 男の子は真っ先にハリーと握手しながら、朗らかな明るい声で自己紹介した。

 

「君の事は知ってますよ。もちろん。有名なハリー・ポッターだもの。それに君は、ハーマイオニー・グレンジャーでしょう。――何をやっても一番の」

 

 ハーマイオニーは、笑顔で握手に応じた。何となく嫌な予感がしたイリスが、ハリーの影に隠れて気配を消そうとしていると、ジャスティンは容赦なくイリスに近づいて手を差し出した。

 

「君はイリス・ゴーントですよね。彼女とは対照的に、何をやっても落ちこぼれの。――動物と話ができるって本当なんですか?それから、ロン・ウィーズリー。あの空飛ぶ車、君のじゃなかった?」

 

 イリスは苦笑いで握手に応じるしかなかった。トラウマを穿り返されたロンは、ニコリともしなかった。

 

「隙を見て、あいつの耳当て、ずらしてやろうぜ」

 

 ロンがイリスの耳元に囁き掛けたので、イリスも無言で頷いた。

 

 ジャスティンはお喋りな男の子だった。五人でそれぞれの鉢に、ドラゴンの糞の堆肥を詰め込んでいる最中も、彼のトークは留まる事を知らなかった。どうやら彼はロックハート先生のファンらしく、彼の英雄譚を熱心にしていたが(ハーマイオニーだけが一生懸命聴いていた)、そのうち耳当てを付けないといけなくなったので、彼の話は中断され、五人は静寂の中で作業を続けた。

 

 植え替えは、スプラウト先生の時、随分簡単そうに見えたが――実際には、そうはいかなかった。マンドレイクは土の中から出るのを嫌がり、一旦出してしまうと元に戻りたがらなかった。もがいたり、蹴ったり、小さな尖った拳を振り回したり、ギリギリ歯ぎしりしたりで、危ない事この上ない。困り果てたイリスは、無駄だとわかっていながらも、マンドレイクに語り掛けた。

 

「怖がらないで。君を傷つけようなんて思ってない。すくすく育ってほしいから、土を新しくするだけだよ。すぐに元に戻してあげるから。暴れなくたっていいんだよ」

 

 すると、不思議な事が起きた。どうやらマンドレイクは、イリスの言葉がわかるようだった。力の限り暴れるのを止め、きょとんとした顔でイリスを見ている。イリスもきょとんとした顔でマンドレイクを見返した。果たして、自分の魔力が強くなり、動物の垣根を超えて植物とまで会話できるようになったのか――マンドレイクは動物の域に入るのか――詳細は不明だが、とにかく意志の疎通は可能なようだ。お互いに怪我をしなくて済むと、イリスはホッと胸を撫で下ろした。

 

「そう、良い子だね。すぐに埋めてあげるからね」

 

 イリスが、人形のように大人しくなったマンドレイクを再び土の中へ埋め込んでいると、スプラウト先生が目を見張りながら、その様子を見守っているのに気付いた。おもむろにトントンと肩を叩かれ振り向くと、ハリーが『僕のも頼むよ』と唇の動きだけで言いながら、まるまる太ったマンドレイクを見せる。――その後、イリスは、それぞれの持つマンドレイクに丁寧に語り掛けては大人しくさせ、他のどのグループより早く楽に植え替える事に成功したのだった。

 

「素晴らしい才能です、ミス・ゴーント。マンドレイクをあやしたのは(・・・・・・)あなたが初めてです。グリフィンドールに十点あげましょう」

 

 スプラウト先生が、にっこり笑ってイリスに言った。「やったわね!」とハーマイオニーに肩を叩かれ、イリスは誇らしい気持ちでいっぱいになった。

 

「助かったよ。君って、植物とも話ができるようになったんだね」とハリー。

「ほら見ろよ、あいつの顔!気分爽快だぜ」とロン。

 

 ロンに促された方向を見ると、ジャスティンがびっくり仰天した顔でイリスを見ていた。――どうやら、彼女が動物と話ができるという噂を信じていなかったらしい。イリスは『してやったり』と言わんばかりに、ニヤッと笑った。




『マーリンの髭』って言いたかっただけです。すみませんでした…。

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